↓なお、「十二国記の戴国メンバーの物語を、日本の平安時代でやってみたらどうなるだろう?」と思ってオリジナル小説を書きました。カクヨムで連載中です。是非お読みいただければ幸いです!!!
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393
雁から二人連れの客人が訪れるのは珍しいことではない。
ただ、十二国第一の剣客から試合を申し込まれるのは、乍王朝で初めてのことだった。
英章が驍宗の執務室に入るなり、さらりと言った。
「延王が剣の相手をして欲しいとのこと。用意しておきましたからね」
部屋にいた冢宰の正頼が非難がましい声を上げる。
「こらお前、勝手に決めてしまうんじゃない」
驍宗自身はやや当惑気な表情を浮かべた。驕王の御前で対戦したことはあり、いずれ再戦をと申し込んだことはあった。しかし、あの七年の後その話は止まっている。それがなぜ今、延王から申し出があるのだろう。
「私としては、手合わせ自体は構わないが…。ただし私は復位後あまり剣の鍛錬をしていないから、延王にとってさして面白みのない相手だと思う。なぜ突然にそのようなことを思い立たれたのだろう?」
英章は肩を竦める。彼はたまたま禁門近くにいた王師将軍ということで、賓客の相手を務めただけだった。
「私からも延王に申し上げておきましたよ、ウチの主上が五百年の寿命を迎えてからにして頂きたい、って。ですがね…」
首を振りながら彼は続けた。
「延王がおっしゃるには『嫁を貰って気が弛んどるんじゃないか』ですと。まあ、剣客ともなると、相手のことは剣を打ち合わせる方が、なまじ言葉を交わすより分かるようですからね」
英章が笑みを含ませる。
「さて。まあ延王がそうおっしゃるなら、私たちも主上が李斎の件で腕がどれだけなまっているか拝見いたしましょう。ああ、台輔はご覧にならないで下さいね」
驍宗の傍に控えめに座っていた泰麒は小首を傾げた。
「え? でも延台輔はいかがですか? 木刀での試合なら麒麟が見ても大丈夫そうですが…?」
正頼が口を挟んだ。
「いえいえ、台輔は駄目ですよ。こう言っちゃあ何ですが、今回ばかりは驍宗様の分が悪い。主上がお怪我でもされたら、台輔に主上の代わりをして頂かなくちゃなりません。少しでも台輔の体調に障ることはお止めしておきます」
「でも、主上はたまには英章たちの相手もするでしょう? 禁軍将軍の皆よりまだお強いと聞いていますが…」
英章が顔を顰めた。
「最近の主上については、延王の『嫁が来て気が弛んどる』という推測が当たってる可能性もありますからね。主上が負ける姿など台輔も見たくはないでしょう?」
当の本人、驍宗も泰麒に言った。
「私もあまり蒿里に格好の悪い所は見せたくないものだ。終わった後の宴には呼ぶゆえ、それまで自室で過ごしているように」
泰麒は、正頼と英章とで意見の一致を見ることが稀であることに特に疑問を呈することもなく、彼らの言うとおりに自室へ退がった。
剣の手合わせの会場には、李斎も姿を見せた。先に座っていた臥信が隣の席を勧めてくれたので、そこに腰を下ろす。
「延王が『嫁』云々とおっしゃるのは…やはり私のことなんだろうな…」
臥信が「他に誰がいるんですか」と笑う。
「私は『嫁』というわけでは…」
「そういや、そうですね。正式のお后だったら、私も『李斎様』って呼ばなくてはならないでしょうからね」
背後から霜元の笑い含みの声がした。
「王后となられては、我々も気安くお声は掛けられない」
「…からかうのは止めてくれ」
霜元が李斎の空いた隣に座り、そのさらに隣には英章が滑り込む。
