対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい+ 作:槍刀拳
蛇子ちゃんの墨汁ぶっかけ事件の話を終えた時点で、既に30分が経過していた。魔族の店の出来事や買い物巡りを含めると既に3時間が経過し、現在の時刻は15時00分だ。
しかし……。いくら待ってもトイレに花を摘みに行った蛇子ちゃんと、付き添いのふうま君は帰ってこない。それどころか連絡の1つも寄こしてこない。お花を摘みにうんこ……大便をしに行ったとしてもあまりにも遅すぎる。今の今まで便座に座っていたとすれば、今度は蛇子ちゃんのおしりが心配になってくる。下剤と痔の薬を買っておこうかな……。
仮にとっくの昔に花摘みを済ませ、2人だけでお出かけしているのであってもそろそろメールか何か連絡を入れてくれてもいいはずだ。だが、そのように考え始めてしまった今『蛇子ちゃんとふうま君は本当にトイレへ向かったのだろうか?』という変な勘ぐりの感情が沸き上がって来てもいた。『最初から2人だけでお出かけするつもりだったんじゃないか?』そんなふうにも考えてしまう。
——そんなわけがない。
自分に言い聞かせる。きっと五車町に来たばかりの私を気遣って、ふうま君が企画してくれたに違いない。どうして
スマホを確認しても迷惑メールが1件……入っている以外に何も変わったことはない。念のため、現在地と安否確認のメールを送っているが、まったくもって返信はない。
「ふうま君と蛇子ちゃんから、何かメールは来ましたか?」
「うーん。……特に来てないなぁ」
「……お花を摘みに行ったにしては長すぎません?」
「うん。そうなんだよなぁ……」
リュックサックによって、ほぼ座面を奪われた椅子にずり落ちるかのような姿勢で天井を見上げながら取り残された相方に確認を取るが、どうやら上原くんの携帯電話にも2人からの連絡はないようだ。彼は私とは真逆に机に顎を乗せて、腕を前に突き出しながらジト目でスマホを弄っている。
「……よし、ちょっと俺見てくるよ」
「では、私も……」
「青空さんは、ここで待ってていいぜ。その背中に背負ってる大荷物重いだろ? 見つかったら電話するからさ、すれ違わないようにここで待っててくれよ」
「了解しました。では、よろしくお願いしますね」
「おう! 俺に任せておけ!」
ぴょんぴょんと跳ねる身長140㎝の男の娘の後ろ姿には心配しかなかったが、彼の声は自信に満ち溢れており元気も有り余ってそうだったため、何も言わずに彼を見送った。
上原くんが飲み終えた紙コップを片付けて、背中を荷物に預ける形で天井を見上げ一息つく。先ほどまでの邪推を忘れるように頭の中身を空っぽにして。
春の日光がショッピングモール内をほのかに照らしており、日光によって照らしだされた
瞼を閉じて、ヘッドホンをスマホに繋げた。あとはスマホに掛かってくる上原くんの連絡を待ちつつ、声を掛けられたときに気が付ける程度の音量で激しいヘヴィメタルの音楽にリズムを刻みながら身をゆだねる。
………
……
…
「ここ、空いているかしら?」
「えぇ。あいていますよ」
しばらくして。不意に先ほどまで上原くんが座っていた椅子の方角から、あの女魔族よりも1オクターブほど高い女性の声が聞こえてきた。
「失礼するわね♪」
「……ご自由にどうぞ」
……きっと休日ということもあって、他に座る席がないのだろう。そう思って仰け反った姿勢のまま右へ視線を向ける。しかし、そこには誰も座っていない座席が目に映った。
……。……あれ?
違和感を覚え そのまま左側の座席も見る。右の座席と同じ状態だ。それどころか、先ほどまで休憩していた客の姿が1人も見えなくなっている。先ほどまで座っていた客が食器も片さず、不自然にも食べ残した状態で忽然と姿だけ消して……。
ギョッとして、首だけ正面に戻す。正面には、不気味なほど妖艶な微笑みを浮かべ、こちらの反応を楽しむように頬杖を突くあの女魔族がいた。今、彼女はこちらを愉快そうに眺めながら手を振っている。
「アイシュウ=ヘビコ=チャァアァアアアアッ!?……アッ?!?」
……ゴチンッ!!!
