テーマは「ぼくのかんがえるさいきょうのじゅじゅつし」強くて物腰柔らかいふりをした執事なおじいちゃんは好きですか。ぼくはすきです。
五条悟の世話係のおじいちゃんが主人公。だいたい孫のごとき主を転がして遊んでいます。

クロスオーバーを含む番外短編:https://syosetu.org/novel/300029/

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最強よ、傲慢であれ

 黒を基調とした仕立てのいいスーツに、少し白髪の交ざったオールバック。右目にはモノクルをつけていて、まるでフィクションの中からそのまま出てきたような。そんな、いかにもな老紳士というのが第一印象だった。

 そのひとは突然呪術高専の教室に現れ、そして私の隣に座る彼ににこりと微笑みかける。

 

「お迎えにあがりましたよ、悟さま」

 

 そのときの悟の顔ときたら、何というか。そう、傲岸不遜で我が道以外に興味のない悟にはまったく似つかわしくない、まるで親に悪戯を見つかってしまったときのような。少なくとも私は、初めて見る表情だった。

 

 *

 

「だぁから俺は行かねえって言ってんだろ静寂(しじま)! わざわざ高専まで迎えに来んな!!」

「来ないと仰るなら迎えに行きますと申し上げたと思いますが? おいたわしや悟さま、この老骨よりも記憶力が衰えられたとは……お医者さまにも診ていただきましょうね、頭の」

「はああああ!?」

 

 怒りでわめく悟に構うことなく、静寂と呼ばれた老紳士はにこり、と私の方を見て微笑みかける。今は休憩時間で先生もおらず、硝子は今日別件で欠席をしていた。

 

「お騒がせして申し訳ありません。わたくし、悟さまにお仕えしております静寂無我と申します。いつも悟さまがお世話になっております」

「これはご丁寧に。悟くんのクラスメイトの夏油傑と申します」

「ええ、お噂はかねがね。お若くして特級呪術師を務めているばかりか、悟さまとご友人でいらっしゃると! さぞお心の広い方なのだろうと思っておりました」

「いえいえ、そんな」

「俺抜きに呑気に自己紹介しないでくれる!?」

 

 挨拶は大事なのですよ悟さま、と少しも怯える様子のない静寂さんがさらりと言うので、そうだよ、と私もノっておくことにした。

 しかし、まさか悟にこんな口を聞ける人間がいるとは思わなかった。

 

「わたくしとて、悟さまがおとなしく顔を出してくださると仰るならわざわざ迎えになど来るつもりはなかったのですよ。まったく、一分で構わないとまで妥協して差し上げたのに、まだ駄々をこねるとは」

「一分だろうが何だろうがヤなもんはヤなんだっつーの! だいたい、いつもは平気で握りつぶすくせに何で今回だけ話通してんだよ!?」

「無論この静寂、本来なら悟さまの意に染まぬことを押しつけるつもりはございませんとも。しかし、これだけはお願いしますと申し上げたにもかかわらず、お正月の挨拶回りをサボったのはどこの悟さまでしたかな?」

「もう俺だって言ってんじゃねーか。いいだろ別に挨拶回りくらい!」

「ご親戚からわたくしへのイヤミが七割増しでした。面倒なことこの上ない」

「ただの仕返しかよ!!」

 

 何を当然のことを、としれっと返す静寂さんに、思わず吹き出す。ぎろりとサングラスごしの六眼に射貫かれたが、こんなに言い返される悟なんて珍しすぎて笑うなという方が無理だ。

 おやおや、と愉快そうに静寂さんも笑う。

 

「どうぞ、盛大に笑っていただいて構いませんよ。貴方も日頃悟さまには苦労させられていらっしゃるのでしょう」

「すみません、つい。五条家の方は悟くんに絶対服従だと思っていたので、意外で」

「ふふふ、わたくしが入り婿だというのもあるのかもしれませんな」

「いやそれ絶対関係ねーだろ。お前初対面からそんなんだったじゃん」

「おや、そうでしたかな?」

 

 入り婿、と繰り返すと、妻が五条の方で、本当は静寂も旧姓なのです、と目尻に笑い皺が浮かぶ。何となく渋い顔をした悟が、大きく息を吐いて机に突っ伏した。ひとしきりわめいて少し落ち着いたらしい。顎を机にひっかけるようにして、目線だけを静寂さんに向けた。

 

