「ねー、あんた部活何するか決めた?」
前の席に座る子が、振り返ってそんな事を聞いてきた。確か名前はオカダだったかオクダだったか‥‥‥オカダでいいや。人の名前覚えるの苦手なんだよね、私。
「ううん、決めてない。できるなら帰宅部がいいんだけどなー」
中学1年生。入学して1週間が経った。とりあえず自分の周りの席の子の顔を覚えるくらいには、学校にも慣れた。なお顔は覚えても名前はまだ覚えられない模様。
「帰宅部はダメだってばー。先生言ってたじゃん、とりあえずどっかに入部しろって。規則なんだからさ」
「規則ねえ」
私の嫌いな言葉だ。私以外の誰かが私の知らない場所で勝手に作った規則に、なんで私が縛られなきゃいけないのか。誰にも迷惑もがかかるわけじゃない。家に帰るくらい良いじゃん。やる気のないやつが入部するよりよっぽどいいって。‥‥‥そんな想いは、言葉になる事なく霧散して溶けていく。ワガママなやつと思われたくないし。
「まー、考えとく」
そうして私は、考える気もないくせに、無難な返事を口にするのだった。そして、読書の続きに戻る。
「‥‥‥あんた、いっつも本読んでるよね。何読んでるの?」
「んー? 『魔法使いが落ちてきた夏』。高士季子って人の本」
「面白いの?」
「うん」
面白いから読んでいる。当たり前だろう。この学校に入って良かったと思うことの1つが、図書室の本が充実していることだ。いろんな本を簡単な手続きで借りることができる。クラスメイトの名前はまだ覚えていないけれど、図書室の受付に座っている図書委員さんの名前は覚えた。
「そんなに本が好きならさ、文芸部とかがいいんじゃない?」
オカダさんとの会話はまだ続いていた。早く切り上げて集中して本読みたいのに。休み時間短いんだから、邪魔しないで欲しい。‥‥‥なんて、そんな事口に出して言えるわけないんだけど。
「んー。本は読むのは好きだけど、書きたいとは思わないかなあ。めんどくさそうだし」
「あたしに言わせりゃ、そんな文字ばっかりの本読むのだって十分めんどくさいけどねえ。でもいいじゃん、読み専でもさ。先輩たちだって、自分の書いた本を読んでくれる後輩ができたら喜ぶって」
オカダさんは、本を読まない。マンガなら読むって以前話していたけれど、少なくとも学校で読んでる姿を見たことはない。‥‥‥先輩の書いた本かあ。正直、興味ないなあ。大きな図書室でいくらでも好きな本を借りれるのに、なんで中学生が趣味で書いたお話を読まされなきゃいけないのか。そんな本心はやはり口に出すことなく。
「まー。それもいいかもね」
思ってもいない無難な返事を口にする。
「よっし決まり! 実は先輩から頼まれてたんだよねーっ、新入部員連れてこいってさ!」
「‥‥‥え?」
おい待てオカダ。お前、私の休み時間の読書を邪魔した上に、放課後の時間まで奪う気か?
