白い墟からのびる道   作:鷲生

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他の話を考えようとしてたら、冒頭の李斎と正頼の会話が膨らんだので一つの話にしました。正頼にからかわれた李斎の分を、驍宗様がやり返す?話です。だいぶ前の話ですが、シリーズの「白圭宮は、ウソをつく。」が少し前提にあります(読まなくても大丈夫かもしれませんが、「?」と思われたらお読みいただければと思います)。


↓なお、「十二国記の戴国メンバーの物語を、日本の平安時代でやってみたらどうなるだろう?」と思ってオリジナル小説を書きました。カクヨムで連載中です。是非お読みいただければ幸いです!!!
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393


李斎、正頼にからかわれる。

「おやまあ、李斎が私の部屋に来るのは初めてじゃないですか?」

 そう言いながら正頼は執務机から立ち上がろうとした。李斎は慌てて押し止める。

「ああ、正頼、席に座ったままで構わない。立たれてしまうと、私が主上や台輔より目上になってしまうだろう?」

 正頼は足が不自由だ。だから、王も麒麟も正頼には不必要に立ち上がらなくてもよいとしている。

「それじゃあ座ったままで失礼しますよ。で、どうしたんです?」

 李斎は少し苦笑して見せた。

「冢宰の時間を奪うほどの用事ではないのだが……」

「私の時間を奪うのどうのと言えば英章なんぞ大泥棒ですよ。李斎なら大歓迎ですとも」

「ありがたい。実は、私も義手をあつらえようかと考えていて。それで主上が、正頼に義眼の使い心地を訊いてみてはどうかとおっしゃったんだ」

「ほう。李斎も冬官に義手を作らせますか。それで私の義眼について聞きに来た、と」

 

 明幟も年数が経つうちに、救国の女将軍の容貌も世間に知られるようになった。赤茶の背の高い隻腕の女将軍だ、と。そのため、李斎が下界を旅するには、髪を黒く染め、武人ではなく官人風に変装しなければならなくなった。化粧もしてはどうかと花影に勧められるが、それよりもっと根本的な問題がある。

 李斎は驍宗に相談してみた。

「戴は平和で大きな災害もありません。以前ほど目に見える怪我人は少なくなりました。ですから私が隻腕でいると目立ってしまうのです。下界に行く際は、変装の一環として義手でもしようかと思うのですが……」

 驍宗は少し表情を曇らせた後、静かに「義眼を作らせた正頼に冬官とのやり取りなど聞いてみるといい」と言った。

 

 正頼にはその様子が目に見えるようだった。

「驍宗様のせいではございませんのにねえ。悲しそうな顔をされたんでしょう?」

「まあな……」

「主上と台輔はご性格上いつまでも惜しんでくださいますが……」

 正頼は大げさなほど深いため息をついて見せた。

「下界に行くのに李斎が義手をしていくのは、そりゃそっちの方がいいと思いますよ。人は、自分に当たり前にあるものが相手に無いとぎょっとするようでございますからね。そして、気の毒がるか褒めたがる」

「……そうだな」

 正頼の言う通り、救国の女将軍と仰々しく扱われるのは煩わしい。自分にとっては過去のこと。自分の不調法に過ぎない、と心の整理は既についていることだった。

 

 正頼が手招きするので、李斎は彼の書卓に回り込んだ。正頼は笑いながら、書卓の引き出しを一つ開けて見せる。

「……!」

 李斎は首をのけぞらせた後、「悪趣味だ」と苦笑した。正頼は「ほほ」と声を立てる。

 その引き出しの箱には、ぎっしりと「目玉」が詰まっていた。

「面白かったので、いろんな色で作らせてみたんですよ」

 そう言いながら、義眼を一つつまみ上げる。

「ほら、主上と同じ緋色のもございますよ。ええと、李斎にあげましょうか?」

「いや……」

「ああ、李斎は主上の本物の瞳を我が物とされてますから、紅玉製の紛い物は要らないのでしょうね」

「……というより、なぜ作ったんだ?」

「英章が嫌そうな顔をするかと思いましてね」

「……しそうだな」

 正頼はからからと「ええ、そりゃあもう」と笑った。

 

「さあて。義手だとどんな風がよろしいでしょうかね」

「どんな風も何も……腕と見えるものならどうでも……」

「いやいや折角ですから、凝ってみてはいかがです?」

「別に……」

「女性だと爪に色をぬる者も多いですが、李斎はどうせそんな趣味はないでしょう? かといって今さら日ごとに塗ったり落としたりするのも面倒でしょうし。義手ごとに色目を違えてみて、その日の気分で変えてみるとか」

 それとも……と正頼はうきうき続ける。

「動物の手はどうです? 可愛らしい子犬の手でも獰猛な熊の手でも。面白そうですねえ」

「いや、私は……」

 

 悪戯好きの冢宰は楽しそうだった。

「李斎に何かをお見立てするのは二度目ですね」

「……?」

 正頼に何かを見立ててもらったことがあっただろうか? 

