無尽蔵の体力を持ったあるウマ娘が駆け抜け、自分の居場所を探した、長くて短い3年間のお話。

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あるウマ娘の長く短い3年間。

『夢のグランプリを制したのは────―! 年末最後の大一番を制し、栄光のセンターの座を手に入れたぁっ!』

 

 私の名はシガレットキス。今、トゥインクルシリーズで、約3年間の長くて短い戦いを終えた、しがないウマ娘だ。

 3年前、地元では負け知らずだった私は、この『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』────―通称、トレセン学園へとやってきた。

 私の物語は、そこから始まった。

 

 

 *****

 

 

「──から来ました、シガレットキスです。よろしく」

 

 多分、私の第一印象は良くなかったと思う。

 愛想は悪いし、目付きは悪いし、声はハスキーというか、低い。

 身長も178cmと高めなせいもあってか、かなり威圧的に見えていた。

 入学時の計測では、適性と脚質はおおよそ、『芝』『差し・追込』『中・長距離』。

 地元が田舎だったから、鬱蒼と雑草が茂った山道をずっと走っていたのが理由だろう。

 椅子に座り、周りを見回す。知っている顔は無かった。

 というか、地元が田舎だったせいで、他所のウマ娘なんてロクに見たことも無かったのだ。

 いつもの道、いつもの面子、いつもの距離。そこで勝っていたから、なんだというのだろうか。

 当時の私を、ぶん殴ってやりたかった。

 

 

 *****

 

 

 学園に来てから数ヶ月経ち授業にも慣れてきた頃、練習用コースで朝練をしていると突然声をかけられた。

 

「おはようございます! 今日もいい天気ですねッ!」

「……おはようございます、サクラバクシンオー先輩。何か用でしょうか?」

 

 元気を通り越して若干やかましいところもある先輩だが、実力はかなりのものだ。

 デビュー後も1400m以下ではほぼ無敗を誇る、学園最強のスプリンターとして名高い。

 

「ええ! よろしければ私とバクシンしませんかッ!?」

「伴走でしょうか? 私、短距離はそう早く無いんですが……いいですか?」

「ふっふっふ……私、そろそろ中距離を目指そうと思っていまして……」

「えっ」

 

 ちなみに、それ以上の距離では結構、その、普通に負けている。生粋のスプリンターなのだ、この先輩は。

 

 

 *****

 

 

「ぜぇっ、ぜぇっ、はぁっ……!」

「言わんこっちゃない……」

「あ、ありがとう……ございましたぁっ……!」

「……私、もう一周してきますね」

 

 完全にバテていた。私はまだまだ行けそうなので、少し呼吸を整えてからもう一度、走り出した。

 

「ふっ……はっ……!」

 

 先程の走りを思い出す。サクラバクシンオー先輩は、確かに学園最強のスプリンターと言われるだけあった。

 1400mまででおよそ10バ身差。長距離ではなく、短距離でこの差だ。

 その後は段々と速度が落ち、3000mでは完全に逆転していたが。

 ……あの走りが私に出来るだろうか? いや、できない。

 私は、短距離が適性で無い事を感謝した。

 

 

 *****

 

 

 入って一年も経つと本格化を迎えた子も多く、デビューを目前にトレーナーを探す姿をよく見かけた。

 学業に、歌、ダンスの練習。やることは多い。

 幸い、勉強に関しては問題はない。補習授業の常連となっているサクラバクシンオー先輩を横目に、少し安堵の溜息をついた。

 歌も、ダンスも、昔からやっていたので後は慣れるだけだった。

 小さい頃、今や名前も覚えていないウマ娘がテレビでウイニングライブをしているのを見てから、独学で練習したものだ。

 問題無くレッスンを終え、トレーニング場へ。

 現状、模擬レースの戦績は五分五分といったところだ。

 圧倒的なレースをしている者もいれば、そうでない者もいる。彼女のように。

 

「えへへっ、楽しかったぁ!」

 

 ……ハルウララ。負け続けでありながらも走り、心折れて学園を去る者もいる中、笑顔で走り続けている。

 実に楽しそうに走る彼女に元気を貰えると言う者もいれば、勝てないにも関わらず人気だけはある彼女に対して嫉妬している者もいる。

 私はというと、別段彼女に興味は無かった。彼女がメインとしているのはダートだ。芝を走る私には、無関係だった。

 どちらかと言えば本格化を迎えつつある私にとって大事なのは、トレーナーとの契約だった。

 次々とトレーナーの決まるクラスメイトに少々焦りを感じ始め、同期のデビューを指を咥えて見ているしかなかった。

 トゥインクルシリーズを走るウマ娘なら、運命のトレーナーにスカウトされ、一緒にG1を勝ち抜くというありきたりなストーリーに夢を見る時期があるものだ。私もそうだった。

 だけれど、現実はそうもいかない。私のパッとしない戦績ではスカウトどころではないし、チームに所属するにしても相応の結果が必要だ。

 あの走る事が楽しいだけの彼女……ハルウララですらトレーナー契約があったという。

 結局のところ才覚とトレーナーとの相性次第と言えばそうなのだろう。

 ……私も、相性の良いトレーナーに出会えればいいのだけれど。

 

 

 *****

 

 

 そんな私にも転機が訪れた。

 毎週のように行われる模擬レースのほぼ全てに私は出ていた。

 一着こそ数える程だったが、私の出走数は平均の3倍以上、月あたり15回を超えていた。

 私は体力にも、身体の頑丈さにも自信があった。

 他のウマ娘よりも桁違いに多い出走数。

 それを知ったのだろう。レース後の私に声をかけてきた男性がいた。

 

「ちょっといいかい? ……君、もしかしてここ最近ずっと走ってるよね?」

「ええ、まあ。他の子は月に2、3回くらいらしいですけど……あの、何か用でしょうか」

「ああ、ごめんな。……その、もし良かったら、君のトレーナーにさせて欲しい」

「……私ですか? 他の娘と間違えてませんか? それほど勝ってませんよ、私」

「いやいやいやいや、間違えて無いって! 君の走りに惚れたんだ!」

 

 ────―なんてこと言うんだ、この人。

 

 私の手を握ってそんな事を言う彼に、私は目を合わせられなくなってしまった。

 レースの為に走ってきたウマ娘にとっては殺し文句だろう。

 

「本当に素晴らしかった! 君くらいの歳であの無駄の無い走り! 後はスピードが付けば最高だ!」

 

 口説いているのかと思ってしまった。

 ……多分、この人は真面目にトレーナーとして言ってくれているのだろう。

 私は顔の熱を隠し抑えながら、返事をした。

 

