先輩に話によればバーテックスは全部で十二体。バーテックス=フェストゥムと呼ばれる十二体を打倒すれば世界滅亡の波は止むと、そう言い聞かされた。ならフェストゥムは?
『フェストゥム:グレンデル型』
黄金の波が、木々の隙間から姿を現す。
樹海化の世界に紛れるとは言えども、そのサイズは人と比べれば大きい。しかしサイズに比例するように、その脅威も確かに減ってはいる。
『東郷さんそっち行ったよ!!』
『任せて!』
一発の銃声が鳴り響けば、戦場から敵の数はそれ以上の数が減る。
だが効果は薄い。こうしている間にも、敵の数はそれ以上に増えてしまう。
「……ッ!!」
一点へと目指す進路上を塞ぐ、人の手を醜く加工した姿の三体の異形。
根を滑り落ち、より近くへ進まんと大きく跳ぶ。
「らぁっ!!」
矢継ぎ早に飛び込んできた異形と交錯しつつ斬り飛ばし、着地と共に上から飛び込んでくる群れを十の肉塊へと移行させる。
背後で発生するワームスフィアは、今がしがた為した撃墜を知らせる。しかしそれの意味が薄いことは、視線上にて産み落とされる同個体の姿でよく分かる。見ればなおさら急ぎ足で、大地と相違ない根を駆けていった。
『フェストゥム:アルテノヘルス型』と、そう冠される群れの頭。異形を統括する、群れの核と目される個体。そいつを確かに目的地へ据えながら、そうした時も四体目、五体目とキルスコアはグングンと伸びていく。
『また吐き出したわよ!!』
『際限がないですね……やっぱり後ろの、ある、ある……てのへるす型? ……奴を討たないと……』
『その後ろにも届かない、よね』
更に四体のスコアを稼ぎながら耳をすましていた東郷の提案に、全員が可決の意を示している。
群を従えて、その更なる後方から着実に歩を進めていく、『バーテックス:フェストゥム』。
初襲来が一体だったのを考えれば、あれが一番楽な戦闘なのだろうと思う。前回も踏まえれば、今後は二体以上の同時襲来が確定だろう。
矢と反射板による陽動、から不意の刺突といった連携。戦術、まだ単純で稚拙でもあるが、そんな意志を感じる。
――思念に呑まれていた際に流れてきた、
バーテックスは、フェストゥムは、自然による絶滅の装置ではない。人は自然の暴威を目の前にしたときは怨嗟をすることなく、祈り、決意し、乗り越えようとする。本当にただの自然現象なのだとすれば、世界を滅ぼさんとする憎しみは生まれない。
敵に戦う意志があるのなら、その意志の持ち主は何処にいる。その者を打倒すれば戦いは終わるのか。それともこの戦いに終わりは――――その疑問を抱くには、まだ早いと奥底が告げる。本当に戦うべき敵は、一体何処に。
疑問は、一度置いておこう。
「なら、俺がやる」
『っ……で、でも』
結城から感じる、押し込もうとして漏れ出た恐怖に気付かないようにしながら、向かってくる異形を切り裂き跳ねる。
「奥の奴とアルテノヘルス型に挟まれる形になれば、みんなとの挟撃も可能になる」
『先輩が囮になるってことですか!?』
「ああ、俺を使って一番厄介なヤツを倒してくれ」
どのみちこのままでは、物量によってジリ貧だ。打開するなら多少のリスク程度は踏み越えていけるくらいでないとこの先に待つ本当の敵には届かない。
『…………任せてもいいのね……?』
「はい。……抑え方も、教えて貰いましたから」
『……ならよし! 死なないこと、暴れないこと!! いいわねっ!?』
「はい。……――――いくぞっ!!」
右手の武器を目の前に塞がったグレンデルへと投げ刺して、軽く握り込んだ左手には紫電をかき集める。
その色を見て、息を呑む感情が
そんな心配も杞憂なのだと宣言するかのように、右手には翡翠に輝く命の色。集った結晶は弾けて、その手は清廉に白く武骨な槍を握りしめた。
――その力は二つで一つ。
故に扱いきれないのなら、同時に使えとの教え。
――どちらかが欠けてもダメ。どちらかが強すぎても、強い方に喰われてしまう。
存在と虚無。二つを備えているのなら、偏らせてしまえばカズキの中での均衡が崩れると。
――その二つを許容することのできる貴方は、奇跡の存在なのだから。
だから戦うのなら、常に二つで一つを心掛けるようにと、そう意気込んだ。
紫電を握った左手には、常識外な熱が宿り、ほのかな痛みを確かに感じる。
