郡カズキは英雄である   作:真の柿の種(偽)

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 想いを抱いても、伝えるための手段が、届けるための方法が、理解してもらうための術理が足りていなかった。
 だから力を求めた。
 力をいくら求めても、呼応するように敵も強くなって、真似たように敵も大きくなって、いつしか戦い続けるのが当たり前になった。
 だから平和を、対話を求めようと再び思いついて。
 この二つを、延々と続ける祝福の螺旋。
 此処から抜け出そうと藻掻く者も、この輪を無に帰そうとする者達も、誰もが()()を選ばない。
『戦う意志をお互いが持たなければいい』、こんな単純明快が、いつしか滑稽無糖の迷い言になるくらい、お互いに戦火をぶつけ合ってしまったから。
 どちらがが、あるいはどちらもが無に還るまで。
 この地獄は終わらない。


重なった時間

「ゴリ押しにも程があるでしょう!」

「ゴリ……押し……?」

 

 安芸から指摘されて、はて、首を一つ傾げる。

 彼女の言に当て嵌まる行動は、思い当たる節が無い。割と大事な説教のトーンだが、真剣になり切れないのはやはり自分が悪いとは微塵も考えていないからである。

 

「ずんくん、叫んでは突っ込んでばかりだもんで~」

「んなっ……槍を叩きつけるだけに見えて、敵の情報を解析しながら戦ってるんだぞ」

 

 敵の波長を探り、障壁を突き破るのに最適解となる瞬間を探り続ける。真正面から打ち合うのが良策とは言えないアザゼル型との戦いでは、必須となる基本技能だ。

 時に自分が一番影響を受けた存在である『真壁一騎』は、まあ、その、単純が極まる考えなし――――ではなく、衝動的にというか、本能的にというか、ともかく最短距離を突き進むような吶喊が常々だったらしいが。そこはそれ、自分には『真壁一騎』だけでなく『皆城総士』からの影響も少なからず在る。

『皆城総士』から齎された戦術眼と、それを後押しする『真壁一騎』の戦術勘。継承したのはザルヴァートルとしての力だけではなく、彼ら英雄を英雄たらしめていた能力。

 かつての両雄とまではいかないが、一騎とてその力を得ているのだ――――。 

 

「つまり、攻撃と同時に弱点を探ってる……ってことだ」

「へえー! 一騎って実は頭脳派なのか?」

「色々と考えながら戦うの、結構難しそうだねぇ~」

「……そうだな」

 

 解析に必要となる殆どの処理は、無意識が――『ザルヴァートル:システム』が行っている事は黙っておこう。自分だってちょろっとくらいなら頭を使っているのだ。脳筋まっしぐらだけが『真壁一騎』の代名詞ではないのだから。

 

「うんうん、ずんくんも頑張ってるんだよね~」

「…………俺は俺で理に適ってます、ゴリ押しとは少し違うんじゃないかな」

「ええ、確かに真壁さんは問題ありませんね」

「……それでは、私達が?」

 

 樹海での戦闘記録を眺めながら、安芸は嘆息と共に言う。

 

「呼吸が合わないから、仲間の行動に対するフォローも後手に回る。これでは命がいくつあっても足りないわ」

「……」

「真壁さんも、『自分は関係ない』なんて考えてませんよね?」

「えっ……だ、だって、俺は単騎(ローンドッグ)だし……」

「だとしても、チームワークが成っていれば、この戦いのように大きな負傷もなかったでしょう」

 

 少女達にはその事実が強く残っているのか、安芸の言葉を聞いた三人は顔色を暗くさせる。

 炭化した頭部、灰に散った半身。人間なら、確かに命がいくつあっても足りない――――とはいえ、ザルヴァートルモデルの力があの程度で廃れるかどうかを思えば。

 そんな納得できていない一騎を見兼ねてか。

 

「……真壁さんから()()――三人をどう感じる?」

「どうって……一人一人の動きが繋がっていかない感じ、です」

「ありゃりゃ、言われちゃったな」

「っ……」

「でも私、ずんくんが何考えてるのか、まるっと全部分かるんよ~?」

「付き合いの長さと連携は別の話だろ。……というか、俺のことが分かってもあんまり……な」

 

 増えた数を単純に足していくのではなく、それ以上にする。

 そうでもしなければ、痛みを背負い合って戦うことは出来ない。相互理解――分かり合うことで齟齬を埋められるのなら、隙を埋め合っていくことも簡単なことになっていく。そうすればもっと、戦場で命は危険から遠ざけることができる。

 ――少なくとも、『俺達』はそうやって戦っていたから。

 

「他の三人には早急にチームワークを磨いてもらいます。それにあたっては要となるリーダーが必要ね」

「……!」

「俺は……」

「当然真壁さん以外でです」

「あ、はい」

 

 知っていたが。他に思考を割く余裕などない故に、戦うこと一点以外は余分ですらある。

 とはいえハナから考慮の外らしくて、釈然としない気がしなくもない。

 

「アザゼル型を止め切るには、真壁さんの力を制限なく奮う事が大前提。……本当に、前回の戦いは危なかったんですからね」

「っ……はい、私が……私のせいで……真壁君は……」

「せ、先生! それでリーダーは誰なんですか!?」

 