「とにかく俺、行かねーから」

「結局、何に行かないって言ってるんだい?」

「見合いだよ見合い。俺の最強の種が欲しいやつなんてごまんといんの」

「ああ、そういう……」

「一分顔を見せてくださればあとは適当に潰すと申し上げているでしょう」

「やだ」

 

 ぷいっと子どものように顔を背けた悟。

 やれやれ、と静寂さんは頬に手を当てて息をついた。

 

「ではここで、悟さまには二つの選択肢がございます」

 

 しかしこの程度の駄々で怯んでいては五条悟に仕えることは出来ないらしい。にっこりと輝く笑顔を浮かべた静寂さんは、白い手袋に包まれた長い指を二本立てた。それだけでうげ、と悟は顔をしかめる。

 

「一つ、おとなしくお見合いに臨んでいただく。きっかり一分顔を見せていただければ、そのあとのことはこの静寂が責任をもって潰すとお約束しましょう。二つ、どうしても嫌だと仰るのであれば、やむを得ません、それもよしとしましょう。しかしその際は今ここで、幼少の悟さまの成長記録を事細かにご報告申し上げます」

「えっ聞きたい」

「傑てめっ」

「では、悟さまの夜泣きとおもらしの記録から」

「静寂ァ!!」

 

 がたりと立ち上がった悟に、静寂さんは音もなく近寄る。気配も音もなく、本当に気づいたらそこにいたような、そんな足捌き。

 そっと圧のある笑顔を悟に向けて、とどめの一言。

 

「どう、されますか?」

 

 そこで悟はぐ、と右手に力を込める。まさかここで術式を、と身構えたが、同時にほんの少し、静寂さんも腕を動かしたように思えた。悟の身体が邪魔でよくは見えなかったが、わずかに感じた呪力の揺らぎ。静寂さんまで術式を、と思ったそのとき、すうっと冷たい風が吹いたような気がした。

 悟の右手から力が抜けて、組まれかけた掌印がほどける。

 

「……行きゃーいいんだろうが行けば!!」

「さすがは悟さま、引き際をわかっていらっしゃる! では急ぎ担任の方に早退の連絡をお願いいたします。ついでに荷物を寮に置いて身支度も整えていらっしゃい」

「何で身支度まで」

「五条家で身支度を、となるとまた面倒でしょう?」

 

 シャワーくらい浴びていかないと徹底的にお世話をされて和装まで着せられますよ、と静寂さんが言えば、簡単に想像できたらしい悟はうんざりという顔をして鞄を取った。

 なんともはや、ここまで悟が見事に転がされていると愉快で仕方がない。この場に硝子がいなかったのがひたすらに残念だ。きっと盛大に笑って連写していただろうに。

 あーくそ、と言いながら悟は静寂さんの隣を通って教室の戸に手をかける。そこで振り向いて、これだけは、と口を開いた。

 

「言っとくけど静寂、傑に余計なこと言うんじゃねーぞ」

「無論、わかっておりますよ。三十分以内に戻ってきていただければ」

「しれっと時間制限つけんな!!」

 

 言い捨てると同時に走り去った悟に、また小さく吹き出した。

 今から職員室行って先生に事情を説明して、寮に走ってシャワーを浴びて、三十分。うーん、ぎりぎり間に合うかどうかというところだろうか。夜蛾先生は話が長いから、それに捕まったら即刻アウトだろう。

 そんな私の内心を見透かしたように、小さく静寂さんは微笑む。

 

「実はわたくし、夜蛾先生とはもともと知り合いでしてね」

「え? そうなんですか」

「ええ、こちらに来る前に挨拶をして事情を説明し、早退の申請も手配が済んでおります。悟さまは烏の行水がお得意ですし、三十分あれば間にあうと思いますよ」

「……なるほど」

 

 事前に展開を読んだうえで用意をしておく、この手回しの良さ。一瞬で距離を詰める身体捌きや、何らかの方法で悟の戦意を削いだ手腕を含め、間違いなくただものではない。

 私が知る限り「静寂」という呪術師の家系は聞いたことがないから、おそらくは一般家庭の出。なのに「五条」への入り婿が認められ、幼少から悟の世話を任されるほどの呪術師。

 興味がないわけがない。

 

「静寂さんは昔から悟くんに?」

「ええ、悟さまが四つのときから。それはそれは可愛らしく可愛くない方で、これは手を焼かされると初対面から直感いたしました」

「ははは、わかる気がします」

 