「ほら、李斎が瑞州師に抜擢されて、白圭宮に初めて官邸を持った時のことですよ」

「ああ!」

 李斎は笑んだ。そう、お小さかった台輔が自分の顔より大きい花束を抱えてきてくれたあの日のことは、昨日のように覚えている。

「そうだな、祝いの品について、台輔は『正頼と二人で、すごく頭を撚ったんです』と仰っていた……主上も含めて三人分を頂戴したのだったな」

 台輔がそうおっしゃっただけあって、確かに色々な品々をたくさん頂いたという印象は残っている。ただ、李斎は以降の所有物を全て阿選に焼かれてしまっているし、当時の品目を記憶にしておくにはあまりに事態は急展開し、多くの事がありすぎた。

「まあ、李斎は台輔の花束以外はあまり覚えてないんじゃないですか?」

「ええと……」

「実は私も驍宗様の困った顔の方が一番印象深いのですよ」

 

「主上はお困りでいらした?」

「ええ。李斎を喜ばせたいという台輔のお願いには賛成で、そこは大丈夫なんですけどね」

「いや、普通は臣下の配属替えに祝いなどしないだろう。台輔の蓬莱の風習に困惑されたのだろうと思うが」

「そりゃ、こちらでは元来そのようなことはしませんしねえ。ですが、台輔のご発案で李斎に祝いを贈ると言うのは、むしろ台輔以上に主上も積極的でいらしたんですよ。王師将軍で他の者と面識がないのは李斎だけでしたし。白圭宮にも馴染みがないだろう、と」

 ──蒿里は花を贈るのだ、と言っていた。蓬莱には気の利いた風習があるものだ。確かに新しい住まいはよそよそしく感じるもの。花を活ければそれを機に生気が宿ろう。

 驍宗は目を細めて賛意を示したらしい。李斎は微笑んだ。確かにその通りだった。抜擢は誇らしくもあったが、新しい住まいを自分の居場所と思えるようになるには時間がかかりそうだと思っていた。あの日、台輔から賜った花束は李斎の暮らしに温かな灯りをともしてくれた。

「お小さい頃の台輔らしい話だ。そして、今、主上の為人を知ってみれば、その心配りも主上らしいと思う」

 蓬山では覇気が強烈で気づきにくかったが、存外、驍宗は他人に気を遣う。李斎同様新たに抜擢した秋官長の花影についても、進退の意向を尋ねるのに友人である自分を通すような手順を踏んでいる。麾下の麾下に至るまで驚異的に相手のことを記憶するし、そもそも轍囲の盾の故事もまた民の立場を深く慮っての出来事だ。

 

「さようですとも。ただ、主上は品物を選ぶのにちょっと困ってらっしゃいましてね。女性だから男より劣るとも勝るともお考えではない方ですが、実力であの方の目に留まるような女性の武人がそもそも周りにいませんでしたから。さて、器量を見込んで王師に抜擢した武人、そしてその時点では特に下心も何もない女性に贈り物をする……となると……。妙な勘繰りを受けないよう慎重さも求められますし。もともと、女性に物など贈ったことのない驍宗様には難問だったようです」

 面白かったですねえ、と正頼は笑みを深くする。

「何事も正解は目の前にあるとばかりに即断即決のあの方がねえ。しばらく虚空を睨んでらっしゃったあの顔ったら。まあ、李斎のおかげで珍しいものが見られました」

 

「そうだな……。しかし、登極直後の多忙な時期に主上を悩ませていたとは畏れ多いことだ」

「いやあ、それでもお迷いだったのは少しの間でしてね。しばらく考えた後、蓬山や鴻基での李斎の格好を思い起こして、武具や装備で傷んでいるものをいくつか挙げてらっしゃいましたよ」

