↓なお、「十二国記の戴国メンバーの物語を、日本の平安時代でやってみたらどうなるだろう?」と思ってオリジナル小説を書きました。カクヨムで連載中です。是非お読みいただければ幸いです!!!
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393
少女は夜の街に逃げ込んだ。いや、舞い戻ったといった方が正確だ。
彼女は承州の女兵士だった。後に劉将軍と呼ばれる彼女にも新兵の時代はあったのだ。そして、顔立ちの良い女性の兵卒には、戦場以外にも敵がいた。
鴻基の王師が何かの用事で承州を訪れていた。親睦を深めるのだという宴席が、州城のふもとの舎館で催された。州城内で行われないことを彼女は少し奇妙に感じたが、それ以上のことを察するのは難しかった。彼女はまだ少学を出たばかりの小娘だったのだから。
州師と王師の何人かが集まったその宴席。そこで彼女は襲い掛かられようとした。屈強な男が彼女にのしかかろうとしてきたのだ。
荒く生臭い息を吐く醜悪な豺虎。彼女は無我夢中で、全力で抵抗した。ふと男の腰の刀剣に目が行ったのは、普段から武人としての鍛錬に真面目に取り組んでいた賜物だったのかもしれない。彼女はその刀剣を奪って男を突いた。どこに刺さったのか知らないが、男は「うわっ」と叫ぶと彼女から飛びのいた。
しかし、その男にはかすり傷程度だったらしい。そして、豺虎はその男だけではなかった。その場の男どもが寄ってたかって彼女を押し倒そうと向かって来る。州師と王師の間で何かの密約があったようだった。
彼女は宴席中の男を相手に、ある者には体当たりし、ある者には切りつけ、ある者を階段から蹴り落として血路を開いた。
そして、舎館から転げ出ると同時に、夜の街を疾走し始める。後ろから少なくない数の男の群れが追いかけてきていた。
目についた小路に入って駆け抜け、人気のない裏口に潜み、そして行き来が絶えた頃を見計らって大路を横切る。けれども、この夜の街を走り回る逃走劇はいつになったら終わるというのだろうのか。
無茶苦茶に走り回って、もう自分は州城に戻る方角すら分からない。彼女は気が遠くなった。どこに逃げても敵に取り囲まれて終わるのではないかという絶望感が頭をよぎる。彼女の脚はとうとう動きをとめてしまった。
「こちらだ」
彼女は大きな屋敷の裏口に引き込まれた。
「……!」
彼女は自分を抱きかかえる男の腕を振りほどこうとした。しかし、その腕にはかなわない。単に膂力の差というより、相手を捉え馴れている仕草に抗うことができないのだ。
──これは手練れだ。
彼女を追いまわしている男達より、もっと訓練された兵士らしい。彼女は目を瞑って観念した。
彼女を抱きかかえる男とは別の男が、彼女の顔を覗き込んだ。
「おや? 随分と若いじゃないか。まだ少女のようだね」
その斜め後ろから声がした。
「酷いですねえ。世慣れていない娘だと踏んで、騙すように誘い出したんでしょう。奇計に訴えるなんて卑怯と言うもんですよ」
誰かが「お前が言うか」と言葉を発した。
大柄な男が膝をついて彼女の顔を覗き込んだ。
「嬢ちゃん、怖がることはない。助けてやろう」
その後ろの背の高い男が紳士的な口調で加わった。
「同じ戴の軍人だと思って仲間を信じていたのだろうに。だが、あんな輩が王師の全てだとは思って欲しくない」
彼らの言葉に彼女も緊張を少し解いた。彼女を抱きとめていた腕もほどかれ、彼女はその相手を見上げた。その男は、周囲にいる他の者たちの中で格別体格が抜きんでているわけではない。そして、風帽を目深に被っているから人相も分からない。だが、この男がこの五人の頭目だと彼女は何とはなしに理解した。
「あの……。ありがとうございます。ええと、王師の方ですか?」
風帽の男が答えた。
「それについては『是』だ。だが、お前を襲ったような下劣な者たちとは違うと思って欲しい。近年は王師の風紀が乱れている故、あのような行いをする者もいる。代わって我々が詫びよう」
傍の男たちも同調した。
──助かった。
彼女は息を吐いた。そのわななくような吐息とともに、体中に震えが走った。
ガタガタガタガタ……。