 まあ悟のことだから、間違いなく(外見は)可愛らしく(態度は)可愛くなかったのだろう。めちゃくちゃ簡単に想像できる。

 どこまで聞いても大丈夫かな、と静寂さんの顔色を探りながら続けた。

 

「悟くんの世話を任されるなんて、すごいことなんじゃないですか? 評価されているんですね」

「さて、さて。それまではここで教鞭をとっていたおりましたから、それもあってのことでしょう。若かりしころの話ですが、教育に力を入れていたこともありまして」

「へえ! あ、もしかして夜蛾先生とはその縁で?」

「その縁と申しますか、実は彼は元教え子なのですよ」

 

 教え子、と思わず繰り返した。意外というほど意外なことではないのだが、やはり今担任を持って頂いている身としては、夜蛾先生の学生時代など想像もつかない。

 ふふふ、と静寂さんは懐かしむように続けた。

 

「非常に優秀な生徒でしたよ。能力もそうですが、それはそれは勉強熱心でしてね。毎日毎日いじめぬ……指導をしても、彼は食らいついてきてくれました。ええ、自慢の生徒のひとりです」

「静寂さん、言い直すのが少し遅かったのでは?」

「おや、何か空耳でも聞こえましたかな?」

「ははは、そうかもしれません」

 

 なるほど、温厚そうに見えるが昔はまた違ったのかもしれない。いや、この笑顔のままいじめ抜いたのか? どちらにしろ面白そうだ。これは夜蛾先生もつついてみるとしよう。

 悟くんに対しても指導をしたのですか、と尋ねれば、どうでしょうね、と静寂さんはイエスともノーとも言えない返事をする。

 

「お教えしたことがないとは申しませんが、指導といえるほどのことをしたかどうか。所詮わたくしはお世話係、決して師弟といえるような関係ではございません。とはいえ、悟さまにものを言える人間などほかにはおりませんので、少しばかりお説教をすることはございましたが」

「悟くんがお説教を聞くというだけで驚きなんですが」

「これでも、わたくしが悟さまに苦言を呈すことは滅多にございませんからね。たまの真面目な話くらいは聞いてくださいますよ」

 

 よく言う、と思った。

 いくら幼少からの縁があろうが、日頃からわがままを聞いてやっていようが、あの悟が認めてもいない人間の言うことを聞くはずがない。

 やはりこのひと相当の、と思ったところで、静寂さんは思わずと言ったように小さく笑った。

 

「何とも、興味津々といったご様子ですな」

「……これは、申し訳ありません。あの悟くんが一目置くほどの呪術師の方だと思うと、どうしても気になってしまって」

「いえいえ、正直なところお気持ちはわかります。わたくしとて、夏油さまには是非一度お会いしてみたいと思っておりましたから」

「私と?」

 

 ええ、と優しげな微笑みで静寂さんは頷いた。悟さまは、いつも貴方のことを楽しそうに話されるので、と。

 

「同じくクラスメイトだという家入さまや他の方の話もされますが、やはり貴方の話が一番多い。どんな話をした、どこへ遊びに行った、どんな悪戯をした、どんな喧嘩をした、と。あれほど楽しそうな悟さまを、わたくしは見たことがございません」

「……それは、」

「五条の家に、もはや悟さまと対等に話せる人間はおりません。ええ、本当に、貴方がいてくださってよかった。心からそう思っているのです」

 

 その言葉には、少しの嘘も見えなくて。さすがに私も、ここまでストレートに言われてしまうと照れくさくも感じる。

 と、少し言葉に困ったところで、静寂さんはくすりと笑う。それを見て、ん、と固まった。その笑い方は、先ほどまでの慈愛に満ちたものとは全く違う、そう、完全にひとをからかうときに使うそれ。

 明るすぎる静寂さんの声が、軽快に響いた。

 

「いけませんな夏油さま、これしきの言葉で誤魔化されてしまうとは」

「……あの?」

「ああ、いえ、悟さまが貴方の話ばかりするのも、わたくしがそれに感謝しているのも事実です。しかし、話題を意図的にすり替えられ、会話の主導権を奪われたことに気づけないようではいけませんな。呪術師たるもの、常に懐疑的であってしかるべきですよ」

 

 それこそまるで、教師のように。幼い子どもに、言い聞かせるように。

 ああなるほど、このひと悟にだけでなく私にもそういう態度でくるのか、この野郎。

 

