白い墟からのびる道   作:鷲生

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「白銀」後に李斎が新しい職に任じられる話です。驍李タグはつけていますが最後にちょっとそうかも?な感じなだけです。驍李を期待される方にはほとんどそうでなくて済みません。でも、李斎好きなので愛は込めております。

なお、「十二国記の戴国メンバーの物語を、日本の平安時代でやってみたらどうなるだろう?」と思ってオリジナル小説を書きました。カクヨムで連載中です。是非お読みいただければ幸いです!!!
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393


李斎、新しい職を拝命する。

阿選を討つための軍議が行われる。

その部屋に最初に入ってきたのが李斎だった。

誰もまだ来ておらず、全ての席が空いている。

李斎はそれが目的で誰よりも一足先にやってきたのだ。

 

卓の周りには十数人の席がある。

部屋の奥の縁に一つだけ置かれている椅子は、復位叶った正当な王、驍宗のための席だ。

 

正確には、その一つの座席の隣に、斜めにかしぐように一つ椅子が添えられている。

普通の会議ならそこは宰相の席だが、今回は軍議だから麒麟のためのものではない。

おそらく諸国の援軍を預かる延王のための席だろう。

 

その上座から十人分ほどの席を空け、李斎は下座の方の椅子に腰かけた。

彼女は瑞州師中将軍だから、本来はもっと上座に座る立場ではあった。

 

けれども、彼女の中では、自分がこれ以降将軍を務めることはないという思いがあった。

嫌だとも、出来ないとも思ってはいない。怯懦の念もない。

利き腕を失った割には、その不在を忘れえるほどの武芸を再び身に着けることができた。少しは胸を張りたい気持ちもある。

周りから惜しんでくれる声も上がるだろうとも予想がついた。「将であれば、前線に立たず指揮を執るだけだから務まるだろう」と。

 

他に適任者もおらず、自分が引き受けざるを得ない特段の事情があるなら、自分だってどんな役割でも果たしてみせよう。彼女はそうとも思う。

 

しかし、驍宗軍は幸いにして、思っていたより層が厚い。

 

英章、霜元、臥信と王師の三将軍は健在だ。それに、李斎自身を含め、その麾下の師帥たちも生きながらえてくれた。

七年の雌伏の時も含め、経験を積んだ優れた者もいるのだ。彼らに昇進の機会を与えるべきだろう。

彼女は何の気負いもなくそう思っていたし、もし将軍の席を勧められても断るつもりでいた。

 

事実、英章ら将軍たちは部屋に入ってきて李斎に挨拶はしても、下座に座っていることについては何も言わなかった。もちろん各人各様に複雑な表情は浮かべて見せてはいたけれど。

師帥の立場にある者たちは、一度は上座を勧めた。ただ、李斎が首を振れば、それで引き下がった。もっとも、李斎より上座に座る際には、かなり居心地の悪そうな表情は浮かべてはいたけれど。

 

簡単な先触れの後、驍宗が部屋に入り、最奥の一つだけの席に座る。また、李斎たちの予想通り、延王も姿を見せ、驍宗に続いて傍の椅子に座った。

 

とうとう始まる―――。

あの豺虎を討つための戦いが。

引き締まった空気の中、驍宗は静かな口調で、集まった麾下の無事を改めて労い、雁をはじめ諸国の後ろ盾があることを説明した。

そして、具体的な作戦に入る際、真っ先に名を上げたのは李斎だった。

 

「李斎を第一軍の将とする」

 

驍宗に残されていた声はさほど大きくない。

ただ、彼の表情を見れば、大きな声を出しているつもりでいるのは分かる。

驍宗より距離を空けた下座に座る李斎に視線を向けているのだから、そこまで声を出したつもりではあるのだろう。

しかし、「李斎を将に」という言葉は、誰にとっても意外なものであり、皆が聞き間違いかと思った。

居並ぶ者たち全てが、呼吸の音も、皮甲のきしむ音も、衣擦れさえをも控え、静寂をもって驍宗の説明を待つ。

 

