人へ最後に残された海は、本物の潮波を揺らしている。のだと、思う。
「海を見ているの?」
「……ああ」
東郷は未だ慣れない足つきで、けれどしっかりとした足腰で、一人掛けのソファーへ腰掛けるカズキに近づき問いた。
カズキに用意された部屋へと上がり込んでは、騒がしく菓子や飲み物を楽しむ勇者部は実に姦しい。気を遣わせないよう千景と同室にするか如何の提案を押し退けて、一人部屋へ変えてもらった甲斐は残念ながら乏しいようだ。
静かに夜景へと浸る一人と、浸るフリを続ける一人をよそに、大枕投げ運動会は依然として開催中。埃が舞うのも気にせず、投げるどころか枕で殴り合うほどに熱が上がっているような気もする。
「……綺麗」
月が灯す仄かな明かりと、波に揺られる潮の鏡。ため息が出るのも頷ける風景画が、窓から覗けるのだろう。
きらきらと光るのは空の星。されど敗北し、罪を咎め、箱庭へと追いやられた人には、真の星灯りを得る資格を喪って久しい。だから大空を彩るのがいくら綺麗でも、瞳に映る天のまたたきがどれほど賛美されるとして、満天と散りばめられた煌びやかな輝きの数々だって、所詮は偽星にしかすぎない――――のだとしても。
欺瞞の星と知って、それでも綺麗だと呟ける少女。
そんな星のように眩い華は、この世界で生きているのだ。
「…………そうだ、綺麗なんだ」
「カズキ君?」
昼には薄く見えていた世界が、夜に代われば煌々と香る月でさえ照らし切れず、朧に霞んでより暗く沈む。
眺めた海は美しく、見上げる空は美しい。ハズだ。
香る潮は心をほぐす。懐かしい暖かさすら感じ得る。まだ、感じていられる。
砂浜を歩む感触はもう遠いものだ。きっと、この先も思い出すことはない。歩くなどという贅沢は、戦いへ身を投じ続ける自分には度が過ぎている。残しておく機能などは端末を弄るための指先くらいで充分。
「この世界は、綺麗なんだ」
「ええ、そうね」
光を喪失しかけても、感じていられるひかりはある。
「私達が守った世界は、こんなに綺麗だった」
「……東郷もだろ」
「え?」
自覚なしに、さも自然に自分はそうではないかのように振舞える。
彼女らはそんなのばっかりだ。
「東郷だって、綺麗な世界の一部だ」
「……」
「だから、東郷も綺麗だ」
「…………へ?」
視線を見えるか定かじゃない海から、照明が吊るされた室内へと向ける。
「結城、先輩、犬吠埼、三好……みんな、綺麗で」
「ぁ、そっ、そういうこと……」
「だから……――」
――――守りたい。
――あー! カズキが東郷口説いてうぼぁーっ!?
――この私に隙を晒したが最後ーっ!!
――ああっ、お姉ちゃあうっっ!?
――樹ちゃんも隙だらけだよ―!
――……気が散る……。
羽毛が舞い散る中心にいながらもゲーム機を手放すことはない千景だけが、その絵面における異端であった。
何というか、至極シュールだ。
それでいて、至極ほのぼのを表した一枚絵のようだった。
「……」
「……」
「まだ眠れそうにないわね」
「……そうだな」
騒がしい夜は更けるまで長い。暖かさの中にこの身を置けることが、たまらなく奇跡的ではないかと思う。
「……ふっ」
思って、つい感情がこぼれた。
「……っ――――!?」
「…………どうした?」
あんぐりと、豆鉄砲をドンピシャリと喰らった鳩の様相だ。
「か、っカズキ君……今」
「?」
「笑っ――――――――
言いかけて、東郷はそれ以上を言わず、口を閉じることもなく。
呻く先輩へ、三好の腕から追い打ちの枕が飛んでいくのがまるで止まったかのようで、事実制止した。
布の弾む音。身動ぎを起こす音。うっすらと聞こえていたさざ波も。環境音の全てが、死んでしまったように止まった。
「……」
「……来たわね」
動けるのは、二人。
戦う者が一人と、戦いに備える一人。この箱庭で、ただ二人だけが共有することのできる隙間の時間。
戦いの意志を表立たせる前に、意識の切り替えを遮ろうとする疑問があった。
――今、彼女は……。
「カズキ、行ける?」
余計な考察を入れようとしていたカズキを、千景の声が咎めてくれた。
止まった世界の中では、動ける例外である自分達こそがこの世界の中心。世界のど真ん中で、懐にしまっていたスマホから、アラートが鳴り響いて止まらない。
千景は準備の如何を聞いた。力を繋がるスマホは重苦しいブザー音を掻き鳴らし、戦えと急かしてしかたない。そして当の本人が、存在意義を果たさんとして心を揺らすことはない。
状況の悉くが、戦う選択肢を望んでいた。