「……静寂さん」

「何でしょう?」

「もしかして悟くんの性格の悪さ、貴方の影響もあります?」

 

 そう言うと、静寂さんは堪えきれないという風に肩を震わせる。

 性根が完全に捻くれている悟のルーツを今、垣間見たような気がした。このひとに幼少から遊ばれからかわれ続けたのだとしたら、そりゃ性格がねじれきるのも仕方がない。

 引きつりそうになった頬の筋肉を気合いで固定して、何とか笑顔を保つ。が、貴方も存外可愛らしい方のようで、と言われるとそれも無理だった。ひくり、と頬がひとつ痙攣する。

 

「おやおや、お気に障りましたかな。どうか老い先短い爺の戯言と思って、広い心でお聞き流しください」

「……貴方、どう見ても長生きするタイプでしょうに」

「ふっふっふ。いえ、申し訳ありません夏油さま、若人を見るとからかいたくなるのは年寄りの性分というものなのですよ。きっとその、心根の純粋さが羨ましく見えるのでしょうな」

 

 静寂さんは言いながらスーツの内ポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認する。そろそろ悟さまがお戻りになる時間ですな、と呟いて、また時計を懐に戻した。

 そしてまたにこりと、元通りの柔らかな微笑みをこちらに向ける。

 

「悟さまも、貴方も、まだまだ青い。しかしこれは、決して貶しているわけではございません」

 

 どうかこの呪いの世界を、そのままで生き抜いてくださいますよう、と。その言葉はどこか、祈り(のろい)のようにも聞こえた。

 静寂さんの細められた眦は、どこまでも優しい。

 

「……いけませんな、教師時代を思い出してつまらないことをつらつらと。実はわたくし、恥ずかしながら夏油さまには親近感を覚えておりまして。ついつい余計な口を出してしまいました」

「親近感、ですか?」

「ええ。夏油さまは、呪霊操術をお使いになるのでしょう?」

 

 悟のやつ、そこまで喋ったのか。

 まあ知られて困ることでもないが、と何の気なしに頷くと、静寂さんはすっと自身の胸に片手を添える。

 

「呪霊を取り込み使役する術式に、わたくしの術式と似通ったものを感じまして」

 

 お互い、難儀な術式を持ってしまいましたね。

 その言葉に、思わず目を見開いた。何故だか口の中に、じわりと嫌な味が広がる。それは今まで義務と思って飲み込み続けてきた、呪霊の味だった。

 どういう意味ですか、と言おうとしたところで、静寂さんはおどけたように両手を開く。

 

「とはいえ、生まれながらにもってしまったものは受け入れるほかありません。術式も、呪力量も、家柄なんかもそうでしょうか。それをどう活用していくかを考えた方が、よほど建設的というものです。そんなものに自ら呪われてしまうなど愚の骨頂ですからな」

「……静寂さん、」

「ああ、時間ですね」

 

 同時に、聞こえてくる廊下を走る足音。どたどたと無遠慮に、一直線にこの教室へと近づいてきた。廊下を走るな、という教師の怒鳴り声も遠くで響く。

 教室の戸が、盛大な音を立てて開かれた。

 

「セーフだろ静寂!!」

「お見事です悟さま。ちょうど今、悟さまが六つのときに屋根から落ちて大泣きした話をしようとしていたのですが」

「何でもう少しゆっくり来てくれなかったんだい、悟」

「ふたりして残念そうな顔してんじゃね-!!」

 

 本当に余計なこと言ってねえだろうな、と不機嫌そうに言う悟に、ちらりと静寂さんを見る。静寂さんの目線もこちらに向いていて、その黒い瞳と目が合った。

 同時ににこりと微笑みを作って、悟に向ける。

 

「この静寂、誓って何もお話ししておりませんよ」

「うん、何も聞いていないよ、悟」

「めちゃくちゃ疑わしいんだけど何? ねえ何? 同じ顔で笑ってんじゃねーよ何お前ら仲良くなってんの?」

「おやおや、初めてのお友だちだからといって嫉妬はいけませんよ、悟さま」

「え、悟って私が初めての友だちだったの」

「静寂ァ!!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴る悟に、堪えきれずに吹き出した。だめだ、やっぱり誰かの掌の上で転がされ続ける悟なんて面白すぎる。傑も笑うな、とわめかれるが、欠片も怖くない。