 鷲尾の呟きを遮って挙手をした。堂々巡りは御免だ。

 

「乃木さん」

「ほえ?」

「貴女がリーダーよ」

 

 

「あっ……惜しい」

「……」

 

 視界の先で撃ち損じ、鷲尾の狙撃をすり抜けたボールが三ノ輪の額を打つ。

 赤く染まった色は、白いおでこによく目立つ。

 

「乃木の動きたい方向と鷲尾の狙う方向が、ちょっとだけ噛み合わない……三ノ輪がうまく繋げれば形にはなりそうだけど……――――口惜しいな」

「混ざりたいんでしょうけど、貴方は……」

「知ってます」

 

 例え特訓だろうが、訓練だろうが鍛錬だろうが、ザインと無闇に繋がるのは喜ばれない。一騎を戦力としてだけと見做す者達も、それ以外の優しい者達も、有事以外に命を使うことは不歓迎だろう。

 だがこうして自分だけが参加できない――『日常(みんな)』の輪に入れないのは、どことない疎外感にも誘われてしまう。

 こればっかりは何ともし難い寂しさだが、とはいえこの荒涼な心境もあと僅かの辛抱だ。

 

「俺は、誰とも違うから」

「……、…………そうですね」

 

 遠見先生曰く、少なくとも三回。多くて、四回だ。そして自分が力を使う事を許される回数は、精々が一か二止まり。それだけ戦えばこの孤独感も、じきに消えてなくなる。

 死にたい所以はどこにもない。けれど生きたいというには、少しだけ何かが違う。

 ただ、感謝していたのだ。自分が自分で在れる奇跡と自分が世界に生まれた祝福に、限りなく感謝して、限りなく世界を慈しんでいた。

 この世界にとって自分は異分子だから。――だから常々思うのだ。

 

「そんな顔しなくても……俺は最期まで守りますよ、この世界の平和を」

「……貴方が守るのは、貴方自身の平和でもあるのよ」

「分かってます」

 

 めげることなく、再び所定の位置から走り出す乃木と三ノ輪。その背後から目を尖らせて、弦を弾き絞る鷲尾。

 努力を続ける三人は目覚ましく、どこまでも伸びていくのだろう。完成することなく、不完全のままとめどなく。人として在るがままに、自然なままに生きていく。

 けれど自分は()()

 

「みんなの平和が、俺の平和。……それが俺の、存在している理由」

 

 自分は普通とは違う寿命(じかん)を歩いているから、自分の守り抜いた先の未来を見れない。 

 そこに絶望は無い。絶望なんてしない。自分が歩くと決めた選択に後悔も無い。

 だから、きっと。

 自分を置いてけぼりに過ぎ去っていく結末に、未練なんてどこにもない。

 

「――――届いた」

「……そうね」

 

 バスを真っ二つに叩き割り、喜びの雄叫びが上がる。

 連携。それに込められた意味は、初めよりは遥かに形になっていた。

 

 

「……、……」

「ふんふんふん、ふ〜ん?」

 

 手にした道化は紙の中で笑っている、いや嗤っているのだこれは。

 乃木が吟味を終えた瞬間に来やる、決定的な敗北の二文字を予期して、何故か常に手元へ道化を呼び込む一騎を嘲笑っているのだ。

 

「……取らないのか?」

「ん~? そうだよねぇ~……どっちにしよっかな~」

 

 声は出さずに高らかに笑ってばかりの道化の側に控えるのはスペードの2。時と場合によっては最強の一角でもあるその一枚だが、この瞬間には強いも弱いも無く、極々平等的な(つが)いの片割れでしかない。そしてこの片割れは、目の前の乃木の手に一枚だけ握られている。アレを簒奪してこそ、真壁一騎の初勝利と相成る。

 アレを手にした者が底辺を逃れるのだ。もうここまでで五連敗もしているのだ。もう負け過ぎて辟易とすらしているのだ。そもそも三位で上がるのは勝利とカウントすべきか否かなど、もはやどうだっていいのかもしれないのだ。

 

「私は……こっちにしようかな〜?」

「っ……ぉ、お前はそれを、選ぶのか……?」

「何と言うか……あまりにもあんまりな分かりやすさね」

 

 無情な選択だ。敗北感をより色濃く塗りたくる、非情そのものの選択だが。

 しかし彼女がそれを選んだのなら、一騎はその選択を尊重したい。

 尊重、せざるを、得ない――――!

 

「それとも~……こっちがいいかなぁ~?」

「! ……そうか、お前はそれを選ぶんだな。うん、そうか」

「一騎ってこの手のゲーム向いてないだろ」

 

 心が一気に軽くなる。その選択は、一騎の心を途轍もなく優しく包み込んだ。

 是が非でも応援しよう。その選択を一騎は、諸手を振って歓迎しよう。

 歓迎、せざるを、得ない――――!

