勇者部のみんなは、尊び、敬う対象だった。そもそもが赤ん坊と何ら変わらない年数しか生きてはいないのだから、目に映る人々は誰しもが尊敬の対象者ばかりだ。彼らの、彼女らの振る舞いを見て育ち、心への理解を徐々に深めていく。
花の咲き誇る優しさも、心を穿つ悪意も、その全てはカズキが成長する為の糧へとなる。
白も、紫も、水も橙も、十人十色の心の数々を受け取る日々。本当の意味で心を得て、本当の意味で自らの存在を確立させるべく、感じた世界を感じるがままに吸収していく。自分が勇者部へ加入させられた理由には、人助けを通して人間的成長を促す為、でもあるとか。
自分以外の意思が望むがままに、己の選択のように見える未来を進んでいく。
それでもいいと思った。
宿すべき名前を導いてくれた。同じ苗字を名乗ってもよいと、手を差し伸べてくれた。
戦って戦って、また戦って。命を削って、命を嗄らして、命を使って。
いつか遠くないうちに尽き果てたとしても、彼女のためになら、きっと後悔はない。中途で果たしきれない約束があったとしても、それでも彼女が望むのなら、力と命を戦いで使い潰すことが郡カズキの存在する『理由』の一つ。
他にもここにいるため、そのための口実はある。けど、今一番大きいのは
勇者部のみんなの世界を守る。彼女らの命も、心も、家族も、日常も。彼女らが暮らしていた街並み、彼女らが慈しんでいた生活、彼女らが信じた箱庭。手に余って零れ落とすことはしない。須らく悉くを守り抜いてみせること。
自らの望みの全てを達するにはどうするのか、それを、自分は知っている。
自分よりも世界を知っている者に従うことだ。
だからこそ、郡カズキは誰よりも郡千景の示した未来を信じている。
「っ……うわっっ!?」
廊下の曲がり角で一回転。見事にスリップした後姿を遠巻きに笑う――醜く嘲嗤う――のは大赦の息がかかった職員だ。普遍的な看護師なら、危うく転びかねないその様子を見やれば、一目散に飛んできて補助に入ると思われるが。
気を取り直して、今度はゆっくりと、焦らず慎重に車椅子を手で漕いでいく。
――クスクス。
悪意も感情であり、人の持ち得る心の一つ。人とは勇者部の者たちのような優しさだけではないと知るために、その悪意をカズキは受け止めて学んでいく。悪感情を学び、理解を深めるごとに、カズキの内に在る虚無の力は育っていく。この悍ましい心を育てるのに、此処はこれ以上ない場所だった。
――頭でも打ってくれないかしら。
――ああ、いいなそれ、想像するだけで痛快だ。
それを千景から知らされたから、彼女がその事実を知らせた意図の通りに、カズキの中の悪意は順調に育っている。戦うための薪を積み重ねて、いざ時が来れば憎しみとして解き放てるように。
「ふっ……っっ、くっ…………」
腕を必死に動かす。ザルヴァートル:システムへ接続しない限りは、もう二度とカズキは歩いて暮らせる体ではなくなってしまった。東郷が卒業したかと思えば、今度はカズキが車椅子生へ入門することになった。
治らないのは理解している。その原因を千景は伏せていたが、その要因が英雄の力が馴染んでいくのと殆どイコールで示せる。カズキだって薄々気づいている。だとしたら回復する見込みなどこれっぽっちもない。だとしたら、いち早くこの生活に慣れなければならない。
普段通りとはかけ離れてしまった全身を振り絞って、練り上げた筋力を腕へと注ぎ込む。そうして四苦八苦して、遅々と進む背中も嗤いものとして看護婦たちは消費していく。それを咎めるものはいない。カズキの滞在することを許されたエリアには、大赦の関係者以外には誰一人存在しない。千景と勇者部のみんな以外から、いつだって悪意だけを突き出される生活には、少々飽いた。
大赦から向けられる敵意は、濁り澱み煮凝って、カズキの中の紫の力へと変わる。理屈としては分かるが、まるで不細工なマッチポンプのようだと、額の汗を拭いながら考えた。
「……東郷って……すごい、な」
彼女はお淑やかなだけではないと、曖昧に認識を改める。
