貴方は貞操観念のおかしな世界にいる▼   作:菊池 徳野

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かきいれ時ってガバッと掻き込むっていう意味ではなく、『帳簿に書き込む量が増える時』って意味だったのを初めて知りました。


バイトじじょうはヒトそれぞれ

私の名前は高橋京(たかはしみやこ)。祖母から受け継いだ喫茶店を経営している普通の自由人だ。普通じゃないのはレズビアンでコック経験があって不動産で食べていけることくらいである。

とはいえ昔からの常連さんと祖母から教わったコーヒーと私の料理の腕で食べていける程度には充実している。立地もあまり良くないが隠れた名店と一部で言われているのだと新規のお客さんから聞くので、評判自体も悪くないらしい。

 

正直その日の気分でお休みを貰ったりしているので忙しくない生活というのはありがたかったりする。隠れた名店と言われて、隠したままでやっていけるならそれに越したことはない。

若い頃はそう思ってそれこそ自由に生きていたのだが、最近一人で店を回すのが厳しくなったので気まぐれに募集をかけ、バイトを一人入れてからちょっとだけ状況が変わってきた。

 

そのバイトというのが今世紀最大の人型爆弾男子高校生のアサヒちゃんである。人柄も仕事ぶりも接客に関しては私よりも上手いんじゃないかと思ってしまう程人材としてはアタリの彼は、バイト経験は私の店が初めてだと言う。バイトの動機が賄い目的だというのも私としては評価が高かったこともあり、彼は実に優秀なバイト君であった。

そうして新人バイトを雇って、逸材というのはどこに眠っているのか分からないものだとぼんやり考えていたのは最初の1週間までであった。

 

それなりに仲良くしていた当時の彼女と夜の街でイチャついていたらアサヒちゃんの仕事現場を目撃してしまったのである。

その時は声をかけずにいたが、確かに売春はバイトでは無いよねと接客の上手さの裏側を理解してしまった私は後日アサヒちゃんに事情を聞くことにした。もしバイト代に不満があったりバイトの日を増やす事で解決するのなら少しくらい色をつけても良いと思える程度には彼の事を気に入っていたのである。

それも地獄みたいな家庭事情を聞いたら見て見ぬふりをしてあげる以外の選択肢は消えたのだけれど。

 

私も社会から爪弾きにされた経験がある身である。それでも頼れる大人というのは居たものだ。私にとってはそれが祖母であり、逃げる場所が祖母の居る喫茶店だった。

そんな過去の自分とアサヒちゃんを重ねて、ちょっとくらい良い人になってもいいんじゃないかと考えるのは自然の流れだったのかもしれない。

 

色々と考えたが喫茶店の経営には何も問題無いからという建前の元、アサヒちゃんの気が休まるならと事情を理解した上で(偽名を名乗ることも承知の上で)協力してあげることにした。

愚痴を聞いてあげて自然体で接してあげて、私の恋愛事情も少しは話してと心を砕いていれば警戒心を解くのはそれほど時間はかからなかった。事情を知っていたというのも大きな理由かもしれないが。

 

そうして店長とバイト以上の関係として彼と接して分かった事としては、意外と彼は聞き上手なのに女らしい性格をしているという事だ。

元々は愚痴を聞いてあげる立場だった筈なのにいつの間にか私が彼に色々と聞いてもらう事の方が多くなり、気安い関係を築けたと言えば聞こえはいいが、未成年に上手いこと転がされているのだと気づくのに少し掛かったくらいには彼は人を話に乗せるのが上手かった。

それに何処と無く対応が女前で、私としてもじゃれたり愚痴ったりしても嫌な顔ひとつせずそれなりに優しくしてくれるアサヒちゃんの存在はありがたかった。学生の頃に出会っていたら私の恋愛観を破壊してくれたんじゃないかとすら思ってしまう程である。

 

後は、彼は猫かぶりが上手いというかスイッチのオンオフが上手い。リアリストなのだと彼は言っていたが、たまに話に出てくる『お客さん』達の扱いを聞くと冷た過ぎないかと思ってしまうことがあるのだ。