瘧のような震えがとまらない。再び風帽の男が彼女を抱きしめた。男性の腕だが、性的な気配など全くない。病者の手当に慣れているかのようで、彼女はほっとした。
それでも震えは止まらない。ただ、もう、彼女はこの男たちなら、自分が震えている理由──その恐怖と屈辱──をいちいち説明しなくても分かってくれそうに思えた。口に出すのもおぞましいことを言わずに済むことに、彼女は救われた心持ちがする。彼女は目をつぶってしばし己の心身を、その清廉そうな男に預けて休めた。
風帽の男は、彼女が落ち着くまで背中を叩いてくれ、そして頃合いを見計らって、彼女に声を掛けた。
「州城まで送ろう。王師の不届き者については私がどうにかする。また、州師の処分も私から承州侯に進言しておこう」
自分が処分を願えば叶うのだという口調だった。確かにこの風帽の男はただものではないようだ。地位も相当に高い人物なのかもしれない。けれども……。
「いえ」
彼女はそっと風帽の男の腕を離れた。
「私は、自分の手で、この場で彼らに何かしてやりたいです」
細面の男が軽く口笛を吹いた。
「ほう、涙一つ見せずに、勇ましいことを言うもんだね」
彼女は彼を睨んだ。その傍のニコニコと明朗そうな男がたしなめた。
「そりゃ、彼女だって軍人なんですからね」
巌のような立派な体格の男と、紳士的な風貌の男も同調した。
「勇気があるのは結構結構」
「逃げるばかりではなく、立ち向かう意地があるのはいいことだ」
しかし、風帽の男の声の口調は異なっていた。静かな迫力があったのだ。
「では訊く。何を目的として何をしたいのだ?」
彼女は息をのんだ。これほどまでに深い響きで何かを問いかけられた経験は、まだ年若い彼女には無かった。彼は続ける。
「ただの意趣返しか?」
「いいえ」
彼女は即答した。そうじゃない。そして、そうじゃないことをこの男に分かって欲しい。きっと位の高いのであろう、この人物には。
「ここで何かしなければ……。もし今後もまた若い女兵士が襲われることがあれば、それは私のせいだと思うのです」
「お前のせい?」
「そう、私のせいです。それは耐えられません」
男は静かに続きを待った。
「女が襲われ、誰か別の男に庇護された。貴方はきっとお偉い方なんでしょう。たまたま偉い人間の目に留まったから処分される……。このような経緯で私の一件が解決したとしても、軍の風紀の乱れが根本的に正されるとは思えません」
「ほう?」
「これからだって、女を襲うような卑怯な輩は手の込んだやり口を使うでしょう。例えば……女が助けを求められない状況を作る、ばれないようにする、ばれてももみ消せるような権力者に取り入る……いくらでも」
ですから。彼女は風帽の男を強く見つめた。
「この一件は、今、襲われた女の私が彼らに歯向かって見せねばなりません」
彼女は風帽の男とその周囲に頭を下げた。
「お助け下さってありがとうございました。休憩も取れました。私は幸い剣も手元にあります。今から戻って戦います」
彼女は一礼を済ませると、身をひるがえして駆けだそうとした。──彼女の戦場に向かって。
彼女の襟首をつかんだのは細面の男だった。
「おやおや、このお嬢さんは短気だね」
巌のような男が笑った。
「お前より短気な人間なぞ久しぶりに見るぞ」
細面の男はくすくす笑った。そしてなぜか彼女に説明を始める。
「そう、私は短気なんだ。争いが面倒になると四方から焼き払ってしまいたくなる程せっかちな性質でね」
朗らかな男も自分を紹介した。
「私は計略で相手を陥れるのが好きなんです。ああ、そんな妙な目をしないで。奇計奇策が戦場で役立つこともあるんですよ」
紳士的な男は言った。
「私は真っ当な戦をするな。堅実にものごとを進めるから使いやすい人材だと思うぞ」
巌のような男は巨躯をゆすった。
「わしは見てのとおりだ。接近戦にでも使ってもらおうか」
くすり、と笑い声がした。風帽の男が顎に拳を当てていた。口許がほころんでいる。この状況を楽しんでいるらしい。
「皆、お前を気に入ったようだ。さあ、どう使う?」
「どうって……。使うって……」
風帽の男は当然であるかのように言った。
「お前は軍に入ったからには将を目指すのだろう? まずは私を含め五人の麾下を使いこなして見せるといい。敵を倒すために」
