痛い。
体中がもう何もしないでくれと叫んでいる。安寧を与えてくれと訴えている。痛みを感じ取れる場所全てが痛くて、辛い。ここまで痛いと逆に痛くない場所なんてあるのだろうか。冷たい怒りに支配された彼らにそんな慈悲があるとは思えない。
もしも痛みのない場所が出てきたら、それは痛覚が仕事を放棄し始めた合図だ。僕の体はこんなにも痛みを訴えている。大丈夫。僕はまだまだ耐えられる。
後で父さんや姉さんの力を借りればすぐに、とはいかなくてもかなり楽になる。子どもの回復能力は高いから、しばらく安静にしていれば大丈夫だから、きっとこれは悪い夢に違いないから。
だから、僕は泣かない。目が燃えるように熱い。反撃しない。手足が思うように動かない。夢であってもヒトモシ達が傷つくのは嫌だ。耳元で叫ばれている感じがするけど、頭の近くで鳴る鐘のせいで聞こえない。ヒトモシは途中からずっと腕の中にいる。体の半分が焼かれるように熱い。
頭の炎が消えたヒトモシがじたばた暴れる。感覚でそれを知った僕は更に力をこめ、彼が出て来ないようにする。力がこもっているかどうかなんてわからないし、そもそも人間とポケモンではそれに大きな差がある。恐らく出ようと思えばすぐに出られるだろう。
それでも彼が腕の中でじたばたするだけなのは、この気持ちがきちんと伝わっているからだろう。この状態が本気で嫌で、すぐにでも出るつもりなら技でも何でも使えばいい。それこそ頭の炎を灯せば一発だ。彼なりの優しさに顔のこわばりが緩む気配がする。
薄く笑ったのを何と捉えたのか、新たな痛みが追加される。ここまで来ると、そろそろ身体の感覚が消え始めるかもしれない。近くに感じる温もりだけが唯一の救いだ。
ああ、痛い。痛い。頭が痛い。耳も、背中も、全てが痛い。でも、それ以上に――。
心が痛くて痛くて、どうしようもないんだ。
――Nightmare/Deep――
気が付くと固い床に体を横たえていた。光は窓ですらない穴の隙間から僅かに漏れ出ていて、視界はほとんど役に立ちそうにない。辛うじて動かせるのは視線のみで、他はぴくりとも動く気配がない。
うめき声すらも出ないのを考えると、生きているのが奇跡的な状態だろう。縛られていないのは残った良心からか、単に必要ないと思われたのか。
接している部分から伝わる冷たさが心地いい。時間が経てば温くなるのがもったいないくらいだ。寝がえりでもいいからできないかと悪戦苦闘していると、周りがやけに静かなことに気が付いた。
そうだ。この場所のどこにもヒトモシとシャンデラの姿がない。どうして今まで気付かなかったんだろう。彼らがいれば、周りがこんなにも暗いはずがないのに。今の僕を見たら二匹とも心配して、今頃何かしら行動を起こしているに違いないのに!
やっとまともに回転し始めた脳がこの状況に対して警報を鳴らす。僕はここに入れられているだけで済んでいるけど、彼らは? 彼らは一体、どんな状況に立たされているんだ。
何とかして知ろうとさっき以上に動こうともがいていると、遠くの方から足音が響いてきた。聞こえてくる音がやけに響いていることを考えると、ここは地下なのかもしれない。物置小屋に入れられていないだけマシと考えればいいのか、より悪いと考えればいいのか。
どちらにしても最悪だな、なんて思っているうちに足音が止む。相変わらず視界が役に立たないせいで気配しか感じ取ることができず、足音の主が誰なのかわからない。これだけ暗いのだから、相手も何かしら明かりを持っていないと危ないんじゃないのだろうか。
疑問を脳内でぐるぐると巡らせていると、金属の擦れる音がして気配が目の前にまでやってきた。ここまで来てまだ一言も発していないのは、僕の出方を探っているのだろうか。声すら発せない状態に、今ほど感謝したことはない。
だって、口が動いていたのなら、僕はきっとあの時のように笑っていただろうから。こっちは指先一つ動かすことができない。出方も何もないじゃないか。見た目に何も変化がなければわからないだろうけど、この状態からして変化の一つや二つは出ているだろうし。
ああ。でも、この暗さなら姿がよく見えなくても不思議じゃないのかもしれない。見えないのなら、なおさら明かりを用意した方がいいと思うのだけれど。ここは明かり厳禁とかそういうルールでもあるのだろうか。
頭で想像を繰り広げるのにも限界が訪れ、重苦しい沈黙が耳を浸食し始めていることに頭が痛くなり始めた頃。ようやく相手が動いた。
「貴様が地方全体で起きた『DC事件』の主犯か」
低く重い声が耳に入り込む。「DC事件」と言われて一瞬何のことかと目を瞬かせたものの、地方全体で起きたという言葉からあの事件を示しているのだとわかった。
もう事件の名称が決まったのかと驚くと同時に、僕が犯人で間違いないと言いたげな声色に否定の言葉が喉まで出かかる。口が動かないから、どれだけ煮えたぎる言葉がせり上がってきても形にはならない。
いや。仮になっていたとしても、この調子だと即座に切り捨てられていただろう。どちらにしても迎える結末は一つだということだ。
反論は声には出ていなくても目には出ていたのか、上から嗤い声が零れ落ちる。
「さすがはこの地方で名を広めているエルム博士の息子だ。博士の下にいれば何をやっても不問とされると思い込んでいるらしい。――調子に乗るなよ、この『死神』が」
