↓なお、「十二国記の戴国メンバーの物語を、日本の平安時代でやってみたらどうなるだろ
う?」と思ってオリジナル小説を書きました。カクヨムで連載中です。是非お読みいただければ幸いです!!!
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393
李斎が仕事を終えて自邸に戻ると、客人があると伝えられた。
邸の者から、それが項梁だと聞き、李斎は訝しく思った。
台輔と共に戴へ帰還して以来の仲ではあるが、項梁の元々の上司は英章だ。あるいは、もし重大な頼み事なら台輔を通す方がいい。
だいたい、今の項梁は園糸と所帯を持ち、仕事と家庭の両方で忙しくしているのではなかったか。何の用事で、仕事帰りに自分を訪ねてくるのだろう。
客間で顔を合わせた項梁も、李斎に不審がられるのは承知の上だったようで、簡単な挨拶の後、単刀直入に用件に入った。
それは、園糸のことだという。
項梁はこう口にした。
「主上がウチの園糸をたびたびお召しになるものですから、他の女官などに妬まれているようなのです」
「少し待て、項梁。『お召し』などと言っては、あらぬ誤解を受ける。主上は単に、下界で苦労しながら子を育ててきた園糸の体験談を聞いているのだろう?」
驍宗自身が、あらかじめ朝の者たちに説明していたはずだ。
王として民の実情を知りたい、と。
そして、項梁の妻として園糸が白圭宮の近くに暮らすなら、ちょうど話を聞きやすいから時折招いて会う機会を設ける、と最初に話していたのだ。
それでも……と項梁自身も困惑した表情を浮かべている。
「やはり、実際に主上のような年頃の端正な男性が、特定の女と会う機会が多いとなると……何かと良からぬ風評を招くようでして……」
李斎はため息をついた。あり得る話だ。
武人の世界では女性は少数で、ただ女性であるだけで、その行動に見当違いな風聞が立つことがある。文官なら女性のきめ細やかさが活かされるとされ、女性は多い。しかし、花影によれば、それでも女性の目立った活躍は何かと耳目を集めやすいと聞く。
女官は女官で、女性の気配りの高さが求められる職であるだけに、他人の動向に敏感だ。誰と誰とがどうした、と神経をそばだたせているのは、他人を気遣う立場につきものの職業病とさえ言えるかもしれない。
しかも、ここは宮廷だ。現在朝を率いる驍宗は無骨な性質だが、驕王時代の名残がないわけではない。小狡く立ち回って身を処す連中は張運や案作といった輩に限らない。噂の中での評価を基準に、人を妬んだり誹ったり、相手にあてこすったりおもねったりと、宮廷に生きる人間は無駄に忙しく生きている。
対して、ついこの間まで鄙びた農村でつましく暮らしていた園糸の為人は素朴なものだ。李斎などはその飾り気無さを好ましく思う。けれども、宮廷に居た時間の長さを競うような女官からは侮られがちなものではあった。田舎女のくせに主上と慣れ慣れしい……などと悪評が立つのも、李斎には想像がついた。
李斎は項梁に請け合った。
「分かった。私から主上に項梁と園糸が困っていると申し上げよう」
項梁は安堵した表情をみせ、深々とため息をついた。
「良かった……。英章様には『亭主の焼きもち』と一笑に付されてしまいましたし、台輔は小首を傾げていらっしゃるばかりで……」
「それは……確かにこの二人ではそうかもしれないな。人目に付く女の立場の微妙さについては、台輔や英章ではなく、私が間に入って主上にお伝えするのがいいだろう」
「お願い申し上げます」
驍宗は李斎の話をすぐに理解はしたが、やや意外そうにしていた。そのような風評を招くかもしれないことは承知しており、だからこそ前もって説明しておいたはずだった。
彼は言った。
「何らかの噂が立つにしても、もう少し先の話だと思っていた。予想よりも早かったな。李斎から今のうちに話を聞いておいて良かった。園糸と会うのはよそう。項梁と心穏やかに過ごして欲しい」
「主上は、ご自身に人を妬む感情が乏しいので、他人の嫉妬という気持ちに気づきににくくていらっしゃったのでしょう。主上に他意はないと存じますが……」
「もちろんだ。ただ、他人たちは私ではない。他人の気持ちは聞かねば分からない。園糸が項梁に訴え、それを項梁が李斎に伝え、李斎が私に教えてくれて良かった」
驍宗のこの言葉で園糸の件は解決のめどが立ち、用が済んだ李斎は王の前から退出しようした。そこへ、驍宗から少し待つように声が掛かった。
「何か……」と李斎が問うと、驍宗は顎に指をあてて何かを考えていた。
「私は他人でないから、他人の気持ちは聞かねば分からない、ということだ」
怪訝そうな顔の李斎に、彼は苦笑いしながら言葉を加えた。
「他人は私ではないから、私の考えは私が話さねば分からない、ということでもあるな」
李斎も苦笑して答えた。
