ようこそ悪霊と逝く楽しい学校生活 作:ふにふら
ピンポーン、とチャイムが鳴る音が聞こえた。
(あ、起きましたかぽん太郎)
暗闇の中、ゆっくり見上げた視線の先にあるのは寮に備え付けの時計。その針は21時を指している。
"ねむい……だれ、こんな時間に"
6月も下旬に差し掛かったこの季節。
梅雨が明けるにはまだ早くても、今日は真夏を思わせるほど暑かった。
開け放った窓から小さく蝉の鳴き声が聞こえる中、床に脱ぎ捨ててあったガウンを羽織るためゆっくり体を起こす──ベッドが抗議するように大きく軋む。
(いつか壊れそうですね)
ガウンを装着し、少し汗ばんだ身体を引き摺るようにして玄関に向かう。
"冷房は早いかと思ってたけど、どうせ電気代は無料だし解禁するか……後でシャワー浴びてさっぱりしよ"
そんなことをぼんやり考えながら玄関の扉に手を掛ける。ドアスコープを覗いてもいいけど、正直誰が相手でも対応は変わらない。速やかにお引き取り願うだけである。
「どちら様です……か」
「………………」
開け放った玄関のドアの向こうにいたのは、何故か制服姿で鞄を持った櫛田さんだった。
「あの、こんばんは」
「…………」
思い切って声を掛けてみたけど櫛田さんは無言だった。
(気まずいですね)
"……ああ"
今日いきなり学校を休んだ櫛田さんとこんな形で会うと思ってなかった。そして昨日あった事は、正直俺もまだ消化できてない。
昨日の件でいつか話す必要があるとは思っていた。でも今は掛ける言葉が見つからない。放っておくのが1番なのかな、とさえ思っていた。
「本くん」
迷っていると呼びかけられた。
「話がしたいの。部屋に入れてくれる?」
それは一見いつも通りの櫛田さんだった。愛嬌のある可愛らしい笑顔で両手を前で合わせてお願いのポーズを取っている。
今朝俺の席を包囲していたならず者達なら、このお願いの仕方で何でも言う事を聞きそうだった。
(ヒエッ)
でも目のハイライトとか、声の抑揚とかが……うん。誰が相手でも速やかにお引き取り願うと思っていたが訂正しよう。今の彼女にお引き取り願える勇気が俺には無い。
「……どうぞ」
「ありがとう」
招き入れて、リビングに通す。
「ひょっとして寝てた?」
電気が消えていたこと、あと俺がナイトガウンを羽織っていることから疑問に思ったらしい。
「気にしないで。ウトウトしてただけだから」
「……そうなんだ」
この学生寮では、夜8時以降に男子生徒が女子生徒の部屋に訪れることは原則禁止されている……逆を言えばこうして女子が男子の部屋を訪れるのは禁止されていない。
「何か飲む?あんまり長い時間は不味いかもだけど」
とはいえ褒められる行動ではないのは確かだ。
「今はいいけど、後で貰いたいかも」
「あ、はい」
どうやら長期戦になるらしい。
綾小路視点
『ぶっ潰してやるよ』ピッ
「というわけで、宣戦布告されました」
Cクラスのリーダーだという龍園某の台詞の再生が終わり、ボイスレコーダーを弄っていたハジメの第一声がこれだった……いやいやいや。
「いや……聞いてたけどさ」
池が恐る恐る質問する。
「これ……狙われてるのさ
Dクラスっていうかお前じゃね?」
皆が思っても言わなかったことを!
