郡カズキは英雄である   作:真の柿の種(偽)

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思ったより短く終わるやつ


誰も追いつけない場所へ

 目眩のように歪んだ世界は、白んだ光が眩しいから、だろうか。

 

「……」

 

 口を覆うプラスチックに、煩わしさが湧き立って眉を顰める。次いで湧くのは、自分は何をどうしてこうなっているのかという疑問。

 経緯を思い返そうとすれば、まるで時が飛んだかのように、記憶には虫食い部分が多かった。記憶の連続性が断絶する間際よりも前は、まだまだ確とした意識を保っていた筈だが。

 最新のアーカイブを探り当てて、明晰に残っているのは、鷲尾が弓矢を番える姿勢が最後だった。

 流麗、沈着、静謐。崩れる要素の一片とて廃した、穏やかで広大な湖畔のようで、それでいて驚くほどに小さい背中。

 内に秘めるは仲間の気勢に応えんとする決起と奮起、それと揺るぎない意志。

 

「……かっこよかった」

 

 手放しに飾り気なく、素直そのままの称賛が口を通る。

 所作の一つ一つに、これまでとは比にならない力強さを感じた。同時に、全身へ張り巡らされた鷲尾の心意からは、迷いの無い確信が淑やかさと共に現れていた。

 青の弦を引き絞るゆび先から、自然体のように力の抜けたつま先まで。

 一連の動作の完成度なら、きっと他にも優れた人はいるのかもしれない。その道の達人だったり、その術理で銭を稼いで日々を暮らすひとだったりと、決して鷲尾の射がこの世で一番上手だなんて、断言するのは少し難しい。

 けどあの瞬間に見えた心と、大小様々が渦巻いた意は、彼女だけのモノだ。

 

「お邪魔しま「あの時の鷲尾は、かっこよくて、綺麗だった」……!?」

 

 鷲尾須美の持っている唯一無二の煌めきが、とても輝いて、尊いものに見えた。

 だから、後悔はない。

 全身に満ちる倦怠感を甘んじて受け取らされ、瞳に映る世界は極端に透明度を喪った。右手の動作は引き攣ったように震えて、自在に動かすにはほとほと遠く。右足は無くなってしまったかのように、布の熱も感触も得られない。

 五体を満足に動かす行為は飛び抜けた贅沢へ失墜した。もう二度と、二の足で地を踏み締める喜びを得る事はない。

 その事実を白いベッドの上で独り、噛み砕いて噛み締める。口惜しくはある。悲しくもある。自分はこれから短い先、いたって普段通りを繕うだろうが、それでも消化しきれない喪失感から逃れることはできない。それほどに自分が強く在れないのは、他ならぬ自分自身が知っている。

 

「鷲尾の射、また、見たいな……」

「かっ、一騎君が望むならっ、いつ、いつでも……」

「…………鷲尾、いたのか」

 

 ただただ『見たい』、これすらも満足には叶わないのだ。

 ――ああそうだ。もう自分は、もう二度と、友と過ごす日々を眺める権利すら剥がされて、じきに全てを奪われる。

 それでもやはり、命を尽力してでも守る価値はあった。

 鷲尾だけではない。

 

「須美だけ褒めちぎってズルい!」

「……三ノ輪もかっこよかったよ」

 

 口に出して記憶の整理をしていれば、薄ボヤけたメモリーからは霞が引いていく。

 戦友の姿が、どんどんと鮮明に思い返せるようになっていく。

 

「あの背中は、見てるだけでこっちも励まされる。立ち上がろうって思わせてくれる。無限に勇気が湧いてくる。綺麗に輝いた炎の華みたい」

「お、おぉ……思ったよりもべた褒めじゃん。……ちょっと照れるな」

 

 三ノ輪の猛る叫びには、人を奮い立たせる力がある。人の底力こそ此処に在り、そう言わんばかりの気迫と根性。だから頑張れと、だから負けるなと、あらんばかりの激励を周りへと振りまいてくれるから。

 一騎は何度でも、何度でも、痛みを振り払って戦えるのだ。

 戦力的視点で鑑みれば、真壁一騎も確かに重要なファクターではある。しかし、僅かでも生まれてしまう諦観を拭い去る為に必要不可欠な人材は、間違いなく三ノ輪銀その人だ。

 グングンと、恐れを置き去りにするように敵の腹元へ突き進む赤い軌跡は、躍動に溢れた鮮烈そのもの。

 そんな彼女を、心底から尊敬している。

 

「お見舞いありがとう。……乃木は、安芸先生のところに?」

「ん? ……何言ってるんだ一騎」

「……?」

()()()()()()()()?」

 

 ――――――――――――――――唖然と、した。

 

「ずっと付きっきりで、限界まで眠らずに見てたんだ。声も掛け続けて、そりゃもう初めて見るくらいに必死だったよ」

「ご飯もあまり食べてなかったし、心配だったけど……一騎君が起きたならもう安心ね」

 

 穏やかを保っていた表情が凍る。平静を努めた努力が停止する。外からの指摘を受けても尚、存在を五感で感じ取れない事実が戦慄を加速させた。

 本当に隠す気が無いかのように、分かりやすく口が開いて、呼吸を刹那の間だけ忘れてしまう。

 

「――――っ…………あ、っ、ごめん。そう、だ、そうだった、よな」

「……まだ頭は寝てるんだな」

「そう……だ――――寝ぼけてた、かも」

「調子はまだ悪そうね」

「ああ……実はまだ、身体が重くて」

 

 言外に退室を促せば、優しい彼女達はその意を汲んでくれる。

 

「もう少しだけ、寝てたいな」

「そっか。じゃあアタシ達はもう行こうか須美」

「ええ。……一騎君」

「……?」

 

 声だけを頼りに、鷲尾の顔へ目線を向ける。

 たったそれだけの一動作でさえ、形容しがたい不安に襲われる。

 自分は今、本当に鷲尾の目を見れているのだろうか。答えは何一つも分からない。自分に見える世界は、モザイクの差し込まれた薄暗い世界だけだ。

 

「励ましてくれてありがとう」

「励まし……?」

 

 何を指しての事なのか、一騎にはてんで分からない。

 そんな素っ頓狂な顔を浮かべたからか、笑ったような声を上げて。

 

「ふふっ……ううん、なんでもないの。お大事に、ね」

「早く元気になれよ~」

「……またな」

 

 二人分の足音が遠ざかり、扉が静かに開閉される音を最後に、室内には静寂が広がっていく。

 

「すぅ~……すぴぃ~……」

「……」

 

