郡カズキは英雄である   作:真の柿の種(偽)

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こっからは爆速


一瞬の声

 さらさらと、緩やかに落ち葉が足元へ流れていく。

 それを避けるような意識を持たずとも、ただ歩くだけの風圧で後ろへと流される。既に墜落していた茶色の枯葉の上へと、その一枚が仲間入りをした。かさりと静かな音が鳴り、心で涼し気な風がそよいでいるような。

 今は冬だ。冬なのだけれども、その一連を眺めているだけで、心が温かくなったような気がした。

 落ち葉の行く末へを見送って、前へ進んだ。

 一歩踏みしめるのはしっとりとした柔らかさ。もう一歩差し出せば、落ち葉の割れる小気味よい音。穏やかさだけを受け取らせるのは、世界から鳴り響く優しい合奏曲。

 土の上を歩いていく。

 それだけで、心が潤うような。

 

「……ほぅ……」

 

 己が吐いた息の白さすら、清廉なものに見えてしまう。

 見える世界の印象は、以前から、依然として変わらない。だというのに、

 澄み渡る空気を取り入れているから? 冷たい空気の隙間から木漏れ日が暖めてくれるから? 瑞々しい色彩を認識して、この手はその温度に触れられるから?

 日常を取り戻せた奇跡、ここに至るまでの軌跡。全てを踏まえて、(たっと)い事を知ってるから。

 それが、例えば己の中の救世主(ザルヴァートルモデル)にすら比肩する希少性なのだと知っている。

 

「俺は、本当に」

 

 憎しみに身を浸していた瞬間は暗く、冷たく、深淵に沈んでいるようだった。

 水底へ友達が届かせてくれた光は、直視し難いくらいに眩しかった――――その眩しさの向こう側にある景色が、今だ。

 土の香りがする。落ち葉を踏む感触が足へつたう。根を踏み越える実感がある。森の中で息を切らす。雲の色は清らかで、蒼の天井が心を雅にさせる。

 耳元から聞こえるような気がする友の声も遠い。それくらい今の自分は、今を生きている世界へ心を委ねている。

 自分は、己は――――郡カズキは、ここにいる。

 

「こっち側に、いるんだ……――――――――いてっ」

 

 あまりにも無防備なカズキの額に、オレンジ色の小粒が、どこからか飛来してきた。

 足元へと落ちていくその一粒を、極まった動体視力が確と捉える。

 それは、いわゆる、BB弾と呼ばれる物で。

 

「敵の大戦力を撃破ー!」

『何を敵陣ど真ん中でボケっと突っ立てんのー!!』

 

 依頼主の叫びと、我らが大将たる勇者部部長の黄色い叱責が、インカムから耳へと突き刺さった。

 ああ、そういえばそうだった。

 

『アンタの戦術眼も頼りにしてたのに!!』

『我々の一番槍が討ち取られた!? そんなっ、カズキ君……!』

『すぐに戦線を立て直すわよ! 郡の抜けた穴は私が埋める……!!』

『おっし、そんじゃアタシも行くぞー!』

『かたき討ち~、突撃だ~』

 

 日常の中で、郡カズキはいつも通りを過ごせている。

 戦いだけを存在理由と定めていた郡カズキは、安穏の延長線の上にいる。

 ここにいる。その意味を今更に思い出すような事すらなく、ありのまま、己がままに、郡カズキはここにいる。

 

「この後はどうすればいいんだ……?」

『先輩は私と一緒に、敵の本陣で観戦ですよー』

『カズキくんと樹ちゃんの分まで頑張るからね!』

 

 むんっ、と可愛らしく意気込んだ様子が、インカムで送られてくる。

 それを聞きながら、彼方に在る青空色の天井を仰ぎ見る。

 時に身を任せて流れていく空模様。相も変わらず雄大で、美しいのだと直感で理解のできる一枚絵。

 そうして身を振り返れば、サバイバルゲーム、略してサバゲ―と呼ばれるレクリエーションに、勇者部一同で参加している真っただ中だった事を思い出した。

 

 

 国土亜耶の救出、そして郡カズキの帰還と、四国の行く末を左右する出来事が起こったその日から、劇的な変化が起こるかと思われていた。

 

