歌のテストを前にして慄いていた後輩を見つければ、それからの彼女らは早かった。
トントン拍子で話が進めば、今日は犬吠埼の練習のために勇者部はカラオケへ行くらしい。尚、これで歌唱大会は二度目。オリーブにサプリや、アルファ波などは効力が見られなかったらしい。
男女比率は驚きの5:1。誕生日等ならいざ知らず、遊びに行くなら黒一点であるカズキとしては、カラオケボックスとは非常に居心地の悪い空間。
遠慮するのは、一人の少年としてある意味当然だ。
「また? あによー、アンタ付き合い悪いわよ?」
「すみません先輩」
「あー、違う違う、責めてないから」
どのみち付いて行ったとしても犬吠埼の力にはなれない。苦手意識を持たれているカズキが伴っても良い結果には繋がらないだろう。
――――みんなに怖がられているのなら、なおさらだ。
「用事でもあんの?」
「……いや」
「だったら一緒に行こうよ! みんなで行けばきっと楽しいよ!」
「…………ごめん、やっぱりやることが……」
咄嗟に嘘を吐いた負い目が、結城と瞳をまともに合わさせようとしない。
「なので先輩、今日も……すみません」
「……あいあい、無理強いも良くないしね」
「犬吠埼も……力になれなくてごめん」
「いっ、いえっ! わたっ、わたしはぜんぜんっ!」
話しかけただけでこれではやはり行くだけ逆効果だ。恐怖を押し込もうとしてくれているだけ、彼女の優しさにカズキは断然救われている。
「俺はこれで」
「……また明日ね、郡くん!」
「……」
「また! 明日ね!!」
「…………ああ」
底なしに明るく聞こえる声を背に、帰る訳でも無く歩き出す。
今の住まいには、些か滞在しづらい理由もある。自分の家でもないのにこの表現はどうかと思うが、敢えて言うなら今は家に帰りたくない。ここ最近は夜までどこかで時間を潰す日々が続いている。
振り向いてもみんなの姿が見えなくなった頃、ようやくこれからどうしようかと考え始める。
現在の住まいには戻り辛い。楽園には猶更行き辛い。勇者部の活動は実質無いも同然。このまま校内で時間を潰そうにも、用事があると言ってカラオケを断った手前、校内での目撃情報は残したくない。下手に外を出歩いても、広いようで狭いこの世の中では同じ理由で好ましくない。
「……久しぶりに、行こうかな」
内にある迷いを払うことが出来れば上々。道が見えずとも気晴らしにでもなれば上出来。
疑問の全てを氷解できるとも思ってはいないが、一つばかりでも解されればと願う。
「あいつの病院って、どっちだっけ」
三好からの話を聞くに、『島の怪物』とやらの力を持つカズキは嫌悪されているのだと考えていた。
その嫌悪が渦巻く場にやってきて、それが概ね間違いではなかったことを理解した。
事務的であろうが助けられた女性に案内を受けて、白く清潔な建物の内を無言で歩いていく。
「……」
「……」
――――『島の怪物』がどうして……
――――汚染された分際で何の用でここに……?