 こうして人の会話が無くなれば、なるほど、聞きなれた寝息が微かに耳を叩いて流れ込んでくる。起き抜けを脱しつつあるからか、聴力を始めとした感覚も戻りつつある。

 決定的な欠けは、戻りはしないだろうが。

 その方へと、微弱程度にも感覚の無い右足の方へと意識を傾けた。

 震える右手が、手を伸ばす。

 

「……よかった」

 

 この安堵は何へ向けたものか、これは自答できる。

 まだ自分は、誰かの存在を感じていられるという安心感だ。

 

「ん……んぅ~…………すぅ……」

「心配させてごめん」

 

 頼りなく奮える右手は、自覚できないくらい冷たいけれど、でも、まだ人の温度を感じられる。まだ他者との繋がりを感じ取れる。

 普段ねだられるように、その手は乃木の髪を撫でて。

 

「……ごめん」

 

 慣れた手つきも、少しだけぎこちなくなってしまった。

 あと何回、こうして彼女と触れ合えるのだろう。

 あと何回、以前のように彼女達と笑い合えるのだろう。

 あと何回、あと何回戦えば――――あと一回でも戦えば、そこから先は無いのだと、身体は理屈を飛ばして分かってしまった。

 

「……ごめん……な」

「……」

 

 遺して逝く者。遺されて逝く者。真に辛いのはどちらなのか。

 残念なことにそれを知る由が無い。少なくとも自分の運命(パペット:モデルSal)で存在している限りは、後者でいることを許さずに、前者で在り続けることを強要されるのは受け入れられているつもりだ。

 だからこそ理解できる痛みはある。

 

「何も失わないでいいように、みんなを守る。――みんな()()()守るよ」

 

 この痛みは、自分だけのもの。

 今を生きて、ここに自分がいる証。誰かを想い、日々を暮らしていた残響。真壁一騎がこの世界で生きていたという、これ以上ないシルシ。

 

「消えるのは、俺だけでいいから……」

「……、……」

 

 いなくなることへの恐怖すら、自分がここにいる証明に繋がる。

 

「俺だけ…………」

 

 それはとても、尊いモノなのだと信じたかった。

 

「おれ、だけ……」

 

 声が上手く出せなくなる。目が焦点を定めることを拒んでしまう。――心を表す全てが震える自分すら、まともに直視したくないから自覚できない。

 五感で認識する祝福も、心が受け取る祝福も、いつかは麻痺して何も感じなくなる。いなくなるとはそういうことだから。

 

「おれ……だけ、が、いなくなる、か……ら」

 

 覚悟していた。決意もしていた。余人には推し量れない決断もあった。でもこうして弱り切っていく身体へ朽ちていき、白い清潔なベッドへ否応なく寝かされて、満足に動けない自覚を刻まれて。

 情けなくなるくらい、弱さが滲んでくる。

 声を押し殺して、唇は震えを隠さず。痙攣した口の筋肉が疲れて、数分もすれば痛くなる。

 

「……ぅっ…………くっ……ぐぅっ……」

「…………」

 

 でも大丈夫。この痛みを知る者は自分だけ。乃木は安らかに眠りこけて、布団に作られるシミも気づく道理がなく。この心を伝える気など、微塵もなく。少しだけ、ほんの少しだけ心を流せば、大丈夫。

 友の存在に気が付かなかろうと、それを誰に明かす? 誰が理解してくれる? 理解させる気も、してもらう努力に励むこともないのに、勝手な罪悪感に胸を痛めて、いったいどんな意味がある?

 レゾンデートルを思い出す。自分がここにいる意味を思い出す。

 過程の無駄はいくら増えても大丈夫。だって自分の感じた心も、抱いた心も、痛む心も、自分の全ては無駄だから。自分全てが虚無に還るのが定めなら、道中くらいは好きにすればいいのだから。だから千景も、他の者達も、名と因子に刻まれた使命と運命を投げ出さなければ、思うように生きることを許してくれる。

 どうせ消える自分でも、虚しい結末の自分が痛くたって、いつだって大丈夫。だって痛みすら、どうせ風に溶けて消えていく。

 どれだけ()()()()()としても、結局自分は人形でしかないから、大丈夫。

 どうなろうと、どうあろうと、絶望はしない。

 

「……絶望は、しない」

 

 だって、そんな意味は無いから。

 

 

 カチャカチャと、食器を洗う際には必然的に鳴る音が耳に届く。

 皿を割らないよう丁寧に、彼女は朝食後の後片付けを進めている。元々は一騎が率先していた仕事だったが、ここ最近では千景に取られっぱなしだ。有難くもあるが、謝意よりも申し訳なさと面目のなさが先立つ。気を紛らわそうにも本を読むなどの趣味は持たず、唯一の趣味と言ってもいい家事もこの通り半身不随に近い体ではままならず。お陰で一騎は、この家では常に手持無沙汰だ。

 一人では上手く歩行も出来ない一騎を、千景は良く補助してくれている。プロの介護士も斯くやといった手際。慣れているとは彼女自身の言だが、慣れるような機会に()()()()()()()()()()()理由は、聞いてあげないのが人情だろう。

 

「千景さん」

 

 食器乾燥機に皿を並べ、手の水気を拭き取ったタイミングを見て、一騎は声を掛けた。

 

「何かしら」

「楽園に行きたいです」

「……なら、もう行きましょうか」

 

 そう言った彼女は、付き添ってくれるのが当然なことように外出の準備を進めようとする。

 時刻は午前の九時。昼頃に店を開けるなら、移動時間や仕込みを含めてそこまで時間は無さそうだった。

 

「ありがとうございます」

「……何が」

「俺がしたいことを何も否定せず、好きにやらせてくれてますから、嬉しくて」

 

 専門の者に任せるのが、手間暇を考えれば一番楽だ。彼女が持つ自責の念だって生半可ではない。それが一番楽な選択だというのに、だけど安易さへと流れようとしない自罰さは、見ていて苦しさすら感じてしまう。

 自分に厳しいのは一見美徳にも見えやすそうだが、抱え込むだけでは危うい。ましてや発散できる瞬間なんて、ここ数百年の間に無かったのだとすれば。

 

「私は……っ()()()に、これぐらいしか……」

「千景さんにとっては大したこと無くても、()()にとってはそれが救いになっていますから」

「…………そう」

 

 いつか、彼女の苦節が報われる日は来るのだろうか。

『島』の末裔や郡千景の信じる不明瞭な未来へ辿り着けば、それこそが彼女の救いになるのだろうか。

 

「昼は店で俺が作りますから」

「……ええ、お願いしようかしら」

「はい」

 

 世界との接点が明確に希薄になった日が境だった。生活の手助けを惜しまず、より一層に甲斐甲斐しくしてくれる。松葉杖に慣れるまではそう時間は掛からず、しかし杖があろうと自力で歩行することはままならない。