「気づいて…しまわれましたか」
……そしてハジメ、神妙にするんじゃない。
「だ、大丈夫だよ本くん!絶対守ってみせるから!」
クラスに広がる微妙な雰囲気に抗うように櫛田が声を張り上げている。優しい櫛田らしいといえばらしいが……ハジメに対する態度が週明け前とは少し変化した気がする。
「……?」
当の本人は守るという言葉がピンと来ないのか首を捻っている。
「つまり、クラス間の競争が本格的に始まったということだよね?」
クラスの中に広がった困惑を纏めるように平田が質問した。
「うん、まあ。そういうことかな」
なんだか歯切れが悪いな。
「……これ言おうか迷ったけど、やっぱり話した方がいいよね」
そこでハジメが掻い摘んで話したのは、龍園某から個人的に感じたという感想だった。
曰く、クラスをほぼ掌握していて、クラスぐるみで仕掛けて来そう。
曰く、手段を選ばなさそう。
曰く、何をしてくるか分からない。
曰く、化け物とか言わないでほしい。
曰く、眠い。
「「「おい」」」
「──ハッ!?」
教壇に立ったまま船を漕ぎ出したハジメに、複数人から突っ込みが入った。後半寝言に近かったぞ。
「ごめん、実は昨日全然眠れなくて」
さしものハジメもCクラスからの宣戦布告には動揺したのか、寝れなかったらしい。非常に眠そうだった。
「……ポイント引かれるから授業中は寝れない。休み時間は質問責め」
何やら呟いている。
「というか櫛田さんは──」
ん?
「本くん」
櫛田がハジメに声を掛けた。
「そんな事になってたなんて、大変だったね」
何だか草臥れた様子を見かねて声を掛けたらしい。
「…………」
ハジメはよほど眠いのかジト目になっている。
「うん、分かったよ──皆、Cクラスがこちらのクラスに仕掛けてくるかもしれない。そのつもりで備えていこう」
そんな平田の発言でその場は解散になった。
「Zzz……」
そんな放課後の話し合いが終わった後、ハジメは自分の机に突っ伏して速やかに夢の国に旅立った。
"というか、結構寝るよなあいつ"
授業の合間はよくああして突っ伏しているし、思えば最初の自己紹介でも寝ること食べることが趣味と言っていた気がする。
「さて、と」
クラスを見渡すと、まだそこそこの生徒が残っていた。やはりCクラスのリーダーから"ぶっ潰す"なんて物騒な宣言を受けて平静でいられる生徒は少ないのだろう。櫛田はまだ体調が優れないと言ってすぐ帰ってしまったが、平田と彼女の軽井沢は集まったクラスメイト達と話しているし、池と山内はクラスの中で大きな声で騒いでいる。ここまでは放課後の景色としてそこまで珍しくない。
「………………」
だが堀北が帰り支度もせずに、図書館で借りて来た本を取り出し読み始めたのは意外だった。
普段であれば授業が終わるなりすぐに帰ろうとするのだが。
「珍しいな、堀北」
「……別に」
そう言った堀北だったが、その視線がチラッと向けられたのは──
「ハジメに話でもあるのか?」
昨日の昼も2人で話したいと言って離れた席に座っていたが。
「ええ、とても大事な話が」
パラパラと捲られる本。
……因みに拝見すると、ドストエフスキーの『悪霊』だった。グッドチョイスだ。
「にしても、勘弁してほしいぜ」
そんな声が聞こえてきた方へ目を向けると、山内が池と須藤に向かって愚痴っていた。
「いきなり何でって思ったけどよ。要は本の奴がCクラスに目つけられたんだろ?」
どうやら今回の件に対して思うことがあるのか、不満そうな顔をしている。
