陽子、白圭宮を訪れる 作:鷲生
2022年5月29日
2019年12月15日にpixivに投稿していたものを移しております。
幸福感は、それに浸ろうとすると、裏返すように不安を掻き立てるものでもあった。
泰麒は、卓の上で手にした茶器に目を落として尋ねた。
「景台輔はどう仰っていましたか、僕のこと」
陽子は少し答えに詰まった。泰麒が偽りの叩頭をし、麒麟が慈悲を掛けるべき民に剣を振るった話は伝わっていた。
それを聞いた景麒の顔は青ざめてこわばり、言葉の一つもなく、ただため息をついて、以来泰麒の話題になると悲しそうな表情を浮かべる。
でも、彼女はそんなことをわざわざ伝えようと思わなかった。
「景麒は言葉が足りないから。なんて言ったらいいのかわからないのだと思う」
「さぞ落胆されていらっしゃるでしょうね……」
「落胆?」
「景台輔はとてもお優しい方で、小さい頃とてもよくして下さいました。僕が立派な……いや、立派とまでいかなくてもせめてもう少し健やかな麒麟であったら期待に添えたと思うのですが……」
麒麟は偽りの叩頭などできないと、手の込んだ方法で教えてくれた方だった。それなのに……。
陽子は、しばらく間をおいて切り出した。
「高里くん、って呼んでもいいかな?」
「え、ええ」
「私たちって、ついこの間まで高校生だったんだよね。大人にならなきゃいけない年頃だけど、大人になりきるにはまだ時間が掛かる……」
「ええ、そうでした。なんだか不思議な気がしますけど」
陽子は泰麒の目を覗き込んだ。
「私も人を斬った」
女子高生らしからぬ、低い声で短く言い切った。それから、少し表情をやわらげて続ける。
「……そうしなければならなかったから。ありえないよね、高校生が刃物を振り回して、なんて」
後半は意図して冗談めかした口調だと泰麒にも伝わり、彼は彼女に苦笑で応えた。
「いくら日本の女子高生でも、こちらでは女王なんだもの。国のため、民のためなら剣を使わなければならない。私の場合、玉座に着くまで延王の厚意に甘えて戦陣に立たなくてもすんだかもしれない。でも、私はそれは違うと思った」
元日本の女子高生は、あちらの世界でもたしか泰麒より先輩だった。
「自分に仕えてくれる人に汚れ仕事を任せて、それで済ませていいとは思わない。違う?」
「僕もそう思います。使令がいないから自分でするよりない……」
「そうだよ。他ならぬ自分がやったからこそ、その相手の死を背負う。逃れられない責だと心から思う。そして前に進む。だって、前に進むしかない。時間をさかのぼることはできない」
景王は少し遠くを見る仕草をした。
「そして少しでも良い国を作る。これが弔いの全てになる訳じゃないんだろうけど……」
泰麒は改めて、相対する少女が王であることを思う。同じ蓬莱の高校生。だが、自分は麒麟で相手は王だった。
王である以上、剣の力を用いるか否か、そしてその結果も全て含めて当人の選択に帰せられ、その責を直接担う。
麒麟として生まれた自分のこれまでも数奇な運命だと思う。そして、相手もまた。天意をもって麒麟に選ばれ、しかもその麒麟を従える至高の存在。彼女にとって、自身の運命の変化は、泰麒以上に唐突で不可思議だったことだろう。
「本当に、僕たちは高校生でした、蓬莱の」
「うん。変わり過ぎだよね、あまりにも短期間で」
「どうしても急がねばならない場面ではありました、中島さんが玉座につくのも、僕が驍宗さまを玉座に再び据えるのも」
「そう、何が何だかって感じだった。高里くんだって無我夢中だっただろうね……」
陽子の語尾には言葉にならない響きがあった。
蓬莱からこちらに渡って、国と民を背負うために乗り越えなければならなかったその裂け目。
泰麒は陽子の支えとなるような言葉をかけたいと願った。これは同胞だからなのか、慈悲の獣だからなのか、恩義があるからなのか……。いや、なにより、その裂け目を知り苦しんだ仲間だと思うからだ。
「中島さんは、行動するに果敢な人です。それに、僕たち戴を救っても下さいました。今まで本当に大変でした。だから、後は、ゆっくりでもいいと思います。中島さんは時間を味方につけられる人です。時間を糧にじっくり大きな器の女王になれる人だと、僕は信じています」
「……ありがとう。同じ高校生で、今は麒麟という立場の高里君からそういってもらえるとなんだか心強いな」
陽子は少し、ため息をついた。
「高里君は本当に麒麟だね。そんな優しい言葉を聞くと、慈悲の生き物だと思う。まったくウチの景麒ときたら……」
「景台輔はお優しい方です。そして麒麟にとって主は特別なんです。僕が驍宗さまをそう思うように、景台輔も心の底から景王の支えになりたいと願っているはずです」
「なら、もう少しそう言って欲しいな」
陽子の口は、意図したわけでもないのに少し尖った形になる。
「景台輔は、時間を掛けていらっしゃるんですよ。何が景王のためなのか、手探りで探していらっしゃる。僕も、驍宗さまのお役に立つためどうしていいのか迷いながらでした」
麒麟も麒麟らしくなるのに、本当は、思われているより時間と経験が要るのかもしれません、……と泰麒は続けた。
「僕は、ちょっと異例づくめでしたけど、だからって麒麟を辞められるわけじゃない。これからだって、こんな麒麟だとして生きていくしかありません」
だから。
「景台輔も今は見つからない言葉を、時間を掛けて探していらっしゃるんです。景王を支える言葉を……」
ここで、泰麒は額に手をやった。めまいを覚えたのだ。