 そんな私に、多分内心では大笑いしているだろうお世話係が、澄ました顔で礼をした。

 

「では夏油さま、雑談にお付き合いくださいましてありがとうございました」

「とんでもありません。興味深い話を伺えてとても楽しかったです」

「オイそれ俺の話じゃねーだろうな」

「遅くなりましたが、よろしければ名刺を。何かございましたら是非ご活用くださいませ。悟さまの恥ずかしい話であれば、夜通しお話できる程度にネタはございます」

「それはありがたい。是非活用させて頂きます」

「無視してんじゃねえってか何に活用する気だ傑!!」

 

 何にってそりゃあ、まあいろいろと活用の道はあるだろう。

 伸びてきた長い腕をさっとかわして、その小さなカードをポケットにしまう。あとでちゃんと携帯に登録しておこう。長い腕の持ち主の盛大な舌打ちなんて、決して私の耳には聞こえなかった。

 ほらほら少しは落ち着いてください、と静寂さんに窘められた悟は、完全にただの癇癪を起こした子どもに見えた。むむむ、と唸る様子はもはやいっそ可愛くて、悟にもこんな顔をできる相手がいたのか、と何だか微笑ましい。

 師弟ではない、と静寂さんは言った。もちろん、血縁ですらもない。でもきっと「ただのお世話係」でもないのだろうと、ふたりの様子を見て思う。悟の傍にそういうひとがいてくれたことには、素直によかったと思えた。

 

「では、そろそろ参りましょう。夏油さま、お騒がせいたしました」

「いえいえ」

「ったく……傑、夜には戻っから」

「ああ、気をつけて」

 

 見合いで気をつけるも何もねーよ、とぶちぶち文句をいいながら悟は私に背を向ける。綺麗な一礼を残して、静寂さんも主に続いた。

 二人分の足音と軽やかな会話が廊下を歩き、次第に遠ざかって、消える。それを確認して、改めてポケットから名刺を取り出した。

 

「……静寂、無我ね」

 

 煙に巻かれたうえにからかって遊ばれたのは何とも面白くなかったが、別に嫌なひとだとも思わなかった。むしろ一枚も二枚も上手のひとにやりこめられるのはずいぶんと久しぶりで、新鮮ささえ感じた。

 悟の昔話だけでなくもっといろいろな話を聞いてみたい、と素直に思える人間に出会えることはそう多くない。さっそくあとで挨拶のメールでも送って、繋がりだけでもきちんと残しておこう。

 何より、あの言葉の真意はちゃんと聞いておきたかった。

 

『お互い、難儀な術式を持ってしまいましたね』

 

 そのうえで、出来ることならちゃんと伝えたいと思う。私は、この術式を嘆いたことなどないということを。むしろ、幸運だとすら思っていることを。

 私はこの力のおかげで悟の隣に立ち、ひとびとを守ることができるのだから。

 

 だから、そう。

 呪霊の味に、嘆くほどの価値などあるわけがないのだ。

 

 

 ***

 

 

 あーめんどくさかった。ため息をつきながら、ようやく戻ってきた寮の廊下を歩く。

 久しぶりの実家はいつもと変わらずごちゃごちゃとうるさいし、俺が珍しく見合いの席に座ったからって相手は妙に期待しているし、本当に面倒な部分は静寂が全部片付けたとはいえ、それはもうめちゃくちゃ面倒だった。それでも見合いの席ではきっかり一分堪えたのだから俺は褒められるべき。もう絶対見合い話もってくんじゃねえぞと静寂には念を押したので、おそらく二度目はないことだろう。

 備え付けの自販機のある方向から、がこんと缶の落ちる音が聞こえた。お、と思ってそっちに向かってみると、そこにはやけに静寂と意気投合していた相棒の姿。

 

「ああ、おかえり悟。思ったより遅かったね」

「おー。めちゃくちゃめんどくさかったわ」

 

 悟クン頑張ったからジュース奢って、と笑顔で言ってみたが、いつもの笑顔のままスルーされた。おい世界一のイケメンの渾身の笑顔だぞもっとありがたがれや。

 ケチ、と言いながらポケットから小銭をだし、仕方なく自分でコーラを買う。長椅子で缶を傾けていた傑の隣に座って、俺もプルタブを開けた。ぷしゅ、と空気の抜ける音がする。

 