「――……はい」
「……無事に帰ってきて」
「…………」
『CROSSING』の赤いアイコンに触れれば、命を吸い取られてしまう気がした。訂正、気がしたではない。言葉の意味そのままに、カズキの命は吸い取られている。
指先は躊躇無く、意志のあり様をタップで示した。
ふと、千景の言葉の意味を反魂して、考え込んでしまう。それくらい、その言葉は引っ掛かりを覚えた。
「……帰……、る…………」
いいのだろうか。
「……………………――――戦ってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
「…………」
何も言わないんじゃない。
彼女へ何を言えばいいのか、分からなかっただけなのだ。
「あなたの帰りを待ってるわ」
「……………………」
だって、きっと、千景が帰りを待っている人は――――――――――――――――郡カズキなどではない。
歪極まる感情の波は、確かにアレと同種なのだと納得できる。一枚の鉄壁を隔てた先に見える表情からは、憎しみと悪意をブレンドした感情以外を感じられない。
黄金の肉体、これも共通とする部分だ。シリコンのような表面も、これまた同じく。
同種でありながら――別の存在。それを確信させられるファクターは、カタチ。
虫だった。蚊のような肉体に、骸骨を無理やり縫い付けた不自然さは、人に嫌悪を覚えさせる風貌なら確かにこれが適していた。
人を憎んでいるのなら、人の感性を害する外見であるのは、やはり理に適っている。
悪意を練り込んだその存在を、『アザゼル型F型種・クローラー』と。
「くっ、、ぅぐっっ!!」
指先の細胞が、みるみるうちに停止していく。不快感を察すればすぐさま敵から離れ、力の及ばない距離まで離れる。冷気が支配する空間そのものこそ、敵の同化範囲だ。
一見の異形とは異なり、扱う力は冷気を操る流麗。灼熱を撒き散らしたロードランナーとは対照的な力だが、その規模はかの個体と変わりない。『アザゼル型』とされる個体は、どれもこれもが常軌とは隔絶を逸した力を持っているという前情報に間違いはない。
死力を尽くすに値する、掛け値無しの敵だった
「この個体っは、凍らせて、同化するのか」
左腕が丸ごと砕け散り、不均等のブロックと化した肉を眺めて呟いた。痛みすらないほどの極低温は、ニヒトの防壁をかくも易くすり抜けて影響を及ぼしてくる。やはり英雄達の記憶と経験が示すように、『アザゼル型』とは敵の中でも別格の例外だ。
これらの個体群の力が横並びなのだとすれば、目の前に在る巨躯もまた、単騎で世界を閉ざすことが容易な怪物に他ならない。
それは――それが、どうした事になるのだ。敵が目を見張る強大だとすれば、相対するこの身に宿った力とて極限の例外。なればこそ、拮抗以上の結末を運ぶ事だって不可能ではない。
「『――いいだろう』」
戦う。戦うのだ。戦って守り抜くのだ。何一つとして奪わせない。敗北に類する唯一以外を得させない。
ならばそれは、敵の悉くを斃して進むのと変わらない。
一体でも多くの敵を滅ぼすことは、他ならぬ
「『どちらが虚無の申し子か――――教えてやれ』」
左手の再生の意志を示せば、咲き誇る翡翠は景気よく弾け飛び、破滅の紫電が灯り、触れる大気は即座に爆ぜる。
――戦いを重ねるたびに、英雄の記憶が叫んでいた。
『――――、――』
「『マークニヒトォッッ!!』」
唸り、響いて、平和を求めて、戦う力を馴染ませていく。
かつてそうあったように空を突き進み、虚無の力は叩きつけられる。引き裂かれ、撓んだ空間の中心で力をぶつけ合う中。ただ、胸中には思い描く平和だけを反魂させて、抱いた風景とは真反対の力を奮い続ける。
その背中にどことないやるせなさなど見受けない。脇目を振らず、ひたすらに、今だけ見える瞳は敵を見据え続ける。
そうして、削れていく。
――――てた?」
「……何の話だ?」
前後の会話の繋がりなど、すっかり忘れてしまった。
「あら? ……気のせいだったかしら」
疲労感を表に出さないように心掛ける。不自然さなど何処にも無いと示せるように、堂々としていればきっと気づかれない。
――仕留め切れなかった口惜しさなど、今は置いておけ。
「何でもいいけど。……東郷は混ざらないのか?」
誤魔化しも込みで枕飛び交う戦線へと意識を向けさせる。眼前では平和的な争いが継続中だ。
もしかすれば話の逸らし方がヘタクソだったかもしれない。
――ぎゃっぷぅ!? っ、やるわねかひぃんっ!?!