確かに未成年と売春しているちょっとアレな大人ばかりとはいえ、アサヒちゃんに真剣に懸想している誠実さらしきものは聞いているだけで理解出来る。それなのに「熱で浮かれてるだけ」とバッサリいくのは知らない人とはいえちょっと可哀想に思えてしまうのだ。思うだけだが。

 

彼、アサヒちゃんにとって日常は戦場なのだと気づいてからはあまり気にしないようにはしたが、それでも彼の精神的な不安定さはケアしてあげたいと思っていた。

 

そんなちょっと所では無い程色々危うい彼がいつからか友人の話をするようになった。

初めは年相応の様子が感じ取れて安心していたのだが、どうにも話を聞くうちに友達の態度から感じ取れる恋愛のあれこれが鼻につくようになった。あまり干渉しても悪いと思いつつも気になったので冗談混じりに「男女の友情は続かないとも言うよね」とか「同い歳の子を恋愛対象としてどう思う」とか聞いてみたこともあった。

 

「次の日も顔合わせるのにそういう関係になるのって気まずいじゃないですか。」

 

それが彼の反応であった。なんか入社三年目のサラリーマンみたいな反応に流石の私も気の利いた言葉は思い浮かばなかった。

恋愛というのはもっと煌びやかで素晴らしいものなんだよ?と説得するには私の経験ではちょっと説得力が無かったので強くは言えなかったし、恋する男の子になっている彼のイメージも湧かなかったのでそっとしておいくことにしたのだ。

きっとこんな感じで無意識下で何人か女の子を泣かせてきたのだろうなという謎の確信を胸にして。

 

 

 

 

さて、そんな彼にバイトの増員を打診されて私は一も二もなくOKした。勿論面接もしたし色々と確認はしたが、何より彼の話に出てくるお友達というのを見てみたかったというのが1番の理由である。そして良ければカップル誕生をこの目で見たいと思ったのである。経験的に夏の陽気に浮かれる男女(私の場合女同士だが)というのはそういう関係になりやすいのである。

 

それに夏休みというのは書き入れ時だ。

浮き足立った学生や時間の空いた家族連れなど、普段は目も向けないような場所にも客としてやってくるし、以前から目を付けていたのなら尚更だ。それに長期の休みを利用して旅行や小旅行を楽しむ観光客だってターゲットになる。

 

まぁ去年は私がそのターゲット側になっていた訳だが、残念な事に今年はそういう予定は無い。そして一人で旅行に行くほど若くも無い。そんなわけで今年の夏は喫茶店のマスター業をバリバリにこなさなければならないのだ。

 

「店長、カウンター席ナポリタンとシーフードパスタです。」

「ミヤさんアイスコーヒーあと3Lですけど追加どうします?」

「アイスコーヒーは今抽出してるやつを午後に当てるから気にしないで出しちゃって。フユちゃんはアサヒちゃんと入れ替わりでちょっと厨房手伝って。」

 

はい!という若者の元気のいい返事を聞きながら仕込んでおいたソースと野菜などの具材を用意して、フユちゃんには少しの間パスタとタイマーを見ていて貰う。

そうやって空いた時間をオムライスやグラタンといった手早く仕上げる事のできる料理や放置がきく料理の調理に使う。

 

ランチタイムは人が多いが夏休みのそれは桁違いに多い。普段は5L近く残るアイスコーヒーは増産しても品切れになるし、私は厨房から出られなくなる。それでもなんとか回していけるのは新しく雇ったバイトのフユちゃんのおかげだろう。

 

アサヒちゃんの紹介で『ちょうどいい人材』という触れ込みで雇ったのだが中々の働き者で、ウェイターと諸々の雑務を見事にこなしてくれている。元々飲食系のバイト経験もあったらしく最低限の接客マナーもできるので会ってみたかった云々の事情を差し引いても即戦力として重宝している。

 