囁く声が、いやでも耳に届いていた。声量は穏やかでも、確かな怒号は意志として伝播していく。
来るのは失敗だったかもしれないと、すぐさま思い返しそうになった。
『――本日は、どのようなご用件でしょうか?』
『……乃木に会いに来ました』
受付の人にそう述べた途端、カズキを監視する視線にはより強くの敵意が乗っていた
顔も知らない人たちから、一斉に憎しみにも近い感情をぶつけられていた
総毛立つ背筋の寒気に従って振り向けば、途端に向けられる――殺意の象徴。
『なっ……』
冷たく重たい、黒鉛の
どこに控えていたのか、予め控えていたのか、黒塗りのアーマーに身を包んだ者達。目算で二十余名の彼らは平時ではなく有事の、それもバーテックスらではなく人へ対抗するための象徴を掲げて、自らの敵を撃ち殺さんとトリガーに指をかけている。
此処へやって来るのは好ましくないのだろう。郡カズキの一番古い記憶がこの建物だとしても、彼ら彼女らにとっては関係ない。敵視する力をカズキが身に秘めている事、それがなによりも注視される事柄なのだ。
黒く塗られたフェイスメットからも、仮面の無い大赦の者達からも、隠しきれぬ殺意と敵意と憎しみが送り込まれている。
平日午後の病院の受付前なのに、何も知らない一般人などどこにもいなかった。この場には、カズキを嫌悪する人達で大勢だったのだ。
怪物の動向を、常日頃から見張っている証拠。
『いったい何を……!』
『怪物が弁えろ! 貴様のような道具がッ!!』
怯えの感情と震え。そこから起因した、義憤と憎悪。
黒くて重い筒の奥から覗けたのは、誰もが持ち得る普遍的な感情。
人を――人の形をした生き物を殺すために整えられた陣形は、カズキの一挙手一投足を注視し続け、指一本分の害意すら見逃さない。
『ッ、……違う、何もする気は……』
激情の波の前には、あまりに無力な独り言。
『所詮は島の存在……信ずるに値するものではない!』
『勇者の力を同化して奪う気では……!?』
『ならば勇者様へ手を出される前にこの場で――――』
――――殺せ、と。
『早く撃て!』『怪物の力などやはり不要だったのだ!』『今すぐその化物を殺せ!』『育ち切る前に殺せ!!』
『殺せ! ――――今すぐに殺せ!!』
みんな怯えている。自らの内に産まれた怯えを無かったことにしたくて、怯えの下を消し去ろうとしている。
安心を求めた結果に産まれた憎悪が、カズキの目の前で渦を巻く。荒れ狂う感情の波は受け止めきれず、カズキの頭は痛みを発した。
もはや暴動一歩手前だった。決壊するのも時間の問題で、そのきっかけは――――引き金が、憎しみによって絞られていく。
二十を超える冷たい照準はおぞましい激情に誘われて、無抵抗の少年を確実に殺すため、眉間へと殺意が留められる。
『待ってくれ……! 俺は、違う…………!』
『我らに叛意を見せるのであれば、コイツはもう必要無い!!』
――――殺せ、と。
『次に差し替えろ!』
『今度こそ英雄を!』
『次こそ怪物ではなく――』
『いや、だ――――』
『――我らを庇護する英雄を』
――――殺せ、と。
『やめ――――』
瞬き程度の労力を必要としない数瞬後に、何処までも冷たい引き金が引かれる未来を恐れた。
だって、カズキはまだ何も成せていない。何物にも成れていない。自分が何故ここにいるのか、その答えを知らない。彼女らを守り抜いてはいない。貰った恩を返していない。
約束を、果たせていない。
『――――――ッ〝、ッっっっろ〝〝!』
咄嗟の防衛本能が、左掌の中で紫電の
ならやってやろう。
彼らが望む通りの怪物が、望む通りの惨劇を繰り広げて見せようと――――その、
『――――乃木園子様が、お呼びです』
助け舟となったのは、冷や水を差したように激情とは程遠い、冷静で冷淡とした声。
「乃木は……最近……」
「――ご本人様にお聞きした方がよろしいかと」
「……そうですか」
乃木の傍付きなのか、一年前にここを出る際にも聞いた声。
淡々とした受け答えで案内してくれているが、カズキが乃木と接触することに対して何かしら思ったりはしていないのだろうか。
「……あのっ」
「――こちらになります」
「あ、……はい。ありがとうございました」