「李斎が察しの悪い臣下でお手間を掛けます」
「いや、いずれ李斎にこの話をしたいと思っていた」
驍宗の話は少しまとまったものになりそうだった。
「延王、景王ともに、自身への反乱軍に加わったことがあるそうだ」
「は?」
「延王は、お忍びで地方の州城近くで遊んでいたら、当の延王に向けての反乱軍に声をかけられ、そのまま入隊してしまわれたのだそうだ」
あのお方ならありそうな話だと、李斎は頷いた。どんな話を聞いても驚きはしない。
「景王も、こちらの世界を学ぶため里家で一少女として過ごしているうち、いつのまにか反乱軍の中で重要な戦力となっていらっしゃったらしい」
その話は、李斎も金波宮にいる間に虎嘯から聞いたことがあった。
驍宗は笑って見せた。
「名君になるには、どうやら民の側に立って宮城に反乱を起こし、そこで活躍して見せねばならないようだ。それに引き換え、私ときたら。李斎たちに見つけてもらって、それでも攫われ、また奪還してもらって延王に助けていただいている。どうも見せ場が少ないな」
「笑えない軽口など聞きたくありません、主上」
「笑ってもらえないか」
「主上は、李斎たちがどうしても見つけることのできなかった縦穴から自力で出てこられたではないですか」
驍宗は、真面目に言い募る李斎に少し面白そうな顔はしたが、話を変えた。
「笑ってもらえない軽口はおいておこう。私は『民の側に立つ』ということをしたかったのだ」
民の実情を知りたい、と驍宗はいつも口にしていることをここでも言った。
「主上はいつも民に心を寄せていらっしゃいます」
「それだけでは抽象的に過ぎる。私は一人ひとりの民をつぶさに知りたい。延王や景王のように、民と同じ釜の飯を食うという間柄に立ってみたかった」
しかし、と李斎は言葉を返した。
「お二人は胎果のお生まれです。こちらの世界をよくご存知でないからわざわざ下界に行かれたのでしょう。なれど、主上はこちらの生まれで、叩き上げでいらっしゃる」
「同じく李斎もそうだな。けれども、李斎も、神農や道観のありようには詳しくなかった」
李斎は不意を突かれた。
「……確かに、彼らに説明してもらって初めて知ったことも多くございました」
「私もそうだ。年若く郷里にいた頃に、そのような人や仕組みがあるとぼんやり見聞きはしていた。だが、その後に軍に入って鴻基で暮らすようになると、自分に縁のない者には疎くなる。こちらの世界に生まれていても、努力しなければ他人のことは分からない」
「……そうですね」
「人は自分という一つの人生しか生きられない。他者の人生を知りたいなら、務めて話を聞く作業が必要だ。私も、もし叶うなら延王や景王のように下界で民と過ごす機会を持ちたいが……」
李斎も、驍宗の考えは理解できた。
しかし……。
驍宗も李斎も、王の部屋にあふれかえっている書類の山を見渡した。
「まずは、私は朝を整えるのにこれらの仕事を片付けねば」
「それに──。おそれながら、主上はまだ体が本調子とは……」
「それはじきに治るとしても。私の容貌では人目に付きやすい。髪を染めるなり布を被るなり変装のようなこともしなければなるまい……」
おそれながら、と李斎は再び口をはさんで言葉に詰まった。
驍宗が民に紛れて親しく付き合うには、容姿以外にも何かが障壁となっている気がする。ただ、この何かを上手く言い表せない。
驍宗自身が構える風もなく、それを言いあててみせた。
「為人、だな」
「え?」
「私は『莫迦』と言われたことはない」
李斎は即答した。
「それはそうでございましょうとも」
驍宗を莫迦よばわりする者がいるわけがない。これまで最大限の敵意を向けた阿選でさえ、『莫迦』という言葉は絶対に使わなかったはずだ。なぜなら驍宗は決して『莫迦』ではないからだ。
「私には、李斎が朽桟に『莫迦』と呼ばれたような、そのような経験はない」
ああ、と李斎は思いだした。朽桟……あのどこか憎めない男に、自分は莫迦と評されたのだった。
「それは、李斎が莫迦だからでしょう。何かとうっかりしたところが私にはございます」
「李斎」
驍宗は眉を上げて見せた。
「李斎に向けられた『莫迦』という言葉が、文字通りに『暗愚』という意味ではないことは、李斎にだって分かっているだろう?」
「……そう……そうですね……」
むしろ、あの男なりの感謝の念があの言葉になったのだと思っている。
「このような『莫迦』という言葉は褒め言葉だ。そして、私は、そのような賛辞を受けるには何かが過剰で何かが足りない」
「……それが為人、と」
「私もその朽桟という男と酒でも飲み交わしてみたかった」
驍宗は軽く、くつくつと笑った。
「面白そうな男だと思う。道を失わせた責は為政者にあるが、その中で土匪という生き方を彼なりの信念を持って選んだ彼とは、胸襟開いて話せば得られるものは多かったと思う」