柄を握った右手は、暖かな結晶に包まれ、溶けたように境目が消えていく。
これが均衡。痛みが自分をそこにいさせて、調和が世界と自分の境界を曖昧にさせる。
『それが、貴方の祝福なのだから――――』
「邪魔だ」
グレンデルの群れを紫電が十、二十と焼き払えば道は僅かに通る。
小さく開いた包囲網を走り抜け、その更に向こうに居る存在へと向かって――――
「頼んだ――ぞッ!!」
規定された射程を無視して、白んだ水色が飛んでいく。
『――――!』
巨体を揺らがせた手応えはあるものの、個体防壁を容易く打ち破るのは難しくはある。飛行も出来ないほどの大きな枷は、幾人もの恐怖を形にしたようにも思える。
「枷があるならやっぱりこれぐらいしか……でも」
目くらましには上等すぎるだろうか。
世界が樹海へと切り替わり、カズキが変質してクロッシングしたのは五人。カズキを入れて五人でなく、カズキを抜いての五人だ。
みんなへ伝えるべきかも迷ったが、言葉なく無言の圧力が激しかったのだ。『私のことは言うな』と、そんな感情が突き刺さるように、一方的にカズキへ伝わってきていた。
敵にダメージは無くとも、少なくとも体勢は揺らした。そして、カズキの力とは違って、勇者にはダメージ関係なく敵を打倒できるシステムが存在する。
ここまでお膳立てはしてやれたのだから、後はその自身の程を見せてもらいたいものだ。
「これで封印の義ってのは出来る! そうだろ!!」
「――――当たり前でしょっ!!」
機械的な外見を模したような、不出来な質感の黄金に降り注ぐ、十を超えた刀剣達。
突き刺さったそれらは――間を置かず爆散した。
『えっ、だ、誰?』
『……私じゃない』
「封印、開始!!」
直撃し、大きく揺らした巨体と対面する
赤い彼女は、淀むことなく敵を拘束した。
「怪物のくせにナイス陽動!!」
「か、怪物っ?」
まかり間違っても初対面だ。勝気な性格なのは一連のやり取りで分かったが、それでも知人でもないのにそこまで言われる謂れが無い。心外だ。
「すっとぼけないで島の怪物が――――今は後!!」
「!!」
美しき黄金から開かれ浮き出た翡翠のコア。そこから噴き出す、毒々しい色をした空気。
毒のガスは目の前に居たカズキと赤色の勇者を、まともに巻き込んで樹海を枯らしていく。
「そんな目くらまし――」
「――――ッッッゴっ、ひゅ、ガッ、、かっ」
息が詰まる。詰まった息が焼かれて殺されていく。目が、肌が、唇が、口内が、喉が、気道が、肺が、血管が、受け取ってはいけない空気で満たされた感覚が、唯の人の殺人など容易い空気に満たされる痛みが、カズキへと幻痛として伝わってくる。
これは自分の受けた痛みではない。先日教わったばかりのことだ。勇者たちが受けるはずだった痛みを勇者バリアが散らし、行き場を失ったその痛みの受け皿となってしまう。それが『ジークフリートシステム伍式』による、『クロッシング』の弊害だ。けれどそれがあることで、彼女らは痛みとは無縁なままに戦い続けることが出来る。
そしてそのシステムが無ければ、敵からの同化現象も逸らすことが出来ず、成す術もなく、みんないなくなってしまう。
それを思えば、案外悪くないシステムだと思った。
「――気配で見えてんのよ!!」
コアを叩き切るその瞬間を確認すれば、意識は後ろへと向ける。敵を倒し切るまでは駄目だ。クロッシングを切らしてしまえば、彼女らは残ったフェストゥムへの防衛もままならない。
『カズキ君後ろに撃って!!』
声へ即座に従った。
意識のスイッチが切れる前に、振り向きざまにアルテノヘルスへ向かって左手を翳した。
「消゛っ――――え゛ろ゛っ!!」
迸る虚無の雷が、こちらへ殺到していた取り巻きのグレンデルを片端から無へと霧散させる。
左手だけでなく、右手も突き出し存在を込める。
「うおおぉぉっっ!!」
迫る壁は束ねられた奔流。白んだエネルギーの濁流は今あるだけの全力であり、白の輝きは群れごとアルテノヘルスを吞み込み、その無限にも思える生産を一瞬だけ停止させた。
大本を消し飛ばすのは無理だったが、問題ない。
「東郷と犬吠埼は小型の掃討!! 先輩は上に回ってください!!」
『は、はいっ!』
『了解!』
『アタシより部長っぽい!?』
「走れ結城!!」
一度でも群れが剥がれ切ったのなら、そこから生まれてくるのは片手間での対処が容易な雑魚でしかない。
