泥中之蓮   作:ふみどり

5 / 5
参

 花月影臣(わたし)は、柊木晴仁さまと瓜二つの顔、まるで同じ体躯、柊木家の方々ですら聞き間違える声をもっている。しかし私と晴仁さまと双子ではないし、それどころか血も繋がっていない。少なくとも「私と晴仁さまと兄弟である証拠」は一切なく、「晴仁さまが一人っ子である証拠」は完璧なほどに存在していた。

 私自身、己の血縁のことなどどうでもよかった。孤児として寺で暮らし、晴仁さまと同じ顔で面白いからと旦那様に引き取られ、随分と恵まれた暮らしをさせて頂いたと思う。旦那様や奥様は(まあまあ性格に難はあれど)下の者に理不尽を言うようなことはなかったし、晴仁さまも(それなりに性格に難はあれど)基本的に私に優しく、それこそ兄弟のように育てられた。もちろん成長するにつれて立場の違いは理解したが、それすらも私にはどうでもよく。「晴仁さま(あのひと)面倒くさがりなのに軍属なんて大丈夫カナー」と思った程度のことだ。

 しかし日露戦争で拝見した「柊木晴仁少尉殿」の勇姿に、やはりこの方は軍に在るべきなのだと、そう思ったことをよく覚えている。

 

「──ああ、柊木少尉は非常に優秀だ。きみがそう思うのもよくわかるよ」

 

 そう柔らかく応じてくれたのは、額をホーローを覆った紳士だった。丸い机を挟んで座る彼は、優雅に脚を組んで微笑んでいる。武器をもった第七師団に囲まれている状況でなければ、私ももっと穏やかな心持ちで話ができただろうか。いや、残念ながら今とても愉しいです。

 北海道の大地を踏み、小樽に訪れて数日。街中で巡回中の彼らと鉢合わせ、この顔を見て「何故柊木少尉殿がこんなところに!?」と騒ぐ派閥と、「いやこいつたぶん柊木少尉殿じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)ほ(・)う(・)では、」と反論する派閥にわかれていたのが非常に面白く、ついつい「すみません、じゃないほうです」と言いそびれてしまい、そこそこの騒ぎに発展したところで鶴見中尉に見つかってしまった。早めに顔を合わせたいとは思っていたので、結果的には良かったと思っておこう。

 私が花月影臣を名乗ると、彼らは一応それを受け入れてくれたように思う。柊木晴仁は今日も元気に中央で勤めているし、何より私自身も徴兵され二〇三高地も走り抜けた身。戦地で私のことを見た者がいる以上、「花月影臣」の存在を疑うことはできない。もっとも、鶴見中尉ともあろう御方がその程度で完全に信じているわけでないだろうが。

 微笑みの奥に見える瞳は、あまりにも冷徹にこちらを見つめている。本(・)当(・)は(・)い(・)ま(・)こ(・)こ(・)に(・)い(・)る(・)私(・)が(・)ど(・)ち(・)ら(・)な(・)の(・)か(・)な(・)ど(・)、ど(・)う(・)で(・)も(・)い(・)い(・)こ(・)と(・)な(・)の(・)に(・)。それをわざわざお伝えするほど私も優しくはない。

 鶴見中尉から晴仁さまへの賛辞に、私は嬉しそうに頷いて見せた。

 

「鶴見中尉殿ほどの方にそう仰って頂けるとは。我がことのように誇らしく思います」

「おや、私はきみ自身も高く評価しているが? ──多くの同志が、きみに助けられた。もちろん私の隊にいる者もだ」

 

 そう言ってちらりと兵のひとりに目をやった。その先には、頬に大きな傷痕のある──覚えている、鶴見中尉の部下、野間直明一等卒だ。

 野間一等卒はその視線を受けて小さく頷き、続けて私の方を見て軽く目を伏せる。無表情だが、好意的な雰囲気は感じ取れた。

 

「野間が今こうして生きているのもきみのおかげだ」

「……過分な評価ですよ」

 

 そう苦笑をしてみせるが、いやいやと鶴見中尉は芝居がかった様子で両手を広げ、首を振った。まるで演説でも見ているようだ。

 

