白い墟からのびる道   作:鷲生

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シリーズでようやく驍李っぽくなりましたが…私の妄想では、驍宗様は「無骨で生真面目→不器用で奥手」というキャラになっています。すみません、そんな驍宗さまでも許せる方向けです。それからえらく長くなってしまって…お時間のあるときにどうぞ…。

↓なお、「十二国記の戴国メンバーの物語を、日本の平安時代でやってみたらどうなるだろう?」と思ってオリジナル小説を書きました。カクヨムで連載中です。是非お読みいただければ幸いです!!!
「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393



驍宗、李斎に鸞を送る。

※このお話は、シリーズの「李斎、王の代わりを任ぜられる。」の設定のもとで書いています。

大雑把に言えば「李斎が王に代わって、下界を旅して、その様子を報告している」という設定です。

 

──────

 

明幟と暦が改まって初めての災害が戴で起こった。蝕である。戴国の西の方をかすめ、柳の方角に抜けていったという。

 

蝕は天の理の外であり、王朝に失政があったわけではない。

むしろ、これまで王は善政を敷き続けてきたため災害らしい災害もなかった。そのため、久しぶりのできごとに、民の動揺が大きくなったらしい。そこで、州候から鴻基へ要請があった。州で対応できなくもないが、王と禁軍にお越し頂ければ人心が落ち着くのでお出ましいただけないか――と。

 

驍宗は慌ただしく現場に向かうことにした。そして、沿岸部に広がった蝕の痕跡を見て回っている。海客が来てはいないかと思った胎果の麒麟も同行していた。

 

その旅の夜。州候が用意した宿で、驍宗は泰麒と夕食を共にしていた。

「──海客はいなかったようだな、蒿里」

そうですね、と泰麒は答えた。

「もしいたら、すぐ保護してあげたくて僕も来てみましたが、どうやらいないようです。それから、被害らしい被害もあまりなくて安心しました」

「そうだな。人命が失われることもなく良かった。街道が寸断されてしまったが、州軍と禁軍とで早急に整えることができるだろう。家屋の損壊にも細やかに軍の力で対応しよう」

泰麒は明るい表情をした。

「あと、子どもや若い人が多いですね」

「確かに。前々から戸籍調査などで若い世代が増えていると数の上では知っていたが…実際に街や村を歩いてみると、行き交う人々の中に子供や若者、若夫婦が多いと実感する。ただ、世代が若いために災害に慣れておらず、不安を募らせる者が多かったということでもあるが…」

「それでも僕たちが来て落ち着いてくれたようで良かったです。阿選の乱以後、驍宗様も僕も白圭宮からほとんど出たことがありませんでした。こうして民の中に入る機会を得て、喜んでもらえたのは少し嬉しい気がします」

「私も、民については李斎に下界を旅してもらって話を聞かせてもらう一方だったから、新鮮だ。李斎の話でも若者が増えたと聞いていたが…、私自身が直接話を聞くとまた別の印象を持つな」

「どのような印象を持たれたんですか?」

「若い世代が増えていく過程では、人とのつながりが増えるのだなということだ。阿選の乱が終わって生活が落ち着くと里木に子を願う親が増え、その子が成長して恋人同士や夫婦となる。さらには子を願う親にもなる」

「…そうですね」

 

そして、民が訴える不安には、久しく経験しなかった災害に対する怯えだけでなく、家族をはじめとする親しい者についてのものが多かった。

連絡が取れなければ、親は子を心配し、子は親を心配する。成人同士でも夫が妻の、妻が夫の、あるいは恋人の無事が確認できるまでは、気が気ではない。

成人一人なら身軽でも、小さな子がいては壊れた家から避難してもしなくても気苦労がある。子供ならではの細々した必需品が、街道が使えなければいつ手に入るか分からない。

大事な相手がいるからこそ、人の不安は大きくなる。

 

驍宗は生真面目に話を纏めた。

「民にはそれぞれ恋人や伴侶、子ども、親がいる。重要な他人を自分の人生に持つものだ。民のそれぞれが別の他人を愛おしく想う、その気持ちもまた、王として守ってやらなければならない」