「お見合いは平和的に終わったのかい?」

「そうなんじゃね? 相手の顔も覚えてねーけど、一分座ったあとは静寂に任せたし」

「それはお相手も気の毒に」

「俺の顔が見れただけ感謝すべきだろ」

 

 いつもだったら全部問答無用で切り捨てんのに、と苦い顔で言えば、ふふ、と傑は楽しそうに笑う。

 

「本当に静寂さんを信頼しているんだね」

「信頼ィ? 傑お前マジでそういうかゆい言葉好きだな」

「本当のことだろう? 五条家は君のワンマンだと聞いていたから、まさか君の傍にああいうひとがいるとは思わなかったよ」

「……まあ、俺にあんな口聞くのは確かに静寂くらいだけど」

 

 物心ついたときからすでに、俺に逆らうような人間はひとりもいなかった。逆らわないどころか、俺の不興を買わないようにこっちの顔色をうかがうようなつまらない人間ばかり。

 毎日が退屈で退屈でどうしようもなかったときに、俺の前に現れたのが静寂だった。

 

『おやおや、これはまた見事なクソガキですな』

 

 開口一番にこれだったのだから、静寂という人間がわかろうと言うものだ。初っぱなから盛大に喧嘩を売っておきながら、どれだけ俺に邪険にされようと、静寂は傍を離れなかった。大して話したこともない両親よりもずっと、俺に近しい存在だった。

 底が知れないひとだよね、と傑もいっそ愉快そうに言う。

 

「今日、私も軽くからかわれてしまってね。少し悔しい思いをした」

「お前らマジで何の話してたの?」

「たいした話はしてないよ。静寂さんが高専の教師をしてたとか、そういう話」

「ああ、夜蛾が元教え子って話?」

「そうそう、いじめ抜いたって言ってた」

 

 それはマジ、と言うと、じゃあ今度夜蛾先生に昔話を聞いてみよう、と傑は楽しそうに言った。今日もそうだったが、静寂の名前を聞くだけで夜蛾は震え上がるのだから、いったいどれだけえげつなくいじめ抜かれたのかと。

 どれだけ恐れられようが、嫌われようが、必要とあれば心を鬼にしますとも、と静寂は殊勝な顔をつくっていたが、あれは間違いなく楽しんでいたのだと思う。

 

「ひとからかっていじめて遊ぶのが生きがいのクソ爺だからな」

「いやあ、それが言い過ぎともいえないひとだったね。さすが悟の世話係」

「あんだとコラ」

「でもそれが出来るくらい、強いんだろう?」

 

 やけに確信をもったようにそう言われて、思わず黙る。

 静寂が強いかだって? んなもん、決まっている。

 

「……アイツあれで二級なんだよ」

「え? 意外だな」

「若いときに上層に喧嘩売りまくって暴れ回った結果、一級に推挙する人間がいなかったんだと」

「……マジで言ってる?」

「大マジ」

 

 二級呪術師が一級に昇級するためには、二人以上の一級術師から推挙される必要がある。その上で任務を重ねて認められる必要があるわけだが、そもそも静寂を推挙する人間がほとんどいなかったというのだからマジで何やってきたんだアイツという話だ。

 一応、有力な呪術師の全員が全員敵という訳ではなかったし、推挙してくれようとしたやつもいたらしいが、面倒なので良いです、とむしろ断ったらしい。

 そのくせ、上層からの嫌がらせで二級呪術師には有り得ないような任務を振られても、いつも平気な顔で戻ってきたのだという。

 

「……悟、静寂さんて何者だい?」

「どっちかっつーと俺が知りたい。いや知ってんだけど、マジであいつの頭ん中とかわかんねえんだよ。……ただ、」

 

 今の俺が勝てないくらいには、強い。

 そう言うと、傑は息をのんだ。

 

「言っとくけど『今の』だぞ。俺がもーちょっと術式使いこなしてマジの最強になれば絶対負けねえし。つーか俺と傑で行けば勝てるし。多分」

「二人がかりで『多分』なのかい」

「そんだけアイツの術式は反則なの。そのくせ『戦闘とは術式を披露する場ではないのですよ。術式の力だけで勝とうとしてはいけません』とか言って、策も練るし爺のくせに体術も半端ねえし。弱点という弱点がねえんだよ、ただの化け物だわ。いや絶対何年かあとには俺のが強くなってるけどな」

「それはもはや特級では?」

「見かねて特級にしちまおうとしたやつもいたらしいけど、自分を特級にしたら呪殺するぞって脅しつけたんだと」

 