いっそ一方的に、有無を言わせることなく立ち去られてしまう。
そうして扉の前に残されたカズキには、扉に入る以外の選択肢が無い。
自ら来たのが、今では不思議なことに立ち去りたい感情でいっぱいだ。
「…………怪物、道具……か」
その憎まれる理由がこの先で分かるとは限らない。
でも、やはり知りたい。カズキが憎まれる理由が、真壁一騎に繋がっているに違いない。
可能性は不確か。明確な判断材料なんてない。けれどそれが、それだけがカズキにとっての希望なのだ。
意を決して、扉を噛み締めるように叩いた。
――――どうぞ~。
「……よし」
久しく聞こえたのは、相変わらず間延びした緊張のほぐれる声。
本心までは推し量れずとも、少なくとも彼女は表面には出さずにいてくれる。その事実に安堵して、カズキは扉を開いた。
「あ……お姉ちゃん、あの人……」
「んー? ……おやおや、我が部唯一無二の男子にして、カラオケ大会をサボった不良部員ではないか」
二人並んで橋を歩く帰り道。
視力は極めて健康的かつ良好である樹が、遠目に小さなカズキを見つけた。
「……カズキ?」
「先輩……犬吠埼……」
後輩を呼ぶ声が疑問混じりだったのは、憔悴しきったその表情を、風は初めて目にしたから。
普段は愁いを帯びていても、どこか暗い雰囲気を纏っても、どこか穏やかでおおらかな優しさを感じさせる風貌。それがカズキ自身の性格であり気質なのだと納得のいく自然体だった。
でも今は――――違う。
「どうしちゃったのよアンタ」
「……別に、何もありません」
勇者部の活動を通して大なり小なり色んな人達を見てきた。様々な困り事が転がり込んでくる中で、中学生にしては多様な表情を見てきた。その内で今のカズキにピタリと当て嵌まる表情は、これ一つだけ。
「そんな落ち込んだ顔見せられても説得力なんか無いわよ……!」
即座に浮かび上がるのはその文字列。
踏み出す脚は覚束ない。震える視線は虚ろに定まらない。現実味を感じられないまま彷徨う足取りは、あてどなく何処へ向かっているかも分かっていなさそうだ。
勇者部の部長として以前に、彼の先輩として、今にも身投げしかねない形相の後輩を見過ごすのは無しだ。
放ってなんかおけなかった。
「ったく……アタシらはこれから夕飯だけど、アンタは?」
「…………ないです」
「ないって……?」
「作る気、しないんです」
風と樹から逸れた遠い目は海を見つめて、水平線の果てへと突き進んでいる。
海の向こう側を眺めるその姿が、あるハズも無い探し物を求めているように見える。それは風のお節介がそうさせているのだろうか。
「夜まで、家にかえっ……――――戻りたくないんです」
棘のような違和感の残る物言いに聞こえた気がしたが、風も樹も些細なしこりを気に掛けていられるほど、落ち着いていられはしないだろう。
てかここまで来たならもはやフリだ。
誘わない選択肢は逆にあり得ないだろう。
「どう? 一緒に」
「……何がですか」
「相変わらず鈍いわね~、ご飯に決まってるでしょ」
「え……」
寝起きに水をぶっかけられたような、か細く頼りない声だった。
「樹もいいわよね」
「う、うん」
少し躊躇いがちに頷く樹だったが、食事の席を共にすることへの異論は無いらしい。前々から樹から相談されていた悩みの件もあることだし、この機を逃す手はない。
しかしカズキは樹の方を一瞥すれば、眉をしかめて口を開く。
「……気持ちは、嬉しいです。けど……俺は……」
そのまごついた態度が、七面倒臭くなってきてしまった風だった。
「……実はさっきカラオケでお菓子食べ過ぎちゃってさ~」
「? は、はぁ……」
「このままじゃアタシら残しちゃうかもで……誰か手伝ってくれないかな~」
些か無理があるかもしれない口実に加えて、これ見よがしに流し目をぶつける。女っ気とは無縁な話しか聞かない学園生活を送っているカズキだが、風の女子力で以ってならこのまま押し切ることも可能。なハズだ。つべこべ言わずについてきなさいっての。
「……」
「できれば台所事情に明るくて、主婦的事情に共感できて、いっぱい食べてくれる男の子がいいなー」
「…………」
「カズキ先輩……忙しかった、ですか?」