 

「ずんくんは勝ちたい?」

「……勝ちたい」

「どうしようかなぁ~」

「俺は勝ちたい……!」

「お~! ずんくんが珍しくめらめらなんよ……!」

 

 されどいかに懊悩しようと、結局は乃木の手遊び一つで決まってしまうのだから一騎にはどうにもならない。選択権を握られた一騎は固唾をのみ込むしかないのだ。

 

「でもこっち」

「ああっ……!?」

「ハートとスペードで、あがり~」

 

 散々に待ち遠しかった心が弄ばれた挙句、選ばれたのはスペードの2だった。

 残された道化は一人、一騎へ向かって嘲笑を浮かべている。さっきまでの白熱していたかのようなモラトリアムは、果たして一体なんのための時間だったのだろうかと考えてしまう空虚感はどうだ。

 たかがババ抜き、そんな風に言い切れる熱量ではない姿勢で挑んでいたからこそ、反動の気の抜けようは凄まじいものだ。

 

「また負けた……」

「須美よりも面白いくらい顔に出るぞ」

「本当にね。お陰でビリは免れて…………? わ、私よりも……?」

 

 訝しむ鷲尾だが、言われるのも仕方がないとは思う。そういった機微に疎い自覚のあるカズキとて、鷲尾の反応は実に分かりやすかった。

 三ノ輪も理性的か感情的でなら、やはり感情に重きを置いた人格者だ。鷲尾ほどでなくとも、やはり読めないことも無い。なんなら『皆城』の頭脳の一部を受け継ぐ一騎なら、この二人だけなら勝ち越すことも不可能ではないかもしれない。

 それを阻んだのは他でもない、この四国一のご令嬢に他ならず。

 

「もしかして乃木……手を抜いてたか?」

「ん~? せめてずんくんには負けないように頑張ってたんよ」

「……ちょっと意外だな」

 

 順番替えをしてもどうしてか、乃木はにこやかな顔で一騎の札を取る位置を陣取っているのだ。

 常に笑うその顔はいっそ死神の微笑みにも見えてくる。額に何度汗が滲んだことか。

 

「こういうの、得意な方だと思ってた」

「ほえ?」

「乃木は周りをよく見てるから、勝手になんとなく」

「でも常にビリ争いでしょう? フフフ……暫定二位の私からすれば、二人とも変わらないわ!」

「おお~、さすがわっしーなんよ」

 

 誇らしげな顔が微笑ましいが、お情けが数回与えられてきた悲しい裏側を、彼女は知らない。

 

「お陰でこっちは毎回二人のにらめっこを見物させられるんだ、退屈でしょうがないぞ」

「ずんくんと見つめあっちゃった~、ぽっ」

「負け続けてすごい疲れた。……当分トランプは見たくないな」

 

 スマホに記された時計を確認すれば、もう睡眠に耽るには頃合い良いだ。

 彼女らはともかく、自分までもがこのまま寝落ちする訳にもいかないだろう。

 

「俺は……そろそろ、部屋に戻るよ」

「え~? もっと遊びたいなぁ~……あっ、そうだ! このまま一緒にここで眠っちゃお~?」

「ダメよ。男女で同衾なんて、この私の目が黒いうちは許しませんっ」

「らしいぞ」

「ちぇ~……しょんぼりん…………」

 

 ただ、このままお開きにするには、あまりにも眩しくて。

 あまりにも、この場からは離れがたくて。

 自分でも驚くくらい、この空気が心地よいのだ。

 

「みんなは……もう、眠るのか?」

「ええ、夜更かしは良くないもの」

「そうか…………じゃあな、おやすみ」

「いやいや何いってんだ須美! 一騎もだよ! 夜はまだまだこれからだろう!?」

「ここですかざずじゃっじゃ〜ん! プラネタリウム〜!!」

「何故こんなものを!?」

「綺麗だな」

「でしょ〜?」

 

 そんな名残惜しさもなんのその、あっという間に吹き飛ばしてくれる暖かさがそこにはあった。

 だから自分はこの三人を、どうにかしてでも守り抜きたいと誓っている。

 

「今夜は寝かさないぜ〜?」

「恋バナしようぜ恋バナ!!」

「ずんくんの好みは私だもんね〜」

「え? あ、ああ、そう、なのか?」

 

 とにかくお茶を濁す態度が表に出てくる。意識した事もないって言ってしまえば、何故か泣き出されそうな予感がした。

 

「おやおや疑問系? ってことは他に思い浮かべた女の子が……!?」

「そんなぁ……うえ〜ん、浮気されたんよ〜」

「よしよし、こうなったら一騎の好みを根掘り葉掘り聞くしかないな!」

「え、え? な、なんだこの流れは……」

「そそれで……どうなのかしら、真壁君……?」

「鷲尾まで乗り気!?」

 

 誤魔化しに力を注ぎ込むこと二時間後、全員の眠気が限界に達した時に、ようやく解放された一騎だった。

 

 

 三ノ輪ストーキングの末にやって来たのがこの店と聞けば、喜んでいいのか引き攣ればいいのか、なんだかなと。

 

「楽園ごはんがおいしすぎるんよ!」

「クッ、まだ勝てない……っ!!」

 