「わ、分かりました……契約、します」

 

「本当か!? いやーよかった! ……あ、俺は────―だ」

「シガレットキスです。……よろしく」

 

 私の専属トレーナー。

 最高の響きだった。夢のようだった。

 その日の晩、何度も何度も彼の言葉を反芻した。はしゃぎすぎて同室の子に怒られたくらいだ。

 チームに入らざるを得なかった子や、未だにトレーナーが見つかっていない子からの羨望の視線。

 私の心に火が灯ったような感覚。

 ……私の存在が認められたのだ。

 

 不思議と力が湧いてきた。私の最高の日だった。

 

 

 *****

 

 

 とうとう迎えたデビュー戦。中山レース場、芝2000m、良バ場。

 同期の見知った顔もいるが、警戒するような相手はいない。

 トレーニングを重ねてきた。スキルを磨いた。

 トレーナーの説明は分かりやすく、理論的だった。

 現在の筋力に合わせて無理の無い量と質でトレーニングを組む。

 本格化もあってか、私はデビュー戦までのここ数ヶ月で自分の著しい成長を感じていた。

 

『一番人気、5番、シガレットキス』

 

 幸いにして、私は注目されているようだった。とはいえこの面々の中では、だが。

 遠くにトレーナーが固唾を飲んで見守ってくれているのが見える。

 期待に応えなければ。そう思って走った。

 後方から様子を伺い、走るルートを決める。

 半分を越えたあたりから速度を上げ続け、追い抜かれまいとする他のウマ娘のスタミナを削る。

 私の最高速はそれほど速くはない。だが、最高速で走り続けられるのが私の強さだ。

 

「む、むりぃー!」

 

 悲鳴を上げる他の子を横目に、全力で追い上げ続ける。そのうち他のウマ娘を見る必要も無くなった。

 結果は一着。二着とは2バ身差。かなりの好スタートだった。

 思わずトレーナーに抱きついてしまったのは、まあ、レースの興奮だったのだろう。

 

 ……そういう事にして欲しい。

 

 

 *****

 

 

 それから私はおおよそ月に1、2回のペースでレースに出ていた。

 本来は異常なハイペースらしく、同期のウマ娘からはかなり異様な目で見られていたが、気にしない。

 トレーナーにも疲労を心配されたが特に不調も無くレースとトレーニングをこなせていた。

 

「シガー、本当に大丈夫か?」

 

 トレーナーは私の事を『シガー』と呼ぶようになっていた。というか、そう呼ぶように私が頼んだ。

 私の相棒なのだから、他人行儀では困る、と。

 

「大丈夫。……私、身体がかなり頑丈だから」

「……分かった。だが、無理はするなよ」

 

 6月にデビュー戦、そして12月までで休憩を挟みつつ計6戦6勝。

 GⅢ・京都ジュニアステークスも一着で終え、私はGⅠへの優先出走権を手に入れていた。

 芝2000m。GⅠ・ホープフルステークス。

 ということはつまり、憧れの勝負服デビューだ。

 要望書や希望デザインを送ればその通りに制作してくれるらしい。

 が、残念ながら私にはデザインの才能は無かったので最低限の希望だけ送り、向こう任せにした。

 届いたのはスチームパンク風の衣装とテンガロンハット。

 カワイイというよりはカッコイイイメージの服だ。

 背の高い私にはこのくらいの方が似合うかもしれない。

 届いた服に喜び、はしゃぎ、トレーナーを捕まえて一日中写真を撮ってもらった。

 そして今年最後のレースに向けて私は調整を始めた。

 今の所無敗。調子も絶好調。負けるはずがない。

 そう、思っていた。

 

 

 *****

 

 

『一着トーセンジョーダン! 一等星の輝きを見せ、クラシックへと繋がる道へ第一歩を踏み出したぁーっ!』

 

 負けた。全力だった。完璧な走りだった。それでも尚負けた。

 トーセンジョーダン先輩。見たことがある。補習授業の常連。

 いつも爪ばかり弄って、やる気が無い娘だと思っていた。

 私の方が努力をしていた。そのはずなのに。

 

「……う、ぐううぅぅぅぅ……」

 

 思わず涙が溢れていた。結果は2着。G1で2着なら褒められたモノだろう。

 だけど、その時の私は悔しさで一杯だった。

 勝てると思っていた。相手を侮っていた。

 彼女が彼女のトレーナーとハイタッチを交わしている姿に、嫉妬した。

 ああなりたかった。結果を、見せたかった。

 いつまでもうずくまっていた私に、トレーナーが優しく上着をかけてくれた。

 

「……行こう、シガー。皆、君達のウイニングライブを待ってる」

 

 私は無言で頷き、控え室へと戻った。

 後で聞いた話だが、トーセンジョーダン先輩は爪の脆さを気にしていたらしい。

 走る度に痛める爪のケアに時間を取られていたのを、見かねた彼女のトレーナーが対策を施したのだそうだ。

 彼女はやる気が無いわけではなかった。ただ、全力を出せる状態ではなかっただけだった。

 そして全力の彼女は、強かった。

 

 

 *****

 

 

 一年を終え、私はトレーナーに新年の挨拶に来ていた。

 

「あけましておめでとうございます、トレーナーさん」

「こちらこそ、あけましておめでとう」

「……今年こそ、G1勝って見せますから」

「ああ、期待してるよ」

 

 その期待に応えるべく、私はトレーニングに精を出した。

 次の目標は皐月賞。目指すはクラシック三冠。

 トレーナーに告げると、彼は私の頭をワシワシとやや乱暴に撫で、「頑張るぞ」とだけ言った。

 その時の私はまだ、笑顔でいられた。

 

 

 *****

 

 

 結局、私は1月から早々にレースに出始めた。

 どうにもトレーニングに身が入らないというか、休憩も休憩にならないというか。

 レースは問題無く走る事が出来、直前のGⅡ・弥生賞も無事一着で終えた。

 私は、皐月賞への切符を手にしていた。

 次こそは勝つ。私はかつて無い程燃えていた。

 出る予定と聞いていたトーセンジョーダン先輩はどうやら再び酷く爪を痛めたらしく、対戦出来なくなった事を申し訳無さそうに謝られた。

 彼女には悪いが、私にはチャンスだ。

 

「いいか、シガー。落ち着いていつものペースで行け。そうすれば、お前なら勝てる」

「……うん。頑張るから、見てて」

 

 トレーナーが私の為に昼夜問わずトレーニングメニューを考え、レースのローテーションを考え、私の健康状態を気にしていてくれている。

 その期待に応えなければ。……応えなければいけない。

 

 

 *****

 

 

『勝ったのはゴールドシップ! 皐月を制し、三冠の一角を手に入れたぁーっ!』

 

 また、また負けた。

 私は大きく遅れたものの、何とか食らいつき3着だった。

 今までにないレースだった。

 最終コーナー直前まで最後方で走っていたはずのゴールドシップ先輩がいつの間にか前に出ていたのだ。

 ……いや、違う。私には見えていた。

 荒れに荒れた内側を回避して外側を走っていた私達を嘲笑うかの如く、ゴールドシップ先輩は強靭極まりないパワーとスピードで内側を抜けていった。

 私に同じ事はできないだろう。私にはあそこまでのパワーは無く、私が踏み入れれば足を取られて転倒していた可能性もある。

 トレセン学園の問題児。騒動の中心。トレーニングもしているのかしていないのかよく分からず、やる気があるのかないのか分からない彼女だったが……だが、彼女は強かった。

 同じ走りを出来るウマ娘がどれだけいるだろうか? 