「いや、何もないけど…………」
観念した感情を風の瞳に見つけた瞬間に、アタシの持ちうる女子力が勝利したと確信するに至る。異性に目もくれないかと思われたカズキも、風の女子力の前には無力なのだ。きっとそうなのだ。
「…………分かりました」
「じゃあ決まりねっ! そんじゃスーパーに寄っていきましょうか!」
「えっ」
『話と違う』と、表情筋全てを用いて風へと問いかけてきた。人好きの良い柔らかな目元で、精一杯のジト目をしてくる。
徐々にアタシが知っているカズキが戻ってきていることに、ほっと一安心。
「あっ、あの、食材が余るって話じゃなかったんですか?」
「今日の買い物はまだだもの」
「…………」
どんどん渋顔へ変わっていくサマを笑い飛ばしながら、カズキを引き連れて帰路を進む。
さて、今日は何を作ろうか。
張り切っている自分を自覚して、軽やかな足取りもついでに自覚していたのだった。
「……」
「焦げないように気を付けて煮込むのよ」
「う、うん……!」
「……」
とっても居辛い。机に座って待たされるだけだと気が削れていく気がする。ここが女子の家なら尚更で、目上の先輩の家ならこれまた尚更だった。
何もせずにいるのは精神に不味い。故に手伝おうかと打診をするのはカズキからすれば当然だが――
「あの、やっぱり俺も……」
「さっきから何度もうっさいわねぇ! 乙女の戦場に立ち入る気!?」
「あ、はい、すみません…………??」
――こうして怒られてしまうのは、少々理不尽にも思える。
「いいから大人しく樹を見守ってなさい」
「……でも、手付きが見るからに」
どう贔屓目に見積もっても素人もいいところだ。さっきチラリと見えた包丁捌きも、野菜ではなく肉を切りそうになっていたのも確と確認している。無論ながら鶏肉や豚肉やらの話ではない。
目を離せず釘付けにする魔力がある。恐ろしいほどに。
「アタシの妹に文句でもあんの!?」
「わっ、わかりましたから」
「ああっ!? お、お姉ちゃ~んっ!」
「はいはい、とりあえず落ち着きなさい」
「……不安だ」
食器が打ち鳴らされる音。過剰に焼ける音。その他諸々の音響が、カズキの不安をこれでもかと煽る。
「大丈夫かな」
「ちょっ、樹!? それ塩じゃなくて砂糖――――!!」
「えっ? ええっ?! どうすればいいの~!?!?」
「……だ、大丈夫かな」
ベタな間違いだ。カズキも最初の頃にはそんな初歩的な間違いをしていたが、しかしながら一瓶使い切るほど入れちゃったりはしていない。
苦笑いが引き攣る。もしかしてあれを食卓にお出しにされるのか。鍋の中でコポコポと泡立っているが、本気なのか先輩。
しかしカズキはとっくに観念したのだ。それに毒味係――もとい、味見係であるカズキを逃してはくれないだろう。
戦々恐々としながらも、久々――――初めての騒がしい夕餉の空気。
「しょっぱくて甘いのに、苦くて辛い」
「おおう、我が妹ながら抜群の戦闘力だワ」
「こんなうどんは初めてだ」
「うう……どうして、こんな……」
全員で席について、自然と笑いが零れながらの食事会。
少しだけ、楽しく感じれた時間だった。
「今日はごちそうさまでした。美味しっ、美味しかっ…………ごちそうさまでした……!」
「言い切りなさいよ」
分かり切った嘘なら、吐けば吐くほどに傷つけるだけだ。かと言って真実を申すには気遣いが勝つと言ったところか。
「やめてよお姉ちゃん……あの……今日は無理矢理ごめんなさい、カズキ先輩」
「気にしていないよ。むしろ……」
自分が、郡カズキの記憶が始まってから初めてだったのだ。
家庭での食事はずっと何事も無く、痛いほどの静寂が支配していた。
食事を共にした者が嫌いな訳ではない。ただ、痛烈なまでの居心地の悪さだけがカズキに痛みを与え続けていた。
だから今日は、これ以上ないくらい楽しかった。
勇者部の席では居辛い理由がある。住まいでも気負いは確かに存在している。
何一つ憂うこと無く、心からの感情を露に出来た、貴重な時間。
「――――嬉しかった」
「……そう。なら誘った甲斐があったわね」
「ありがとう、先輩、犬吠埼」
「……喜んでくれたなら」
無自覚に心配させていた自分も、先輩の様子を見る限りは元に戻ったのだろう。