「高里君、大丈夫? そういえば体が本調子じゃないんだよね?」
「大丈夫、ちょっとクラっとしただけです……」
泰麒が息を整えるのを待って、陽子は声をかけた。
「高里君、無理してない?」
「いや……」
「李斎から聞いている話だと、みんな泰台輔には休んで欲しいと思っている様子だよ?」
「ええ、『のろのろ歩めばいい』って言ってくれる者もいます」
泰麒の周りの大人は、みな口をそろえて休めと言う。だけど、彼はその言葉に甘えられずにいるのだった。
陽子も泰麒には休養が必要だと思う。
「そうだよ。高校生からあまりに変わりすぎだよ、私たち。それも矢継ぎ早に」
うん、そうだ。陽子はうなずいた。
「高里君も時間を掛けていいんだと思うよ。まずは体を治さなきゃ。時間が解決してくれることだってある。さっき言ってた『立派』だか『健やか』だか、そんな麒麟にだっていつかなれる。ウチの景麒だって、高里君にちゃんと自分の気持ちを言葉にできる日が来るよ」
「そうでしょうか……」
泰麒はいろんなものを捻じ曲げ、失った気がしていた。そして、泰麒を案じ、休めと言ってくれる人々は皆、何かを取り戻すために懸命に動き回っている。それなのに……。
ははっ! 緋色の髪、緑の瞳の少女は大きく笑う。
「だって、高里君が自分で言ったじゃないか。ゆっくりでいいんだって」
「……そうでしたね」
「行動するに果敢、って言ってくれたよね。果敢に動いて支える人も順番だよ。高里君がさっき私を労ってくれたから、私はこれからゆっくりモードでじっくり成長すべきなのかも、って高里君の言葉に有難く聞き入ってたんだけど?」
陽子は眉を上げて見せながら「解釈おかしい?」と付け足し、泰麒は首を横に振った。
陽子は続ける。
「泰麒は、休むように勧めてくれる人の言葉が聞き辛い立場かなとは思う。相手は、自分が守らなきゃと思っている相手だよね。臣下であるはずの民に罪を犯したと思っている高里君には、確かに受け入れるのは難しいかもね……」
ここは、臣下にかしずかれる王と麒麟の共通する思いかもしれなかった。
「でも、私のためには言ってくれるんだ」
「中島さん、本当に大変だったと思うから……」
「高里君だって大変だったよ」
陽子は少し視線を落とした。
「人って大切なことを他人に向けては言えるのに、同じことを自分に言われても、なぜか否定してしまうときがあるのかもしれないね。労わられるのが申し訳ない気がして、もっと自分は頑張んなきゃって気持ちが先に立ってしまって」
でも、といいながら陽子は顔を泰麒に戻し、にやっと笑った。
「じゃあ、ここは私の出番かな。私は戴の民じゃないから気遣い無用で、よその国の王で一応身分が高いことになってて、他国の人を客観的にみられる立場だからね。それに高里君と同胞だし。尊い麒麟にツッコミ入れられるのも、私だったらできるかもしれないから、言わせてもらう」
ここで、陽子は一息入れて号令をかけた。
「高里君! 休もう!」
勢いに飲まれて泰麒は呟くように言う。
「……え、ええ……」
ゆっくりのろのろ。彼女は言った。
「高里君が言ったことだよ。人に言うだけではなく、自分のことも労わってあげようよ」
陽子がことさらに蓬莱風におどけて励ましてくれるのが、泰麒の心に沁みた。
「中島さん……景台輔にお伝えいただけますか」
陽子は心の中だけで少し緊張する。慕っても十全に応えてくれないウチの景麒に何を告げたいのだろう。
「ときどき、たまにでいいから景王をお借りしたい、と景台輔にお伝えください。景王に『ゆっくり休め』っておっしゃっていただきたいから、と。そして、いつか昔のようにお目にかかれる日を心待ちにしています、と」
「うん。分かった。私から休んでいいよと言われる方が気楽なんだったら、いくらでも言いに来る。おあいこだね。そして私は泰王を……」
「癒しキャラにするんですよね」
戴の誰かがお役に立てれば、嬉しい。泰麒は相手を喜ばせることができる喜びと誇らしさを感じた。我が主の器の大きさ、包容力は他国に誇っていいはずだ。
「いつでも主上をお貸しします。ぜひお役立てください」
陽子が有難う、と言いかけた時、衝立の後ろから李斎が顔をのぞかせた。
「お二人を放ったらかしにしてしまって大変申し訳ありません。ええと、戴の者をお役にというお話のようですね? 戴の者なら皆、景王の御恩に報いるために何でもいたします。誰でも自由にお使いくださいませ」
「李斎、それが主上でも?」
「は?」
「景王におかれては、主上といらっしゃると子どものような気持ちで心安らぐと仰っています」
「……」
しばしの沈黙の後、李斎は答えた。
「さすがは前例のないことをなさった女王、我が主上に劣らぬ傑物でいらっしゃる……」
陽子と泰麒は少し複雑そうな表情で顔を見合わせた。
王、麒麟、傑物……この世界での立ち位置やその言われようも分かる。
ただ、自分たちはまだ高校生だったのだ。
大人になるのにはまだ時間を要するティーンエイジャー。
急ぎ過ぎた時間を取り戻して、ゆっくりしっかり大人になるために、お互いと、お互いの周りにいる人たちの言葉が必要な。
互いの表情に互いの立場をくみ取って、二人はどちらからともなく含み笑いをした。
二人の「ふふ」という声が李斎の耳にも聞こえた気がした。
李斎に委細は分かりかねる。
けれど、年齢相応の表情で微笑みあう異国の女王と自国の宰相を見て、胸を衝かれる思いと安堵する思いとが、ないまぜになった感情を李斎は覚えた。