だからそんな
「おっと、それ以上は踏み込まない方が身の為だ。引き返せよ神職の皆様方」
慣れ親しんだ黒鉄の温度が、エレベーター出入り口へと向けられる。
鉄の筒の口と睨み合うのは、仮面を被った成人男性と成人女性。
人だからこそ恐れるその鉛の礫を喰らいたくないのは、信じるものが違えども万人に共通する価値観であることを信じたい。
「ウチのリーダーからは
「……怪物は目覚めた。早めの処置が必要です」
「島からすれば英雄の目覚めだ、おいそれと触らせる訳にゃいかーねな」
対話の必要性は、正直感じられない。大赦という組織と、自分達はおそらく平行線だ。
似たり寄った組織であれども、重きをどこに置くのかは決定的に違う。この隔たりは百年単位で埋まらない溝だ、今更ここ数年で早変わりなんて意味の無い期待はしないようにする。
「この世界を脅やかす敵を野放しに……!」
「追い詰めなきゃ敵にならないでくれたんだよ、あの坊主達は。……お前らがビビり過ぎたってだけだ」
「……貴方達の技術はもっと他の、有意義な事へ役立てるべきです……神樹様の加護さえあれば、そうすれば不安定な人形にも頼らず、勇者のなり損ないすら必要無くなる。ファフナーなどといった非人道的技術にも頼らずに生きていけます」
「気味の悪いご高説をどうも」
相互の理解を求めてすらない。対話と呼ぶには粗末な意見のぶつけ合いなどでは、分かりやすい結論も、譲歩し合った方向性も生まれはしない。
こちらは希望の存在を守る。あちらは破滅の芽を摘む。
認識の齟齬は、正しいと信じるものが互いにズレているからだ。
「満開、散華、精霊……お前らが嫌がらせで仕組んだカズキのクロッシングシステム、総じて悪趣味だ」
「パペット、ファフナー、そしてそのパイロット。我々を批難する前に、己が身を振り返ってみてはいかがか」
「ああそうだ、俺達は全員まとめてロクな死に方も出来ないし、ロクな生き方をするつもりもないね」
子供を戦地へ送り込むだけなのはお互い様。
子供へ負担を背負わせ続けたのもお互い様。
でも、それは過去となる。
少なくとも『島』の遺志となる自分達は、もう二度として犠牲を容認しない。
「だから、手を汚すくらいなら何度でも代わってやりたかったんだ」
仮初の平和を一度でも平定する為、無辜を手に掛けた英雄がいたらしい。人の悪意に追い詰められて、その果てに人へその力を向けるしかなかった英雄もいた。生まれを忌まれて、非難を浴びながら尽きた英雄もいた記録がある。
どの末路も、目を覆う悲惨そのものだったと聞く。
遠い過去だけでなく、実際にこの目で見た悲劇はなるほど、人の業の深さを思い知らされた気分だった。
「もう一度言ってやる、この場から引き返せ。……三度目に期待はするなよ」
だからこそ、だ。
現実として、外の敵と戦うのは英雄達以外では難しい。だからせめて、内の敵となる存在は、自分達の手で払ってみせなくては。
『――ああそうだ、大赦の連中、お前の予想通りに坊主を狙いに来やがった』
「そうか。……撃ったのか?」
『一発も。引き際は弁えてる奴等で助かったよ』
泉と呼ばれる場所は、死した機体達の安置所でもあり、弔いの場所。
その場所は、初めから泉として造られたのではない。元の想定として造られた意味――機体の置き場としての意味は、どちらも共通していた。
『これでいいんだろ』
「そうだ。我々の意志は、もはや隠す必要がない」
『そりゃいいな。……俺達は、ようやく……子供達を守れるんだな』
「…………彼が外へ向かうまで、人への警戒は怠るな」
『リョーカイ』
今現在、泉と呼ばれるその場所は、かつてファフナーブルグと呼ばれる場所だった。
形骸化しかけていたその意味は、きっと、今日この日に甦る。
「小楯、状況はどうなっている」
『機体自体の調整は欠かしていない。彼次第では、すぐにでも可能だ』
「分かった。……アルヴィス全職員へと通達!」
その声は、良く響いて通って伝わっていく。
「……これより我々は島の遺した意志に従い、彼と彼女へ尽力を注ぐ」
頭にではなく、鼓膜にではなく、五感すらを通り過ぎて。
「長い――本当に永い、雌伏の時を過ごしてきたが、それもこれまでだ」
心と意志を一つにしていた彼らは、その宣言を待ち侘びていた。
数百年と続く涙の味には飽いて、数百年と摘まれた屍の姿をもう見たくは無かった。
悲劇に泣き叫び、痛みの涙を殺し、命に苦しみ、奪い、奪われ、悪意に使い潰される若者を眺める日々には、誰も彼もが、もういい加減に嫌気が刺していた。
「『軍』も『大赦』も、『敵』も、戦いの全てから彼らを守り、力になり、必ずや彼ら二人を島へと帰す」
だからその宣言は、心を震わせるに値する。
「『島』を祖とする者として、本懐を果たそう」