 ガツガツと激しく、なのにカレーの汁は不思議と跳ねることなく、するりとうどんは乃木の口へと瞬速の残影を残して消えていく。

 スープを一口飲めば目を見開いて、口惜しそうに悔しがり、けれど食欲が削がれている様子は一向に見受けられない。

 二人の育ちの良さは一騎にもなんとなく分かるのだが、どうにも『ああ、お嬢様だな』とは素直には言えない。何故だろうか。

 

「三ノ輪は次、何飲む?」

「ブルーハワイでよろしく!」

 

 厨房へとドリンクを取りに戻る。一々厨房とテーブルとを行き来しても手間だ、複数のデカンタへそれぞれ別のドリンクを注ぎ、自由に入れられるようにしておいた。

 お盆に乗せたデカンタを持って、テーブル席へと向かえば視界の端に映る、タンクトップにエプロンのマッチョなオジサン。あまりに良すぎるこのガタイは、この店の雰囲気にそこはかとなく合わない気がしなくもない。

 

「最近の若者ってのはこうなのか」

「いや、この三人がちょっと特別なんだと思います」

「へえ?」

 

 そう聞けば興味があるのかないのかよく分からない返事と共に、新聞へ視線を戻す。

 ランチタイムが過ぎ去ってからは、お客さんが一斉に引いたからか、途轍もなく暇そうだ。働かせようにも皿洗いは済んでいるし、店前は掃除したばかりだし、仕込みは一騎の領分だしで仕事もないのだからしかたないだろうか。

 

「やはり真壁君の料理は美味ね……私も見習わなくちゃ」

「むぐむぐ……一騎カレーうどんは、いつになってもほっぺた落ちちゃうんよ〜」

「これパック詰めして売ってくれないか?」

 

 乃木もそうだが、鷲尾も三ノ輪も、一騎の手料理を振舞うたびに大絶賛の嵐を毎回くれるものだから、流石の一騎も気分がいい。

 そんな三人にはサービスマシマシも辞さない一騎だった。

 

「いい卵も貰ったから、それで作った温泉卵とか、入れるか?」

「おお~っ! それくれ! 絶対食べる!」

 

 彼女は被害者ですらあるからして、多めに入れてあげたりはどうか。

 

「ずるい~! 私も私も~!!」

「私もいいですか?」

「ああ、ちょっと待っててくれ」

 

 外から見れば穏やかな対応が出来ているだろう。でも内心は相当に踊っている可能性すらあった。

 自分の殆どは、過去からの遺産だ。でもそんな中で、自らどうにか、自分から、()()()()()()()()()()から生まれた、自分だけの何かが欲しかった。

 だから、料理を喜んでくれるのは、そのまま一騎の存在を認めてくれている気がして。

 

「……なんか、いいな」

「そりゃ良いことだ」

 

 声に出していた。気が抜けているのか、ともあれつい言葉にしてしまえるくらいには、この時間は快いのだろ。

 

「…………そうですね」

「照れんな照れんな」

 

 一騎はとても嬉しくなるのだ。

 そうして実質的な貸し切り状態の中で、騒がしくも柔らかな日々を過ごして――――扉の鈴は鳴る。

 店内の視線を釘付けにしても、その硬い表情は大して揺らがない。

 バカ真面目、とだけにも思えない味を感じられるのは、彼も大きな責任を背負っているからこそなのだろうか。

 

「おっといらっしゃ……なんだ、お前かよ麻木」

「……暇をしているようだな、溝口」

「昼ど真ん中に来てみろ、驚くぞ」

 

 麻木と呼ばれた男性は、溝口と挨拶代わりの軽口を投げ合い、その顔を一騎へと向けた。

 

「ああ、次はそうしよう。それで……一騎君、少しいいかな」

「いらっしゃい麻木さん……こっちに来るのは珍しいですね」

 

 嫌いではない。むしろ好印象の方が多い人物だ。

『真壁一騎』と『皆城総士』の記憶にある()()()()に似た風貌だけでなく、雰囲気も彼によく似ている。

 彼の家を汲む末裔が『真壁』ではなく『麻木』を名乗っているのは、きっとそこにも何か、特別な意味があるのだろう。そこまでは一騎の持つ知識の外の情報だ。あくまでも想像の範疇でしか。

 そんな彼が一騎の元へとやって来るのは、かれこれ何度目だろうか。そこまで多い回数を対話していた訳では無いが、けっして少なくもない。そのたびに千景も一騎も、派手ではなくとも心ばかりにもてなしていた。

 だが、彼が持ってくる話題は、いつだって優しいものではない。

 

「悪いが今日は客として来た訳じゃ「外で」……」

「……外で、話しましょう」

 

 此処は平和な場所だ。

 虚偽と隠蔽に満ちて、一皮剥けば絶滅に争い戦うことを辞められない箱庭の中に在って、それでも尚。

 この場所には、一切の争いの記憶が無い。

 

「ずんくん」

「すぐに戻るから」

 

 真の意味で『楽園』であり、何よりも誰よりも平和を謳う義務のある少女たちの憩いとして今は機能している。

 仮に『島』の司令官だろうと、一騎にはそこを譲る気が無く、有無を言わさず返事もおざなりに店前へと先導する。

 

「……後では、ダメですか」

 