きっと明日からも、いつも通りの郡カズキを見せられるはずだ。
「じゃあ、二人ともおやすみなさい」
「ええ、気を付けて帰んなさいよー」
「お疲れ様です先輩っ」
玄関先で見送られて、ふと思い出す。
「犬吠埼」
「はい?」
「歌のテスト、その、頑張れよ」
「……!」
言ってから言葉を誤ったことを知る。緊張しいな彼女に、無責任な激励は返って逆効果だろう。
早急にその発言を撤回し始める。
「……じゃなくて、えっと……」
「……」
「頑張らなくていい」
「……はい?」
「何言ってんだか」
純度の高い呆れ顔。
「多分、犬吠埼は気を張り過ぎだから、いっそだらけた方がいいと思う」
「要はリラックスしろって話でしょ」
「あ、そうですね。そうとも言います」
「……ふふっ」
笑ってくれたから、正しい意味で捉えてくれているとは思うが。
しかしこれでは先輩の瀬が無い。立派な姿を見せれるとも思えないが、笑われてしまうようではまだまだなのだろう。
「犬吠埼は、歌が好きだろ?」
「……えっと」
「言ってたかしら?」
「なんとなく、そう思ったんです」
音楽のことを話題に出しているときは、心の底から険悪な色をにじませている姿を見たことないこと。それと、本当になんとなく、犬吠埼の心がそう言っている気がした。
「好きなことをするだけなら、気を張る必要あるのか?」
「……」
「楽しい時には緊張なんかしないだろ」
「楽しむ姿勢ねー……」
「でも意識すればもっと硬くなるだろうから、いっそのことだらけるくらいがちょうどいい……と、思う」
以上が戯言。
聞いて取り入れる必要も無い。無視してくれても全然構わない。
「他にも緊張をほぐすなら、直前まで好きな曲を聴いているのも効果的だって」
「いや授業中でしょ」
「……あっ」
「ふふっ……でも、カズキ先輩の言いたいことが、何となく分かってきました」
「……分かり辛くてごめん」
こんな自分でも、ほんの少しでも力になれたなら、それで充分だった。
「それじゃあ、さようなら」
「ええ、また明日ね」
「おやすみなさいカズキ先輩」
こんな良き思い出を作ってくれた彼女らには、大きな恩が出来た。
勇者部には、どれほど返しても返し切れない大恩だらけだ。
笑顔で手を振って、今度こそ忌憚なく言い切れる。
「また、明日」
未来を想い、宵越しの日常を疑うことの無い、優しい言葉。
――少しでも心を戦いから遠ざけられたのなら、よかった。
「ほんっと不器用なヤツよねー」
「けど、とても良い人だよ……だからお姉ちゃんも気になるんでしょ?」
悪戯っぽい視線で、によによと鳴らしそうな笑みだ。そんなところも可愛らしい最愛の妹だが、今は憎たらしくもある。
その愉し気な頬をつついて遊ぶ。
「そんなんじゃないっての……それより、もう大丈夫そう?」
「……うん。……私、今まで悪いことしちゃってた」
「それは……アタシもよ」
弱気に俯く髪を、少し乱暴に撫でた。
――クロッシングで繋がることの弊害。敵からの読心能力を防ぎ、同化能力を受け流すための防衛機能は、感情すらも共有する。
それは微々たる伝播ではあるが、戦場にて風達から生まれた感情の数々は、カズキの心へと確かに伝わってしまう。
敵への恐怖、戦うこと自体への恐怖、日常を失うことへの恐怖。そして――カズキへの、恐怖。
「さってと、お風呂入っちゃいましょうか」
「うん!」
部長として、巻き込んだ者としてみんなを守る。それは命だけでなく心だって例外ではないのに、無事に成せているとは口が裂けようが申せない。
勇者部の恐れは、カズキの心を強く傷つけた。
それに触れて怒ってもいい。疑問を強く呈してもよい。状況に無理を強いられ戦わされて、挙句味方であるはずの存在から疎まれるなど、本来あってはならないこと。
だというのに、彼はそれをしょうがないと割り切っている。戦意の最中で上辺だけ汲み取れた感情は、少なくとも風達を批難するような棘は含まれていなかった。――――奥底にある真実は、分からないが。
「…………」
数時間前とは打って変わった上機嫌な背中が、脱衣所へ向かうのを尻目に、決意を新たに確固とする。
その材料である不快な文章は、再びスマホの液晶に映し出す。