ここで、驍宗は泰麒が何か言いたげなのに気づいた。

「どうした?蒿里」

「いえ…。小さい頃、僕を抱きかかえて白圭宮から冬の鴻基の街を見せて下さったことを思い出したんです。驍宗様は、風景を見ながらおっしゃいました。戴の国土は美しくも無慈悲だ、と。幼心に身の引き締まる思いをしたのを思い出したのです」

この方は何を見ても王としての務めに結びつけてしまう。泰麒は昔から今に至るまでこの方はお変わりにならないと思っていた。

 

ところが、それを聞いた驍宗は苦笑した。それは昔の自分へ向けられていた。

「十歳の子ども相手に、私も気負いこんでいたものだ」

その言葉はは泰麒に意外に聞こえた。

「蒿里は蓬莱の生まれでこちらが分からない、しかし宰相なのだから自国を知って欲しい。当時の私はそう思ったのだろう。ただ、少し性急だったかと思う。もう少し自然な機会を待てばよかった。二人で凌雲山を降りることがあった折にでも伝えれば良かったものを…。少しでも早くいろんなことを知って欲しいと、焦っていた気持ちもあったかと思う」

今の驍宗はそう思うのか、と泰麒は軽く驚いた。驍宗はさらに自分についても泰麒の予想外なことを述べた。

「私自身も時間を経ることでしか分からないことも多い。民が、その人生で家族などを持つが故に不安も募るのだと、今回の件でよく分かった」

 

泰麒は小首を傾げた。

「驍宗様は、最初から何もかもご存知だと…そう思っていました」

驍宗は小さな声を上げて笑った。

「いや、私は独り身ゆえ、そういう意味では気楽に過ごしてきた。奏王のように家族とずっとご一緒であれば最初からよく分かっていたかもしれないが」

「驍宗様は、奥様を持とうと考えなかったのですか?」

驍宗は面白そうな顔をした。

「想像できるか?」

できません、と泰麒は笑って答えた。

「武人であれば常に身の危険がある。将となっては、麾下の人生まで引き受けるのだから、その責任で頭がいっぱいだ。王となっては、好ましい人物が有能なら、朝の中でその才能を活かす道を考えねばならない。私情で恋人や妻など持とうと思う暇も無かったな」

「驍宗様らしいおっしゃりようです。ただ、常世では、奥様のいる王に仕える麒麟も居るのですよね。なんだか不思議な気がしますが、今後については、驍宗様もお后を迎えることはできるはずだったかと…。ご自身の子どもは持てませんが…」

泰麒の言葉は尻つぼみに終わった。驍宗がほんのわずかとはいえ、寂しそうな顔をしていたからだ。

「…后を持つなど私には過ぎた贅沢だろう。私が不甲斐ばかりに阿選の乱で多くの民を失わせてしまったのだから」

 

「…驍宗様…」

今度は泰麒の方がはっきりと悲しげな顔をしてしまった。その気落ちを引き立たせてやりたいのか、驍宗は眉を少し上げて見せた。

「ただ、民の気持ちを知るのに、私も民に倣って重要な他人を持つことは許されるのかもしれないとも思う。そして、その相手と親しむ喜びと、相手を案じる気苦労も学ぶべきなのかもしれない、と──蒿里、宰相としてどう思うか」

「王が民と喜怒哀楽を共にするのはよいことだと思います」

そして泰麒は、率直に「誰か相手がいらっしゃるのですか?」と尋ねた。

 

驍宗は、少し目線を斜め下に下げ、ごく微かに何かを躊躇う様子を見せた。珍しいことだ、と泰麒は思いながら、主の言葉を待った。

「…鸞を使ってもよいだろうか?」

「あの、火急の用事ができた時に備え念のために連れてきた鸞ですか?」

「そうだ。特に緊急事態も起こりそうにないから、私用に使うことを考えているのだが…」

少し間をあけて続けた。

「李斎が旅に一段落つけて鴻基に帰ってくる」

もちろん、王と台輔の不在は、白圭宮に残る官吏からしかるべき方法で伝えられるだろう。

「人づてではなく…。私が留守であることを、私の声で伝えたいと思っている。それから、返信として李斎の言葉を李斎の声で聴きたい…私情に過ぎないのだが」

重要な他人…驍宗の想い人は李斎なのだと泰麒は理解した。

「僕が何か申し上げるようなこともないかと思いますが…」

「鸞は銀を食べる。この民の暮らしを見れば、銀の粒など手が届くまい。それを私的な用事に使うことに抵抗がある」

生真面目な方だと泰麒は心の中で少し呆れた。

「…おっしゃる気持ちは分かります。ただ、銀の粒と言っても砂粒ほどですし、白圭宮に残っている驕王時代の贅沢品を売って充分まかなえるのではないかと思います。それに…。誰でも、好ましい相手にいくらかの費用は掛けるのではないでしょうか」

