理不尽に巻き込まれた少女達は自然との戦いの中で友の大切さを知る。
しかし、肝心のダービーを忘れてしまった様だ。
……何だあの壁は!?
ある年の5月。クラシックで最も映えある日本ダービーの冠、即ち世代の頂点の座を奪取すべく2000mを走り抜け最終直線に入った18人の若き才能達はあり得ない光景に己の目を疑った。
視界を埋め尽くす様に切り立つ超傾斜の坂、というよりも崖か壁、山の様な何か。誰かが領域を展開したのか? しかし誰も駆け出そうとしない。後方を振り返り確認していく……が、それらしき領域の主は誰1人として見当たらない。どうやらここにいる誰かの仕業ではない様だ。
ではいつの間にかコースを間違えたか? 皆は左右へ視線を振る。しかしコーナーは真っ直ぐその壁へと伸びていて、左右はラチで完全に塞がっている。一呼吸して得た酸素で色覚を取り戻して見れば、崖は緑色である。よって目の前の坂はターフだ。
つまり正面の坂らしきソレこそが正しい道である。という事実確認が集団の中で瞬時に成され、一拍遅れて困惑と動揺が広がる。嘘だろ……?! アレを登れというのか!?
終端を確認するために上を見上げる。山の如く聳える坂の頂上に豆粒の様な小ささではあるがゴール板。間違い無い、コレがあの心臓破りの坂、……本当にこんなバカげた高さだっただろうか?
何なんだコレは。一体何時からダービーは山登りになったんだ、巫山戯やがって。誰かが悪態を吐き、それを聞いた誰もが同意する。当然の反応だ、と。
どうすれば良い? 切り立つターフのせいでホームスタンドが見えず、疑問は溢れどトレーナーと意思疎通が出来ない。しかしここで諦めてダービーの栄誉を前にターフを自ら離れる事など以ての外、最重要なのは兎にも角にも先頭でゴールを駆け抜ける事。そう考える間にも壁は目前まで迫っている。
結果、各々過程と順序こそ異なれど同じ結論に全員が至った。
「「「この坂を登り切ってみせる!」」」
それは高低差200m、傾斜角40°超。地獄の登坂の始まりである。
先頭から坂に差し掛かり、登ろうとするが。
(クソ、なんて高さだ。夢であってくれ……頼む!)
そもそも彼女達は既に2kmの距離を、熾烈に競り合ってきていたのだ。そこにきてこの山の様なスロープを“競走”するときた。最後まで体力が保つわけが無いのは道理である。しかしそこで1人として脚を止める者が居なかった事は流石ここ府中のターフに立つにまで至ったダービーウマ娘への尋常ならざる執念である。
1合目。マンションの6階相当の高さまでこれ程の傾斜を登る事自体が坂路経験のある彼女らをして既に全くの未知の領域への挑戦だ。トレセンに敷設されている坂路は同じ長さでも高低差が精々3mから4m、この50°近い崖の前では平地に等しい。まさかダービーに出走したウマ娘は皆この坂を登り切ったのか……? もし事実なら戦慄すべき話である。
2合目。傾斜の急な芝は滑り易いという殆ど役に立たない知識を秀才達は現在進行形で叩き込まれている。あぁ、隣のヤツが滑り落ちた。芝に対し不快感を覚えたのは人生でもこれが初めてだ。耳に入るのは荒い呼吸と靴の擦れる音のみ、作業に集中した時特有の奇妙な静寂で辺りは支配されている。
3合目。ほぼ垂直方向に60mという日常にあり得ない動きをして全く変化しない頂上までの景色に心がやられたか、一部足が遅くなったものがちらほら。気持ちは分かる、だがここで諦めるなど有り得ないと先を行くライバルが喝を入れる。本音の所喝を入れた彼女自身にも競い合える仲間が必要なのだ、そうでなければこの様なイカれた苦行に精神が耐えられない。
4合目。それまでほぼ無風だったのが向かい風に変わり、更に風速を増してきた。吹き下ろす烈風で環境は最悪と言ってもいい。筋肉が限界を迎えて、全身が鉛で覆われたかの様に重たくなる。今の彼女達を動かすのはダービーへの執着では無く、寧ろ落下死への恐怖である。先程滑り落ちかけたウマ娘はなんとか無事に復帰出来たようだ。これには如何に敵同士の関係であっても安堵の気持ちを禁じ得ない、本当に良かった。