「まあ、李斎は『寵姫』ということになるんだろうね、言葉の上では」
臥信が声高く笑い、霜元も苦笑した。
「李斎が『寵姫』? 似合わぬ言葉だな」
「ともあれ」と李斎が語気を強くして彼らに言った。
「別に主上は私との件で弛んでなんぞいらっしゃらない。それに、主上は王だぞ。剣術に長けている必要はない。主な執務は机仕事だ。今日、延王がお勝ちになっても私とどうこうというのは関係ない」
背後で子どもの声がした。
「へえ、李斎は泰王の方が負けると思ってんのか?」
「延台輔…。あちらの延王の側で見ていらっしゃらなくてもいいのですか?」
「俺、アイツの応援なんかする気ねえし。それより“ちび”がいないか確かめたかった」
英章が金髪の少年に振り向いた。
「延台輔が私の傍を通り抜けるときに、ぼそっと『“ちび”には見せるな』とおっしゃったでしょう? その通りにしておきましたからね」
「うん。あんたが耳と頭の巡りが良くてよかった。“ちび”には見せられない」
遅れてきた正頼が、李斎たちの後ろの列、延麒の隣にゆっくりとした動作で腰を下ろす。
「台輔は自室でお過ごしですよ」
それは良かった、と延麒は言う。
ただ、延麒が見ようとする剣技を何故泰麒には見せるべきではないのか、李斎と臥信、霜元には分からなかった。
剣の手合わせが始まる。
最初に相互に一礼して、まずは第一本目。
これは意外な結果となった。剣の試合は、特に実力が拮抗していれば、最初の何合かは互いの出方を伺うのに費やされる。ところが、そこまで打ち合う前に、驍宗が踏み込んで払った木刀が延王の胴に綺麗に入り、あっけなく驍宗の勝ちとなったのだ。
「痛て…」
「申し訳ない、延王。これは私の勝ちとは言えません」
たしかに剣技の試合では、礼節として寸止めが求められる。だが、延王は驍宗の申し出を「気遣いはいらん」の一言で断った。
「俺は実戦派だ。形式的なのは好かん。まあ、この一本は泰王に差し上げるとしよう。それより、二本目だ。…少し水を飲んでいいか?」
「もちろん」
延麒が、試合場で水を受け取って飲んでいる主を見て顔を顰めた。
「あー、ずるい手だ。ああやって時間を稼いで、さっきの泰王の動きを見極めようって魂胆だ。それにしても、泰王は腕を上げたのか? あんな動き見たことないぞ? …なんだかんだ言って、泰王も五百年の寿命を待たずに尚隆に勝とうと猛練習を積んでたのか?」
周りに座る驍宗麾下は口々に否定した。
「いえ…。主上は復位後、机仕事が主で…」
「たまーにお相手願うが…『気晴らし程度』とおっしゃるね。私たちよりは強いんだけど…」
「蓬莱の言葉で『すとれす発散』というのでしょう? 私たちよりは強いとはいえ、軽く動いていらっしゃるだけですよねえ」
ただ、他の面々より慎重に口を動かす霜元が首をひねった。
「あのような剣の動き…。私も武人を長く務めているがあまり見ないな…」
周りの麾下もそれぞれに同意した。ただ、正頼がポツリと「赭甲でしょうな…」と口にしたことで誰もが何かを飲み込んで黙った。
二本目が始まる。カンカンカンと澄んだ木刀の音が響き渡る。
驍宗の動きは一本目に引き続き、異様なほど素早い。しかし、延王も早さには慣れたようで互角に動く。
だから、何合たっても決着がつかない。
もともと驍宗の上手さは斬ると突くとを巧みに混ぜるところにある。その組み合わせは、以前より精緻なものとなり、驍宗麾下の王師将軍ですら、その太刀筋を目で追うことも難しい。
だが、延王は驍宗の多彩な攻撃をしっかり防ぐ。そのうえで、時折鋭い払いが驍宗の身体をかすめる。
