ヒヨリミコロシアム3用作品です

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遠鳴り

 毎月、月の初めに絵手紙が届く。

 宗谷岬、青の洞窟、知床半島。心が空くような景色達が遠方の薫りともに届けられる。今回は、かの有名な百万ドルの夜景のようだ。

 函館の夜景の表裏を眺めていると、郵便受けから便箋が一つこぼれ落ちた。

「近いうちに、あの場所へ行きます」

 付き合っていた当時から変わらない文字が綴られていた。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 会社から帰ると、テーブルの上に例の手紙が置かれているのが目に入る。大学から住み続けているワンルームの片隅に設置した折り畳み机。カラー印刷のポストカードには埃がうっすら積もっていた。

「……しょうがないだろ、忙しいんだから」

 誰に言われるわけもなく独りごちる。久しく干してない布団に、スマートフォンを放り投げた。

 場所はわかっている。誤魔化し続けているのも自覚している。

「そんな資格は」

 呟いた後、部屋の電気を落とす。

 スマホの目覚ましを確認したかどうかもおぼつかないままに目を閉じた。

 

 大学の新歓で初めて海を見た。真っ黒な絨毯を引いたような水平線。それを季節外れの花火をもち寄って騒ぎ立てる。各々が未成年の飲酒の禁を破った余韻に浸りながら。

 その離れた場所、ぼうっと浮かび上がる様に佇む白い服の彼女。短く切り揃えた髪が夜風に揺れていた。

 それがまるで宙に浮かぶ星の様に見えたから、吸い込まれるように話しかけた。

「君も疲れたクチ?」

「ううん、彼氏が心配しちゃうから」

 内心で膝を突きながらも会話は弾む。その最中で彼女が言ったフレーズに惹かれた。

「景色には心があるの。この夜の海を見ていると、落ち着かない?」

 その日から、彼女、白鳥麻衣とよく話すようになった。

 

 乱暴なアラームで目が覚める。久しぶりの悪夢にため息を漏らした。朝日が差し込む中、百万ドルの夜景がこちらを眺めている気がする。もやつく心を抱えながらスーツに着替えた。

 すれ違う学生の中に彼女の面影が通り抜ける。忙しさの最中に思い出す日々。そんな資格もないと知りながらも耽溺してしまう。

 

「あのさ、私たちって結構一緒にいるじゃない? もう二年だっけ」

「ここに来たのも何回目だっけね」

 見慣れた騒がしい居酒屋の席。見なくともわかるメニューを開きながら、いつもの品を注文する。そこに言葉はない。

 喧々諤々な怒号を聞き流しながら、負けじと声を張り合う。リドリー・スコット監督の映画を一緒に見た帰りのことだ。煙と光の組み合わせ、壮大な音楽。そんな事を話し合った事を覚えている。

「そういえば、彼氏とは仲良く出来てるの?」

「あぁ、そうね……うん、たぶん」

 雑音が入るように影を落とす彼女。踏み込む事を阻まれていたものが少しずつ退いていく気がしていた。

 互いに声音に色が混じり始める、空気が重くなって、心臓が脈を打つ。

 吐息一つ一つに意味が増えていき、周りの声が聞こえなくなった。

「少しだけ、疲れたかも」

「そっか……じゃあ、ここらで休憩しとく?」

「……うん」

 背徳感、緊張、互いに口数が少ないままに人の気配が少ない場所に『偶然』辿り着いた。

 その日、ネオン街に溶けていく人々の後を追うように、人生で初めてラブホテルを利用した。

 

 都心の駅で降りて一人歩き、歓楽街の中、人混みに紛れる。

 視界の端にネオンが流れていく。耳につく悲鳴も、パトカーのサイレンも何もかもが耳を素通りしていく。

 雑踏の中で自分だけが無音だ。音がない。あの時からずっと。

 

『ねぇ、あの時と同じ言葉は、掛けてくれないの?』

 

 セックスをして一週間程経った後に、麻衣は彼氏と縁を切った。それから二人歩くときは手を繋ぐようになった。

 彼女と付き合っている時期は楽しかった。

 旅行と称して、ずっと海を回っては歩き回っていた、天の橋立、宮島、松島。再び出会い直すかのように海を巡り、波の音を聞いて、潮風に当たる。

 あの時を焼き増しを、何度も何度も繰り返す日々。確かに幸せだった。

 

「元カレとは、どうなの?」 

 けれど、時々不安になり聞いてしまうことがあった。連絡がまだ続いていると知った日。そんな事を聞く資格もないが気になってしまう間男の性。

 その時決まって彼女は笑ってただの友達だよ、と答えていた。

 

 聞かなければよかった事なんて世の中には満ち溢れている。聞いてどうこうなるものであれば既に解決しているのが世の常であるかのように。

 伊勢神宮の帰り、夫婦円満になると云われのある岩を見た帰りに、同じ質問をした。

 いつもの笑顔が帰って来ると思っていた。ただの確認作業だと、そう思っていたから。

 

「死んだよ」

 

 交通事故だって、と素っ気なく彼女は答えた。

 高速道路の雑音、カーナビの声、エンジン音、コーヒーの薫り、全てが掻き消えて氷のような冷たい声だけが残る。

 バックミラーの彼女は能面のような表情のままだ。

「キミはさ、いつも聞いてきたよね。彼の事」

 なんで? と、鋭利過ぎる言葉が突き刺さる。十三億いる中での一人。たった一人の他人の死が、ここまでの狼狽をもたらすとは今まで考えた事は無かった。

 無言を貫く自分に、呆れたようなため息が一つ。

「答えてくれないんだ? 私はいつも答えてたのにね」

 結局、上手く答えを返す事はなく、重苦しい沈黙が包む。次は何処に行こうか、と聞くことも聞かれる事も無く、ただじわじわと次はないんだろうな、という思いだけが背筋を遡る。

