あるところに、二人の男女が居た。
お互いの姿を知らずに出会った二人は、相手の中の自分のイメージを崩さない為に、二人共が己を偽った。
お互いに普段通りの姿なら、多くの人に好まれるはずなのに。けれど本当に好きな人には、あえてそのアドバンテージを捨てて別の自分を演じた。
これはそんな愚かで、間抜けで、愛おしい二人の話。
◇
『今から、君にはゲームをしてもらいます!』
『突然だな』
名前も知らない一人の女の子。あるオンラインゲームでたまたま同じチームになったことがきっかけで仲良くなったその子は、明るくて、人懐っこくて、ゲームが好きだった。
『さぁやるよ! 人を撃つゲーム!』
『人聞きが悪すぎるでござる……』
毎晩のように、二人でゲームの世界を遊びまわった。
『ねぇこれ弾出ない! 何で!?』
『カオル氏! リロード! リロード!』
彼女のゲーム内での名前はカオル。どうせ男だろうと思っていたら、ボイスチャットから女の子の声がして腰を抜かしたのも良い思い出だ。カオルと一緒だとゲームは更に楽しくなった。
『隊長! マップを見るに、我々はもしかしたら逆走しているかもしれません!』
『えっ、嘘? ……って、うわぁぁああああ!? 崖から落ちたでござるぅぅうううう!!』
『『あああああ!?』』
一人なら不貞腐れてしまうような負け方も、彼女となら腹を抱えて笑えた。
◇
『『あははははは!!』』
『これって銃を撃つゲームだよね!? どうして後半の私たちは一発も撃たずに、ずっと逃げ回って死んでるだけだったの!?』
『うーーーん。どうしてでござるかなぁ。コントローラー、いや、サーバーの不具合。……まぁ、一応万が一の可能性として、拙者達が下手って説もあるでござるが』
一瞬の沈黙。
『いや、やっぱりゲームの欠陥じゃないかな!』
『で、ござるよね!』
『まさかまさか! 地元じゃfpsの申し子と呼ばれた私が、下手だなんて!』
ひとしきりゲームを楽しんだ後、今日のことを二人で振り返って笑う。最近はそれから少し雑談をするのがいつもの流れだった。
『あ、そういえばおすすめしてくれた漫画、めちゃくちゃ面白かったよ! ダンスかっこいいね』
『そう、踊ってる時の描写も良いでござるが、登場人物がきちんとダンスと向き合ってるのが好きでござるな……。これは別にダンスに限った話でもないでござるが』
『うんうん。人生というか、生き様のカッコ良さみたいなのを感じるよね』
『世界観を好きになれると、その作品は自分にとって凄く大切なものになるでござるよな』
彼女とはアニメや漫画の好きな作品の傾向が似ていた。価値観が似ているってことかもしれない。何となく、同じようなものを見て育ってきたのかなと想像する。
『とはいえ、あの作品の女の子可愛いでござるよなぁ、デュフ。じゅるっ、失礼よだれが』
『うわっ、キモっ』
彼女の少し引いたような声がする。
『二次元の中の三次元的なキラキラが、最近の拙者の推しでござる』
『あー、なんか分かるような分からないような……』
ひとしきり話をして、ちらりと時計を見ると時刻は既に深夜。今日はそろそろ潮時かな。
『拙者はそろそろ寝るでござるかね……』
『おー! 明日はどう?』
『明日は試験が近いので……面倒だけど勉強するでござる』
『あー、今の時期どこもそうだよね。私も頑張ろ〜』
『また週末にでも連絡するでござる!』
当たり前だがお互い学校もあるし、毎日ゲームが出来る訳じゃない。名残惜しさを感じつつ、また今度と挨拶をしようかと機を伺っていた時。
『そういえば、知ってる?』
話を切り出した彼女の声は少しだけ上擦っていた。何となく、いつもと雰囲気が違う気がして、マイクが拾わないように俺はごくりと唾を呑んだ。
『東京で、あのゲームのポップアップストアがあるらしいね』
……ポップアップストア。思わず身構えていたが、少し拍子抜けな気がして俺はほっと返事を返す。
『……あー、それなら見たでござるよ』
『え、行った?』
『あいや、存在を確認しただけでござる』
『……そっか。じゃあさ、』
『――――今度、行かない?』
その言葉の意味を理解するのには、わずかな時間を要した。
「っ!?」
『どう、かな……?』
こちらを伺うような彼女の声。