 だというのに車椅子は使いたがらず、出来る限りを歩いて過ごしたいという我儘――――そんな、ちっぽけが自分にとっての()()()()()に成り下がってから早数日。

 仕方のない事。どうしようもない現実。巻き戻らない事象。端的な結論として、真壁一騎にはもう時間が無い。

 次の戦いに間に合うか否かを保証するには、どうにも難しいらしく。

 たとえ次の戦いを終えたとしても、命が残ったとしても、その人形には、人間として生きれるだけの活力は残されているのかどうか。

 

「、――――あ」

「っ!?!?」

 

 立ち上がろうとすれば、転倒へと直結するのが今の自分。咄嗟に抱きすくめられても自立の一切が非常に困難なのが、今の真壁一騎。

 限界を指し示す数多の事実が、酷く自分を追い詰めていく。

 千景からの気遣いが多くなるほど、日々を過ごすことが出来なくなればなるほどに、『平和』や『戦場』ともまた違う境界を踏み越えようとしている実感が深くなっている。

 

「……ふぅ…………無理はしないで」

「はい……すみま、せん」

 

 肩を支えられて、玄関へと足をゆっくりと進める。二人の間に会話はそれきり、元々多い方では無かったが、目に見えて口数は減ったようにも感じるのは気のせいでは無いだろう。

 日増しだった。得も言われぬ実感が、毎日毎時間毎分毎秒と、徐々に肥えていくのを感じていた。

 

 

 楽園に着いてから千景さんは早々に二階へと引き篭もってしまい、店内の活気は驚くほど無い。存在を強調する唯一の音は、鍋の煮える音。それとまな板を小気味よいリズムで叩く音。

 嫌いではない静寂だ。食事をこつこつと調理して、料理を端正に作る。この一連の動作は、自分にとって日常を生きることそのものだから。

 鼻唄も口ずさみたくなるような、穏やかな静寂を愉しんでいればふと、扉の開いた合図が微かに耳へと届いた。

 涼やかな鈴の音は、海を一望できる立地にとても合うがしかし、弱まった自分の耳では本当に僅かだけが届けられる。そして開店前にこの店へ来る大人は、自分へ入店した事実を知らしめるように、割と豪快な態度で入ってくるのだ。つまり。

 

「溝口さんじゃないな」

「……」

「何で黙って……当てろってことか?」

 

 強盗の線は殆どない。自分で申すのもあれだが、この店は――というか自分の行く先々は、徹底して大赦や『島』や『軍』の監視下にある。常に監視されていることに思うところが無いかと言われれば嘘にはなるが、翻ってそれは、庇護下にあるのも同然である。

 何かしでかさないかという疑心を落ち着かせるための監視であり、何かしらの刺激を受け取って『真壁一騎』が爆発しないかの管理でもあるのだから。

 極悪人なんてものは大赦による支配体制の成果か、西暦に比べれば極端に減ったらしいがそれでもだろう。万が一を億が一に、億が一を兆が一に。起こり得る災害の芽を片端から詰みたがるのは、組織が大きくなるほどに付いて回る危機意識だ。

 要は一騎の周りでは犯罪など起こり得ない。であればこの店へと足を踏み入れた人物は、盗人とは判断されなかった者。

 正直、当たりは付いている。お客さんなら開店前にやって来て息を潜めたりはしない。勇者組三人なら、もっと姦しい雰囲気が漂っているハズだ。仮に溝口だったら――鋼のような筋肉に包まれた中年男性が取る行動としてはあまりに、それはもうあんまりなほどに悍ましさが過剰なので、絶対に考えないこととする。

 

「もしかして」

「……」

「泥棒か」

「えっ? ち、違うよ!?」

「うん、知ってる」

「も、もう! 一騎くんってば!」

 

 思わずといった様子で、元気よく抗議の声を上げる結城友奈。

 こうして会うのは久々だったかもしれない。困ったような声は、人の感覚へと良く通る。

 会いたかった、会いたくなかった、どちらが本心なのか自分にはもう、分からないけれど。

 彼女と話すと、心は色彩豊かになることは確かで。

 

「お帰り結城」

「うん! ……? ……な、なんて?」

「だからお帰り、って…………ごめん、間違えた、久しぶりの方だった」

「だよね、そうだよね……ビックリしたぁ」

 

 鍋の火力を弱めに落として、冷蔵庫へと歩みを進める。

 引き攣ったままの右腕を隠すように、時の停まった右足を見せないように。

 

「結城が……この店に来るの、いつも通りだっただろ? だから間違えた、ごめん」

「そんなに謝らなくても……お帰りでも、別に」

「座れよ、何か飲むか?」

「……一騎くん、耳遠くなった?」

 

 右手の震えがいっそう強まった。

 だが大丈夫だ。この声色は軽い抗議をしようという、いわゆる軽口の類。だから、()()()()が結城友奈に知られてしまったわけではない。

 

「……どうだろうな」

「? 大丈夫? 疲れとか、溜まってたりしてるのかな」

 

 結城は目敏い。人と人との距離感の測り方、空気感の掴み方が上手だ。

 友達へと向けられる慮りの視線は、より顕著に不調を見抜くだろう。

 だから、気が付かれる前に最期の戦いが来ればいいとか、考えてはならないのに考えそうになる

 

「こうして楽園に来て、カレーが作れるくらいには元気だ」

「無理しちゃダメだよ? 一騎くんってすぐに無理してそうな感じあるからね」

「…………あ……ああ、そうだな」

 

 先代、歴代、前任者である『カズキ』や『ソウシ』達を思い返せばどうしよう、反論の余地が割とどこにも見当たらない気がする。むしろ誰も彼もが軒並み人からの心配の声へ耳を貸さず、傍から見れば意気揚々として無理無謀無茶の三言を押し通そうとしていたような。

 自分以前の者達には言葉にはし尽くせないような尊敬の念が在るが――――しかしそれとこれとは話が別で、そんな人との接し方に難がある人達と自分は違う。そう信じたい。

 苦笑いを隠すことなく、蒼穹(そら)の色をした炭酸飲料をカウンターへと差し出した。

 

「あれっ、右手どうしたの?」

「えっ、え?」

 

 ドリンクを差し出した左手ではなく、その真反対へどうして目線が向くのだ。

 確かに彼女の洞察力は高い方、とはいえ流石に速すぎるのではないかと物申したい。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………言い辛いやつかな」

 

 沈黙が酷く痛かった。

 こうなればある程度は白状するしかない。どこまでで区切りを付けるかは、一騎の話術しだいだ。腕の見せ所といったところか。

 