 同じ走りをしようと考えるウマ娘がどれだけいるだろうか? 

 彼女は、ゴールドシップ先輩はそれを出来ると考え、やってのけた。そして、出来なかった私は負けた。

 永遠のように感じたウイニングライブを終え、私は控え室で椅子に向かって大きく息を吐いた。

 

「……負けた」

 

 椅子を思わず殴りつける。

 椅子は(ウマ娘)の力に負け、無惨にひしゃげた。

 

「またっ! また負けたっ! なんで! なんでぇっ! ……う、うあああぁぁあっ!! あああぁぁぁっ……!」

 

 涙が溢れてきた。

 努力をしても、努力をしても、それを上回っていく存在がいる。

 全力だった。限界だった。それでも負けた。

 途方も無い、GⅠの壁を感じた。

 ……どれだけ時間が経っただろうか。

 頭上に被せられた布の感触に、私は頭を上げた。

 

「トレー、ナーさん……わだ、じ……」

「お前は頑張ったよ」

 

 頭を撫でられ、つい、トレーナーにしがみついてしまった。

 後から思えば、子供みたいで恥ずかしい真似だったと思う。

 

「でも……まげぢゃっだ……」

「まだ2回目のGⅠだろ? これから何度あると思ってるんだ。……それに……」

「……それに?」

「シガー。……お前、凄い記録出してるんだぞ?」

「え?」

「メイクデビューから1年経たないうちに12戦10勝だ。普通なら年間6戦もできれば良いくらいなんだぞ?」

 

 ……普通はそうだと聞いている。

 私は並み外れて心臓と回復力が強いようで、普通なら体調を崩すペースでもレースに出る事ができた。

 

「オマケにGⅠ以外じゃ未だ無敗ときた。……10戦やっても一回も勝てずに引退しちまう娘もいる。数戦して身体を壊す娘だっていた。……大丈夫、お前は十分強いよ」

 

 トレーナーの言葉に、私は顔が赤くなるのを誤魔化すように強く、トレーナーの身体を抱きしめた。

 

 

 *****

 

 

「────―というわけで、次の目標はダービーと宝塚記念だ」

「あの、ちょっといいですか?」

「ん? どうした?」

「……私、投票……通ります?」

 

 ダービーは皐月賞の優先出走権があるからいいとして、宝塚記念は登録してあるウマ娘のうち、参加できるのは投票上位者のみ。

 ファンとの交流会も殆ど不参加だった私が投票されるとは考えにくい。

 

「ははっ、そう心配するなって。同期じゃぶっちぎりの勝利数なんだぞ? もうちょっと自信持て」

「でも……」

「お前の才能は俺が一番良く知ってる。毎日のトレーニングだって頑張ってる。成果も出てるじゃないか」

「……でも、GⅠでは勝ててません。……きっと、皆、失望してます」

「そんな事は無いと思うが……シガーがそう思うなら、ダービーで勝てばいい。ダービーで成績を出せば、宝塚記念にだって出られるさ」

 

 ……『じゃあ、もし ダービーで負けたら?』という言葉は飲み込んだ。

 口に出したら、本当に負ける気がしたから。

 

 

 *****

 

 ある日、いつものようにトレーニングをしていた私は、生徒会室へ呼び出されていた。

 

「よく来てくれた。君がシガレットキスだね? ちょっと君に確認したい事があるんだが……」

 

 トレセン学園の生徒会長、シンボリルドルフ会長だ。

 私にとっては雲の上の存在である彼女が私に何の用なのだろうか? 

 疑問に思っていると一枚の紙を見せられた。

 

「君の出走登録なんだが……これは事実かな?」

 

 ……私の出走登録リストだ。何か問題でもあっただろうか。

 

「はい。ちょっと多めですが、日程のブッキングは無かったと思います」

「……ちょっと、か。君の出走登録表を見るとこの一年で22戦する計算になるんだが……」

 

 確か走れそうなレースは片っ端から登録した覚えがある。それでも2週間、最高一ヶ月程は空いていたはずなので問題は無いと思っていたが……。

 

「走れるから、走っているだけです」

「……そうか。だが、生徒会長として無理は許容できない。定期的な検診を受けて、異常があればすぐに休養してもらう。いいね?」

「分かりました」

 

 面倒臭い事になった。私がこう言われる以上、トレーナーにも話が行っているだろう。

 ……トレーナーに責任は全く無いどころか、私の予定に合わせたスケジュール調整をしてくれているのだけれど……。

 

 

 *****

 

 

「ああ、まあ……本当は止めるべきなんだがな」

「すみません、私のわがままで」

「気にするな。……さて、今週は青葉賞、来月には京都新聞杯と日本ダービーだ。……今更言うまでもないが、ちゃんと身体を休めるように。いいな?」

 

 トレーナーの言葉に頷きで応える。

 特に不調は感じない。月一回での頻度で義務付けられてしまった健康診断も問題無く終えている。

 トレーニングのメニューは厳格に決められ、多くも少なくもしない。

 

「いつもありがとう、トレーナーさん」

「気にするな、これが俺の仕事だからな」

 

 そう。そしてレースで勝つのが私の役目だ。

 トレーナーの為にも、勝利を。

 

 

 *****

 

 

 GⅡ青葉賞、京都新聞杯を共に一着で終えた私は、週末に控えた日本ダービーに向けてトレーニングをしていた。

 とはいえ普段よりもかなり軽めで済ませ、十分に柔軟をする。

 会議に出なければいけないトレーナーを見送り、柔軟を続けていた私に声をかけてきた者がいた。

 

「……すみません。ポーチ、見ませんでしたか?」

「さあ、それらしき物は見ていませんが……」

 