繰り返しになるが、俺は彼女と実際に会ったことは無い。それどころか俺が彼女について知っていることと言えば、学生であることと、ゲームが好きなことくらい。
『あんまりこういうの普段行かないんだけど、このゲーム、私たちが初めて一緒にやったゲームだし……』
他に彼女がどんな顔で、何歳で、どこに住んでいて、どんな暮らしをしているのかなんてことは全く知らない。
知ることを避けていたと言ってもいい。
実際に会わないからこその気安さが、俺達を繋げていたんだと思っていたから。
『それに』
『一緒に見たら、楽しいと思うんだよね』
ああ、でも彼女について分かっていることがもう一つあった。俺の友達であること。それだけ分かっていれば十分だ。
◇
あれから集合時間と場所を決めて通話を落ちた。お互いに口数が少なかったのは、きっと気のせいじゃない。
「……ふぅー」
パソコンをシャットダウンしてから、ヘッドセットを外してモニターに引っ掛けて、椅子の上で軽く伸びをした。
「……腹減ったな」
部屋を出る。足音を立てないようにして、階段を降りる。
適当にパーカーを被って、サンダルをつっかけて玄関を出た。寝静まった住宅街の夜道にあるのは、わずかに聞こえる虫の声くらいだった。
前髪をヘアバンドで雑に上げたお陰で、今も視界は良好。空には少しだけ星が見えた。
この辺りでは珍しい二十四時間営業のコンビニには、俺以外の客はいなかった。適当にカップ麺とエナジードリンクを手に取る。
「すいませーん」
声を掛けると、奥の扉から欠伸をしながら店員さんが出てくる。
「ありがとうございましたー!」
笑顔のまぶしい店員さんに会釈して、俺はコンビニを出る。
リビングの明かりをつけてカップ麺にお湯を注ぐ。麺が完成するのを待っている間、考えるのはあの子のこと。
学生で、そしてアニメや漫画の趣味が俺と似ているから、恐らくは高校生以上。それに話す時の声と性格から、何となくのイメージはついている。
明るい性格と話しやすさから、実生活でも友達は少ないタイプじゃないだろう。
それと結構アニメや漫画を読んできた俺と話が合うこと、少しだけアニメっぽい声とを合わせて考えると……多分、コミュ力高めの女の子のオタク。
俺は一度廊下に出て、玄関近くに設置されている姿見に映る自分を見た。
「お初にお目にかかる、拙者がソウスケでござる!」
芝居がかった声が、明かりの無い廊下に溶けた。
「あかん。どうしてこんな口調で喋ってんだよ、俺……」
壁を背に、ずるずると崩れ落ちた。ほんの出来心だった。初めて話す時、会うこともないからと、ござる口調の変な人の演技をしてみた。
それが思いのほか普通に受け入れられ、気付けば今までずっと通してきてしまった。
「まさか会うまでいくと思わないじゃん……」
そもそもこんな変な人と仲良くなる彼女も彼女だが、そこが彼女のいいところでもある。彼女と会った時の反応を想像する。
顔に出したりはしないだろう。でもきっと……がっかりするんだろうな。
ござる口調な次元に染まりきった男。彼女が会おう思ってくれたのは、そんな人物だろうから。
「……あぁ、どうしようか。普段通りで行くか? いや、それは裏切りじゃないか? でもそもそも口調だけござるになっても不自然だよなぁ……」
そもそも、こんなことで悩むのは、どうしてだろう。
別にいいじゃないか、彼女の期待する自分じゃなくたって。もっと言えば、会うのを断ることだって出来たはずなのに、そうしなかったのは。
廊下から再びリビングに戻り、椅子を引いて腰を下ろす。椅子が軋む小さな音が、静かなリビングにはやけに大きく響いた。
箸を取り、手を合わせ軽く目を閉じる。その後目の前の蓋を取ったカップ麺から立ち昇る湯気をぼんやりと見つめた。
彼女と話すのは楽しかった。好きなものが同じで、面白いと思うことも、腹が立つことも同じだった。
価値観が似ていると思った。でも俺より芯のある考え方に憧れた。
ちょっとしたときに感じる、彼女の気の遣い方が心地良かった。
思いやりが、笑い方が好きだった。
……ああ、彼女が、好きなんだ。
「……決めたでござる」
彼女と会う時の俺は、拙者だ。
◇
当日。待ち合わせの喫茶店に入った時から、他のお客さんからの視線を感じていた。まぁ、無理もない。俺も見ちゃうもん。