――先輩には隙しかない! 見せたら攻めるしかないんですよ……っ!!
――後輩達の下剋上……!? 部長の地位と名誉を奪う気なのねそうなのね!!??
「……私も揉まれてこようかしら」
「怪我をしないよう気をつけろよ」
そうして淑やかな足取りで、戦火へと身を投じる東郷。戦いは激化した。
そんな日常を横目に、隠れながら一息ついた。
「……ふぅ……」
「おかえりなさい、カズキ」
「っ……ぁ」
近くへいつの間にか寄っていたことへ気が付かなかったことだけではない。
「…………すみ、ません、千景さん……たっ、倒し、きれなかった……!」
言葉が引き攣る。自分の些細な成果、とも呼べない矮小を思えば、今すぐここからいなくなりたい。情けなさと居心地の悪さが同居して、心を焦燥で染め上げていた。
役割を果たせず、おめおめと負傷だけを引っ提げて戻ることはこんなにも苦しい。
自分にできる唯一さえも不満足な結果で止まるなら、存在理由が無意味な物になってしまう。こうして千景と言葉を交わすだけで、謝意だけがどこまでも大きく膨れ上がる。
「敵が敵だもの、追い返せるだけでも大したことなのよ」
「……」
だからどうした。敵の強大さなど知って、その上で決意を決めていたのだ。そしてその覚悟は、今となっては必要意義が揺らぐモラトリアムとなってしまう。
なによりも。
「でも……敵を倒せないんだったら……俺は…………」
「……カズキが帰ってきてくれただけでも、少なくとも私にとっては意味のあること」
奥底では嘆いているのだろう。失望し、妥協点を模索して出てきた言葉に過ぎないのだ。
慰めの言の葉全てに、逐一耳を塞ぎたくなる。
千景の期待に応えられないのが、驚くほどに恐ろしかった。
「生きて帰ってきてくれてありがとう、カズキ」
「…………本当に、すみませんでした」
「……謝らないでちょうだい。貴方は何も悪くないの」
「いえ………………次こそ、必ず……」
改めた決意と共に、手元にあったジュースのペットボトルを呷れば、硬い水分の舌触りが残った。
硬めた決意のせいか、甘かったハズのジュースからは水の味だけがした。
「必ず、倒します」
戦って、未来へ希望を繋ぐこと。それこそが千景からカズキへ求められた役割なら。
それができない自分など、生きる意味の生まれる余地がない。
標的が見える距離まで近づき、好機は近いと我らは悟る。
対象はこの後に巻き起こる攻撃への備えを放棄して、なんともまあ呑気に店先を竹箒で掃いている。無地の、けれど使った跡がうっすらと感じられる黒いエプロンが、家庭的な面を強調させていた。
彼の隣へとリムジンを位置付けてもらい――さあ、不意打ちの時間だ。
『ヘイボーイ! デート行きませんかー!?』
車内から放たれる第一声に続き、我らは一気呵成に畳みかける。
『ゴー・ザ・イネス・ゴー!!』
『来たれい日本男児よ!!』
『……なんか、元気だな』
呆れた口調を隠さず、なのに本心は呆れなんて退屈な感情を抱いていないと分かる。
柔らかく笑うのだ。慈しんでくれているとすぐに分かってしまうくらい、その表情は暖かくて、儚い日常を愛おしんでいる。
『ねねっ、どうなん~?』
『イネスか……お前ら、昼は食べたのか?』
質問に質問で返されたら、大抵は気を悪くしても良い。
だがこの場合は別。敵の誘いに乗るのなら、これはどこまでも戦略的にも魅力あふれる選択だった――――!