吐き捨てるように出された言葉は、最初から最後まで嫌悪の色に塗れていて。この人も町の人達と同じなのか。あの目で、声で僕を責めるのか。意識を失う直前まで繰り返された行為を思い出し、何かに例えられないほどの激情が胸の内で暴れ出す。
「調子に、乗ってなんか、いない。そういう、お前は、誰、なんだ」
潰れたガマゲロゲよりも酷い声が空間に落とされる。誰の声かと正体を探ろうとして、他ならぬ僕自身から発せられた声であることに気が付いた。時間の経過で少しは喉が癒えたのか、酷い声ながらも話せる程度にはなったらしい。
「私を見て、そのような発言をするとは! ヤミラミのように目が宝石に変化しているのか、ただの世間知らずなのか……。まあ、いい。聞かれたのだから答えてやろう。私はジーク・ガルディア。このアーヴェント地方のチャンピオンだ」
ああ、その名前は父さんの口から。いや、父さん以外の口からも何度も聞き飽きるくらいに出てきたものだ。言われてみれば、テレビで聞いた覚えのある声をしている。
確か最近だと、リーグと政治が「ゆちゃく」している疑惑に対する何かでニュースに出ていたな。その時は内容を全否定していたと思うけど、実際はどうなんだろう。ここぞとばかりに聞いてみたい。
でも、今それをしたら大変なことになるのは容易に想像できるのでしない。懲りずに浮いてくる気持ちをぐっと抑え込み、次に気になっていた疑問をぶつける。
「DC事件の、DCって、どういう意味、だ」
Dは人形――Dollから取ったというのは、あの事件の内容から考えても何となく想像できる。でも、Cが何を示すのかがわからない。魂――Soulの頭文字ならCではなくSが付くから違うだろう。
オカルトな話を信じる人があまり多くはいなくて、皆を納得させるために仕方なく病気と言ったのならIllnessやDisease、Sicknessあたりになるはず。
正解らしき単語が出て来ず心の中で首を傾げていると、乱雑に答えが返ってきた。
「Deprivation of consciousness」
「……え?」
「聞こえなかったのか? DCは
――とにかく、この事件は今最も解決を急がれている。皆の安寧のため、己の安全のため、さっさと魂を返すのが賢明な判断だ」
「違う、僕はやっていない!」
抑えるべきだとわかっていた。わかっていたけど、もう耐えられなかった。無実なのに犯人と断定され、奪ってもいない魂を返せと責められる。ここに来るまでに積み重なった思いが、再び爆発した。
喉が治っていない状態で大声を出したからか、喉が痛み咳も出てくる。目元に温かな液体が溜まりつつあるのを感じていると、
「――っ!!」
突然強い力が腹に突き刺さった。無理やり吐き出された空気が掠れた悲鳴となって空中に霧散する。再び咳をすると、どろりとした感覚で口元が汚れたのがわかった。鼻が仕事を放棄してどちらかはわからないけど、不味い状況であることには変わらない。
「貴様、この期に及んでまだ言うか!」
「無実だ。証拠も、何もない」
「犯行に使用したポケモンは既に捕えている。言い逃れは見苦しいぞ」
「彼らも、無実だ。そもそも、僕達が――」
段々と酸素が足りなくなって大きく息を吸おうとすると、また腹に衝撃が加えられる。その度に口から色々なものが飛び出していく。仮にも一地方のチャンピオンがこんなことをしていいのか。許されるのか。
顔も浮かばない誰かに訴えるも、答えが返ってくることはない。とはいえ、仮に僕が容疑者だったとしても、これは見つかったら相手もただでは済まない。きっと、しかるべき対応を取って貰える。
そう信じながら、酸素不足と痛みでふらつく頭を回転させる。焼石に水だとしても、体は守りたい。……守りたいのに、頭では一生懸命に動かそうとしているのに、手足は目覚めた時と変わらず作り物のように動かない。目元はあまりの熱さに溶けそうだ。
悲鳴すら出なくなった口からは、ただ空気の抜ける音しか聞こえない。来る前よりも酷くなった状態に、僕は前世で何か大罪でも犯したのかと思いたくなった。
一体どれくらいの時間が経ったのか。意識が薄れ、ただ「生きている」だけの状態となった僕にはそれを知る手段がない。
目を閉じ、全てを諦めた僕にもう口答えはできないと思ったのか、ようやく衝撃の嵐が止む。これで自由に息を吸えるはずなのに、なかなか酸素が入ってこない。あまり考えたくはないけど、肺に傷を負ったのだろうか。
呼吸に悪戦苦闘していると、遠くから足音が駈けてきた。近づくと同時に止まった足音の近くから、ひゅっと息を飲む音が零れる。何で、こんな……と落とされた声からして、僕の状態はかなり酷いものらしい。まあ、それは僕自身がよくわかっていたけど。
「セシルか。例の事件の容疑者だが、私が来た頃には既にこうなっていてな。このままでは犯行動機も何もわからないまま、全てが闇に葬られてしまうだろう。ちゃんとした治療が受けられるよう、病院には私から言っておく」
「と、父さん!?」
嘘塗れの言葉を吐いた後、チャンピオンの風上にも置けない男はここから去って行ったらしい。セシル、と呼ばれたチャンピオンの息子の慌てた声だけが耳に入ってくる。
次に目を覚ました時には、これが全て夢でありますように。そんな薄っぺらい希望を抱きながら、僕は既に薄れかけていた意識を完全に手放した。