「平和ですねぇ……ふへぇ……」

「ああ、良いことだ」

「テントの中……暖かいですねぇ……」

「ああ、良いストーブだ」

 

 事実として、何かが変わるための要因は十二分に揃ってはいた。

 

「ハーブを使ってクッキーを作ってみたんだ、味見を頼めるか?」

「いいんですか? ありがとうございます」

「ハーブティーもあるぞ」

「おー、ぜひともいただきます」

「冷たい方と温かい方、どっちがいい?」

「魔法瓶の二つ持ち……!?」

 

 国土亜耶(生贄)の奪還及び、楠芽吹の裏切り。天の神のタタリ。郡カズキの帰還。加えて発覚した、外の炎の勢いが増しているという現状。

 四国内にせよ、壁の外にせよ、何かしらの目に見える程度には大きな変化が在るものだと、カズキ達は身構えていた。

 けれどもその実、何も変わり映えた出来事は何一つも無かったのだ。

 タタリは未だに染み付いて、弱まりも強まりもせずに沈黙を保ったまま。郡カズキの所在の如何も、以前と同じ扱いへ収まり、大赦からのアプローチは不気味なくらいに少ない。壁の外の炎は、唯一の切羽詰まった問題だが、それに対する対症療法とて、ちょうどこないだアルヴィスの皆々が思いついてくれたのだ。

 楠芽吹と国土亜耶の二人と言えば――。

 

「あの二人はどんな様子ですか?」

「元気だよ……うん、元気……? だよ」

「……何事もなくって訳にはいかなそうですね」

「犬吠埼は鋭いな」

 

「先輩の反応で分かっちゃいます」と言いながら、仕方なさそうに苦笑を見せる、勇者部の期待の後輩だった。

 

「事あるごとに、その、楠と千景さんがぶつかるんだ」

「あー……それは、目に浮かびそうです」

 

 直近の記憶を遡れば昨夜、夕飯の些細な味付けの違いを因縁として、我が郡家の卓袱台をガタゴトと鳴らす話し合いをしたところだ。家屋を揺るがす大咆哮が轟く! ――とまではいかないが、間近で見ていれば、両者の挟む空間が軋みを上げる幻聴くらいは聞こえてきそうな重圧はあった。

 そんな諍いが、三日に一度くらいは巻き起こる。

 

「二人とも頭が良いから、口喧嘩のレパートリーも多くてかなりの迫力があるぞ」

「それは……何とも、ですね」

「見応えは抜群だな」

 

 されども二次被害が降りかかる可能性は否定できない。かく言うカズキも、何故か高頻度で巻き込まれるのだ。その度に国土が間を取り持ってくれるが、それが返って楠の逆鱗を逆なでる結果へ繋げるような光景も、ままあったりなかったり。

 そんな千景と楠によるディベート大会も、楠にとってのガス抜きとなっているのだから、無闇に『喧嘩はやめろ』とは言えない。

 

「ストレス発散にはちょうど良さそうだ。……楠は、少なくとも喧嘩が出来るくらいには元気ってことだな」

「それを元気って言うのは、ちょっとアレかなとは思いますけど」

 

 共同生活が始まってから知ったが、楠芽吹とは、頑固さはもちろんの事、存外にも図太い一面があるらしい。適応できる環境を己の手で作り出そうとする気概がある分、問題視の必要性は無いのではないかというのが千景の見解だ。

 その言も千景の苦々しい顔を思えば、皮肉の可能性も否めないが、それはともかく。

 楠芽吹には問題は無さそうだというのが、今の程の結論。

 

「問題は……」

「……先輩?」

「…………」

 

 問題として上げるべきは、国土亜耶の方だった。

 

「……国土は、根っからの()い子だから」

 

 仲は非常に良好、そうだ、良好なのだ――――『()()()()の後始末』に使われた彼女は、()()()()と非常に良好な交友関係を築けている。

 結論として、国土亜耶という少女は、誰かの代わりに()べられようとも、その誰かへの恨みを驚くほどに抱かない善人だった。これは奉火祭の祭壇である黒球の内から救出した際に、楠と国土も諸共同化した経緯もあり、知ってはいたが。