 平和とは掛け離れた話題が圧倒を占めていたのも、事実だった。

 繰り返すが、彼は嫌いではない。厳しく見える姿勢は素混じりもあるだろうが、それは常に平和への糸口を見出そうとする裏返しもあり、本当の意味で『平和のための戦い』が出来る人だ。

 でもそれは、この場で聞きたくはない。

 この場では、この店でだけは、絶対に聞きたくない。

 

「大切な場所、なんです」

「……」

「お願いします。……何であろうと戦います。何からも逃げませんし、何からも守りますからっ、だから……ここは、ここでだけは……」

 

 病的にも思われるくらい、嫌だった。

 聖域、もしくは文字通りの『楽園』、あるいは逃げ場として、拠り所として()()()に遺された憩いの世界だから。

 この場所で戦いに関することなど、話題の一つだって聞きたくない。

 彼女達の前で、聞かせたくなど。

 

「……」

「いや、そうだったな。……あまりにも軽率だった…………すまない一騎君」

「……家でなら、全然、大丈夫ですから」

「ああ。……君が帰る頃にまた、――――」

 

 そんな折に、麻木の時は止まり。

 開戦の狼煙として、箱庭の時間は動きを停める。

 

「……間が悪いな」

「楽しい時に限ってこうだもん、やんなっちゃうよ」

 

 音も鳴らない扉をやれやれと言った風情で開き、三ノ輪がやや大げさにかぶりを振る。

 麻木()()の存在如何は関係なく、災害は破滅を引き連れてくる。無粋の極みとして、謳歌できていた平和を軒並み焼き払い、無に帰し、憎しみに浸らせるための敵は、こっちの事情など汲み取ってくれる訳がない。

 ただ皮肉なことに、平和の有難みを一番に実感できる者とは、あるいは戦場に身を置いた者だけだ。

 だから自分は戦う。これから平和の大切さを、掛け替えのない、蒼穹のような色をした毎日を尊ぶために、この世界を守り続ける。

 命の使い方は、もう決めているのだから。

 

「とても怖い顔をしているけれど……どうかしました?」

「ああ……そう、か」

 

 そういえば――――――――たしかこれで、三回目だったような。

 

「ずんくん……?」

「どうした、乃木」

「…………無茶はしないようにね~?」

「分かってる」

 

 遠見先生の言葉を、薄く思い返そうとして、何故かすぐにやめた。

 

 

 折れた槍は、立ち上がるための杖代わりにちょうどよかった。身の丈を超えるほど長くては、地に突き立てる支えに向かない。

 

「ッ゛……ハッ、はぁっっ、まだ、だ……!!」

『――、――、――――!!』

 

 嘲笑を向けられようと、暗黒色の憎しみに晒されても。

 立ち上がる意思は折れず、戦う力は尽きず、限りある命は()()果てず。

 まだだ。まだここにある。

 まだ、ここにいる。

 

「俺の命は――――まだ!!!!」

『――――。』

「ここにある!!!!」

 

 無残な槍を結晶が覆い、砕け散った内からは新品同様の白槍が顕現する。その工程を跳び出すと同時に、二秒と経たずに成立させた。

 同化による強化、及び修復も慣れたものだ。

 鍛錬の一つも積まず、だというのに明らか異常な速度で、闘争の精度は研ぎ澄まされていく。最適解を求めてから、最適化された行動を取るまでの移行が潤滑に。

『戦うための存在』、その一文へ含有された意味と、そこに含まれた理由を吠え叫んで表現を続ける。きっと誰の目にも生まれた目的は誤解なく伝わり、どんな者にもコンセプトは語弊なく届く。

 一騎は全霊を賭して、その存在理由を示すため。

 

「ッ! なんでそんなに殺したいんだ……!!」

 

 一騎の視線の先から放たれた、地獄が形を成した滅亡の炎球。世界を進み、世界を侵し、人類の生存を赦す余地を残さない一撃。それを戯れ紛れに放つような、出鱈目な存在規模。

 しかし敵への恐れを抱く前に捨て去り、流星の吶喊に迷いなく。

 人の業を不様だと嗤い、人の奮戦を唾棄として一笑に付して、手遊びに世界を殺す。そんな悪魔に相応しい悪辣さは、一騎へ回避行動の全てを許してくれない。

 背後に在る守るモノ。一騎が命を使う意味と理由。賢しい悪魔はその価値を正しく理解しているが故、一撃一撃には世界を絶望させるだけの憎しみを溜め込んで――――敵の攻撃を避ける意志はそのまま、仲間と世界の滅亡を意味している。

 

「させる訳がないだろ……!!」

『――! ――?』

 

 だから迎撃以外の選択肢は、一騎には許されていない。

 秒も要らずに眼前と迫る炎球――――だが三回目の接敵となれば、もはや見慣れてすらいた。

 立ち向かう為に必要な手立てはこの身に在る。元よりこの身はこの為だけに製造された決戦兵器。悪魔からの祝福を振り払う救済の力が、気圧されて終わりだなんてこと、あってはならない。

 その覚悟と覇気に応じて、槍は一騎の命を白い流星と化して吐き出す。

 

「喰らえ……!!!!」

『――っ! ――っっ! ――――!!』

 