片方が剣を払い、引き、突く。片方が、それを躱し、止め、撥ね上げるが早いか振り下ろす。それをまた払いのけて…。
カンカンカンと絶えることなく打ち合う音が続く。
臥信が喉を鳴らして唾をのんだ。
「すごい…」
英章と霜元もうなずきながら言う。
「これは見ものだね」
「うむ。武人なら一度はこれほどの技と技との競い合いを見ておきたいものだ」
李斎もそれは同感だった。ただ、麒麟がこうも激しい剣技を見ていて大丈夫だろうかと心配になる。
「延台輔、平気でいらっしゃいますか?」
延麒は純粋に面白そうな顔をして眺めていた。
「まあ、剣客どうしの剣技は安心してみてられるから。例えばさ、料理人が厨房で包丁を使っていても見てて何の不安もないだろう? あれと一緒だ。剣の使い方に熟達してる奴同士が棒を振り回してても、流血沙汰をあまり連想しなくて済む。棒切れを振り回す変わった踊りかなんかを見てるようなもんだ」
延麒は続けた、「要は他人事だ」と。
しかし、この言葉を吐く時の延麒の表情は曇っており、それを聞いた戴の者たちも複雑な表情を浮かべる。
剣の扱いに熟達した剣客どうしの剣技は安全だ。では…そうでない場合には? 剣を扱い慣れていない者がそれを振り回すのは、洗練された剣技の対極にある、残虐な行為だと言えないか?
李斎がうめいた。
「もし台輔がいらっしゃったら…聡い台輔なら傷つかれるでしょうね」
扱いに慣れないものを振り回してしまった、その行為の重みに、改めて胸の抉られる思いをなさるに違いない。
霜元が隣席に囁いた。
「英章、台輔をこの場に呼ばなかったのは良くやった」
「まあ、元傅相も口添えしてくれたからね」
英章の言葉に正頼が答える。
「台輔を大切にする方が、こやつと張り合う些末事より大事ですからね」
「些末事と言うか」
正頼はこれには答えず、誰も先を促さなかった。戴台輔がこの場に居なければ、まずはその点は安心だ。気がかりが薄れた後、皆の注意は自然と優雅な舞に似た剣技に引き寄せられる。
その連舞は果てしなく続くかと思われた。
しかし、それは双方が終わりを目指してのものであり、今度は延王の一振りで終わりを告げた。目に見えないほどの速さでいつのまにか振り下ろされた延王の木刀は、本来なら驍宗を袈裟懸けにするはずだった。
「…お見事です、延王」
延王の握る木刀は、驍宗の身体から一寸のみを残し、ギリギリの空間で止まっている。
「ふふん、オレもまだ衰えたもんじゃない」
その終止符まで美しい、技と技との競演だった。
驍宗は静かに三本目を申し出た。延王が何か言いたげなのは、水を飲むなり何か休憩が欲しくはないのかということだろう。それでも驍宗は剣を構え、続きを促した。
カンカンと再び木刀の打ち合う音が響き始めた。
相変わらず流れるように双方の攻防が始まる。ただ、麾下たちは少し違和感を覚えた。
「こう、こうと来たら、次はこう…ああ、もどかしいね」
「主上も分かっていらっしゃる、ただ…」
「体の動きが重い…」
「疲れがでていらっしゃるのでしょうね…」
麾下にも分かるのだ。こう動くべき、あるいは驍宗はこう動こうとしているのというのは。しかし、本人の意図するように体はついていかない。
カーンとひときわ大きな音と共に、驍宗の木刀が払い飛ばされた。延王の勝ちだが、延王自身は渋い顔をし、驍宗は空いた両手を軽く上げて見せた。
「私の完敗です」
「これは明らかにお前の体力不足だろう。勝負が分かりきっていたゆえ、わざと休憩も取らずに早く済ませおったな」
そんな理由で勝っても嬉しくはない、と延王は不服そうにつぶやいた。
観覧のための座席から皆が集まってくる。