「重傷にも構わず戦場に戻ろうとした野間を止めてくれたそうじゃないか」

「……あの、そう持ち上げないで頂けると」

「何を言う。きみのおかげで我々は同志を失わずに済んだのだ」

 

 覚えている。血と硝煙の臭いとともに、脳に強く刻んだ記憶が蘇る。

 戦場の空気というのは本当に異様としか言いようがなく、多くの者が狂気の渦に飲まれていた。正気を保って死を恐れた者から死んでいったのだから、あれもまた人間の本能と言えるものだったのかもしれない。死ぬことを恐れた者から死んでいく。死を恐れぬ者は自ら死地に飛び込んでいく。自身と敵の血に塗れ、傷の痛みも疲れも忘れ、死の淵にあっても自らを守るより敵を殺すことを選ぶ。

 旅順での戦闘の最中、傷病者の数に対して軍医が足りず、医学の知識があるからと一時的にその真似事をさせられていたことがあった。野間一等卒は、そのときに診た患者のひとりだ。

 救護に運び込まれてきた彼は頬の傷こそ浅かったが、間近で爆発の余波でも受けたのだろう、全身から血が噴き出していた。戦場を距離をとってなお己を傷つけた敵兵の姿が目に焼き付いていたのか、「戦場に戻る」「露助(あいつら)ぶっ殺してやる」「あの野郎、絶対に俺が殺す」と暴れ立て、随分と手を焼かされたのを覚えている。

 錯乱した人間の相手自体は珍しくもないが、彼は出血がひどかった。そのまま血を垂れ流していれば生命に関わり、ひいては私の評価にも繋がる。

 仕方なしに打ったねこだましの一発は、天幕の中で思うよりも大きく響いた。ようやく彼の血走った眼が現実を捉える。

 

『そのまま戦場に戻れば死にますよ』

『っだから何だ!! その前に確実にあいつを殺してやる!!』

『たったひとり殺して犬死にか?』

 

 声色を低くして言葉を崩すと、野間の気概も一瞬崩れた。

 言葉というのは、伝わらなければ意味がない。より相手に響くように、声の調子を、時機を、言葉を選ぶ。この手のことを仕込まれてきたのは晴仁さまだけではない。

 

『ひとり殺して今日斃れるより、明日を選んで十殺せ。明後日もその次も生きて、百でも千でも屍を積み上げろ。──お前がここにいるのは、お前を殺そうとしたたったひとりを殺すためか?』

 

 それとも、祖国を勝利に導くためか。

 ──こんな気取った言葉も、愛国に燃える兵士にはよく響いたらしい。一瞬で静かになった野間一等卒は、そのまま貧血を起こして意識を失った。最初から寝てろよ面倒だなと思いました。

 激戦地だけにこういったことは少なくなく、野間以外にも錯乱した患者は何人も診てきた。というか追加の軍医や看護兵が確保されるまで「暴れる患者担当」になっていた節があり、変な風に私の話が軍で広まってしまったのは予想外だった。もちろん、晴仁さまと同じ顔をしていたことも噂に拍車をかけていた。

 

「幼少から柊木家に仕え、柊木晴仁少尉と兄弟同然で育った花月影臣一等卒──医学の心得があり、戦場においても判断力に優れ、性格は温厚篤実、謙虚な好青年だという評判をよく聞いていたよ。叶うならば私の隊に引き抜きたかったが、なかなかきみは人気者でな」

「……恐れ、入ります」

「ははは、褒められるのは苦手かね」

「何とも面はゆく……いえ、本当に、光栄に思っております」

 

 そう頬を掻けば、鶴見中尉はうんうんと微笑ましそうに頷いた。周囲からも幾分か柔らかい視線を感じる。

 この「好青年(かげおみ)」像は柊木晴仁とは似ても似つかぬ性格にしようという配慮のもとで作った設定(せいかく)だったが、もう少し背中がかゆくないものにすれば良かったと思う。それらしく振る舞うのは苦ではないが、個人的には多少嫌われている方が好ましい。

 そもそも鶴見中尉と顔を合わせたかったのはこんな話をするためではない。私を持ち上げるなんて無駄なことをしないで、さっさと本題にうつってほしいものだ。

 会話が途切れ、一瞬の間ができる。ひとつ、にこりと微笑んでみせた。鶴見中尉もまた、ゆるりと眦を下げる。

 交わった視線に、ちり、と火花が散る。

 

「……そういえば、まだこれを聞いていなかったな」

 

 きみは、なぜ北海道に?