生まれ堕ちる傍から、青の弾道が打ち抜き、漏らしたモノは緑の光糸が間引いていく。
その時点で、殲滅圏内に敵は在る。
「上に!!」
『勇者ッ、――パンチ!!!』
『――――!?』
二人の援護を受けて、懐へ素通りして潜り込んでいた結城による、渾身のアッパーカットが無貌へとモロに炸裂する。
大砲でも撃ったかのような、重く鈍い轟音と共に打ち上がる敵を――――
「先輩!!」
『任せなさい!!』
――――定めるのは先輩の肥大化させた大剣。
『うおおおおおっ!! これがっ、重力的女子力じゃあああぁぁぁぁぁ!!!』
重力による加重を利用した、圧倒的質量による剣閃。
巨体を一刀両断させるに相応しきその一閃は、敵をコア諸共確かに斬り飛ばした。
――断末魔のワームスフィアが、勝利の証だった。
それを目撃した頃には、全身を満たしていた毒の痛みは薄れている。
『みんな無事ね? 勇者部の大勝利よ!!』
『わーいわーいっ!』
『そういえばあの赤い人は一体……』
『ほら、カズキも終わったんだからシステム切りなさい』
「分かりました」
スマホの画面を弄れば、自分以外とのナニカとの一体感は薄れていく。齧られて、全身丸ごと咀嚼を続けられているような不快が、嘘だったかのように体は軽くなっていく。
そうして楽になった体で、樹海から日常の風景へ戻っていく景色を惚けたように眺めた。そういえば前の二戦はどちらも終わりには気を失っていて、樹海化の始まりでなく樹海化が終わる方の景色は初めてなのだと思い返す。
「あいつ……これからも一緒に戦うのかな」
勇者たちが集まっているのを、遠くから眺めていれば、壁の奥の方から色とりどりの花弁の嵐が迫ってくる。その波は世界を塗り替えていくのだろう。華やかさと力強さが競合したそれは、確かに神の、神樹の御業なのだと納得できる説得力がある。
そんな初めての光景の中で、ふとこめかみに違和感が奔った。
「づっ……?」
頭痛がした気がした、それだけだ。
きっとカラフルで煌びやかすぎる映像を間近で見せられて、目が痛くなって、それを頭痛と勘違いでもしたのだろう。
痛みも僅かに一瞬で、それからその日は不調の不の字も無かった。
問題なんて何処にも無い。
「あれ」
周りを見渡せば、何処にも誰の姿もない。みんなの話によれば、樹海化が終わったあとは纏めて屋上へ連れて来られるという話だったと思ったが。
確かに屋上だが、この場に居るのはカズキと――
「……千景さん?」
「おかえりなさい、カズキ」
拳銃のような注射器を持つ、郡千景その人だけだった。
「みんなは?」
「先に帰ってきているわ。貴方だけ戻ってくるタイミングをずらしてもらったの」
「……どうしてそんな」
「前にも言ったでしょう? 私が戦士だと気づかれるのはまだ時が早いのよ」
何故早いのか――――それだけにとどまらず、カズキを家に住まわしているのもその理由が関係しているのか、その時はいつ来るのか、そもそも何故共に戦ってはならないのか。
疑問はいくつもある。けれど納得のいく返事は一つも帰ってきていないのが現状だ。
何も教えてはくれない。けれども戦うための知識は、聞けばいくらでも帰ってくる。
カズキの力の使い方や、ジークフリートシステムに関することも、彼女に聞いた分は教えてくれた。
全てを教えてくれたのかは、無知なカズキには分からない。少なくともあの憎しみの絡みついた思念については、対処法しか教えてくれなかった。あの声が何を憎んで、どうして怨念へと成り果てる結果になっていたのかを。それらしい答えを一つも喋ってはくれない。
「それで、千景さんがここにいるのは……」
「これよ」
手の中のプラスチックと、ポケットから取り出したもう一本のカートリッジを見せつける。
「それは……」
「同化拮抗薬と……………………っ、ぁ……アクティビオン。……貴方が力に慣れていくために、戦いが終わったら必ず打たなくてはならない物よ」
「そうなんですか」
「ええ、貴方が倒れていたときも使ったわ」
そう言った千景は、カズキの手を取り引いていく。
「ほら座るわよ。早く済ませちゃわないと」
「それ、痛いんですか?」
「男の子なら痛いうちに入らないわ」
「……」
微妙な顔をしながら、渋々と屋上の隅に腰かければ、隣へと千景も座り込む。
懐から消毒液とガーゼの入った小さなジップロックを取り出して、慣れた手つきでカズキの腕を消毒していく。