 放たれた白色の奔流に触れ、炎球と共に互いの攻撃は弾ける。

 散っていく爆炎が樹海を灼いて、カラフルな根を捲り上げていく。守るべき世界は余波だけでも致命を与えられて。しかし両者は、災害の如き悲惨を巻き起こした周囲へ見向きもしない。

 アザゼル型は最初からカズキ以外をさほど大きく注視せず、一騎はアザゼル型から目を離すことはあり得ない。

 排斥すべき敵だけを見据えて、互いの存在を拒み、否定し、敵意を突き付け合う。

 憎しみから端を発し、泥沼に足を取られた者たち同士が繰り広げる、無益にして非生産的な行いの連続性。意味が無いのに、理由が無いのに、

 

『――、――、――、』

「笑える心はあるのに何で、憎しみしか……――――いや」

 

 理由は明白だ。少なくとも一騎は、何百年と続く憎しみの発端となった存在を知っている。

 でも、それでもだ。

 

「憎むことが全てのお前は……消すことしか知らないお前が、触れて良い平和(世界)じゃない」

 

 待ち構える黄金の悪意が、暗黒の障壁を翳す。身の丈を越えた機械槍を突き立てんと、白水色の一条は飛びゆく。

 鬩ぎ合い、吹き荒ぶ白と暗黒の暴嵐。

 漏出するエネルギーは大気を焦がし、稲妻と形を変えて大地を抉り、世界を(つんざ)く破裂の音が少女達へと届けられる。

 

「ッッ!! ッぅオオオオォォ!!!!」

 

 灼熱の波動が吹き出して、少年然とした一騎の五体に常識から逸脱した高熱が蓄積されて。

 喉が沸騰する。血液が沸き立つ。骨から泡が吹く。眼球が破裂しかけて。脳が茹ってしまって。心臓の鼓動がありえないほどに加速して、体組織の摩耗は加速して。全身が余すことなく剝離を続ける。

 肺が爆発して口から零れる血液も、外気に触れた途端に蒸発していく。()()()()()()()()()()()()()()、一騎には煮え滾った心がある。

 世界よりも、未来よりも、何よりも少女たちの過ごす平和のために。

 製造理由を自ら掲げて、自らの根幹として明確に確立させて。外から与えられた存在理由(レゾンデートル)に準じる覚悟も、決意も、決断も済ませている。四国を守るための尖兵として、人類を庇護する神樹に殉じる決戦兵器。この役割は他の誰にも譲りはしない。

 とても大きな理由だった。義務とすら言えるくらい強固で揺らぎは無い。

 それと同じくらいに大きく肥大化していく、自分の内から出でた願望。あるいは使命感。

 ひとえにそれは、誰にでもあるような、ほんの些細なもの。

 

『あ、な、た、は、、そこ、に、いま 、す、か  』

「いるさっっっ!!」

 

 その問いにだって、厭うことなくすぐに答えられる。

 灼け付いた喉で叫ぶ。泡を立てて掻き混ぜられた心臓が叫ぶ。流れ出る血が叫ぶ。生きている証が、ここに生きる自分を叫ぶ。

 

「ここになっっ!!!!!!」

 

 二つに裂けた槍が、帯電を伴って存在の力を大いに示し――――暗黒の障壁を貫いて、『ザイン』を象徴する清廉な色が、アザゼル型アビエイターの頭部を穿った。

 ――自分で選んだこの道だ。たとえ他者から植え付けられても、()()生きることを選んだのは自分だ。真壁一騎が選び、進むと決めた自分の道だ。

 全てを選んで、自分はここにいる。

 生きることも、戦うことも、死ぬことも、全ては自分が選んで来たから今がある。

 どんな形になっても生き抜くことを選んだ真壁一騎は、ここにいる。

 

 

 ――青の一撃が、敵に大きな風穴を作るのを見届ける。

 どこでも当てれば良いと言ったのは、気負いしないようにだったのだが。そんなは心配どこ吹く風で、しっかりと敵の中心へと()てる

 

「流石、だな」

 

 せり上がる血潮を飲み込んで、短いながらもその一言に称賛を注ぎ込む。

 本当に見事な一射だった。素人であるカズキから見ても美しく流麗で、訓練中やこれまでの戦いの数々よりも、遥かに堂へ入った姿勢。

 満身創痍の意識朦朧でなければ、ついつい見とれてしまっていたかもしれない。

 

「当然です。……って一騎君!」

「な、なんだよ」

 

 残心の構えから一転、振り向いて一騎へ勢いよく詰め寄る鷲尾の顔。端正に整った顔つきは、淑やかでありながらも確かな力強さを感じてしまう。

 瞳の中には当初見えていた敵愾心にも似た、警戒の心は見受けられない。いつの間にやら名字ではなく名前で呼ばれてすらいた。

 真の意味で彼女の仲間になれたと、そう考えても良いのだろうか。

 

「大怪我してるんだから喋らない! 傷に障るでしょう!?」

「え、ご、ごべっ、ごぼっ……」

「!? 一騎君!!??」

 

 咳き込むと同時に、鼻やら目やら口やらからまろみ出てくる粘ついた赤色が不快だ。咄嗟に抑えた手の隙間を縫って、びちゃびちゃと足元を濡らして、煤に汚れた制服を赤く染め上げて。