タイヤの補助があれど、腕だけで全身を運んでいくことは、予想を遥かに越して難労働だ。慣れていないのもあるのだろうが、カズキでさえ相当な力みを要求されている。であれば女子の細腕でああも自在に動けるようになるまで、それはもう苦労したのではないだろうか。
「……ふぅ…………やっぱり、あいつは、強いやつだな」
汗水垂らした日々は想像に難くない。そんな日々に鍛えられた腕力も、想像するには難くはない。一見すれば少女然とした軟そうな二の腕には、下手をすればカズキをも凌駕しかねない力持ちが詰め込まれているのだ。歩けるようになった分、その腕力が振るわれる可動域は広がってもいる。みだりに物理的手段に訴えかける性格ではないだろうが、一応念のために、なるべく怒らせないように気を付けておこう。
そんな苦労を勝手に共感しながら、やっとこさの思いで自分の病室へと辿り着いた――
「おかえりなさい」
「っ!?」
――と達成感に耽る間もなく、扉が自動ドアのように開かれた。開けてくれたが正しいが。
「……助かりました、千景さん」
「……お疲れ様。ご飯、食べるかしら?」
労いの言葉をくれた声の主が誰だったのか、姿だけではもう判別ができない。
モザイクに塗れた世界は、微かな色合いのみでしか認識がわからない。指はまだ物を掴む感覚を忘れてはいないし、熱いも冷たいも判別が効く。舌は味を把握する力が落ちたが、現時点でなら料理だってできる。病室のみならずこの建物へと染みついた消毒の香りは、まだまだ鼻を衝いてしかたがない。耳へ届く音は左が世界とは断絶して、残された右はいつ途絶えるのかさえもわからない。
統合すると、今はまだ大丈夫という何よりの示しだ。
「……はい……ありがとう、ございます」
「…………カズキ」
「はい」
呼ばれて、それでもその先を喋ることはない。首を思わず傾げるくらいの間は、押し黙って謎をカズキへと与えてくる。
顔色一つも伺えれば、鈍いカズキでも幾ばくかの心は察することができたのだろうか。
「……――私が……その……」
「……?」
煮え切らない語気に多少の訝しみを抱きながら、薄ぼやけた世界を俯瞰することへと集中して上半身を動かした。
光源となるものがあるなら、景色がぼやける前と比べても案外やっていける。持ち前の運動神経が高かったのが幸いしたようで、非常に優れていた知覚も空間把握を補助してくれていた。要するに暗闇を進む移動や、光の薄い夜の生活は枷となる要素が多いが、日中であればなんら問題は少なく生活できるのだ。
手探りでゆっくりとした速度で車椅子からベッドへと移り、一息ついたなら、用意を終えてくれていた病院食へと手を付け始めた。
「いただきます」
「…………っ……っっ……」
「えっと……千景、さん?」
口数が少ないのは普段と変わらないが、いつものそれとは違ってより一層の口下手になってしまったようだ。原因に心当たりなど、生憎カズキにはさっぱりで。
「――――ところで、車椅子を使い始めて……どう?」
「……どうって、何がですか」
「…………慣れた、かしら」
「いや、まだです」
足の代わりとなってまだ一週間と経たずだ、日常の一部として意のままに動かすには、時期尚早の入り口にすら立てていないお粗末さだ。
とはいえここ数日の間に、ほぼ毎日フロア内を移動し尽くして時間を潰した甲斐はあった。東郷からの助言も一助となり、コツを掴むための要点はしっかりと見えてきている。この調子でタイヤをひた走らせていれば、いつのまにか勇者部のみんなと行くことが決定させられていた旅行までには、一日を車椅子に体力を消耗させられる、なんて無様を晒す末路へはならずに済みそうだ。
「……なっ、なら」
「けどもうそろそろ、どうにかなりそうです」
カズキの容態は、じきに退院も視野に入るくらいに落ち着きを見せている。回復の兆しは――――それはそれとして。
「…………遠慮はしなくていいのよ? 身体に無理はさせないよう、わた――」
「あと一週間で外も回れるくらいには慣れそうです」
「――し、が…………………………そう」
退院後は千景に当然のように迷惑をかけてしまうが、できうる限りは最小に抑えたい。