5合目。最早1着を争う様な雰囲気では無い。自分達が落ちないようにする事で精一杯である。待て、何故私達はこんな事をしているんだ? それを口に出すな、それより手足を動かせ、転がり落ちて死にたいのか。滑り易く危険な芝に蹴りを入れて接地面積を増やしたり踏み易い平坦な足場にするテクニックを誰からともなく習得し始める。
6合目。先頭の走者が掘った足掛かりを利用して掘削作業の分の体力消費を抑える戦術を後方集団が発見する。スリップストリームだ! 遅れて先頭集団もこれに気付き、隊列は縦に長くなった。更に順々に先頭を交代するようになり、言葉を交わさぬ内に休憩と登坂の連携がとれていく。逆にそうしなければ体力が持たなくなってきたという生死に関わる問題の裏返しでもある。
7合目。幻覚でもなんでも無い事実として気圧の低下を感じ始める、遠くに見える超高層ビルに並ぶ程の高度。下は見たくない、そもそも後ろに振り返る余裕がない。登れば登るほど坂が長く急勾配になっているように思えて重力を呪いたくなる。一応はゴール板が見えている事だけがここにいる全員の共通の救いだ。
8合目。じりじりと近付きつつある頂上を確認した先頭集団の動きが早くなり、後続もそれに追い付こうと列を分けながらスパートをかける。連携による効率的な登り方を体得したウマ娘達は今や体力の残っていた序盤と変わらない速さで坂を登る統率されたチームになっている。
9合目。感情という概念を失ったか、そうでなければ悟りでも開いたかのような無表情で黙々と登り続ける未来の伝説の卵達、しかし終わりは直ぐそこだ! 焦って注意を怠った1人が坂から滑り落ちかけるが、そこに近くのウマ娘2人が手を差しのべる。自然が厳しいからこそ逆に人は協力し合える。登山は連携、集団行動、助け合いの精神であるという真理を少女達はこれまでの艱難辛苦の中に学べたのだ。
登り始めてどれだけの時間が経ったか全くわからない、しかし頂上に着いた、長い戦いもこれで終わりだ。登り切った者から下方へ手が出され、後続を引き上げていく。頷き合い、涙を流し、五体満足でこの凶悪な山を登り切った喜びを抱擁で表現する。18人の間に確かに芽生えたその固い友情の間に言葉はもう要らない。一心団結した我々はついにこの恐るべき難敵を打ち破ったのだ! 達成感に浸り安堵したからか強烈な疲労感と眠気が襲い、そして意識が薄れていく……。何かを忘れているような気がしながらも、それを考える前に思考がブラックアウトした。
……
『速報です。本日東京レース場で行われた日本ダービーにて、出走していた選手18人全員がゴール前で気を失って倒れる事件が発生しました。選手らはゴール前に“崖”があったと発言していましたが、ターフ上にそのようなものは無く、詳細などは未だ不明です。現場のレポーターから中継でお伝えします……』
……
『府中の直線には魔物がいる』
『それはその高さによってあらゆる意志を打ち砕き、あらゆる努力を磨り潰し、あらゆる挑戦を弾き返す文字通りの“壁”だ』
『そこではただ仲間と友情、そして協力だけが価値を持つ』
『“壁”はダービーの冠を阻む最大の敵であるが、同時に助け合える仲間の大切さを教えてくれる偉大な存在なのだ』
-あるベテラントレーナーの談 月刊トゥインクルダービー特集号より
『別記の検証実験の結果からも例の心臓破りの坂が現象の発生源とみて間違い無いでしょう。しかし、そもそも何故レース中に突然高低差が100倍近くまで大きくなったかのように歪んで見えるのかは、謎です』
-事故調査報告書 補記
ども、約1ヶ月前に初めてモノを書き始めた初心の者です。
他にも書いている途中の小説はありましたが、先に物語を一つくらい完結させたいという考えからこの短編を書きました。
界隈では有名な話が元ネタになっていますが、現実の側に寄せすぎるのは気が引けたので登場するのは大きな坂のみです。
なにぶん初投稿で練習作です。投稿設定のミス、誤字脱字や表現の誤りなどありましたら遠慮なく教えてください。
元となった事件の詳細 : ニコニコ大百科