「いやそうかもしれんけど……別に本が悪いことしたわけじゃないだろ?」
「いーや、目立ち過ぎたんだよ」
池の言葉にも納得がいかないのか、未だ机に突っ伏しているハジメに向かって言葉を投げかける山内。
「せっかくもうすぐポイント貰えるんだぜ?その前にトラブルでも起こされて、それが無くなったらあいつ責任とれんのか?」
最近話すようになっていたとはいえ、山内は全てにおいて突出しクラスで女子に人気のあるハジメに対して嫉妬の感情があるのだろう。
その感情に理由をつけて本人に矛先を向けようとしているようだが──それでハジメを責めるのは違うだろう。
「休みの日だって、櫛田ちゃんのこと無理やり連れ回したんだろ?調子乗り過ぎてんじゃ──ぐえッ!?」
そんなことを思いながら苦々しく見ていると──
鶏が締められる様な声とガタンという音が響いた。
「うるせぇぞ、山内」
須藤が獰猛な表情を浮かべながら、山内の襟首を左手で掴み上げていた。
「散々あいつに世話になった癖に、グチグチ言ってんじゃねえよ」
「──ッ!」
顔を青くしている山内の腰が椅子から浮いてしまっている。無造作に掴んでいる様に見える手だが、余程の力が込められているらしい。
身近に規格外が居るせいで忘れがちだが、元々須藤は頭抜けた身体能力を誇るフィジカルエリート。喧嘩の場数も踏んでいるようだし、普通の生徒は相手にならないだろう。
「須藤くん!」
クラスに騒めきが広がるが、そんな状況をクラスのヒーローが見逃すわけもなく平田が即座に止めに入った。
「……あ?お前も今の糞みてえなセリフ聞いただろ」
だが余程腹に据えかねたのか、須藤は山内の襟首を掴んだまま手を離さない。
「俺程じゃねえが、こいつもハジメの奴に世話になったんだ……なぁおい山内」
額がくっつくほど顔を寄せる。
「よくそんなこと言えたな?」
その言葉は、決してボリュームが大きかったわけではない。須藤の表情も一見穏やかにすら見えた。
だがそれは嵐の前の静けさというか……噴火前の火山の様にエネルギーを内側に溜め込んでいる姿を幻視させる。
「──ひっ!?」
山内が小さな悲鳴をあげている。
"まあ、無理もないか"
以前の須藤は沸点が低く所構わず喧嘩をふっかける、言い方は悪いが唯のチンピラのような態度だったが……最近はそんな態度を改め、他人にあまり迷惑をかけない様に自制しようとする姿を見せている。
数ヶ月前の須藤とはもはや別人だが、だからといってそれまで培った暴力的な気配が完全に消えたわけじゃない。むしろ剥き出しだった刃物が鞘に収まったかのようで、迫力という意味では逆に凄みが出た。
「確かに山内くんの言葉も問題があったかもしれない。でもこんな時だからこそ僕らは協力して乗り越えなきゃいけない。きっとハジメ君もそう言う筈だよ」
そしてそんな須藤を、真正面から真摯に説得しようとする平田はマジで格好良かった。
平田の言葉が届いているのか、僅かに逡巡する様子の須藤。
"あとこの場を収められるとしたら──"
「なんの騒ぎ、これ」
静まり返った教室に響く声。
クラスの不穏な気配を感じたのか突っ伏したままだったハジメの身体が起き上がっていた。口調は若干眠そうではあったが、それでも一種のオーラと言うべきか……大地に根を張る巨木のような存在感を放っているように感じる。
「あ、おい本!また須藤が暴力振るってきたんだよ!止めてくれ!」
そんな頼もしすぎる姿を見て安心したのか、山内が即座に助けを求めた──確かに精神的にも物理的にも須藤を止められる存在だが、過程を省いた説明はズルくないか?
