貴方は貞操観念のおかしな世界にいる▼   作:菊池 徳野

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30話程度で終わらせるつもりでいたのに終着点を意識するとじわじわ完結が予想よりも先になるのは文字書きあるあるなんだろうか。


あたまのいたいはなし

「うぅ…アサヒ君、どうして…」

 

もはや何杯目かも分からないグラスを空にして、酒に飲まれるように飲み進める。大将から面倒臭いものを見る目を向けられるが知ったことではない。何杯飲んだか分からないがまだまだイける。

 

「日本酒の冷ちょうだい!」

「…ほれ。」

 

枡に入ったグラスに並々に注がれた冷えた液体に飛びつくように手を伸ばす。少し零れてしまうけれどそんなの気にならない。

グイッと仰れば冷えた喉越しとカーッと灼けるような熱さが…こない?

枡に残った分を嗅いでみるが酒特有のふわりと甘い香りがしてこなかった。

 

「大将!これお水でしょ!」

「いいから大人しくそれ飲んで帰りな。アル中に飲ます安酒はうちにはないねぇ。」

 

なんてふてえババアだ。常連にそんな事言うなんて信じらんないと抗議しようと立ち上がるが強くは言い返せない。だって今立ち上がろうとして足取られて座り直す羽目になったから。

呆れた風にため息までおまけして大将が会計の準備を始める。

 

「それに振られたのか知らないけど管巻いてる暇があるならさっさと帰って自分磨きでもしてる方が得だよ。」

「振られてないです…。」

「なら酒飲んでないで家で誘い文句でも考えてな。」

 

お客さんお勘定だよ!そう言われて仕方なく帰り支度を始めるとレジで待ってる旦那さんと目が合ったので、軽く会釈する。

脱いだ上着を着直してカバンを引っ掴んでよろよろと立ち上がる。足を取られてコケるような事はないが少しふわふわとした感覚があって、せっかくの日曜は頭を抱えて過ごすことになりそうだとぼんやり考える。

 

「ヒナちゃん可愛いんだから大丈夫だよ。自信もってね。」

 

お会計を済ませると旦那さんにそう言われて見送られる。暖簾を手で押しのけるのも億劫で誰もいないのに会釈したような体勢で店を出た。未成年に熱を上げていると知られたらこの態度も変わるのだろうと思うと応援の言葉も中々素直には受け止められないものである。

外気の寒さが酒に火照った身体に気持ちが良かったが、微妙な気分なのはあまり変わらなかった。酒が入ると悲観的になるのが私の悪いくせである。

 

彼と出会ってから1年。恋人同士なら記念日のひとつでも祝って仲を深める様な日だろう。残念ながら私と彼の仲はあくまでも客と売り子のままなのでそういう事は願うべくもないし、実際私は一人寂しく管を巻いていた。

 

しかしそれでもデートをして食事をして夜はしっぽりといきたいと思うことは悪いことではないと思いたい。やっていることが恋人同士と同じな辺り実に皮肉が利いているとは思うが、心が手に入らないならせめてと思う自分もいるのだ。

残念なことに今日のお誘いは断られてしまったが。

 

泥沼に沈むように、肌を重ねる度に彼に執着していく自分がいることを自覚して、良心と良識とが深入りするのを咎めるが最近はそれも気にならなくなってきた。

彼の言葉を信じるなら来年には18になる。年若く言う理由も無いだろうから、少なくとも結婚出来る年齢になるということだ。せめてそれまでは最後の一線は踏みとどまらなければいけない。

 

彼が色んな女性と関係を持っていることを聞いたり見たりしてもさほど心に波風が立つことはなくなった。3人でした事もあるのでその辺の事は無理矢理矯正されたと言ってもいいが、そこまで嫉妬をする事はなくなった。

 

そして彼に本気になってるのが私だけではない事も知っている。何かと客同士で関わりがあるせいか彼に秋波を送っている輩がいて、彼がそれを受け流している現場を見た事もある。…度を越した客がリストから消えていくのを目の前で見た事もある。

 

あれは確か彼とデートをしていた際に聞きなれない着信音がして、彼がメールを読んだと思ったらメアド変更を告げられたのだ。あとから客の1人をリストから消す為の作業だと言われた事は記憶に新しい。その後繋いだ手が違う意味で汗ばんでしまったが仕方ない事だったと思う。

 

そう、私はそうした現場を見てきたのである。そして見せられてきたという方が正しいだろうことを私は理解している。

彼なりのリスク回避なのだろうな、という事は何とはなしに気づいているのだ。強硬手段に出ても意味無いですよとあくまで客でしかないですよと、そう言っているのだ。その注意が私にも向いている事実に不満はあったが、私の状態を客観的に見ると否定の仕様が無いので特別文句を言うことは無かったが。

 

私だけ特別なんていう甘い考えはしない方がいいだろう。現に思い出せるだけでも結構な数釘を刺されているし、あくまでも客として扱われているに違いない。

 

 

 

 