「えっと、ひ、罅が、入った、とか……?」

「!? い、いつ!?」

「昨日、くらいだったかな」

「昨日くらい……? 昨日の今日でなんでそんなに曖昧に…………それよりも大丈夫なの!?」

 

 カウンター席を飛び越えかねない熱量で、詰め寄らんとする結城。

 

「入院とかそこまでじゃないけど、でも安静にしてろって事で動かせないんだ」

「そ、そっか……すぐに治るの?」

「――……そうだ、そのうち、気にする必要もなくなる」

 

 諦観などこの場には相応しくない。

 今は捨て置き、日常を謳いたい。

 

「それじゃあ今日はアルバイトさんとして働こうかな~」

「む……正直助かるけど……でも、お客さんに働かせるのは……」

「溝口さんと二人だけで回せるの?」

「……あー、うん、確かに、結城がいてくれるなら助かる」

「決まりだね!」

 

 決まるが早いか、『ゆうな』と名札の付いたエプロンをソファー下の収納から取り出す結城。ちょっと待って欲しい、そのようなブツを一騎は収納した覚えがサッパリだ。確かにちょくちょく手伝ってもらったりはしたが、頻度だってあまり多くは無かったような気がする。

 

「これ? これはお母さんが買ってくれたんだ」

「何で?」

「えっとね……『これから()()()お世話になるんだから、自分の物エプロンくらいは持っておきなさい』って言われて、確かにそうだなってビビッと来たんだー」

「…………」

 

 末永く、そこに含有された意図は聞かない。自分からしてもわりかし嬉しいような、そんな春色の季節を感じるような。でも気にしたら負けだと思った。

 聞かないので、この件はこれ以上掘り下げない。ただ一つ増えたのは、溝口のように厄介な大人がいつの間にか増えていたという事実だ。

 

「今日は夕方まで開く予定だけど……」

「うん、お母さんに電話しておくね」

「……そうか」

 

 もうお手上げだと、一騎の中の根源的本能が匙を投げる。

 一騎は無心を装って、けれどさっきよりも分かりやすく、調理の手際が上がったのだった。

 

 ――うん、だからお昼もこっちで……えっ、ええっ!? は、はは、花嫁修業っ、だなんて……! そんなつもりは、ある、けどぉ………………(チラチラ

 ――…………見られても……その、ちょっと、困る。

 ――…………よしっ! 私頑張るね!

 

 期待するような視線も今なら直視せずに済む。

 皮肉なことに。この身体も悪い事ばかりでは無いなと思ってしまったのだった。

 

 

「呼吸できてるのかしら」

「おーい、二人ともー?」

 

 ぬいぐるみの山、すなわち毛玉の奥で、その声を一騎は拾い上げた。

 

「……すぴ……すぴ……」

「…………、みのわ、か」

 

 三ノ輪の声が、沈みかけた意識を引き上げて、その声は耳元で寝息を立てる乃木も深い眠りから引き上げようとしているのだろう。

 視界はどれほど曇ろうとぬいぐるみで埋め尽くされているのは分かる。布の塊に埋もれた中で一騎が聞こえるなら、かなりの声量で呼びかけられたようだ。

 

「お二人ともー? 仲良く眠ってないで、アタシ達と遊べー?」

「ああ、今出る……ぁん?」

「……だめ……ずん、くん……」

 

 ぬいぐるみの山から離れようとすれば、華奢な腕がより深層へと引き摺り込もうと、一騎の身体を押し倒すように押さえ付ける。

 

「どこ、も……いっちゃ、……や」

「乃木」

 

 魘されている様にも思えるが、きっと気のせいだ。意図的に無視をして、肩を強く揺する。

 折角の休日に友達が尋ねてきたのだから、起きて共に遊ばなくては嘘だ。

 

「……おいて……いかな、いでよぉ……」

「起きろ乃木」

「んぅ~……んぅっ…………」

 

 起床へあと少しまで意識は浮上しているが、もう一押し欲しいところ。

 外部からのコンタクトを求めるのに、迷いはなかった。

 

「助けてくれ二人とも」

「ん? なんだって?」

「声が篭ってるわね……多分、引き出して欲しいとかだとは思うけれど」

「なるほどなるほど、日々で鍛えた勇者パワーでも見せちゃいますか」

 

 微かに聞こえるや否や、ズルリと細い腕が肩へと届いた。服の感触を掴んだのか、むんずと、推定三ノ輪の腕は一騎のシャツを乱雑に掴み取る。

 すると勢いを付けて、全身に掛かる横方向への浮上感。

 

「うわっ」

「それーいっ!」

 

 手探りだから、見えないから、その他諸々理由はあるだろうが、せめて横着せずにぬいぐるみをどかしてくれれば、丸く治ったであろうにとは思う。

 一本釣りされたマグロの気分で、ぬいぐるみの群れを吹き飛ばし、散らしながら一騎のついでに乃木も釣れた。

 

「おおっ、一石二鳥ってやつか?」

「荒っぽいぞ」

「文句言われてもな、友達が遊びきたのに寝てるなんて何事だよ」

 

 かく言う一騎とて、それは感じていた事実でもあるのでぐうの音も出なかった。

 

「そのっち、ちょっと……年頃の男女が近づき過ぎてるわよ」

「……ほぇ〜……? あ〜……ミノさ〜ん、わっし〜、おはよ〜」

「はい、おはようございます。……それで、いつまでそうしてるの?」

「一騎が暑そうだぞー」

 

 感覚が一番に鈍った右半身なら、暑いすらも感じないのだが掴まれているのは主に左半身だ。乃木の体重や身体の柔さなど、乃木園子の存在を確かに感じられて、体温なんてほぼダイレクトに伝播してくる。

 この暑さは生きている実感に繋がる数少ない要素で、実は喜んでいる一騎もいたりして。

 

「名残惜しいけど……」

「昼寝くらいならまた今度、いつでも付き合うよ」

「むぅ〜〜……約束ね?」

「ああ、約束する」

「ベッタリ度が以前にも増して天井知らずだな」

 

 三ノ輪の言及には触れず、一騎が向かう先は壁際だ。

 事前に聞いていた話では、今回行われるのはつまるところファッションショーの類らしい。であれば一騎の役割は感想係が関の山と予想される。服という服を部屋中に広げるのが予想されるので、部屋の中央に居ては邪魔なのだ。

 寝起き特有であるのんびりさを見せつけて、引きずる半身を目立たせないように移動する。

 

「……ふぅ……っ……」

「……――――それじゃ早速始めるんよ〜」

「? 何が始まるの? 私、何も聞いてないのだけれど」

「知らないのか? だよな、知らないよなぁ? ――大丈夫、楽しい事だから」

 

