滅びゆく世界の勇者は、異世界で静かに暮らしたい 作:なんJお嬢様部
転移物ですが、暫く転移前の世界で話が進みます。
ーー腐臭がする。多分、風向きが変わって、近くに転がってる死体の臭気が
俺はもう5日はまともに寝ていない、グロッキーな頭で可能な限り合理的な推測をすると、体を横たえていた塹壕から無造作に顔を出す。
以前ならそんな迂闊な行為をすれば「馬鹿か!? 死にたいのかお前は!」などと
次の瞬間、監督官を貫いていた触手が派手に枝分かれして、そいつの身体を四分五裂に刻んで、側にいた俺がホカホカの臓物を頭からモロに被ることにならなければ、今もいい気分でいられたことだろう。ようやく、その臭いもマシになってきたと思ったところでの
「よっと……」
俺が塹壕から顔を覗かせるも、周囲に生物らしき影はない。恐らく、見えないだけで近くの塹壕にはまだいくらかの兵士や下士官、【勇者】が息を潜めているはずだ。でも、誰もが面倒事は御免だから死んだように動かないだけだ。
どうせなら、敵の一
〈あらら〜、当てが外れちゃいましたね〉
そんな、センチメンタルなことを考えたそのとき、無人だったはずの戦場には不釣り合いな、楽しそうな少女の声が響いた。しかし、辺りにはやはり俺以外の人影はない。
それもそのはず。その声は、戦場から聞こえてくるものではなく、俺の頭の中のマイクロチップから、脳に直接響いているのだ。
〈おい、急に話しかけるなっていつも言ってんだろ〉
俺が、頭の中でそう念じると、少女特有のケタケタとした笑い声が脳内に響く。耳障りで絶妙に人の神経を逆撫でする甲高さだ。
〈え〜、だって私と君は一心同体なんだからさ〜、急に喋るのは仕方ないでしょ〜〉
〈こっちが指示出すまでそっちから勝手に喋んなって言ってるんだよ、
こちらのご機嫌を取るような猫撫で声で話しかけてくるアリスに、俺は吐き捨てるような口調で返す。すると声の主が今度は〈エーン!〉と泣き声を上げ始める。純度100%、紛れもない嘘泣きだ。
〈ひどいよ〜! レックスくん、そんなに言わなくてもいいじゃないか~、エーンエーン!〉
〈ああ、わかった! 俺が悪かったから、もうその嘘泣きをやめろ!〉
あまりにもけたたましい泣き声に脳を揺さぶられた俺は、慌ててフォローに回る。一体、何が悲しくてこの俺が、こいつのご機嫌取りをしなければならないのか。
〈え、ホント? じゃあ私、喋っててもいいよね〜〉
〈こいつ……一生黙ってろ……〉
俺は、驚くべき速さで変わり身を遂げた人工知能に吐き捨てる。
頭に響く声の主ーーその名は、アリス。正体は、俺の脳内の視床下部に打ち込まれている、AI搭載のマイクロチップ、通称【
俺のような【勇者】には全て、軍用のナノマシンが打ち込まれている。それによって【勇者】は、身体機能の向上や並列思考の強化、軍用衛星に搭載されたマザーコンピュータの管理する、各種データベースへのアクセスやダウンロードといった、様々な恩恵を受けることが可能となっている。
しかし、その全てを十全に機能させるには、人間の脳では限界がある。そこで、AIによる疑似人格を搭載した【SBS】が処理の一部を担う訳だ。
本来であれば、【SBS】は【勇者】の命令でしか起動せず、【勇者】の与えた指令だけを実行し、指令のない平時は休眠モードになるように設定され、勝手に起動しないようになっている。当然、メンテナンスのことを考慮して【SBS】のAI間には個体差もない。生み出される疑似人格も全く同じものになる……ハズだった。
しかし、俺の脳に打ち込まれた【SBS】にはどうやら
俺は、アリスが喋るようになってから、階下で鳴らされるピアノの音にブチ切れて、ショットガンで住人を撃ち殺した犯罪者に生まれて初めて同情した。理不尽な経験は、人を同じ境遇の誰かに対して優しくさせるのかもしれない。
俺は、このくそったれの不法入居者を追い出すべく、俺を【勇者】に改造した【
だが、先方からの返事は「既に脳に定着した【SBS】を統御しているマイクロチップを外すには、一度君の頭蓋骨をぶち割ってから、脳みそを掻き分けて癒着部分を焼き切る必要がある。ぶっちゃけ、面倒……じゃなくて、あまりにもリスクが高いから、とりあえず動いてるならそのままにしといてくれ」という、あまりにも雑な対応だった。
世界の危機に、曲がりなりにも既に動いている【勇者】よりも、新しい【勇者】の作製にリソースを割きたいのはわかる。わかるのだが、正直、俺は死んでもいいから今からでも脳みそをこねくり回して、こいつを取り出してほしかった。
〈え〜、酷いこと考えるなぁ、レックスくんはさぁ〜〉
〈だから、勝手に思考を読むな、話しかけるな、名前で呼ぶな〉
〈じゃあ、何をしろっていうのさ~〉
〈だから、何もすんなって言ってるだろ! 俺が作業してる間は黙ってろ!〉
ブーブーと不満タラタラの声を上げるアリスを一喝すると、アリスは〈は〜い〉と一声返事をしてから沈黙すした。その気になれば、ずっと立て板に水で話し続けられるあいつが、やけに潔く指示を聞いたことは訝しかったが、今は静かになるならなんだっていい。
俺は、塹壕から顔を出した当初の目的である臭いの元を処理するために辺りを見回して、その元凶を見つけたときには思わず「うへぇ……」と辟易とした声を漏らしてしまった。
果たして、俺の想像通りに塹壕の側に死体はあった。その死体はいかなる力で投げつけられたのか、体を胴で真っ二つに引き裂かれ、塹壕を守る鉄条網に手足と
死体の惨状を見た瞬間、片付けようなどという考えは俺の頭から綺麗サッパリなくなった。俺は、巻き付けたネックウォーマーを、マスク代わりに鼻まで上げると、元いた塹壕の中に緩慢な動作で戻っていった。なんだかもう、今は何もしたくなかった。
そんな俺に追い打ちをかけるように、脳内では再び喧しい少女の声が響き始める。
〈あれれ〜、レックスく〜ん。もうお仕事はおしまいですか〜〉
〈……お前、こうなること分かってただろ〉
やけに嬉しそうに話しかけてくるアリスに、俺は心底ゲンナリした声で応えていた。
【SBS】は、それを打ち込まれたオーナーと視野などの感覚を共有することができる。また、衛星などの一部監視システムともリンクしているので、アリスは衛生の目で俺よりも先に死体を見つけて、俺がすぐにその処理を投げ出すことが分かっていたのだ。
再び頭に響き始めた、耳障りなアリスの声を適当にあしらいながら、俺ーー【レックス・ブレイブ】は、塹壕の壁に背中を預けて、果たしてこのクソッタレな世界でどうやったら