「姑息ね」
堀北と意見が一致した。場合によっては口を挟んだ方が良いかもしれない。
「……そう」
ハジメはそんな山内の訴えを聞き、襟首を掴んだままの須藤の目をじっと見ていた。
「ああ、そういう」
数秒考え込んだハジメは一つ頷いた。
「げほッ、おい何してんだよ!?さっさと──」
再び締め付けが強くなり始めたらしい山内の催促に
「気にしてないよ」
「──は?」
そんな言葉を
「俺のために怒ってくれてありがとう。でも、苦しそうだからやめてあげて」
ハジメは寝ていたので事情は把握していない筈だ。
「それと山内くん。流石にそんな責任は取れないかな……クラスの為に協力はするけど、それは出来れば皆にもしてほしいし」
そう思っていたが、狸寝入りでもしていたのか。
もしくは相当眠りが浅かったのか。
「ほら、一緒に帰ろ」
「……ああ、そうだな」
漸く山内から手を離す須藤。離された山内は本人に非難していたのを聞かれた事が気まずいのか、ハジメから目を逸らしている。
「あ、ちょっと待って」
何やら携帯を取り出してポチポチしている。
「これでよしっと。清隆、堀北さん、一緒に帰ろ」
「行こう」
「……そうね。話したいこともあったし」
堀北も同行するらしい。
オレが誘ったら怪しいが、えらくあっさりだな……ちょっと凹む。
「皆さま、お騒がせしました。もしCクラスから何かされたら教えてください。頑張って
堀北は変わった。須藤は変わった。
……だけど多分ハジメは変わってない。人間的に完成しているから直すべき欠点が無いのか。もしそうならそれも良いことの筈だが──なのに何だろうな、この背筋がゾワゾワする感覚は。
「……何故お前は浮かばないんだ?」
「仕様です」
あれから数日経ち、いよいよポイントの振り込み日が迫っていた。ハジメがクラスメイトに注意を促していたが、特にCクラスによる干渉もなく平和な時間が過ぎていた。
「先生、そろそろ諦めませんか……?」
「──まだだッ」
因みに今は体育の授業中。マッチョな体育教師(東山先生)が夏までに全員泳げるようにすると豪語していた通り、あれから体育の授業はほぼ水泳だった。そして授業態度がクラスポイントに影響することが判明してから、サボって見学する生徒も減っている。そのおかげか泳げない生徒も減ってきた。
「……よし思いっきり息を吸ってみろ」
「スウウウウウウウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「いつまで吸ってる」
そんな先生の突っ込みに、人体ってそんな構造だったっけ?と首を傾げるほど胸が膨らんでいたハジメから同じ位の勢いで空気が抜けていき、同時にかろうじて水面に出ていた顔が沈んでいった。
「いったいどんな身体をしているのかしら」
「……さあな」
そんなわけで皆順調に泳げるようになってきたのだが、衝撃の事実が発覚した。
──なんとハジメは泳げなかったのだ。
「嘘だ……こんなことが……」
いやそれなら初回の水泳授業で見せたあれは何だったんだという話だが、どうやら根本的にオレ達とは仕組みが違ったらしい。
例えるならオレ達は船だ。水面に浮かんでそこに推進力を足して進んでいく。
だがハジメはその特殊な肉体の性質か、そもそも浮かない。なので桁外れの推進力で身体が沈む前に無理矢理進んでいたんだとか。例えるなら魚雷だった。
そしてその為にはある程度の水深が必要で──いわゆる競技用の泳ぎ方は難しいのだそうだ。
「……悪いことしたかな」
そんな事を考えていると、プールサイドに腰掛けていたオレ達の前の水面に泡が立ちハジメが顔を見せた……慟哭している先生から逃げてきたっぽいな。
「おつかれ。まあ、しょうがないんじゃないか?」
ハジメ曰くもう話し合いは済んだとのことだったが、それでも未練があったのだろう。
水泳部顧問でもあるマッチョな体育教師の目元で光る水滴は、プールの水か、はたまた涙か──
「うん……じゃあちょっと休憩」
そう言うと思いっきり息を吸い込み、再び風船の様に胸を膨らませたハジメは上半身だけ水面にぷかぷかと浮かび始めた。
"何だこれ面白い"
極限まで脂肪を削ぎ落とされた彫刻のような肉体が、驚異的な柔軟性で変形していくのは見応えがある……試しに足で突いてみる。
「やめれー」
喋ったせいで空気が抜けて沈んでいった。
「──ッ」
横を見ると先程までオレと同じようにプールサイドに腰掛けていた堀北が、横を向いて肩を震わせていた……ちょ、こいつもしかして笑ってるのか!?だとしたら超貴重なシーンだぞこれ!