 余計な注目を浴びたくなかったもので、とかどの口でほざくのだろうかあの爺。何かしらのこだわりがあってのことだろうが、もはや理解するのは諦めた。

 傑も顔に微笑みをのせたまま、言葉が出てこないという様子。だからアイツの頭の中とか考えるだけ無駄なんだっつーの。

 

「……とりあえず、悟」

「あんだよ」

「聞いていいのかわからないけど、静寂さんの術式はどんなものなんだい?」

 

 呪霊操術に似ている、と今日言われたのだけれど。

 傑の言葉に、まばたきをひとつ。静寂の術式は当然知っている。知っているが、呪霊操術に似ている? そうか? と思いながら、首をかしげた。

 

「……似てるか?」

「いや、私は知らないけど」

「静寂の術式は『解呪』だよ」

「……解呪?」

 

 呪いを操る呪術師にとって、これほどわかりやすく「天敵」といえる術式もないだろう。術式を呪力にほどき、その呪力をさらに根源である「負の感情」にまで解体してしまう、まさに最強の術式。当然、呪力によってその身体を構築されている呪霊も、その術式の前ではただの「負の感情」の塊に過ぎない。

 解呪の術式にデメリットがないわけではないが、少なくともその術式の前では、五条の無下限術式ですらも意味をなさなかった。

 だから静寂に勝つには確実に隙をつくり、術式を発動させる前に攻撃を成功させるか、呪力を用いない方法でダメージを与えるしかない。だがそんな隙をやすやすと作ってくれるほど、あの老練の呪術師は甘くないのだ。いや、絶対近いうちに勝ってやるけど。

 

「……もしかして、今日、教室で悟が立ち上がったとき風が吹いたような気がしたのは……」

「静寂の術式は、いったん自分の身体に相手の呪力を取り込んでから解体するからな。風が吹いたっつーか、俺の呪力を吸い取ったようなもんだからそう感じたんだろ」

「なるほどね。……呪力を一度自分に取り込むから似ているって言ったのかな?」

「かもな。知んねーけど」

 

 対象の呪力を自分の身体の中に取り込み、暴き、解く。

 わたくしの感覚としては編み物ですな、と静寂は呑気に言った。編み込まれた毛糸の端を引っ張って、ただの糸玉に戻してしまうような、と。そしてその毛糸すらも解きほぐして、細い細い繊維にまで直してしまうような。

 

『繊維にまで戻せば、あとは一瞬。ふっと吹いたら消えてしまうわけです』

 

 ただ、俺は静寂がその術式を心底嫌っていることを知っている。多分その術式を使いたくないから、それ以外の戦闘術を磨いたのだ。

 その結果が、俺すらまだ敵わない「最強」の呪術師。

 だけど、静寂はけらけらと笑いながら片手を振るのだ。悟さまなら、わたくしなど今に追い越してしまいますよ、と。

 

「……悟?」

「ん、……ああ、いや、お前が静寂の話ばっかすっから、いろいろ思い出してた」

 

 傑に呼ばれ、はっと我に返る。

 もうずっと、静寂は俺の傍にいた。それこそ高専に来る前まではほぼ毎日、それも朝から晩まで。世話を焼いて、勉強を見て、俺の知らない話をたくさんしてくれて、その何倍もからかい通され笑われて。

 だけどごくたまに、本当にたまに、説教くさいことを言われたりもした。

 

「高専に入学が決まって実家を離れるとき、珍しく静寂が真面目な顔するもんだから、とうとうボケが始まったかって一瞬心配したんだけど」

「悟、言い方」

「本当のことだし~? で、何を言うのかと思ったら、『好きに楽しんでいらっしゃい』ってさ」

「……へえ?」

 

 そう、あのとき静寂はちょっとだけ笑って、確かにそう言ったのだ。それに俺はふざけ半分で「いいの? 俺高専めちゃくちゃ壊したりしちまうかもよ?」とか言ってみたが、それでも静寂は愉快そうに頷いた。

 

『悟さまがそうなさりたいなら、そのように』

『……静寂?』

『はい。……良いですか悟さま、この静寂、たまには元教師らしいことを申し上げようと思います。心してお聞きください』

『それは真面目に聞くなよっていうフリ?』

『わたくしすでに悟さまの担任の方に同情しかないのですが、胃薬でも賄賂にお送りしましょうかね?』

 

