茂武太郎を首領とする小さな犯罪組織を潰した、その翌日。
俺とお嬢は学校を欠席した。
何も体調が悪いわけでも、学校に行くことが躊躇われるほどの大寝坊をかましたわけでもない。
昨夜保護した《異世界人》の護衛と経過観察……という名の監視を命じられたためだ。
普段であれば学生の本分を果たせ、どれだけ任務終了時刻が遅くなり徹夜になろうとも学校に行かせられるのだが、《異世界人》絡みとなるとだいぶ話が変わってくる。主に事の大きさが。今は俺達の上司……のさらに上が動いている事だろう。
それがひと段落するまで俺達は彼女の保護くらいしかやることがない。そして保護に適任なのが、《異世界人》と同年代と見られ、かつ日本最強の《異能力者》の一人である白銀遙華というわけだ。俺? そのオマケですが何か。そんなオマケだろうが彼女と相棒で動いているのは俺なんだから何も問題は無いんです。えぇ。
誰にしているかもわからない言い訳を並べた後に俺はこんこん、と控えめにお嬢の部屋の扉をノックする。
お嬢の「いいわよ」という言葉を聞き、扉を開けた。
部屋の中にいるのはブラウンのニットにネイビーのプリーツスカートを履いた、私服姿のお嬢と……。
「朝飯持ってきた。……まだ目ぇ覚まさないか?」
「駄目ね。……やはり精神的なものかしら」
「かなぁ……」
一晩明けても目覚めない眠り姫。
身体的には何も異常はないのだが、お嬢の言う通り一向に目覚める兆候がないのだ。
事故か自分の意志かはわからないが、今まで自分が住んでいた世界とはまるで異なる世界に来て、右も左もわからないうちにワケのわからない男達に捕まったと考えればそうなるのも仕方ないと言える。
とはいえ……。
「早々に目を覚ましてほしいものね。こっちとしても彼女に聞きたいことは山ほどあるんだし」
サンドイッチを行儀よく食しながら彼女は愚痴るように言う。
──《異世界人》の漂着。
数百年前までは珍しい事ではなかったらしいが《鎖界》……『異世界との交流の一切を禁ずる』という方針になった現在においては、こちらの世界から異世界へ渡る事も、今回の様にあちらの世界からこちらにやってくる事もなかった。……今、目の前にいる彼女を除いては。
「どうやって《鎖界》を掻い潜ってこの世界にやってきたのか、やってきた目的は何なのか……それらを聞き出せない限り、こっちとしてもどう対応したらいいもんかわかんねぇ。そもそもこっちの言語通じるのか? ラノベとかだと翻訳機無しに勝手に日本語訳されるけど」
「フィクションとノンフィクションを同列に語ってもね……一応本家の方に問い合わせてるわ。見つけ次第こっちに持ってきてもらう手筈になってるけど、正直期待しない方が良いでしょうね。本家の資料でも『異世界言語翻訳機』なんて代物、見た事も聞いた事もないから。もしあったとしても……」
「ぶっ壊れてるか、作動したとしても使い方がわかんねぇって事か」
異世界との交流が完全に断絶した現代でなくとも、《鎖界》が決定したおよそ80年前からこの世界と異世界の交流はか細い物であったという。そんな時代に翻訳機などが作られるとは考え難く、もし見つかるとしたら異世界交流が最も盛んだった時期……安土桃山時代後期~江戸時代中期にかけて製作された代物だろう。
そんなもの、骨董品として眺めるくらいの価値しかない事は容易に想像できた。
「そういう事。彼女が目を覚ましてくれない限り皮算用だけどね──」
んぅ……っと。
俺の声でもお嬢の声でもない、やや幼さの残ったソプラノボイスが俺達の耳朶を打った。同時に俺とお嬢の警戒が一気に跳ね上がる。
「……リョーマくん」
名を呼ぶと同時、お嬢が俺を手で制する。それに俺は頷いた。
相手は《異世界人》。俺達の知識に無い技術によって攻撃してくる可能性がある。そしてその攻撃は俺とお嬢のみならず、周囲一帯を吹き飛ばすようなそれでもおかしくなかった。
故に彼女は数ある《異能》の中でも『最硬』と名高い自身の能力……《白銀》を行使。部屋全体を自身の《異能》を具現化させた液体ですっぽりと覆ってしまう。
《
牢の名が示すように、この《白銀牢》は『対象を閉じ込める』という事に特化した技。そしてこの液体金属の檻は対象のみならず、対象の攻撃から外部に存在するものを守る障壁でもある。