酔い醒ましも兼ねて近くの公園のベンチに座って頭の中を整理して下がっていたメンタルをリセットする。

 

どうすれば一歩先の関係まで踏み込めるのだろうか。

 

今日も議題に上がるのはその事ばかりである。

未成年の間は少なくとも無理だろうという結論は出ているが、他の女にカッ攫われる様な事になるのは阻止したい。そのために何ができるかという方策は今のところ何も考えつかないが。

 

一先ずメールでデートの約束を取り付けるのがいいのだろうか。出会って一年だ!と私一人で盛り上がっていても仕方ないし、今日は無理でも近いうちにデートして、それを取っ掛りにしていけば彼の事も色々と話を聞けるかもしれない。彼はあまり自分の事を教えたがらないので、その辺の情報収集にはいつもアンテナを張り巡らせている。

 

思い立ったが吉日と早速文面を作成していく。最近ママ活依頼も少ないと言っていたし今から予約すれば問題なく約束を取り付けられるだろうと思い、会えなくて寂しいとか話したい事があるとか色々と盛り込んだメールを送る。20も後半の女が送るには少々痛々しいが不思議なことに酒の勢いなら送れてしまう。

 

Prrrrrr.

 

「お姉さん、そんな所で一人でいると風邪ひいちゃうよ?」

 

背中側から聞こえてくる機械音と声に心臓が跳ねる。

メールを打つのに夢中で周囲の様子に気づいていなかったが、どうやら彼が後ろにいたらしい。いつもとは雰囲気の違う服装の彼は新鮮というよりそういう事の後だという印象が強く感じてしまう。

 

「こんばんは日向子さん。俺と一緒に居れなかったのがそんなに寂しかった?」

 

そう言ってこちらに携帯の画面を向けてくる。そこにあるのはついさっき送ったばかりの私のメールである。

酔った勢いで作った文面ということもあって、中々芳ばしい内容のメールだったと思ったが彼にとってはそれも可愛いものだったらしく特別何か言うわけではなくベンチに腰掛けた。未だに彼と二人きりでいる状況にはドキドキとしてしまう。

 

「話したい事ってなんでした?差し支えなければ今聞きましょうか?」

 

隣に座って心配そうにこちらを見てくる姿に出会った時の事がフラッシュバックする。当時と同じく飲んで酔っていたのも相まってより鮮明に思い起こさせる。あの頃よりは仲が進展していると思いたいものだ。

それに酔った勢いで書いた事とはいえ、仲を進展させたいという気持ちが本物なのは間違いない。酒の力を借りたら酔っていたからという面目も立つし、素面の時に彼に真正面から打ち明ける事もできそうにないので彼の言葉に乗っかる形にはなるが、今ここで言うしかない。

 

「アサヒ君って彼女とか居ないんだよね?」

「えぇ、まぁ。こういう事してると流石に申し訳ないので。」

「…一緒にさえいてくれるなら我慢できるって言われたら恋人とか、欲しくならない?」

 

言った。これは流石に恋人志望だということが伝わっているだろう。

彼の判定の裁量にもよるが拒絶される可能性だってある危険な賭けだ。難色を示されたとしても酒の勢いだったというつもりではあるが、それを飛び越えて振られたときはどうなるか。

怖くて彼の顔が見えない。じっと俯いて地面を見る。情けないがこういうところもあの頃のままである。

 

「要らないです。恋人なんて」

 

しばらくの沈黙の後、彼が口を開いた。事実上の拒絶の言葉であった。振られたのだという現実が背中に重くのしかかってくる。

 

「…なんて、実は分かりません。恋人なんていたことないから。いつか結婚はするのかなぁと思いはしますけどね。」

 

冗談めかしてそう言う彼にまた揶揄われたのだと気づいて顔を上げれば意地の悪い顔が目に入ってくる。吐きそうになっていた私の数秒間を返してほしい。

 

「酔いは冷めましたか?」

 

これはたぶん全部バレているしその上でごまかされていると見てよさそうだ。

 

完敗である。ここで更に迫った時には酒のせいにはしてもらえずに私も切られるのだろう。最近歳下に翻弄されるもどかしさが喜びになりつつある自分が信じたくなくて顔を手で覆って赤くなった顔を隠す。

まだしばらく彼との関係を進展させることは難しいらしい。好感度が足りないという奴だろう。

 

「それで相談なんですけど、今日泊めてもらえません?家に帰りづらくなっちゃって。」

 

…これはどっちだ!?好感度が足りているのかはたまた新しいふるい落としか、どちらにしたってここでNoと答えるだけの気力は私にはない。あるがままを受け止める他ないと目を瞑った。

 

「狭い部屋で良ければ、どうぞ…。」

 

彼の喜ぶ声を耳にしながら私は睡眠不足を覚悟した。

今私の頭の中にあるのは中途半端に掃除された一人暮らしの我が家の事だけである。

 

日曜日は頭を抱える羽目になるという予想は違う意味で当たりそうだった。




主人公いつも誰かの睡眠時間削ってるな。

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