あまりの驚きにバランスを崩し、悲鳴のような絶叫を上げつつ、みっともなく腕を振り回しながら椅子にバックドロップされるような形で後頭部を強打してしまった。そのまま後転でんぐり返しをしながら、めまいのする視界でよろめきながら立ち上がる。
周囲を見渡せば、つい先ほどまで休憩所にいた他の客が次々と出口から出ていき、出入り口には人間とは思えないような全身緑尽くめででっぷりとビル樽腹の太った肉の塊が、壁ぞいで身を潜めながらこちらを伺っているのが見える。
おまけに窓の方では、雨戸用のシャッターが降りてきており床との重厚な接着音と共に外部から内部、内部から外部へと通じるすべての光景を遮断されてしまった。恐らく外部からこちらの様子を見られることが彼女たちにとって都合が悪いのだ。…この調子だと、頭上で休憩所を映し出している監視カメラの映像も、あの
「あらあらあらぁ♪ 大丈夫ぅ?」
椅子に座ったままケラケラと笑う正面の女の問いかけに答えず、迅速に彼女から距離を取りつつ、一緒に転がった自分の荷物を引き寄せて荷物に振り回され遠心力が掛かるのを感じながら背中に背負う。先ほどまで十分に水分を取ったはずなのに、口の中が渇いていくような感覚に苛まれる。
視野を広げ、眼球だけを動かして別の突破口を探すが……駄目だッ! どの出口にも
「そんな怯えなくても大丈夫よ。あなたとは邪魔者なしでお話したいと思ってね♪ まずは落ち着いて席に座って?」
「…………」
彼女は立ちあがると日葵用……。つまり私専用の席だと言わんばかりに、先ほどまで座っていた椅子を起こして掌を座席へと向けてきた。
だが私にはそんなエスコート通りに従うほどの余裕はない。
丁度この時は……他に武器になりそうなものとして、大型観葉植物と木製の大量の椅子を振り回そうと考えていたぐらいだ。他に役に立ちそうな武器は清掃員が使用していた大型掃除機が置きっぱなしになっている。武器として振り回した経験談として大型掃除機は最高の得物だが、とっさに改造するための刃物が近場にない。リュックサックの中身を漁れば見つからないことはないだろうが……。そんな悠長なあからさまな隙に正面の女魔族が動かないわけがない。
……出入り口に脇目も降らず椅子か消火器を片手に突っ込むか? だが、皆が想定する以上に椅子は案外脆い上に、消火器も噴射時間は14~15秒……なおかつ1度でも薬液を噴射させてしまったら中身が空になるまで止まらないのだ。小分けに温存……だなんて器用な使い方はできない。消火器は、数人の目を一時か永久的に失明ぐらいはできるかもしれないが、その特性ゆえに後ろに“控え”がいた場合には対処できない。
「それとも♡ 私のリクラゼーションルームで “じっくり” 大人のお話しが好みかしら♪」
エスコートを無視し続け逃走経路を模索する私に、地声より更に高めの……子供がお気に入りの玩具を見つけて声を上げるような声が投げかけられる。……否。そんな無邪気と言っても、愛くるしい子供とは違う。これは母親が子供を恋人と勘違い……。……違う……。もっと背筋が凍り付く様な……まるで、母親が子供へ自分自身の兄弟姉妹に向けて発したもののような甘える声色に似ていた。余所向きの猫なで声とは違う……とにかく目も合わせたくなくなるような、鳥肌とうなじの毛が逆立っていくのが感覚的に理解できる。
……だが目を離すわけにもいかない。……彼女は人間じゃない。……上原くんの予測通り、ナーガ族なのかもしれない。彼女のはちみつ酒色の光彩の中にある黒目が夜行性のハブの瞳のように縦割れの蛇目へと変わっていた。
大人しく、彼女には近づかずに最寄りの椅子を引きずって、机2個分の距離を開けた場所に椅子を置き座る。逃走案なき今は『椅子に座れ』という彼女の指示に従うしかない。
「そう♪ それでいいのよ♪ ごめんなさいねぇ、怖がらせちゃったかしらぁ? あなたがあんまりにも聞きわけがないものだから♪」
「……」
「そんな険しい顔しないで♪ ほらもっとこっちに 近くにいらっしゃい?」
「……」
「それじゃぁ……♡ こっちから行くわね♪」
「……っ」
「そんな逃げることないじゃない♪ でも鬼ごっこがしたいのなら、話は別ね♪ ……良いわよぉ? あなたの気が済むまで付き合って、あ げ る♪」
ゆるやかに接近してくる彼女に対し。席から立ちあがって逃げるように距離を取るも、彼女は明らかにこちらの逃走速度よりも早い速度で距離を詰めてくる。それは、例えるなら……夜間。屋外外套に照らされた自分と自分自身の影…とでも表現すればいいだろうか? 現在、こちらは彼女と目を離さず以前野生のクマに出会った時のように机を盾にしながら逃げているが、背後を見せようものなら一瞬で毒牙にかけられる。そんな予感がして後ずさりでの逃亡を止めることはできなかった。
だからと言って、このチェイスもいずれ強制的に終わらせられるかもしれない。今は彼女が楽しんでいるから付き合ってくれているようだが……飽きるか、気分を損ねれば、きっとそれだけでは済まされなくなる。それは分かっていたし、私がこのように単独になった所を狙って絡まれているのだ。……上原くんにも追手が向かって————いや、もう私と同じ状況下にいるかもしれない。この魔族の女がこちら側に来ているとはいえ、到底 彼一人で出入り口を塞いでいるような緑色の浮腫モドキに囲まれてしまったら? 店の中に潜んでいた高位魔族が他にもいたら? ……彼では手も足も出ないだろう。早く——早く、助けに行かなければ。
彼女から逃げつつ、深呼吸を繰り返す。
気分を落ち着けて、正面の怪物と1人で対峙し有事には殺り合う覚悟をキメる。
それから、紫先生が私にやってのけたように適当な机を持ち上げて私と彼女の間に叩きつけるように置き、その机の端に私が座る。
一瞬、彼女も机で攻撃を仕掛けてくるのかと残像が残るような動きで左にそれた動きを見せるが、それが机を設置する動作であること。こちらが爪で対面上に座るように無言のままこちらがノックをしてエスコートをするとニッコリと笑って座席につく。
……向こうが戦闘を仕掛けてくることを望んだ場合。私がこの女から逃れるには目前にある机を蹴り飛ばし胸部を強打させて、座っていた椅子で弧を描くように頭部目掛けて叩きつけるほかに不意打ちの作戦はないだろう。