――――引き続き郡カズキの動向にも注意されたし。必要があれば速やかに――――――――――――処「ッ!」
眺めていれば無意識に端末を叩き割ってしまいそうで、慌てて視線を切った。
「……馬鹿げてる」
そこから先の無機質な文字は、何度読み返しても顔が顰む。
度し難い怒気と悲観が浮かび上がって、液晶に反射した自分の顔色にも思わず納得。
そりゃ一度は暴走して明確な危機と変わったこともあったが、それだって責任を辿るなら、それほどに不安定な力を運用させようとしている大赦側の方が責は大きい。ああも肌に感じる禍々しさを、絶望的な厭な予感のさせる力を、命の賭かった戦場という流動的な場で使おうものなら不備の一つや二つは出て然るべきだ。
言うなれば制御し切る術も用意していない方が悪い。少なくとも郡カズキは、間違いなく戦わせられているだけの被害者なのだから。
「守らなきゃ」
不器用だが他者を慮ろうと努力できる人柄だ。恐怖されていると知ったからこそ、以前以上に気を遣おうとできるのは善良である証。
誰かを想うことできる優しさを持った彼が、状況に流された果てに敵と見做されるなど、そんな悲劇があってたまるか。
「アタシが……みんなを、守らなきゃ」
責任を果たす。
それが風の戦う理由。
勇者部と共に在る理由だった。
「――――……しかし、郡……か」
記憶に刻まれた、暴虐を振るう存在へと変貌したカズキを思い返していれば、付属して思い出されるのは彼岸花の残影。
ピクリとも動かない無表情で、紅の軌道が敵を粉微塵にした光景は朧げに覚えているし、
あまりに当然のように現れたものだし、疑いの人物はその後もてんで普通にしていた。その件についても一切触れることは無かった。ので、てっきり他人の空似かと思っていたが。
郡という珍しい名字、同い年にしては妙に大人びた姿勢、学校の弁当にカレーライスを持ち込むなど。本人の性格も相まってか基本一人で行動したりと、これだけならクラスで浮いている美少女と片づけられる。しかしそれにしてはやけに風へと絡んでくる機会は多い。良き友人としての関係は築かれているが、やはり変わった娘なのだというのが今までの認識。
「あのも後カズキと消えてったし……もしかして……」
もし、カズキと何らかの関係性があるのならこちら側である疑いは深まり――――逆に彼女がこちら側なのだと仮定しても、やはりカズキと何らかの形で関係性が存在しているのだろう。
一度でも関連付ければ、たまに勇者部の様子を遠回しに聞いていたのは、もしやカズキを確認したいがためなのではと疑ってしまう。
「……もう聞いてみるか」
最近は彼女も気落ちしているような雰囲気を隠せていない。内々で何かしらがあったことを丸分かりなくらいは、その落ち込みようは果てしない。今なら口を滑らす可能性にも期待できるだろう。
もしも
これ以上顔見知りが巻き込まれるなど、風としてはたまったものではない。
叶うか不明な願いを神樹へと投げて、今日の犬吠埼の一日は終わりを告げようとしていた。
潮に埋もれた底から、確かな鼓動が聞こえる。
鼓動が響いているのなら、その存在は生きている証明。今は眠っているその場所は、永い眠りにつきながらも生きているのだ。
さざ波の聞こえる海岸。
誰かの軌跡が飾られた神社の本殿。
活気の気配が今では失せた校庭。
西尾商店と看板が掲げられた店はどんな店だろうか。
古めかしい趣のある器屋。
時代を感じさせるその場所には珍しい、少しだけハイカラな喫茶店。
見るものすべてに暖かく、優しい気配を感じる。
歩いて回る景色に見覚えなんかない。記憶に無いなら、夢になんか現れるはず無いのに。
でも。
「綺麗な、
『……――――』
嬉しそうな反応を見せてくれて、こっちまで朗らかになってきた。
ここが
懐古を呼び起こさせる、親しみある住宅地を誘われるように進む。
見知らぬと地なのは確かで、地理など分かる訳が無い。それでも指針は存在している。
「君が俺を呼んだのか?」
『――――』
小さな笑顔は赤く揺らめいて、フワフワと浮遊して先導する少女。
初めて見たどこかで見ない顔は、どこかの誰かに似た顔立ち――――かどうかは知らない。
