—————————そのウマ娘は、どこまでも自由だった。
彼女を始めて見た時、俺はそう感じた。
雨の中を傘もささずに散歩していたその姿がとても印象的だったのを覚えている。
そして、選抜レースでのこと。
彼女は、確かに速かった。だが、どこか窮屈そうでもあった。
だから示した。追込という選択肢を。
すると、俺は彼女にスカウトされた。
俺はそれを快諾し、彼女と契約を結んだ。
俺たちは二人三脚でともに歩み、彼女はクラシック三冠の栄光を、タブーを犯して手に入れた。
だが、その代償として彼女は足を故障した。
その後、彼女は無事に復帰できたものの、どこか苦しそうな表情を浮かべながら走っていた。
それでも、秋の天皇賞を制覇したときの彼女はとても輝いていた。
しかし、それが最後の輝きだったのかもしれない。
なぜなら、あの皇帝に彼女は一度も勝てなかったからだ。
そして、彼女は雨の中でターフに別れを告げた。どこか寂しげな表情を浮かべながら。
彼女の名はミスターシービー。
最も自由で、そして最も愛された三冠ウマ娘だ。
そんな彼女と俺は今、
「ねぇ、トレーナー。次はあのラーメン屋に行ってみない?」
……福岡にいる。
どうしてこうなったのか。それは少し前に遡る。
◇
「トレーナー、旅行に行ってみない?」
「旅行?」
シービーがこうして旅行に誘ってくるのは、これが初めてではない。今までもレースに出るたびに旅行と称して、そのレース場周辺の名所や美味い食事屋を探していた。ただ、引退した後にこの誘いを受けるのは初めてだ。
「そう、旅行。ほら、アタシって引退したじゃん。だから結構暇なんだよね」
「そうか、いってらっしゃい。お土産は期待せずに待ってるよ」
「え~っ!?そこは一緒に行く流れでしょ~!?」
「さすがに俺と二人きりで行くのはいろいろとマズいでしょ。それにシービーは進路のことも考えなきゃいけないし」
シービーは3冠ウマ娘ということもあり、凄まじい知名度を誇る。そんな彼女が一言就職したいというだけで、手を上げる企業はとても多い。そのため、今の俺はシービーの希望や適性などをすり合わせてどのような職業がおすすめなのかを示すための資料作りを行っている。そんな状況で俺がここを離れるわけにはいかない。だが、シービーはどうやら納得していない様子だった。
「今のアタシはアタシ自身が納得できる道を見つけられないんだよ。だから進路については考えないことにしてる」
「そうか..........。でもなんで旅行なんだ?」
「いつも見てるものとは違う景色を見たいからだよ。まぁ要するに気分転換だね。君も一度リラックスした方がいいと思うよ?ストレスは体に毒だからね」
「いつも苦労させられてる原因のシービーにだけは言われたくなかったな。でもまぁ、悪くはないか」
「じゃあ決まりだね!行先は福岡なんてどう?」
「福岡?またなんでそんなところを」
「アタシが行きたくなったから。他に理由がいるかい?」
「いつものか……。わかった、チケットとかは確保しておくぞ。1週間でいいか?」
「ありがとう!トレーナー!」
◇
そして今に至る、というわけだ。
シービーの突拍子もない提案はいつものことだから特に驚きはしなかった。
正直なところそれに助けられたことも何回かある。
それに、シービーに付き合うのも悪くないと思っている自分がいるのも事実だ。
だから今回もなんだかんだで付き添っている。
ただ、シービーの食欲がこっちに来てから妙に大きくなってるんだよなぁ……
原因はわかっている。クロワッサンだ。
博多駅の改札から出てきたとき、妙にいい匂いがしていた。
その匂いを辿って行くと、クロワッサンを売っているパン屋があった。
するとシービーはすぐさま駆け寄り、ウマ娘用サイズのクロワッサンを30個程買ったのちにすぐ外のベンチでそのまま平らげてしまった。
いままでのシービーはここまでの食欲を見せることはなかった。
思えば、これもシービーの異変の兆候だったのかもしれない。
その後も、シービーの食欲は衰えを知らなかった。
そして俺とシービーはラーメン屋にいる。シービーはついさっきクロワッサンをあんなに食べたのにも関わらず。
「シービー、まだ食べるつもりか?」
「しょうがないじゃん。ここに来てからお腹が減ってたまらないんだから。あ、大将。ラーメンウマ娘盛りとチャーシュー丼大盛りに餃子16個皿をそれぞれ一つ。麺はかためで」
「はぁ..........大将、ラーメン並を卵と海苔追加で。俺もかためでお願いします」
「なぁんだ、トレーナーも結局お腹減ってるじゃん。」
「まぁな。ほら、もう出来たみたいだぞ」
「うわぁ、美味しそう!いただきます!」
そう言うやいなや、シービーはすぐにラーメンを啜り始めた。その勢いはそこらのフードファイターを凌駕するほどのものであった。それにあてられたのか、俺も気づけばすでに麺を口に含んでいた。
……うん、美味い。麺と濃厚なスープが奇跡的なバランスで絡み合って、お互いを引き立てながら自身もアピールしている。海苔も、卵も、メンマも、チャーシューも、すべてが美しいバランスで存在していて、このラーメンを一つの芸術品にまで昇華させている。ここまで美味いラーメンを食べたのは生まれて初めてだ。
さて、シービーh「ごちそうさまでした!」いや早くないか!?