メディカルチェックを勧める遠見医師の提案を柔らかく遮って、ファフナーのパイロットスーツでもあるシナジェティックスーツへ着替える手間すら省く。制服のジャケットを肌身にそのまま羽織い、マークツェン改《アキレス》へと搭乗する間際に少年が、モニター越しにこちらへと一瞥を寄越した。
彼は、その号令を待っていた。
それは、かつて海を漂うだけだった彼等が、蒼穹へと飛び立つべく張り上げた一つの証。
絶望に苛まれても、喪失が見舞っても、理不尽に膝を突いても、彼等彼女達は、空の彼方へと飛び立つ事をやめはしなかった証明。
「ナイトヘーレ、開門!!」
瀬戸内海より、ライトグレーの色彩を載せて、巨大な水球が壁の外へ向かって飛んでいく。
今は亡き島の者達へ報いる事は、郡千景と彼へ最高級の尽力を与える事と同義だ。
機体を欲すれば機体の用意を。住まいを欲すれば住居の用意を。喫茶店の店長になりたければ喫茶店を。平和を望むなら平和を。人である事を望むのならこれからはそれを最大限まで施せる。これまでとは違い、力になり切れる。人として生きる事を望むのなら拒みはしない。
戦いから逃げるなら存分に逃げ場を用意しよう。誰からの批難も許さず、静かに暮らさせる。
戦う事を望むのなら、槍も剣も銃も、何もかも、必要なモノを全て揃えて、彼等の勝利へ貢献してみせる。
全てを二人の為に、それが彼等の祝福だった。
メディカルチェック、その後の問診と退屈な時間は終わった。
「退屈は流石に失礼か」
遠見先生とて、カズキの身体を調べてくれたのは、仕事だからが全てではない。申し訳なさそうに、されど早めに終わらせようと、そんな気遣いを簡単に受け取れた。
カズキへ向けた
自分のカラダの事だ、大まかではあれどその瞬間がいつ頃なのかは自覚できている。ファフナーに搭乗する事で人間の部分へ出てくる影響がどんな物なのかも、皆城総士の遺した知識が教えてくれていた。なので検査なんかは遠慮しても問題がない、のだが。
「……千景さんに怒られちゃうからな」
それともう一つ、アルヴィスにも今の自分の状態を把握していてもらいたかった。
――これから、遠くない先に、避けられない戦火がこの四国へ降り注ぐ。大きな力へ立ち向かう、それもコチラが内輪で揉めている限りは打ち克つ希望も生まれない、大きな憎しみ。
それを退けるために必要なのは、せめて人同士で互いの存在を消し合わない世界。他の存在を否定しようと肯定しようと、それは各々の選択であり、生きる者が持つ祝福だ。けれどその為に争う時間は今ではない。全ては絶滅を免れてからでも遅くはない。
箱庭に蔓延る思想や方針は一つではない。だからこそ、牽制でもなんでもしてでも、島へ辿り着くことを誰にも邪魔させる訳にはいかなかった。
情報の共有はその一環となる。郡カズキの目指す地点。郡カズキの運用法。郡カズキの制限時間。正しく知ってからこそ、扱い方も理解できるというものだ。
「……」
足音が軽快に床を叩いて、カズキは迷うことなく歩いていることを示す。
視界の濁りは無く、触覚のブレも無く、途切れる音も無く、消毒室の匂いも捉えて、空気の味は暖かい。常駐していた頭痛も、心肺機能の低下も見られない。意識の低迷感も無い。英雄二人から受け継いだ命は、まだ郡カズキを人として生きることを許容してくれている。
身体中を巡る命を噛み締めながら目指すのは、なんてことない一室だ。問診を行っていた部屋から出て、二つ隣の病室。
八人の存在を感じて、意識は真っすぐにそちらへ向いたままだ。元よりカズキはそのためにここまで戻ってきたのだから。
「……、……」
ファフナーから降りて、伝えたいことを伝えたい人に伝えられて、けれどちゃんと伝わったのかは自信が無い。
あの後――――『ただいま』と言葉にした直後、糸が切れた人形のように崩れ落ちた千景を抱えて、勇者部との再会の言葉も交わす間もなく、カズキは急いでアルヴィスへと駆け込んだ。
付き添おうとすればカズキはカズキで別の検査に担ぎ込まれて、今に至る。
何と言うべきか、要するに実感が無いのだ。
「…………」
扉を目の前にして硬直してしまう。
再開にして大団円、そんな和気藹々とした雰囲気を味わえる実感がどこにもなかった。
『東郷さん、どこに行くの?』
『どこにも行かないわ。ただこの期に及んで扉を開けづらい人がいるらしいから』
「えっ」
ギョッとした。心の準備を蹴っ飛ばすような、身も蓋もないこの具合はどうだ。
室内で眠る人物に気を遣ったのだろう、静かに扉は開いていって――国防少女の感応が育ちすぎて、システムを使わずともさしたる距離でなければカズキの存在を知れるほどになっていた。勘が鋭い少女だったのは確かだ、カズキの近くに居たという事実も関係ありそうだ、しかしこうも急速に育つとは。巫女の適正が高い事も影響しているのだろうか――ここまで刹那の一秒間である。
少しづつ隙間が広がっていく。優れた動体視力で取得した視覚情報は、優れた思考処理でコンマの間にもカズキへ状況を理解させていく。