『! まだなんですお腹減りましたカレー軍曹!!』
『……カレー軍曹?』
『さっき園子が命名してました!』
『銀、一騎さんの腕前なら尉官は硬いわよ』
『ハッ! ……たっ、確かに~~~~!?』
途端に目の色を変える私達。ううむやはり無邪気にはしゃぐならどこまでも、こそが一番に楽しめる。
『はは~、これはこれはしつれいしましたカレー中将様~』
『将官!? いいやしかし確かに一騎さんならこの若さでもあるいは……!』
『ふっ……やはり一騎はアタシの見込んだ……』
褒められているのか微妙な内容に、頭を掻いて困り顔。
少しの微笑ましさが織り交ぜられたその顔は、やっぱり見ていて安心できるのが、私達三人にとっての共通認識だったのだ。
『……食べてくか?』
『おっす! ごちになりまっす!』
『やったぁ~! ずんくんのカレーだ~!』
『不肖、鷲尾須美――――御相伴に預からせてもらいます!』
若干一名、昼餉にしては物々しい言いようだがそれはそれ。最近では彼が指摘してくれるのを待っている節も、多々散見されるのだった。
『鷲尾っていつも固いな』
『かっ、堅苦しくて重くて面倒臭くて厄介な女……っ!?』
『……そこまでは言ってないぞ』
『そこまで……? ならほどほどに!!??』
『……面白い女の子だよな』
車を止めて、運転手も含んで『楽園』と飾られた喫茶店へと足を進めた。
結局そのまま騒ぎ尽くして、イネスへ向かったのはかなり後になったけれど。
そんな夢のような一幕が積もっていた。
積もって、そのどれもが私の――――私達の宝物だったのだ。
「水着も着たし、海も泳いだし、温泉にも浸かったし、スイカも食ったし、蟹も食ったし以下略!!」
「結城友奈、お高めな合宿を味わい尽くして英気全開です!!」
意識が綿毛のように浮き沈み、目は開いていても話など半分程度しか汲み取れない。三日前の戦いで残った傷が響いているのだ。ザインとニヒトの力をもってして簡単には修復できない証が、シャツを捲れば凍傷として大きな痕が腹部には刻まれているハズだ。
痛みはもう引いたが、とめどない疲労感だけは拭いきれない。さながら呪いと言わんばかりに重く、日常に影を落とす。
簡単には癒えない傷を負ったのは、敵も同じことだが。
「ついでの新入部員も加入よ!」
「ついでは余計。……名乗る必要も無いかもしれないけれど、改めて……郡千景よ」
「よろしくお願いします、千景先輩!」
「ええ、よろしく結城さん」
ああ、何故この場に千景がいるのかと疑問だったが、そういえば入部すると言っていたような、聞きそびれていたような。
四割五分を気絶しながら起床しているようなここ数日だ、人の話などろくに耳へ入らない。
「文化祭の出し物、本格的に決めていくわよー!」
「おー!」
周りがそういった雰囲気を出したから、合わせて拳を上にあげる。のだが、力ない様子で上げてしまうのは返って心配を振り撒く。ここはそれっぽい首肯を繰り返して、それとなく同意の意を示しておこう。
「はいはーい! 私っ、演劇がっ――――――――
「……来た」
停まった世界。動けるのは二人。戦えるのは独り。
またか、なんて言わない。早すぎる、などと弱音も要らない。突然に驚きもしない。
この瞬間を戦える者がいて、戦えば何を守れるのかを鑑みて、その先に希望があるのだと信じているのなら、疑うことはない。
「いってらっしゃい、カズキ」
「……」
「……無事に帰ってきて」
「…………たっ、戦ってきます」
また、戸惑う。どうすればいいのか分からず、為す事柄を淡々と述べるだけに留まって。
もどかしさから逃げるように、自分を自分よりも大きな存在と交わせるために。
目を閉じて、神経を無理矢理繋げる痛みに身を委ねた。
『アザゼル型』は見当たらない今回は、圧倒的な個の力をぶつけ合う戦いにはならないだろう。
群れを処理するだけの、比較的楽な部類の戦いとなった。
『フェストゥム:ディアブロ型』の軍勢。その数五十程度と、数だけを見て以前の数百と比べれば、所詮は一匙程度の物量でしかない。
人を丸ごと同化して、この個体は増殖する。命をそのままに挿げ替える。死体を弄び、味方だった存在へと差し向ける。
仮に勇者部の面々がこの個体と相対していたなら、明確な脅威となっていただろう。単純に破格な強さを誇るアザゼルとは違い、数を揃えられる分この個体の方が厄介だったかもしれない。人の憎しみを学び、練り上げられた悪意で人の命と尊厳を弄ぶ、悪魔の名を冠された特異な個体。
しかし如何に特異なその存在も、戦士や兵隊に差し向けるための尖兵で止まる。
救世主たるザインには、ニヒトには。
「……俺の命を、確実に狙ったのか」
