【完結】勇者の旅の裏側で   作:八月森

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37節 黄昏の森

 日中活動する私たち人間と違い、魔物の多くは夜行性だ。

 陽光の下では動きが鈍る(眠いのだろう)が、反対に夜闇では活動性、凶暴性が増す。

 

 彼らの出現報告は、このラヤの森を境に急増する。

 人間と魔物の領域、その境界となっているこの場所を、魔物が増え始める予兆とされるこの森を、いつしか人々はもう一つの名で呼ぶようになった。――『黄昏の森』と。

 ここから先は夜の、魔物の世界だと警告するために。

 

 

  ***

 

 

 枝葉が頭上を覆い、まばらに日が差す森の入り口。

 そこを越え、奥に入ると、さらに繁茂(はんも)した樹々に出迎えられる。

 

 まだ日中だというのに、辺りは暗い。今も差しているはずの陽光も遮られ、常に薄闇がわだかまっているように感じられる。

 少しでも道を外れれば方向さえ見失いそうな暗い森の中を、慎重に、けれど迷わず、私たちは進んでいく。

 

 私が旅に同行したもう一つの理由が、これだった。

〈流視〉に映し出された、勇者が命を落とすまでの旅の道筋。

 それを辿ることで私は、目的の場所へ迷わず同行者を導ける、唯一の案内人になれる。

 

 しかし、その足跡をただなぞるだけ、とはいかなかった。

 森の内部に足を踏み入れた途端、ここまでの旅ではほとんど出会う機会のなかった、魔物の姿を散見するようになる。 

 多くはアレニエさんが事前に察知し、気づかれないようにやり過ごしているが、(まれ)に、目ざとくこちらを発見し、襲い掛かって来るものもいる。

 

「GRRRR!」

 

 唸り声が聞こえたと思ったのも束の間、私たちは一匹の魔物に襲われた。

 巨大な狼のような――ただし牛や馬並みに大きな体躯の――姿をしたそれは、虚を突かれ棒立ちの私目掛け、鋭く跳びかかる。

 

「っ! 《プロテクション!》」

 

 反射的に両手に光の盾を生み出し、身を守ろうとするが……突然のことで、足が地面に縫い付けられたように動いてくれない。そこへ――

 

「……ふっ!」

 

 傍で警戒していたアレニエさんが、私と狼の間に割り込むように跳躍。大きく開かれた魔物の顎の、そのさらに上から振り下ろすように、縦の軌道の回し蹴りを繰り出す。

 

 頑丈なブーツが魔狼の頭蓋(ずがい)に突き刺さり、下方に叩きつける。強い衝撃に受け身も取れず、巨体が地面を跳ねる。

 蹴りつけた彼女は、その勢いを殺さず空中で回転。落下しながら腰の剣を抜き放ち、眼下の獲物に斬りつける。

 

 シャンっ!

 

 と、鞘走りから空気を切り裂く一続きの音が、鋭く響いた。

 

 斬撃は、魔物を縦に両断。

 左右に分かたれた獣は、声を発する器官まで斬られたのか、音にならない呻き声のようなものを発し、やがて動かなくなる。

 

「……」

 

 人間相手とはまた違う、実戦の緊張感。

 私が一歩も動けないでいる間に、幼少時以来の魔物との遭遇は終わっていた。

 

「っふう」

 

 彼女の短い呼気を耳にして、ようやく身体の硬直が解ける。

 目線を下に向ければ、既にその身から穢れを漏れ出させている死体と目が合う。 

 二つに裂かれ、光を失った瞳に、やはり胸に穴が空くような喪失感を覚える。

 

 とはいえそれは、人の命が消える時に比べれば、幾分か小さいものだった。

 薄々気づいてはいたがこの衝動は、故郷の皆を見殺しにした後悔と罪悪感、目の前で人が死ぬことへの反発から生まれたもの。だからやはり、その原因である人間の死に対して、特に強く表れてしまうのだろう。

 

 それでも、小さくはあっても今感じている衝動は、目の前の魔物を一つの命として見た――見ることができた、証でもある。

 あの夜の質問の意図は掴めないままだったが、魔物も生きているという彼女の言葉には、なぜかすんなりと得心がいった。

 

 発生の経緯、向けられる敵意から、滅ぼすべき悪であるのは疑いないが……それは一つの命を奪う行為だという事実も、忘れてはいけない気がする。

 他の神官に聞かれたら憤慨されかねない(あるいはそれで済まない)考えだけれど……

 

「リュイスちゃん?」

 

「はいっ?」

 

 呼び掛けに意識を引き戻されると、アレニエさんが少し心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。

 

「大丈夫? 間近で死体見たのがショックだった?」

 

「……いえ。少し、驚いただけです。それよりすみません。咄嗟に全然動けなくて……」

 

「これくらい全然いいよ。でもここから先は、リュイスちゃん自身にも身を守ってもらわないといけないかな」

 

「……はい。承知しています」

 

 今さっき護られたばかりで説得力はないだろうが、これ以上の重荷にはなりたくない。

 

「なんて、相手が相手だから、わたしも人のことあんまり言えないんだけどね」

 

「……」

 

 彼女が敗れる未来など否定したかったが、結局はなにも口に出せなかった。

 これから迎え撃つのは、魔王に次ぐ力を持つ直属の側近。勇者が神剣を十全に使いこなしてなお苦戦するという、最上位の魔族――魔将だ。アレニエさんとて、どうなるか分からない。

 

「まぁ、簡単に死ぬつもりはないし、ほんとに無理なら尻尾巻いて逃げるだけなんだけど……それでも、死ぬ時は死ぬからね。覚悟だけはしとこっか」

 

「……はい」

 

 ここで命を落とす覚悟は、旅立つ前から固めていた。……つい、先日までは。

 いや、私のそれは覚悟でもなんでもなく、ただ自暴自棄になっていただけなのだろう。

 

 今は違う。

 私の世界は、狭い神殿の中だけじゃない。旅を通じて、外の世界に触れることができた。

 罪に囚われた過去だけじゃない。私みたいな人間も受け入れてくれる、アレニエさんという変わり者に出会えた。

 それらは私に、未練を生んでいた。

 

 まだ、死にたくない。この任務を成功させて無事に帰り、司祭さまにこれまでの感謝を伝えたい。もっと旅をして、外の世界を見に行きたい。

 ……できるなら、隣を歩く彼女と共に。

 

 それが難しいのも理解している。ここでどちらかが、あるいは二人共が、命を落としてしまうかもしれない。

 だから、もしそうなるとしても、せめて――

 

 せめて、彼女だけは、護ってみせる。

 そのために相手の命を奪わなきゃいけないなら、衝動にだって耐えてみせる。

 命を選ぶ権利なんて私にはないけれど、守りたいものは間違えられない。

 アレニエさんの言うそれとは違うかもしれないが、私は私なりに、覚悟を固めた。

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