陽子、白圭宮を訪れる   作:鷲生

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第一話

 戴国白圭宮。

 

 泰王が復位し、諸官こぞって復興に全力を尽くす今。

 誰もがせわしなく堂宇の中を動き回っていた。

 あちこちで人が動き回っては小さな塊となって何かを話し込み、そしてまたどこかへと足早に歩いていく。

 

 そんな中を二人の女性が前後になって人を探していた。

 貴人の先触れ役を務める李斎が申し訳なさそうに、後ろにつづく緋色の髪の少女に言う。

「申し訳ございません。景王がお越しだというのに誰もお構いもできす……」

 

 構わない、と陽子は笑って答える。

「みんな忙しいだろうと思って、李斎を個人的に訪問しただけだから。泰王と泰麒に政務中にでも少しお会いできれば嬉しいとはとちょっと思ったけど……。こんなに慌ただしいのなら、また別の機会でも私は……」

 いえ、と李斎は遮った。

「主上も台輔もお礼を申し上げたいと思っているのです。ただ、お姿が……」

 李斎にとっては見知った顔ばかりで、小走りで駆け回る相手とも目が合えば最低でも目礼を交わす。

 そのような中で、特定の誰かを探し出すのは難しいものらしかった。

 

 しかし、陽子はその人を見つけた。

 その人もまた、集まってくる官吏たちに囲まれながら何事かを口にしていた。

 ただ、宮殿中がうごめいていても、その人は端厳とした佇まいで周囲の空間を統べており、陽子の眼にはその人だけが異彩を放って見えた。

 陽子は思わず歩みを止めて、相手を見つめる。

 

 その陽子の視線に相手も気づいた。

 気負いなく視線と体を向け、陽子の容貌に景王と気づいて、静かに歩み寄ってくる。

 陽子が思い描いていたよりも体の線が細く、肌は青白く、頬はこけていたが、厳かな雰囲気をまとった大人の男性に、彼女は少し身構えてしまう。

 

 そんな陽子の二、三歩手前で、その人は丁寧に片膝をついた。

「景王とお見受け致します。この度のご助力に心より感謝申し上げる」

 李斎も、陽子の傍から、相対する泰王の後ろに回り同じく膝をついた。

 泰王は言葉を重ねる。

「李斎が罪を犯そうとしたのに思いとどまって下さり、諸国を取りまとめて我が戴を救ってくださった。御恩ははかり知れません」

 

 いえ、と陽子はもごもごと口を動かした。

「李斎が自ら気づいたことです。それに、私には大したことをしたつもりはなくて……」

 泰王は陽子を見上げて、微かに笑みを浮かべた。静かで穏やかな笑みだった。

「景王は人に頭を下げられるのがあまりお好きではないと聞き及んでおります。立ってもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん」

 立ち上がりながら驍宗は言葉を継いだ「こちらの泰麒もそうです。今の胎果の故郷ではそのようなものらしい」と。

「ええ、そう、泰台輔と同じなんです」

 立ち上がった驍宗はもちろん陽子より背が高く、礼を述べる側が見下ろす形となる。

 けれども、彼の陽子へのまなざしには敬愛の情が込められていた。

 驍宗は深紅の目を少し細め、感慨を込めて言った。

「蒿里と同じくらいのご年齢か……本当にお若くていらっしゃる」

 そして、さりげなく口を運んだ。

「お若いがゆえに前例にとらわれない柔軟な思考がお出来になる。それも、こちらと異なる蓬莱という世界を生きた体験があってこそ。景は良い女王を得られた。貴女が今、景の玉座にあられること、どれほどにか天に感謝する」

「……」

「景王?」

 無言で驍宗を見つめ返すばかりの陽子に、驍宗はかすかに不審そうな声をかけた。

「いえ……。私は、若くて胎果だから……それで、こちらの世界が良く分からなくて……。諸官にも呆れられてばかりです。それに、女王は歓迎されない事情もあって……。泰王のようにお褒め頂くのは初めてです」

 その自信の無さそうな言い方は、驍宗に泰麒を連想させた。

 自分の麒麟にするように、驍宗は陽子にしっかり視線を絡ませ、太く笑んで頷いて見せる。

 その笑顔を陽子はもっと見ていたいと思った。

 

 けれども、この時、驍宗の後ろに控えていた李斎が、さらに後ろの気配に気が付いた。

「台輔」

 泰麒が足早に近づいてきていた。

「ようこそお越しくださいました、景王」

 同時に、泰王と陽子の会話が中断されたとみるや、驍宗に話しかけたそうな官吏がにじり寄ってきていた。

「主上、ここからは私が景王のお相手を申し上げます」

 驍宗は陽子に詫びた。

「申し訳ない。私にはゆっくりと礼を申し上げる時間も許されないらしい。いずれ改めてお目にかかりたい。我が戴にとって貴女は天の配剤だ」

 そう言い置いて立ち去る驍宗を陽子はしばらく目で追っていた。そこへ泰麒が茶菓の案内を申し出た。

「ごめんなさい、全然お構いできなくて。あちらに少し休む場所があります。本当に机と椅子だけなんですけど……」

 