そしてそれはその内部にいる自分達は無事では済まないという事なのだが……俺はお嬢の強さを微塵も疑っていない。たとえ何があろうとも守ってくれると信じているから、俺は慌てずに済んでいるのだ。
お嬢は完全な臨戦態勢を取った。もし彼女がベッドで横たわる少女の動きに異変を感じれば、即座に攻撃に移るだろう。
だが……そんな懸念とは裏腹に、眠り姫の動きはひどく呑気だ。
吐息を漏らし、僅かに身体を動かすたびに身長にそぐわない豊かな胸がたぶん、と揺れる。その光景は男からしてみれば眼福ものだったのだろうが生憎とそんな余裕はない。
そうして固唾を飲み、眠り姫を睨みつけて……一体どれほどの時間が経っただろうか。酷く短かったようにも思うし、一時間ぐらいずっとそうしていたようにも思える。普段ならば然程気にならない、顔を流れる汗が鬱陶しくて仕方がなかった。
そんな緊張が支配する空間を破ったのは……、
「──ご飯ッッ!!」
そんな、間が抜けた少女の声と彼女の腹の虫が鳴いた音だった。
「……有り合わせだけど。口に合わないな思ったら残してくれていいから」
「そんなっ、施しを受けておいてお残しなんて勿体ないです! イタダキマス!!」
大皿に盛ったレタスとトマトのサンドイッチを、眠り姫……改め腹ペコ姫はとんでもない勢いで咀嚼していく。こんな勢いで平らげていたら喉でも詰まらせそうだな……。
「一応水も持ってきましたが……素晴らしい食べっぷりですね」
「あ、ありがとうございます! え~っと……」
「白銀遙華と申します。姓が白銀、名が遙華です。……クララ・ヴィルシュルトさん、でよろしかったですか?」
「ハイ! こちら側の発音だとそのようになるそうで。気軽にクララ、と呼んでくだされば幸いです! よろしくお願いしますね、リョーマ、ハルカ!」
にぱーっ、と快活そうに笑いながら美味しい美味しい、と朝食を収めていく《異世界人》──クララには凡そ害意の類は見受けられない。しかし……警戒は解かない。現にお嬢も《白銀牢》を即時展開できるように待機している(無論それを悟らせないようにしている)し、俺は彼女が目を覚ました事の報告も兼ねて応援を呼んでおいた。
これで何かあったとしても制圧は出来る……筈だ。というよりお嬢が制圧できなければ、自分達が対応できる範囲を超えていると言っても良い。
「あ、あの~ふたりとも?」
ごくん、とサンドイッチを平らげたクララは苦笑する。
そして……。
「そこまで警戒しなくてもワタシ、ふたりに乱暴したりしませんよ?」
というよりも出来ません、と笑うクララ。そこだけ切り取ったのなら可愛らしい絵面なのだが、こっちは気が気ではない。自分達は《異世界人》について『そういった存在がいる』くらいの知識しかなく、彼らが何ができて何が出来ないのかもわからないのだから。
故にここは惚けてみる事にする。
「警戒してる、とは?」
「だってハルカ、この部屋を丸ごと覆う《結界》を用いているでしょう? ワタシに悟られないように、かつすぐに攻撃まで行うことが出来るように準備までしてます」
「──」
「あっ、だからそんなに警戒しないで! ワタシ別に怒ってないです! むしろこんなよく分からない奴、警戒しない方がおかしいんですから!」
表情を硬くしたお嬢に向かって、クララはぶんぶんと手を振りながら捲し立てる。
戦闘のみならず、彼女の《異能》に関わる技術の全ては世界中で見ても上位に入る。それは今、彼女が用いていた相手に《異能》の行使を悟らせないようにする技──隠蔽も例外ではない。
それをあっさりと暴いてみせたクララも相当な実力者。少なくとも俺では比較にならないほど《異能》の扱いに長けている事は間違いなかった。
そんな相手を『警戒するな』とお嬢に言ったところでどだい無理な話なのは俺でなくともわかるだろう。
故にここからは選手交代。俺が彼女に対して聴取を行う。
「悪い、俺からも質問良いか?」
「ハイ。なんでもどうぞ、リョーマ。私は金輪際嘘吐きません!」
「微妙に意味が違う気がするけど……まぁ、いいや。さっき俺達に乱暴できないって言ったよな? それはなんでだ? 俺から見たらクララも結構強そうに見えるけど」
「それはですね、まず今の私は《異能》が使えなくなっている事がひとつ。この指輪の効力によるものです。おふたりとも、よくご存じなのではないですか?」
そう言い、クララは自身の右人差し指に嵌められた指輪を示す。