 純白とも言い切れるほどの穢れの無さ、或いは無垢さは、誰しもが持ち得るものではない。その得難さは、人が人である限りは究極を極めていると言っても良いだろう。

 例えば善良に溢れる勇者部とて四国有数の優しい者達だが、その心が悪徳と絶対的に乖離しているかと言われれば、そうではない。

『善性に満ちていること』は『悪性を孕んでしまうこと』と矛盾せず、二元論を唱えてサッパリと二種類で分けられるほどに、人とは単純じゃない。だから彼女らも誰かを恨む可能性はあるだろう、妬む意志も、憎む感情も、嫌う行為も、絶対にあり得ないとは言い切れない。

 だからこそ国土亜耶の、まるで善以外を知らないような純粋さは、極めて希少だ。大赦が三百年前から作り出した、四国の平和に満ちた空気感、その極致の現れとも言えるだろう。

 しかし、だ。

 

「今度遊びに来てくれ、きっと犬吠埼も仲良くなれる。……それか、勇者部に連れていくよ」

「はい、その時を楽しみにしますね!」

 

 透明な水には、色を移しやすいように。

 真白い画布へ、絵を描きやすいように。

 無垢な雛鳥が、親を定めやすいように。

 国土亜耶の価値観には、大赦への――――いいや、これは正確ではない。

 国土亜耶の心には、神樹への信仰が強く根付いている。

 彼女の器に見合った大きな心は、そっくりそのまま信仰心へと繋がっている。それは、彼女の心を偶然にも覗き込んでしまったカズキから見て、危機感を覚えるほどに、広く、深く、大らかなモノだ。

 

「ん?」

「あ、友奈さん」

「いやはや、結城友奈、やられてしまいましたー!」

 

 そんな彼女からすれば、今の立場は。

 大赦を裏切るという結果に繋がっている今現在は、彼女へどれほどの精神負荷を与えているのだろうか。

 

「結城は、クッキー食べるか?」

「クッキー! 食べます食べます!!」

「ハーブティーは温かいのと冷たいの、どっちだ」

「なんて準備の良さ……! これが風先輩の言う女子力……?」

 

 かと言って、元居た場所へ今のまま戻す訳にもいかない。

 奉火祭の贄に選ばれた彼女は、捧げるに足る巫女であることを示している。そんな彼女が大赦の元へ戻ったなら、奉火祭の焼き回しがまた始まるだけだ。そしてそれを楠は許しはしないだろうし、同じく勇者部も、カズキも見逃すつもりがない。争乱の種にしかならないのなら、現状維持以外に選択肢は存在しないだろう。

 このまま今の状態を放置していても、代わりを見つけて儀式の再開でもしかねないのが大赦という組織だが、国土亜耶の穴を埋める事のできる人材が、そう易々と見つかるとも思えない。数を揃えて穴を埋めるという荒業へ踏み切る可能性は、今回の奉火祭で()()()()()()()()()()()()()()()()点を鑑みれば薄い線だろう。

 ついでに言えば、大赦内でのパワーバランスの問題もある。奉火祭という『社』にとって一世一代の策も、内部からの反逆者を起点として崩壊した。これを『軍』の『鉄の女』が見逃す事も無く――イーブンだった発言力は『軍』へと偏りつつあるらしい。

 要するに現在の大赦は、巫女が不足していれば権威も不足した状態にある。

 そんな中で国土を戻しでもすれば、これ幸いと業火の中へ放り込むことは想像に難くない。

 

「それで郡くん、芽吹ちゃんと亜耶ちゃんとはどうかな、順調そう?」

「ちょうどその話をしてました」

「楠は千景さんと仲良く喧嘩してるし、国土は優しいいい子だよ」

 

 二人といるかも定かではない稀有さを持つ、悪性を知らない少女。

 友へ降り注ぐ理不尽へ憤り、世界を支配する者へすら怒れる、知る限りは一番人間らしい少女。

 

「へぇ~、それでそれで?」

「何より二人のお陰でうどんのバリエーションも増えた」

「おおっ! それは何よりも大事だよ!!」

「先輩っ、いったいどんなレシピを……?」

 

 カズキの憎しみが利用されていたのは知っている。カズキの憎しみですら、策謀によって膨らまされたことも理解している。千景からも、勇者部の皆からも、カズキは被害者の側であると言い聞かせられて、ある程度の納得は出来ている。