 なるほどそういう。

 最初の犠牲者が誰なのか、今の会話と三ノ輪の悪い笑顔でまるっと把握完了だ。要件を伝えずに呼び出すあたり、本気というか趣味が悪いというか。おそらく、まず間違いなく拒絶を示すであろう洋風ドレスあたりなんかも、無理矢理に着せる気があると予想。

 そして乃木がクローゼットから一枚の服を――大量にフリルのついたドレスを出した途端、鷲尾も全てを悟った。

 そうしてまず始まるのは追いかけっこ。どうせ捕まるだろうが、それをほぼ確信しようと抗う心は止められない。抵抗を止める理由にはならない鷲尾なのだ。これが不屈、これが大和魂、これが大和撫子なのだ。

 

「それ、似合うと思うけどな」

「えっ。…………だっ、ダメっ、そんな甘言には乗せられないわ……!」

 

 とか言いつつも、既に全身をバタつかせての抵抗はほぼ無いに等しい。

 

「もっとだ! もっと言え一騎!!」

「ずんくんの甘口ボイスで畳み掛けるんよ〜!」

「あ、甘口……?」

 

 それほどいい声をしている自覚は無いが、さて、一応は頑張ってみた。

 

「……その綺麗なドレスを着た鷲尾は、もっと、その、綺麗だろうから」

「はうぅっっ!!??」

 

 胸を押さえて呻き出す。大丈夫かこの子。

 持病でも持っているのかと訝しめば、乃木からのハンドサインが一つ。相変わらず視界はボヤけて汲み取りづらいが、多分アレだ、『トドメを刺せ〜ぃ!!』みたいなニュアンスだと思う。

 その手のアレコレはどう頑張っても疎い自負があるが、疎いなりに再び頑張ってみた。

 

「普段の大和撫子な鷲尾も綺麗だけど、お姫様の鷲尾も、その……」

「見たいよねずんくん〜!!」

「あ、ああ、見たいな」

 

 言わされたようなものだが、これで通じるのだろうか。目の前で堂々とこんなやりとりをしていれば、流石の鷲尾もそこまで甘ちょろくは――――

 

「〜〜〜っっ!! ……ほ、ほんとうに?」

 

 本当に大丈夫かこの子。

 

「……着てくれないのか?」

「っぁ…………はぃ……着ます……」

『『『ちょろいな』』』

 

 三人で思わず将来が心配になるくらいには。

 この分では悪い大人に騙されそうで、本当に心配になってしまう。

 

 

「ずんくんだからちょろかったんだよ〜」

「そうなのか」

「そうなのだ」

 

 休日での鷲尾百面相を話題に出しつつ、乃木に助けられて靴を上履きへ履き替える。

 時間はもう既に朝礼が始まっている頃合いだが、この身体ではどう頑張っても時間が掛かり過ぎる。車椅子を用いれば話は別だろうが、なるだけ自分の足で歩きたい我儘は、どうしても継続させたいから。

 松葉杖に拘る結果として、乃木まで一緒に遅刻させてしまっている現状は、どうにも言い難い申し訳なさが込み上がってくる。

 

「いいんだよ〜」

「何も、言ってないけど」

「そっか〜……えっとね、早起きも、歩いて登校するのも、私がしてることは、私がしたいことだから、気にしなくていいんよ〜」

「そうか……何の話か分からないけど、ごめん」

「謝られるより、ありがとうの方が嬉しいなぁ〜」

 

 スキップ一つで一騎の前へ躍り出て、クルリと一回転した。

 スカートがふわりと揺れて、金色の髪もさらりと揺れて、上履きがキュッと音を鳴らす。

 

「何の話か、分からないけどね」

「……何となく、ありがとう」

「何とな〜く、どういたしまして」

 

 一騎も、そしてきっと乃木だって浮くような笑みが込み上げている。決して悪い心地では無い心そのままに、手に持った靴を、下駄箱へ戻そうとした。

 カサリとした紙の手触りを、左手は確かに捉える。

 

「ん?」

「どうしたの〜?」

「……なんか、紙が……なんだこれ?」

 

 下駄箱に紙。それも朝の時間帯に。下駄箱の本人だけに伝わるように。

 そしてそれは、紛う事なき手紙だった。

 真壁一騎の記憶にもあったのと同じ形のようで、よく春日井甲洋も貰っていたのと似ているデザイン。

 

「……」

「うわぁ〜……ラブレターだぁ……」

「…………ああ、そっちか」

「ほぇ? ピンク色で〜、ハート柄で〜、女の子の丸い字で〜……ん〜? 他に何かあったかなぁ」

「気にしないでくれ」

 

 てっきり決闘か何かの招待状かと。

 しかしラブレター、ラブレターときたか。

 少年少女の青春証明、その内の大きな一つとなる代物だ。罰ゲームなどといった心無き類でなければ、嬉しい物であるのは違いない。かくいう一騎も、その例外ではなかったようで。

 

「初めて貰ったかも」

 

 気分の上がり方は、らしくない上がり幅ではあった。

 

「…………………………最近は無かったのに」

「? ……ごめん、耳が遠くて」

「…………………………またアピールして……」

「乃木、大丈夫か?」

 

 ボソボソとされては、以前ならいざ知らず、今の一騎ではとても聞き取れない。

 

「……………………ううん、何でも無いから」

「……じゃあ気にしないけど」

「そーそー、ずんくんは気にしなくていいんよ。………………」

 

 いつもの笑顔の雰囲気を漂わせつつも、幾倍増しに圧と火力は増している。具体的には暗黒色が、ワームスフィアにも似たオーラを纏っていそうで。そして笑顔とは本来威嚇用だとか、そんなことをどこかで聞いたような聞いてないような。

 それが今、バッチリ当て嵌まりそうとか、そんな失礼は考えるのすら良くない。

 

「それで?」

「ああ……これ、今の方がいいのかな」

「……読むの?」

「書いてくれたんだから、読まないと失礼だろ」

「へ〜え……ふ〜ん……ほ〜ん………………()()()()()()

 

 聞かれたニュアンスと、自分の取ろうとした行動とでは、どこかしら致命的な相違があったような。撤回しようにもどの発言を覆せばいいのか分からないのは、恨むべきは真壁皆城因子相伝のコミュニティーケーション能力だろう。

 

「もしかしたら、いたずらかもしれないし……ねね、ずんくん、読まなくてもいいんじゃないかな?」

「……さっきから、なんか、らしくないな」

「そう? …………前から、こうだったんだよ」

 

 また小さな声で、きっと聞かせる気のない独白というやつだ。

 

「……読む読まないの前に、ひとまず教室に行こう」

「うん。……歩き辛いだろうし、手紙、預ろうか〜?」

「遠慮しとく」

「…………そっか〜」

 