いの一番に樹と目が合い、口を大きく開けて無言で叫んでいた。次いで風と園子の惚けた表情、風は理解が遅れていて、園子は東郷の言で察しているのだ。東郷の姿が見えないのは、隠れるようにして扉を開けているに違いない。
友奈、夏凜、銀の姿は見えない。扉の陰に隠れているのだろう、開き切ればじきに三人の姿が見えるはずだ。ちょうどベッドを挟んで、三人と四人で挟む位置だったから。
だから必然的に、その人と目が合った。
病院着を纏い、キョトンとした顔で、銅の瞳を真っすぐに向けていた。
「あっ」
「……」
何を言えばいいのか、思いつかなかった。
あの時の言葉を聞いてくれたのか、聞けなかったのか。
ちゃんと伝わってなかったのなら、もう一度同じことを一言一句違わず言えばいいのか、それとも文言を変えた方がいいのか。
あるいは、自分にも思い至らない何か、別の何かを伝えるべきなのか。
「ぁ……あの」
「……」
狼狽と逡巡、躊躇いがどうしても喉の中にへばりつく。
何を言えばいい。何を語ればいい。何を喋ればいい。何を切り出せばいい。何を口にすればいい。
言葉の限りを尽くしたいのに、舌が上手く動かない。過呼吸が顎を痺れさせて、意味のある語彙を尽くせない。
「おかえり」
「っ」
目が、点になった。
「全部、聞こえてた」
「……」
聞き逃さないでくれていた、それが、嬉しくて。
「貴方の言葉は一つも忘れないもの」
「千景、さ、ん」
何気ない慰めの言葉一つだけで、瞳の潤いが過剰に働く。
いつから、自分はこんなにも涙に脆くなってしまったのだろうか。
その言葉を受け取れる自分になるまで、ほとほと長かった。
何度も貰っては払い除けていた言葉が、カズキの内へとこんなにも沁みていく。欲しかった言葉だ。望んでいた居場所だ。いつまでもここにいたいと願ったから、彼女はそれを汲んでくれた。家族として受け入れてくれた。
彼女の――
ここにいて、よかった。
ここにいたいとおもえて、よかった。
「おかえり、カズキ」
ここにいることを選んで、本当に良かった。
「その後はアキレスを駆り、勇者部の元へ向かって……それがカズキ君の語ってくれた現状です」
郡カズキの伝えるべき事柄は、遠見と呼ばれる女医を通して伝え尽くした。
中でも一番に郡カズキが事細かく伝えたのは、島のコアが目覚めているという事実。
「乃木園子ちゃんの報告にあった、『一番希望に近い未来』を見せられた時以上に、カズキ君はハッキリと意思の疎通が出来ていると判断しています。……彼が言うには、自分が竜宮島に辿り着けた時こそ、本当の意味で島が目覚める瞬間だとも」
「では、郡カズキの帰郷は不可欠か……だが、彼をもう戦わせる事は……」
既知を確かめるように、その事実を噛み締める司令官――――麻木司令。
島へ未来を届かせるのは、アルヴィスに勤める者達皆に共通する悲願。その皆とは千景も例外ではなく、連綿と続く島の末裔の望み。終わり、行き止まった世界を打開するための、内ではなく外に在る希望。
その為に島の目覚めは必須であり、この情報はそれこそ干上がった魚に水を与える天啓であり、現状が今以上の綱渡へと移行する前触れでもあった。
「……神世紀が始まる以前より、数百年間眠りについた竜宮島。……その島を追い続けている敵の存在は、皆も周知しているだろう」
「アザゼル型、でしょうか」
「島に執心だった個体が勇者部の前に現れたらしいな」
遠見の言葉を補足する溝口。
アザゼル型・ウォーカー、人の生き残りをいたぶるのではなく、眠りについた島の行方を探し続ける悪魔。その個体は周知されていたが、少なくとも二百年は確認されず、ある種その存在を疑われていた個体だった。
二年前にも、勇者部との戦いでも姿を見せなかった存在が、何故今になって姿を顕したのか。
「……郡カズキが暴走した際……同じく島を追っていた二機のファフナーは樹海へ姿を表し、壊滅的な状況へと追い込んだ。それだけでなく、島で眠っていた筈の立上芹も樹海内へと現れ、勇者部の者達へ手助けをした」
島に身を置いている筈の存在。島を追っている筈の存在。
島を追う敵も、島に眠る戦士も四国へ現れた。これが意味するのは。
「おいおい……島が近くまで来てるって事か? だったら、なんだって俺らも敵も捕捉できない」
「天の神の敷いた炎の大地。不幸中の幸いか、コレが島を隠蔽させる一助にもなっているんだろうね」
エプロンを首に掛け、温和な印象を抱かせる老婆が予測を口にする。硬派空気の在る会議室には似つかわしくない人物に見えるが、重ねた年齢に見合う威厳も同時に兼ね備えた人物だった。
老婆――西尾の言へ付け加えるように、麻木が結論を口にする。
「炎に遮られて敵は島を感じられず、天の神は島の力を理解していないからこそ簡単に隠れられる」