延麒は指を立てて、主に説教した。
「尚隆、いい気になるなよ。王ってのは机に向かって真面目に執務するもんなんだよ。お前みたいな体力バカが王なんて、サボっているのが丸わかりだ」
驍宗は笑んで見せた。
「いや、私もこれから体力をつけねばと思っていたところなのですよ。まずは、新兵と一緒に走り込みからだな。英章、お前のところに入営しようか。空きはあるか?」
英章は渋い顔をした。
「笑えない軽口は、この後の酒の席で伺いましょう」
「では、宴の席に移ろうか。蒿里を呼んでくるように。『負けてしまったが、課題も見えてきた』と伝えてくれ」
酒宴では、延王がしきりに首をひねっていた。
「これは俺の勝ち、となるのかな?」
驍宗が盃を延王に掲げ、敬意を表して見せた。
「三本のうち二本お取りになった。私の一本とて、寸止めできなかったのだから引き分けにでもなさって良かったでしょう」
「結果だけ見ればそうなるが…。体力で上回っただけだからな。技とその冴えについてはどうだろう? 俺はむしろ驍宗の方が上回っているかもしれんという気がする。特に序盤だ。明らかに腕が上がっていた」
驍宗はほろ苦い顔をした。
「赭甲に鍛えられておりますから」
「たった二回切り結んだだけでか?」
驍宗は盃を一度飲み干した。
「あれからずっと私は赭甲と闘っている、そういうことになりましょう」
驍宗は説明した。
まず、一度目の襲撃を受けて竪坑に落とされた後、赭甲が追ってはこられないと分かるまで、驍宗は常に臨戦態勢だった。頭にある赭甲の動きを何度もなぞり、次こそは勝たねばならないと想像の中で相手と闘い続けた。
彼らが追ってこないと分かってからも、それはあまり変わらない。この縦穴から脱出することは、再び彼らと戦うことを意味するのだから。暇さえあれば記憶を呼び出し、真剣勝負を繰り広げることを欠かさなかった。今度こそ敗北は許されない。次に負けたなら、それは自分だけでなく戴の滅亡である、と念じながら。
二回目の対戦は、驍宗が幼子を助けた上で勝利したと言えよう。だが、賓満憑きが絶えたわけではない。彼は二回目の記憶も脳裏に刻み込んだ。いずれまた剣を交わす日が来る。
最終的に彼は勝利した。賓満を操る張本人、阿選を退けることも出来た。
──しかし、それでも今なお赭甲は彼に襲い掛かってくるのだった。
「悪夢にうなされるようになりました」
決して負けられない相手。戴一国を担うこの身は二度と失敗するわけにはいかない。
その強い思いとともに頭にしまいこまれた赭甲の残像は、平和になった後も彼に纏わりついて離れない。
それは…と延王は言葉を探した。
「…記憶力が良すぎるというのも考えものだな…。それで…? 今は休めているか?」
相手の率直な気遣いを驍宗は嬉しく聞いた。そして相手を安心させて差し上げなければと思う。
「延王は私を『良い臣下を持っている』と褒めて下さいました。今は、眠るときに李斎が傍にいてくれますので、彼女が私の夢の中で助太刀してくれます」
驍宗の言葉に下座の英章、臥信、霜元、正頼が色めき立つ。
「おい、なんか主上が艶っぽいことを言ったぞ。別人の話のようだね」
「悪夢を見るから助けて欲しいって口説いたんですか? いやあ、私も女性に使ってみようかな」
「おいおい、『助太刀』を頼むのだから相手は武人ということになるぞ。うーむ、武芸の腕があって、弱いものを守りたい庇護欲が強い女性。まさに李斎を口説くのにうってつけだ」
「おやまあ、この朴念仁がどうやって李斎との仲を進展させたのかと思っていたら、そうでしたか」
宴の席から参加し、李斎の隣にいた花影も我が事のように喜んだ。