で、放課後。私はオカダに引っ張られる形で文芸部の部室前に来ていた。大きな扉の前で、なんとなく立ち止まる。ノックをする前に、ひとまず深呼きゅ「せんぱーいっ、頼まれてた子連れてきたっすよー!」っておい、心の準備くらいさせろ。オカダが勢いよく扉を開けたせいで、私はお笑い芸人の春日のような、息をいっぱい吸い込んで胸を張ったような姿勢で先輩方との対面を果たすことになったじゃないか。‥‥‥何よりついてないのが、私の名前も春日だってことだ。春日心愛。心愛とかいてココアと読む。それが私の名前。先輩方に1発で名前を覚えてもらえたのはいいのだけれど、ものすごい恥をかいた気がする。中学では冷静でクールビューティな文学少女というイメージ戦略を駆使して彼氏なんかもできたらいいなー、なんて考えていたのだけど、1週間目にしてお笑い芸人にジョブチェンジしてしまったような、そんな気分。その元凶であるオカダが「あんたってそんなオモロいキャラだったんだねー」とゲラゲラ笑っているのを見た時は、本気でぶん殴ってやろうかと思った。
その日以降、私は文芸部に入部して、放課後は部室で本を読むのが日課となった。別に先輩の書いた本を読まされている訳じゃない。図書室で借りた、自分の読みたい本をいつも通りに読んでいる。感想を書かされたりする事もない。普通に、いつも通りに本を読んでるだけ。これならまあ、いいかな。部員は私以外にも2人いて、2人とも先輩だ。最低でも部員が3人いないと部室を取り上げられるのでその3人目として私が誘われたそうだけど、これだったら別に部室いらないんじゃないかな。放課後の教室の隅っこでも、同じことできそうだけど。
ちなみに先輩のうち1人は私も知ってる人で、図書室で受付をしている図書委員さん。名前は水田さん。『すいでん』ではなく『みずた』と読むらしい。‥‥‥図書室で名札を見かけてずっと『すいでん』さんだと思い込んでいたのは内緒にしておこう。部活動の間、彼女はずっと自作の小説を書いている。ポテチをポリポリと頬張りながら、黙々と執筆を続けていて、こちらから話しかけない限りは基本何も話さない人だ。私も自分から話しかけるタイプではないので、私と水田さんの間にはほとんど会話がない。書き上げた本も、私から読ませてと頼めば読ませてくれるけど、何も言わなければそのままカバンにしまってしまう人だ。正直、よく分からない人というのが素直な感想。悪い人ではないっぽいんだけどね。
で、最後の1人が部長さん。オカダに私を連れてくるように頼んだのもこの人で、オカダとは同じ小学校だったらしい。部長さん曰く「冷静でクールビューティな文学少女としてイメージ戦略を駆使して彼氏を作るために、我が校に文芸部を立ち上げて部長に就任しましたっ」とのこと。なんだか負けた気がする。悔しい。そんな部長さんはファッション雑誌を眺めたり、たまに水田さんが書いた本を読んだりして時間を潰していた。うんまあ、ファッション雑誌も本だもんね。読書には違いないよね。否定はしないよ。けど、雑誌で紹介されていた髪型を私の髪で練習するのはどうなんだろう。そこそこ器用で私が自分でセットするより上手に仕上がるものだから、文句も言いづらい。おかげで自分から話しかけなくても、相手から話しかけてもらえる回数が増えて友人も増えて‥‥‥うんまあ、感謝はしている。素直にそれを伝えると絶対に調子に乗るタイプの部長さんだから、言いたくないけれど。
中学生になってからの生活は、結構楽しかった。入学から2ヶ月も経って、6月になる頃には流石にクラスメイトの名前も覚えたし、友人も増えた。文芸部は部長さんが積極的に話かてくれるおかげで、私にとっても居心地の良い空間となっていた。水田さんとも、挨拶くらいは交わすようになった。もちろん嫌なことだってある。親に私の成績を心配されて、塾に通うようになったのがその代表。おかげで塾のある日は、真っ暗になった田舎道を電車と徒歩で帰ることになる。電車が1時間に1本しか来ないようなど田舎なので、夜8時を過ぎるともう真っ暗だ。「塾に通ってくれたら、塾の帰りにこれでファミキチ買って食べていいから」とお小遣いを握らせてくれなかったら、絶対サボってたところだ。徒歩圏内にコンビニすらないど田舎の中学生にとっては、ファミキチがご馳走だったりする。これマメな。
そんな、ある日のこと。いつもの塾の帰りの電車。1時間に1本のローカル線。水田さんと会った。
ところでど田舎のローカル線と聞いて、どんなものを想像するだろうか。きっと都会に住む人には想像できないに違いない。まず、駅舎が木造だ。改札で駅員さんが切符をパチンパチンと切っている。自動改札? あーあれでしょ、お金入れたら切符が買える自動販売機のことでしょ! 最近塾の近くの駅でも導入されて‥‥‥え、違うの? そんな世界。
走ってる車両は当然のごとく1両編成。乗客数は時間帯にもよるけれど、夜8時過ぎとなれば多くても5人。少ない日だと完全貸切だ。そんなローカル線の車両内に、水田さんが座っていた。車両の両サイドに設けられた長椅子のような席。目が合って会釈する。‥‥‥うんまあ、これは隣に座らなきゃマズい流れだよなあ。離れて座ると、なんだか避けてるみたいになっちゃうし。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。電車が揺れる。『次は〇〇駅ー、〇〇駅ー』と車掌さんのアナウンスが響く。ガタンゴトン。ガタンゴトン。電車が揺れる。『次は△△駅ー、△△駅ー』と車掌さんのアナウンスが響く。ガタンゴトン。ガタンゴトン‥‥‥
ま、間がもたねえ〜〜〜〜!!!
