泥中之蓮   作:ふみどり

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二〇××年 某所 続

 正気でない話をするには、ほどよい薄暗さと脳に染みるアルコールが相応しい。

 先ほどまで借りてきた猫のように大人しかった山猫野郎は、さすが良い店をご存知だと変わらぬ皮肉を舌にのせた。

 

「今生でも良い暮らしをしておられるようですな、柊木少尉殿」

「今さら階級も何もないでしょう、敬語は結構ですよ。ちなみに俺は年長の方に財布を開いて頂くことに何の抵抗もないわけなのですが」

「まさかのケチかよ。おごらねえぞ」

「冗談です。アンタに借りを作る気はありません」

 

 勇作がうるさいしと付け加えれば、兄様アニサマと鳴き続けるどこぞのブラコンを思い浮かべたらしい山猫は遠い目をしている。仲良くさせて頂いていると勇作は浮かれていたが、尾形さんの胸中はまだまだ複雑なのだろう。

 その様子に肩を揺らせば、じとりとした視線がこちらに向けられる。随分と素直な反応にまた笑った。笑うしかない。

 どうやら尾形上等兵は、あのとき確かに死んだ(すくわれた)らしい。

 

「勇作が貴方を見つけ出したことはともかく、定期的に会う約束を取り付けたと聞いたときはさすがに驚きましたよ。あいつの浮かれようと来たら、それはもう迷惑でした」

「……執念に負けたんだよ」

「執念。まさに、ですね」

 

 日露戦争後、北海道で繰り広げられた金塊争奪戦。あまりに多くの事情が絡み合い、一言では到底言い表せない「戦争」の記憶。

 わりと最近に思い出したときには何だこの妙にリアルな夢はと思ったものだが、隣を見れば夢と同じ「高潔」の幼馴染みがいたうえに「晴仁も思い出したのか。時を超えても幼馴染みとはすごい縁だな」などと朗らかに宣うのだから信じるほかなく。

 再びあのひとに会うのだ、と実父を締め上げて腹違いの兄の存在を吐かせた勇作に、「うわこれ尾形上等兵(あのひと)絶対逃げられねえな」と少しばかり同情してしまったのは記憶に新しい。嘘です「すげえ面白いことになりそう」と思いました。

 適当にオーダーした琥珀色の酒が、グラスの中で緩やかに波を作る。

 

「……勇作さんにことの顛末を話したのはアンタだそうだな」

「隠すほどのことでもないでしょう、済んだことです。……ああ、でも勇作は俺が言う前から気付いていましたよ」

 

 己の脳を撃ち抜いたのが、敬愛する兄であると言うことを。

 尾形さんの手の中で琥珀が跳ねる。がち、とグラスと氷がぶつかり鈍い音を立てた。その動揺を「微笑ましい」などと思ってしまうのは、俺の性根の悪さだろうか。

 

「まあ、その辺は勇作と思う存分語り合ってください。アンタが何を思おうと勇作はアンタを諦めませんよ、もう嫌ってほどわかってると思いますが」

「……あれはもはやサイコパスじゃねえか?」

「俺、この薄汚れた世界で『高潔』貫けるやつってそもそも狂ってると思うんですよね」

 

 たいてい人間というものは、まっさらで生まれた人間性をこの現実世界で少しずつ黒く汚していくものだ。その白黒混ざったキャンパスこそがらしさというもので、これが真っ黒でもヤバいと思うが真っ白だって十分に異質であるように思う。

 そういう意味では勇作は確かに頭がおかしい。おかしいが、それでも今生では前世より幾分かマシなように見えた。人間に「黒」があることをきちんと理解し、受け入れた。それだけでも兄に殺された甲斐があったというものだろう。

 そんな自分の思考にやっぱり俺も薄情だなとぼんやり考えながら、手の中の琥珀で唇を濡らす。

 

「……俺が知る限りのことは勇作に伝えました。あの金塊に関わるすべてと、……貴方の最期も含めて」

「聞いてる。目が溶けるかと思う程度に号泣された」

「でしょうね」

 

 教えろとせがんできたのは勇作のほうだ。躊躇いが皆無だったとは言わないが、それほど抵抗があるわけでもなかった。

 今生でも尾形さんに関わろうとするなら、勇作は知るべきだと思った。咀嚼し、飲みこみ、消化しなくてはならなかった。

 勇作は、覚悟とともにすべてを腹に収めてみせた。

 

「人間って死んで成長するものなんですかねえ。ちょっと感心しました」

 

 しみじみとそう言えば、生まれ変わりは前提にするもんじゃねえだろ、と隣でぼそりと呟きが落ちる。ごもっともだが事実として記憶があるのだから仕方がない。

 それにしても、と琥珀を軽く呷った尾形さんにはニヤリと唇を歪める。

 

「つまり、やはり()()はアンタか」

 

 北海道で金塊争奪戦が繰り広げられていた間、「柊木晴仁」は変わらず中央にて軍に勤めていた。ただし柊木の家に仕えていた家人がひとり、生き別れた母を探しに北海道に渡っている。

 どんな縁か、主と瓜二つの顔をもつ青年――影臣と名乗った彼は、親類を探すという名目のもと北の大地を放浪し、じっとその血みどろの戦争を見つめていた。

 すべてを見届け、看取り、柊木家へと戻ったという。「彼」が本当に「影臣」だったのか――それはおそらく鶴見中尉をもってしても確証はなかったはず。

 情報将校すら騙し抜いたことの価値を思えば、口角も緩むというものだ。

 

「さあ、どうでしょう」

 

 アレは俺でもあり影臣でもあると言えば、このひとはどんな顔をするのだろうか。

 




問題はこの後だ。
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