 ……エイシンフラッシュ先輩。皐月賞で私に先んじて2着だった彼女は、日本ダービーでのライバルでもある。

 普段からキッチリとした自己管理を行い冷静な彼女が、珍しく落ち着かない様子だった。

 

「大事なのであれば、探しておきましょうか。ここ、私が最後ですから」

「いえ、結構です。私のモノですから、私が探します」

 

 随分と頑なな様子だ。私には関係無いと言えば関係無いが、それはそれ、これはこれだ。

 器具を片付け、あちこちをうろうろとする彼女に声をかける。

 

「探すの、手伝いますよ」

「……ありがとうございます。でも、ご迷惑をかけるわけには」

「ダービー、出るんですよね」

「え? あ、はい」

「そんな調子で出られても困りますから」

「そう、ですか」

 

 彼女の行動を思い返す。いつも同じようなルーティーンで行動する彼女の軌跡を辿るのは簡単だ。

 その上で私物を無くしそうな場所。

 彼女がうろうろとあちこちを探していた割に、すぐに見つかった。

 空いていたポーチからは彼女のトレーナーとの写真が見える。抱きついていて、随分と仲の良い事だ。

 彼女に聞こえないようにそっと入り口を閉め、さも今見つかったかのように彼女に見せる。

 

「ああ、ありましたよ。これですよね」

「っ! そうです! ありがとうございます!」

「使ってるの、いつも見てましたから」

「……いつも?」

 

 中身を確認していた彼女の手が止まる。

 何か気になる事でも言っただろうか。

 

「皐月賞、2着だったじゃないですか」

「見ていたんですか?」

「私、3着だったんですけどね」

「えっ? ……あ、いや、その、すみません」

 

 どういう意味だろうか。私なんて眼中に無かったということだろうか。

 少し苛立ちを感じたが、なんとか抑える。

 

「いいですよ、負かした相手の事なんて、覚えてませんよね」

「すみません、そんなつもりでは」

「もう鍵を閉めますが、まだ残りますか?」

「……いえ、もう、戻ります」

 

 ……負けてたまるか。

 

 

 *****

 

 

『やった! 見事勝利したのはエイシンフラッシュ! ついに栄光のダービー制覇ぁっ!』

 

 そんな私の決意も虚しく、日本ダービーはまたもや2着に終わった。

 思わず睨むように見てしまった私の視線に気付いたのか、彼女は一瞬だけこちらを見て、彼女のトレーナーの方を向いて手を振った。

 屈辱に思わず唇を噛む。血の味が口の中に広がる。

 自分でも分かる程に震える口元。

 肝心の大舞台。また、負けてしまった。応援してくれていたであろうトレーナーの方を見ることすらできない。

 ……私も自己ベストを更新する速度だったにも関わらず、彼女はそれを上回った。

 上がり3ハロン32.7。驚異的な速度の末脚に、私は追いつくことが出来なかった。

 

 あの一瞬の彼女の目……今思えば、あれは私を心配するかのような目だった。

 

 

 *****

 

 

 ウイニングライブを終えた私は、早々にやってきたトレーナーに抱きついた。

 気持ちが落ち着かなかった。

 汚泥の底で這いずり回るような感覚。抜け出せない底なし沼。

 手足の感覚が無くなったかのように錯覚すらした。

 成長しているのは感じている。それでも尚負ける。

 努力をしても、相手がそれを上回っていく。

 

「ひぐっ……うっ、ぐううぅぅぅぅ……」

「シガー、よくやった」

「ひゅぐっ、ごめん、トレーナーさん……また、負けちゃった」

「……悔しいよな。……俺こそごめん。力になれなくて」

 

 迷惑だろうに、私を落ち着かせるように、トレーナーは背中を撫でてくれた。

 大きく温かい手に、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 

「落ち着いたか?」

「……うん」

「……まだ宝塚記念もある。落ち込んでなんかいられないぞ?」

「……でも、投票が……」

「重賞5勝もしてるんだ、問題ないさ」

「……トレーナーさん」

「どうした?」

「もう少し、こうしててもいい?」

「……気が済むまで、好きにすればいいさ」

 

 私は、涙が枯れ果てるまで泣いた。

 

 

 *****

 

 

 宝塚記念の出走表が発表される。

 私の投票数は……4位だった。とりあえず出走出来ることに安堵する。

 その中には────―ゴールドシップ先輩とトーセンジョーダン先輩の名前もあった。

 ゴールドシップ先輩。日本ダービーではやる気が無かったのか、それでも5着となかなかの走りだった。

 トーセンジョーダン先輩。痛めた爪が響いてここしばらくは出ていなかった為、久々の出走だ。

 強敵が二人もいる。負けるわけにはいかない。

 GⅠでこそ遅れを取ってはいるが、他のレースでは勝てている。負ける理由はないはずだ。

 張り出された出走表を前に、気合を入れ直した。

 

「お、シガレットじゃねーか。元気してっか~?」

「……ゴールドシップ先輩」

 

 嫌いではない。ないが……私はどうにもこのウマ娘が苦手だ。

 振り回されるというか、疲れるというか……。

 

「なんでえ、アタシの顔見るなり疲れたような顔しやがって」

「いや、まあ、疲れたというか……」

「……ダービーじゃー負けたけどよー、次の宝塚は負けねーかんな?」

 

 少しドキッとした。底知れぬ迫力を感じる。

 彼女が全力で走ったらどうなるのか。皐月賞を思い出し、身震いした。

 

「それと、聞いたぜ~? 生徒会室にお呼び出しを食らったらしいじゃねーか。真面目なおめーが珍しい」

「あー、まあ、そうですね。私の今年の出走予定の確認とかで、ちょっと」

「えぇー? そんくらいで呼ばれんのかー? なんかやらかしたんじゃねーの? ほれほれ、言ってみ?」

「年間22戦は多い、と」

 

 ゴールドシップ先輩の顔が固まる。何かおかしな事を言っただろうか。

 

「シガレットちゃんよ、もうちょっとプライベートとか大事にしようぜ? ほぼ2週間に1回は走ってんじゃねーかよ、それ」

「失礼な……ちゃんと休日も過ごしてますよ」

「ほぉー? じゃあこの遊びのプロであるゴルシちゃんにどんな休日を過ごしてるのか言ってみ?」

「ええ、この前は遠出したりしました」

「お、いいねえいいねえ、誰かと温泉とかか?」

「友達がいるように見えますか? 一人で限界になるまで走ったに決まってるじゃないですか」

 

 私がそう言うと、ゴールドシップ先輩に残念なモノを見る目で肩を叩かれた。

 

「………………シガレットちゃんよぉ、休みの日ぐらい休もうぜ? 結構やべー奴だぞ、その休日の過ごし方」

 

 私がおかしい奴みたいな扱いをされた。解せぬ。

 

 

 *****

 

 

 私がゴールドシップ先輩に言われた事を話すと、トレーナーにまで肩を叩かれた。

 

「……すまん、シガー。そんな風になる前にもうちょっとその辺りも気を使ってやるべきだったな」

「トレーナーさんまで……」

 

 私の休日の楽しみをそんな危ない趣味みたいに言わないで欲しかった。

 

「……よし、今週末は俺と出かけるぞ。一生に一度の学生生活なんだからもうちょっと色々楽しめ」

「え、あ、はい」

 

 押し切られてしまったが、これは……いわゆる、その。

 

「じゃ、日曜の朝9時半に駅前で集合な」

 

 ……デートじゃないのだろうか? 