「とはいえ今まではそうだったが、いつまでもこのままとは限らないよ。敵だって人と同じで学んでいく……現にバーテックスは、二年前から本格的にワームスフィアを扱い始めたじゃないか」
ふと、会議室の扉が開かれる。
しかし張りつめる空気を弛緩することなく、讃州中学の制服を着た少女が、勝手知ったる様子で室内へずかずかと入室した。
「――――西尾さんの言う通り、敵と天の神の力が混ざり始めている。まだどちらか片方へ纏まる気配は無いけれど、このままじゃ島が捕捉されるのも時間の問題」
ともすれば一番場違いな未成年の姿をした郡千景は、物怖じせず当たり前の態度でそう言った。
「身体はいいのかね」
「ええ、遠見さんのおかげで。……それより、頼みたい事があるの」
郡千景から出るには珍しい言葉に、麻木は少しだけ身構える。
壁外で行われた救出劇。『真壁一騎』と『皆城総士』の喪失、そして『郡カズキ』の帰還。郡千景にとっては重要な事象が起こり過ぎた一日だ。
英雄の喪失を受け入れる時間も、積もった話に華を開かせる時間も必要だと思っていたからこそ、今日はこの部屋に彼女を呼ぶ事は無かった。
そんな気遣いを、郡千景は素知らぬ顔で流す。
「泉に置かれた機体の全て……――ザインとニヒト以外を、有事にはいつでも出せるようにして」
「……理由を聞いても?」
「カズキを乗せるため」
大人たちは驚愕で目を見開く。
今、郡千景はその口で、
現実的な話として、確かに現時点での戦力は乏しく、郡カズキを戦力として数えないものとする場合の戦力比は厳しいと言わざるを得ない。
だが、これまでなら必要に駆られて戦場へと送り込んでいただろうが、もう決して郡カズキを否が応に戦わせる状況には追い込まないことを決めていた。
だから、まさか誰よりも後悔に苛まれた彼女が、郡カズキが戦う事を許容するなどと。
「郡カズキを再び戦わせるつもりなのか、他でもない君が……?」
「カズキという戦力は必須よ。戦わなければ、訪れる終わりをただ待つだけになる」
「これ以上彼が力を使えばっ、ただでさえ少ない時間が更に減っていくのよ!?」
「私もカズキも、それを承知して戦う事を選んでいる」
毅然とした顔で、命を削る行いをあたかも当然のように受け入れている。
「だからってファフナーに乗せるだなんて……」
「存在と虚無の力で戦わせるよりも、エインヘリアルモデルに乗せた方が消耗は少なく済む。彼の時間が延びるのは、色々と都合が良いでしょう」
「もっと素直に言ってもいいんじゃないかい?」
「……本心では、あるから」
内を見抜いた一言が、千景の強張った表情を崩した。
「なるほどあれか、コッチに来たのはカズキと面向かうのが気恥ずかしいから逃げたって理由もある訳だ」
「恥ずかしいとかじゃっ…………ぃ、今更っ……――どうすればいいのか、分からない、だけ……」
見た目相応の狼狽が厳かな空気を緩く解いていく。
実年齢を鑑みるのは不粋だろう。不器用な姉が弟との関係性や距離感に悩んでいる、だとすればなんとも微笑ましい光景か。
「そんなものはこれから探っていけばいい。大事なのは素直な心を確かめ合う事と、確かめる事を怠らない事さ」
「……ありがとう、西尾さん」
以前までなら、外野から見ていれば不安が勝っていた。だが今なら、大切な存在を想って前向きに悩めているのなら、悪い結果にはならないと確信できる。
「……彼と機体との接続テストは必要かね」
「機体側の調整だけしてくれれば、あの子にはそれで充分」
「分かった、速やかに用意させておこう」
ファフナーとは、テストも無しで突発的に乗りこなせるような大雑把な兵器ではない。己の身体と錯覚する過敏な感覚、自分の身体には存在し得ない機械パーツを己の一部とする事の乖離感と嫌悪感、更には変性意識によるメンタル面での揺らぎ。過去のパイロット達はこれらに加えたその他の要素を飲み込み、ようやく適任者となり得る。
大局からすれば些細な点かもしれないが、前提を覆せる人材とは得難いものだ。
「試乗もいらないとは、とんだエースパイロットだなこりゃ」
「ファフナーに乗る者が彼以外に居たとしても、その称号は彼こそが相応しいだろう」
郡カズキは過去とあまりに違う例外的出自ではあるが、それでも前例とは比較できないパイロットとしての素質の持ち主である。全ての事前準備を放り投げ、適正となる機体も定まらないまま機体のSDPだけを指針に選び、ファフナー搭乗の初陣でアザゼル型をいとも容易く撤退に追い込む。
もしも彼が過去に生きたとしたら、英雄二人よりも、遠見真矢以上に、御門零央を凌駕する、歴代を超えた戦果を上げていたかもしれない。
「そんで、千景達はこれからどうするよ」
「カズキとは少し話した。もう方針は決めてあるわ」
やはり彼女は迷いなく言い切る。
「これからそう遠くは無い未来に、四国や大赦、神樹を揺るがす大きな戦いが起こる」
「事前に止めるために動くと?」