「……」

「飛燕の馬具の一部とか刀の鞘とか……。目が行き届いて記憶力も良い方ですからねえ、李斎が要り用となりそうなものを宝庫にある中から整えておくようにとのご指示でした」

「そんなものまで宝庫にあったのか?」

「ええ、宝庫には目が回るほどいろんなものがありますから。一方で、主上は在庫についてすっかり頭の中です。登極直前まで禁軍左将軍でいらしたのですから、武具のことならなおのこと」

「ああ……少し思い出した。確かに必要な品を賜った。うん、そろそろ新調しなくてはならないと思っていたような品々だったように思う。それぞれ物が良くて、さすが首都鴻基は武具の品質も良いのだと思っていたが……。あれらが宝庫にあったものだとは……」

「ねえ。実用的過ぎて面白くもなんともないでしょう?」

「私にはそれでよかったが……。確かに仕事がらみで支給されたか何かかと記憶が曖昧にはなったな」

 思い出そうにも、李斎が王師将軍として慌ただしく身辺を整えた中で、どれが驍宗からで、どれが軍の支給品、あるいは自分で注文したのか思い出そうにも記憶がまぜこぜだ。いや、当時でさえ区別なく受け取っていたような気がする。

 

「主上がそんなだから、私の方は女性に相応しそうな品々……例えば耳飾りや簪などをご用意したのですがね。そりゃあもう、どんな女性かと台輔にお聞きして頭を使いましたとも」

 李斎の表情が微妙に固まった。

「……」

「ああ、忘れてもらって構わないのですよ。私も当時は李斎の為人をよく知りませんでしたから。大方、そんなものは使わずしまい込んでしまったのでしょう」

「……済まない」

 けれど……。李斎は贈り物の品々を思い出せない原因が分かった気がした。実用的か、装飾的か、蓬莱風か。三者三様にばらばらな好みだったので、印象が散漫になってしまったのだと思う。

「ただ、台輔をはじめ主上と正頼が好意を込めて贈ってくれたのは温かい思い出だ。うん」

 正頼は、李斎のやや強引な話のまとめ方に、ぷっと吹き出した。

 

 正頼は苦笑を浮かべかけたが、ひっこめた。

「今は李斎の為人も分かっているつもりですからね。さあて。義手については、爪の色違いとか動物の手とか面白そうなものを李斎は選ばないでしょうな。李斎は優しいから、隻腕を見た相手を驚かせたくないという気持ちが一番でしょうからね」

「私は気の毒がられたり褒められたりが煩わしいだけで、さほど心優しい人間ではないが……。ただ、私は義手に面白みは求めていないから……」

「おや、つまらない。やっぱりあの朴念仁と気が合うだけのことはありますなあ」

「いや、正頼が楽しみ過ぎだと思う」

 

 李斎はふと思ったことを尋ねてみた。

「義手についてはとにかく無難に普通に腕に見えればそれでいいんだ。……少し思いついたんだが、もし仮に、昔と同じく私に何かを贈ってくれるなら、正頼は今では何を見立ててくれるのだろう?」

「今、ですか?」

 正頼は一瞬の間を空けたが、すぐに楽しそうに微笑んだ。

「やっぱり簪とか飾りの類でしょうねえ。あ、それからご衣裳を。宝庫には古の代の王后の着るものなど揃っておりますからね。そうですねえ、李斎の髪色に合いそうなのは……」

「いや。それはいい。要らぬ質問をした。忘れてくれ……というか、正頼は今では私の為人を理解してくれたのではなかったのか?」

「ええ、李斎は王后のような格好を自分からはしない人ですな。だけど、周りはさせたくてうずうずしてるんですよ……あれ、李斎どうしました? そんな苦虫をかみつぶした顔などして」

「……今、英章の気持ちが少し分かった気がした」

「あらまあ。それじゃあ、これから李斎に会う時には緋色の義眼をすることに致しましょう」

「……やめてくれ」

 

