貴方は貞操観念のおかしな世界にいる▼   作:菊池 徳野

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お話も折り返しに差し掛かりました。
ここからは広げた風呂敷を畳めるよう頑張ります。


貴方は改めて理解した▼

貴方は感傷に浸っていた。

 

冬になり雪が地面を覆う日が増えた。それは貴方に母の死を思い出させると同時に1年という時間の経過を告げていた。

母が死んで、家族を失い、身売りをして、そんな日から1年。長くもあっという間な時間だった。

 

言葉にするとなんと酷い境遇かと嘆きたくなるが、案外貴方は平気であった。それは失くしたものを振り返る余裕も無く生きてきた証左であったが、こうして感傷に浸れている今はその頃よりも救われているのかもしれなかった。

 

手袋を脱いで頭に被った雪を払ってやってから水を墓石に掛ける。手が冷たさで赤くなるのを無視して撫でるように洗っていく。

来る途中に買った花と線香を立てて、貴方はしゃがんで手を合わせ、少しだけ目を瞑る。真新しいシキビの鮮やかな緑が寂しげな墓地に映えていた。

 

10秒程度の黙祷の後、貴方はふらりと立ち上がるとそのまま近くのバス停へと歩いていく。仕事に行かねばならない。

貴方は悩み事を母の墓前に置いていき、仕事の為と気持ちを切り替えた。母の死を再確認することは貴方の気持ちを持ち直せるのに十分な刺激であった。

 

こうして気を引き締めないと先日の売春バレの様に大きな問題が起こりかねない。客相手であれば、もし少し疲れた素振りを見せると心配されてしまって提供するサービスの低下に繋がってしまう。それは金銭が絡む以上避けたい事であった。

特にバブちゃん達はパパの顔色をよく見ているのか貴方の変化に気づきやすく、ふとプレイの最中に我に返ったりする。オムツや前掛けをした理性的な目をした成人女性というのはビジュアルだけ見ると中々の地獄絵図である。

彼女らは注意力がある代わりに口に哺乳瓶を突っ込んでバブバブさせておけば誤魔化しも効くので何度か有耶無耶にした記憶もある。闇深し。

 

口寂しさを覚えながら、貴方は巻いていたマフラーで口元を隠す。こうした時未成年の己の境遇が恨めしかった。

タバコの1つでも吸って悩みやストレスを全部吐き出せたらと解決策を知っていても実行できない煩わしさに貴方は悶えていた。

 

今日はママ活の日だ。昼からデートをしてそのまま夜には別の人とホテル、よくある流れである。

バスに揺られながらスンスンと鼻を鳴らす。特別変な匂いはしない。客の趣味を意識して着てきた服だったが、線香の香りが移っていたら薬局によって匂いを誤魔化す必要があったので貴方はほっとして待ち合わせのメールを送る。

 

今日の相手は少し毛色が違う。とは言っても経験が無かった訳では無い。

別れ話の類である。ママ活など普段しない様なビビりで気弱なタイプの女性が今日の相手であった。

 

自信なさげに俯く姿が記憶に残るそんなどこにでもいる冴えない女であったが、少し胸を張って笑うようになって色んなものを溜め込みすぎない様になった。そうなると潮時である。

 

貴方は客の全てを否定しないように努めている。そうしてガス抜きの仕方を教えて自信をつけてやると、一定数の女性は貴方から離れていくのである。

濁った目に光が戻り、それが貴方を必要としなくなる程にまで輝いていくのを貴方は理性とは違う部分で心から喜んでいた。

 

きっと今日の相手もせめて最後はキチンと終わらせたいという身勝手な思いで昼間に呼び付けたのだろう。そのいじらしさが愛おしく感じてしまうのが、貴方が売春を続けていられる理由なのだろう。かつて生きた世界で男は単純だと言われていたのが何となく分かってつい笑ってしまう。

貴方以外に乗客の居ないバスはそろそろ街へと到着する。

 

昼にご飯を食べて、リストから名前を抜いて、お金を渡したらそれではいおしまい。などと相手は考えている事だろう。

本が好きだという彼女の姿を思い出す。スーツ姿のイメージしかないが、あまりセンスのある方ではなかったと貴方は彼女に似合いそうな服を考える。

 

貴方から巣立つ以上、出戻りは勘弁して欲しいと思うのは身バレのリスク回避のためである。

今日の貴方は冴えない従姉妹のマネジメントに励むアサヒ君である。デートと称してコーディネートの1つくらいしてから出荷したいという欲求が高まってくる。

 

自分がコーディネートして磨いた女性が貴方の知らないところで誰かに見初められるのだ。こんなに面白いこともないだろう。

 

減る金蔓と管理しやすくなるメールのリストの天秤をゆらゆら揺らしながら今日の予定に考えをめぐらせる。引き止めるつもりもないが、何か傷痕のひとつでも残してやろうかと脳内でそろばんを弾く貴方がボヤく。

 

1年という時間の長さを貴方は改めて理解した。




来るもの拒まず去るもの追わず。一定数は巣立っていく雛もいるんやでってお話。
なお巣立つ訳でもないのに除名される者も存在する模様。

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