しかしアサヒちゃんから「馬車馬のように働かせてもOKです。」という普段の彼からは出てこないような言葉を貰った時には少し警戒もしたが、今のところは通常通りに仕事をして貰っている。夏休みかつ仕事もできると言うことでバイト代に色を付けてはいるが、それにしたってありがたい人材である。

 

「パスタ後何分?」

「3分無いくらいです。」

「分かった。後やるからオーダーかサーブお願いね。」

 

フユちゃんを送り出して、加熱しておいた鉄板に卵を落とす。喫茶店と言えば鉄板ナポリタンだと口煩かった祖母の言いつけをしっかりと守っての事だ。メニューこそそれなりに増やしたが、それでもこの祖母直伝のナポリタンの売れ行きは凄い。日々精進していても祖母を見返すのはまだ難しいのだと思わされる。

90を超えて尚新しいレシピを思いついては電話してくるあの人に勝てる日が来るとも思えないのも事実ではあるが。

 

タイマー通りに麺をあげて茹で汁とソースを炒めてパスタを仕上げていく。バターで炒めた野菜とウィンナーが赤く染めあがる様子はいつ見ても食欲をそそる。少し水分が飛ぶ時間を使って隣で炒めていたシーフードを仕上げてしまう。イカにエビにブロッコリーを具材にしたレモン香るペペロンチーノ風のパスタが私の喫茶店のシーフードパスタである。加熱で香りが飛んでしまうレモンを火を止めてから絞って皮ごと入れてそこに麺を絡めて仕上げに黒胡椒で完成。ナポリタンもぷつぷつとソースが焦げないギリギリの水分量になったところで麺と絡めて粉チーズを添えて完成。

 

「カウンター席上がったよー。」

 

ウチのランチはドリンク一杯おかわり自由のため、普段であればこれと並行してコーヒーも淹れなければならないが夏はアイスコーヒーの注文がほとんどなので、新たに淹れ直す事はあまりない。代わりにミルクや砂糖の減りが早くなるが、それはバイトの2人に任せておけば大丈夫なので結局私は厨房にかかりきりである。

 

そんなこんなで常連さんと世間話に花を咲かせてゆったりするのは専ら夜の営業の時になる。やはり忙しい生活は私には合わないと2年ぶりの多忙さに少し辟易するが、売上もそれなりに増えるので文句はない。

 

厨房に来たバイト2人に指示を飛ばしながらグラタンの焼き上がりをみてサーブを頼む。裏で朝から抽出していたアイスのためのコーヒーの粗熱が取れていることを確認して冷蔵庫に移しておく。

 

世間が夏休みに入って1週間、私の生活はほぼこんな感じで固定化されている。

 

 

 

 

「お客さん居なくなったから賄い出すよ。何がいい?」

「とにかくサッパリしたものがいいですぅ…。」

「肉使ってるやつならなんでも。」

 

14時を回って立て札を準備中に変えたら休憩時間に入る。たまに常連が残っていたりもするが今日は皆帰ったので私たち3人しかいない。

カウンターで溶けているフユちゃんは忙しさにやられたのかさっぱりした物がいいらしい。アサヒちゃんは依然変わらず肉食である。リクエストが通る時は大抵肉を要求してきて、ガッツリ食べないと体力持たないからだと本人は主張している。清楚で少食みたいな雰囲気のくせに変なところは女っぽい。

 

「じゃあパスタとアイスコーヒーにするからそのまま座って待っててね。」

 

昼休みに入っても賄いを作るまで私の仕事は終わらない。夜だとアサヒちゃんと交代だったりするのだが、彼から「ミヤさんの美味いご飯が食べたい!」という要望を貰ってからはアサヒちゃんがフライパンを振るう機会はそんなに無い。

 

未成年に手を出すほど飢えてもいないし、男に苦手意識はあるがアサヒちゃんの女っぽいところには偶にキュンと来ることもある。そういう時は照れを隠さずにアサヒちゃんを褒め上手だと煽るのだが、大抵ジゴロな返しをされて笑顔で流されてしまう。そしてアサヒちゃんはヒモの才能がありそうだ等とアホなことを考えながら大人の私は彼の手のひらで転がされてあげるのだ。