 正頼はくすくす笑うと今度は李斎に尋ねた。

「逆に私の方から伺いますがね。今の主上と李斎との間柄で、もし贈り物をするなら主上は何をお選びでしょうかね?」

「さあ……どうだろう……。もう私は武具を揃える必要はあまりないし……」

「ほほほ。もう実用品を贈ってお茶を濁す手は使えませんね。さあて、何をお贈りになるか李斎から聞いておいてくださいよ」

「……」

「その答えと引き換えに、義手の選び方を指南いたしましょう」

「私は義手に面白みは求めていない……」

「軽量化に適した材質や扱いやすい形状などですよ。知っておいて冬官に注文を出した方が良いものが出来上がります」

「正頼……」

 李斎はこめかみに手を当てた。

「私は、そもそもそういう実用的な答えを求めてこの部屋に来たのだが?」

 正頼はその日一番の笑顔を見せた。

「実用的なものなんて、つまらないでしょう?」

 

 夜になって、李斎は驍宗に尋ねてみる。夕食後のひととき、小卓で茶を飲みながらのことだった。

「このような経緯で……。正頼から、今なら主上は何を李斎に贈って下さるのだろうかと質問を受けているのです」

 正頼と李斎の遣り取りを訊いた驍宗は苦笑した。

「正頼に随分とからかわれたものだ」

「……英章の気持ちが分かるようになってしまいました……」

 驍宗は吹き出した。

「そうか、李斎まで英章に似るか……。では、正頼を黙らせるような回答をしなくてはならないな。李斎は何が欲しいと思う?」

「それは……。李斎は主上と台輔が御無事で戴が平穏であればそれで十分でございます」

 驍宗は悲しげな顔をした。

「そのささやかな願いもかなえてやれない時期があった。済まぬことだ」

 李斎は慌てて首を振った。そのようなことを言いたいのではなかった。

「いえ……。李斎にこれと言って趣味もないのでお困りでしょう……」

「堅苦しいばかりの私とは気が合うところだ」

「正頼も似たようなことを言っていました」

 

 驍宗は茶器を置いて静かに立ち上がった。怪訝そうな顔で李斎はそれを見上げる。驍宗の動きを目で追いたかったが、彼が背後に回ろうとするため首を巡らせなくてはならない。驍宗は李斎の視線を受け止めながら彼女の椅子の背に立った。李斎が一度首を前に向けると、後ろから彼がそっと彼女の肩を覆った。

「武具を贈っておきながら、李斎から飛燕を失わせてしまった。飛燕の代わりになれればよいが……」

 李斎は視線を下げて息を吐いた。この王は時折、騎獣のふりをしてくれる。飛燕に抱かれて眠った夜を李斎は思い出した。彼女は、左の手の指を、自分に軽く巻き付けられた彼の腕に添えた。怪我の後遺症で少し歪んだ彼の腕の骨格を撫でる。

「温かく、力強い翼です」

 それから、背後から垂らされた彼の銀髪もそっと指の腹で押さえた。

「同じ毛並みです」

 李斎はそのまま顎を上げて、彼の顔を仰ぎ見た。

「私の新しい飛燕は緋色の瞳をしています……。紅玉のように美しく、けれども作り物ではとうてい在り得ない、感情の籠った瞳を……」

 彼は小さく「ほう」と呟いた。

「どのような感情が見える?」

 李斎は何かを言った。その声が小さいので、驍宗は再び尋ねる。李斎は声を大きくする代わりに、首を伸ばして彼に耳打ちした。

 それを聞いた彼が彼女の耳朶に軽く噛みつく。かつて飛燕が李斎にじゃれついたのと同じように。

 

 翌日のこと。驍宗が執務中、正頼に書類を手渡しながら言った。

「正頼、あまり李斎をからかってくれるな」

 正頼が手を止め、ぽかんと驍宗を見た。

「正頼にしては珍しいな。そう真面目に驚いてくれるとは」

「いえ……。私は、李斎への質問の返答待ちなのですが。主上からお答えになるのですか?」

「そうだ。正頼、李斎の瑞州師就任の祝いの件、少し話を変えているだろう?」

「朴念仁なのはその通りでしょう?」

「蒿里に私と正頼からの三人分の祝いを託した。当時の李斎は稚かった蒿里を愛おしんでいたから。いや、可愛らしい蒿里しか目に入っていなかったというべきか」

「さようでございましたなあ」

「だから正頼と私とで話し合ったろう? 『品物が何であるかより、蒿里の傍にいる私と正頼からというのが肝要だ』と。どうせ蒿里の花束以上に印象には残るまいと我々二人とも分かっていたはずだ」

「まあ……そうでございましたね」

「その上で、ならば私からは実用品を贈ろうということにした。蒿里と共に白圭宮に温かく迎え入れたいという気持ちさえ伝わればよかった。別に李斎の気を引く意図もないから、色気や面白みがある必要もない」