目下の最優先目標は、とにもかくにも他人の力を借りることのないくらい、車椅子を扱えるようにならなくては。
「…………なにか困っていることがあったなら、遠慮なく言ってもいいのよ」
「えっと……無いです?」
「……………………そう」
「?」
気落ちした声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだ。確かめる気も起らないことが、カズキから見えていた郡千景というそのひと。
感じられる旨味がより落とされ、希薄で淡白さが増した昼食を咀嚼しながらこれからに思いを流す。
午後の予定は、再びの散歩でどうだろうか。
それらの文字は無機質なモノクロでも、ただの記号に込められた記憶を覗き込むことができなくても、それでもあたたかくて、思い浮かぶだけで心強い証の羅列。彼等彼女等と肩を並べた真壁一騎、彼等彼女等の背中を見つめていた皆城総士、それぞれが抱いた、懐かしくも手の届き難い感傷が詰まった戦士達の名前。
強い繋がりを感じる。その瞬間に魂へ刻まれた風景は、今のカズキでもまだ見れず、しかし頼りになる人々だったのだと、理屈を抜き飛ばして分かるのは、英雄達が感じていた心象そのものだったのだろう。
名前だけだ。思い出せるのは本当にそれだけなのに、口にするたびに涙がこぼれそうになる。自分は聞いたことも見たこともないというのに、何故か、その名の数々が自分の中でも特別視してしまうほどに、訳の分からない感情がより大きく膨らんでしまう。
きっと、英雄達が世界にとっての英雄へと担ぎ上げられてしまう以前、無邪気だった頃からの仲だったのだ。それを自分は覚えていないし、思い出せもしないけれど。
綺麗な島で綺麗に育って、その瞳には、澄み渡る空の蒼さが映っていた。とめどなく綺麗だったのだ。太陽が眩しくて、キラキラと反射する海の水面も蒼くて、どこを切り取っても綺麗だけが中心を占めていたのだと、焼き付いた感傷は語りかけてきている。
宿命と呼ぶような戦いの渦が始まった過去、そこからまた10年近くも以前。
戦士達は美しい平和の揺籃の中で、たった一つの命を育んでいた。
気を使わせないように眠ったふりをしていたら、本気の眠気が睡眠欲をくすぐろうと誘惑してきている。そんな折に届いた女子方の話し声。
内容は、千景への質問コーナーといったところか。
千景の伝手でやたらと座り心地の良い車を出してもらい、海へと向かう車の中での出来事だった。
「貴女達の戦いは終わったもの。これ以上は余計な話よ」
「ずっとそれじゃん! 千景ってばほんっと強情ね~」
「……私の話ならしたでしょう」
疲れたようにため息一つ。しかし先輩の意見は概ね同意見だ。結城も、東郷も、犬吠埼も、三好も。女子メンバーからの関心を引く、今勇者部内で一番ホットな部類の話題であるのは間違いない。
先輩に至ってはクラスメイトだったとも聞く。勇者部を取り纏めるリーダーである責任感もあってか、この中で一番に興味を向けているのは先輩だった。
「貴女達勇者部の前身となる勇者だった。それが私」
「何故、戦いには表立って参加しなかったのでしょうか」
東郷からの問いに棘はない。ただただ疑問だというイントネーションだ。
「戦う回数を決めているの。いざというときにしか動けず、勇者部に殆どを押し付けてしまったのは…………ごめんなさい」
何せ一度姿を現して、戦えることを目の前で見せつけていたのだ。戦う力がない、戦う力が失われた、等々の言い訳は通らないだろう。
だからこそ、なるだけの誠実さを込めて、千景は頭を下げていた。
「いいんですよそんなっ! 先輩には助けてもらいましたから、ねっみんな!」
「む、むしろ、助けてくださって、あ、ありがとうございました……!」
「……そう」
優しさが集ったような奇跡の勇者部が、それを汲み取れない訳もなく、どうにか千景の頭を上げさせようとアタフタし始めた。
「本当は私も戦いたかった……けど私は、あまり力を使うことができない事情があるから。……本当に、ごめんなさい」
「謝んなくていいから!! てかその事情が一番知りたいんだってばっ」