麾下が静まり返ったことで、驍宗は自分の言が聞き取り辛かったことを察した。

だから、再び同じことを繰り返す。

「第一軍の将は李斎だ。だから、少し近くに座ってもらいたい。私の声が小さくて済まないが」

 

李斎は、席の移動を勧められたのは分かっていたが、立ち上がる気にはなれなかった。

「主上、私に将は務まりません。いえ、至らずとも私の剣が必要なら誰かの護衛ぐらいは役立ちましょう。ただ、集団同士の戦陣では、私の体では味方の邪魔になってしまう恐れの方が大きい…」

師帥の誰かが「将として後方で指揮を執っていただければそれでも…」と予想されたことを言った。李斎は軽く首を振る。

「他に人材がいないならともかくも。戦陣に立てぬ武人に、後方でぬくぬく指揮を執る資格はないと思う」

李斎は、師帥たちの方を見渡した。

「どうした。ここは将の座を譲るより、空いた将軍位を我先に争うべきではないのか?これだけ前途有望な武人たちが生き残っているというのに?」

わざとらしいほど挑発の色を含ませたが、皆にはそれぐらいの気概を持って欲しいというのは、李斎の偽らざる気持ちだった。

 

驍宗が何かを口にし始めた。合わせて皆も再び静寂を守る。

「…英章をはじめ、皆よく生き残ってくれたことは改めて礼を述べる。しかし、装備や訓練の習熟度については、鴻基の阿選麾下との間に差があることは否めない。また、戦陣に立つには休息が足りないものも少なくない」

ゆえに、と言いながら、驍宗は延王に軽く頭を下げた。

「諸国よりお借りした現役の一軍を、緒戦に用いようと思う。そして、その将は李斎とする」

 

なるほど。他国の軍勢を借りても、率いる立場は、たとえ名前だけでも戴国の者が務めるべきではある。それなら、と李斎も得心はいった。

ただ、そのような消極的な理由は少し寂しくもあった。「将軍職を辞す」という決意は、将軍職が重いものだからであって、名ばかりの将という提案は肩透かしを食らった気もしていた。

他の者も複雑そうな表情を浮かべている。

 

声を出したのは延王だった。驍宗とは比べ物にならない、張りのある朗々とした声だ。

「泰王にも許しを得たが、これは諸国の援軍を率いる師帥の望みなのだ」

戴の面々の感情はより複雑になる。他国の師帥が将を選り好みするのか。いや、仕方ない、我が戴は援助を有難く受け取る立場にすぎないのだから…。掠れ声しか出せない驍宗と太くよく通る声の延王との対比が、戴の者には辛かった。

 

暗く沈みかかった雰囲気などどこ吹く風で、延王は明るい声で続ける。

「我が雁からはとっておきの武人を師帥にお貸しする。剣技に優れ、軍を率いた経歴も長い。軍人としての実績は申し分ない」

さらに延王は陽気になる。

「それに、だ。この男ときたら、常世きっての美男子で。妓楼を訪れれば、並み居る美女がたちまち周りを取り囲む色男…」

静寂に困惑の色が混ざる。このような冗談を言う主に戴の者は慣れていないのだ。驍宗が解説代わりに言い添えた。

「その御仁は字を風漢とおっしゃる。剣の腕については間違いない。この私より上であることは私自身が保証しよう」

ああ、やはり。延王が自画自賛していることに、戴の者は安心して笑うことができた。

李斎も、心の片隅に生じかけていた、鬱屈したような気持ちが晴れた気がした。

席を立ち、上座にいた者と入れ替わりながら、延王に話しかける。

「さほどの武人からの直々のご指名なら、喜んであずかるべきでしょう」

 

延王は李斎に笑みを向けた。

「李斎にはそれなりの位にいて貰わねば困る」

今回の戦いでの諸国軍の指揮だけではない、と延王は続けた。戦のあとも、復興のための土木工事や物資の援助で諸国から人が出入りする。王や宰輔、高位の官が戴を訪れるようになる。