 驍宗は正頼を正面から見つめた。

「当時の私は最適な物を選んだのだ」

「……」

 正頼は黙る。驍宗は知っていた。正頼は英章などからかいやすい相手と丁々発止とやりあうのは得意だが、案外正攻法で畳みかけられると弱いのだ、と。

 

 正頼は小さく手をあげて、降参といった仕草をして見せた。

「昔の話はおっしゃる通りでございますとも。でも今はいかがです? いくらなんでも『想い人』なんですからね。ちゃんと女性を喜ばせるものを贈るべきでございますよ?」

「李斎が望み、私が贈ってやりたいのは……」

「ほうほう、何でございます?」

「飛燕だ」

「……」

 正頼は思い出した。以前、阿選を倒す前後に、疲れて居眠りをしていた李斎が寝ぼけて驍宗を飛燕と間違えて抱き付いたことがあった。

「主上は昔も飛燕の真似をされてらっしゃいましたが……。それで上達はされたのですか?」

「昨夜は褒められた。翼も毛並みも合格を貰った。『私の新しい飛燕の瞳は緋色をしている』とまで言ってくれた」

 いったいどのような状況で? と正頼は聞きたくはあったが、尋ねてしまうと困惑しそうなほど真面目な答えが返ってきそうで怖い。あまり生々しい話は、実は正頼だって苦手だった。

 

 正頼は笑みを作りながら、からかえそうな箇所を指摘する。

「ですが、昔は武具で今も乗騎。武人に実用的なものを贈ろうとするのは代わり映えしないのではございませんかね……。贈り手が無骨という点では」

「正頼は軍吏を勤めて長かったのに、武将と乗騎の絆の深さが分からぬか? 武具は市場で買えるが騎獣はそうはいかない。購う者もいるが私の好みではない。他人事なら好みの問題だが、私の傍で王朝を支える人間については、騎獣を購う武人を私は評価しない。私と計都や羅睺、そして李斎と飛燕も特別な結びつきがある。武将にとって騎獣とは他のものとたやすく取りかえることはできない」

「さようでございましたね……」

 そうだった。正頼も軍吏時代に嫌と言うほど知っている。武将に乗騎を語らせたら熱くて長い話を延々聞かされるということを……。

 

 驍宗もまた、武将にとって騎獣がいかに重要か一通り熱弁を振るった。しかし、正頼はその後の一言に驍宗の本音を理解する。

「……それほどに武人にとって自分の乗騎はかけがえがないものだ。それを李斎は昨夜『私の新しい飛燕』と言ってくれたのだ」

 なるほど。

 正頼はさきほどから頭に居座っていた疑問が氷解するのを感じた。何故李斎に尋ねた問いの答えを、驍宗が自分に語って聞かせようとするのか。

 ──要するに、のろけてらっしゃるわけですね、驍宗様

 二人が互いに恋仲になったのは、今からしばらく前のこと。今日、驍宗がのろけているのは、新しい乗騎と認めてもらったという点だ。想い人でありつつ、驍宗は、李斎の前の乗騎の飛燕を意識していたのだろう。

 ──可愛らしいじゃないですか

 

 それでは……こう申し上げてみましょうかね。正頼は知っていた。驍宗は搦め手に弱いのだ、と。

 驍宗はあまりに峻厳ゆえに、彼に接する者は虚勢を張るか立ち去るかとなりがちだ。そうでなく彼の元に留まりたいなら、彼に相応しい力を持とうとする。周囲がそうだから、弱々しい相手の扱いに、驍宗は意外と慣れていない。

 それが幼い泰麒を怯えさせたのだと思う。だから、正頼が泰麒の傅相を勤めたいと申し出た。驍宗が泰麒を重んじ愛おしんでいるのは分かるが、これではずっと怖がられたままだ。十の子どもに懐かれぬまま飄風の王で終わってしまうかもしれない。そこで、自分が間を和ませる「じいや」になろうと思ったのだ。

 

 正頼は目元に袖をやって弱々しく嘆いて見せる。

「台輔はすっかり立派な大人になって『じいや』はお役御免。冢宰としてお仕えする王もまた立派なお后を貰って幸福円満。次に私がお役に立つ場面なぞございますまい。ああ、役立たずの私などいっそ仙籍を返上して隠居生活でも送るしかないのやも……」