「お、お客様、ご注文は」
「アイスウーロン茶一つ!」
「かしこまりました……」
しっかりと頭を下げると、引き攣った笑いを浮かべて店員さんが去っていく。
「おい、あいつやべぇよ……」
「今時、あんなオタクまだいたんだ……」
周りのひそひそと話す声が聞こえてくる。俺はチェックシャツを羽織った腕を、胸の前で組み直した。ポスターを突き刺したリュックは下ろしておこうか悩んだが、まぁこのままにしておこう。
髪の上からは赤い鉢巻きをした。肌荒れの跡が不規則に散らされているのは、今日の為にネットで勉強したメイク技術の結晶だ。腹には肌着とシャツの間にタオルを巻いて過度な脂肪がついていると見せかけ、背筋は丸めている。
俺はこの格好で、カオルの到着を待っていた。
入口の扉が開くたび、そちらに目が行く。チェックシャツの下でじっとりと汗をかきながら、俺は待った。
そして、長針が半周した頃、扉が開く音がする。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「えっと、待ち合わせをしているんですけど……」
聞き覚えのある高めの声。きょろきょろと店内を見渡す女の子がいた。袖に花を思わせるフリルのついた、ゆったりとした足が完全に隠れるようなパステルピンクのワンピースを履いている。
少しぼさっとした髪の毛は腰まで届きそうなくらいに長くて、大きめのマスクをしていた。
「待ち合わせですと、……あちらのお客様でしょうか?」
俺を示した店員さんの声に『まさか……』というニュアンスが入っているような気がしたが、多分気のせいだろう。
「えっと……」
腕を組んで座っている俺は、彼女を見て黙ってうなずいた。
「……あ、ここで合ってます。ご案内ありがとうございます」
店員さんが去っていくと、彼女は俺の対面の席に腰掛けながら、尋ねた。
「えっと、ソウスケさん、ですか?」
俺のハンドルネームを呼んだ彼女に、俺は再び腕を組んだまま、コクリと頷いた。
「如何にも、でござる」
「初めまして! カオルです!」
野暮ったい印象を受ける眼鏡、よれた帽子を着けて、肌はやや不健康に青白かった。猫背のお陰で、恐らくそれなりにあるはずの背丈は随分小さく見えた。
「来てくれてありがとう!」
「いや、構わぬ。拙者も、会ってみたかった」
「……ふふっ」
「何かおかしいでござるか?」
笑う彼女の眼鏡越しに見える目が、きらきらと輝いていた。特徴的な瞳だった。総じて俺の想像していた彼女の姿、そのままだった。
「ううん。ソウスケさんがなんか、思った通りで安心した!」
彼女のその一言に、どっと肩の力が抜ける。良かった、これで合ってたんだ。あこがれているプロ野球選手と同じ名前をハンネにしていたから、実際に会ったらがっかりするかと思っていた。そう安堵する気持ちと共に…………少しだけ、少しだけ胸の奥に痛みが走った。
でも、痛みに気づかなかった振りをした。最初に嘘をついた自分が悪いんだから。
「……思った通りでござったか! いやぁ、参った! カオル氏の慧眼ぶりには恐れ入ったでござるよ!」
店内の人達にちらちらと見られているのを感じたが、別に気にならなかった。他人にどう見られるかより、彼女がどう思うかだけが重要だった。
「そんなにザ、オタクって見た目の人、今どき中々いないよ。逆にすごいよ」
「そっちこそ、ネトゲの姫そのものでござるな?」
「えー!? そんなことしたことないよ!?」
とめどない会話で盛り上がりながら店を後にし、今日の目的であるポップアップストアに向かった。
「あれ、こっちじゃなかったかな?」
「ちょっと違うかも……調べるでござるね」
「マップを見るのは得意だったはずなんだけどなぁ……ごめんねっ!」
カオルはてへ、と擬音が付きそうな仕草で、額に小さな青白い右手をこつんとぶつける。目的地に着くまでにそんな会話もあったが、無事に到着した。
店の中で彼女はスマホで写真を撮っていた。彼女のスマホケースは透明でシンプルなものだった。イメージと違った。彼女なら、目一杯にデコっていてもおかしくない。
でも他のところは、本当に想像通りだった。むしろ実際に会ってみて、彼女が想像よりもずっと素敵な女の子だったことに気付いた。