「この力は、一体何なんですか」
「――戦うために齎された力」
「……神樹に?」
「神樹、ね…………大きな存在から受け渡されて、繋ぎ繋がれてきた大きな力」
でも、それではやはり説明がつかない。
「じゃあなんで、俺は敵として認識されているんですか」
「……」
「あの後みんなから聞きました……俺が声に従って神樹を消そうとする
「……一本目を打つわよ」
チクリとした衝撃が左腕を刺激すれば、千景は消毒の時の手際が嘘のようにな不器用さで、ゆっくりと噛み締めるようにニ本目のカートリッジに入れ替える。
手が震えているように見えたのは、気の所為だろう。
話を戻せば――――離反されて、だから敵として捉える。コレは分かる。自らを守るものが、その役割をこなそうとすることなく、あまつさえ守護対象を消し去らんと憎しみをぶつけてきたのだ。それなら確かに、敵として見限られても不思議ではない。
でもそれでは順番が逆なのだ。
みんなの話を照らし合わせるなら、カズキが自らの憎悪を引き金とした瞬間その時点から、明らかにザインではない力を振るうと決めてから、彼女らのスマホは――神樹の意志は――郡カズキをフェストゥムとイコールで括っていた。まるで元々敵であるとの認識があったかのように、単純に敵が現れただけだと、すんなりアプリは示していたこと。
「敵の力を使って戦う……それが有用なのも分かります。けれどそれが、それだけが理由ですか?」
「……」
「答えられないなら違いますよね。第一あの憎しみを……利用しようとしているのなら、利用しきれてすらいない」
仮にあの力にあそこまでの影響力が存在していたことを開発段階では分からずとも、前回で知ったはずだ。だというのにその対処として為されていた措置は、恐れをなしたかのように感じる過剰なまでの枷。それだけ。この力を開発したのが大赦であるのなら、あの憎悪は彼等の崇める神樹を脅かさんとする存在だ。予想外に対する処置としてはどうしても甘さを感じる。もしくはそれぐらいしかできない理由があるのか。
その枷すらも、カズキの想いのままに外せることは、先日に千景が言外に語っていた。それでもあの力を、憎しみと虚無の力を使わせる理由とは、一体どこにある。
「あの力は、何なんですか」
「……」
「なんで、どうして――――俺が選ばれたんですか」
「…………聞きたかったのはそれね」
湿ったガーゼを脇に置けば、なんとなしに彼女は右手の注射器を見つめた。今そこのカートリッジ部に収まっているのは、アクティビオンとやらだったか。
話を戻そう。今の話題にその薬がなんの意味を持つ訳もあるまい。
「何故俺だったのか……俺は、なんなのか…………もしかしたら、前の俺にも関係があるんじゃないんですか……!?」
「……」
「だとしたら尚更知りたい! 俺は、俺が交わした約束を守るために、前の俺を取り戻さなきゃならないんです!!」
「……」
――――の知ってる俺を、取り戻す。
その約束を果たすことで、ようやく初めて郡カズキがここにいるための理由が生まれる。それを果たしてようやく初めて、カズキは彼女と同じ日常にいていいのだ。
約束に繋がるのならなんとしても知りたい。だから、知っている事は全てを教えてほしい。
「お願いします……千景さん」
「……」
「俺は、俺がここにいてもいい理由が……ここにいることを許される理由が欲しい……!!」
懇願を聞いて、何を思うかなんて分からない。今はクロッシングで繋がってもいない。
千景の中で何がそうさせるのか、彼女はいつまでも手の平の中にある注射器を見つめている。答え辛いなら早々に打ち込んで、この場から立ち去ればいい。カズキは確かに知りたいことだらけだが、千景が本当に話したくないのなら、無理には聞かない。
「…………やっぱり馬鹿ね、貴方は。……そういうところは、いつまでも似ているまま」
「!!」
そんな言葉に希望を覚える。
だって今の言葉は、以前のカズキを知っているということに他ならない。そうでなくては似ているなんて語句は出てくることはないだろう。
「でも、まだやっぱり早い」
「……まだってことは」
「ええ……いつか、話しましょう。そう遠くない未来に、貴方の知りたい事を全て話すわ」
「本当ですか……!?」
「ええ、約束。だから話すその日まで……必ず無事でいなさい」