「李斎の為人を十分ご理解の上でのことでしたのね。良かったわ、李斎」
言われた李斎の方は顔を真っ赤にしてうつむくよりない。
延王のそばにいた延麒はぺしっと主の肩を叩いた。
「お前もどこかで真似ようと思ってただろ。言っとくが、驍宗と李斎だから成り立つ話なんだからな」
延王はむっとした顔をした。
「主をなめるな。俺だって相手に合わせて口説き文句を使い分けるくらいはしている。相手が情の濃い武人の女なら応用できるな、と思ってるだけだ」
「あのなあ、それ以前の問題として、お前は悪夢にうなされるようなタマじゃないだろ?」
「おれは意外とこう見えても繊細なんだ」
くすくすと澄んだ声で笑ったのが泰麒だった。
「それでは主上。李斎とご一緒にやすむようになられて、赭甲との手合わせはどうなったんですか?」
麾下たちは固まった。話題が馴れ初めから一歩踏み込んで現状についてのものとなる。
驍宗は悠々と答えた。
「李斎がいれば大丈夫と思うのか、最近は夢を見ても勝たなければという気負いが薄れてきた。カンカンと気分よく打ち合っている。そうだな、自分が新兵で入営してから、剣技を上達させてきた年月を思い出す。いい鍛錬だ」
しかし…と彼は息を吐いた。
「もっとも、いくら夢の中で腕を上げても、現実の中では体力がなくて技を活かせない。体力を付けねばなるまいな。正頼、新兵の募集枠が今あいているのはどの軍だ? できれば英章のところがいいが」
「なんで、あやつのところがいいんです?」
「一癖あって面白そうだからだ」
臥信が言う。
「瑞州師はお嫌ですか? ウチも走り込みからきっちり面倒見ますよ」
霜元が呆れる。
「お前、度胸あるな…。わが軍はお断りです。主上をしごくなど畏れ多くて…」
当の英章は念を押した。
「申し上げておきますが、ウチで主上の剣のお相手をできるものはおりませんよ。走り込みならお引き受けできるかもしれませんがね」
驍宗は笑む。
「それで十分。私はまず逃げ足を鍛える必要がある」
「逃げ足? 逃げるんですか? いったい何から?」
「戴の民からだ。剣で打ち合って民を傷つけるわけにはいかないだろう」
延王が尋ねた。
「驍宗、お前は俺と対戦するつもりで体力をつけるのではないのか?」
驍宗は首を振る。
「当面は違います。次の対戦はどうか五百年後までお待ちください」
「じゃあ、何で体力をつけようとするのだ?」
「今、李斎に下界を旅して民の様子を見て回ってもらっています」
「…? 嫁なのに家にいないのか?」
「延王の『嫁』とおっしゃる言葉がどのようなものを指しておいでか分かりませんが…。李斎には私にはない才があります。人に心を開かせるという才が。土匪の頭目からも『莫迦』と呼ばれて愛されたくらいですから。ですので、彼女にあちこちを見聞してもらってその様子を聞いているのです」
「妻を独りで外に出して心配じゃないのか? いや、李斎は、浮気はしないだろうが、相手から言い寄られるとか…」
「確かに浮気云々の心配はしていません。また、少人数なら隻腕でも戦える腕は持っています」
李斎自身が声を上げた。
「ですから、主上に護衛して頂かずとも李斎一人で身の安全は守れます」
驍宗は笑みながら首を振った。
「李斎は情に厚い。困っている者を助けようとして、大人数どうしの争いごとに巻き込まれるかもしれない。いや、人数の多寡だけではない。状況が錯綜していたら身動きがとりづらいだろう」
「錯綜した状況とは?」
「例えば…李斎が蒿里を連れて戴に戻り、項梁や去思と出会った時だ。誰が敵で誰が味方か見分けがつく前に、武器が使われた」