「自分の行いと驕王のそれと、どこで線引きするか問うている。蒿里の体調は万全ではない。私が道を失えばすぐ病にかかるだろう」

泰麒は吹き出してしまった。まだ、想いを寄せる女性に便りを出すか出さないかという段階で、後宮を構えた先王と比較し、こんなに大真面目に失道の心配をされてしまうとは。

「大丈夫です。驍宗様の行いが麒麟から見て問題なら、すぐにお伝えしましょう」

泰麒はこう言える自分に喜びを感じた。大丈夫だ。自分は角を取り戻した、成獣となった麒麟なのだ。自分が見守っている範囲のことは、驍宗に自由を与えて差し上げることができる。

「僕が、この戴の麒麟が良しとしています。安心して李斎に想いを告げてください」

 

もう一つ台輔に問いたい、と驍宗は口にした。

「先にも述べたが私に后を持つ権利はないと思う。普通の民なら女性を妻とし、共に里木に子を願うことができる。私以外の男となら、晴れて婚姻もでき子どもを望むこともできるのに、私とはそのような未来は望めない。それなのに私は女性を望むことが許されるだろうか」

泰麒はしばし面喰った顔をした。その後も、噴出さないまでも、苦笑いが浮かぶのを止められない。

「李斎が誰かの奥さんになって子どもが欲しいと言ったんですか?」

「いや、それはない」

「李斎は后などと言われると恐縮してしまうと思いますよ。それに、それは想いが通じてから考えることではないでしょうか」

蒿里の言い分ももっともだ、と驍宗は答えた。ただし、通じるかどうか以前に、自分と李斎の場合には、想いを告げるかどうかが難しいのだと彼は言った。

 

「李斎は忠義に厚く、そして心優しい──だから、想いを告げるのは難しい」

ここで驍宗は泰麒を少しからかうような視線を向けた。

「蒿里だって、李斎に甘えてしまうだろう? 勝手に置き去りにしても許してくれるだろうと。『怒っていますか』と尋ねても、否定してくれるだろうと…」

これらを持ち出されると、泰麒も反論のしようがない。

「ええ、なんだか李斎は母親のようでも姉のようでもあって…。どうしてもその包み込んでくれる気持ちに甘えてしまう…ああ、驍宗様のおっしゃりたいことは分かるような気がします」

「そう。想いを告げれば李斎は応えようとしてくれるだろう。忠義と優しさから。ただ、私は王として臣下を恋人にしたいのではない。また、王とは孤独な立場だろうと同情から恋人になってもらいたいわけでもない。李斎自身の自由な気持ちで選んでもらいたいと思う」

「…難しいですね」

そうだろう?と驍宗は彼にしては珍しくため息をついた。

「私の知る李斎は忠義と優しさから切り離せない。李斎は、私や蒿里など親しいものを傷つけることは決してしようとしないだろう。身分や立場に縛られずに心を決めてくれれば良いのだが…」

 

李斎が気安く自分と話をする時間と言えば…と、驍宗は李斎から下界の様子を聞く機会を挙げた。

「李斎に民の様子を知らせて欲しいと頼んでいるが、特に期限や中身の定まった仕事ではない。だから、通常の政務とは別に、夕餉や酒肴をとりながら私的に話を聞いている」

「ああ、僕も時々ご一緒しますが…。確かに、王と臣下という立場の違いは薄くて、親しい者同士の気の置けない時間に近い雰囲気がありますね」

「このようなくつろいだ場面で聞く李斎の声は、よいものだと思う。武人として振る舞う時には凛々しい声音だが、普段の彼女はもう少し柔らかい声で話すだろう? 高すぎず低すぎず、そして落ち着いた声だ。それでいて一本調子ではなく、話す内容に合わせた感情も自然に豊かににじみ出ている。いつまでもその声で紡がれる話を聞いていたいと思うような、そんな声だ」