 だが、この発端がカズキの責であることは明確だ。

 

「カルボナーラうどん、ペペロンチーノうどん、担々うどん、油うどん、他にも色々と……今度、教えるよ」

「はいっ、よろしくお願いします!!」

「じゃあ私は味見役に立候補します!」

 

 手をピンと伸ばして、元気の良いお手本のような挙手を見せる結城。曖昧な予定へ向けて、握りこぶしを掲げて意気込む犬吠埼。

 ああ、平和だった。誰にでも与えられて然るべき光景だ。漫然と死に行く末の中で、平和であろうとし続けたこの世界に相応しい暖かさだ。

『防人』と『巫女』、平和から切り離された非日常の住人の象徴が張り付いた二人だが――それでも関係なく、この平和は、誰にでも手に取って触れることのできる権利があるのだ。

 それが出来るように、郡カズキはそうしたい。

 カズキは楠に滅法嫌われて、取り付く島もない。もう片方に至っては――これからカズキが、国土の価値観にある根本をぶち壊そうとしていても。

 ()()()()()

 可能とするだけの力があるから? そうしろと誰かに言われたから? そうするのが楽だから? 以前なら不甲斐ない話だが、この内のどれかか、複数か、或いは全てだったか――――どれも、今は違う。

 そうしたいから、そうする。他の誰の意見も介在しない、自分の想いを貫き通すためにカズキの命は動き続ける。

 

「郡くんの新うどんかぁ~、楽しみだなぁ」

「でも千景さんの方が完成度は高いし、見栄え一つ取っても相当だ。俺の数年間の結晶が相手にならない」

「流石のカズキ先輩でも、千景先輩相手だと年季が違い過ぎましたか……」

「あまり作りたがらないのは玉に瑕かもな」

 

 平和を謳い、友を想い、死闘へ臨める強い心を持つ。そんな少女達が、いつか目にできる日を。

 その雲の美しさを、その海の輝きを、その太陽の温もりを、その世界の真髄を。

 いつの日か、いつの日か――――()()()の、柔らかさを。

 翳ることなく、本物の蒼穹を見上げられるように。

 

「そういえば、千景先輩はどうしてるの?」

「あの人は冬に弱いから、部屋に籠ってるよ」

「なんだか猫みたいですね」

「炬燵で眠ろうとするのは勘弁してほしいけど」

 

 

 まるで、ゴルディアス結晶の複製品みたい。

 そんな感想も、全てを知ってからやっとこさ得られる知見だ。

 

「島に存在()()()()モノとは違うんですよね」

 

 天井を見上げて、しんしんと紅が降り注ぐその空間を俯瞰する。

 此処へ訪れたのは、この世界へ戻ってきた日以来だ。あの日よりも成長した結晶の林は、その煌びやかな落ち葉を散らし、ともすればやはり、雪のような静かさと厳かさで、カズキを歓迎した。

 

「そう。島から離れて、真壁さんと皆城さんが眠ってから突然現れた、コアの結晶体」

「引き起こる現象は、殆ど島のモノと変わらない」

「超次元現象――SDPの引き金、か」

「これが無くては、戦士として戦い抜くための力が足りなかったから、その為の」

 

 誰かがいなくなることで体積を増していく。敵も、味方も、命が失われた分だけ積み重なっていく。

 翡翠だった色は赤へと濃く、高さはファフナーの全長へ届きかねない大樹へと。

 そうして成長していく。体積を確かに積み上げていく。その目的は、超次元現象(SDP)の発現と強化、加えて。

 

「記録の、保管」

「誰かが消えても、その誰かが()()証は必ず残る。……此処は、その為の場所でもある」

 

 みんな、ここにいる。

 目を瞑れば、その姿が列を成しているような、幻視が――――。

 

「――――」

 

 同じ顔をした、男の子。違う顔をした、けれどよく知った顔の、男の子。

 存在(ザイン)虚無(ニヒト)か、どちらかを手にした者達は、役目を終えて、ここにいる。

 

「……感じる?」

「――はい、感じます」

「そう……ここに、いるのね……」

 