金属らしい光沢もない、不自然なほど白いシルバーリング。彼女の言う通り、それを俺達はよく知っていた。
その指輪は《白銀錠》と呼ばれる異能道具。そしてそこに込められた力は《白銀》を《白銀》たらしめる唯一の力。
《異能封印》……即ち《異能》の発動を禁じる、《異能者》に対する最善策。
その力を一子相伝で受け継ぐからこそ、白銀家は古来より護国の要となっているのだ。
そして俺達は彼女を保護した後、《異能封印》の指輪を彼女に装着した。この世界の《異能殺し》が異なる世界の術理に通じるかは不明だったが、彼女の言葉を信じるのであれば《白銀錠》は正しく機能していたらしい。
「そしてふたつめ。そもそも私の《異能》は他者の攻撃に不向きなんですよ。《
「……《異能》の行使に受信側の合意が必要って事か? そりゃ面倒な」
「ハイ。その代わりと言ってはなんですが、一度許可を得られたのなら、距離関係なく使えますし、距離が延びるほど疲れるといった事もありません。……話が少し脱線しましたが、このふたつの理由で、ふたりに嫌がらせしようと思ってもそれは無理な話なんですよ」
「今は俺達が嵌めた指輪で使えなくなってるし、仮にそれを外したとしても俺達にはそもそも繋がらないから、か」
「です」
《念話》自体は然程珍しい異能ではない上、炎の放出や金属で武器を作るといった《異能》と比べれば攻撃性能は遥かに落ちる。無論、攻撃に転用できない事もないだろうが……そんな使い方をする者はごく稀であるし、俺とお嬢が通っている学校でも『《念話》で相手を攻撃しろ』なんて教えない。
しかもクララのように『双方の合意が必要』という大きな制限がかかっているとなれば猶更だ。裏切ってもない限り、味方を攻撃する事などないのだから。
「……しかし、それが私の《白銀牢》を看破した理由にはなりませんよね?」
「お、立ち直ったか」
「最初から凹んでなんていませんから」
つーん、と気品のある猫の様にそっぽを向くお嬢に愛らしさを感じながらも「どうなんだ?」と視線を向ければ、クララは唸った。
「えっと、おふたりにわかりやすく説明できるかというと微妙なところなんですが……私の体質《
「テイスティング?」
「ハイ、……ワタシは自分に向けられた感情が味覚でわかるんですよ。好意であれば甘味、敵意であれば苦味……といった風で、味が濃さが感情の強さの指標になります。そして……ふたりからは苦味がやや強い酸味──こちらへの警戒を感じました。だからむむむっと周囲をなんとなーく探ってみたら、ハルカのしろがねろー? がこの部屋を覆っていることに気付きました。《異能》の気配を探る事は昔からとっても得意でしたから」
「むむむって……」
随分と気が抜けた風に言ってくれる。微かにお嬢が落ち込んだ気配がした。
しかし……なるほど、合点がいった。
つまりは順番が逆──《白銀牢》に気付いたから自分が警戒されていると気付いたわけではなく、自分に警戒の感情が向けられているから、他に何かあるんじゃないか? と周囲を探ってみたら《白銀牢》を発見したわけだ。
味という制限があるから、読心術の域には届いてないだろうが十分に有用な力だ。しかし……
「それってオンオフ……使いたくねぇな、と思ったら切ったりできないのか?」
「できたら苦労しないですよ~。だからリョーマのサンドイッチ、美味しかったですがちょっと苦かったです! 落ち着いたらまた食べたいです!」
「あぁ、わかった。また今度な」
頬を膨らませる彼女に苦笑しながらも、やはりか、と思う。
《異能》とは全く異なる体質……異世界独自の共感覚*1のようなものだろうが、やはりというべきか『気にしない』事は出来ても『感じないようにする』といった事は不可能らしい。
便利ではあるが、使い勝手は悪いな……と勝手に嘆息する。
などと思っていると、
「むっ」
ぴょこん、と彼女のアホ毛が跳ねる。どういう仕組みなんだ。
「ふたりとも、お客さんみたいですよ? 人数は……ふたり、ですかね? 身長が高い人と、ちっちゃい人です」
「……そこまでわかるんですか?」
「流石に《異能者》でなければわかりませんが。とりあえず敵意は感じませんが……お知合いですか?」
「あぁ。……悪いな、クララ。もうちょっと俺達に付き合ってくれ」
「かしこまりました!」
びしっ、と敬礼する彼女に緊張が削がれる。
出来る事なら穏便に済んでほしいな……と思っていると、部屋の扉が開かれた。