「はいっ!」
そうして、二回目になるチクリとした衝撃。
不思議なことに、打たれた瞬間から体温が緩やかに高まっている気がした。これはなんというか、体全体が活性化したようなものと言えるのだろうか。
栄養剤か何かだろう。きっと戦闘後の自分を慮って打ちに来てくれたのだ。
彼女が、千景がわざわざ身体に悪いようなものを打ちになど来るはずもないのだから。
「ありがとうございました千景さん。お陰で体も軽いし、調子が良くなってきた気がする」
「ッ――――…………………………そう」
「うん。それじゃ、俺はもう行きますね」
「待って」
立ち上がり、軽い体に身を任せて駆け足で部室へ向かおうとすれば、その声に振り返る。
振り返って、少し、言葉を失った。
「…………千景、さん?」
「もう――――二度と――――」
何かを呟いているのは分かる。それ以外はあまり分からないけど。
震えた声。震えた体。特に体の震えなんかはよく伝わる。抱き締めてられているのなら、その人の様子は文字通り肌を通して伝わってくるのだから。
「あの、聞こえないです」
すると、彼女の震えは嘘のように消える。
きっと、彼女の震えは気のせいだったのだ。
「…………体に、違和感があるのならすぐに言いなさい」
「はい。ありがとうございました」
そう言って、今度こそカズキは屋上を後にした。
眠っている時とは、明らかに違う。
「千鶴さんの気持ちも……今なら分かる気がする」
手の中の注射器を握り締めれば、負荷の掛かったフレームが悲鳴を上げている。どうでもいい。どうせ代わりはあるし、再利用出来ないほどにはひしゃげている。せめて憂さ晴らしに使えるのなら、こんなものはこのまま壊れてしまえばいい。
こんな非道なモノが、手中に収まっている事実。そして自らこれを扱って、彼へ使用した事実。
食いしばる歯からは軋む音を響かせる。
手元に残された中身のない注射器を、憎々しげに睨みつけようが何も変わらない。何を今更と、自罰と嫌悪が入り乱れて己を刺す。
静寂が支配する屋上に、残された呟きは誰も聞かない。
「面と向かって処置するのは、こんなにも辛いのね……」
偉人を尊ぶような、懐古も込められた呟きだった。
『三好夏凛です、よろしくお願いします』
『ほわぁ……』
『なるほど』
そんなこんなで、カズキ達のクラスへやって来た三好は、今度は勇者部へやって来ていた。
「そうきたか……」
「転入生のフリなんて面倒臭い……でも私が来たからにはもう安心ね」
完全勝利と、自身高々に宣言した三好。そう言い切るだけの実力の程は、先日見たとおりだ。
「でも、なぜ今このタイミングで? どうして最初から来てくれなかったんですか?」
「私だってすぐに出撃したかったわよ……けど」
「? ……俺?」
「そう! アンタよアンタ! 島の怪物!!」
敵意の混じった視線。その『島の怪物』とやらが指しているのが、何なのかは漠然と分かるようで疑問点も発生する。
とにかく言われて思い当たることは、当然だがある。
「……怪、物」
『……』
みんなへと大なり小なり恐怖を与えていたことは、紫電を目視した時の反応で分かる。同じ空間に居させてくれるのを許容してくれるだけ、まだ彼女らは優しすぎるくらいなのだ。
「そこの奴のこともあるし、大赦は二重三重に万全を期しているって訳」
みんなの顔をまともには見れない。樹海の中で言われた際は、有事故に気に掛けられなかったが、そう呼ばれる謂れは確かに在ったのだ。
みんなの命綱でもあり、世界にとっての命綱たる象徴を確かにカズキは消そうとしたのだから。声がそうさせた――などといった言い訳なんて、そのしでかした事実に比べれば無視される事柄だ。
「あなた達の戦闘データをフィードバックさせて、完璧に調整した完成型にして最強の勇者――それが私」
「……最強の勇者?」
「いわば私のためのデータ収集があなた達の主な仕事だったのよ」
強く勝気な挑発的な笑みだ。――――樹海の中では如何にカッコよく出てきてやろうかと考えていたこととか、言わない方がいいのだろうか。
「私の勇者システムは最新の調整を施されている……例えば、あなた達のようにジークフリードシステムを介さずともある程度は戦えたり、ね」
「ある程度? それってどのくらい?」
「あ、ある程度はある程度よ」