 維持の為に、消耗の為に。潤滑の為に、円滑の為に。

 守護の為に、攻勢の為に。殲滅の為に、庇護の為に。

 政略の為に、人類の為に。神樹の為に、竜宮島の為に。

 戦いを終わらせる為に――――未来へ届かせる為に。

 生まれた命が此処に集い、積み重なって群れを成している。無為に消えたかのような末路も、無意味な命と断じられた結末も、怪物と迫害を受けた過去も、ここにいる。

 虚無へ混ざった怨嗟の声も、存在へ溶けた悲痛の涙も、無駄ではなかった。

 

「あの子達の命は、カズキの力になってくれている?」

「もちろん。育った力が一つになって、俺があるって、今なら分かります」

「……きっと、この先も、貴方を助けてくれる」

 

 その証明が一つの結実となって、現在の背中を押してくれている。だがもう一つの事実を、千景は認識していないようだった。

 

「千景さんの事も、助けてくれてますよ」

「え……?」

「だって、だから千景さんは、SDPを使えるんでしょう」

 

 島の戦士たちが用いた超次元現象とは、ゴルディアス結晶を発端として発現した力だ。そしてゴルディアス結晶の成長に伴い、力もより大きくなっていく。

 つまり、SDPを使うにあたって、ゴルディアス結晶に当たるナニカは必須なのだ。

 そして、島に存在していたゴルディアス結晶は、今は――――――――だから、千景がSDPを使うには相互となるナニカが必要だ。

 カズキは、きっと、()()()()なのだと確信している。というか()()以外にあり得ない。此処に集い、積もった者達の出自を思えば、此処の者達の拠り所であった存在を想えばこそ。

 

「千景さんが見守ってきたみんなが、千景さんの力になってくれているんじゃないかな」

「…………そう、なのかしら」

 

 別段、所以など正直なところどうでも良いのだ。使えるモノは使える。間に合わせでも、残滓だとしても、今この瞬間に力として振るえるのなら、それで充分だ。

 だが敢えて、理屈めいた話をこじつけるなら――そのこじつけ一つが納得できるものなら、彼女の心の安らぎの一つに加えることもできるのではないかと思った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。なら、千景さんの扱うSDPはどこから来ているのか……推測でしかないけど、此処のモノが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「だって、みんな、千景さんのことが好きだったから」

 

 ニヒトを通じた怨念、その根元に溢れたのは、繰り返す地獄からの解放。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな想いを束ねて混ぜ合わせ、世界への絶望を少しだけ足して、煮詰めた結果に出来上がったのがあの激情の坩堝だ。世界を壊すことを是と判じれるほど、千景は想われていた。これは紛れもなく、彼女自身が認め難くても、どうしようもないくらいの事実なのだ。

 

「そう考えるのも、素敵なことだ」

「でも、私は…………だとしたら、その信頼を……私は……」

「……」

 

 これ以上は口を一度閉じる。彼女の中の罪悪感は、それはもう、三百年分くらいには大きい。溶かすには時間が必要だというのは、それこそ分かり切った話だ。

 ――ともあれ、この力は莫大なモノ。ともすれば竜宮島に存在()()()()ゴルディアス結晶と比べても、大きく凌駕する強大な力。全てを使い尽くせば、それはもう果てしない力だ。質も量も、()()()に負けることなく、劣ることもないだろう。

 ザルヴァートルモデルという、神すら凌駕しかねない存在が積み重なった結晶群だ、当然と言えば当然の話。

 

「……()()()()()()だなんて、絶対に言わない。けれど、カズキの命は、とても大切だという事を……」

「分かってます」

 

 カズキと口を開けば、五回に三回ほどだろうか、とかく千景はカズキを心配したがる性分なようだ。

 これまでがこれまでだったのだ、不安にさせてしまうのも仕方のないことだろうが。

 

「俺の命は、俺のモノだ」

「……」

「でも、だからって雑に扱ってたら、色んな人を悲しませるって知りました」

 

 ()()()に言われてしまえば、従わざるを得ない。

 頭が上がらないなんて程度ではない。尊敬だなんて言葉では足りない。英雄が優しく受け取らせてくれた教えには、それだけの価値がある。

 それに、理由はまだまだある。

 

「俺はもう、千景さんに悲しい顔をさせたくないから」

「……カズキ」

「何度でも、ただいまって伝えたい」

 