 

泰麒は言葉に詰まった。

今は鸞の話をしているから声についての描写となったのだろう。ただ、李斎の声に限って語っただけでも、驍宗が普段から李斎を愛情細やかに見つめ、感じ取ろうとしていることが良く分かる。

情に厚い、とは李斎を評するときに用いられることが多い。しかし、実は驍宗自身もそうだといえるのではないだろうか。怜悧さや覇気など、それ以外に目を奪われてしまいがちなだけで。誰にでもあるささやかで温かい気持ちもまた、この人の中には眠っているのだろう。

 

「さっき、僕が小さい頃の話をしました」

泰麒の話の内容が変わって驍宗は少し怪訝な顔をしたが、止めなかった。

「幼い僕に宰相の気構えを説く一方で、驍宗様には子馬をいただいたことを覚えています。そう、住まいも正寝の傍に移していただいて…」

泰麒はクスクスと笑った。

「確かに驍宗様は気負っていらっしゃったのかもしれません。考えてみれば、驍宗様はずっと独身の将軍でいらしたんですものね。麒麟は景台輔のように大人の方もいらっしゃるのに、僕は十歳の子どもでした。驍宗様は新王としてお立ちになると同時に、突然、子どもができた年若い父親のようなお立場になってしまわれたのですね」

「…そのように考えたこともなかったが…。そうだったかも知れぬ。立派に育てねばと気負い、一方で笑顔を見たいと愛おしくも感じていた」

だが、と驍宗は顰めっ面を作って見せた。

「蒿里には怖がられてばかりだったように記憶しているぞ」

 

泰麒の笑みは深くなる。

「驍宗様は、少し不器用でいらっしゃるのかもしれません」

その言葉に、今度は作るまでもなく驍宗の表情は渋くなる。泰麒はからかう口調で言った。

「だって、驍宗様は李斎や正頼のような親しみやすさはお持ちではないでしょう」

「…そうだな。大人に対しては可愛げも面白みもなく、子どもに対しては親しみやすさもない人間だ」

でも、と泰麒は視線を驍宗から外し、自分の内奥を覗き込むような顔で言葉を継いだ。

「でも、僕はずっと驍宗様が大好きでした。怖くて竦んでしまう気持ちがあっても、慕うべき方だと思っていました。僕が麒麟だから、と言ってしまえばそれだけなのかもしれません。ただ、李斎を含め驍宗様の周りの皆も、畏怖以外の気持ちをちゃんと持っているのだと思います」

「…ありがたいことだ」

だから多くの者が多くのものをなげうって助けてくれた。驍宗は常にそれを忘れない。

「驍宗様は本当に立派な王です。皆が玉座についていて欲しいと願うような。ゆえに相手は畏怖する気持ちを持ってしまう。ただ、そのために驍宗様と相手がそれ以外の感情を通わせづらいのかもしれません」

僕にも時間が必要でした、と泰麒は微笑んだ。

「僕がこの年齢になって、昔を振り返ると、驍宗様が不器用なりに子どもの僕を慈しんでくださったことも分かります。決して怖いばかりの方でもないことも」

ですから、と泰麒は驍宗の目を覗き込む。

「時間があればおのずと伝わると思うんです。驍宗様が王様である以外にも、人を愛おしく思う一人の人間だということも。今の驍宗様はずっと独り身でいらして、恋人を持とうと思うのも初めてで、どう伝わるかまた手探りなのですよね?」

「そうだな。蒿里と知り合ったばかりの頃のように、私は初めてのことに気負っているのかもしれないな」

泰麒は意識して大きな笑みを顔に刷いてみせた。

「王としてのふるまいとして正しいかどうかについては、僕がついています。僕はもう稚い子供ではありません。成獣した麒麟ですから、王としての行動の是非を判断できます。何かあれば諫言します。僕が何も言わないなら、それは大丈夫だということです。鸞については、今回驍宗様が使って何ら差し支えない、と宰相として保証しましょう」

それは心強い、と驍宗も笑って見せた。

「黒麒から許しを得た。では、ありがたく鸞を使わせてもらおう」

 

 

*****

 