 それを聞いて欲しかったんですと、ついつい緩みかけた頬を引き締めた。

 

 *

 

 私はいま「花月」という姓を名乗っているが、これは奥様、つまり柊木家に嫁いだ晴仁さまのお母様のご実家の姓だ。孤児ゆえに名乗る苗字がなかったところを、奥様のご厚意からそう名乗ることを許されていた。率直に言って通常有り得ない待遇である。

 私の顔は晴仁さまと瓜二つで、晴仁さまは完全に奥様似。つまりこの顔は奥様によく似ているのだ。私の顔を面白がったのは旦那様だけではなかった。

 

「晴仁さまと双子なのではないかと勘ぐられたことは一度や二度ではありません。しかし、奥様のご出産に関わった者は皆口を揃えて否定しました。第一、仮に晴仁さまと私が双子であったとして、それを隠す必要などまったくないのです。旦那様も奥様も、双子は不吉だなどというくだらない迷信を気にされる方ではありませんでしたから」

 

 そこでちらりと部屋の隅に座る二階堂の双子に目を向ける。一切のズレなく同時に大きく頷いた彼らに、少し笑った。

 いつ誰が死ぬともわからないこの時代、むしろ旦那様なら男子の双子を喜んで受け入れただろう。わざわざ秘匿する必要も片割れを余所に出す必要も全くなく、実は柊木家や花月家が子どもふたりを育てられぬほど困窮していたなんて事実もなかった。

 視線を鶴見中尉に戻し、微笑みを崩さぬまま続ける。

 

「もちろん花月家のほうでも、私との関係を疑われる方はいらっしゃらなかったそうです。なので本当に出来過ぎた他人の空似なのだろうと思い、特に自分の出生を気にしたことはなかったのですが……」

「何かわかったのだね? そしてそれを確かめるために北海道に来た」

「仰るとおりです」

 

 その話をもってきたのは柊木家に出入りしていた商人だった。全国各地を行脚してさまざまな品を買い付けてくることを生業にしていた彼は、今回は北海道まで足を運んだのだと言い、奥様に対してこう尋ねたのだという。

 

『ところで奥様、北海道にご親戚はいらっしゃいますか?』

 

 もちろん、奥様に心当たりはない。

 詳しく聞けば、彼はこの北海道で奥(・)様(・)に(・)瓜(・)二(・)つ(・)の(・)女(・)性(・)を見かけたのだと。花月家の人間とは思えぬ、いわゆる「普通」の身なりをしていたが、一瞬奥様のお忍びかと見間違えるほどにはそっくりだったのだという。距離があったために声を掛けることはできなかったが、彼が顧客の顔を見間違えることはまず有り得ない。

 花月家の縁者ではない、奥様にそっくりの女性。それはつまり、私にもそっくりの女性だということ。もしや、と思ってしまうのが人情というものだろう。

 

「……血縁に興味はなかったつもりなのですが、……やはり、気になってしまって」

「自然なことだろう。……それは、この小樽のことなのかね?」

「そう聞いております。とはいえ、その方が小樽に留まっているとも限りませんし……しばらくは北海道を巡ってみようかと」

「ふむ。誰か、そういった女性を見た者は」

 

 沈黙が流れる。

 む、と鶴見中尉はどこか申し訳なさそうに眉尻を下げる。私はお気になさらずと首を振った。この広大な北海道の地で名も知らぬたったひとりを捜し出すなど、容易なことではないことくらい覚悟のうえだ。

 

「すまないね。こちらでも気に留めておくとしよう」

「そんな、皆様のお手を煩わせるわけには参りません。どうぞお捨て置きください、私が主に叱られてしまいます」

「柊木少尉かね。彼は不遜が過ぎて逆に面白いと笑い飛ばしそうな印象だが」

「えっ晴仁さまも軍では真面目に振る舞われているはずでは」

「ほほう、軍では、と。詳細を聞きたいナァ」

「あ、……そのぅ……どうか聞かなかったことに……」

「ふふふふふ」

 