「いいえその逆。私とカズキは
耳を疑うべき発言にも、一匙の納得の心があった。
それが島の最後の戦士である彼女の選択なのだとすれば、自分達は受け入れるしかない。
「それは……敵の蹂躙を許すという……っ」
「……ごめんなさい、言葉が足りなかった。私達が望んでいる状況はあくまでも訣別の決戦。民間人の犠牲は一人も出させない」
引き攣りかかった空気が、一斉に音を立てて弛緩していく。
この場にいる面々は彼女と十年以上の付き合いではあるが、相変わらず不器用というか口下手というか、未だに意思を伝えるのが得意ではないらしい。
「訣別……彼へ植え付けられた
「一言で言うなら『怒らせたから』。……派手過ぎるくらい暴れたものね」
決戦――それが始まる故は分かる。
だが訣別とは――言葉の真意は、果たして。
「神のタタリなんてもんを受けてカズキは無事なのか」
「バイタルに異常もなく、神の力による不調も見受けられません。私達の技術の範疇で見るならカズキ君は確かに無事ですが……」
「あの程度の呪いじゃ、存在と虚無の祝福には意味を成さない。あれを通して天の神が出来ることなんて……精々がカズキの位置を特定するくらいね」
神は人に容赦をしない。赦しを与えるか、そうでなければ死滅を強要するかの二択だ。抗おうと決めてもそう簡単に抗えるものではなく、神樹の加護が無ければ人の絶対数は今よりも悲惨な数へと激減していたという予想は容易い。
そんな無情な神へ抗える存在の力。天からの呪いも虚無に帰す力。ともすれば一方的な意志へ同化し尽くさんとする絶対の力。
それが
そして、その先にある――――――――
「……君の言う戦いに備えて、我々に出来ることはあるのか?」
出来るだけの尽力を示せば、二人の負担の欠片くらいは軽くできるだろうか。
しかし千景は首を横に振った。
「機体の調整だけしてくれたなら、訣別の決戦は私とカズキでどうにかするから心配しないで。それよりも貴方達にはその後を見据えていて欲しい」
「その後、とは」
「戦いが終わった後に必要なものがあるから」
それが彼女らの力になるのなら、万全を期して尽くすと誓っている。何を言われようと、その望みを叶えるために奔放するのは戦いを代行させている者としての義務だ。
その覚悟が、一気に驚愕で塗り替わる。
「
「…………可能だ、だが、それは……――――まさか」
今代こそが、その時。
「私とカズキの手が島に届く……その日は、もうすぐそこまで迫って来ている」
三百年を超えて待ち続けた者がここにいる。それを思い、比すればなるほど確かに、もうすぐという語彙が妥当だろう。
心中に溢れる歓喜は果たしていかほどか。それすら察するには計り知れないほど、彼女は幾年と待ち侘びていたのだ。
少し話した後に足早に会議室へ向かった千景を、アルヴィス内通路のベンチで待っていれば、意を決した表情で彼女は言った。
「ごめんなさい」
何が? と。
あまりに唐突に言われたものだから、絶対に言ってはならない返しが喉まで出かかった。
「……」
「カズくんに、ずっと、ずんくんを重ねて……私、カズくんを見てなかった」
隣で座る乃木が、俯きながらこつりこつりと言葉を紡いでいる。
周りのみんなはすぐ傍にいるのに、息を潜めて様子を窺っている。針の筵状態だった。
「……」
「本当に、ごめんなさい」
「……乃木」
彼女に謝られる謂れは、あるのかもしれない。でももしかしたら、園子が抱え込み過ぎただけであり、実際にはそこまで重く捉える必要がもう無い事なのかもしれない。むしろカズキこそ謝るべき責が積もっている気すらした。
だがカズキが謝罪を口にしたところで、譜面通りに受け取ってもらえるかは怪しい。
何よりも、もういいのだ。
「――――19の、半ばまでらしい」
「……………………え?」
「今が14歳で、あと5年弱で19歳。どうしても
隣に座る乃木は唖然として、波紋が広がるようにして周りの面々は一斉にどよめきたつ。
「カズキくん、それって本当に……!?」
「ああ。……元々少なかった二人の命を使って俺の存在を一から創り直したんだ、むしろ思ったよりも多いくらい」
「カズキっ! アンタ……何でそんな平気な顔してんのよ……!」
「嘆く話じゃない。たまたま俺の寿命がそこまでだっただけなんです」
元々からして、普通の人間のように生きることが出来ない上、三年が郡カズキに定められた既定の寿命値。それを思えば、むしろカズキの寿命は延びてすらいるのだ。
アルヴィスの技術の恩恵を受けつつ、日々を安寧として過ごすならば、更に命を延ばすこともできるだろう。でもそれを郡カズキは望まない。
『戦いから逃げない』ことは、郡カズキの選んだ祝福の一つ。その覚悟を捨て去らない限りは、延命など望むべくもない。
「だから、俺はこれから、生きることを全力で急ぐ。自分の事で手一杯になる。誰かを怒る暇なんて、なくなるから」