 即答でお断りしておく。キッパリ行っておかないと、後々妙な解釈でもされて持っていかれかねない。

 渡せば最後、この手紙は、二度と日の目を見なくなってしまう気がした一騎だった。

 

 

「らっららららっっらぶららぶら――――」

「壊れちゃったな」

 

 てっきり叫び上げる前兆だと身構えたが、紅潮した顔色のまま硬直されれば、その気構えは無用のものになるのであった。おそらくはその手の免疫が一番に低い彼女は、友達のそれを目にしただけで、想像力が天の彼方へと突き抜けるらしい。

 

「しかし一騎がねえ」

「俺も意外だった」

 

 普段の姿は、どうやってもシャキッとした印象を持たれず、昼行灯のように傍目からは見えるようで。実際、抱える事情を鑑みれば、日常を過ごすことは、その、幾ばくかのズレを感じる事も多い気もして。

 結果として毎日を程々に過ごせば、常にローバッテリー状態で、覇気がイマイチ足りていないとは溝口の言。

 そんな男に好意を寄せるなど、とんだ物好きだ。

 

「なんで? むしろ貰いまくりだと思ってたけど」

「……いいや全く。前の学校でも今の所でも、縁はサッパリだったよ」

 

 だから、物好きというか、よくもまあパッとしない反応ばかりだというのに、飽きもせず楽園に通えるなとか思ったり。要するに()()が一騎の知り合いの中では、一番の変わり者には間違いない。

 ――閑話休題。

 

「スポーツできるし大人びた感じもあるし、かなりモテそうだけど、何でだろうな。ダウナー系ってやつだからか?」

「ダウナー……」

 

 否定はできまい。暗いから明るいかなら、軍配は間違いなく前者に振られる。

 それでも一言くらいは言ってやりたいが、自分を顧みた限りは悲しいことに、言い返す余地も無かったようで。

 

「読まないの?」

「貰った俺よりも中身が気になってるな」

「……うん」

「人前で開ける物じゃ無いから、どのみち乃木の前では開かないよ」

 

 他人の目へ触れさせるために書いた訳でもないだろう。

 

「――――しき」

「俺よりも、乃木の方がよく貰ってるだろうし、珍しがってどうする」

「貰えるのは嬉しいんだけどね〜」

 

 乃木の下駄箱の隅に、ささやかに置かれる恋文。

 それに眉を顰めて、困り顔で小さく笑う乃木の背中を何度か見た事がある。聞けば頻度もそれなりに高いとか。その時の一騎は、乃木の不思議な雰囲気は確かに惹かれるものもあると、納得と同感の意を示していた。

 けれど貰った物の殆どとは言わず、その全てにお断りの返事をかえしている。

 

「――――々、しき」

「乃木は恋とかしてみないのか?」

「興味はあるけど……はぁ〜……」

 

 これ見よがしにため息を吐かれる。今のはどう考えても一騎へ向けた呆れと諦観の情だった。

 

「? ?? ……どうか、したのか?」

「ああ、そりゃ断るよな」

「……遠回し過ぎるのかなぁ」

「――――由々しき事よ!!!!」

 

 フリーズしていた鷲尾が、大きく叫びを上げると共に再起動を果たす。

 

「こうしちゃいられない……っ! 総員竹槍を持て! 勝てば官軍、あらゆる手段の模索を、何をしてでも……! 何としてでも……!!」

 

 鷲尾は何と戦うつもりなのだ。勇者のお役目と比肩しかねない気合いの入れようは、流石にどうかと一騎は思う。

 

「一騎君にらぶっ、らっ、らっっ、うぅ…………っ恋文だなんて!! 許されざる行いよ!!」

「そんな悪いことなのか?」

「当然ですっ!!」

「……そうか」

 

 鷲尾の騒ぎ立てる勢いは尋常ではなく、視線を落とした先の手紙を見て、一抹の空恐ろしさを感じる。そんな禁断の扉を開かんとするような扱いはやめて欲しかった。

 青春の兆しを否定されたような気がして、少しだけ落ち込んだ一騎でもあった。

 

「須美はアリなの?」

「わっしーは悪い虫とは違うからね〜」

「……可愛い顔して怖いこと言うんだな」

「えへへ、それほどでも〜」

「褒めてはないかなー」

 

 

 彼にとっての未来とは、どこにあるのかを考える。

 明日、また学校でと私たちは言葉を重ねて。

 明後日、また会おうねと私たちは言葉を交わして。

 来週には、また会えるねと私たちは当たり前に言葉を使う。

 

「面倒見良いし、優しいから、きっと三ノ輪はいいお嫁さんになれると思う」

「うぐ……っ、一騎はさ、いつも、ストレート過ぎるんだよ……」

「……でも、本当にそう思うから」

「そういうところだぞ……」

 

 その括りに入らない者なんて、存在する訳が無いと信じていた。疑い一つ持たないで、疑わずにずっと、もしかしたら今にも失われてしまうなどと、愚かしくも夢にすら考えない。

 また明日と言い交わし、来年はどうなるのかと語らう。それを見て、どれだけ胸を痛ませたのか、体感すらできまい。

 

「乃木の夢はずっと応援してる。お前の書いた本も、いつか読んでみたいな」

「でも今ネットに上げてる方は、ずんくんは読んじゃメっ、だからね〜」

「分かってる、そっちのは読まないから」

 

 去り際にまた今度と言い放つ彼の『今度』には、値千金を遥かに超える価値がある。彼の生きる一秒と、私たちの生きる一秒とでは、価値があまりにも違いすぎて。その価値観を無力な子供に過ぎなかった私たちが共有するなど、到底できる訳もなくて。

 私たちにはなんて事のない毎日が、彼にはどれほど綺麗で、美しく輝いていたのかを少しでも理解できたならと、今なら思える。だが今では遅すぎる。

 

「鷲尾に夢は……ああ、国防侍ゴウバイン、だっけ……?」

「他の何かと混ざっている!」

「……まぁ、うん、応援はしてる……うん」

「どうして気の毒な人を見る目に?」

 

 そして人は知らないから、残酷を平気で行える。

 無知の残酷さを持っているなど、自覚することはない。だから残酷に、残虐に、非道な言の葉で無自覚に人を傷つけては痛ませる。

 

「須美って国防仮面が夢なのか」

「わっしーと言えば、だもんね〜」

「違う! 確かに国防の心を広めたくはあるけれど夢とは違うわ!?」

「広めたくはあるんだな」

 

 ましてや彼にあのような――――手の届かない約束をさせるのは。

 

「そう言う一騎君はどうなの?」

「え?」

「一騎君には何か、将来の夢はないのかしら?」

「しょ、ぅ――――将来、の、ゆめ」

 