「主上の度量の大きさがあれば、土匪ともそのような交流が可能でしょう」
二人が盃を交わしている場面がなんとなく浮かんでくる。王と土匪という対極の立場であったとしても。驍宗ならそれを実現してしまいそうな気がする。
「ただ、私は朽桟と親しくなれても、『莫迦』とは言われないだろうな。李斎たちが私の軽口を笑ってくれないのと同様に」
「気にしていらしたのですか?」
「どうやら、今後もしばらく、私は面白みもなければ可愛げもない人間でいるものらしい。いずれは変わってみたいものだが」
ふう、と李斎は息を吐いた。確かに驍宗の為人には無いものなのかもしれない。
だが、人は何もかもを持つことができるだろうか。そして、何もかも持ちえたとして、そのような人物は好ましいだろうか。いや、少なくとも『莫迦』という言葉で愛される場面からは、かえって遠ざかるような気がする。
「主上ご自身が何もかもお出来になる必要はないのでは? 『莫迦』と愛されて民と交流するのに、私の為人が役立つのなら私が何なりといたしますし」
驍宗は大きく笑んだ。
「その話をしたかった」
「は?」
「私は民の実情を知りたい。延王や景王のように直接民と知り合いたい。だが、私は妓楼通いが様になる男ではないし、里家に預けられるような年頃でもない。そして、李斎のように親しまれやすい為人もしていない。しかしながら、私に出来ぬことは私に代わって務めてくれる臣下を持っている」
「私で良ければ、なんなりと……」
李斎は自分の言葉に付け足し、笑って見せた。
「李斎に妓楼通いは出来かねますが」
「いや、李斎は女官たちから凛々しい女将軍として人気だとか。妓楼に行っても延王より人気があるかもしれぬ」
「主上、笑えない軽口は──」
驍宗は笑って遮った。
「やめておこう。私の為人には似合わない」
女将軍という言葉で李斎は思い出した。
「それでは、もう将軍職は返上となりましょうか」
できるだけ軽く聞こえるように口にした。それは少し努力が要った。武人として身を立ててきて、とうとう今その道が終わるのか。一方で、阿選の乱が落ち着いた今後、いつまでも隻腕の自分が将軍職に居座っているべきではないとも分かっていた。
驍宗も真面目な顔で言った。
「私は李斎をこき使うつもりでいる。申し訳ないが、鴻基で将軍職の席を温めている暇はない。戴国中のあちこちをめぐり、頻繁に鴻基に戻って細かく報告して欲しい。李斎の官職としては太師の席を考えている」
李斎は素っ頓狂な声を出した。
「太師、でございますか? 私などがそのような立場になど……」
「阿選のもとでは、琅燦が太師ということになっていた。このままでは太師という職に忌まわしい印象がつきまといかねない。李斎が就けば、それがなくなる」
「ですが……」
「李斎が、というより、こう考えてはどうだろう? 李斎がこれから親交を結ぶ民たちが『太師』という位に就くのだ、と。李斎の背後にいる民たちに、私は教えを請い、補佐を受ける」
「それは……」
「李斎は私の耳や口の代わりとなって、戴国中の民と交わり、そして民の代わりにその声を持ち帰って私に告げて欲しい。私は他人ではないから、他人の気持ちは聞かなければ分からない」
「私でできることなら、いくらでも主上の代わりはつとめます。民の代わりにもなりましょう。ただ、私個人に地位はなくとも……」
おや? 驍宗は意外そうな顔を作って見せた。
「官職もなく、特別な命も受けていない『普通の女』が王と頻繁に話し込んでいては要らぬ誤解を受ける……今回、李斎が私のところに来た用向きはそうではなかったか?」
「……」
「李斎に太師の地位を授ける。私の代わりに、そして、民の代わりになってもらいたい。私が堅苦しいばかりで、人に『莫迦』と呼ばれる面白みも可愛げもない故、李斎に頼む」
そして、目を細めて更に加えた。
「諸国王ばかりか西王母まで動かし、戴にあっては様々な人の助けを得た。土匪にも『莫迦』と褒められるほど心を許された。私という王にとっても、この戴にとっても李斎は天の配剤だろう」
そこまで仰っていただいては……と李斎は恐縮しながら、驍宗の命を受けることにした。
後日、経緯を項梁から聞かされた英章は、実に奇妙な表情を浮かべた。
「そりゃ、項梁の女房については一件落着だけどね。要は、園糸ではなく、李斎を『お召し』になるわけだ」
項梁は答えた。
「ですが、李斎様には役職がございます。そして、李斎様は私の女房でもなんでもいらっしゃらず、私が焼きもちを焼くこともございません」
項梁が英章に相談した時には、「亭主の焼きもち」と一笑に付されて終わった。項梁は少し根に持っていたのである。
英章はしばらく驍宗相手にも拗ねていたが、誰も何が英章の機嫌を損ねたのかわからないままだった。
──だって、他人は誰も英章ではなく、英章自身に問うか、英章が話すかしないと分かりようはないのだから。