 確かに泰麒に案内された場所は、皆が立ち働く同じ部屋の片隅を衝立で仕切っただけの場所で、そこに単に誰も使っていない卓と椅子とがあるだけだった。

 李斎も人に呼ばれてしまい、陽子は泰麒と差し向かいに座った。

 

「何だか職員室みたいだね」

 陽子の言葉に、え? と問い返した泰麒も、それが蓬莱の学校のことを指していることを思い出す。

「ここの忙しそうな雰囲気が、本当に『大人の職場』って感じだから。それで、思い出したんだ。学校の職員室の端っこって、パーテーションで仕切ってあって、お客様用の応接セットが置いてあったりしたよね」

 ああ、と泰麒は笑んだ。彼にはあまり良い記憶はない。けれど、目の前のこの人とは数少ないあちらを語れる相手同士なのだった。

「そのソファ、黒い毛皮で出来てたりしませんでしたか?」

「それはちょっとリッチなんじゃない? うちの学校は布張りだったよ」

 

 そんな他愛のないやりとりを終えると、陽子は、用意されていた茶器を手に取りながら、吐息をこぼした。

「泰王は凄い……」

「……ありがとうございます。自分の主をお褒め頂くのはもちろん嬉しいです。でも……?」

「ああ、うん。さっき私のことを褒めてくださったんだ。私が若いから思考が柔軟で、異文化経験があるから前例に囚われないのだ、と」

「ええ。僕もそう思いますよ。景王にしていただいたこと、こちらの世界の理を考えれば破格のことです。僕からも心からのお礼を申し上げます」

 陽子は両の手のひらを胸の前で軽く振る。

「あ、いや。大したことをしてないよ。泰台輔なら分かってもらえると思うけど、あちらの世界じゃ国同士で助け合うし、困っている人を見捨てるわけにもいかないし。それに、さっきの泰王の言葉だけでも、私には十分すぎるほど報われた気がする」

「……そうですか? もっとゆっくり、きちんと時間と場所を取ってお礼を申し上げる機会があればと思うのですが」

 

 陽子はゆっくり首を振った。

「私はね、泰台輔。金波宮で泰台輔を預かっていた時にも反乱を起こされるような至らぬ王だ。景の官吏は、私のことを、若い女で、こちらの世界に疎い胎果の生まれだからと軽んじる。私だって、官吏たちの不満も分かるから、侮られないよう頑張ってる……んだ、普段。少なくとも自分はそのつもり」

「ええ、景王は真摯に頑張っていらっしゃる……」

 でも……と言ってから、陽子は両腕を上げて伸びをして見せた。衝立の内側には泰麒しかいない。

「こうして真正面から褒められると嬉しいな。自分の存在を認めてもらえたような気がして。全肯定してもらえて、なんだか体の力がほどけて……」

 それから、陽子は少しうつむいて右手の手の平で胸をポンポンと軽くたたいた。

「心の底から、温かい気持ちになった」。

 

 泰麒は微笑んでうなずき、そして、ふと同胞の同年齢の相手に打ち明けたくなった。

「いろんな人に聞かれるんですけど」

「ん?」

「僕が転変できたのは、主上……驍宗さまに駆け寄って視線が合ってからのことなんですよ。『よくやった』って言ってもらえて……」

 泰麒も胸をたたく仕草を見せた。

「身も心も奥の奥から柔らかくなって融けてしまいそうな心持ちになって──。そして麒麟の僕は転変ができたんです……」

 

 眼前の十代の少女は大きくうなずく。

「うん、分かる、分かるよ。あの方の言葉って、そういうパワーある!」

 つい前までいたあの世界、その同じ年頃の相手らしい返事だった。

「向こうの世界では、心理学とかで『自己肯定感が大事』っていうじゃない? なんか泰王は理想のお父さんって感じ……あ、ちょっと不謹慎かな。大人とはいえお若いし、隣国の王様なのに」

 いいえ、と泰麒は首を振った。

「僕にとっても、その『自己肯定感』を与えてくれるような、父親のようにも兄のようにも慕わしい方ですよ」

 蓬莱での親はどうであったかについては尋ねなかった。こちらに理想の父を見出すのだから、そこに欠落はあるのだろう。

 

 陽子もそこには触れなかった。

「ときどきお邪魔して良いかな? 泰王をお借りしに。たまにでいいから、全肯定されて癒されたいんだ」

「ええ、どうぞ」

 と答えてから、泰麒は少し苦笑した。

「あの驍宗さまが癒しキャラですか……」

「うん、私にとっては、だけど。そういえば、李斎から聞いていた風とは違う感じの方だね。もっと怖い方かなと思ってた」

「そうですね……お変わりになられたとも言えますし、もとから包容力のある方だったとも言えます。ただ、こちらの麾下たちは景王のお言葉に驚きますよ、きっと」

 英章に正頼、臥信たち……彼らは驚き、そして軽口を叩いてて盛大に主をからかうことだろう。

 この白圭宮に、今は温かく軽やかな空気があることが泰麒には嬉しかった。

 そして、他国の王から器を褒められ、そのような自国の王から肯定されている自分を幸福だと感じた。

 

 

 

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