李斎が白圭宮の自邸に戻ると、下官が王と台輔の不在を告げた。

「蝕?」

「はい。被害は特にないのですが、人心が安定するのに主上のお出ましがあった方が良い、とのことで主上が向かっていらっしゃいます。また、台輔も海客がいるかもしれないとご一緒されました」

「…そうか、私が旅していた地域とは鴻基を挟んで反対側だな。それで私が知ることはなかったのか。巡り合わせが悪かったようだ。主上と台輔と揃って白圭宮からお出になるのは随分久しぶりだが…」

「それはもう、冢宰も、禁軍の将軍方もご心配で、警備には万全を期していらっしゃいます」

「だろうな。私が考えることぐらい皆も考えている。備えるべきことは手配済みだろう。私も安心してお二人のお戻りを待とう」

 

李斎は自室で旅装を解いた。下官も退出し部屋に一人となってから、彼女は深々と息を吐いた。

 

どうしたのだろう?と李斎は自問した。

この落ち着かない気持ちは何なのか。

 

蝕が起きたからか、いや、それは大して被害がないと聞いた。

王と台輔の身が心配なのか、その気持ちはあるがそれだけでない。

でも、実際にお会いしないと自分の心は静まらないように思う。

「大丈夫だ。誰もがお二人のことを心配しているのだから」

彼女はそう口に出してみた。自分の言葉に慰められることを期待したが、部屋の静けさはかえって彼女の心を沈み込ませた。

 

一体何に自分は気落ちしているのだろう?とさらに自問する彼女の耳に、コツコツという音が聞こえた。

窓の玻璃を、見慣れない鳥がつついていた。確か…あれは鸞ではなかっただろうか。自分宛てに飛ばされるとは、何か主上と台輔の御身に変事でもあったのではないだろうか。

李斎は慌てて窓をあけた。

 

窓から飛び込んできた鸞は、部屋の卓にちょこんと下り、嘴を開けて話し始めた。

「──李斎は無事鴻基へ戻っただろうか? せっかく白圭宮に帰ってきたのに私と蒿里が不在であることを詫びる」

 

驍宗の掠れた声が部屋に流れる。その声音が、ざわついていた李斎の心に沁みていく。

 

「官から聞いているだろうが、西の沿岸部に蝕が起こった。被害は少なく大事ない。ただ、李斎も旅の話で聞かせてくれたように、戴の民には若い世代が増えている。それぞれに家族など案じる相手があり、久しぶりの災害に不安を覚えているようだ。民が安心してくれるならと、この数日あちこちの村々で王と台輔の顔を見せている」

 

驍宗の言葉はここで切れ、李斎も肩の力を抜いた。どうも危険が起こったわけではないらしい。驍宗の言葉は少し間をあけて続いた。

 

「七年も玉座を空けた不甲斐ない王であるが、私と蒿里の来訪を民たちは喜んでくれている。蒿里も自分が歓迎されていることを嬉しく思っているようだ。私としては、これを糧に麒麟としての自信を深めてくれればよいと願っている」

 

それは驍宗についても言えるのではないか、と李斎は思った。「不甲斐ない王」とお思いなら、その気持ちが軽くなればいいのだが…と李斎は願う。

 

「私にとって印象深かったのは、民たちが家族や恋人を持ち、それぞれを大事にしている様子だ。大事であるがゆえに、災害があったときには我が事として心を動かす。こういった人と人との繋がりごと、王として守ってやりたいと思う。蒿里には生真面目すぎると言われたが」

 

その通りだ、と李斎も笑んだ。

 

「それとともに、私も民に倣おうと思った。私は人から孤高と言われることが多く、人から親しまれることも、人に親しむことも薄かったと思う。私も、民と同じく、親しい者を案じ、親しい者に案じられたい。そこで李斎に何も言い置いていないことを思い出した」

 

李斎は首を傾げた。話の流れでは、自分が王に「親しい者」と扱われていることになる。それは…と考えがまとまらぬうちに、鸞はその先を続ける。

 

「蒿里が居なければ李斎は寂しがるし心配もするだろう。母親や姉のように…。蒿里に代わって私が鸞で不在を詫びよう。また、蒿里のついでにでも、私の不在を少しは寂しがってもらえると私も嬉しいと思う」

 