その言葉は彼女にとって色んな意味で驚きだった。
「私が……将になるのですか……?」
「そうだ。将来の予行演習だ」
「そんなこと考えたことありません」
「予行演習を?」
「いえ、私が将を目指すなど……」
「なぜ?」
男は本当に不思議そうに尋ねてきた。
「ええっと。皆、女に将は無理だと言います。膂力に劣り、人の上に立つ度量も男に及ばない……。兵士で長続きすればいい方だ、と……」
初めて男が険しい口調となった。
「では、お前はなぜ軍人になった?」
険しい口調だからこそ、彼女の何かが燃え上がった。
「それは、私が正しいものの味方になりたかったからです。犯罪者の取り締まりでも、土木工事でも。皆を守って正しい治世に貢献したい。だから軍人になったのです」
男は風帽の中から太い声で言った。
「いい面構えだ。その意気を忘れるな」
細面の男が淡々と言う。
「膂力ねえ。膂力といえば、この巌のような大男が我々の中では一番だ。このお方だって私だってこいつには敵わないけどね」
その話題となった巨漢が真面目に言った。
「だが、わしは、このお方を主公と仰いでいる」
彼女は風帽の男に言った。
「人に将と仰がれる度量があるんですね……」
風帽の男は少し間を空けた。布越しに射すくめられるような視線を感じた。
「お前にもある、と私が保証しよう。お前は『他の女兵士のために今戦わねば』と言った。軍人を志したのも『正しい治世のためだ』と言った。その思いが強ければ将の資格はある。あとは経験の積み重ねが、お前を作る。さあ、お前の初陣だ。我らをどう使う?」
ほんの数舜まで、彼女が思い描きもしなかったことだった。
自分が麾下を持つ? 女のくせに兵士で身を立てようとするなどおこがましいと言われてきた私が? 剣の腕を磨こうにも、男の兵士はろくに真面目に打ち合ってもくれない。だから、自分で自分の武人としての力量もよく把握できていないこの私が……?
だが、彼女は頷いた。他の女兵士のために。軍が大きな役割を果たすこの世界で、その風紀の乱れを正すために。自分は今、自分を襲った卑劣な敵を討たねばならない。そして、この風帽の男の言葉には、それが可能だと彼女が思えるような不思議な力強さがあった。
彼女はしばし考えて口に出した。
まずはにこにこと笑みを絶やさぬ男に言う。
「ええと。奇計奇策が得意だという貴方には、私の皮甲を軽く羽織って大通りを駆けてもらえますか。不自然にならない程度に目につくように」
「よしきた。お嬢ちゃんの代わりに囮になるんだな」
「ええ、あちこちに散っている敵を集めて下さい」
「ほほう、考えるねえ」
「それから、堅実だとおっしゃった貴方。まずは、貴方に敵を取り押さえて欲しいと思います」
「私か? もちろん構わないが」
「まずは、あの卑劣漢たちに、きちんとこちらの大義を説明してやってください」
「なるほど」
細面の男が苛立たし気に口にした。
「おや、私のことは仲間はずれかい?」
「いえいえ。貴方は行動が早そうなので、逃走経路を上手く塞いでおいてくれませんか」
「へえ?」
「相手の先を読んで手を打ってください……。何をどうするのかはお任せします」
彼は機嫌良さそうに頷いた。
「面白そうだね。さて、どうしてやろうか」
「ああ、でも、罪もない街の人の家を焼かないでくださいね」
男はフンと鼻を鳴らした。
彼女は大男に向けて言った。
「それから体格のいい貴方は……。私の前方、敵たちが私に躍りかかってきた時に防げる位置にいて下さい」
大男は首を傾げた。
「躍りかかられることが前提か? 姿を隠しておかなくていいのか?」
彼女は、「当たり前です」と返した。
「だって、この私が相手を討つという事実が必要なんです。襲い掛かられた女性兵士の私が率いて勝つという場面を見せつけてやらなくては」
くつくつと隣で風帽の男が笑った。
「そのとおりだ」
彼は腕を軽く組んで問うてきた。
「最初に囮を使う以外は、正統派の用兵だな。初めてにしては上手い組み立て方だ。それで、私は? 何をすればいい?」
「貴方には……私の隣にいていただきます」
「ほう?」