考えてみれば、自宅の最寄り駅まで30分かかるのだ。流石に何か話さないとマズい。でないとストレスで死ぬ。けど何を話せばいいのやら、「こんな時間まで何をしてたの?」いやいや、それだとまるで責めてるみたいじゃないか。もし人に言いづらいことをやってたらどうするんだ。「いい天気ですね」いやいや、外はもう真っ暗じゃないか。「月が綺麗ですね」夏目漱石じゃねーよ。どうしよう、話題がまったく思い付かない。何かないかと車両の中を見渡すものの、乗客は私たちの他には2人だけ。新聞を広げた中年男性と、ジャンプを読んでる大学生。特に珍しい要素もなく、話題にはなりそうにない。どうしよう、と私が困り果てていると。
「レイを‥‥‥信じますか‥‥‥?」
水田さんの方から話しかけてきた。一瞬、何を言われたのか分からなかった。レイって‥‥‥もしかして、霊?
「そ、それって、幽霊とかそういう、霊?」
「はい‥‥‥その霊です。実は、見えるんですよ。私」
水田さん、怖いこと言い出した。どうしよう帰りたい。あ、帰りの電車の中だったここ。降りたい。でも降りたら次の電車は1時間後。泣きたい。
「そ、そうなんだー。私にはぜんっぜん見えないなあー」
「そこに、いますよ」
気温が1度か2度、下がった気がした。だって水田さんが『そこ』と言って指差したのは、私の膝の上なんだもの。
「男の子の、霊です」
やめて。もう喋らないで。まだ怪談の季節にはちょっと早くないかな。苦手なんだよそういうの。助けを求めて周囲を見渡す。新聞を広げる中年男性。さっきまで聞こえていた新聞を捲る音が、今は聞こえない。絶対聞き耳立ててるでしょうあなた。気づいてるなら助けて。ジャンプを広げる大学生。こちらもページを捲る手が止まってる。気づいてるんなら助けてってば。
「え、なになに。ああ、お名前を聞かせてくれるんですね」
水田さんが私の膝付近に顔を寄せて、見えない何かと話している。私はさっきから足の震えが止まらない。いやもう震えるのはいいや、恥ずかしいけど仕方ない。せめてこの後何が起きても漏らさないようにと、膀胱に全集中の呼吸。そんな私とは対称的に、水田さんはとても楽しそうに、こう言った。
「なるほど。『ひざ小僧』というお名前なんですね」
何を言われたのか分からなかった、その2。
「あ、あれ? 面白くなかった、ですか? ほらその、男の子と小僧をかけて、ひざ小僧ー、なんちゃって」
くしゃり、と新聞が擦れる音。さっきまで中年男性の膝の上に置かれていた新聞は、今は男性の顔を隠すように掲げられている。聞き耳を立てていた彼は、今どんな顔をしているのだろう。
げほっげほっと咳き込む声。大学生が、こちらも中年男性を見習ってのことか、ジャンプを顔の高さまで掲げている。重そうだねそれ。
「あっ、ほら! みんな笑ってくれてますよ! やっぱり面白いですよね!」
‥‥‥面白くねーよ。
後で聞いたところによると、私が困っていたから助けようとしてくれたらしい。嬉しくて涙がでるね。