「な、なぁシービー。そこにあったラーメンとかは……」
「え?全部食べちゃったよ?」
「そっかぁ、全部食べちゃったかぁ……早すぎないか?」
「ここのラーメンが美味しくてつい箸が進んじゃってね」
「そ、そうか……」
◇
そのあと、俺たちは様々な場所を回った。足湯に入ったり、歌舞伎を見に行ったり。
シービーに連れまわされるのはいつものことだが、今回ほどいろいろな場所に連れまわされたことはない。
ただ、その様子はどこかおかしかった。
焦り、恐怖、憂い、それらが入り混じった雰囲気をかすかに醸し出しているシービーは少し苦しげであった。
そして夕日が沈み、夜の帳が降りてくる最中、シービーから二人きりで話がしたい、という願いを聞いた。
その顔はいつもの楽し気な笑みとは打って変わってさながらレース前のような真剣な表情をしていた。
先ほどの願いを承諾すると、有無を言わさずに展望台へと連れていかれた。
後で知ったことだが、そこは星々の瞬きが美しいことで評判の場所だったらしい。
だが、シービーの心の内側を表すかのように星々も月も空へ隠れてしまっていた。
そして、その展望台で俺たちは柵に体を預けて自販機で買ったコーヒーを味わいながら、空を眺めていた。
「それでシービー。話ってなんだ?」
「トレーナー。アタシは学園に入る前、どんな子供だったと思う?」
「うーん……やっぱり、シービーの事だから自由奔放だったと思うよ。出会った時も、雨の中で傘もささずに散歩してたし」
「あはは、やっぱりそう思うよね。でも残念、不正解。昔のアタシは今とは真逆の優等生だったよ」
意外、だった。シービーは納得のできないことははっきりNoと言える性格だから、小学生の時はよく衝突ばかりしていると思っていた。
「アタシの母親はね、昔結構有名なウマ娘だったんだって。そのおかげかうちもお金持ちで、家庭教師も走りのコーチもついてた。けど、正直な話をするとそれが嫌で嫌でたまらなかった」
「何があったんだ?」
「そのコーチがね、アタシは先行をするべきだってアタシに先行策しかやらせてくれなかったんだ。いくら母親が先行策でいい結果を残したからってアタシに先行策が向いているとは限らないのにね。」
「それはそうだな」
「家庭教師の方もね、アタシは母親に恥をかかせないように品行方正にしろって。でもアタシは反発しなかった。というよりは出来なかった。何故かって?アタシはその時は本音を出せなかったんだ。父親も母親もアタシが自由にすると嫌な顔をする。その顔を見たくないからアタシは本音を出すのをやめた」
シービーは優しい、それは今まで過ごしてきた中でもわかっていた。同僚との飲み会で二日酔いになった時も介抱してくれたし、仕事でのストレスが溜まった時もよく愚痴を聞いてくれた。かつてのシービーはその優しさに押しつぶされてしまっていたのだろう。
「でもね、アタシが一番嫌だったのはこれじゃないんだよ。先行で走ると、周りがアタシのことを母親の娘としてしか見てくれないんだ。アタシはアタシだ、母親の2世じゃない、アタシを見ろ、こんなことばかり考えてたよ。アタシがトレセンに来たのはそんな自分を変えたかったからさ」
「そうだったのか。」
「だからね、トレーナー。キミにはすごく感謝してるんだ。アタシに追い込みという道を示してくれたこと、アタシが自由であるための手助けをしてくれたこと。どっちもアタシにとってはかけがえのないものなんだよ」
「はは、そこまで言われると少し照れるな」
「嬉しかった?」
「まぁな」
「それはよかった♪でもさ。最近思うんだ。今のアタシは本当に自由なのかって」
「どういうことだ?シービーはいつでも自由に過ごしてるだろ?」
「違うんだよミスタートレーナー。」
「というと?」
「今、アタシが言っている自由はそうじゃないんだ。いかなるものにも縛られずにターフを駆けることが出来る。そういう自由なんだ」
「そうか......ん?でも、シービーが自由であることに変わりはないと思うんだが」
「そう思ってくれるのは嬉しいよ。でも、アタシは自由になりきれなかった。アタシの足が丈夫じゃないのはどうやら親からの遺伝らしいんだ。しかもこれから産まれるアタシの子供にも受け継がれる可能性がある。それに、ルドルフに負けた後、アタシはいつも思うんだ。先行策であればルドルフにも勝てたんじゃないかって。笑えるよね。自由になったと思っていたアタシは、未だに縛られてて自由を謳歌できていなかったって」
「シービー...」
「トレーナー。自由じゃないアタシっていてもいいの?」
その時のシービーの顔は、ひどく苦し気でこの空のように暗く、それでいて今にも泣きそうな顔をしていた。