 

今日の賄いはシーフードパスタにミートソース。ウチのサッパリと肉と言えばこれだろう。金曜日ならビーフカレーを出しているところだが、普段の肉担当はミートソースパスタである。

自分の分の賄いパスタには適当な野菜の残りと端材のお肉を使って味付けを工夫する。こういうThe賄いという感じの料理でレシピの研究をするのである。

 

「はいお待たせ。熱いうちに食べてねー。」

 

出来た料理を手に持って、2人の前に置いていく。自分の分を適当なテーブルに置いてアイスコーヒーを取りに裏に回る。もはや使い古されて元がなんのペットボトルだったか分からない黒々としたコーヒーが詰まったペットボトルを手にしてグラスを3つ選んで運び出す。

 

あの後ランチタイムにアイスコーヒーが出なかったため私たちの分もたっぷりと残っている。キンキンに冷えたコーヒーというのはコーヒー党の人間でも賛否が分かれるところだが私は断然アリ派である。

酸味を抑えたアイスコーヒーは体内に篭った熱を発散させる無敵のアイテムである。

 

「今日も美味いです、店長。」

「お先にいただいてます。」

 

アサヒちゃんから何を聞いていたのかバイト初日は警戒心ばりばりだったフユちゃんも今では自然体で接してくれる。今もランチに出てたのを見て実はシーフードパスタを食べたかったのだとご機嫌で話をしてくれる姿は見ていてこちらも嬉しくなる。

時折自然体すぎて高校生の甘酸っぱい恋愛模様を私の前で繰り広げる事も多く、バイトを雇った当初の裏の目的も達成されていたりする。

 

例を挙げると、重い荷物を持ってあげようとしたり休憩の時に飲み物持ってこようとしたり、アサヒちゃんの気を引こうとしているのが分かる行動を取っていたりする。ちょっとやり方が幼い感じはするが高校生の女の子なんてこんなものだろう。私京は青少年の恋愛を応援しています。

そんな甘酸っぱい雰囲気に苦いコーヒーが良く合う、ということはあんまりない。

 

というのもちょっとばかしアサヒちゃんが鉄壁過ぎるのだ。バイトの先輩なので当たり前だがアサヒちゃんはフユちゃんより手際がいい。そして本人も仕事の時はキチンとスイッチを入れて動ける人間である。

 

そうするとフユちゃんのアプローチは大体スルーされる。何事も無かったかのようにひょいと鉄板を4つ運ぶアサヒちゃんに唖然として、あまつさえ「火傷しないようにね」と心配までされる。飲み物を用意しようとして「ちょうどいいから午後用のコーヒーの出し方覚えようか」と手に持っていたまだ冷え切ってないペットボトルを取り上げられてバイトの指導が始まる。

 

分かっていたことだが、彼が口にする「恋愛なんて」という言葉はまんまその通りの意味だったという訳である。The脈ナシ。

私としても折角の即戦力のフユちゃんが気を落として辞めたりするのではないかとこそっと声を掛けてみたのだが、「は!?ただの腐れ縁ですけど!?」とフユちゃんもフユちゃんで自分の恋愛感情に気づいていないピュアっ子だった。

 

無自覚でよくバイト付き合ったなとか、このアプローチしておいて無自覚とか嘘すぎじゃないとか、思うことは色々とあったのだが見ている分には面白いので口出しはしないことにした。

今もアイスコーヒー飲んでるアサヒちゃんに目が釘付けになっているが、本人は分かっていないのだろう。

 

バイト事情は人それぞれ。私はそれを見てるだけ。

…嘘。ちょっとからかいたい。




実は店長、本作初めてのフルネームキャラだったりします。

ちなみに三島のフルネームは三島冬子。
三島と言えば三島由紀夫だよな→雪子じゃ安直かな→じゃあ冬で
という作者の雑な発想により決定しました。中々下の名前出すタイミングが分からなかったので後書きで紹介。

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