 

 

 *****

 

 

 間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた。

 

「あー、なんだ。なんか新鮮だな、そういう格好」

 

 失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。

 

「いや、似合ってるぞ!? 大丈夫! 可愛い可愛い!」

 

 もうやだ、帰りたい。

 

 

 *****

 

 

 思えば、同室の子に挙動不審さを訝しがられ、トレーナーと出かける事になったのを零したのが不味かった。

 どうやら変な伝わり方をしたらしく、翌日には数名の見知らぬウマ娘達に朝から連れ出されて服を買う羽目になっていた。

 見ればカリスマインフルエンサーであるカレンチャンに率いられている。誰だ呼んだの。

 

「それじゃあ今日は~……皆でシガレットちゃんをカワイくしちゃいまーす!」

 

 そんな言葉と共に連行され、あれよあれよという間に服をコーディネートされる。

 普段はジーパンにTシャツ、もしくは学園指定のジャージでいると話したところドン引きされた。

 曰く、「そんなの全ッ然カワイくない!」らしく、行きつけらしい美容室へ放り込まれ、服屋では着せ替え人形の如くとっかえひっかえされた。

 

「折角身長があるから~……セクシーに行こっか!」

「案外胸もあるからこっちとかも……」

「あの、私そろそろ帰りたいんだけど……」

「ん? 何か言った?」

「……帰りた」

「まさかもう帰りたいなんて言わないよね?」

 

 拒否権は無いと言わんばかりにカレンチャンに肩を掴まれた。

 可愛らしい笑顔とは裏腹に圧を感じる。

 

「ねえ、シガレットちゃんは今日どうして欲しい? カレンはカワイくしてあげたいなーって思ってるんだけど」

「…………カワイくお願いします」

「はーい♪」

 

 最終的に下着も決められた。勘弁して欲しい。自分なんかの下着になんの意味があるというのか。

 

 

 *****

 

 

 そんなわけで、今日の私は随分とフリフリなスカートに、白のブラウスを着ている。

 カレンチャンには『大人っぽい印象になるよ』とは言われたが中等部に上がったばかりの私に大人っぽいも何も無い気がする。

 

「……もうやだ。恥ずかしい」

「いや、似合ってるって。その……大人っぽいというか。うん、本当に良く似合う」

「う、ぐ、ありがとう、ございます……あの、それで今日は何処へ……?」

「そりゃあ、行ってみてのお楽しみ、だな」

 

 疑問だらけのまま、私はトレーナーの車へと乗り込んだ。

 

「シガー。根を詰め過ぎるのもよくないと思うんだ」

「そんなつもりはなかったんですけど……」

「すっかり俺も麻痺してたけどな、年間22戦は普通に走り過ぎだ」

 

 それはまあ、そうかもしれないが。走れるのだから問題はないとも思う。

 

「そりゃあ、望んでて、走れるって言うなら走らせてやりたいさ。俺もその為に色々考えてはいるし」

 

 ……私はそれに応えられているのだろうか。

 ウマ娘なら誰もが目指す頂点の一つ、GⅠ。

 そこで勝てない私は……。

 

「────―なあシガー。身体はともかく、気持ちの方は休憩できてるのか?」

「気持ち、ですか?」

「お前の事だ、『GⅠにも勝てないと』って悩み込んでるんだろ」

「それは……」

 

 何も言い返せない。

 

「……俺は、シガーがいつも通りに走るところが見たいんだ」

「いつも、通り?」

「いつでも同じペースで、同じように後方から追い上げて、終盤に他のウマ娘の体力が追い付かないハイペースで抜き去る。それがシガーの走りだろ?」

 

 ……私の走り。確かに、GⅠという大舞台で同じように走れていたかというと疑問だ。

 いつも以上に緊張していたし、頭が回っていなかった気がする。

 

「……シガーは、何の為に走ってるんだ?」

「何の為に……」

 

 何の為に。考えた事も無かった。

 走れたから。速かったから。ウマ娘だから。本能的に。勝ちたかったから。なんとなく。

 

「────―走り始めたから」

 

 それが一番腑に落ちた。

 走り始めたこの足を、止めたら二度と走れなくなる気がしたから。

 

 

 なお、その後の事は私の自尊心の為にも秘密ということにさせて欲しい。本当に。

 

 

 *****

 

 

 GⅢ・マーメイドステークスも無事一着で終え、迎えた宝塚記念当日。

 デビューから数えて18戦目。

 ふと。客席を見ると、『シガレットキス頑張れ! 目指せGⅠ初制覇!』の横断幕。

 こんなに自分を応援してくれている人がいたなんて、思ってもなかった。

 今までは客席を見る余裕も無かったのだと気付かされる。

 

「お、今日のシガレットちゃんは調子良さそうだな」

「先週は休みましたからね」

「オメー、また地獄の走り込みしてねーよな……?」

「さあ、どうだか」

 

 ゴールドシップ先輩のちょっかいも軽くいなす。

 マトモに相手をしていると疲れる。

 これでも一応先輩……先輩だったはず。

 

「あ、シガレットちゃんじゃーん……げ、ゴルシもいるじゃん」

「おー! ジョーダンじゃねーか!」

「今日こそは負けませんよ」

「モチ、あたしも負けるつもりないし」

 

 私だって負けるつもりはない。

 好敵手二人がいるのであれば私にも気合が入るというものだ。

 

「勿論、アタシも負けるつもりなんてねーかんな! このゴルシ様が完膚なきまでに叩き潰すっ!」

「……かん、ぷ?」

「………………」

「………………」

 

 気合……うん。

 

 

 *****

 

 

『ゴールドシップ突き抜けたァッ! ゴールドシップゴールイン!』

 