 彼の語る未来とは、自分がどこにもいない世界。彼の夢見る未来とは、本人だけがどこにもいない平和。私達のように、自分が居る事や在る事が大前提な生き方とは違っている。大きく、深く、決定的な亀裂となって、価値観の隔たりを作っている。

 本当に、筆舌に尽くせるものではない。痛みすら感じずにその結末を甘受していたり、意志に伴って彼が形作った結果の数々を、『凄い』だとか『立派』とか、上辺だけの言葉で流してはダメなのだ。

 

「ずんくんはお料理上手だもんね〜。将来は楽園のオーナーさんかなぁ〜」

「……」

「そのっちが決めてしまってはダメよ。こういうのは一騎君が自分で決めないと」

「…………」

「今はあれだけど、身体もそのうち治るんだろ? スポーツ選手とかも、運動が得意な一騎には似合いそうだな」

「………………ああ、そうかも、しれない」

 

 その覚悟も、その決意も、踏み出す軌跡の一歩でさえ見逃さず、必死に生きた命を支えて。

 果てに生まれた痛みと苦しみを分かち合えていたなら。

 私達は、彼へ、もう少しだけでも何かが――――。

 

 

「ゆ、め」

 

 夢。将来の夢。未来になりたいもの。憧れからくる目標。好きだからこそ目指す地点。生きることの指針の一つ。来年を重ねて、たどり着くための理由。それらをひっくるめて、夢。

 そんな事、そんなモノ、一度だって考えたことが無かった。

 考えれば辛くなるから、考えないように自分を押し殺して。未来が無いという前提を刷り込んで、自分には与えられない権利に嫉妬しないように。

 前へ進まないのは、どこにもいないのと同じだ。だから、せめて自分はここにいると教えるように、現在で全力の足踏みをして、自分はここにいると、自分自身への言い訳に使う。

 そうすれば、短い年月くらいなら、ひ弱な自分を保てるから。

 

「夢、か」

 

 将来を笑って話す。来年へ祈りを捧げる。未来へと進むことを疑う事もなければ、戻る道を選び取ろうとも思えない。

 けれど展望が与えられず、自分の向く未来への方角には、虚無からの誘いが待っている。

 その事実を反魂して、しかし、それでも、絶望はない。

 自分はその事実に慄くことはなく、恐れる事もしない。ただただ、自分は自分がしたいように、世界を進ませる駒として、人形として使い潰されるだけだ。

 

「うん……やっぱり、守らないとな」

 

 彼女達の夢も、叶えるための世界も。

 そしていつか希望が目覚める日を願って。自分のような中途半端ではなく、途方もない力を持って生まれる存在が、いつの日かこの閉じた箱庭へ希望をもたらす瞬間がきっと来る。

 その瞬間をこの世界へ迎えさせるために、自分はここにいるのだから。

 たとえ、その未来を、自分は見ることができないとしても。

 

「……そのために、俺は、ここに、いる」

 

 そして、残された時間はやはり少なくて。

 慣れ親しんだ布団の中で、慣れ親しんだ口癖を言紡ぐ。

 暗示のように、信じ抜けるように、騙すように。

 存在理由を、何度でも思い出し続ける。

 例え――――絶望の未来を目の前にしようと、何度でも、何度でも。

 

 

 良い気分だった。身を動かさない自分にも、みんなと共にする遠足は予想外に楽しく、残った余韻も心地よくて――――無粋とは、そんな時にこそ差し込むからこそ。

 気を(てら)い、動揺を誘発させようとした等の戦略性に基づかせようとした可能性。しかしこれは愚策だ。より効果の高い戦術を取るのならば、同時に投入するのが一番に良い。よほど高度な盤上戦略の上でない限りは、戦力の分散などは愚かとしか言いようがない。

 

「ここ……なんだな」

 

 ――使()()()()()時を、刹那を、瞬間が今なのだと悟った。

 それともただ単純に、順番といった概念を気にしていないのか。だから今回は偶然にも、バーテックスより先にフェストゥムが樹海内へと先入りした。実際、他のバーテックスが遅れて樹海内へと入ろうとする動きを一騎は感じた。

 正直どちらでも変わらない。自分達が戦慄したのはその程度の些事などではなく。

 何よりも、少女たちがバーテックスではなく、アザゼル型と言う極大の悪魔と対峙することこそ、何よりも戦慄すべき事態だ。

 

「にっ……()()……!?」

 

 もう一つの可能性として、この瞬間を最後にしようと、絶滅の意思を固めた結果がこれなのかもしれない。

 

「……一騎で勝ち切れない相手、だったよな」

 

 漂う灼熱と、肌を刺す極冷。生理嫌悪を呼び起こす醜悪も相まって、感じ取れてしまう不快感は生半可なものではない。

 それでも心は折れまいと、引き攣りながらも三ノ輪は笑おうと努力していた。

 武者震いにも見えるような、三人の肩の揺れを見て、一騎は目を閉じる。

 

「今までで一番大変そうだねぇ〜……」

「片方は私達三人が。もう片方は一騎君に任せて、分断、して……それで……」

 

 それでどうなる。

 ()()()()()()()()()()()、何となく、この場の全員察しがついている。それでも勇者は、いや勇者だからこそ、運命へ抗い、立ち向かおうとする。

 他ならぬ勇気と呼ばれるその希望こそが、犠牲へと駆り立てる大きな要因だとしても。

 

「……っ、よしっ!」

 

 檄を飛ばす為に、頬を張り上げて声を荒げる。

 いの一番にその勇気を示したのは、やはり三ノ輪銀だった。

 ギラギラと、燦然と燃え上がる()()()()は茜色に輝いて。

 

「今が合宿の集大成って事だろ? ……腕が、鳴るな!!」

「銀……っ」

「アタシは行くよ。銀さまの底力、見せつけに行ってくる!!」

 

 独りになっても戦い抜く。その情熱と覚悟は、この場において群を抜いて強い。

 命を燃やし尽くすとしても、友のためならきっと、彼女は惜しみはしない。

 そんな勇者を、たった一人で戦火に呑み込ませるような事が出来る者など一人として、この場にはいない。

 

「……馬鹿言わないで、一人でどうにかなる訳ないでしょう」

「そんなことっ…………やっぱ難しいかな」

「ええ、ハッキリ言って無謀です」

「だから私達は一緒に戦ってたんだもんね〜」

 

 だからだ。だからこそ、だからこそだ。

 命を懸ける事への躊躇を、表へ出さないだけの強さがあるから。

 英雄譚にでも描かれるように、尊く、美しく、儚く命を積み重ねて、屍を共に晒して地平線の向こうへと越えていく。恐れるだろう、震えも隠しているだろう、けど彼女達は、死へ向かう事を理解しても迷わず進めてしまう。