三方向から腕槍がカズキの肉体を貫いていた。振り回してぶつかれば、それだけで潰れて死ねるサイズ差がある。だというのに穂先は的確に心の臓へ目掛けて突き進んでいる。巨人に磔にされている気分だ。
左方と右方から肺を貫かれ、真正面からは心臓を狙った一刺し。ディアブロ型の発生させた結晶が、内からカズキを同化して、その命を奪い取ろうと蠢くのを感じる。
しかしどうだ――躱す気にもなれない。
「『――――で?』」
翡翠の色はカズキを染め上げず、逆に食い破られていくのは、果たしてどちらだ。
「『それだけか』」
左手が熱い。自分以外の獰猛な支配欲が集結して、格の違いを教えてやれと、怨念が囁いている。
「『同化能力なら』」
『――――!?』
逃げようと藻掻く姿を鼻で笑い、首を根切りに引き千切ろう伸ばされた左手は空を切る。だが構わない。
ちょうど傷を癒す餌が欲しかった頃だ。そしてスフィンクス型のような二束三文の雑兵とは違って、この個体を喰らうことには明確なメリットがある。その程度には強い個体達だ。
「『こちらにもあるぞ――――ッ!』」
逃げ惑う先を読める。追い込むべき先も、それに伴って扱うべき武装はどれが適しているのかも分かる。
嵐の如く噴き荒び、紫紺の雷撃が支配領域を拡大していく。触れれば無に還る。例外として流れる敵は、この中には一匹もいない。
その範囲外へ逃れた敵へと狙いを定め、背後に八つのワームスフィアの発生を感知した。しかし警戒など阿保らしい。コレはたった今自らが生み出した物に他ならないのだと自覚も良好。
――――暗黒の球体は翼を広げるように背後へ佇み、中心から頭を出すのは翼爪と見紛うように鋭く尖るアンカー。色は紫に、ケーブルとユニットとを繋ぐ銀の金具の二色。
アンカーに繋がったケーブルの先を見て取るのは難しい。接続先がどこへ続いているのかも不明。だが肝心なのは、今回はコレを用いて敵を殲滅するきっかけとすることだ。
『――ッ、――――』
物騒極まりない気配を纏ったそれらからは、逃げ惑う意志を感じ取り、自分でない部分が舌を舐めずっている。
それぞれが生き物のように蠢く同化アンカーは、
一本アンカーは躱させ、二本目アンカーが追い込み、樹海の根を行き止まりにして三本目が深くその肉へと穿たれた。
『――??!!!』
「四十と九。……『ワームスフィアの変形か』……――『――面白い』」
その命を喰らえば、腹部の違和感は薄まる。
なるほど、アンカーの根元はやはりいくら覗き込んでみても暗黒色に染まってはいるが、どうやらニヒトかザインかの力の根源と繋がっているのは確からしい。なんとなくの確信はあったが、やはり実体験を経験することと、未経験のままとでは、納得までの説得力に違いは出てくる。
アンカーを彩る色から見て、ニヒトの力だろうと辺りを付けながら――――左の手の中で、たった今ラーニングしたばかりの成果を形作る。
出来上がったのは、暗黒を捏ねて作った輪。天使の輪のような、均一の取れた精度で作り上げられた真ん丸の輪。少し指先を弄び、イメージへと力を当て嵌めていけばその輪を簡単に複製させた。
「っ――ら、ァッ!!」
三つに増やしたそれを、投げた。
大気を削る音。高速で回転し、空気を抉り続けるその刃は空気抵抗を切り裂いたように飛んでいき――――
『――、――――……』
「四十と八体。……追尾もさせられるなら、楽でいいな」
――――逃げる速度など悠々と飛び越えて、ディアブロ型は輪切りに捌かれて沈黙する。
さて、と。そう言わずとも、準備運動は終わったのだと、ぎらつく視線が示している。回復も兼ねた、新たに獲得した力の慣らしの試運転にはちょうど良い。終始そういった、云わば自分は敵にとっての上位に在るという意識を切らすことはない。
されども、だからと言って侮ることもない。神樹へ辿り着かれてしまってはおしまいなのも変わりなく、であれば殲滅への意識は常々全霊を持って臨んでいた。
だからこの戦いは、さりとて語るほどの価値を持っていない。
「今度はザインの力で……!」
思い付きを実行できるか否かを試し尽くす。守る対象が多くては出来ない実験的な試みも、今はやりたい放題だ。
右手の槍を天へ掲げて、目一杯の力を籠める。
二又に裂けた白槍の中心で、不可思議な光が灯る。
その光は樹海を埋め尽くし、ほどなくして敵の全てを斃しきるのだろう。
――――やってみたいです!!」
傷は治せた。敵の命をこれでもかと己へと取り込んだのだ、癒せない訳も無い。
ただ根元に居着く疲労感だけは、やはりどうしても拭い去ろうとはしない。眠気とは違う意識の消失が、気絶という形になって降りかかろうとしているのは相変わらず。