 にこにこ微笑む鶴見少尉を前に、小さく震えながらそっと両手を挙げると、周囲から忍び笑いが漏れた。

 さて、私の設定(ひとがら)の紹介と北海道にきた事情の説明はこんなところだろう。全員が全員信じてはいないだろうが、少なくともこれで表面上の関係はある程度良好に保たれ、私が北海道のどこに現れようとも一方的に咎めることはできない。

 お時間を取らせてしまいましたと目を伏せれば、引き留めたのはこちらだと鶴見中尉は穏やかに首を振った。

 

「北海道を巡るとは言え、しばらくは小樽に留まるのだろう? 偶然その女性をお見かけすることがあれば知らせを送ろう」

「本当にお気遣いなく。ですが、……ありがとうございます」

 

 柔らかく頷いた懐の深い上官と、恐縮しながらも厚意に謝意を示す好青年。そんな風に見えただろうか。そ(・)ん(・)な(・)風(・)に(・)こ(・)の(・)光(・)景(・)を(・)素(・)直(・)に(・)受(・)け(・)取(・)っ(・)て(・)く(・)れ(・)る(・)人(・)は(・)、今(・)こ(・)こ(・)に(・)何(・)人(・)い(・)る(・)の(・)だ(・)ろ(・)う(・)。誰がどのように私を疑っているのか、想像しただけで胸が躍る。

 少なくともずっと鶴見中尉の後ろに控え、微動だにしなかったそのひとは少しも信じていないに違いない。これだけ穏やかな会話を展開したのに頬のひとつも緩めなかった月島軍曹、さすがに職務に忠実すぎる。

 良い部下をお持ちだと素直に感心しつつ、さっさと退散しようと柔らかい椅子から腰を浮かせた、そのときだった。

 

「──ああ、そうそう花月くん」

 

 何気ない口調だったというのに、ぴり、と頭のどこかで警報が鳴った。

 何でしょう、と緩やかに言葉を返す。

 

「最近の北海道は何かと物騒でね。我々も尽力してはいるが──きみも身辺には十分に気を払いなさい」

 

 迂(・)闊(・)な(・)行(・)動(・)は(・)厳(・)に(・)慎(・)む(・)よ(・)う(・)に(・)。

 鋭さを増した視線が突き刺さる。有り難い忠告だが、そんな面白そうなことを言って私の好奇心を煽らないで欲しいというのが正直な。

 お気遣いありがとうございますと笑顔を残し、私は部屋を後にした。

 

 *

 

 無論、奥様のそっくりさんなど存在するはずもなく。

 相手を味方につけたい場合を除き、相手の疑いを完全に消す必要はない。疑いを確信にする材料を潰すことだけ考えればいい。

 影臣(おまえ)が北海道にいてもおかしくない設定を適当につくっといて、などと簡単に宣った主のために、商家との繋がりが強い花月家の力を借りて証拠をつくりあげた。疑いはあっても確証はもてない程度の裏工作は完了している。

 だから、もし私の嘘を嘘と証明したいなら、直接私から探り出すしかない。鶴見中尉が私のもとへ人を寄越すか、それとも無視するか、可能性としては半々くらいを考えていたのだが、やはり鶴見中尉は念には念を入れたい性分らしい。

 

「花月、こっちだ」

 

 鶴見中尉との会談のあと、数日と経たないうちに接触してきたのは野間一等卒だった。改めて戦地での手当ての礼を言われ、よければ酒の一杯くらい奢らせて欲しいと声を掛けてきたのだが、意外とまともに世間話をしてくれるので驚いた。何となく軽口を叩いているうちに、うっすらと友人らしい関係は築けたと思っている。

 先に一杯やっていた野間に片手で応え、私にも一本、と店の者に声を掛けて椅子を引いた。野間と飲むのはこれで三度目だった。

 

「遅くなって悪かったね」

「構わねえよ。また宿代がわりの商いの手伝いでもさせられてたんだろ?」

「いやあ本当に商人というのは容赦がないよね。奥様の紹介であってもとことんまでこき使ってくれるよ」

 

 そう言ってこきりと肩を鳴らす。

 実際、貴重な労働力として体よく使われている感はあった。そのぶんの手間はかけているので文句はないのだが、荷運びや計算程度ならともかく、物品の目利きやら諸々の折衝やら、おおよそ一時的な労働力に任せるべきではないことまで任されるのはどうなのか。