「貴方のおっしゃるとおり、私は人を使って戦闘に臨むのは初めてです。分からないことだっていっぱいです。予想していない事態に戸惑うこともあるでしょう。そんなときに助けになって欲しい……。ええと、将の傍には参謀って名前の立場の人っていますよね?」
皆が噴出した。
「参謀まで揃えるとはね」「それをこのお方に頼むとは」「剛毅なお嬢ちゃんだ」「度肝を抜きますね」などなどの言葉が飛び交う。
風帽の男が、自分の首までの背丈の彼女の頭に手を置いた。
「己に何が足りないか。それをわきまえることが将に必要な資質だ」
「そうなんですか」
「畢竟、将とは自分に無いものを持つ人材を集め、自分の手足に代えて使う立場。私は面白みも可愛げもない人間だが、私の代わりに私の周囲には個性的な麾下が居てくれる。だから、私も普段は将を務められているのだ」
彼は彼女に笑んだ。
「私の麾下が今夜はお前の麾下だ。そして、私は参謀となる。さあ……始めようか」
彼は散歩にでも行くような、全く気負いのない口調で促した。
その後、彼が口にしたのは「将は細かなところに気を取られるな。全体を見ろ」ということだった。
その日の夜。承州州都で起こった小さな戦闘は、速やかに終わった。彼女はそう記憶している。
細かな場面など覚えていない。実際ことが始まったら痛感したのだ。個々の場面は“麾下“に任せるしかない。”将“は全体の流れを俯瞰し、次を読むことに意識を向けねばならないのだ、と。
奴らは女だと思って追いかけていた囮の男と、そこに現れた男に反撃されて慌てふためいた。彼女の“麾下”が説明しようとしたはずだが、そんな紳士的な態度に応じる様子は見せない。だが、それも彼女の計算のうちだ。
酒が入っている自分たちの分の悪さを自覚して奴らは逃げ出し始めた。しかし、奴らは散らばっては行動できない。何者かに誘導されたかのように一つの方向に走るよりない。
そして、奴らの行く手に彼女の姿があった。奴らは女を見るや、再び狂暴になって躍りかかってくる。そこへ、その場に居合わせた巨漢が次々に男どもを倒していく。
その巨漢の手を逃れて彼女に近づく輩もいたが、彼女の傍に立つ風帽の男が軽く拳で相手を倒していった。
「すごい……」
男はさほど体格に優れているわけでもない。ただ、しなやかに相手の太刀筋を躱すだけで、いつの間にか相手は地に伏して土を掻いているのだった。それは美しい舞でも見ているかのようだった。
被った風帽のずれ一つ見せず、男は彼女に言った。
「援軍が来たぞ」
「え?」
耳を澄ます彼女に、鎧と具足の音が聞こえて来た。
「あ、あれは」
その一軍を率いていたのは、承州師の将軍だった。彼女も遠目に顔を見たことがある。
「どうして……?」
風帽の男が笑んだ。
「私がいつまでたっても州城に現れないので探しに来たのだろう」
その後のこと……彼女の一夜限りの“麾下”のことは、よく覚えていない。
彼女は駆けつけて来た州師の高官だけでなく、多くの役人と話をしなければならなくなった。
その時から彼女の本当の闘いは始まったといえるかもしれない。
まずは自分のことについて。事実を告げているにもかかわらず、「お前が誘ったんじゃないのか。昇進かなにかを目当てに」と疑われる場面は一度や二度ではなかった。既に軍の中で年数を重ねている相手には友人知人がおり、男同士でかばいだてしようとした。文官は文官で「軍なんて所詮そんな集団でしょう」と軽くあしらおうとする者も多かった。
一方で、粘り強く彼女が戦いを続ける姿は、他の女兵士の扱いも変えた。そして、変えなくてはならない立場に彼女はなった。女兵士の代表として見られる己を律し、同じ女兵士として頼られれば助けてやった。甲斐はあったが背負うものも増えた。
彼女の軍人としての本当に泥臭い闘いは、それからずっと続いた。戦場にあっては身体が傷つき、軍という組織の中にあっては心が傷つく。それでも彼女は進む。伍長、両司馬、卒長……そして、旅帥から師帥と彼女は一つ一つ階段を踏みしめながら昇る。その一歩一歩の裏に、決して他人の前で見せられない涙があった。
戦いは苦しいもの。それが骨身に染みるにつれ、あの、おとぎ話ように美しく終わった一夜の「初陣」のことは記憶から薄れていったのだった。
そして──歳月は流れて、今は明幟。