そのあたりに関してはまだ不完全なのだろう。でなければカズキとクロッシングするなんて必要は無いハズなのだ。現に三好も言い辛そうに言い淀んでいる。言いカッコしたがりなのだろうか。意外と親しみやすそうな気がしてきた。
「とにかく! 私はあなた達トーシローとは違って、戦闘のための訓練を――――長年受けてきている」
「黒板に当たってますよ……」
華麗に箒を振り回し、華麗に鳴り響く激突音。
決めた顔のまま、どごっ、と鳴る黒緑の板。壊したら怒られるのは勇者部なのだが、知ってか知らずか。
「『島の怪物』が次また暴走しても、私が止めてあげるから安心しなさい!」
「……大赦はカズキ君の……暴走を、見越していたのですか?」
「らしいわね。……それに関しては私も思わないところがないわけじゃ……」
「どうしたのよ急にまごついちゃって」
「ッハ!? ななんでもないわよ!」
また出たその単語に、我慢がならず聞いてしまう。
「……三好」
「? 何よ怪物」
「…………『島の怪物』ってのは、」
蔑称だろうがそう呼ばれるに相応しいことをしでかしたのだ、その訂正なんて求めやしない。それよりも気になるのは、『島の怪物』とカズキが呼ばれた事実。
後半部分だけなら分かるのだ。大赦から派遣された彼女からすれば、自分達の根幹を殺さんとして、それを達成し得る存在を怪物と呼ぶのはまだわかる。けれども――
「『島』って、どういう意味なんだ」
「知らないわよ」
「……? ならなんで、『島』って付ける意味がある」
「だから知らないわよそんなの。上司たちがみんなそう呼んでるんだから」
その言葉でアプリを急いで開いて、その力の名を確認する。
網膜へ映し出されるのは――『ザルヴァートル:システム・ニヒト』。二回目から選べるようになっていた、あの憎しみを擁する力。
「その『島の怪物』って、どんな印象で呼ばれてるんだ」
「はぁ? 怪物なんて呼ばれてんだから嫌われてるに決まってんでしょ」
一つの確信を得た。大赦はこの力の存在を、ニヒトの力が危険なものだったのだと知っていた。そして畏怖を塗りつけて忌避するくらいに、このニヒトと冠された存在を理解している。秘められた憎悪は己らを喰らい消し去らんとすることも、当然分かった上で運用しているのだろう。
一つの謎を得た。『島』だ。『島の怪物』とあるぐらいだ、この怪物とされた力はその『島』とやらで産まれたのだろうが、肝心のその島が分からない。四国内に存在する離島の事を指しているのだろうか。それとも――――
「――――……三好」
「……なによさっきから質問攻めして」
「悪い、でも最後にこれだけ…………『
「知らないって言ってんでしょ!?」
ついに怒り出した三好を、犬吠埼に宥めてもらう。
その後はつつがなく紹介は終わり、結城の暖かさに絆されようとしている三好を眺めて時間は潰れていく。
「腐れ畜生!!」ゲドウメー
「……またやってるのか。牛鬼ほら、こっちにおいで」
投げ捨てられた牛鬼が、ふよふよと差し出した手へ着地する。不思議な生き物の感触を掌で感じていれば、サイズを考えれば難しいだろうに、掌の中で丸まって眠りこけようとする。
しかたなしにポケットから忍ばせていたジャーキーをちらつかせれば、緩慢な動作で膝上と誘導されて、ジャーキーを抓んだ右手を捕まえてもそもそとついばみ始める。このままいけば眠り始めるまでそう遠くない。こうなってしまったら眠りこけるまで退いてはくれないのだが、今日ぐらいはかまわないか。
大人しくなってくれた牛鬼を労うように、静かに頭を撫でれば、心地よさそうに目を細めてくれる。だいぶ、いやかなり癒される。
「……あの牛、あんたの精霊じゃないの?」
「私よりも郡くんに懐いてるんだよね~」
「というか牛鬼だけじゃなくて、精霊全員がカズキにメロメロなのよね」
東郷が出した精霊たちも、気付けば肩や頭頂部で羽を休め始めている。そうして心地よさそうな寝息を立てられれば、動くことも出来ずに困ってしまう。
「主の威厳ゼロね……こおり……郡……?」
「ああ、俺は………………郡、カズキ」
「あっそ、ならよろしく郡カズキ。…………郡……気のせいか」
この日生まれた謎は解消されず、前もって存在していた謎が深まるだけに終わる。
けれど自分は近づいている。
自分がいつしか辿り着く、本当に帰るべき場所。