 途轍もなく見るに堪えない。少女の目の当たりにするには、些かよりも過剰なくらい醜悪な光景だろう。

 

「だいっ、だいじょう、ぶだから」

「もうっ、だから喋らないの!」

「ごめ、ん……ぁ、怪我、してるな」

 

 擦り傷も、切り傷も、勇者服の下にはきっと打撲の跡が。

 

「いま、治すから」

「……無理してないんですか?」

「ああ、これくらいなら」

 

 言われながら、足元を中心に結晶の華が樹海を覆っていく。

 こちらへ近づいて来る乃木と三ノ輪も、鷲尾も例外なく、この世界に生きる命を補修するための準備として、翡翠が世界を飾り付けていく。

 一騎の力。命を吸い出して解き放つ、とても大きな力。

 己を贄にして、他の誰かを援ける存在の力。

 

「っ――――――――、」

 

 世界を包んだ結晶は砕け散って、その下にあった命の欠けは元通り。失われた生気を補う命が注がれて、元々あった世界を露わにする。

 焼けた根も、砕けた根も、飛び散った肉片も。万全を損なう全てを排して、在るがままの命の形を作り直す。

 乃木も、三ノ輪も、鷲尾も、少女たちの誰しもだって例外ではなくて。

 

「んっ……相変わらず不思議な感じ。……嫌な感じは、しないけれど」

 

 鷲尾を包んでいた結晶は、彼女の損傷だけを吸い取って砕け散る。

 後に出てくるのは傷一つない、戦う以前の健康体。

 その姿を、自分の施した治癒がしっかりと行き届いているかを()()()()()()()()、途方もない違和感を。

 

「……一騎君?」

「ぁ、、――――っ――――――――」

 

 ()()()()()は、違和感の前に聞こえていたから。

 とうとうその瞬間が来たのだと、暗む意識の中で、どこか他人行儀に心で諳んじていた。

 

 

「へ?」

 

 しなだれかかる身体を咄嗟に受け止めた時、その軽さに思わず唖然として。

 男の子の身体を抱き留めたという事実に驚くよりも、心配が先んじる程の頼りなさへの驚きが強い。

 

「…………っ、かっ、一騎君……?」

「――――」

「……――――うそ」

 

 そして色めいた思考よりも先に、彼の身体から伝わらない生き物としてあって当然の鼓動が感じられない。呼吸に伴う胸の上下が起こらず、耳を擽るような吐息など起こらない。投げ出された手に触れれば、とてもじゃないが人間として平均とされた体温には思えない。

 何よりも立ち上がろうとする意識が伺えず、生きようとする意思が汲み取れない。

 

「一騎君っ!! 一騎君!!?」

「――――」

「なんで!? 息がっ、どうしてっ!!?」

 

 四肢に力が入っていないのに、彼の体重がこれっぽっちも重いとは思えない。

 意識レベルだなんて専門的知識は分からないが、それでもとにかく彼の状況を確認しようと、一騎君の顔を見た瞬間言葉は喪われる。

 

「一騎、君」

「わっしー! ずんくんは――」

「一騎がどうしたんだ須美!!」

 

 どうしたのかなんて、私が誰よりも聞きたい。

 

「眼が、赤くてっ……! なにっ、なにもっ、心臓も動いてなくてっ、息もっ……!」

「――――ずん、くん! ずんくん!! ずんくんっ!!」

「どうなってんだ……!」

 

 横たわらせても何も、何一つも反応が出てこない。乃木さんが必死の形相で肩を揺らして、彼に負けじと顔色が悪くなっていく。普段の一騎君なら、そんな乃木さんの顔を見ればすぐにでも声を掛けて、こんな苦しそうな顔はさせないだろうに。まるで自分の方が痛いとでも言わんばかりの悲痛を、彼なら誰よりも許しはしないのに。

 口端から赤い中身(いのち)がつたうように零れていって、虚空を見つめる瞳は濁った赤に染まっていて、指先もピクリとしないその姿はまるで。

 まるで、生命の介在しない虚ろいそのものといったその姿は、まるで――――――――――死――――――

 

「……! ――――……っ!」

「ふぇ……?」

「園子っ!?」

 

 目を見開いたまま眠り続けようとする彼の行動は殆どが停止して、その上顔は真っ青だ。けどそれに追い打ちをするように、血の気が失せ続ける肌色の推移だけが、傍目から見て分かる一騎君に起こった変化だ。

 乃木さんはその冷たい顔に手を添えて、意を決した横顔で、肩を揺らす行動はもうやめた。

 

「…………ん」

 

 一騎君の顎に手を当てて、空気の通り道を確保する。

 彼女は、その口で――――眠りこける一騎君の口を塞いだ。

 吹き込む息吹を漏らすことの無いよう、隙間無く。

 

「……ぷはっ……っ、っ、っ、っ……!」

 