 また負けてしまった。

 スタミナでは勝っていたとは思うが、パワーとスピードで負けた。

 私の全速力で追いつけないスピード。上り坂でもスピードを上げられるパワー。

 私の走りにはまだまだ足りないものがある。

 落ち着いて走れた事で、その事を実感できた。

 

 レース後、ゴールドシップ先輩に声をかけられた。

 

「なかなかやるじゃねーか……だが、アタシの方が一枚上手だったな」

「……次は負けません」

「次ってーと……菊花賞か。おっし、そこで実力の差ってモンを見せてやんよ!」

 

 じゃーなー、と随分軽い調子で去っていくのを見送っていると、突然肩を掴まれた。

 トーセンジョーダン先輩だ。掴まれたというか、これはしがみつかれたというべきか。

 後半から私とゴールドシップ先輩の全速力対決になってしまい、それに引っぱられた他のウマ娘達が上り坂を異常なハイペースで走る羽目になってしまったのが大きいだろう。

 あまり気分の良い話では無いが、足を痛めたと思しき娘もいた。

 

「ぜぇ……ぜぇ……シガレットちゃんもゴルシもスタミナマジヤバじゃん……あたしもうヤバいんだけど……」

「ふふっ、今回は私の勝ちでしたね」

「うぐ、つ、次はあたしが勝つし!」

 

 貴重なライバル。競える相手がいるのは良い事だ。

 次こそは。そう思えるから。

 

 

 *****

 

 

「……あー、シガー。大丈夫か?」

「……大丈夫です」

 

 迎えに来て早々、心配そうなトレーナーに、少しだけ何とも言えない気持ちになる。

 また泣くとでも思われていたのだろうか。

 流石に、毎回泣いてばかりいるわけにはいかない。

 

「どうだ? 今回のレースで何か見えてきたか?」

「……はい。パワーとスピード、ですね」

「シガーの走りは効率良く走れてはいるが、逆に言えば抑えた走りになっているとも言える。……全速力の出し方を学んだ方が良いかもしれないな」

「自分では全速力のつもりなんですけど……」

「俺は、スプリンターの全速力ぐらいでも良いと思ってる」

 

 スプリンターの全速力と言われて思い出したのはサクラバクシンオー先輩だ。

 あの速度で走ることが出来れば、とは確かに思う。

 

「後は加速だな。こればかりはトレーニングで伸ばしていくしかないが……全速力のフォームは研究出来ると思う」

「……分かりました。トレーニングに関してはお任せします。フォームは……ちょっと聞いてみます」

「ん。俺の方でも当たってみ……シガー?」

 

 気が付いた時にはトレーナーに抱きついていた。

 ……いつもの癖というか、いや、違う。何してるんだ私。

 ゴールドシップ先輩との競り合いでいつも以上に疲労があったせいか、足も頭も動かない。

 呼吸をすればトレーナーの匂いがする。なんとなく落ち着く、不思議な香りだ。

 

「……シガー? 大丈夫か?」

「すみ、ません、ちょっと、疲れで……眠気が……」

 

 私はそのまま、トレーナーの胸に顔を埋め、眠りについた。

 

 

 *****

 

 

 死にたい。

 もう死にたい。

 何してるんだ私は。

 事もあろうにトレーナーになんて迷惑をかけているのか。

 

「死にたい……」

「……シガレットちゃん、どうしたの? また落ち込んでるの?」

 

 同室の子にまで心配され……ちょっと待って今またって言った? 

 

「……関係ないでしょう」

「トレーナーにお姫様抱っこされて帰ってきた事くらい気にしなくてもいいのに」

「やめて……」

「へー、ふーん、そっかそっかーシガレットちゃんはいいよねーお姫様抱っこしてくれるような格好良くて優しい専属のトレーナーさんがいてさー」

 

 この日一日、私は先日のやらかしを弄られ続けた。

 もうやだ。

 

 

 *****

 

 

 夏の合宿。七夕賞を無事一着で終えた私を待っていたのは、海の家で焼きそばを作るゴールドシップ先輩だった。

 合宿の意味を分かっているのだろうか。

 

「おっ、シガレットちゃんじゃねーか。元気してたか?」

「ええ、まあ、元気ですけど……何やってるんですか?」

「あぁ? 見りゃ分かんだろーが、焼きそばだよ焼きそば。ゴルシちゃん焼きそばだっての。美味ぇぞ~?」

 

 ソースの香ばしい匂いとカラシの匂い。確かに美味しそうだ。

 まあ、今は食べてる場合ではないのだけれど。

 

「トレーナーさん見ませんでした?」

「無視かよ……。おめーのトレーナーなら向こうの方で準備してたぞ」

「ありがとうございます」

 

 砂浜に出ると、巨大なタイヤとロープが用意されていた。成程。コレか。

 私はトレーナーさんを見つけると少しばかりアピールするように何をすればいいのか聞いた。

 

「コレを引っ張って貰う事でパワーが付くって寸法よ」

 

 成程。成程ね。……頑張ろう。

 今更学園指定の水着姿ぐらいじゃ何も思わないだろうし、今回は大人しくトレーニングに励もう。そうしよう。

 うん。

 泣いてない。

 

 

 *****

 

 

 他のウマ娘よりも早く合宿を切り上げた私は、再びいくつものレースに出ていた。

 GⅢ・小倉記念、GⅡ・札幌記念、GⅢ・新潟記念、GⅡ・セントライト記念、GⅡ・京都大賞典。

 これで私の戦績は24戦20勝。GⅠでこそ未勝利だが、十分に一流のウマ娘と言っていいだろうと思う。

 この頃になると月刊トゥインクルでは特集が組まれ、『重賞キラー』だの『鋼鉄のウマ娘』だのと言われるようになっていた。

 

『去年6月のデビュー戦から今年9月までで23戦19勝、うち重賞13勝という驚異のウマ娘、シガレットキス。

 基本的にファンとの交流会にも出る事はなく、各種メディアからの取材も受けないなどあまりにストイックにレースに打ち込む彼女だが、あの『世紀末覇王』テイエムオペラオーの持つ重賞12勝を一年と三ヶ月で超えるという大記録を打ち立てた。

 取材によれば今年の出走予定数は22戦を予定とのこと。これだけの大記録を打ち立てながらもGⅠでは未勝利の為、菊花賞での初勝利が期待される』

 

 ……なんだ、これ。

 交流会に殆ど出ないのはトレーニングやレースの予定と被るからだし、取材を受けないのは私が口下手だからだ。

 重賞の記録は嬉しいが、GⅠで勝てていない以上は胸を張って言えるものではない。

 現に、テイエムオペラオー先輩はGⅠを7勝しての重賞12勝だ。質が違う。

 GⅠ……勝てるだろうか? 