「確かに混乱で緊迫した場面でした…」
「そのような場面に、私の腕があれば役立つこともあろうし、いざとなったら逃げだせばいい。私は、幼童の一人くらい片手に抱えて剣を振るうこともできるが、抱えて逃げられるならもっといい。民に剣は使いたくないだろう? 私を加えれば行動の選択肢が広がる」
しかしだな…と延王が忌憚のない疑問をぶつける。
「李斎が温厚で人に心を開かせる性質でも、隣に強面の驍宗がいるとまた怯えてしまうのではないか?」
「私は髪の色も目立たぬ黒に染めておきますし、せいぜい李斎の後ろで大人しくしておきましょう。夫婦連れとして振る舞い、しっかり者の女房に連れられて歩く気弱な亭主を気取るつもりです」
延麒が声を立てて笑った。
「そりゃあいいや。泰王の気性からして難しい役どころだな。でも、民のために困難に挑む心意気がいいじゃねえか。おい、尚隆も見習えよ」
「いやいや…」
驍宗は延王の味方をする。
「延王はご自身が人から愛される明朗なご気性でいらっしゃる。私が李斎に民の様子を見る役割を頼むのも、私自身は妓楼通いが様になる男ではないからですよ」
「…それ、尚隆を褒めてんのか?」
「もちろん」
驍宗の言葉ににやりと笑った延王が、今度は延麒にちらっと視線をやった。
「いやあ、戴が羨ましい。王が女房と一緒に旅に出ても、戴には留守を任せられる頼もしい麒麟がいるからな。出来の良い麒麟がいる国は良いなあ」
泰麒が微笑みながら柔らかに否定した。
「私も延台輔のようにお元気なら、主上と李斎について行きたいと思っています」
「ああ、すまん。泰台輔は体調が思うようにいかないのか」
「私はお留守番しかできない出来の悪い麒麟、とも言えるのです、延王」
「そこまで卑下することはない」
泰麒は心持ち目を伏せながら語り始めた。
「私たちの王朝は、出来ることを持ち寄りながら成り立っています」
「ほう?」
「驍宗様はご立派で道理を弁えていらっしゃいます。その上、近年は随分和やかになられました。とはいえ、李斎ほど他人に親しまれる為人はしていらっしゃらない」
泰麒は李斎を見た。
「李斎は人を巻き込み動かす才能があります。西王母すら言い負かすほど…」
李斎が口をはさんだ。
「しかし、李斎には思慮が足りません。目の前にいる人のご厚情を得ることができても、国や軍全体を動かす器量はございません」
泰麒は笑ってみせた。
「李斎がそんなものまで持っていたら、王や麒麟の立場はなくなりますよ」
そして私は…と泰麒は悲しそうな顔で続けた。
「私は麒麟ですから慈悲の心は持ち合わせているつもりです。そして、それを貫く意志の強さもあるのでしょう。ですが、意思はあっても実行に移す手段が限られる…。剣技の真似事もしてみましたが、もちろん罪深いことでした。そのため今も体調がすぐれず、驍宗様や李斎と共に行動する健康さがありません」
泰麒は、まず英章と正頼に視線をあて、その後延麒に向かって口にした。
「いっそのこと、私が剣技に熟達していれば、剣を振り回しても相手に与える傷が最小限で済んだのかもしれません」
「ちび、お前…」
延麒は口を開いたが、後が続かない。
宴席全体もまた静まり返った。宴の前、剣技の華麗さに沸き返っていたその興奮の中にあっても、皆、その場にいない哀しき麒麟のことを忘れてはいなかった。
「蒿里」
その空間に温かく力強い声が響いた。
「蒿里の罪は私が持っていくと言ったろう?」
「ええ、剣を握る私の手を開きながら、主上は『もうよい』とおっしゃって下さいました」
「そうだ、今再び『もうよい』と言おう」
「はい…」
