なので、彼女らは本当の瞽女ではありませんが、雰囲気だけでも瞽女を出したかったのです。
瞽女の三味線の響きを蚕が聞くと負けじと良い糸を吐く。
養蚕が盛んな地域で盛んに言われた伝承である。
瞽女が来る家というのは決まってきて、そこの家の蚕はたくさん、高値で取引される繭をつくる。
今はというかこの世界では、蚕を応援するというより、人間を応援するすなわち、娯楽になっている。
迎える家では、周辺の人間たちが集まっている。
この迎える家を「瞽女宿」と言い、瞽女がくる季節前には瞽女用の布団を干して準備するという光景もあったらしいが、ここは寺に泊まるので、段差をなくすスロープをつけるとか、人がたくさん上がれるようにふすまや障子を外し、ゴザを準備するといったことをしている。
瞽女宿は客間が舞台で、奥の部屋が支度室になる。
三味線を持ち、女の人が手を引かれて出てくる。
さっきとは違い、綺麗な着物、整えられた髪の毛、軽くお化粧をしている。
瞽女の歌は不思議だ。
祝い歌という、めでたいことを調律に乗せて歌う歌
他のジャンルの歌をレパートリーとして取り入れて自分達のものにしたもの。
そして、口説きという長唄を披露する。
その多彩な唄の量
そして、三味線の荒々しい響き、その場の空気に合わせた即効性が求められる高度で奥深い芸能だと思った。
ただ、今回はそんな瞽女とはちょっと違うっぽい。
なにせ、その世界はモノがいるのだから。
「あッぱれ、大将軍や。此人一人(いちにん)うち奉(たてま)ッたりとも、まくべきいくさに勝つべきやうもなし。又うち奉らずとも、勝つべきいくさにまくる事もよもあらじ。小二郎がうす手(で)負うたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、此殿(このとの)の父、うたれぬと聞いて、いか計(ばかり)かなげき給はんずらん。あはれたすけ奉らばや」と思ひて、うしろをきッと見ければ、土肥(とひ)、梶原(かじはら)五十騎ばかりでつづいたり。」
すかさず、
「ああ、立派な大将軍だ。この人一人をお討ち申したとしても、負けるはずの戦に勝つこともなかろう。又お討ち申さなくとも、勝つはずの戦に負ける事もなかろう。小次郎が軽く傷を負ったのでさえ、直実は心苦しく思ったのに、この殿の父上は、討たれたと聞いて、どれほどお歎きになるだろう。ああ、お助け申さなくては」と思って、後ろをさっと見たところ、土肥、梶原が五十騎ばかりで続いて来ていた。」(訳出典: https://roudokus.com/Heike/HK141.html)
と、ハリセンのようなものを持った後ろの1人がしゃべる。
まつりとアヤはその寺周辺の子どもたちと一緒に前に乗り出してこのあとどうなるのか見ている。
なぜ見ているのかと言うと、劇も一緒にやっているし、これは三味線だけでなく笛や太鼓、鐘の音もたてて、臨場感たっぷり演じられている。
一番前が子どもたちが寝っ転がっている。次に椅子、後ろに立ち席がある。
海美は、最初立っていたが敦盛の最後は大体分かるので、団子を持って縁側に座っていた。
ちなみに、お寺のお坊さんが作ってくれた雑炊が振る舞われ、食べ放題になっているほか、寺内に住んでいる人たちがつくった甘いものやせんべい、団子も食べ放題となっている。
年に一回のお祭りのようだ。
お坊さんの雑炊も、自然の恵みに感謝した野菜の入った雑炊になっている。
庭には大きなコウロギと小さなカマキリがいた。
カマキリは熊谷直実のように鎌を扇のように振っている。
コウロギは何を思ったのかそのカマキリに近づいている。
スピカは海美に気がつくと、海美の隣に座る。