「……しつこいわよ犬吠埼さん」
「頑なに秘密だと暴きたくなるってなもんでしょーよ」
言えない理由は分かる。ああも死を身近に感じさせる実感を浴びせさせて、まだその戦いが続くとは知らないほうがいい。終わったことへ一息ついているのなら、真実を語るのは必ずしも正しいのかどうか。
千景の抱える事情を話すのは、知らない方が良い事実までも詳らかにしてしまうのだと考えるのは簡単だ。
「もう一度言うけれど……戦いは終わったの。私が貴女達の代わりに出張る可能性すらも潰えたのよ。この話題はここまで」
「……」
「……貴女達の日常は守られたのだから、それでいいとは思わない? ……それとも、まさか戦いを望んでる訳ではないでしょう?」
「それこそまさかよ」
「だったら尚更」
穏やかな声色だった。きっと顔つきも慈愛と称せる穏やかを含んでいたに違いない。
そんな確信を、半分眠りながら感じていた。
「激しい戦いだった、あの日々を全部を忘れ去るのは難しいかもしれない。でも平和な日常を忘れてしまうほど、そんな悲しいことはない」
「……平和、ですか」
「そう、平和。……何より――貴女達が勝ち取った平和なのよ。貴女達が謳歌しないでどうするの」
その平和が泡沫で形を成された『かりそめ』でも、彼女たちは守り切ったのだ。これからはもう痛みとは無縁で、戦う必要はない平穏だけで生きていてほしい。これから脆く崩れ去ろうとする一時の箱庭を維持するのは、カズキだけの役割となるのだ。
それを、千景もカズキも望んでいる。
「貴女達を脅かす敵は、もういないのだから」
嘘を吐いてはいない。
カズキだけだ。
敵と戦うのは、カズキだけ。
だから、彼女らの敵はどこにもいない。
「……もう着くわね。結城さん、カズキを起こしてあげて」
「…………ぁ、は、はい」
ともあれ、だ。
しんみりとした空気はこれきり。
話を聞くに祝勝会とは、とにかく楽しく騒ぐ会だとカズキは学習している。勝ち取ったものが大きければ大きいほどに、その騒ぎようもより激しく、より高らかに笑いあうものだったはず。
厭う要因が消えた彼女らが感情のままにはしゃぐ姿は、きっと眺めるだけで微笑ましくなれる。内に入るだけの資格がないと自覚しているしこりも、少しは軽くなるくらいに暖かい光景だ。以前より解像度が薄れたとしても変わりなく、カズキは勇者部の営みを見守るのが、そこそこ好きだった。
「郡くん起きて―!」
「……ん、ゆう、き?」
半分くらいの微睡から引き揚げてくる、結城の快活そのままな声。
背もたれへ押し付けていた頭を持ち上げて、背をゆっくりと伸ばせば眠気は外へ、そして覚めた意識が思考を回し始めた。
「……着いたのか」
「うん!」
彼女達が当然と思っていた平和が儚いと知ってからは、今まで過ごしていた日常へと疑問を抱いたこともあっただろう。
いつ失うかも分からないと知ってしまった日常を、彼女たちがいつも通りの変哲もない毎日と信じられるまで、カズキは戦い続けられるだろうか。守り抜いた世界を当然の恩寵として再び感じられるまで、カズキはこの世界を守り続けられるだろうか。
戦うために使うと決めた命は、いったいどれほど残っている。戦い続けるための決意は、いったいいつまで維持すればいい。
不明瞭への疑問を、今は抱かないように心掛けた。
二年もの期を歩かずに居続けてたなら、使われずじまいの両足は錆び切ってしまう。ちょっとの動きで引き攣るくらいには放置された筋肉は、確かに衰えてしまっていた。
けれどどうだ、この親友は。
「もうすこしだよ東郷さん!」
「――っ! ――っ、――っっ!!」
潮波を腕で掻き分けて、荒いバタ足には不慣れさが散見しても、流麗な形を保つ努力へ意識を割いたクロール。息継ぎのタイミングにもぎこちなさを感じるが、しかしこれも形にはなっている。足の不自由から解放されて間も無い東郷さんがだ。
一ヶ月弱で泳げるようになるのは、実は難しいことではない。元来持ち得る運動神経に多少は左右されるとしても、本人の根気と努力次第では十分に可能。