勿体ないと、思ってしまったのだ。
怒り、悲しむ事に使える時間があれば、その時間でもっと日常を過ごせる。
誰かを憎む情熱があれば、その情熱で身近の世界を守れる。
「だから、なんて言うか……気にされても困る。俺はもう、俺の命に後悔したくないから…………そうだよ乃木、過去に悩むより、みんなとの楽しい記憶がたくさん欲しいんだ」
束の間の日常を過ごし、その後に控える大きな戦いを一つくぐり抜けたのなら、そこから先の時間で郡カズキが欲しかった平和な日常は謳歌できなくなるだろう。
貴重な時間をギクシャクとして経過させるなど、カズキはお断りだった。
「一緒に思い出を作れたなら、嬉しい」
悲観はしないでくれ。同情の心で接しないで欲しい。根までが優しい彼女らには難しいことかもしれないが、それでもそんな風な関係でいられるのは心苦しくてたまらない。
楽しくて、喜ばしい記憶が欲しい。
消滅の今際にも、絶命の激痛の中でも、思い返せばついほころんでしまうくらい、柔和なおもいでが欲しい。
「乃木は……勇者部のみんなは、俺にとって大切な人だから」
そのために、郡カズキは帰ってきたのだから。
「アンタらの家に来たのは二回目だけど、こう、やっぱり趣のある家ね」
「二回目?」
大きめな寸胴へ肉以外の具材を入れていき、火を入れながら疑問で首を捻る。
風を、というより誰もこの家へ招待した覚えはないが、自分とは別用で千景に呼ばれでもしていたのだろうか。
「私たち、千景先輩に呼ばれたことがあったんだよ」
「……ああ、そっか、
「昔ながらの……昭和の温もりを感じる、風情に満ちた良いお家ね」
「『真壁一騎』が住んでいた竜宮島の家に寄せてるらしい」
近代化の固着した周囲の住宅街とは、毛色は明確に違った。
フェストゥムやバーテックスといった脅威の気配の無かった、一番平和な時代を保存するため一環として竜宮島は生まれた。この家が他の場所とは違う安心感を与えるのは、自分だけではない共通認識だったようで、少しだけ嬉しくなる。
「竜宮島……って、確か」
「千景さんが故郷と定めた場所で、俺が辿り着きたい場所」
「あれ? アンタの故郷でもあるんでしょ?」
「……」
少しの間だけ、言葉に詰まる。
けれど大丈夫。その一言を発するのには、もう決意すら必要ない。
「ああ、俺の故郷だ」
「そっか……いつか二人で帰れるといいね!」
「ああ、必ず帰るよ。……会いたい人もいるからな」
「!? ……カズキ君が会いたい人?」
「えっ、まさかのカズキから恋バナの気配!?」
島のコアは、島民にとっては神様も同然だ。その認識はカズキにも覚えがあり、まかり間違ってもそのような俗っぽい意識はしてないのだ。その上何度も助けられた大恩のある相手だ、失礼にも程がある。
そういった弁明をしようにも、この感覚をどう説明したものかを悩みながら、キッチン組は調理の手を進めていくのであった。
勇者部には一時的に席を外してもらって、人の気配が部屋から離れたところで彼は切り出した。
「島に帰ろう」
「決めたの……?」
「ああ、俺は千景さんを島に帰したい。……俺も島に帰りたい。島に会いたい人がいる」
痛みを堪える表情ではない。本心から、心の底から、彼は己から出でる想いを口にしている事がすぐに分かる。
それくらい素直で、素敵だと思える顔だった。
「貴方に、残った時間は……」
「5年弱って、遠見先生は言ってた」
伸びては、いるのだ。最初に郡カズキが目覚めた時と比べれば、数年は命の期限が伸びている――――ファフナーに乗らなければ、もっと長かった可能性もあったが。
自然な動作で、己の鼓動を確かめるように胸へ手を当てるカズキ。その指の付け根にはまだ何も無い。歴戦のファフナーパイロット達には見えた、ニーベルングの指輪の跡は、まだ見えない。ファフナーと幾度も接続した証明は、まだカズキの身体に刻まれてはいない。
島へ帰るのは、指のその証が現れるまで戦い続けることを意味する。そして、おそらく指輪の跡が現れた頃には、カズキに残された時間はもう。
「全部、分かってる」
「そう。……そう、なの……っ」
「……どの道、
アルヴィスの制服をはだけさせて、カズキの肩が露わになる。
忌々しい色をして、爛れた火傷のような悍ましい刻印が、カズキに刻まれていた。
「天の神の怒りが伝わってくるんだ、少なくとも一年以内に戦いは起こる」
「……そう、ザインとニヒトが守ってくれてるのね」
「ああ、身体は大丈夫。……島のコアも、『訣別の戦いは近い』って言ってた」
「――――やっぱり、コアは起きていた」
少しの驚きはあれども、意外とはならない。
乃木園子への接触と言い、境界に揺らいでいたカズキを長時間縫い留め続けた事と言い、いくらコアとは言え目覚めていなければ不可能な芸当だ。
「あの子は、島が目覚めるには俺が必要だとも言ってた」
「それが……貴方の理由?
