事象は流転する。現在は過去へと捨て去ることで、未来への足掛かりになる糧であり過程だ。
だから咲き誇った花は、用を済ませたなら散って――――――――花弁の残骸からは、死の匂いが充満する。
むせかえる赤色。足裏にへばりつく赤色。肌にはりつく赤色。言葉は無く、小さく、本当に小さく咳き込むたびに、粘ついた音が耳を打つ。色だけじゃない。触れた感触、鼻へ染み付く鉄、死にかけの芋虫みたく蠢く些細な音。五感全てが感じ取る全てをひっくるめて、此処には死が充満している。
意識を保っている者もいる。けれどすぐさま消失するだろう。神樹からの加護だけでは間に合わない。もう間もなく、彼女らの意識は喪われて、無に還る。
声を出そうと藻掻いては、その権利を代償として剥奪された絶望。今際の際に言葉一つ残せない虚無感。
守り抜いた平和の中に、もう自分は生きてはいけないのだという達観。
壮絶。凄惨。酷く暗い、闇色の末路に向かうのを、呆然としながらも受け止めてしまう少女達。
「成せば大抵、なんとかなる」
嘘にするつもりはない。
元よりそのため、彼は望まれてもいなくとも、戦場へとやってきた。
そのために、自分はここにいる。
「――ッッ」
槍を、空に掲げた。
死の匂いに支配される前に。万物の法則、その最も奥底へと連れて行かれてしまう前に。
自らの祝福を。自分の選んだ戦いを。誰でもなく、自分自身が望んだ願いを果たす。
彼は、友達のために戦い尽くす。
「――ぁ――――……ァ」
何も、聞こえなくなっていく。
何も、声の一つ一つの意味を、言語とされる意味が、自分の中から無くなっていく。
何を、掴んでいるのかあやふやになっていく。
何も――――何一つ、自分自身が残らなくなっていく。
使われていく。何のために、何を成すために、自分自身が何者なのかさえ分からなくなっていく。
全てを、救済のために。辛うじて掴める意味はこれだけで。
では何を救済するのか?
疑問に感じてはならない根底すら、薄まり揺らぎ
「――――、――」
欲しかった
たった一人を土に埋めれば、後に続く生者はその幸福を手にすることが出来る。
犠牲になるのは、これまでも幾人も続いた末路。その列に自分も参じることが出来るのは、光栄ですらあった。そこに後悔は、ない。いっそ誇りすら。
無い――――――――ない。後悔なんて、どこにも、無い。
未練など、欠片も、
「――――――――、たい」
だって、思い出なんてない。もう使ったのだから、無に帰したのだから、幸福の全てを力に変えているのだから、惜しむ思い出など何処にもない。
救えるのなら、それでいい。救えない方がよっぽど辛く、苦しい。だから、だから――だから、だからっ――――彼は、後悔なんてしない。
「――――生――――――――――――たい」
手なんて震えない。今更恐怖なんて覚える容量も無い。何より、なにを惜しむ。何を恐れる。何にそんな怯える必要がある。彼の大切を脅かす大きな敵はいない。なら、それでいい。残された最期を用いて、
無い。無いのだ。もはや彼には、守るために戦っていた威勢も、戦うために胸にした決意も、もうどこにも消えてなくなっていく。
自分が消えていく感覚は、もう慣れた、そう言い切れるくらい彼は自分を摩り下ろした。在るか無いかの二択なら、間違いなく無いに振り切れる。それくらい彼にはもう既に、自分というものが無い。
だから、未練など、欠片、も――――――――ああ、クソ、チクショウ。
「――生きたい――――――――――――ここ、に――――いたい」
ああそうだ、どうしようもないのだこのパペットとか銘打たれた戦う存在は。
望んでも意味が無い。欲しても間に合わない。願っても誰にも叶えられない。今更、何もかもが遅すぎたことを知っている――――知っている!! 知ってるさそんなことは!! 誰よりも、自分が手遅れだって実感している!! 星掛けのように届かない無為の想いだって、理解してない訳が無い――――!!!!