李斎は左手で胸を押さえた。何とも形容しがたい気持ちがせりあがってくる。その李斎の動揺を知ってか知らずか、鸞は最後の用事を告げた。

 

「銀は鸞の足に括りつけてある。それを与えて、今度は私に返事をして欲しい。私が鴻基に居れば、李斎と夕餉を共にしながら話を聞いていた頃だ。李斎の声を聞かせて欲しいと願っている」

 

話し終えた鸞を、李斎は見つめていた。いや、鸞は言葉を運んできただけで、鸞に問うても答えは得られないと分かっているのだが。

 

きゅるる…と鸞に銀をねだられて李斎は我に返った。足に括りつけられている小さな袋を開いて銀の粒を出してやる。それをくちばしで啄む鸞を見ながら、李斎は卓の椅子に腰かけた。生き物を見ると、つい声をかけてしまう。

 

「お前は不思議な鳥だな。あの方の声をそっくりそのまま届けてくれるのだから」

 

そう、声だ。李斎は思わず目をつむった。自分はこの声を聞きたかったのだ。

 

驍宗の声は七年の虜囚生活から戻っていない。公の席ではそれなりに通る声を出すので、李斎は驍宗に聞かされるまで、あまり気にしていなかった。

 

驍宗は李斎に自分に代わって下界を見聞してきて欲しいと頼む際に、こう告げた。

「報告を聞くのは私的な時間に、そうだな、夕餉の折などにして欲しい」

畏れ多い、と李斎は当初遠慮したが、驍宗は、これは自分の都合なのだと言う。

「朝議など必要な時にはどう声を出せばよいか大体わかった。ただ、普通に話すなら、卓を囲んで話すくらいの小声の方が私の負担が少ない」

「主上、ご公務では声を作ってらしたのですか?」

「いつまでも皆が聞き取りづらいようでは困るだろう」

そういえば、と驍宗は李斎を見た。

「女性の武人も声を低く作ることが多いな。男が多い周囲に合わせるためでもあるし、戦場でも通る声というのも必要だから。李斎も仕事で使う声と、蒿里などを相手に自然に出す声とは少し違う」

「李斎の地声は、やはり女ゆえ高い声でありましょうか?」

驍宗は少し考えて答えた。

「いや、高すぎもしないし低すぎもしない。聞きやすい声だ。相手を慮る李斎の人柄がよく表れている声だと思う」

 

自分の声が自分の為人を表すというのなら、驍宗も掠れ声で話すときの方が、今の彼の人柄が表れているのではないかと李斎は思う。

 

人を竦ませる覇気は薄れ、和やかな印象と変わったが、武骨で生真面目な為人は変わらない。自分が王位にあるのは、天に生かされ、一方で、地で生きる名もない民たちの願いに支えられていると彼は理解している。その民の心を知りたいと李斎を旅に出し、そして李斎の話をこまごまとしたことまで聞こうとする。

 

麾下の名前と顔を驚異的なまでに記憶するように、驍宗は李斎の語る民の一人一人を心に留めていく。ある里の誰それが里木に子を願った、子が学の才がありそうだと誇らしげにしていた、夫婦円満で子沢山の大家族がしじゅうにぎやかに何か騒動を引き起こしていた──そんな、挿話の一つ一つを彼は自分の友人の話であるかのように興味深く聞き、また尋ねる。

李斎が一度話した、ある村の夫婦喧嘩の様子まで記憶しており、後に近くを訪れた旅で「あの夫婦はどうしている?」と尋ねられたときには軽く驚いたほどだ。

 

驍宗が今自然と発することのできる、低く掠れた声。その声で囁く口調には、民たちへの深い想いがこもっている。こうして話す機会を重ねた今、李斎は、実は驍宗は愛情深いと表現されるべきなのではないかという気がしている。

 

人を竦ませるすさまじい覇気や苛烈さに隠れてしまいがちだったが、彼は正しく人を愛そうとする。正しく、という点が麒麟に期待されるやわやわとした慈悲とも異なる。轍囲の故事は、正義と民への愛情を、驕王の命や自分の名望より優先させた結果だ。

 