「違うよ千景さん。俺がそうしたいんだ」
毅然とした顔を表に出して、穏やかを内にたたえて、まるで、まるでそう――真壁さんと皆城さんを見ているようだった。
「俺はもう二度と、俺の命の使い方を他の人には委ねない。俺の命の責任を誰かのせいにもしない。俺がそうしたいからそうするんだ」
「……っ……の、残った、時間をっ、平和の中で使うことも出来るのよ…………!?」
手段はいくらだってある。カズキが日常を望むなら、平和の中で穏やかな日々を過ごせるようにしよう。
必要なら、そのためなら
そんな激情がのたうち回る私の内側も、カズキは柔らかくお見通していて。
「国土亜耶が、俺のせいで犠牲になりかけた」
「っ――違っ、あれは『軍』と大赦が貴方に責任を擦り付けただけ! カズキに非なんて一つも無いんだから!!」
「でもっ、俺には我慢できない!」
堰を切ったように叫んだのは、私とカズキもほぼ同時だった。
「俺にも出来ることがあって! 俺がそれを見ないフリをしたら犠牲になる人が出てくるっ! 俺はそれが嫌なんだ……!」
「カズキ……」
「誰かを犠牲にするなんてもう嫌なんだよ! だってこんなのは、過去から続く悪習だ!!」
島のこれまでを否定する言葉。その叫びに含まれる重みがどれほどなのかを、郡カズキは知っていて、それでも。
それでも、犠牲なんて馬鹿らしいと、カズキは叫んだ。
「郡カズキは何も知らない子供じゃなくなった! 俺は犠牲になった人たちを知ったんだ! もう、死者の上に成り立つ平和の中で笑いたくない!」
「……」
「この世界を
子供みたく――――子供のように、綺麗な願いを叫んでいた。
「それが、俺の戦う理由だ」
「…………私は、カズキに戦ってほしくない」
この叫びが届かない事なんて、カズキの瞳の輝きを見ればすぐに分かる。
分かりきった話だけど、それでも、言わずにはいられない。この思いの丈を伝えなくてはならない。余すことなく、私が彼をどれほど案じているのかを知って欲しくて、あわよくば思い直して欲しくて。
彼の心は梃子でも動かないだろうが、それでも、郡カズキを大切に思うこの心を理解して欲しくて、私達は対話を交わせる。
「大人になる貴方の姿も見れないのにっ……! どうしてっ、なんでっっ、カズキが命を削る姿を、また見なくちゃいけないのッ……!!?」
「ありがとう、千景さん。心配してくれて、嬉しい……ほんとうに、うれしいんだ。でも、俺は戦うよ――――」
「カズキッ!!」
「――――だから、千景さんに助けて欲しい」
揺るぎない表情から一転して、へにゃりとした頼りない雰囲気を表に出す。
「……俺は結局、目の前の敵と戦う事しかできないから、必要な背景とか状況とかは、その、任せたいです」
それは、カズキから聞かされる二度目の我儘だった。弟が姉に甘えるような、些細な所作は命を掛けろとねだってきているも同然で。
一蓮托生になれと、カズキは言った。
「千景さんと一緒に……憎しみも犠牲も無い未来を導きたい、から」
その我儘が、不謹慎なことに嬉しい自分がいるのも確かで。
「あー、あれだ……その、さ……率直に言って…………千景さん、助けてください」
その声が、ずっと聴きたかった私がいる。その声を、吐き出して欲しかった自分もいる。その声に、応えたかった自分がいるから。
絶対の決意表明に抗う自分だけど、根負けした音が心の底で聞こえた気がした。
「ところで、本当に私達まで一緒でよかったのかしら」
料理を作り終えるまであと少しと言える頃、ふと気になった事をカズキ君へ聞いてみた。
「……迷惑、だったか?」
「そんなこと無いよ! ……でも、二人きりで話したいこともたくさんあったでしょ?」
対話を求めながら対話のすれ違った二人だからこそ、これまで以上に仲良くなってもらいたいと願うのは友としての
「……二人きりで何を話せばいいのか、分からないんだ」
「うん、だと思った! ……まっ、カズキらしいっちゃらしいわネ」
「カズキ君は、先輩と普段はどんなお話をしていたの?」
「は、話……はなし、か」
灰汁取りの手がピタリと止まる。
視線は虚空で停止して、記憶の泉から該当するものを探り当てようと、必死に思考を巡らせているのだろう。そうした無言が十秒は経過した辺りで、実は私も風先輩も友奈ちゃんも、ある程度察したのは言うまでも無いだろう。
されど友だ。戦場も共にした戦友であるのなら、せめて打ち解ける為の取っ掛かりくらいは見つけてあげたい。
手の動きが再開して、カズキ君は意を決して話し出した。
「……特には」
炊飯の火加減から一瞬目を離せば、風先輩と友奈ちゃんも私と同じように、戦慄の視線を集中させている。意を決してこれか。
特には、特にはときたか。しかもその後に続く言葉がまったく出てこない。きっと口下手な彼は言いあぐねているのだろうそうに違いない。或いは、無いとは思うが、もしやその閉口こそが答えなのか。流石にお互いが談話を得意としていないとはいえ、二年も共に暮らしておいてそんなまさか。
そこまでの重症とは疑いたくはないが、しかし不器用の結果として、