面と向かって話をして分かった頭の回転の速さとか、こちらの感情の機微を汲み取ったユーモアとか、ちょっとしたことに気づける思いやりとか。
「……今までは本当にカオルが存在しているのか、信じられてなかった気がするでござる。でも、ちゃんといたでござるな」
ふと俺が言うと彼女の肩がピクリと震えた気がした。でもそれは幻だったのかと疑うほど一瞬のことで、すぐに彼女はいつも通りの様子で言葉を返した。
「えー、当たり前だよ! ほら!」
商品の陳列棚の前でしゃがんでいた彼女は、ひらひらと両手を振って存在をアピールしてくる。それに合わせて長い髪が揺れた。少し枝毛のある黒い髪。
「髪、内側は凄く綺麗でござるな。やっぱり、長いと大変でござるか?」
「えっ、うん。そう」
ぴたりと動きが止まり、俺を下から覗くようにする彼女。
「内側っていうか、手の届く部分はよく手櫛で梳いたりするからそれかな!? 良く気付くね。あっ、もしかして……女の子を立体的に見る練習でもした!?」
メイクに不慣れな印象を受けるが、その意外なほどの素材の良さを伺わせられて、俺は慌てて距離を取った。
「そうそう、三次元はそうやって意識しないと中々頭が認識しなくて……って、やかましいでござる!」
◇
あっという間に時間は過ぎて、帰り道。
「あー、楽しかった!」
彼女と一緒に回るのは想像以上に楽しかった。自分と同じ好きなものを、嬉しそうに語ってくれる尊敬できる相手が隣にいることが、こんなに楽しいとは。
「……また、会おうでござる」
「うん!! 是非! とっても楽しかった!」
ただの挨拶じゃなくて、もっと気持ちを乗せたその言葉の重みに気づいているのかいないのか。
くるりと夕日を背にして笑った彼女の顔は、とても綺麗だった。
◇
彼は駅のホームに向かい、その姿が見えなくなるまで彼女は笑顔で手を振っていた。
やがてやって来た電車が駅を離れ、彼が確実にこの場所からいなくなったのを確認するとつぶやく。
「是非、は固かったかなぁ……」
両手を頭の上にして、伸びをしながら呟く彼女。それから彼女は自分の頭に手を掛けた。
手入れを怠っているかのようなぱさついた黒髪のウィッグを脱ぐと、ボブの長さに揃えた流れるような黒髪だけが残った。
次にワンピースの袖から、詰めていたタオルを引き抜いた。するとしゃんと伸びた背筋と、服の上からでも分かるスラリと伸びた手足が、細身ながら整った彼女のスタイルを際立たせる。
最後にバッグから取りだしたクレンジングシートで肌を拭う。すると付け加えられていた不健康な青白さが消し去られ、本来の陶磁器のような滑らかさと白さを取り戻した。仕上げに手鏡を使って軽くメイクをする。
「……まぁ、こんなもんか」
そこにはもはや、オタク女子の姿など欠片も見当たらなかった。長い手足に小さな顔、輝くような肌の白さ、絹のようにさらさらと流れる黒髪。
「あの子、可愛い……。芸能人かな?」
「モデルさんかも。スタイル良すぎでしょ」
「かー! 俺もあんな子とデートしたい人生だった!」
足を止めて見惚れる人たちから視線を集めていたが、彼女は大して気にした様子もなかった。
「……もしもし。うん、そう。終わったよ」
やがて、どこからか電話がかかって来たのか、シンプルなスマホケースを耳に当て話し始めた彼女。その時ちょうど風が吹き、彼女の呟きが運ばれていく。
「……相手はやっぱり、オタクの擬人化みたいな人だった」
『あんたのタイプな塩顔イケメンなら良かったのに』
「そんなの今は関係ないでしょ。そりゃ見た目がいいに越したことはないかもしれないけど、それ以上に大事なものってあるって思うし、実際そうだから私は彼のことが、今もこんなに……」
その時一度声は極端に小さくなり、言葉の続きは彼方に消えた。再び声量は元に戻る。
「っていうか、どうしよう。彼の反応を見るに変装したことは成功だったと思うけど、引くに引けなくなっちゃった」
『あんたさぁ』
「私が本当は、ゲームの時は明るいけど、実際はそんな性格じゃないって、あの人のイメージと違うって知られたら……」
誰かと電話をしながら頭を抱えていた様子だったが、やがて彼女は歩き出し、彼が乗ったのとは別のホームへと消えていった。
いかがだったでしょうか。