 おかげで街への聞き込みも満足にできていないのだから困ったもの。商人たちからある程度の情報は集まるとは言え、私がこの顔を晒して動かなければ鶴見中尉への説得力が出ないというのに、上手くいかないもんだなと苦笑するしかない。

 私の軽口に、野間も大変だなと口角を引き上げた。この男、無愛想なようでいて意外と表情豊かなことにはわりと早いうちから気付いていた。愛想での作り笑いをしないだけで、笑わないわけではないらしい。

 にこ、と私も人畜無害そうな笑顔を選んで己の顔に貼り付けた。

 

「まあ、第七師団の野間一等卒殿ほどではないよ。今日も訓練に任務、お疲れ」

「おう、悪いな」

 

 野間の前にあった徳利を指先で摘まみ、空の猪口へと傾ける。同時に、私が頼んだ酒も卓に乗った。お前も、と野間に徳利を向けられる。

 

「ありがとう」

「ああ」

 

 さらさらと流れていく安酒を眺める。

 特に野間から情報を引き出すつもりはない。一等卒程度がもっている程度の情報なら他からいくらでも探り出せるだろうし、「花月影臣は師団の任務に興味を持っている様子はなかった」と証言してくれる人間がいることの利のほうが大きい。野間が早々に気を許してくれたのも、おそらくこれが大きかったと思う。

 互いに猪口を軽く掲げ、口を付ける。戦地で口にしたものよりは遙かにマシな酒がじわりと喉を灼いた。

 

「……あー、美味い」

「酒くらい飲まねえとやってらんねえよなぁ」

「はは、何、野間、今日も大変だった?」

「おうともよ。何でウチの上等兵殿はああも性格が悪いかね」

「今日はどっち?」

「クソ尾形」

 

 とうとう名前に「クソ」がついた。

 飲むたびに日々の愚痴を聞かされるが、その大半が上等兵のどちらかのネタなのが面白いというか何というか。

 まあ上等兵なんて一等卒を扱き倒すのが仕事と言っていい。嫌われる対象になるのは仕方がないと言えばそうなのだが、あのふたりについてはそもそもの人間性に大いなる問題があると思われる。野間が愚痴りたくなるのも無理はないと言ってあげよう。

 怒濤のように湧き出る「クソ尾形」への罵詈雑言をうんうんと聞きながら、これだけ人間性を否定されても能力を否定されることがないのはさすがだなと頭の隅で考える。尾形上等兵、それに今日は愚痴の対象でなかった宇佐美上等兵も、「上等兵」であるだけの能力を備えているし、部下もそれは認めている。気にくわない上官の足を引っ張ろうなどというくだらない考えももたない。

 ともに死地をくぐり抜け、有能な味方の重要性を肌で理解しているのだから当たり前──ではない。そ(・)う(・)仕(・)込(・)ま(・)な(・)い(・)と(・)、こ(・)う(・)は(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)。それができる人間を選りすぐってきた、とも言える。そういえば旦那様もそんなことを仰っていた。

 

『いらん可能性は、その根からひとつずつ丹念に潰さねばならん。特に人心を都合良く動かすなら、徹底した下準備と、二重三重の策が要る』

 

 決定的な瞬間には、すべてが終(・)わ(・)っ(・)て(・)いなくてはならない。

 そう仰った我らが敬愛する旦那様のご尊顔を思い出すたびに、ああこの方は晴仁さまのお父様だなとしみじみと思う。一度ウッカリそれを口にしてしまい、期せずして晴仁さまの本気の拳の威力を知ってしまったのだが、いや貴方自分の性格の悪さを血のせいにしてんだからそういうことでしょと。まあ二発目は嫌だったので口にはしなかった。閑話休題(それはともかく)。

 止まらない愚痴を聞き流しながら、ときに相槌を打ち、ときに酒を挟ませた。いやあ本当に止まらない止まらない。今日も野間の愚痴だけで話が終わるな、と思ったとき、後方からかすかに知(・)っ(・)た(・)声が聞こえたような。