 離した口には赤色が口紅のように塗られて、粘ついた赤色が橋となって二人を繋ぐ。きっと彼女の口内には、一騎君から零れた鉄の味と香りが広がっている。

 それに嫌な顔一つ見せはしない。すぐさま動きの起こらない胸骨へと、小さな手を重ねて、一定のリズムで圧迫していく。一連の流れに迷いはなく、彼の反応を逐一まで観察しながら。

 その手が震えるのは、迫る喪失への焦燥か――――はたまた単純な、恐怖か。

 賢明な横顔には恥も躊躇もない。在るのはただ、『この人を助けたい』という真摯極まった一途な想いだ。

 

「っ、っ……ん……――――」

 

 そして乃木さんは再び一騎君と口を繋いで、命を繋ごうと足掻く。

 いわゆる心肺蘇生法と呼ばれる処置。

 学校で習っていたのか、それとも個人的に習う機会があったのか。仮に習っていたとしても、こうして迷いなく行うことが、私には出来るだろうか。

 彼女の必死さに呑まれて、私もこの心を声に出す。

 

「何か手伝えることは!?」

「っ――……ぷはっ、っ、ずんくんをっ、呼びかけてっ!!」

 

 内側からは一向に動かない心臓を、外部からの圧迫でひたすらに動かそうと働きかける。

 効果があるかどうか、などは至極どうでもいい。とにかくこの瞬間には、何かしらで行動を続けなければならない。どうにかして、なにをしてでも、命を繋ぐためなら。

 

「起きろ一騎!! 聞こえてるだろ一騎!!!!」

「目を覚まして一騎君!!!!」

 

 見開かれたままの両目が、血のように染まって私達を映している。

 けれど彼は、私達を認識してはいない。意識なく、生者の様相も見受けられず。瞳の赤色は心なしか、徐々に濃さを増しているような気すらして。

 それが、どこまでも不吉にしか感じられなくて。

 

「っ、っ、っ!! ずんっ、くんっ……だめっ!!」

「戻って来い一騎!!」

「――――」

 

 返答は、無い。

 

「お願いっ! 戻って来て一騎君!!!!」

「――――」

「そっち側にっ! 行っちゃっ、ダメ!! ずんくん!!」

 

 大きな声を張り上げて、引き戻さんと呼びかける二人。慣れなくとも迷わない手つきで、汗を滲ませながら処置を続ける一人。占めて三人、それが地平線を越えようとする手を掴み続ける少女達。

 生への意識を見せる間もなく、あっという間に『存在』からの祝福へ飲み込まれようとしている少年が一人――――もしくは一体(ひとり)、あるいは一機(ひとり)

 周りの景色が見慣れた色彩へ切り替わっていく事実にすら、意識を割く余裕はない。

 

「いや、だっ! いやだよ!! 行かないでずんくん!!!!」

「――――」

「わたしを――――おいていかないで!!」

 

 懇願は届かず、同時に空は普段色に明けていく。

 大人たちへ助けを求める必要も無かったのは、そうまで私達が気遣われていたから――――?

 

「一騎君!!」

「へ――ぁ、遠見、先生?」

 

 それとも、()()()()()()()

 

「……かっ、一騎が! 息してないんだ!!」

「せんせぇ、ずんくんっ、ずんくん、が……!」

「っ――――ありがとう三人とも、後は任せて」

 

 ストレッチャーの車輪が忙しなく走る。載せられた一騎君を固定するためのベルトが、カチャカチャと音を立てる。

 まるで予定調和のように、一騎君はあっというまに連れていかれた。

 

「……だ、大丈夫! だよ! 遠見先生ならきっと!!」

「……」

「……ずん……くん」

「…………そりゃ、そうだよな」

 

 残された沈黙を拭い去ろうと、声を荒げても効果は薄い。

 他ならぬ三ノ輪銀本人とて計り知れない不安を感じているから、その言葉には安心できるような中身がどこにも無かった。

 

「鷲尾さん、三ノ輪さん……っ、乃木さん」

「……先生」

「ずん、くん…………っ……うっ……」

 

 安芸先生も言葉に詰まるくらい、私達は間違っても凱旋といった空気感ではいられない。

 守った筈なのに。平和に帰った筈なのに。日常を維持でいたのに。敵に勝った筈なのに。チームとして纏まった手応えも確かに得て、快勝そのものだった筈なのに。

 

「っ、ずんっ、くん……っ……ひっぐ……ぅうっ……」

「……乃木さん」

「……信じよう、園子」

「ミノさんっ、わっしー――わたしっ、、わたっ、し………ぅぁっ………!」

 

 この日は、どうしても喪失した()の感覚が拭えない。

 失ってはならない宝物が、音を立てて砕け散ったような――――彼女の零す嗚咽が、何よりの兆しに思えてしかたなかった。




 夢を叶えるために。
 願いを実現させるために。
 希望へと届かせるために。
 生まれた原点にある祈りは知っている。託された祝福の意味も、きっと理解している。
 だから己には、確固たる明確な自己が宿っている。
 惑わず、揺さぶられず、真っすぐに歩けるだけの己が在る。
 自分は、ここにいる。
 逆に言えば自分にはそれしかないから。
『守りたいモノを守るために、全力でいられる自分』しか、自分自身を知らないから。
 絶望せず、自分は未来へと向けて()()()()()()
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