何となく周りの雰囲気を感じ取って、曖昧な相槌のように、薄い首肯を無為に繰り返す。
「前にも言ってたわねそれ。んじゃまあ候補の一つ……と」
「他に何かありますか?」
「――――大日本帝国の歴史を飾った、国防展覧会でどうでしょうか」
「? ……え? 私の聞き間違い?」
「我らが御国の素晴らしさを! 先達や後進へと学ばせることは勇者部の活動でありひいては国防そのもの!!」
「…………こく、ぼう……?」
「千景、その子は気にしなくて大丈夫だから」
代償、その二文字を背負うことに不安を覚えない訳も無いが、精神に甚大な影響を及ぼすには小さな重荷だ。そんな小包よりも不安な心配事が、現在進行形で日増しに大きくなるのは悩みどころ。
「カズキさんは、何か意見とかありますか?」
「…………」
「ちょっと郡カズキ、聞いてるの?」
「……――そうだな、それも、悪くないと思う」
「……ぇっ、か、カズキさん?」
「――――……ごほんっ! ……東郷さんの意見が悪くないって言いたいのよね」
みんなの声は、こうまで途切れていただろうか。
千景が機転を効かせて声を張り上げてくれたから、受け答えを間違えたのだと察することができたし、その気遣いに甘えることもできた。
「ぁ――――あ、はい、そうです」
「「「「え゛」」」」
人間としての要素が剥がれている、ということだろうか。しかしこの時点で望んでいたのは。
「カズキがいつの間にか国防汚染に侵されていた……ですって!?」
「汚染とはなんて言い様ですか。……しかし、カズキ君! 分かってくれたのね……!!」
このまま深刻に足を踏み入れて行っても、行くところまで行き着いても、せめて指先の自由程度の贅沢は保ちたい。
でなければ、どうやってスマホのアイコンを操作すればいい。
戦うために、最低限指一本くらいは動かないとダメだ。それ以外なら、いくらでも棄てればいいのだから。
『溝口さん、たまには仕事してくださいよ』
『むさ苦しい俺よか若人の働く姿が夫人にゃ人気なんだよ』
『なんですかそれ。いっつもよく分かんないこと言ってサボってばかり……』
土日のお昼と、午後の少しの時間帯だけ開かれる喫茶店。
店内は手狭で、しかし一度時間になれば、それ以上のお客さんで賑わうお店。お店の場所も海岸沿いの目立たない場所に建っていて、知る人ぞ知るような雰囲気も漂わせている名店でもあった。
舌を満足させる料理と、海を一望できる景色。まるで、というか名前そのままその店は、『楽園』そのものだった。
『ほら、愚痴なんざ後にして急げよ一騎。ランチまで時間ないぞ?』
『せめて下拵えくらい手伝ってくださいってば』
『代々続くこの店のしきたりで、マスターは極力働かないってのがあってな』
いつもの、と言うほど毎日は聞かない。けれどかなりの高頻度で耳にできるそのやり取りは、開店前に着席を許された者にだけ見れる限定の癒しだったりする。
私は、そんな平和なやりとりを間近で見るのが好きだった。
『 からも何とか言ってやってくれ』
『えー? 私はいいと思うけどなぁー』
『さっすが嬢ちゃん。分かってるねぇ』
ブルーハワイの綺麗な蒼穹色をちびちびと飲みながら、カウンターのテーブルに肘を付いて、手際の良い彼の料理風景をダラっと眺める。何と言うか、言葉に尽くすのも難しいが、彼を眺めるだけで飽きがこない自分としては、中々に幸せに近いものを感じられる。
真剣で、それでいて楽しそうな心が漏れ出る可愛い一騎くんの様子が、カウンター越しに観察できる。これだけで、この席自体を有料化しても良いくらいだ、なんてのは言い過ぎだろうか。
『カウンターに立つ一騎くん、カッコいいよ?』
『へ』
『私は一騎くんが見たくてここに来てるから、働く姿を見れて嬉しいかな』
『…………』
言っててなんだが、顔が少しだけあったかくなってきた。ポカポカしているとも言う。横から飛んでくる煽りの口笛で、なおさらに血流の巡りが良くなってきた。
『ガッハッハ! 言うねぇ嬢ちゃん!』
『……そういうんじゃ、ないですよ』
『むっ……わ、私はそのつもりだもん』
『っ? ………………っ……あの、や……。えっ?』
かなりの勇気を込めた甲斐はあった。火の玉をどころか太陽サンフラッシュでドストレートに、その意図を込めてぶつけたのだ。
狼狽の一つや二つは持ち帰れなければ、危うく泣き崩れる可能性もあった。
『やめとけやめとけ、坊主じゃ墓穴掘って恥ずかしくなるだけだぞー』
『…………』
『あらら、ダンマリ決め込んじまった』
背を向けて鍋だけに向かい合う。普段なら怒らせてしまったのか、などと心配していたのだろうが、今はもっとこう、やってやったりな感情でいっぱいだ。