 おやこの声は、と顔に出さず思い出しているうちに、まるで猫のような気配の薄い足音がするりと背後に近寄った。野間は愚痴と酒に夢中で気付いていない。

 あ、まずい、と野間を止めようとしたが、後の祭り。

 

「──随分とご機嫌のようだな、野間一等卒」

 

 あまりにも皮肉の似合う嫌みったらしい低音が、怒濤の愚痴を堰き止めた。

 

 *

 

 何かこんなこと前にもあったな、いやこれ晴仁さまのほうか、とは口には出すまい。

 あまりにも優しげな(わけがない)声で「玉井伍長殿がお呼びだ。即刻隊舎に戻れ」「俺との愉しい話し合いはそのあとにしてやる」と完全に引きつった顔の野間を飲み屋の外に蹴り出し、何故だかそのひとはそのまま私の前に居座った。いや帰れよ貴方も野間と一緒に。

 遠慮せず飲めよ、と掲げられた徳利に、慌てて手の中の猪口を空にする。あまりに遠慮なく酒を注がれ、跳ねた滴が私の指を濡らす。しかし「おっと悪いな」とそのひとはただにやにやと笑うだけ。うーん、野間の気持ちがよくわかる。

 お返しにと注いだ酒に口をつけた「クソ尾形」は、真っ黒な眼でこちらをじっと見つめている。

 

「こうして話すのは初めてだな、花月。柊木少尉殿とは面識があるが」

「主よりお話は伺っております、尾形上等兵殿」

「満期除隊したんだろ、階級で呼ぶ必要はねえよ」

 

 では尾形さん、と微笑んだまま返せば、嘘くせえツラ、と鼻で笑われる。わかりやすく売られる喧嘩に、かえって心が躍るのを感じた。こうでなくては面白くない。

 

「しかしよく似ているな。笑い方こそ違うが、造形はまるで同じだ」

「よく言われます」

「それだけ似ていれば、入れ替わっていても気付かれんだろうな」

「幼い時分には、まあその、そういった悪戯も少しは」

 

 少し視線を揺らして口ごもってみせれば、ほお、と尾形さんも目を細めた。

 今は違うのか、と視線で問われているのがわかる。さあどうでしょうねと、私も口には出さずに微笑むだけだ。問いたいなら問えばいいが、私の答えは変わらない。

 ふふ、とついつい喉の奥が揺れる。こんなふうにわかりやすく疑われるのも珍しかった。

 近頃は商人たちにこき使われてまあまあ鬱憤がたまっていたし、行儀の良い顔ばかりしているのも正直を言えば性に合わない。だから、まあ、これくらいの悪ふざけなら。少しばかりご期待に添えたところで、何が悪くなることもあるまい。

 安っぽい灯りの下、わずかに目を伏せる。尾形さんの言ったとおり、晴仁さまと私では笑い方が違う。花月影人ならより柔和に、眉尻を下げ、口元を動かしすぎず、表情よりは雰囲気で微笑みを演出する。対して柊木晴仁は──それも取り繕いでなく、素に近い晴仁なら──より悪(・)辣(・)に。

 片眉を上げる。口角を意識的に引き上げ、目元の筋肉を動かしていく。唇の端を舌先でなぞり、表情を確かめて目線をあげた。

 改めて、と影臣(わたし)より幾分か低い晴仁(おれ)の声に言葉を乗せる。

 

「──お(・)久(・)し(・)ぶ(・)り(・)で(・)す(・)ね(・)、尾(・)形(・)上(・)等(・)兵(・)」

 

 *

 

 そのときの尾形さんの顔ときたら。

 見開かれた眼、愉快そうに引き上がった口元から除いた犬歯、予想が的中した昂揚があまりにも素直に表情に出たのを確認し、私はぱっと全てを戻した。全てである。

 

「似てました?」

 

 は、と山猫が豆鉄砲を喰らったような顔をした上等兵殿を余所に、通りかかった店員に酒の追加を伝えた。いまの尾形さんの間抜け面だけで一杯いける。

 すぐに酒を卓に置いてくれた店員から視線を戻せば、じっとりとした不機嫌面がこちらを向いていた。このひとに尻尾があったなら、きっとべちべちと地を叩いているところだろう。こんなに面白い人なのに野間は何故「クソ尾形」なんて呼ばれているのか。愉快すぎる。