 応援されていることの嬉しさと同時に、私の中では不安が渦巻いていた。

 

 

 *****

 

 

『ゴールドシップだ! ゴールドシップだ! 二冠達成ゴールドシップーッ!』

 

 追いつけなかった。

 先行で出たゴールドシップ先輩に対し、私は最後方から追い上げ、一度は並んだ。

 だが最終直線で差を広げられ、影を踏むだけで終わってしまった。

 追いつけるまでスピードは上がった。それでも……ゴールドシップ先輩にはまだ届かなかった。

 重苦しいモノが、私の中にギッチリと詰まっているような感覚に襲われる。

 私は……2着だった。成果としては悪くない。

 そう思って、震えそうになる顔を抑え、泣きそうになる目を瞑った。

 ゴールドシップ先輩の勝利を喜ぶ声が遠くに聞こえ。

 

『"また"GⅠ逃しちゃったかぁ』

 

 ────―誰かが落胆の声を零すのが聞こえた。

 

 

 *****

 

 

 ウイニングライブを残った気力だけでこなし、控え室へと戻る。

 洗面台の鏡に映った私の顔は酷いモノだった。

 こんな顔で歌っていたのだろうか。

 こんな顔でファンの皆の前にいたのだろうか。

 こんな顔をトレーナーに見せてしまったのだろうか。

 

「うっ……うごお゛ぇ゛ぇ……」

 

 ぐるぐると目眩のような感覚に襲われ、思わず吐いてしまった。

 眼の前がふらふらとする。世界が歪んで見える。

 真っ直ぐにすら立てない。

 こんな状態の私を、誰かに見せたくなかった。

 

「は、はぁ……は、は、はぁ、はぁ……」

 

 手足が痺れる。頭がふらふらとする。

 なんとか水を出し、震える手でコップに水を淹れ、口をすすぐ。

 

「ぷ、ふぅ……はぁ……はぁ……う゛お゛ぉ゛ぇ゛……」

 

 胃の中は最早空っぽだ。

 反射的に出た唾液だけが零れ落ちる。

 

「……うっ、うぐっ……う、ううう……!」

 

 思われたくなかった。

『また』だなんて言われたくなかった。

 期待に応えられない私が、嫌になった。

 

「……シガー?」

 

 聞こえた声に、思わず身が竦んだ。

 洗面台によりかかり、倒れたようにも見える私を見て、トレーナーが慌てたように私に駆け寄る。

 

「シガー!? 大丈夫か!?」

「だ、だい、じょうぶ……」

「その顔色で大丈夫なわけがあるか! 今すぐ医務室へ……」

 

 私を連れて行こうとするトレーナーを抱きとめる。

 

「だ、駄目……」

「シガー……?」

 

 ここで医務室へ運ばれたりすれば、しばらくはレースどころではなくなるだろう。

 会長との約束もある。少なくとも年内は休養という話になるだろう。

 エリザベス女王杯、ジャパンカップ、ステイヤーズステークス、有馬記念。

 まだ予定は詰まっている。

 走らずに過ごすということは、私にはできない。

 足を止めたら。進むのをやめたら。

 

「駄目……走らせて」

「シガー……」

「お、お願い、です……走らせて、ください」

「っ! ……駄目だ。そんな状態のお前をこれ以上走らせるわけにはいかない!」

「走るのを、やめだぐ、な゛い゛……!」

「そんな状態で何言ってんだ!」

 

 必死で縋り付く。

 

「やめたく、ない……!」

 

 私が走るのをやめたら。

 

「お前……今にも死にそうな顔してんじゃねえか……!」

「トレーナー……私から、走る事を、奪わないで……」

 

 私は二度と進めなくなるから(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 *****

 

 

「……今回だけだ。次、同じようになってたらお前をふん縛ってでも休ませる」

「ごめんなさい、トレーナーさん」

「で、何があった? レース直後までは普通だったよな?」

「……言いたくない」

 

 言えるわけがない。

 それでも、私の答えに何かを悟ったのだろう。

 

「……分かった。お前が言いたくないならこれ以上聞かない。それで……どうする?」

「……走る」

「きっと、もっと辛くなるぞ。次のエリザベス女王杯は強敵が出る」

 

 知っている。

 彼女は私達がクラシック路線を目指す裏で桜花賞・オークス・秋華賞のティアラ三冠を勝ち取っていた。

 ダイワスカーレット。『ミス・パーフェクト』。

 最強のティアラ三冠バと名高い彼女が相手となれば、勝つのは難しいだろう。

 

「その次はジャパンカップだ。当然、楽にはいかない」

 

 知っている。

 阪神ジュベナイルフィリーズ、NHKマイルカップ、安田記念と数々のGⅠを勝ち進んできた、ダイワスカーレットのライバル。

 ウオッカ。『常識破りの女帝』。

 クラシック路線にも、ティアラ路線にも出走しながら、GⅠで勝ち進んできた。

 GⅠで既に3勝。間違いなく楽に勝てる相手ではない。

 

「……それでも、走りたいから」

「分かった。……それじゃあそろそろ行くぞ」

 

 私の前には暗雲が立ち込めている。

 それでももう引くわけにはいかない。

 

 

 *****

 

 

『クラシック級最強ティアラ三冠バ! ダイワスカーレットっ! ダイワスカーレット一着っ!』

『やったぞ、ウオッカ! 並み居る刺客を返り討ち! 圧巻の勝利だ!』

 

 2連敗。この頃になると、私は『GⅠでは勝てないウマ娘』として扱われるようになっていた。

 失望も、落胆の声もあった。その度に逃げ出したい気持ちを抑え込んだ。

 後少しが限りなく遠く感じた。

 けれどもう、泣いてはいられない。

 歩みを止めれば、私にはもう何も残らないから。

 

 

 *****

 

 

 12月。ステイヤーズステークスを一着で終えたクリスマス。

 私はトレーナーと一緒にいた。

 いつも通りのトレーニングを終えた私は、トレーナーに小袋を渡した。

 

「……はい、トレーナーさん。クリスマスプレゼント」

「お、おう……悪いな、なんか。……開けていいか?」

「大したものじゃないけど」

 

 中身はただの焼き菓子だ。大したものじゃない。

 

「クッキー……にしては丸いな。なんだこれ」

「……願いが叶うクッキー、らしいけど」

「そりゃ縁起の良い……ん! 美味いなこれ。口の中で溶けるというか……不思議な食感だ」

 

 喜んでくれて何よりだ。頑張って作ったかいがある。

 

「……じゃ、俺からもクリスマスプレゼントだ」

「ありがとうございます」

 

 トレーナーからラッピングされた小箱を渡される。

 なんだろうか。

 

「……何で喜ぶか分からなかったからな、実は結構悩んだ」

 

 あまりプレゼントだのを送る家では無かったから、少しわくわくする。

 ラッピングを開けると、液体の入った瓶が出てきた。これは……香水? 