李斎は同じ臥室で書物を紐解いている驍宗を見た。王としての在位が長くなり、今もそうしているように書物を相手にする立場となったが、彼はもともと武官だった。それも早々に将となった。
あの時、あのおとぎ話のような出来事を思い出してみると、あれは驍宗と巌趙を含む麾下たちだったような気がする。いや、そうであった可能性はかなり高いだろう。
だが、彼女は驍宗の口からそれを聞いたことがない。常人離れした記憶力の持ち主の彼が覚えてれば、何か口にしているはずだ。
忘れてしまっているのか、彼にとっては似たような出来事が多くて印象に残らなかったのか。確かに、歴戦の将が参謀を務めたにしてはあまりにささやかな勝利に過ぎない。
「どうした? 李斎」
自分を見つめる李斎の視線に気づいた驍宗が尋ねた。
彼女は何かを言いかけて、首を振った。委細を忘れたとはいえ、彼女にとっては美しい思い出だった。そのおとぎ話はおとぎ話のまま、そっと取っておきたい気がした。
彼女は怪訝そうな男に微笑んだ。
「主上は、李斎の初恋の相手に似ていらっしゃる……」
驍宗は軽く笑み、また尋ねた。
「それは、私が聞いてもよい話なのか?」
「私がまだ若い小娘だった頃、男に襲われたときに助けてもらった恩ある相手です。ただ、今まで思い出せないほど、恋心としては淡いものでした。いえ……別にその方に恋をしたというわけでもないのかも……」
「私への気遣いは無用だが……」
「いえ、本当に今思い出すまで忘れていた話ですので。ただ、この男性と知り合ったので、その後の私が物堅くなったのかもしれません」
いちいち引き比べたわけではないが、あのような状況であのような男性と出会ったことが、その後も李斎に言い寄ってくる男に特別な感情を持てずにいた理由になったと思える。
そうしてこの話は終わるかと思った。
ところが驍宗はとんでもないことをさらりと言った。
「それは、李斎が私から麾下を借りて初陣に勝利した頃の話か?」
「……⁈」
「小娘という年齢の李斎を助けた、ということはあった。若い女にとって決して愉快な記憶ではないから、忘れているならそれでよいと思って今まで何も言わなかったが。他にも李斎には男に襲われて人に助けられたという出来事があったのか?」
「覚えておいででしたか……」
李斎は息を深々と吐いた。
「いいえ。あのような場面はあの時だけです。身も心も安心して誰かに預けられると思ったことも。そして、あれ以降、私は前に立ちはだかるものと戦うことばかり考えていて、あの初陣自体は忘れておりました。けれども、私はあの件があったからこそ、武将への道を歩み始めたのだと思います。主上に救われ導かれて今がある……」
驍宗は苦笑した。
「褒め過ぎだ」
そして、読みかけの書物を卓に伏せ、寝台に腰かける李斎の隣に座った。
「あの勇ましかった少女が、救国の女将軍となったか。大きくなったな」
彼は、子どもにするように頭に手を置こうとした。しかし、その上げかけた手を途中で止めた。少女は大人になり、力をつけて彼と彼の国を助け、そして想い人として傍にいる。もう決して小娘などではない。
彼は、一度止めた手を彼女の頬に寄せた。そして、敬意と愛情を込めて、その掌で彼女の頬を包む。
彼女は少しの間彼を見つめてから目を閉じた。その瞼から涙が一筋零れ落ちた。自分が小娘だった頃から今に至るまで、ずっと人前で押し殺してきた涙なのだと彼女は思った。
<了>
─────
追記
李斎が州師で涙をこらえて頑張っている姿に、故郷の女性達が励まされているというお話が下記にあります。本作と裏表のお話ではないかと思います。お読みいただければ嬉しいです。
「李斎、故郷で慕われる」
くどくて申し訳ございませんw
2022年現在、十二国記の戴国メンバーをモデルにした、平安ファンタジー小説を投稿中です。
驍宗様はあまりに完璧すぎてキャラとして動かしづらかったので、英章と合体して別キャラになっております。
しかし、李斎や臥信、霜元的なキャラはわりとそのまま登場してます。
後半は、双璧の阿選をモデルとしたキャラのクソデカ感情が炸裂するんですよw
是非お読みいただければ幸いです。
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393