けれどそれは、健康で不満足の無い五体を持つことが前提だ。
不全から立ち直ってばかりの東郷さんが、一月もせずに歩行者の補助も不要になったことはおろか、プールではなく波のある海で泳げるようになる。これがどれほどの快挙なのかは素人の目線でしか判断できない、が。
「……ゴールだよ! すごいよ!!」
「――っ!! ……やっ、た……!」
足の付かなくなる岸から、目算二十五メートル離れた沖。海での実践は初めての試みだが、東郷さんは浜辺へと到着してものの一時間で達成できてしまった。手を引いて練習していたのは、本当にすぐの期間だけで、親友の成長を嬉しく思いつつ、少しだけ寂しくもなったりしてしまったのだった。
――繰り返すようだが、東郷さんは二年前から直近までの生活に、歩いたり等の足を使った生活とは縁が離れていたのだ。
「やった……っ! ありがとう友奈、ちゃん!」
「ううん、東郷さんの頑張りだよ!」
まるで衰えすらも癒されていたように、快復が不自然なほど速い。そんな疑問を抱くのはやめておく。これは善いことだ、喜びこそすれ怪訝に思うなど。
肩で息をする親友を水面で支えれば、奮闘していた親友への喝采で要らない疑問は塗り潰されていく。第一に神樹様がくれたご褒美だ、それを思えば快復が速いことなど不思議でも何でもないではないか。
「休憩しよっか」
「――、――っ、……え、ええ」
岸へと戻る際にも危なげなく戻っていく背中を見て、もう心配など不要と判じれる。
「綺麗なクロールだったよ!」
「まだまだ、もっと身体を動かしたいの」
「うんうんっ! 私にも手伝わせてね!」
夏の日差しが照り付けて、それを冷ます海の冷たさが心地よい。そんな夏の醍醐味だって端から端まで取り戻せた東郷さんは、ここ最近はひっきりなしに笑ってばかりだ。お淑やかな微笑みはもちろんのこと、身体を思った通りに動かせる喜びから、元気がこれでもかと込められた笑顔もよく見かけるようになった。男子人気も爆増中間違いなしだ。
そうして浜へと戻れば、ブルーシートの上に緑の球体を用意する風先輩。そして絵になる姿勢で木刀を肩に担ぐ夏凜ちゃんは、首を鳴らして準備運動を終えたところ。気合の入り様が半端ではなかった。
「お帰り二人とも。今から樹がスイカ割るからね~」
「へっ、わっ、私!?」
「……なんだ、私じゃないのか」
「夏凜じゃ簡単で面白くないし、アタシは女子力だし、友奈と東郷は疲れてるし、適任は一人ね」
突然そんなことを言われて口をあわあわさせる樹ちゃんは、やっぱり勇者部の癒しなのでした。気合の梯子を外されて、些か拍子抜けした様子の夏凜ちゃんもまた、我々勇者部の癒しだったのでした。
「あら……カズキ君は?」
「多分、千景先輩もあっちかな?」
タイヤの進んだ跡と、一人分のサンダルの足跡が点々と進む先を指さした。
砂の上を頑張って進む背中と、ハラハラとした様子を押し込めようと努力している背中。
「千景曰く、アタシらに気を遣わせたくなかったそうよ」
「……そっか」
気遣いしい彼らしい。最後の戦いで後遺症を負ったのは、ただ一人だけだ。私達はその事実に気負うと考えたのだろう。事実ではあるが、彼のそれは過剰なほどだ。きっと彼が思うほど、腫物のよう扱うことはないだろう。普段通りを心掛けて、実際以前と変わらない態度で接している。彼の状態を深刻と捉えているのは、ある意味で彼だけだ。
健常から遠ざかった姿を見せたくない、そんな理由もあるのだろうか。
「アレに声はかけ辛いわよ」
「ロマンチックなビーチ……二人きりだけの世界……解放感を助長させる夏…………でもラヴい気配はテンでサッパリなのよネ」
けれど、私達には見せにくい姿も、千景先輩には厭うことはない。
信頼の差、なのだろうか。それにしてはカズキくんは、千景さんへと心を開き切っている様子は薄い。
記憶を失う前――真壁一騎だった頃にも、千景先輩との繋がりは存在していたと本人から聞いた。過ごした期間で言うのなら、姉弟のような、家族とも言えるのかもしれないが。
――カズキ、て、つだ…
――いえ、大丈夫です。
――…………そう。