 結局、状況を打開することなかった。最後まで僕は、元カレの隙間を埋めた愚かな間男であることをやめられなかった。水風船が破裂し、小さなゴム片が残るように自尊心は消えていった。

 やっとの思いで彼女を最寄り駅に送り届ける。

「ねぇ、あの時と同じ言葉は、掛けてくれないの?」

 降りる間際の彼女の声。それに反応することもなく逃げるように車を出した。

 最後まで一言も発することは出来なかった。

 

『そんな思い出も時間とともにやがて消える』

 ブレードランナーの感動的なシーン。自分もまた彼女のことも忘れ、雨の中の涙のように、死ぬときが来た。

 ラインの返信すらも億劫になり、講義をサボり、全てを雨へと流していく。全て消えていく事を願って。

 そんな月日が3ヶ月ほど経った日、彼女からのラインが来た。既読無視を繰り返した履歴の最新。そこにはこう書かれていた。

「日本海を見ませんか? 新潟に行きたい場所があるんです」

 

 

 今もその言葉が、履歴の最新に居座り続けている。

 毎年送られてきた絵葉書も、返信宛がわからないからと無視をしつづけた。今更、どんな顔をして会いに行けばいいのだろう。どんな顔をして話せばいいのだろうか。

 

 あくる日の朝、絵葉書が投函されていた。

 青く綺麗な海、子どもたちが遊んでいる風景。葉書には石毛海岸と記載されていた。

『○月☓日

 新潟県石毛海岸より

 

 いつかのあなたへと送ります。最後に会ったときの事は覚えているでしょうか? あなたへと掛けた言葉。もう一度だけ望んでいた言葉があります。

 何が駄目だったのか、自問することももうありません。

 私はやりたいことを見つけました。塾の先生をやろうと思います。ここで生きていこうとも決めました。

 届いているのか居ないのか、それすらもわかりませんが、これで最後の手紙とさせて頂きます。

 

 出会い直す事があるのなら、また逢いましょう。

 

 会える日を楽しみにしています。 白鳥 麻衣』

 

 弾けるように行動を始めてから、一ヶ月。

 指定席に座りながら、手紙を弄んでいる。

 

 今更、何を話したものなのか、過去の事への贖罪の言葉も持たずに特急に揺られる。

 いくつかの線を乗り継いだ先の先。そこには青の景色が広がっていた。ゆっくりと、息を吸い込むと彼女から送られた絵葉書と同じ薫りがした。

 

 送り元を辿り、見知らぬ土地を歩く。

 寂れたアパートの一階の一番奥。そこは、空き家となっていた。

 葉書の文字を確認してもう一度見るも、何も変わらない。

 勤め先すらも不明なままでの来訪だ。空振りに肩を落とす。

 するとそこに怪訝そうな瞳をこちらに浮かべる人間が通りかかる。事情を話すと、曖昧な表情を浮かべる。

 「あぁ、白鳥さんね……少し前に退去されたよ」

 「では、どこに」

 その人は眉を潜めて、こういった。

 「ご存じないの? 彼女、鬼籍に入られたわよ」

 

 空が白く、海が青い。入道雲が掛かって、ぼんやりとした景色に輪郭を添える。彼女なら写真に撮っただろうか。

 事故だそうだと、その人は言った。それからの事はよく覚えていない。

 教えてもらった墓地へと、幽鬼のように辿り着く。

 無縁仏の一つ、そこに彼女は眠っている。遠くに海が見える墓地だった。

 遠くに見える海、ここなら落ち着く事が出来るだろうか。

 

『ねぇ、あの時と同じ言葉は、掛けてくれないの?』

 

 彼女の別れ際の言葉を思い浮かべては反芻する。

 別れてきたと告げられた日、講義もバイトも放り出して二人でドライブに出かけた。

 湘南のあたりに差し掛かる頃には、その頃には天井に星が瞬いていた。砂浜へと、二人で降り立った。

 

『最初は海で出会ったんだ。もう一度、この景色からやり直さない?』

 今度は、彼氏と彼女の関係として。

 痛くてクサい台詞だと思う。青々しくも情けない。

 けれど、一世一代の告白だった。

 

 海が見える景色から僕たちはやり直した。何度も何度も。やり直したと思うたびに、彼女の影にいる人を思い浮かべては不安を抱く。潮汐のように引いては満たされる気持ちを何度も味わった。

 

 海を見るたびに新鮮な思いを味わった。

 海を見るたびに過去に追われていた。

 

 帰路の途、流れていく車窓を見ては思考の海へと落ちる。

 もう一度、やり直すことは出来るだろうか。

 

 彼女はもう、景色を変えることはままならないけれど。

 

 写真がプリントされた100mm✕148mmの紙切れを持って、海を巡った。新しさも、古さも味わいながら。

 ライフワークとなるかもしれない、一生抱え続けるのかもしれない。

 その贖罪が誰にも届かないことを知りながら、ただひたすらに車を走らせる。

 

「もう一度、やり直せたなら……」

 

 同じ景色も、変わって見れるのだろうか?


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