太陽が我が物顔で頭上を支配する様になった頃、執事服に袖を通した貴方は制汗剤と少量の香水のどちらがより"それっぽい"かで悩んでいた。
社会の歯車に組み込まれてしまったお客さん達は素朴な、言ってしまえば垢抜けていない高校生としての貴方を求めているのかもしれないし、或いは少し背伸びしたい歳頃の少年性を貴方に求めているのかもしれない。
真夏の太陽は、そんなどうでもいい事を考えさせる程強く、貴方は頭が茹だる感覚に目眩すら覚えていた。
ちなみに、
「いや、知らねぇよ。私は匂いとか気にしたことないし。」
とは夏休みに入る前、放課後に貴方作のミニテストを受けていた三島の言である。
なお、その後夏場に同じバイト先で働くようになった彼女は貴方から香る制汗剤だか汗の匂いだかにドギマギしてしまうのだが、それはまた今度話すとしよう。
無論、貴方も食事を提供する側に立つ者として普段は匂いの薄い制汗剤で良いのだろうという思いはあった。しかし上客の家に泊まる際に香水を着けることで「この子私の事意識してくれてるんだ!」という錯覚を植え付けられないかと一考していた訳である。
そんなことしても逃げ道が減っていくだけなのだが、付けれるサービスは全て盛るタイプの貴方はちょっとしたサービス精神で行動しようとしていたのだった。
「あーっと、橘のバイト先だったんだね。ここ。ちょっと意外って言うか…。」
さて、現実逃避は辞めにしよう。
「…ここではアサヒですよ、お嬢様。」
「え、あぃ、はい。」
現実逃避を辞め、改めて目の前で所在なさげに座っている少女を見遣る。
そばかすとくせのある髪が目に付くが、おおよそ純朴な感じの雰囲気のある普通の少女である。元の世界であれば『地味だがまぁ可愛い』という評価を受けていたタイプの少女だが、残念ながらこの世界での彼女のクラスでの評価はお調子者のエロザルである。世の理不尽を呪え。
そんな彼女――加藤と言っただろうか――に何がそこまでそうさせたのか、貴方のバイト先であるメイド喫茶の扉を叩き、現在場の空気に呑まれているのである。その様子は小動物然としていて可愛らしいが、実態は調子に乗って変なところに来て戻れなくなってしまっただけである。
砂漠に見つけたオアシスでも見るように貴方を見つめてくる彼女は、いじらしくもせめて会話に花を咲かせることで心を守ろうと話を振ってくるが、キャスト相手に実名呼びは基本NGである。
貴方は内心ため息を吐きながら、できる限り相手へプレッシャーを与えないように執事としてやるべき事を心がける。それがかえって少女を空回りさせているのだが、客商売である以上出過ぎた真似はできないのである。ショッギョ・ムッジョ。
これがせめて混雑時であれば貴方も素知らぬ振りが出来たのだが、如何せん午前の手の空いてるタイミングで、しかも指名されたものだから逃げ道が無かった。
「ご注文はお決まりですか?」
「えっと、ぇ、高い…。」
何処から情報が漏れたのか、また三島がやらかしたんじゃなかろうかと思考を巡らせるが、アレで三島はつっけんどんなタイプのマイルドヤンキーである。交友関係を把握している訳では無いが、目の前のお調子者とはウマが合うとは思えない。
客商売用の顔を貼り付けてじっと目の前の少女を観察する。しかしどうにもからかう為に来た様には思えない。
「じゃあこの、アイスティーを。」
「かしこまりました。少々お待ち下さい。」
もはや慣れた動きで右手を後ろに、左手を腹部に持っていき、できるだけ慇懃に礼をして場を後にする。
厨房に移動しながらこれからどうすべきか思考を回していく。
「店長、少し相談があるんですけど。」
「なぁに?変な客でも来たの?」
厨房の奥の作業スペースでパソコンを弄っている店長に声を掛ける。同性ゆえの親しさか、細身の身体を椅子の背もたれに押し付けるように伸びをした店長が返事をする。
こうして仕事をしていると普通なのに、と思いつつ貴方は端的に用件を伝えた。
「おっけー、じゃあ後で伝票だけ回しといてくれる?」
「分かりました。ありがとうございます。」
「いいよいいよ。よくあることだしね。」
事も無げにそう言ってくれる頼れる大人の言葉に安心して厨房に向かい、出番を待っている先輩達と少しばかり言葉を交わして注文の品を用意していく。少々待たせることになるが知り合いだしまあいいだろうと考えて、雑談交じりに手を動かしていく。
店長のこだわりでホールに裏方の声が届かないのはこういう時ありがたい。
「じゃあ出てきますね。」
「「いってらっしゃーい。」」
お盆に注文品を載せて音漏れの無いように気を付けてホールを出ていく。出ていく際に後ろを見るとだらけた様子で手を振っている先輩達が見えたので軽く頭を下げておく。
こういった小さい愛想の振りまきが良い結果をもたらしてくれるのだと貴方は信じていた。
「お待たせいたしました。こちら『お手製ナポリタン』と『アイスティー』になります。」
「あの、頼んでないけど。」
「お熱いのでお気をつけください。」