「李斎、お前が結んだ誼だぞ。諸国にとって戴の顔はお前なのだ」

「もちろん私もご挨拶申し上げますが…。いずれは主上と直接親しくしていただくべき方々です」

延王は肩をすくめた。

「相手は慶の十六歳の少女、それに範からは、アノ女装癖の男と口が達者な小娘、遠方の漣からはたおやかな廉麟だ。範のアレは驍宗殿を気に入っていたようだが…」

おほん、と延王は咳払いをした。

「驍宗殿は確かに以前より和やかになった。しかし、それでも初対面の女性が心を許すには強面すぎる。先輩として言わせてもらえば、女にモテるにはまだ何かが足りない」

掠れ声ながら驍宗が口をはさんだ。

「私も皆さまと親しくさせていただきたいと思う。ただ延王もおっしゃるように、私のような堅苦しく、面白みや可愛げのない者が気安くお付き合いするには、時間がかかるように思われる」

別にモテようと思っているわけではないが、と驍宗はそこについては律儀に否定した。

「先方に親しみを持っていただくには、しばらくの間、賓客のお相手は李斎にも同席してもらった方がいいと思う」

 

そういうことでお役に立てるようなら…、と李斎は新しい席に座りながら驍宗にうなずいて見せた。

驍宗はこちらの世界の礼節を正しく守る。しかし、李斎が金波宮で面識を得た方々はそれぞれに破天荒であり、生真面目な泰王と打ち解けるには確かに間に自分が必要なのかもしれなかった。

 

ただし、彼女は、思わぬ任を負わされた意趣返しに、笑い含みに驍宗に言った。

「主上が面白みや可愛げがない…そのようなお人柄のままだと仮に致しましょう。でも、まさか、この期に及んで、主上はご自分が『人望がない』などとはおっしゃらないでしょうね?」

 

おそらく「面白みがない」くらいは過去に言っていそうな英章が口を開く。

「驍宗さまへの忠義のために、ここまで生き延びた我らを前にして、まさかそのようなこと。笑えない軽口など聞きたくありません」

軍吏として参加していた正頼が横槍を入れる。

「英章、お前が『可愛げがない』などと申し上げたから、主上が拗ねてしまわれたのだ」

「おい待て。『可愛げ』云々はお前だろう」

霜元は「人望については最早お気になさることはありません」としごく常識的なことを言い、臥信は「何人が主上のために死んだんだと思ってるんですか?」と深刻な事実をさらっと口にする。

諸将軍の麾下もそれぞれにうなずいていた。

 

驍宗は、皆を見渡し軽く一礼した。

その礼は、部屋の中の生者に対してだけではなかったかもしれない。

「私が玉座に再びつくからには、戴国中の人望を背負っていると胸に刻んでおこう」

数舜の間、空気が引き締まった。生者たちは思い起こせる全ての顔ぶれを脳裏に描き、彼らとともに、過去も未来も王として仰ぐ相手の言葉を噛み締めた。

 

驍宗は軍議を進め始めた。

「では、やっと李斎が引き受けてくれたところで、次の人選に移りたい。李斎が抜けた後の瑞州師将軍だ」

李斎が驚きの声を上げた。

「お待ちください。私は瑞州師中将軍として、軍を預かるのでは?」

驍宗は一度李斎を見、それから全員に向かって、淡々と告げた。

「李斎を、禁軍右将軍に任ずる」

李斎以下、戴の者はみな息をのみ、表情を凍り付かせて身を固くした。

緊張をはらんだ重い空気が部屋に下りた。

 

禁軍右将軍。

先の王に引き続き、驍宗からも禁軍右将軍を拝命した者は今でも生きてはいる。

偽りの王として。

この戦いで玉座から追い落とすべき敵として。

驍宗の掠れ声をことさらに待つためでもない、水を打ったような静寂が部屋の隅から隅までを満たした。

 