「難しい質問だな……なぁシービー。その質問に答える前に、少しだけ昔話をしてもいいか?」
「いいけど……」
「ありがとう。話は俺の学生時代から始まるんだが……」
◆
その時の俺はどこにでもいる普通の冴えないやつだった。
親も、いいことをすれば褒め、悪いことをすれば叱ることのできる普通の親だった。
そんな俺にも、彼女がいてな。名前は........悪い、思い出せねぇ。
ともかく、その彼女がウマ娘だったことだけ覚えておいてくれ。
それで、あいつはトレセンに、俺は地元の進学校に行くことになって、遠距離恋愛になっちまった。
でだ。あいつはトレセンに入学して、必死に頑張っていたよ。でも、結果は残せなかった。
それで焦ってトレーニングをより厳しく、でも疲労が残るから結果が残せず、それを見てさらに焦るっていう悪循環に陥っていた。
俺もあいつのトレーナーも止めたさ。でも、聞く耳を持たなかった。そして、あいつは二度と走れない体になってしまって、トレセンを退学、そして引きこもりになってしまった。
最初は俺もなんとかドア越しにでも話をしようとしてみたんだ。けど、受験勉強が始まって忙しくなったから段々とあいつの家に行く機会が減っていった。
そして、俺の高校の卒業式の日。
その日はあいつが珍しくすんなりと部屋に入れてくれたんだよ。
で、どんな話をしようかって思っていたんだ。
そしたら、あいつが俺に別れようって言ってきたんだ。
びっくりしたよ。まさかそんなことを言われるなんて。そんなことを言われるほど嫌われるようなことはしてなかったからさ。
だからなんとか理由を聞き出そうとしたんだ。
そして、あいつの口から出てきたのは、自分は俺に相応しくない、俺が眩しい、夢に向かって飛べる俺にはもっとふさわしい相手がいる、他にもたくさんあったんだがまぁ大体こんな感じの内容だった。
もちろん、そんなことを俺が認められるわけがなかった。なんとか必死に思いとどまるように説得したよ。途中からは泣いてて、最後はもはや泣き落としになってたね。
でも、あいつの目を見て気づいたんだ。
あの目は......絶望という色に染まっていた。
その時、俺は俺自身が暗く深い海に沈みゆく様を幻視したんだ。
そのあとの記憶は曖昧で、どうやって帰ったのか覚えていない。
正直そこからどうやって立ち直ったのかもわからない。
ただ、元に戻った俺の中にはトレーナーになりたいって願いが渦巻いていたんだ。
多分、もうあいつみたいな娘を見たくないって思ったんだろうな。
それで、行く予定だった大学には入学金まで払っていたんだが、親と盛大な喧嘩をしてその入学を辞退して、1年間浪人してトレーナー課程がある大学に行って、トレーナーになって、あの雨の日にシービーに出会った。
◆
「まぁつまり、俺が何を言いたいかっていうとだな。シービーが自由であっても、そうじゃなくても、シービーはそこにいていいんだ。例え何があろうと、自分を認めてくれる人は近くにいる。少なくとも俺がそうだ。肩の力抜いて、もっと気楽に考えればいいんだよ」
「……そっか、そうだよね。アタシはミスターシービー、それだけで良かったんだ」
「そう、それだけでいい。それさえあればどこまでも行ける。自由の原点はここなんだよ。それを見失ってたからこうなったんだと俺は思うよ」
「ありがと、トレーナー。さ!景色をしばらく堪能してから戻ろうよ!」
「あぁ!そうだな!」
◇
その後、残りの期間で思う存分福岡を堪能した俺たちは東京への帰宅の途へ就こうとしていた。
「トレーナー。クロワッサン、一緒に食べない?」
「お、いいぞ。あの時は食い損ねてたからな」
「わかった。ちょっと買ってくるね」
そう言うと、シービーはすぐさまクロワッサンを2個買ってきた。
「これ、結構おいしかったから期待していいよ」
「それは楽しみだな、いただきます」
口に入れたクロワッサンからは、ほのかな甘さが流れるように伝わってきた。
「確かにこれはおいしいな。」
「でしょ?なんだかこれを食べてると、優しさが伝わってくるんだ。身も心も包み込む、そんな優しさが。」
「わからなくもないな。さ、そろそろ新幹線の時間だから行くぞ。」
「わかったよ。次はいつ来る?」
「そうだな......。シービーの進路が決まってからでいいか?」
「それで構わないよ。楽しみにしてるね!」
こうして、福岡での物語はひとまず幕を下ろした。彼女は、自分が進む旅路を見つけた。その旅路は果て無く遠きもの。遠き旅路はどこまでも自由なのだろうか。それはきっと、彼女しか知らないのであろう。