思い返すのは車から降りる際の会話。
「スイカの用意が出来たら呼びましょうか」
「ええ、だから綺麗にぶった切ってね樹!」
「夏凜さんじゃないし無理だよ……」
思い出を、それまでの自分を取りこぼして、だとしてもそこから二年だ。二年の期間を共にしていたのなら、ああもぎこちない会話を交わせるのだろうか。
人と関わりたがらない接し方は、見ていてわかる。でも、そんな接し方が、家族のように近い存在に対しても変わらない。
なら、彼は、郡カズキにとって、本当に気を置かない相手はいるのだろうか。
「……気になるなら行って来れば?」
「――――え?」
ため息混じりに、夏凜ちゃんは肩をすくめた。
「昼ごはんも近いし、呼んでくる口実ならあるわよ」
「……そっとしてあげよう」
「ふーん……あっそ」
――――安心しきれる相手が、場所が、日常の何処にも無いのなら。
彼は、一体、何のために戦っていたのだろうか。
戦いが終わった後だというのに、彼が戦っていた理由を不思議に思った。
「壁の向こうには、何が?」
「……終わった世界、と」
海の蒼を見つめて、見通して、ずっと先へと視線を寄越した。
平和を囲む壁を越えて、終わった世界を越えて、不自然
体の不調が進むほど、存在と虚無の力との結びつきはより強くなっていく。あるいはその逆で、英雄たちの力を振るうに足る存在へ近づくほど、人間として必要な部分は削ぎ落とされていく。どちらにせよ辿り着く末路は、力を最高率で行使するためのナニカへ成り果てる未来だろうか。宝を守るために、誰にも奪われないため、人以上の力を使い続ける。人から竜の如きへ変貌してでも、平和と希望の詰まった財宝の守護者として戦い続けて。
そうして人から欠落していくと実感していけば、比例するように
「貴方の故郷」
また一つ、彼女は自分にとって大きな祝福を齎した。
「こ、きょう」
たった四文字の響きが、重たく感情を揺さぶってくる。
でも、何かが違う気がする。確かに
でも、やっぱり違う。その故郷を指すなら、もっと相応しい名称があるはずなのだ。
「……故郷……」
「……」
「……もしかして、島?」
「……――そうね」
カズキの問いかけにも、すんなりと答えてくれるようになってくれた。まだ多くの不明瞭が残っているが、それと同じくらいに多くの回答も得ている。
カズキへ話しても良い段階へ進んでいるのだと、喜んでも良いのだろうか。
「……………………
「いつか帰るのよ。……一緒に」
「…………」
疑問は氷塊されていき、バラバラに散っていた断片は繋がっていく。千景が色々なことを教えてくれてから、ひっきりなしに引き起る納得感。「そうだったのか」ではなく、「だろうな」と達観していたような無感動は、些か心地が悪い。
けれど導かれるように、興味は殊更に増していく。使命感にも似た帰巣の意志だけが無限に膨らんでいく。
この身体が、この心が、欠片のような記憶が、英雄から受け継いだ双極が。郡カズキを構成する全てが、閉ざされた世界の外に帰る場所があるのだと叫んでいる。
島へ。砕け散った欠片を集めて、集った力と共に、幾度となく島へ帰れと唸っていた。
それらの意味するところが覚束なかろうが、所以とは関係なくカズキもいつの間にかそれを望んでいた。
「……そろそろお昼ね。戻りましょう、カズキ」
「……はい」
千景はその場で踵を返して、元来た道を戻るように先導する。その背中に続こうとタイヤへ手を回して。
車椅子を反転させようと――――少し、そこで止まった。
「…………」
空と海が、平行線のままに続いて――途中で阻むのは、この世界を取り囲む壁。
この虚ろな目に写る空は、ちゃんと蒼色をしているのだろうか。写る世界が虚ろになってまで戦う意味は、ちゃんと得られているのだろうか。迷いなく断言なんてできやしない。生まれた瞬間から今この瞬間まで、決意と覚悟に酷似させた逃避を繰り返して誤魔化しているだけだと、自分はとっくに気が付いているはずだ。
――――誰かに必要とされた時に、高鳴り昂る心はあった。生まれてきた意味を少しだけ、理解できた時だった。
「…………――――『帰るんだ