照れてくれるだけ、自分は彼の中を占めている証拠だ。それが何にも変え難いくらいに嬉しい。
『しっかし嬢ちゃんはいい度胸を持ってんな。その調子で尻に敷いてやれば、さぞかし良い女房になるだろうよ』
『そうですか?』
『ああ、素直さがちょびーっと足りない一騎にゃ、ちょうどいい嫁さんだな』
そうなったなら、とてもどころの話ではない。とってもとーっても、嬉しすぎてどうにかなってしまう、のかもしれない。
『……さて、後は若い二人に任せて、おっちゃんは店前でも掃いてきますかね』
『…………ここ来た時に終わらせてましたけど』
『バッカお前な、気を利かせて二人きりにしてやるんだよ』
『サボる口実なのバレバレだし、口に出したら意味無いし、そもそもそういうのじゃ『私はそのつもりだよ?』…………とにかく、サボるつもりでしょ』
『ああいえばこう言うのが今どきなのかねぇ』
そう言って溝口さんは、箒も持たずに外へと出てしまう。準備中と書かれた札をひっくり返す姿が見えれば、もう間も無くもしないうちに常連さん達でごった返すだろう。
この席を独占し続けるのは、店の回転率にも直結する。営業前ならともかく、営業が始まってからの長居はあまりに迷惑だ。
飽きの永遠に来ない時間は、もうそろお開きになるらしい。
『それじゃあ、一騎カレーを一つお願いしまーす!』
『……他のお客さんと一緒のタイミングに出せばいいのか?』
『うんっ、いつも通りにお願い!』
出来るだけ長い時間、その席に座り続ける。
話しかけて、黙り込んだ姿をジッと見つめて、たまにホールのお仕事を手伝って、かけがえのない時間を胸の内に刻み込む。
幸せな記憶の全てを、私は忘れることはない。
私は絶対に、忘れない。
「……ふぁ……」
「なによ、寝てないの?」
「……ああ、最近はあまり、眠れないんだ」
「だらしないわね。どうせ夜更かしでもしてたんでしょ」
車椅子を押す手が頼りなく、廊下を進む速度が昨日よりも遅いのは気のせいではない。
苦言を申しつつ、遅々とした鈍間に歩幅をさりげなく合わせてくれる三好はもはや分かりやすい。微笑ましさすら湧いてくる癒し系だ。犬吠埼に次ぐ勇者部のマスコットとなる素質は、確かに備えていたようだ。
「授業も大した聞いてなかったんでしょ」
「……え? ごめん、なんて言った?」
「……最近弛み過ぎって言ったのよ」
だらしなく見えているだけなら無問題。しかし、ことこの少女に至っては、臆面通りに言葉を受け取るのは避けた方がいい。面と向かっては言い辛い隠された意味合いがある筈だ。
もしかしてだが、心配されてしまっているのだろうか。
「……そうだな」
「そうだなって……」
「勉強とか面倒だなって、考えてたからかな」
「…………アンタがそう言うなら、そういうことにしておいてあげる」
そう言ったなら、話を変えてくれた。
ただ、決してカズキにとって都合の良い内容ではなかった。
「で、アレは何よ」
「……アレって?」
「四人を治したの、アンタでしょ」
「…………何の話をしてるんだ?」
「しらばっくれるなら本人達に言うわよ」
惚けようとすれば、速攻で逃げを封殺されてしまう。
しかしどうしたことだ、絶対に言いたくない。というよりは言えない。少しでも白状してしまえば、この身体になっている経緯にもすぐさま当たりがつく。もしかすれば既に勘繰っている可能性すらある。
とはいえ、ああも大っぴらに目の前で行えば、いずれ行き着くのも時間の問題なのかもしれない。
「……」
「最初にアンタの行動を見た時は、目を疑ったわ。『どうしてコイツは、仲間を同化して取り込もうとしているのか』って」
「…………」
「でも結晶が散った後に、みんなは生きて、傷一つなく帰ってきた」
喋らせてはダメな気がした。けれど言葉を紡がせまいとすれば、その行動自体が返って信憑性を増させてしまう。
カズキに出来るのは、彼女の予想が大外れしていることを願うだけ。
「東郷の足も治っていた」
「……良いことだ」
「それは否定しないけど、何でか疑問なの。死に至る傷だけを治すならまだしも、足まで綺麗サッパリ治って、しかも衰えすらなかった」
「あの時……仮に全部が治るのなら、足の衰えだってその範疇じゃないのか?」
「どっかが引っ掛かるのよ。……まるで、全部を大雑把に治したみたい。細部が分からないから、全部を引っくるめて施せば問題ない、みたいな? ……あの四人の戦いの後の診断結果ね、ただの一つも異常が見られなかったのよ」
本気で意味が分からなかった。悪いことではない。喜ぶことだ。
訝しんだところで、特になることなどどこにもないのに。
「普段生活していれば歪む部分。……骨盤のズレ、偏る重心、ホルモンバランス、視力に聴力、血液の粘度。そのほか色々が、理想的で健康的な中学生そのものだった」