「蒿里の言うように、戴の王朝はできることを持ち寄って過ごせばいいのだ。蒿里は真面目に机仕事を片付けてくれる頼もしい宰相だ。もし剣が必要な場面があれば、それは私や麾下が何とかする。それも最小限で済むよう、腕を鍛え、技を磨いてもいる。剣のことは任せておきなさい」
出席している武人たちがそろって頷く。
「さらに、私はもう単なる武人ではなく、王だ。だから、誰も剣を使わなくて済むようにする責務もある。下界を旅し民の様子を見て善政を敷き、争いの少ない国を作ろう。また、もし私が争いごとに巻き込まれても、剣で人を斬らないようにする。敵と見える相手も同じ戴の民なのだから」
英章がわざと乱暴に手酌で酒を注ぎながら、まぜっかえすように言う。
「で、逃げ足を鍛えようとなさるわけですね」
その盃を干して、英章は続けた。
「わかりましたよ。じゃ、ウチで新兵といっしょに頑張っていただきますからね」
李斎も申し出た。
「私も入営したいな。旅で歩いているばかりで、駆けるのはおろそかになりがちだ。長距離を走りとおす力を戻しておきたい」
霜元が言った。
「おいおい。軍紀上、夫婦や恋人は別の軍に所属することになっているぞ。李斎はウチであずかろう」
「そうか。うん、よろしく頼む」
延王は不思議そうにやりとりを眺めていた。
「夫婦そろって軍で鍛えるのか?…いや、ウチの軍にも探せば夫婦者もいるのかもしれんが…。王に嫁が来て浮かれてるのではないかと思って来てみれば、嫁を貰って本人やその臣下が発奮することもあるとはな…」
延麒が主に向かって言う。
「ほらさ、大きな商店の旦那がさ、良い御内儀貰って店中の士気が上がっているようなもんなんじゃないか。なあ、尚隆、お前も嫁さん貰えよ。そしたら玄英宮の連中も安心して仕事に励めるからさ」
驍宗がそれを止めた。
「いや、雁は既に大王朝。特に揺らぐ気配もなし。今までの在り方で良かったのでしょう」
延王は胸を張る。
「そうとも、そうとも。俺は雁の全ての女の花婿だ。一人の女に決めてしまうと飽きてしまう…」
ここに下座から思わぬ声が掛かった。声の主は臥信だった。
「延王に申し上げますが、戴の女まで独り占めしないで下さいよう」
周囲が怪訝そうな顔をする。
「私が鴻基の妓楼に飲みに行くと、最近は『風漢』というモテ男で話題がもちきりなんです。どうもその男は延王らしくて…」
延王は太い笑みをもらす。
「悪い、悪い。戴の復興が著しいのでちょくちょく遊びに来てるんだ。そうかそうか、こちらでも俺はモテモテか」
延麒が謝る。
「すまん、よその国まで…」
驍宗が苦笑した。
「臥信は座持ちの良い気性だが、それでも延王とは張り合えないものか」
臥信はにやりと笑った。
「今のところ妓女に人気の座は譲っておりますが。私は奇計奇策が身上ですよ? 風漢殿には、妓楼の誰かが賭けを持ち掛けて、すってんてんになって頂いております」
「あ、この間からいつの間にか賭けに乗ってて身ぐるみはがされることが続いたと思ったら! 計られていたのか!」
「ふふふ、戴の経済には恩恵がございますからね。有難うございます、と礼を申し上げましょう。今後とも膨らんだお財布を持ってお越しくださいね。もっとも、このまま負けが込めばモテ具合にも影が差すかもしれませんが」
延王は臥信の上司を見た。驍宗も泰麒も困った顔をするよりない。
「非番の時の私事についてまでは、王の私といえども…。『風漢』殿にはご自身の器量で遊んでいただくよりありません」
延王は酒をあおった。
「ええい。剣技は驍宗と競い、モテは、臥信と言ったか、お前と争うのだな」
延麒が主に冷めた顔を向けた。