 煌びやかな紅が降り注ぐ。

 静かに、厳かに、戦士と英雄の墓標として、相応しい空気を作り出している。

 

「俺、千景さんと食べるご飯、結構好きなんです。千景さんに作るのも、作ってもらうのも、どっちもかなり好きですから」

「……」

「だから、必ずあの家に帰りますよ」

 

 そして、今のその場所は――――今世の英雄を送り出す、船出の港と称するのが相応しい。

 それを思えば、この血のような結晶雪も、誇らしいモノに見えてくるのではないだろうか。

 

「いってきます、千景さん」

「ええ、いってらっしゃい」

 

 肩部と、脇腹から腿へ掛けて大きく開いた穴に、『泉』の静やかな空気が触れている。

 ()()()()()()()()()()()()と呼ばれるこの衣装は、着づらいという事は全くないが、肌面積が多いせいか、ある種の居心地の悪さを醸し出す。それでも急く心のままにファフナーへ乗り込まなかったのは、『ファフナーへ乗る』という行為を何も言わずに実行出来なかったからだろう。

 何も言わずに戦場へ赴き、何も言わずに帰ってくる。そんな無情なすれ違いが御免なのは、何も千景だけではないということだ。

『泉』の通路へ差し出される形のコックピットブロックへ座り、そのシャッターが閉まった。

 その間際に見えたのは、紅と翡翠の明かりに照らされた、千景の憂いた瞳。

 どうせこの数分後には、再び会話を交わすのだ。別段、今回の出撃はカズキ単騎で駆ける訳でも無く、命を懸けた大決戦へ赴く訳でも無い。単に壁の外で施す作業があるだけのこと。しかも千景も付いて来てくれるという。一世一代の別れのような言葉など、交わしてどうするというくらいには大げさで。

 

「……そっ、か……」

 

 だけど、言葉を交わさなくては、伝わらない想いもある。

 視線を交わして、言葉を交わして、その意志を真っすぐに向けてこそ、朗らかな心で受け取れる想いは、確かにあるのだ。

 

「結構、嬉しいんだな……俺……」

 

 気恥ずかしさなんて感じない。

 ただただ、その気持ちがどこまでも嬉しかった。

 千景さんがカズキを想い、言葉を交わしてくれているという事実が、たまらなく嬉しかった。

 フワフワとした浮遊感は、果たして気分の高揚によるものか、はたまた機体へとコックピットブロックが収納されるが故のものか。前者の方が、きっと、カズキは今以上に嬉しくなれる気がした。

 暖かい胸の内を楽しみながら、赤透明なジェルに秘された指輪へと、カズキは指を差し出す。

 密接した神経と繋がり、機体情報が脳裏へと伝わっていく――寸前に、肩部と腿部へ、機体とカズキとを繋ぐユニットが叩きつけられた。

 

「いつっっ……」

 

 神経へ直接針を打ち込む痛み。前回よりも痛かったような気がしたのは、気が抜けた思考でいたからか。

 痛みを切っ掛けとして、機体とカズキの意識が重なっていく。

 いの一番に視界が開けた。この次に指先、足、腕と、自分のものではない機械的な生体部品を知覚していく。

 

「……よしっ」

 

 同調を終えた機体――Mk.Zwei(マークツヴァイ)――――グリムリーパー(カズキ)の視界には、胸元を服ごと握り締めて、グリムリーパー(カズキ)を見つめる千景の姿があった。

 その服は未だに中学の制服のままで、装束へ変身することも忘れたような様子だった。

 つい声を掛けそうになるが、千景はカズキが思うよりもしっかりとしている。『泉』からグリムリーパー(カズキ)の姿が消えれば、自然と意識を切り替えるだろう。

 機体の背後が開き、グリムリーパー(カズキ)が運ばれていく。

 グリムリーパー(カズキ)の姿が見えなくなるまで、優しい銅色の瞳は見守り続けてくれていた。

 

「――――っ」

 

 あまりの嬉しさで込み上げるモノがあったから、感情を急いで落ち着けるように努める。

 感情が平静へと落ち着けたのは、クロッシングが繋がった瞬間の一二秒前だった。ギリギリのところだった。かなり危なかった。

 危うく『泣いてるの?』だとか言われかねないところだ、回避できて本当に良かった。




やる気しかない
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