うすらぼんやりとではあるが、その輪郭が見えてきた気がした。
「あら、かめや行かないの?」
「今日はちょっと……寄りたい場所が出来たので、先に失礼します」
「準備中、か」
変わらない。
「……昨日か一昨日にでも千景さん来てたのか」
椅子の位置、机の角度。机の上に椅子を置かれて整頓され切っている中で、一か所だけ使われた痕そのままに残されている。例えば誰かがここでドリンクでも飲んでいたかのような、なんとなくポツリとそう思った。
額縁の年季、飾られた魚拓の数。色んな種類の形に、色んな名前。タマやらアンズやら、雑ながらも書き主のはしゃぎようが伝わる、元気な文字だった。わかちゃんと書かれているのもあるが、こちらは丁寧な達筆。
カジキの模型は、乾布で拭かれた痕跡。やはり千景はここへ来ていた。一定の周期で来てはいるが、こうして先を越されていたのもしばしば。
七夕の日の名残か、枯れきった笹に付けられた短冊の数々。
記憶の限りでは初めて来た時と、何一つも変わらない。
「キッチン、使ったら怒られるかな」
使ったことも無ければ怒られたこともないが、それくらいに彼女はこの場所を想っている。
持ち主でもないのに並々ならぬ関心を注ぐのは、開店すらしないほどに閑古鳥が鳴き尽くした喫茶店が、彼女にとって大切な居場所だからなのだろう。
そんな場所に、何故カズキはここにいるのだろう。
ここが記憶のカギだと、そう言われて出てきたは良いモノの、いっこうにその記憶とやらは開かれる気配がない。
いつまで待てばいい。いつまで待てばいい。いつまで待てばいい。一体カズキは、いつまで彼女を待たせればいい。
「…………っ」
不可思議な感覚が、カズキをいてもたってもいられなくした。
もしかしたら大目玉を喰らうかもしれないが、それこそ家から追い出されたりもあるかもしれないと、そんな杞憂を考えても抑えきれなかった。
厨房へ入って、棚に仕舞われた調味料を確認する。
中身を見て見れば、物持ちの良いものは使えそうだ。保存の効きずらい物を見て見れば、いつでも使えるように中身が取り換えられている。これも千景が掃除しに来た後はいつもこうだ。
誰かを待っていて、帰ってきた人のためにいつでも使えるように、食材も器具も全てを用意したままに維持されている。
冷蔵庫の中身を確認して――――それらから作るものは決まった。
「うん……すごいな、全部足りてる」
頭で軽く思い描いて、これはあるかと思って少し探せばすぐさま出てくる。カッチリとピースが嵌るような、そんな小気味よい現象が三、四度と多発すれば、元々この料理を作るための素材なのではないかと疑ってしまう。
千景はそれを望んで、願って、これらの食材を置いていたのではないかと。
だとしたら、カズキがそれを使うのは――――
「でも、やってみたい」
結局欲には勝てず、まな板と包丁を取り出した。
自然と手に良く馴染む器具が、調理効率を底上げする。
いつの間にか没頭して、気付いた時には――――
暗くなってきた民家の通りを、照らしていたからふと気になっただけなのだ。
「あれ、アイツ……」
自転車で偶然通りかかった、ただそれだけなのだから無視して帰ればいい。
第一私は家に帰ってからもトレーニングの予定があるのだ。晩御飯を買って帰る時間を考えれば、やっぱり留まる理由なんかなかった。
なによりソイツは人類の敵。四国に生きる人々を、神樹を脅かす脅威だ。何の間違いか戦線を共にすることになってはいるが、気にかけるほうがどうかしている。
「……いい匂い…………ッ、ハッ!?」
なるほど料理中か。どうりでスパイスの食欲を誘う香りが換気扇から漂っていると思った。しかもまだ煮込んだりの段階ではないのが、その完成品の想像をより高みへ引き立てている。
空腹の現在に置いて、その香りは最早暴力的であったが、そも準備中と掛札がされていることに気付いた。であればあれは仕込み中か、実家の店の手伝いかなにかだろうか。
唾液を口内で生産させる香りから気を逸らしたのは、その顔が勇者部部室で見た顔とあまりに違ったから。
怪物と呼ばれて、当然だと受け止めたすまし顔。それが私の知っている郡カズキ。それが『島の怪物』と呼ばれている、郡カズキ。
今は――――
「なによ、楽しそうじゃない」
あの頭が緩そうな面々の中でも、ずっと硬い表情の揺るがなかった郡カズキ。料理しているときはああなのだろうか。