「はん!」

鋭い一声を上げ、笑って見せたのは英章だった。

「なるほどね。次の禁軍右将軍は当然私だが、私としてもあのような豺虎がついていた席なんぞ汚らしくて座る気が起こらない。しかし、李斎の後なら話は別だ。それなら嬉しい。私が座るまで李斎に席を温めておいてもらいたいね」

正頼が顔をしかめて見せた。

「誰もお前を禁軍右将軍に推しとらん。誰だって、李斎の座った後なら喜んで座りたがるが、お前なんかが座ると後が困る」

霜元が、ふむ、と独り言ちる。

「阿選があんな陰気な小物だと思っていなかった。あんな男から禁軍右将軍の座を奪っても何の甲斐もあったもんじゃない。そりゃ李斎の次がいい」

臥信は笑った。

「おや、この戦の働き如何では、私が皆さんを追い抜かして一気に禁軍右将軍かもしれませんよ? 阿選なんかの後任はごめんこうむりますが、李斎の後なら誉ですよね」

李斎自身も笑いながら、下座の師帥たちに言った。

「どんな者でもあの男よりマシだと思えば、私だって適任となるな。さあ? 他には? 今の王師将軍を蹴散らして、私の後を襲う気骨のある者はいないか?」

 

師帥たちの間から口々に「それでは私が」「いやいや、自分が」という声が聞こえてくる。

戦意の満ち足りた空気をそれぞれが存分に吸った頃合いを見計らって、驍宗が宣した。

「改めて言う。李斎、禁軍右将軍を命じる。伝統と格式ある禁軍右将軍にきせられた汚名を雪ぎ、塗り付けられた泥を拭い取れ。戴国禁軍右将軍の座を再び名誉あるものとせよ」

「ははっ」

清冽な気迫のこもった声で、李斎は肯う。

 

それでも、李斎には分かっていた。

これは情の話なのだ、と。

戴にかかわるさまざまな人々の感情の上に、自分はその職を任されようとしている。

 

諸国と結んだ親愛の情。

阿選に対する嫌悪の情。

利き腕を失ったという分かりやすい喪失を抱えた自分に対する情。

そして。

人目に付きやすい働きを見せた自分が穢れた席に座ることで、何かが浄められた気になる、その感情。

 

人は情によって動く生き物だ。

その情を動かせるなら、自分にできることは何でもしよう。

けれども。

人は情によって動くからこそ、情はいつか収まるべきところに収まり、そしてまた変わる。

国の行く末を思えば、いつまでも情に傾いていてはならない。

理、によって整えられなければならない日は必ずやってくる。

 

だから、李斎は王に進言する。

「とはいえ、いつまでも私のような将が居座ることは戴のためではありません」

いずれは、自分が身を引き、禁軍から将軍が一人欠ける日が来る。いや来なければならない。

その時には――。李斎はこともなげに笑う。

「欠けたままというわけにはまいりませんでしょう。諸将の功績を比べ、徳を比べて情けを用いずに抜擢なさるのがよろしいかと存じます」

 

驍宗は目を眇めた。

李斎をはじめ、皆、何か目のくらむような光が差したのかと堂宇の中を見渡し、特に何もないのをいぶかしんだ。

 

そうではなかった。

驍宗にはすぐに思い起こせる光景があった。

蓬山にて王に立ち、禁軍将軍である自分が抜けて王師の将が欠けることを李斎に尋ねたことがある。

――禁軍から将軍が一人欠けるが、どう思うか?

全く同じことを彼女は言ってのけた。

陽光眩しい、あの蓬山のできごと。彼の眼を一瞬射たのは追憶の中の幻の光。

 

その幻は、彼の瞬き一つで消える。

現実の中に立つ彼女は、幻の中と異なる。

躰に片腕はなく、貌に悲しみと疲労の色は隠せない。

しかしながら、彼女の言葉はその意味以上に雄弁に示していた。彼女の内奥の、その真っ直ぐな気質はいささかも変わっていないのだ、と。

過去から記憶を貫き、今もなお。

彼は、そのありように、幻よりも鮮やかな輝きを見た。

そしてその眩しさに、彼はしばらく目を細め続けていた。

 

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