貴方は貞操観念のおかしな世界にいる▼   作:菊池 徳野

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めにどくなおとこ

日々の予定を立てて行動する事は健やかな生活に繋がる。仕事もプライベートもある程度ノルマを決めて管理をすることが大切だと私は信じている。

余暇は趣味を楽しみ、酒などの嗜好品もそれなりに嗜む。話題性のある物は情報を仕入れ仕事先や職場での円滑なコミュニケーションに役立てる。それが正しい生き方だと信じて生きてきた。

 

近しい人は私をマニュアル人間だと言うけれど、親しくさえならなければこれ程社会で生きやすい皮もない。それに私はそういう生き方しか知らないのだから文句を言われてもどうしようもない。人の言う大きな喜びやささやかな幸せというものをあまりよく理解できずに生きてきたのだ。

 

――衣紀さん。

 

人を好きになる事がよく分からなかった。クラスの可愛い子を可愛いと認識出来ても付き合いたいと思う気持ちが湧き上がることなんてなくて、一目惚れなんて都市伝説だと思っていた。

学生の時に付き合った彼氏も相手から告白されたからという愛情などからっきしの存在だった。他人が良いと言うから肌を重ね、結局よく分からなくて一週間と経たずに別れた。

 

趣味や嗜好品の良さはあまり分からない。でもそれがいいと思い込むことは大切だ。他人とは違うという事は生きにくい。それがストレスになっていたのかは今でも分からないが、私は非日常が欲しくなった。スリル目的でした事だった。

 

――衣紀さん?

 

あの夜、やけに機嫌のいい美優から紹介されてあの子と顔合わせをした。学生と援助交際をする。その事実に気が昂っていたのは覚えている。

見た目の印象は明らかに歳下の売春なんて縁のなさそうな子だった。それが薄汚れた女の欲望を一身に受けているのだと考えると自分の知らない嗜虐志向が鎌首をもたげた。

バレるリスクの低いスリルに物足りなさを感じることはなかった。

 

「衣紀さん、どうかしましたか?」

 

彼の言葉で思考の海から引き戻される。昼ごはんを食べに行こうと2人で歩いていたのだが、寝不足のせいか思考が飛んでいたらしい。車の通りが少ないとはいえ少し不用心だった。

彼には一言なんでもないと断って少し動揺を取り繕う。

 

「悪いわね、いつもの調子で来たからかなり歩かせちゃった。」

 

雪こそ降っていないがまだまだ冬の寒さは厳しく、背の低い私の歩幅に合わせて歩く彼には少し酷だったかもしれない。それにあまり相手を歩かせない事がこういう時の鉄則だったと今にして思う。

 

「平気ですよ。それにいつもと違った道で新鮮でしたから。」

「…意外と筋肉あるものね。」

 

その言葉で思い出されるのは昨日の夜の事だった。ホテルと違って声を抑えての情事は別の方向で刺激的で、自室で身動ぎ一つ許されることなく絶頂を強要されるのは中々のものだった。

目の前のこの子は人畜無害な風をしていながら案外攻めっけが強いのだ。

 

私を子供の様にあしらうこの子に大人の怖さを教えてやろうとして返り討ちにあったのは、未だに脳内に鮮明に焼き付いている。後になって童顔低身長を揶揄ったことを謝られたが、私の頭の中には存在しなかった私を屈服させる男性の存在に心臓が張り裂けそうになっていた。

今日だって、あの時恐怖や屈辱とはまた違った知らない感情を植え付けられたものだから、少しでも同じ部屋にいる時に普通に接する事ができるようにと外に連れ出してきたのだ。

 

「看板見えるかしら、あっちなんだけど。」

 

私からは角度的に見えないが彼なら見えるだろうと店の看板の方を指さす。私が四苦八苦して遠くを見ているのに暢気な声で見えたと言われるのは面白くはないが、気を使われない関係は灰色だった青春を塗り替えてくれるようで心地が良かった。

 

いつだったか私の童顔を揶揄って先輩呼びをしてきた事がある。制服の袖を通した記憶などもはや掠れて思い出せない程であったが、その呼び方に少しばかり心が揺れたのを覚えている。

 

学生を手元に置いておきたいなどという危険思想を持つことは私には考えられなかった。それはリスクで、不合理で、それに見合った魅力を感じられなかったからだ。しかしそれがどうだ。手を伸ばさずに傍観していたら相手から転がり込んできたのだ。

 

知識とは、経験とは毒だ。一度知ってしまうと人はその水準を下げられない。タバコを吸えば口寂しさを酒を飲めばその火照りを、忘れられなくなる者はいる。私はそれが彼だったというだけの話であり、それが経験の不足によるものかの判断がつかないという事も大いに私を混乱させた。

自分よりもよほどしっかりとした腕に抱きすくめられて朝を迎える喜びを、他愛のない会話をしながら食事を囲む穏やかさを、甘えるように触れ合うだけの愛おしさを。

 

彼は私をダメにする。

 

自分がこの様な甘えたがりであったとは知らなかった。普段は熱に浮かれでもしなければ言わない様なことを素面で言ってしまえる人種などとは思わなかった。

どろりと溶け合うような関係が健全なものとは言えなかった。ましてやそれが一時の関係であれば尚更だった。

 

美味しそうに料理を口にしている姿からは魔性のそれは感じられない。見極めなければならない。私が彼を欲しているのか、彼のような存在を欲しているだけなのか。

 

――彼、一時の遊びだって割り切ったら最高のパパよ?

 

脳裏に美優に言われた言葉がフラッシュバックする。長い付き合いだったがあの頃は性癖の暴露と共にこんな沼に引きずり込んでくるような奴だとは思っていなかった。

 

私は証明しなくてはならない。

私は幼馴染の様な未成年に興奮する異常者じゃないんだ!

 

彼と目が合う。にこりと笑う彼にときめく自分が許せなくてつい眉を顰めてしまう。

それでも彼は気にした様子もなくにこにこと笑っている。

 

実に目に毒な男である。




幼年期の抑圧が多いと精神的な成長が歪んだり遅延したりするといいます。今回メインに据えた衣紀さんはそういう感受性が死んでるタイプの人だったわけです。

…嘘です。原義的な奥手なタイプのツンデレが書きたくてあれこれ描写しただけです。公衆の場でも気取ったりせずデレるようになれば主人公にベタ惚れだと判断できるのです。

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