「……だから?」
「不思議よね、綻びが一つも見当たらなかった。虫歯の予兆やら、軽い鼻炎とか、各種アレルギー反応も全く無し。綺麗でまっさらな人間体だった。……言い方は悪くなるけど、まるで新品みたい」
「神樹様がなにかしたんだろ」
「――――アンタには、そういうことにしておかないと起こる不都合がある」
降参でもすれば、もうやめてくれるのだろうか。
「車椅子で過ごしている事と、何か関係があるの?」
「……弛んでるって、お前が言ってたんだぞ」
「…………まあ、そうか」
そういうことにしてくれると、他でもない三好が言ったのなら、宣言をしっかりと守り抜いてほしい。
「前言撤回する」
「は?」
「吐け。全部」
「……メチャクチャだ」
「さっさと吐け。でないと私の憶測だらけで話し――――
止まった。
「……助かった、のか」
敵に助けられたと、言いたくもないがその結果になった。しかし追求の手を逃れた訳ではないのが悩み。さてどうする。
――――よりにも今日に限って、言い訳を考えながら戦える相手ではないことを感じ取った。
「っ! カズキ……っ!!」
「…………どうしましたか?」
「間にっ、合っ、た……っ」
急いだ様子で駆け寄ってくる足音を聞いて、一も二もなく千景だと判断。薄れた耳でも聞き取れるくらい必死だった。急ぎ過ぎて呼吸を忘れるぐらい、必死に何か大切な事を伝えようとしていたのだろう。例えば力の使い方に関する話とか。
しかし生憎なことに時間は少ない。故に車椅子を向ける暇も惜しんで、片手間にそのままの体制で問いを投げた。
指先は、既に『CROSSING』に触れていた。
「ゲホッ……いって、らっしゃい」
「…………?」
「気を、つけて……生きて、帰って……きて、!」
「え? …………それ、だ――――それだけの、ために?」
指先から、痛みが自分を塗り潰す。
神経が、無理矢理に接合されていく。
体組織が、グチャグチャに作り替えられていく。
「帰りを、待ってるっ、、から……っ!」
「……………………」
何があっても、どうにかしてその言葉を伝えようとしていた――――?
――――――――――――――――?
「――――ああ、そうか」
二度目の邂逅。
カズキに与えられた傷は治り、クローラーへ与えられた傷は、健全と揺らされた脚を見る限りに欠けはない。癒したからこそ、再びの襲来なのだろう。
「そっか、そうだよな」
今度こそ、その命を打倒する。
「…………俺は、真壁一騎でもあるから」
存在するための理由を、果たす。
「行くぞ……!」
馬鹿な期待を振り切って、樹海の中心へと流星は飛び立つ。
紫と白の機械槍が突き込まれ、敵の障壁に軋みを上げさせた。余波で周りの根は吹き飛ぶが度外視。周囲へ気を配って戦える相手ではない。手遊びの延長線では、敵の命には届かないからこそ、地を捲り上げ、周りへと暴虐が漏れたとしても気には留めない。
どうせ後で直せる。カズキの、ザインの力を用いれば、壊れた樹海も救える。
なら、やはり、自分はこの敵を斃すことだけに着目し続ける。
「う、おお、おおおおおおおおおおぉぉぉおお!!!!!!」
命がみるみる削れていく。力が猛るほどに、燃料は急速で使用されてしまう。
その様子を見ていたのはただ一人。
そして、もう一機。
興味深そうに、まだ蚊帳の外で待ち侘びるソレは、その戦いを俯瞰し続けていた。
産まれた時から全部を知っていた。目を覚ましたら、為すべき運命を理解した。ルーツも、世界の有り様も、状況も、外に在るその場所の名前も。
その上で、自分は薪となることを選んだ。
自分では希望へは届かない。届かないのなら、自分は余計なことは避けるべきだった。だというのに、繋ぎとなる架け橋は常々人員不足で、挙句不可欠ときた。そして、都合が良いことに、場繋ぎの犠牲とするにはちょうど良く空いた人員がいた――――或いは、元々そのための人員だった。
だからだろうか、名を問われた時に、自分は迷わずその名を選んだ。
きっと維持のための燃料にしかならない。ここまで続いた経緯を鑑みれば踏み台の一段目、その程度の礎にしかなれない。
幾千幾万と積み重なった死が土へと帰っていき、その大きな一部になるだけだ。そうして生者の立つ世界を、死者が支えていく。そのための一欠片になる自分には、大きな何かを残せる時間がない。
だからせめて、名前くらいは自分で決めたかった。
例え半強制だっとしても。それ以外の選択肢が潰えていたとしても。
ただ一つだけ、自分で選べるくらいの我儘が欲しかったのだ。
偉大な存在を名乗るのは、自分にとって相当な贅沢だが、許されたなら幸いだ。