「──ン、何でもないから」
「無理がある」
そんな今更キリッとされても……あ、水中に沈んでいたハジメの身体が静かに移動していく。
「……あなたが彼を沈めたせいで、何処かに行ってしまったのだけど」
「すまん」
何となくオレ達はその行き先を目で追っていた。
「中々止まらないな」
「……よく息が続くわね」
息を吐いた後によく潜水を続けられるな、と感心する。まあハジメはオレより交友関係が広いから、クラスメイト達と交流するんだろう。
ゆっくりとした動きだが、目的地があるのか蛇行はせず一直線に進んで見えなくなる。
"櫛田の所……じゃないか"
数日前にハジメと櫛田のデートという大ニュースに沸き返ったクラスであったが、今は大分落ち着いた。
……いや最初は男女共に阿鼻叫喚だったし、何ならオレも『ハジメを簀巻きにして吊るす会』(因みに鬼ごっこは初めてだったが、クラスメイトと連帯感のような物を感じて結構面白かった)に参加した。
だが元々櫛田はクラスメイトとよく一緒に出掛けているという話だし、そこには普通に男子生徒も含まれる。今回話題になったのは2人きりだったという点と、その相手がハジメだったからだ。
そして色めき立った周りとは裏腹に本人達に大きな変化はなく、男女の付き合いもきっぱり否定している。となれば周囲も興味は抱きつつも、2人のどちらかに異性としての関心がある生徒ほど、それがきっかけで仲が進展してしまう藪蛇を恐れて深入りは避けているのが現状だ。
「なあ、堀北」
暇だったので、櫛田に関連して気になっていたことを話題にしてみる。
「……何かしら」
見ると堀北は膝を抱えるようにプールサイドに座っていた。ありふれた姿勢でも美人がやると絵になるが……横から見るとプールの水で濡れた身体に、水着が食い込んで艶めかしさを感じるというか……うん。見学席から目からビームが出そうな程見つめている須藤の気持ちも分かる気がするな。
「お前、櫛田と何かあったのか」
今も男女隔てなくクラスメイト達と戯れている櫛田。変わらず抜群に可愛らしい容姿とその非常にメリハリの利いたプロポーションで男子生徒のハートを鷲掴みにしているが……背後から犯罪者のような荒い呼吸で接近している池からは、目を離さない方が良いかもしれない。
「いえ……何もないわ」
ハジメと櫛田の関係に大きな変化はない……少なくとも一見した限りは。むしろクラスメイト達に注目されているせいか、以前より距離をとっているように見える。
「にしては、前より話しかけられなくなったな」
「…………」
変化というならこちらの方が顕著だ。
「前は毎日誘われてただろ?」
櫛田は友人が凄まじく多い。いつもクラスメイトに囲まれているし、昼休みは食事の誘いが多すぎて日を分けて人数を絞るなんていう……オレからすれば信じられない事すらやっている。
そんな彼女だが、最近は堀北に軽く挨拶をするくらいで遊びに誘うことが無くなった──オレにも協力を要請するくらい熱心だったので、現状に少し違和感を覚える。
「……さあ、彼女の考えは私には理解しかねるわ」
「そうか」
沈黙が落ちる。
普通なら気まずくなりそうなものだが、不思議とこいつ相手だと気にならない──と、目の前を何かが強烈に波を立てながら進んで行く。
「──ふう」
ザバァと水面から顔を出して長い金髪をかき上げている男、高円寺六助……そしてその背後からスススと迫る魚雷のような何か。
「おい」
思わず独り言のようなツッコミを入れてしまった。
まさか追いかけてたのって……
「ぷは──高円寺くん泳ぐの早いね」
案の定ハジメだった。