指針を決める自分が、どこにもいない。
なら信じること以外を、自分には選べない。
戦う以外を選ぶ余地がないのは好都合。
もしかすれば、希望と願いを託してくれた相手の顔色を見ないように、自分は光を失っていくのかもしれない。自分を信じてくれて、自分が信じたい人の想い。けれどその真実が綺麗なモノだけである保証なんて、どこにもないから。
だからここにいることを、いつしか恐れていた。
だからここにはいたくないと、いつしか思うようになっていく。
温もりを灯す善意も、芯を冷まし尽くす悪意も、何もかもが苦痛にしか感じられなくなって。
そんな世界から逃げ出したいと考えたとき、真っ先に目が向くのは外。
閉ざされた箱庭が秘そうと躍起になる、壁の向こう側。
――――島に』……そうか」
瀬戸際で叫んだ願いの記憶が、無意識に口からこぼれた。
彼は――――命を擦り減らして、命を使い潰して、平和を作る存在を守るために戦って。多くの命が消えてはいなくなっていく。消えていく味方は増えて、同じくらい敵の命を奪って。平和を望んで戦えば、犠牲を受け取らされたままに未来へと進んでいく。敵と奪い合う祝福だけが横行する凄惨な戦いは、自分の命を諦めさせるには充分すぎる理由になる。
けど、本当は、彼は――――――――『真壁一騎』は、生きたいと願っていた。
『楽園』に飾られていた青い短冊の意味も、書いた主が誰なのかも、今なら分かる。
「……『
夜には殆ど使い物にならない両の眼は、日中なら辛うじて使いものになれども味気なんて微塵も無い。浜辺のさざ波を無軌道に眺めては、意味のない絵画だけを無為に映す。けどまるで見えるような所作で、ボヤけた絵の具のような色の景色の先を見つめた。
視線とぶつかるのは、まだ終わっていない世界を覆う壁。その先には命と心の還る、本当の故郷が待っている。
いつかの夢の中で招待を許された、美しくも優しさだけがあふれる世界が、真壁一騎の帰るべき場所。
いつかの夢の中で招待を許された、美しくも優しさだけがあふれる世界が、郡カズキの帰るべき場所。
――この命が、還りたがっている故郷。
「――――だったら、いいな」
千景の言葉は信じている。だからきっと、その仄かな願望が真実だとカズキは疑わない。仮に帰ることなく果てたとしても、守るために命を使えるのなら、悪くはない。
何よりも、命を使うほどに自分を知れている気がした。ならきっと、尽き果てる頃に郡カズキは、真壁一騎を取り戻している事だろう。
憂いなく、決意を更に上向きにして、カズキと千景は浜辺を後にした。
神世紀300年 9月2日
その日は訪れた。
必ず知ることとなった。遅らせていても、隠していても、いずれは知らせることが大前提の未来を目指していた。
この未来は確定的で、避けては通れず、故にこそ引き起こされる慟哭は必然だ。
「俺は、いったい何なんだ」
「……私達の希望かなぁ」
「答えになってない……!」
「……ずんくんは、ずんくんだもん」
過去を求めていたのは、過去を取り戻せれば、帰る場所が明確になると信じていたから。
過去さえあれば、自分のいてもいい場所が手に入ると信じていたから。
「俺が縋るしかないのを知ってただろ!?」
「うん。……必死に、欲しがってたもんね」
「それなのに、乃木も千景さんも、全部ウソばかりを……!」
「……」
「この二年間ずっと、俺を騙し続けてたのか――――!!」
真壁一騎になれたなら、島に帰る資格があるのだと胸を張って言えた気がした。
家族がいない。家が無い。生きていた証明がない。ただいまと言える場所がない。約束を守れない。だから過去が欲しかった。目が覚めてから、何もかもにもすっぽりと空いた穴を埋めてくれる。そう信じて、信じるように導いてくれたから、ここまで来たのだ。戸惑いつつも戦いを続ける決意をして、
「なんで、何も……言わないんだ……」
「……」
「…………………ああ、そうか――」
そうまで焦がれて、もし――過去が、無かったとしたら。
「――――否定、しないんだな」
一期から全編の劇場放映しろ…………せよ…………