 まったく貴方という方は、といつも通りの顔で静寂は言った。人差し指をたてて、変わらない笑顔で続ける。

 

『貴方はまだまだ未熟な若造です』

『あ?』

『ですが、数年も経てば間違いなく《最強》となりましょう。そうなれば貴方は、否応もなく呪術界の中核に立たされることになります。それはもう、ひたすら面倒ごとしかない場所にです。わたくしは力尽くでそこから逃げましたが、五条の血をもつ悟さまはそうもいかないでしょう』

『ま、だろうね』

『そこで貴方は、多くの《手》に囲まれます』

 

 手、と繰り返すと、そうです、と静寂は人差し指を立てていた手をほどいて、俺に掌を見せる。ひどく骨張った、大きな手。よく見ればその手は、細かな傷にまみれていた。

 

『貴方にすがろうとする、助けを求める《手》です。貴方より弱い、全ての者たちの。……ええ、救おうと思えば、ともすれば悟さまなら全員救えるのかもしれません。わたくしとて到達したことのない《最強》の領域であれば、それを不可能とは言いますまい。しかし、その上で申し上げます。悟さま、』

 

 貴方が救いたい者だけ、救いなさい。

 思わず、目を見開いた。

 

『救世主になどなる必要はございません。神も仏も貴方には似合いません。何でもできるからといって、何でもしてやる必要など全くないのです』

 

 貴方がそこまでしてやるほど、この世界は美しくはございません、と。

 そう言い切った静寂の顔はいつも通り。だけど、その声色はいつも通りではなかった。心の底から、そう言っているのだとわかった。

 

『貴方は人間(ひと)でありなさい。ひとの領域を外れるほどの強さを得ようとも、その心だけは人間(ひと)らしさを持ち続けなさい。少なくともこの静寂が見てきた《強者》とは……どんな絶望的な状況に追いやられても勝ち続け、生き残る人間とは、常にそういう人間(ひと)でした』

 

 傲慢で、自分勝手でありなさい。どこまでも、自分のために生きられる人間でありなさい。それを邪魔をすることごとくを滅ぼしてでも、《貴方》を保ち続けなさい。

 

『そのためならこの静寂、何なりとお力になりましょう。どうかご存分に、好き勝手をやっていらっしゃい。……まったく、本当に大きくなられましたな。わたくしも年を取るわけです』

 

 ではいってらっしゃいませ、と、最後にそう言って、静寂は俺を高専に送り出した。

 あのとき静寂が言ったことは、正直俺には「当然だろ」くらいにしか思えない。だけど、多分それでいいんだろうと思う。当然だと思える俺のままでいろと、わざわざあの適当な性悪爺が説教くさいことまで言ったのだ。それなら俺は、ただ俺のままでいればいい。なんてったって俺は、「五条悟」であり「最強」なのだから。

 ぽつぽつとそんな懐かしい思い出を話しながら、コーラに口をつける。鼻を抜ける刺激と舌に残る甘ったるさが、今は心地よかった。

 途中から相づちを打つこともやめてじっと聞いていた傑が、とん、と背中を壁につける。少し疲れたような苦笑をして、言った。

 

「……完全に悟のルーツが見えた気がする」

「そうか?」

「うん。……そうか、『人間(ひと)』らしさ、ね」

「何だよ」

「いいや、だから悟は強いんだと思ってね」

 

 そうか、と傑はまた小さく呟いて、ゆっくりと立ち上がる。そろそろ部屋に戻るよ、と持っていた缶をゴミ箱に放った。

 

「悟も早く休みなよ。明日寝坊しても起こしてやらないからな」

「心配すんなよ、寝坊したらサボるだけだから」

「寝間着のまま教室まで引きずられたくなかったらちゃんと起きな」

 

 うえ、と顔をしかめると、傑はいつものように笑って、おやすみ、と俺に背を向けた。その背中に俺も何気なくオヤスミ、と返す。

 何故だかその背中が、遠く見えたような気がした。

 

 

 ***

 

 

 それは、その出会いから一年と少しが経ったころのこと。

 メールでのやりとりが多かった彼からかかってきた、一本の電話。珍しい、と思いながら携帯を耳元に当てる。

 

「はい、静寂です」

『静寂さん、どうも。……唐突で申し訳ないんですが、』

 

 少し、会ってお話しすることはできませんか。

 穏やかに聞こえたその声色の奥に、妙にほの暗いものを感じた。

 

 


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