なのに、なのにっ。
「ここにいたい……いやだ――消えたく、ない……――――――!!!!」
こうして叫ぶことに意味などない。意味が無いなら、無駄でしかない。
でも無理だ。我慢なんてできる訳が無い。どこにも自分がいなかったならいざ知らず、今は此処に自分がいる――――――――郡カズキは、ここにいる。
消えたくない。死にたくない。いなくなりたくない。ここにいたい。生きたい。生きたい。もっと、あの人にも、もっと出来ることがあったかもしれないのに。
「みんなとっ、――いっしょに、いたい…………!!」
ここで終わることが、どうしても受け入れられない。受け入れたくない。行き止まりなんて認めたくない。恐い。どうしようもなく恐い。
戻りたい日常も思い出せないのに、『日常』という単語の意味さえ蝕まれても、
――こんなに願望を表に出せるなんて、自分は最高に恵まれていた。
「――――」
自分の命が、形を変えて広がっていく。
荒れ果てた樹海を、翡翠の草原が敷き詰められていく。
遠く、どこまでも遠く。欺瞞と偽りに満ちた平和を、ただ一人の命が覆っていく。
その中には勇者部だけでなく、二人の勇者と――――一人の戦士も例外では無くて。
「ごめんなさい――――――ちかげ――さん」
戻らない。戻れない。
郡カズキは命を喪った。
奇跡でも届かない場所に、還っていく。
砕け散る頃には、カズキの心はもうそこにいない。
結晶の大地が砕け散って――――カズキも、砕け散った。
欠片は、バラバラになる。バラバラになって、砕け切って、粉よりも細かく――魂は、まるで大気に溶け込むように。
遺された記憶の中にだけ、郡カズキのいた証を遺して。
かつての英雄を閉じ込めた水晶。
生命がまだある間に、希望の力を失わないように、有効に使うために保全した二つの標本。
『真壁一騎』と呼ばれていた。『皆城総士』と呼ばれていた。今も尚、彼ら二人を本当の意味で知る者が限りなく少なくなっても、それでもまだ二人はそこに繋ぎ留められている。希望を産み落とし、それが潰えれば更に次の希望を。『存在』が生まれて、『虚無』が生まれて、いつまでも生まれ続ける。
始まりは生命維持を優先したもの。失う訳にはいかない大きな力を、未来へ受け渡すために眠らせた、ある種コールドスリープにも似た延命措置が主目的。
本来であれば、彼等を模した少年たちは生まれる予定など無かった。
彼ら本人に時代を超えて目を覚ましてもらい、戦場に立ってもらうため、だった。
「彼の死は無駄ではありません」
「……」
「彼のザルヴァートルの力は、これまでにない破格のもの。そして戦闘回数、経験の多様さからも、必ずや次を更なる領域へと押し上げる――」
骸にさせず、生体として解放もさせず。そんな二人を見上げていれば、何か答えは出るのではないかと。
生きているようで死んでいる――死んでいるようで生きてもいる。どっちつかずのまま、素体として掲げている。
尊厳も何もあった物ではない。これはもはや、こんなのは、どこにもない。
英雄と謳われたかつての二人は、
言い切っても過言ではない。
「――彼は犠牲になったのです」
「…………」
「全能へと行き着くための、人類に益を齎す誉れある犠牲」
老婆の声など聴きたくなかった。釘でも刺しに来たのだろうが、生憎、投げやりになれるほど、生気は千景に残されていない。
ろくに食べずとも支障が出ないこの身体は、滅法便利だ。
こうして何時間、何日間、何週間、はたまたこの先何年間、待ち続けるのかすら考えたくない。
役割を放棄して怠けている自分を、目の前の二人なら何て言うのだろうか。泉に浸かる戦士たちの亡骸は、自分へ向けてどんな叱咤をしてくれるのだろうか。
物言わぬ巨人に、自分はいったい何を望んでいるのだろうか。突然動き出す奇跡なんかない。先の戦いでザインとニヒト内に見受けられた、自立起動の痕跡は、それこそ最後の渾身に他ならない。奇跡は頻発しないからこそとても希少で、価値がある。
奇跡に期待はしない。しない。しない、けれど――――ひょんなことから、
あり得ない幻想を期待して、日々を立ち尽くす。
「いつまで塞ぎ込んでいては、彼も浮かばれません」
「…………れ」
「例の反抗作戦もあります。貴女にも使命が」
「黙れ」
聞きたくない。此処を離れたくない。
だから、それ以上は、堪忍袋の限界が近い。
「……ここから消えて」
「勘違いしているのか、気付かないフリでもしているのか……犠牲になったのは彼で――彼を犠牲にした一人は、他でもない貴女だと「知ってる。……それでも、私は……あなたが、許せない」
あの子に持たせたシリンダー。拮抗薬と偽ってこの老婆が渡していたのは、真逆の促進剤。
あの戦場で処分する気はあったのだ。使い潰しておいて、勝手に暴走したと抜かして、あの子の死をどこまでも貶める。その心が気に食わない。その魂胆が腹立たしい。全てを引き裂いて終わらせてやろうかと、何度頭をよぎり続けるのか。
憎しみが、音を立てて、煮える――――刃を人間に向けて振り翳すまで、決断から実行にそう時間はかからない。
「早く……命が惜しいのなら、出ていくことを勧めるわ」
「……では、また今度」
いっそ全部、何もかも壊してしまえば。
けれどそれは、あの子を、
結局私はまた何も選べない。引き篭もって、嘆きに呻くだけ。
あの子の――郡カズキの弟は、未だに生まれない。
そして当然のことだが――――彼は、もう二度と戻っては来ない。死者は戻れない。仮に英雄の奇跡が二度や三度と起こったとして、失われたいのちは、輝きを取り戻しはしない。かつての二人もそうだったように、器から零れた命は、器へと戻りはしない不可逆のものだ。
白く清廉な棺。紫紺の攻撃的な棺。柔らかく、目を閉じる者。しかめて、目を閉じる者。主のいない、戦士の巨人。
この場で千景へ答えをくれる存在は無い。千景を励ます命はいない。
孤独を抱えて、千景は此処に居続ける。
「……カズキ」
やはり、答える者はいない。
夢を現実で紡ぎながら、きっと、いつかと、帰ってくることを夢に見続けている。
これにて、結城友奈の章にあたる部分を終わりとするっっ! エピローグは短めに簡潔に。なんならやりすぎかってくらいにクソ短い。
多分続く。てか『こうしたい』がかなり長い事続くから、これからもまだまだ続かせてやらぁ。