 これは失礼いたしました、と建前として少し姿勢を改めた。

 

「形だけでもご期待に添えたほうがよろしいのかと思いまして」

「……あくまでもお前は花月影臣だと?」

「あくまもなにも私は花月影臣ですよ。柊木晴仁さまは今も中央のご実家にいらっしゃいます。おおかた鶴見中尉殿も中央に主の所在を確認されたのでは?」

「ああ、今日も元気に書類と戦っておられたそうだ」

「かわりなく励んでいらっしゃるのですね。何よりです」

「だが、鶴見中尉はまだ疑っている」

 

 まあそれはそうだろうが、随分と率直な物言いに少し驚いた。なるほど、やはり尾形さんは鶴見中尉に心酔しているわけではないらしい。

 射貫くような視線に、先ほどのような不機嫌さはない。温度のない冷徹な視線は、確かに獲物を見定める狙撃手のそれに近かった。

 

「仮にお前が本当に花月影臣だとしても、お前が北海道に来たのは柊木少尉の密命を受けてのことだろうと」

「それはそれは。余程探られたくない腹があるとみえますね」

「何だ、何も知らんまま送り込まれてきたのか?」

「申し上げました通り、私は人を捜しに北海道に来たのですが」

 

 さて、どこまで情報を開示するか。

 この様子なら尾形さんは積極的に私の敵にはならないだろう。しかし、決して味方になってくれるわけでもない。少なくとも現時点では、尾形さんに渡した情報はそのまま鶴見中尉に伝わると考えるべきだろう。

 問題は、鶴見中尉が私という存在を自身の「計画」の中に組み込んでくるか否か。いや、組み込ませるか否か、だ。そんなもの答えは決まっている。上がりすぎそうになる口角を咄嗟に猪口で隠した。

 

「……密命と言えるかはわかりませんが」

「!」

「晴仁さまは『好きにしろ』と仰いました」

「……何だと?」

「人捜しのついでに何を見、何を聞いても、好きなように動いていいと」

 

 ただ、連絡だけはマメに送れ、と。そう付け加えれば、じり、と尾形さんの眼が細められる。

 晴仁さまと同じ顔をもつ私が遙か北の地で事件に巻き込まれたり野垂れ死んだりして何かしらの問題に発展してはまずいというのが主目的だが、私から情報が流出することをどう受け止めるかはひとそれぞれだろう。もちろん、その気になれば中身を検められず情報を送れるだけの道筋は確保している。

 さて、伝えられるのはこれくらいだ。もう言いませんとばかりににこりと微笑めば、数秒黙った尾形さんは「は、」と強く息を吐き捨てた。その口角は上がっている。

 

「花月よ」

「何でしょう」

「さてはお前、柊木少尉殿より勤勉か?」

「そんな。面白がりではあると思いますが」

「つまり、お前は厄介ごとを嗅ぎつけたら勝手に首を突っ込むと思われてんだろ」

「さあ、晴仁さまのお考えは私ごときにはわかりませんが」

 

 ぴんと張っていた空気が緩む。

 ははは、とふたりして軽く肩を揺らした。表向きは気安い空気が流れ、揃って猪口に口を付けた。どうぞどうぞと徳利を向ければ、あまり酒を飲まないはずの山猫が愉快そうに酒を受けた。

 ところで、と卓に肘をつき、すっかり格好を崩した尾形さんが口を開く。

 

「お前と柊木少尉殿の見分けがつく人間はどれくらいいるんだ?」

「おや、いやですねえ尾形さん」

 

 どれくらいいるか、だなんて。

 脳裏に浮かんだのは、呆れきった様子で手を振った鏡合わせの顔。長い年月をかけてそう仕込んできたとはいえ、ただただ笑うしかないこの事実。

 

「ひとりもいないに決まってるじゃないですか」

 

 そのときの尾形さんの顔は、これまた酒の肴にちょうどよかった。

 

 *

 

「奥様が言うところによれば『晴仁の服を着ているほうが晴仁』」

「旦那様が言うところによれば『あらゆる意味で優秀なほうが晴仁』」

「本当に、血の繋がりとは何なのでしょうねえ」




ひー難しい。時系列的には原作入る前です。次はだれと絡もうかな。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。