しかしながら良い匂いがするとか、その香りに挑発された空腹が限界かもしれないとか、そんな話でもないのだが何となく、そうなんとなーく準備中の札が気に喰わない。それはあれか。それはなにか。ここまで私の食欲を煽っておいて、食わせない気があるとかそんなか。え、噓でしょあれってもしかしてカレーなのか。しかも市販のブロックルーでなく、スパイスを組み合わせて作っているタイプだ。しかも夏野菜をふんだんに使っている。細かく切られたベーコンはよく分からないけどコクとかに深みを与えるとかそんなか。そんなのアリか最高かしら。
――――しばし、考える。
「ま、まあ部員同士が話すのは自然よね。挨拶とかするだけだし。ホントホント」
敗因が何かと言われれば、しっかりとした運動による疲労だろうか。疲れた体にあの栄養満点気味な夏カレーは染み渡りそうだなとか、思ってしまったのが運の尽きだった。
そうして意を決すれば、扉を開けてもうんともすんとも言ってこない郡カズキに呆れてしまう。どれだけ集中しているのだ。
「――――」
「…………」
鼻唄すら歌い出しそうな機嫌の良さに、何故か声を掛けるタイミングを失った。
手際は恐ろしく良い。料理なんてほとんどしない私でも分かるくらいに、プロ顔負けだと感じ取れる。
視線は移り変わり、内装を見回していれば笹に手が触れる。枯れて茶色くなっていたそれが笹とは一瞬分からなかったが、七夕特有の短冊の存在を見て、ようやく合点がいく。こうも年季を感じさせる意味は分からないが。ちょっと抓んだだけでボロボロと崩れそうなほどの年季だ。
片づけるのが面倒なのだろうかと、不思議そうに見ていれば――一つの短冊に目がいった。その意味を少し考えて、たっぷり考えて、やはり答えは出ない。けれど切実な願いのソレには、不思議と目が吸い寄せられる。
目が釘付けになって十分ほど――――流石に声を掛けた方がいいだろう。
「ね、ねぇ」
「――――」
「……ちょっと?」
「――――」
「郡カズキ?」
「――――」
これダメだ。全然気づかない。扉の音も小さくない、というか扉上についているベルがこれでもかと鳴ったように思えたが、あれは私の気のせいだったとでも言うのか。それともあれか、怪物とか呼んでた私への嫌がらせか。
「……っ! ちょっと!! 郡カズキ!?」
「――――…………ぇ」
「やっと気づいた……ったく、どんだけ集中してたのよ」
「ぁ、……ぃ、これ、っっ、ちがっ、くて……!」
「……郡カズキ?」
「ごめっ、ちがう、お、俺、違う、、あ」
オカシナ反応だった。
私を誰かと勘違いしているのか、そもそも誰だとしても関係ないのか、とにかく酷く怯えている。
何に対してかまでは、付き合いの浅い私では読み取れなかった。
「ちょっとしっかりしなさいよ!」
「――――ぇ、三好?」
「料理中なんでしょ、火から目を離さない方がいいんじゃないの?」
「ぁ、ああ」
とにかく状況の説明よりも先に、他のことへ意識を逸らして落ち着かせる。
込み入った事情がありそうだが、立ち入る気もない。とにかく今最優先されるべきで確かめる事柄は、あのカレーが私の舌へ運ばれる機会が来るのか否かだ。
「勝手に入っちゃったけど悪かったかしら」
「……いや、大丈夫だと思うよ」
その言い方は何処か引っ掛かる。
「? ……ここ、アンタの家じゃないの?」
「…………違う」
「そう」
ならどうしてと、聞けるほどの仲ではない。
なんかもう、気遣うのが面倒になってきた。腹が減ったなんて本音は知らないってことにする。
そうだとも私はあのカレーが食べたいのだ。食べるためにこの店に入ってきたのだ。もう胃がカレー以外を受け付けないのだから――――!
「そのカレー、売り物?」
「? いや、違うけど」
「――――――……っ!! …………ちくしょう」
「……あと十分で出来上がるけど、食べるか?」
「食べ「あ、でもご飯炊いてない」レンジするやつ買ってくる」
その走りに迷いなど見えないのなら、笑うモノは誰もいないのだ。
・青色の短冊
色はくすみ、元の色はそれを書いたときにいた人しかもう分からない。
書かれた願いは――――「生きたい」
無理難題を望んでいると知ってもなお、その願いを吐き出した誰かが『そこにいた』あかし。
その人は、確かにそこに――――楽園にいたのだ。