 誰かの喪失を予感して、隣人の欠落する未来を確信しても、勇気の希望は皆の足を進ませてしまう。

 そうして勝ち取った束の間の平和を、遺した者達へと譲るのだ。

 彼女達の努力の結晶は、努力の収束は、彼女達自身は謳歌できずに。

 

「私達は、ずっと一緒だよ〜」

「……抜け駆けも置いてけぼりも、許さないんだから」

「お前ら……えへへっ……! 心強い親友達でアタシは鼻が高いなぁ!」

 

 花を散らす未来が、悪魔の形をして迫ってくる。

 

「敵が総力戦の腹積もりなら、逆に乗り切ってさえしまえば、これほど激しい戦いはこの先に無いってことね」

「いま頑張れば後が楽になってことかな? なら、ますます頑張ろ〜!! ……ね、ずんくん?」

 

 そんな不条理を許すには難しい。そんな理不尽を赦すのは困難極まる。

 何よりも、その絶望を覆すのは誰の役目だったのか。

 命を輝かせた奇跡を見せつけるのは、何者の特権だったのだろうか。

 英雄なりしこの身には、果たして何が出来るのか。

 

「俺は、嫌だ」

 

 左手が端末をなぞり、人間としてから竜の巨人として、その体組織は組み換えられていく。神経という神経を、筋肉という筋肉を、血管という血管を、骨という骨を、肉という肉を、細胞という細胞を、ファフナーと呼ばれた竜のモノへと作り替えていく。

 痺れて震えるだけの右手も、何も感じなかった右足も、人とは違うナニカになれば、その操縦も容易く動かせるようになって。

 血の色が顕著に出ていた赤い瞳は、水色に成り替わり。

 

「嫌だ」

「ずんくん……?」

「嫌だ……お前らを、失いたくない」

 

 奪われることは怖いこと。

 失われることは辛いこと。

 なら、否定しなくてはならない。

 起こり得る犠牲の未来など吐いて捨てて、振り下ろされる現実の全てを否定して。

 肯定できる犠牲はただ一つ――――たった、一つだけ。

 

「…………だけで、いい」

「一騎君、何を言って」

 

 まだ変身前なのは幸いだった。苦もなく、この癇癪を迷うことなく実行できる。千景の存在も、遠くとも背後に感じられる。安心して任せられる状況はお膳立てが済んでいる、から。

 右手に結晶を纏って、罅割れる内からは、身の丈を超える機械仕掛けの白槍。

 槍が、音叉の形に裂ける。

 

「分かってるんだろ、このまま戦えば誰かがいなくなるって」

「らしくなく弱気だな! アタシ達なら大丈夫だって!」

「……嫌なんだ」

 

 大切な人を守りたい。暖かな平和を与えたい。

 ささやかでおおきな理由のために、力を奮わせるのが英雄だ。

 失うのが嫌だから、英雄は命を使う。

 いつの世も変わらない話。それこそ何百年と変わらない。

 

「だから……だったら……」

「! ずんくん――」

「…………三ノ輪、鷲尾、友達になってくれてありがとう」

 

 裂けた槍から放たれる光の波紋。

 敵の殲滅でなく。味方の癒しでもなく。

 

「乃木――――置いて行く事になって、ごめん」

「だめぇ!!!!」

「……()()()()()俺は、ここにいるから」

 

 走り出すその足を阻害するための光。

 止めようとするその意思を閉ざすため、暖かな光が一騎以外の三人を包み込む。

 

「いなくなるのは、俺だけでいい」

 

 足元から咲き誇る翡翠結晶が、三人を包み込む。砕け散る事なく、ただただ、無垢な魂を庇護するために。その意識を和らげて、柔らかく溶かしていく。

 感慨に耽けるいとまも無く、英雄は、悪魔へと向かい飛び立つ。

 槍と繋ぐ手を結晶に包み、存在規模を想定以上の品質へと格上げていく。

 蒼穹の色などどこにもない。海の色も、楽園の暖かさも無い。

 でもどこか、晴々とした心のまま――――真壁一騎の、最後の時間が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 約束をした。

 大切な、約束をした。

 たがえる事を確信しても、それでも。

 嘘にはしたくなかったのに、それでも。

 

 ――四人一緒に、大人になりたいなぁー。

 

 約束をしてしまった。

 裏切りを、約束したのだ。

 必ず届かないと知っても尚、それでも。

 どうあっても叶わず、避けることなど出来ない結末が近いと分かって。

 それでも、避けられない別離を隠した。

 

 ――その頃の私達は、どんな大人になってるのかしら。

 

 約束を、した。

 してはならない、手酷く苦しめる、残酷非道な約束を交わした。

 手に入らないのに、どうして、なぜ、自分はそんな意味の無いモノを交わしたのか。

 

 ――きっと、みんなおっきくなってるんよ。

 

 指の隙間をすり抜けて、自分を追い抜いていくのは、時間という無情の流れ。

 一分一秒が惜しい。一時一日が尊い。一月一年が、どうしても足りない。掻き集めることもできない、貴重で、尊くて、奇跡のような刹那がもっと、もっと多く欲しかった。

 友達の一歩と自分の一歩とでは、開く差は大き過ぎて。

 やりたいことはたくさんあるし、生きていられる中ではどうあってもやりたいことの方が多過ぎて、かといって絶対となる残量はどんどん奪われていく。そうだ、そうだった、そもそも望むべきはなかった。生きるべきではなかった。人として歩いたからこうなった。

 溌剌とした生を願うからこそ、温かな日々を欲しがったからこそ、冷たい装甲の人型兵器を起源とした自分では――人形では似合ってないと実感してしまう。

 人として生きなければ。

 人形として生きていれば。

 この痛みこそは祝福だ。生きることの喜び、その裏側に在るのは、自身はここにいると思い出させる棘の痛み。

 けれども、後悔だけはどうしても出来なかった。

 消える恐怖もあるのに。死にたくないと望む事もあるのに。生きたいと叫んでだっていたのに。ここにいたいと、誰よりも、この世界の何者よりも欲していたのに。

 人として生きた無駄な時が、いつまでも愛おしくてたまらなかった。人として生かしてくれて、感謝しかなかった。人の心が有るのだと認めてくれて、泣いても足りないほど嬉しかった。

 だから真壁一騎は、ここにいた。

 他の誰かに存在を認められて、真壁一騎は、確かにここにいた。




 この後は一話の冒頭へ。そこからアザゼル型を抜いた敵襲が原作通りに続く。違う点は銀生存により、強化されたバーテックスにもどうにか勝ち切れた点。


 一話の矛盾点は修正いたしたぁ。やっちまったぜ。
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