貴方が席を離れたことで心細くなったのか先ほどよりも大人しくなった少女の前に皿を並べていく。若干無視する形になるが、こういうのは定型文を口にしているだけなので仕事のスイッチが入りっぱなしだと思わず口から出てしまうのである。
「あぁ、奢りだから気にしないでいいよ。その代わり人に言いふらさないでくれ。」
「…………執事服、似合ってるね?」
「どーも。」
何とか絞り出したであろう言葉に適当に返事をして、配膳を終えて傍に控えるように姿勢を正す。
こういった厳格な雰囲気を味わいたい人というのは案外多いらしく、貴方の立ち振る舞いは自然とそういった人の求める所作を身につけていた。
「その、良かったら椅子に座って貰えると助かるんだけど。」
「…ま、いいか。」
当然それを求めて来た客にはウケるが、およそ理由など無く迷い込んだ少女には威圧的に見えたらしい。事前にある程度の許可を貰っているため衝立の位置を調整して他の客から見えにくいようにカムフラージュをしてから席に着く。
風営法というのは細かい所で厄介である。
「それで、何でメイド喫茶なんて来たんだ?彼氏さんにバレたら拙いんじゃないか?」
「いや、今はフリーだからそれは平気。去年卒業した先輩がここで働いてて同じ学校の執事さんが居るって聞いて興味本位で来てみた。」
ちらちらとこちらを見てくる様子から相手の緊張が伝わるが、あまり話さない異性のクラスメイトと話すのだからこれ以上は仕方ないのだろう。
貴方は冷めていくナポリタンに思いを馳せながら、相手の緊張を解すよう努めて砕けた話し方で会話を繋いでいく。
「居たんだ、先輩。」
「橘、部活とか辞めてから先輩らと関わる機会無かったもんな。」
推定無罪を勝ち取った三島の幻覚を見ながら、面倒な犯人探しに労力を割くべきか目の前の少女から情報を聞き出すか天秤を揺らしていると、相手の口から自分の情報が出て来たことに少しだけ言葉に詰まる。
「何さ。」
「…あんまり加藤と話したこと無いからさ。部活のこととか知らないと思ってたから。」
「まぁ、人伝にね。」
はて、と。
それほど噂になるような事をしただろうかと思考を巡らせるが身内に不幸があった事は周知の事実であったし、ちょうど部活を辞めた頃でもあったので貴方は1人納得した。
貴方は目の前に居るのは純朴なクラスメイトであると思っているし、不良の三島と連む様になった貴方が好奇の目で見られている事実、もっと言えばエロい目で見られている事を知らなかった。
当然加藤にとって貴方は恋愛対象どストライクであるが、貴方にとって目の前に居るのは好奇心旺盛な普通の女の子である。
「昼前だからお腹減ってると思ってナポリタンにしたけど、大丈夫そう?」
「ん?美味いよ。腹減ってたし、私好き嫌いないし。」
「そっか、良かったよ。」
ナポリタンが無事温かいまま口に運ばれていくのを眺めながら相手の邪魔にならない程度に会話を繋ぐ。口止め料代わりの1品だったが気に入って貰えたようでほっとひと心地である。
「…あ!安心してよ、誰かに言いふらしたりしないから。橘に迷惑掛けたい訳じゃないし」
「悪いな、助かる。」
一先ず目下の問題は解決したという言質を得て、それなりに緊張していた貴方はいよいよ自然体で言葉を交わしていく。
食事の合間の会話なので然程多くは無かったが、それなりに軽妙に言葉を交わせたことだろう。
その後、大きな問題も無く食事に満足した少女が退店していくのを見送った貴方は気持ちを切り替えて執事として仕事に従事して、バイトの時間は過ぎていった。
なお、
「ところで『あーん♡』とかしてもらえたり?」
「お嬢様、実はそれ接待になるから風営法で禁止されてるので無理なんですよ。」
という少々少女の内面と世知辛い裏事情が漏れた一幕もあったが、大きな問題にはならなかった事を追記しておく。
「海行きたい!」
「イケメン水着の彼女が欲しいよぉ!!」
夜。
昼のバイトを終えて喫茶店のバイトにて、お客の居ない閉店作業後に突然店長の京が吠えだした。
賄いを食べながら相談に乗る貴方と、シラっとした目で多めに貰ったパスタを頬張る三島。そして酒も入っていないのにシラフとは思えない京。
貴方の夏はまだ始まったばかりである。
(この作品では)お久しぶりです。
過去作含め細々と更新していくのでまたよろしくお願いします。
完結後の話になりますが没案や流れ的に書けない話や設定とかって需要ありますか?
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何でも読むよ!
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読むか分からない
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活動報告で書けば?
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要らない
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お話系だけ欲しい