「正頼、涙が出ない方の目元を抑えているのは、わざとなんだろうな?」

「……ちょっと遊んでみただけでございますよ」

「それから李斎は后ではない。ただ、今後事情が変わることもあるかもしれない。そのような場合はもちろん冢宰ととことん話し合う」

「望むところでございます」

「それ以前の目先の問題として。正頼には李斎に助言する役目があるだろう?」

「義眼で遊ぶのは面白いのに、李斎は義手に面白みを求めていないと言いますのでね……」

 

 驍宗は一息ついた。

「李斎への質問は私が答えた。だから、李斎に実用的な情報を教えてやるように」

 それから、と驍宗は続けた。

「私は李斎にあえて義眼としか言わなかった」

「そのようでございますね」

「次は義指について話をして欲しい」

「……」

 武人の利き腕に相当するのが、文官の指だ。筆を握って文字を書くに欠かせない。代読代書をある程度させても、冢宰自身が署名することそのものに意味がある場面は避けられない。

 

 義眼と違って、義指づくりは難航した。いや、未だにこれという義指に出会っていない。

 単純に欠けているものを補うのはたやすい。けれども、不自然に曲がって残った正頼の指を上手く補正することが困難なのだ。だから今でも毎回毎回、異なる材質異なる形状のものを試している。正頼は涼しい顔で執務をこなしているように見せかけているが、実は書類仕事は周りに助けられているから何とかやりくりができているのに過ぎない。

 正頼は思う。心優しい李斎が聞けば驚くだろう。気の毒がり、忍耐強いと正頼を褒めてくれもするだろう。だが……。

 李斎は愚かしさもあるが賢明さもある。自分の隻腕が過剰に気の毒がられたり褒められたりするのを煩わしいと認識しているだけに、自分が正頼に安直にそのような態度をとってしまったとき、それはそれで自己嫌悪に陥るだろう。正頼は生真面目な彼女にもう少し柔軟性を持ってほしかった。だから、まずは義眼でからかう機会があったのを良かったと思う。

 

 驍宗が言った。

「私が謹厳実直に過ぎる故、正頼が敢えて周りを面白がらせようとしてくれるのは感謝している。英章のような癖の強い相手も上手く乗りこなしていると感心する」

 蒿里についても、と笑う。

「幼少時の『じいや』教育の効果は特筆すべきだな。帰還後の蒿里はあれほどに強かに育った。蒿里より時間はかかったが、私だって随分柔らかくなっただろう?」

「ええ、想い人と仲睦ましくなさるほど」

「その李斎だって、義眼でからかった成果はあった。彼女は『英章の気持ちが分かる』と言っていたぞ」

「ほほ、それはそれは」

 正頼は満足げに頷いた。

 

「大丈夫だ、正頼」

 驍宗の紅玉の瞳に温かな光がともる。

「は?」

「ずっと通してきた性格を変えろとは言わない。だが、不便や苦痛を真面目に愚痴として零しても大丈夫だ。正頼は、相手を重苦しい気持ちから救うことばかり考えるが、相手は時には真剣な心配を受け取って欲しいと思うこともある」

 驍宗は書類を受け取りかけた正頼の手を上から握った。

「お前がいつ、その指が思い通りにならない不自由さを周囲に打ち明けるのか案じていた」

 

 正頼はやはり正攻法に弱かった。

「驍宗様……」

「ん?」

「お手を放してくださいまし」

「……」

「そちらの手を放して下さらないと、私は涙の出る方の目元を拭うことができないじゃないですか」

 驍宗はそっと手を放した。そして自席から静かに立ち上がり、正頼の傍に回り込む。そして、袖で顔を覆う自分より小柄な文官の肩を抱いてやった。文官は俯き顔を隠したままで言う。

「あらまあ、私にまで飛燕役を務めて下さらなくてもいいんでございますよ」

「私は李斎の飛燕でいたいが、戴の者全てにとって鵬でありたいのだ。誰でも皆その翼で守れるような。それなのに正頼には苦労をさせた。だから今は労わらせて欲しい」

「……これだから真面目な方は困る……結局、剽軽を気取っても勝てやしない」

 正頼は指を握りしめる。どの指も動きが揃わない。いつも苛立たしさを覚えるそのもどかしさが、この時だけは正頼は妙に嬉しかった。

 

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