でもどうしてか、彼女が導く先へ向かうことに何一つの抵抗も生まれない。幽霊のようないでたちの少女。けれど身を委ねることへの恐怖は、何処にも見当たらない。
誰にも対しても抱くことの無かった安心感が、彼女からは憂い一つなく受け取れるのはどうして。
「……どこまで行くんだ?」
『――――……』
「そっか、今の俺は変質してないから……だから話せないんだな」
『――――』
夢と夢を繋げたクロッシングは、彼女から齎された対話の手段。カズキへと選択を委ねてくれた時と同じ、しかし残念ながら今のカズキには繋がり切れるほどの力が足りない。
かと言ってそのためだけにザインやニヒトへと変質するのは、彼女には申し訳ないが恐怖が勝ってしまう。
「ごめん……俺が、臆病だから」
『……、……』
「せっかく君が気に掛けてくれるのに……ごめん」
『…………』
「……得体のしれない存在になっていく感覚が、すごく怖いんだ」
顔は見えるだけよかった。こっちの声もあっちの声も、互いへ届いてはいない。けれど表情が見えるから、カズキの自責も、彼女の慮りも互いへ伝わっている。拙いクロッシングでも、微かに伝わる心情は相互理解を後押ししている。
気にしていないとでも言いたげに、彼女は先導を再開した。
大きな建物は少なく、頭上が開けているこの島は空を阻むことは無い。蒼く広々としたソラの下を歩いて、命の緑が溢れる小山を進んでいく。
景色をカズキへ見てもらうようにゆったりと、紅に揺らめく彼女はカズキの前を進んでいく。
「他には、誰もいないのか?」
『…………、――』
「……いや、いるんだな。君以外にもここに」
『――…………』
姿は見えないが、彼女以外の存在を感じていた。
でも島と共に眠っている。その存在は
お披露目したいしたいと笑顔が騒がしく、確かにこれは、誰かと共有したくなるのも頷ける。
「本当に、綺麗なところだな」
『――――、――』
「ずっとこうして眺めていたい……連れてきてくれたのは、この景色を見せたかったから?」
立ち止まった此処はきっと、島を一望できるとっておきの場所。
ソラの蒼とウミの青が水平線を描いて、その下には人々の暮らしが垣間見えるのだろう。
キラキラと、蒼穹を映し出す水面が美しくて――――少し、羨んでしまった。
「こんなにも綺麗な場所が、帰る場所の人もいるんだな」
自分もその枠組みに入れたのなら、どれほど幸せだろうかと。
「…………その人は幸せ者だ」
『……――――、……』
「俺には、帰る場所が無いから」
凪いだ風は涼やかで、潮風の香りを乗せて届けられる。ざわめいた新緑は耳障りが良く、ずっと此処にいたいと願いたくなる。
気候は穏やかで過ごしやすい。ここは優しく暖かで清らかな島だ。
でも、ここはカズキの帰る場所ではない。
カズキの帰る場所は、何処にも存在しない。
どこにも帰ることなく、戦いの中で虚無へと行き着くのだろう。
『
「前は――多分、いた」
なら確かな存在として、真壁一騎はそこにいた。いなくなっても尚、誰かの記憶と心に残り続けているのだ。
結城も、千景も、ずっと覚え続けているヒト。多分、あの『楽園』にも居た存在。
では自分はどうなのか。
存在と虚無の力が発露したその日の答えから、自分は幾ばくかの成長を経ている――――などと自惚れることを、どうしてできようか。
「今は……分からない」
慈しみを乗せた無言の問い掛けに、そんな答えしか返せない自分が、たまらなく嫌だった。
「でも戦うよ」
理由はきっと、とある部室にあるのだ。
そこに広がる日常を守るために。
そのために、真壁一騎の残滓はここにいる。
『……、……――――』
「分からなくても、俺は――――
島へ連れていかれた心が、肉体の覚醒と共に急速で帰ってくる。
――て――――に帰りたくないと、無意識に手を伸ばせど虚しく引き戻される。
綺麗な場所に居たいと、そんなささやかな願いよりも、状況と自分の選択はそこへ繋ぎ留めるのだ。
――――――――戦うよ」
年季の入った天井を眺めて、そう囁いた。
戦うために、ここにいることを選んだ。
きっとそうすれば、本当の自分に出会えるはずだと信じて。
インドカレー屋のカレーと自作カレーの違いは埋めがたい