ただ…と李斎はここで考え込んだ。驍宗は、故郷の北嶺郷に金品ではなく道を整える石工を送った。彼の真意が伝わるまで、悪し様に言う者も多かったという。また、阿選が背くと分かっていても、驍宗の側から姦計を仕掛けることはなかった。それが彼の性格だった。そして、そのため阿選の謀反を許したことを「不甲斐ない」と自分の責だと考える。

 

「主上は不器用な方だ…」

 

李斎は思う。真に正しく相手のためを思って、驍宗は誠実に振る舞う。相手への媚もなく、いわれなき非難に屈することもない。卑怯な振る舞いに出ることもない。

そのため可愛げも面白みもないとも言われてしまうし、正しさを貫く意志の強さが先に立って畏怖の念を他人に抱かせもする。そして、その奥の愛情深さは外に伝わりにくい。

もっとも、そういう方だからこそ、誰が褒め称えるわけでもない孤独の中でも、祭祀をはじめ王であり続けることができたのだろうけれども。

 

李斎は卓に肘をつき、左手で顔を覆った。目の前の鸞に表情を見られまいとするように。

 

「そして、主上は罪作りなお方だ…」

 

民への愛情を込めて、李斎の話を聞き、李斎にこまごまと下問する。だから、勘違いをしてしまうのだと李斎は思う。あの掠れ声で、他人への愛情の深さを囁かれる私の身にもなって欲しい、と。

まっすぐな視線、自分の話に合わせてほころぶ口元、自分が何かを考えこめば一緒に思案してくれるその思慮深い表情…。これらは全て戴の民のためのものなのに、まるで自分自身に向けられたと勘違いしてしまうではないか。

 

だから、私は寂しい。李斎は吐息を漏らす。

旅に区切りを付ければ、驍宗に逢えるのだと、自分は自分が思う以上にそれを楽しみにしていたのだ。男の、取り繕うことない低く掠れた声。それを聞けないのが寂しかったのだ。

王の不在を聞いて落ち着かなかった心に、この鸞が運ぶ声が沁みた。こうして自分の心のありようを知り、そして自分が恋をしていることに気づいた。

 

しかし、寂しい。なぜなら、この恋は叶うことはないであろうから。あの武骨で生真面目な主上が浮ついた気持ちを女性に持つとは思えない。

 

それでも。李斎は銀の粒を取り出し、鸞を自分の肩に止まらせる。

頂いた便りに、ご依頼通り返答を差し上げなければならない。自分の恋情など私事など挟むべきではない。有難いことに、王は自分を、親しい者だと信頼して下さっているのだから。その期待に背きたくはない。

 

いつまでも、王に代わって民と交わり、民の心を伝えるよき臣下であり続けたい。褒美は、私の伝える民の話を共に語らう時間さえあればいい。あの、掠れ声。それだけで自分は十分だ。

 

李斎は息を吐いて語り出した。

 

*****

 

泰麒が見たのは、鸞を寂しげに見つめる驍宗の横顔だった。

 

泰麒が自室に入ってきたのに気づいても驍宗は鸞を見つめていた。いや、鸞は言葉を運んできただけで、何を問うても仕方がないのだが。

視線を鸞に留めたまま、驍宗は泰麒に言った。

「蒿里にも李斎の返答を聞いて貰おうか」

「聞いていいんですか?」

ここで驍宗は盛大な苦笑いを泰麒に向けた。

「ぜひ聞いて、私が気を落とすのを慰めてくれ」

 

驍宗に促されて鸞は語り始める。乍王朝の重要人物の声を。

 

「主上、台輔が御無事で西方にいらっしゃるとのこと、安心いたしました。蝕も大きな被害がなく幸いなことと存じます。

お気づきのように、戴は若い者が増えました。それは、王の治世を信頼して、里木に子を願う民が連なった結果でございます。民が増え、お互いに繋がりあえるのも、国が安定しているからこそ。その安寧をもたらして下さる主上と台輔のご尊顔を拝して、民はさぞ喜んだでしょう。ですから、どうかご自分を『不甲斐ない』などとおっしゃって下さいますな。

主上は峻厳な風があるため伝わりにくいだけで、他者に愛情深い方だと李斎は思います。昔に比べて主上は和やかになられたと申す者も増えました。今後も、主上の愛情深い為人が素直に伝わり、周りに親しみ親しまれ、民と同じく温かな雰囲気が自ずと生まれましょう。