「おや……ミスター、何か用かな?」
それにしても流石は高円寺というべきか。背後から変なモノに追跡されていたというのに、欠片も動揺を見せない。
「うん。ちょっと雑談したくて」
中々斬新な切り口だった。
そう思ったのはオレだけではなかったのか、高円寺も面白そうに口の端を吊り上げている。
「私の時間は軽い物ではないのだが……君になら良いだろう。感謝したまえよ?」
「ありがとー」
そんなやり取りをした2人は、オレ達とほど近いプールサイドに腰掛けた。
……どうでもいいが、あの2人が半裸で並んでいると筋肉による視覚の暴力が凄まじい。種類は違えどお互いに絶対高校生の身体じゃない。
「…………」
横を見ると堀北がそんな2人を食い入る様に見つめている。
"まあ、無理もないか"
能力でいえば間違いなくDクラス……いや学年でもトップクラスの2人だ。片方は性格に多大な問題があるにせよ、Aクラスに上がる事を目下最大の目的としている堀北にとっては、2人の会話には注目せざるを得ないのだろう。筋肉に見惚れている訳ではないと信じたい。
「じゃあ早速だけど──」
口火を切ったのはハジメ。
「──どんな女性がタイプかな?」
"いきなり何口走ってんだあいつ"
会話のジャブから重かった。
「やはり女性は年上に限るねえ」
"そして凄いな高円寺"
普通なら予想外かつ答えづらい質問だろうに、口籠もることもなく堂々と返答する高円寺に尊敬の念が湧き上がる。間違いなく変人ではあるが、ある意味平田とは別ベクトルで格好良く見える気がする。
「そっか……残念」
そんな意味不明のやり取りではあったが、ハジメは何故か肩を落としていた。
「何故、そんな事を訊いたのかね?」
当然の疑問だな。
「うん、実は──」
ハジメは存在自体を除けば、割と常識的だ。須藤の一件のようなミスや善意で依存性のある薬物を差し入れしてくる様なお茶目な一面もあるが……普段あまり会話しない相手に答えづらい質問をするのは、理由がある筈だ。
「来年、ここに妹が入学するんだ。たぶん」
でもこれは予想だった。
「!?」
隣から堀北が驚愕する気配が伝わってくる。
かくいうオレも滅茶苦茶驚いている──兄貴だったのかお前。
「で、俺がこの学校で会った人の中で……1番凄い人なんじゃないかと思ったのが、君だったから。紹介したかったんだ」
一瞬だけ、高円寺と話していたハジメの視線がこちらに向けられた気がした。
「生憎と年下に興味はないねえ」
「残念。そろそろ兄離れして欲しかったんだけど」
どうやらハジメの妹はブラコンらしい……まあ、こんな完璧超人が兄貴なら仕方ないかもな。
"つまり、堀北と一緒か"
深い事情は知らないが、前に2人が寮の裏手で話していた事を思い出す。優秀な兄を追いかけて同じ進学先にまでやって来た堀北は、その実力を認めて貰いたいと思っている。
「遠くからわざわざご苦労なことだが……せっかくだ。君の好みも聞いてあげよう」
「?……意外。高円寺くん、俺のこと興味あったんだ」
「これは雑談だろう?なら公平にいこうじゃないか」
「それもそうだね……じゃあお耳を拝借」
そう言ったハジメは高円寺の耳元に口を寄せて、何やら囁いている。
「──ほう、なるほど」
非常に気になるんだが。
「ハジメの異性の好みか。そういえば聞いたこと……な……」
何となしに隣人に顔を向けると、そこには見た事のない表情の堀北がいた。
「ど、どうした?」
「どうした、とは?」
「いや、なんか物凄い顔してるぞ」
「何でもないから」
全然そうは見えなかった。
another episode
ー⑥ー