呆れはするが見捨てはすまい。活路を見出してあげるべく、まずは彼から情報を探っていこう。
「ご飯はどっちが作っていたの?」
「基本的には俺が。作れない時には千景さんに作ってもらってた」
「ほほう! なら千景にとっては、久しぶりのカズキの手料理な訳ね!」
「……やっぱりお邪魔虫な気がしてきたよ」
「むしろ居てくれないと困る」
浮かない表情の彼は、浮かない表情のまま正確な目分量のスパイス粉を鍋へと入れていく。
カズキ君と再び食卓を囲むこと、それは千景先輩にとっては待ち侘びていた時間であるのは疑いようがない。ただ再開の祝いとして私たちが加わる以上は、特別感はどうしても薄れてしまうだろう。
当の本人達からから招待されたのは、なんとも納得できる不器用な姉弟だ。個人メッセージで全員が二人から別々に、こっそりと呼ばれたのはちょっと笑ってしまった。
「趣味で距離を縮めるのは基本……となればゲームなんてどうかしら」
「ゲーム……やったことが無くて、どうすればいいのか」
「んなもんは難しく考えず、一緒にやってみないかって誘えばいいのよ。ご飯の後にでも試しに聞いてみなさいな」
流石は部長、或いはこれが年上の功か。有力な解決の手立てをあっという間に思いつく。
「……千景さんは、一人用のゲームしか持ってないらしくて」
「あー……でもでもっ、二人で遊ぶのが重要だから!」
「そうね、カズキ君から寄り添えば、きっと千景先輩は優しさで応えてくれるわ」
「? あの娘、パーティーゲームも持ってる筈だけど……」
「「「えっ」」」
キョトンとした顔をした風先輩が、可愛らしい声で全然可愛らしくないことを呟いた。
それが真実ならば、とんだ爆弾を放り込んでくれた先輩だ。
「一緒に遊んだこともあったし、確かだと思うけれど」
「俺の前だと、ずっと一人用……で……」
「……さ、誘い辛かったのはお互い様だったものね、仕方ないことよっ」
「千景さんは、一人用しか無いって……言ってたな……」
「きっと何かの言い間違いで! 訂正するのを忘れちゃったんじゃないかなぁ!?」
そのっちへ過去は気にしないといった風な宣言はしていたが、やはり事が千景先輩ともなれば話は別なのか。ちゃんとした対話を交わして蟠りをほどけたなら変わるのだろうけれど、そういった形の儀式を通していない今では、やはり不安等が勝ってしまう。
それもその筈、郡カズキという少年は、この世界へ産まれ落ちて三年も経過していない。
精神など未熟であって然るべきなのだ。
「千景ぇ……あの娘ってばどんだけなのよ」
「似た者姉弟だね……」
「微笑ましくはあるけれど……」
前々から薄々勘付いてはいたが、二人の関係性が拗れた原因には、間違いなく千景先輩の対応が大きな起因となっている。今日この日に改めて自分はそう確信した。
「ま、まあほら、千景もとびきりの不器用なんだし、悪気があって言った訳じゃないってのは分かるでしょ?」
「……」
コクリと、力なく彼は頷き。
摩り下ろしたリンゴを混ぜた蜂蜜を加えて、お玉で寸胴をかき混ぜながらポツリと呟いた。
「……一緒に、遊んでくれるのかな……」
不安をこそばゆくなるくらい、ひそやかなささやき声で吐露した姿を見て――――友奈ちゃん、風先輩、そして私にも共通し、共有できる感情があった。
なんだこの子犬は。
極限状態では彼に守られていたのに、日常の中では一気に庇護対象にしか見えなくなってしまう。実年齢がそうさせるのか、もしくは持ち前のナニカがあるのか。確かに目を離せない、目を離してはならない存在感は前々からあったが。だとしても、彼の中でどこがどう変わったのか語句にするのは難しい。
でも、彼は変わったのだ。
少なくとも、こんな風に内側の弱みを見せてくれるくらいには、何か決定的なものが変わっている。
「――ぜったいに千景先輩も喜んでくれるよ!」
「もしも断られたりしたら私達からお説教ですっ。ねっ、風先輩」
「すっ、スーパーギャップ男子……!!」
そうして、カズキ君の得意料理――通称、カズキカレーは完成した。
彼のこぼす弱音は未知の知見だ。心休まる場所を探し続けた彼が、私たちの傍で心境を開き見せてくれるのは、自分達がその居場所の一つになれたという事なのだろうか。
きっと、そういう事なのだと信じたい。
彼の隠していた顔を、もっと色々な種類を見ることが出来る。これから先に、私達はそうした時間を進んでいく。彼の求めた時間の中で、私達は彼との時間を紡ぎ続ける。
それが今の私達に出来る祝福であることを、信じたい。
居場所を愛し、
居場所を壊されない為に戦い、未来への切っ掛けとなる出来事があった。
憎しみの未来を拒む為に、未来への希望を生かす旅路があった。
――――そして――――
未来を夢に見て、
居場所という
――――これから始まるのは――――
望んだ未来を求め、希望へ繋がる道を探す旅が始まる。
犠牲を拒みたいから戦い、命を使い、その果ては砕け散る定めなのだろう。未来を作る為に斃れる自分は、その実、自分が嫌った犠牲に他ならない。
それを知りながら、これを最後の犠牲にするために。
最後に遺された英雄の、最期の時間が始まった。