それから、李斎を親しむべき者と思い出してくださり、嬉しゅう存じます。台輔の姉や母などとは畏れ多いことでございます。台輔はもう私などに案ぜられるような稚いご年齢は過ぎました。主上ともども、頼もしい存在でいらっしゃいます。

李斎が戻った日に、お留守と伺い残念に思いましたが、ご無事であればいずれ会うことも叶います。しばらく鴻基でお待ちしております。お帰りになりましたら、今度は李斎がお話を聞く番でございます。どうぞつつがなくご帰還なさいますよう御祈念申し上げます」

 

この李斎の声は仕事用だ、と驍宗は肩をすくめた。

「忠義に厚く心優しい臣下ならではの奏上、だな。私の不在は『残念』の一言で済まされた」

泰麒もため息をついた。

「──無事であればいずれ会うことも叶う…こう言われては、返す言葉もありませんね。驍宗様も僕も」

でも、どうか気落ち無さならないでください、と泰麒は微笑んだ。

「まずは李斎の望むとおり、無事で還りましょう。それが僕たちの務めです。還れば、李斎と仕事以外の声でお話する時間もあります。李斎に想いが届くのに時間が必要かもしれませんが、その時間が大切なのではないかと思います」

泰麒は鸞を見た。

「胎果の僕には、言葉を運ぶ鳥は珍しいものです。ただ、蓬莱でも似たような機械があったんです。機械を使って声を伝えるのですが…それだけで親しくなることは珍しいことでした」

蓬莱でも常世でも、人と人が想いを通じ合わせることは難しい。

「今、目にしている夫婦や恋人同士だって、そうなるまでに乗り越えてきたものがあったのではないでしょうか。民に倣うのなら、そうなる以前の苦労も味わうべきではないですか?」

「なるほどな…」

「王と麒麟という、天が与えた伴侶の間柄でも、常に最初から上手く行くわけではありません。あ、僕の小さい頃だけではありませんよ、景台輔も気苦労がおありだったと聞いています。驍宗様は、僕が小さい麒麟だったころのご自分について、性急だったとおっしゃいましたね。今の驍宗様は忍耐強くお待ちになることができるでしょう」

「そうだな。私が性急だったばかりに小さい蒿里を竦ませることが多く、申し訳ないことをした。それから、民も恋人を持つまで気をもむのなら、私もそうであるべきだろう。一人の男として学ばなければならないことは多いようだ」

まずは…と、驍宗は憂いをふっきった顔をした。

「まずは、無事に還ろう。私たちが第一に成し遂げて周囲を安心させるのは、無事であることだ。そして、李斎の言うよう、李斎に私たちの旅の様子を語って聞かせよう」

 

泰麒は二人が会話する様子を思い浮かべた。掠れた男の声と、低すぎず高すぎない落ち着いた女の声。大人同士で、民の話を共有しながら、いずれ二人は親しみを増していくのだろう。

何しろ、自分の主は、生真面目に物事を成し遂げる方だ。恋人を持つのも民の心を知るための王の仕事の一部だと位置付けて、自分の驚異的な忍耐力を充てようとしている。

万が一、上手く行かなくても、この二人なら大丈夫だと思う。王と忠臣であることだけは、絶対にゆるがせない二人だから。

いずれにせよ、この二人の間柄を本気で心配して、麒麟として諫言することなどないだろう。

そう、自分のすることは、正頼や英章、霜元、臥信たちと一緒に時折からかうことくらいなのかもしれない。あの面々と一緒にふざける立場になったとき、自分は驍宗と李斎に案じられる子どもでは本当になくなる──そう思うと、泰麒は満ち足りた気持ちと少し寂しい気持ちとがまざった感慨を覚えた。

 




くどくて申し訳ございませんw

2022年現在、十二国記の戴国メンバーをモデルにした、平安ファンタジー小説を投稿中です。
驍宗様はあまりに完璧すぎてキャラとして動かしづらかったので、英章と合体して別キャラになっております。
しかし、李斎や臥信、霜元的なキャラはわりとそのまま登場してます。
後半は、双璧の阿選をモデルとしたキャラのクソデカ感情が炸裂するんですよw
是非お読みいただければ幸いです。

「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕ヘ或ハ近衛大将ノ大詐術」
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393
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