「尚隆、良かったな。飽きる暇もできなさそうで」
泰麒が微笑みながら「雁と戴はいろんな意味でつながりが深くなりそうですね」と締めくくった。
宴は終わり、客人はひとまず雁への帰途につき、見送った面々も自邸に戻る。
その途中で泰麒が驍宗に声をかけた。
「主上、剣技の試合を拝見できなくて済みません。皆の気遣いに沿った方が良いかと思ったからなんですが…でも、そもそも気遣いをさせてしまう自分が少し情けないです。主上にも再度『もうよい』と言葉を掛けて頂いて…」
驍宗は泰麒の頭をポンポンと軽く叩いてみせた。
「何度でも『もうよい』と言ってやろう。蒿里は私の麒麟だ。どのようであっても私の半身であり、自分が自分を否定できないように、私が蒿里を否定することもない」
そしてさらに鋼色の髪をかき混ぜるように撫でた。
「延台輔と延王の互いの態度を見たか。蒿里とも、あれくらい気安い仲でありたいものだ。それにはまず私がしっかりして台輔に安心してもらわねばな」
傍にいた正頼も声をかけた。
「剣技や逃げ足、主上がお入り用のものは禁軍の方で揃えて差し上げますからね。台輔はお気になさらずにしていいのですよ」
その二、三歩後ろにいた英章が声をかけた。
「剣技については禁軍で相手できる者はいないよ。主上の相手は赭甲だ。その鍛錬をご一緒するのはは李斎にしか務まらない。さあ、我々はお邪魔せずにとっとと帰ることだね」
そう言いながら英章が正頼の手を取った。急かすつもりなのか、足の悪い正頼を慮ってなのかは分からない。
泰麒は主を見上げた。英章の際どい軽口に驍宗は口をつぐんで足を止めていた。そんな驍宗に、泰麒はくすりと笑んで見せて一礼をした。おそらく正頼や英章と足並みを揃える方が、主に気安かろうと思えたからだった。
驍宗はそれぞれに散っていく麾下たちを見送り、李斎の部屋に引き取った。
寝支度をする李斎が笑い含みに驍宗に問う。
「剣技の冴え、お見事でございました。あれほど腕を上げられたなら、もう夢の中で赭甲と打ち合う必要はないのではないですか?」
驍宗は先に臥牀の上で肘をついて横たわっていた。
「剣技は鍛錬を怠ると腕が落ちてしまう。『李斎を嫁にしたから弛んでしまった』などと言われるのは避けたいものだ」
李斎はここで首を傾げた。
「延王のおっしゃる『嫁がきて弛む』という言葉の意味が今一つ分かりかねるのですが…。延王は、私が後宮に籠って、主上が驕王のように後宮に入り浸るようなことをご想像だったのでしょうか」
「それが近そうだな。私がこうも李斎をこき使っているとはお思いではなかったようだ」
「こき使われている、とは思っておりませんが…」
「下界を旅して民の声を聴く役目を担ってもらっているし、それから赭甲との手合わせも助太刀してもらっている…」
彼は、臥牀に腰かけている李斎の手をとり、笑みながら掠れ声で言った。
「さあ今宵も赭甲と切り結びに向かうゆえ、夢の中へ同行願おう」
その言葉に李斎も笑んで応え、そっと彼の傍に身を横たえた。
くどくて申し訳ございませんw
2022年現在、十二国記の戴国メンバーをモデルにした、平安ファンタジー小説を投稿中です。
驍宗様はあまりに完璧すぎてキャラとして動かしづらかったので、英章と合体して別キャラになっております。
しかし、李斎や臥信、霜元的なキャラはわりとそのまま登場してます。
後半は、双璧の阿選をモデルとしたキャラのクソデカ感情が炸裂するんですよw
是非お読みいただければ幸いです。
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393