 私も全然詳しくないが、多分、良い物だ。

 

「ほら、なんだ。年頃だし、色々気にするかとちょっと思っただけでな……」

「……使ってみても?」

「あ、うん。苦手そうなら言ってくれ、別のを用意するから」

 

 香水を軽く手首に吹いて嗅いでみる。……木の香りだろうか。落ち着く、大人の香り。

 嗅いだ覚えがあるが何処でだろう、と記憶を辿る。

 

「んー……この香り……」

 

 気付いた。トレーナーの匂いだ。

 おそらく悩んだ末に自分が使っている物に似た香りにしたのだろう。

 こんな物を私に贈る意味が分かっているのだろうか。

 相手に自分の匂いを付けるようなものだ。普通なら誤解される。

 

「……どう? 大丈夫そうか?」

「ありがとうございます、トレーナー」

 

 自分の気持ちを抑えつける。いつも通りに。

 余計な事は言わない。この関係を壊したくなかったから。

 

 ……この特別な贈り物に、『誤解』したくなったなんて。

 

 

 *****

 

 

 年末、有馬記念。

 揃ったのはそうそうたるメンバーだった。

 言わずと知れたクラシック二冠、GⅠ・3勝、ゴールドシップ。

 天皇賞・秋を勝ってGⅠ・2勝、トーセンジョーダン。

 日本ダービーを制覇したエイシンフラッシュ。

 つい先月も戦ったスカーレットさんとウオッカさん。

 今年も、数々のGⅠを制したウマ娘達がいる。

 年末の大舞台。

 ……私は何処まで行けるだろうか? 

 無事に、走り切る事が出来るのだろうか? 

 

 

 *****

 

 

『ゴールドシップ! ゴールドシップ強──い! 二冠バはやはり強い! 歴戦の猛者相手にも堂々の走り!』

 

 結果は12着。普段とは明らかに違う、精彩を欠いた走りしかできなかった。

 ……身体が、おかしい。

 自分の魂に、身体が置いていかれるような感覚。

 頭では走っているのに、身体が言う事を聞かない。

 様子のおかしい私に気付いたのか、心配そうに何人かが私の周りに集まる。

 

「……おい、シガレット、大丈夫か?」

「顔色鬼ヤバだし……誰か呼んだ方が良くない?」

「何? どうしたの? ……って、凄い顔色悪いじゃない!」

 

 観客席からもざわつきが聞こえる。

 不味い。ここで何かあったら。

 

「やめて、ください」

「シガレットさん?」

「やめてください! 放って……放っておいてください!」

 

 エイシンフラッシュ先輩の手を払い、逃げるように控え室へと向かう。

 

『今回だけだ。次、同じようになってたらお前をふん縛ってでも休ませる』

 

 トレーナーの言葉を思い出す。もう既に私の様子を察しているだろう。

 震える手でバッグから香水を取り出し、ハンカチに少量付ける。

 匂いを嗅いでいるうちに、なんとか落ち着きを取り戻せた。

 

「シガー! お前また……!?」

 

 何とか間に合った。

 見えないように香水とハンカチをしまい、さも落ち込んでいるように振る舞う。

 

「……すみません、トレーナーさん。また、負けて……」

 

 顔色が分からないように、トレーナーに抱きつく。

 

「……心配させるなよ。また何かあったんじゃないかって心臓が止まりそうだったんだぞ、こっちは」

「心配かけて、ごめんなさい……」

 

 ごめんなさい、トレーナー。

 でも、これで良い。

 二度と走れなくなるよりは。

 

 

 *****

 

 

 正月。新年早々、私とトレーナーは神社へ来ていた。

 

「……今年こそGⅠ初勝利を……!」

「気負うな気負うな。ほら、おみくじでも引くぞ」

 

 おみくじ、か。引くのは久しぶりだが……。

 少し緊張しながら紙を開ける。

 

【願望・改めかえてすれば望事叶い喜び多し】

【待人・きたらず】

【失物・出ず 遅ければなし】

【旅行・連れあればよろし】

【商売・山気を起すな】

【争事・勝が進むはあし】

【恋愛・思い通りにならぬ】

【縁談・高ぶりて敗れる恐れあり】

【病気・はかばかしからず】

 

 ……よく分からない文章が多い。が、全体的に良くないように思える。

 というか、良くない。……思い通りにならない、か。

 

「……大凶だった。トレーナーさんは?」

「…………まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦って言うしな」

 

 ちらっと覗き見ると大凶の文字。なんというか……二人揃って持ってない。

 新年早々幸先が悪いのは気分が悪いが、ここで悪い運を使い切ったと思おう。

 

 

 *****

 

 

 新年最初はGⅡ・日経新春杯。トーセンジョーダン先輩と戦うも4バ身差で勝利と、かなりの好スタートを切った。

 続けてGⅡ・アメリカJCC、GⅡ・京都記念も一着。GⅡ三連勝と調子の良いスタートだった。

 気になったのは観客。喜んではいるけれど、どこか冷めた視線。

 また身体に異変を感じたものの、なんとか堪えて過ごした。

 心の奥底に澱のように積み重なった気持ちを、私は押し殺した。

 

 健康診断では異常は見つからなかったらしい。

 

 

 *****

 

 

「はい、トレーナーさん」

「マジか……そっか……今日バレンタインデーか……都市伝説じゃなかったんだな……」

「……都市伝説?」

 

 そんなに貰えていなかったのだろうか。

 中央のトレーナーになれるという時点で十分エリートだし、顔もワイルド系で……まあ、私の好みだ。

 てっきりモテていたのだろうと思っていたが……意外だ。

 

「……トレーナーはバレンタインデーに担当のウマ娘からチョコが貰えるって話、嘘だと思ってた……」

「ああ……正直人によると思いますよ」

 

 私も正直直前まで忘れていた。

 同室の子が騒いでいてそういえば、と思ったくらいだ。

 

「だってさぁ~! 結構キツい事言っちゃったりしてたし嫌われてたらどうしようとかちょっと思っちゃうじゃんかぁ~!」

「そんな事気にしてたんですか?」

「そりゃあ、気にするだろ……」

 

 机に突っ伏してバタバタとしているトレーナーに近付く。

 珍しく子供っぽいところが見れた、となんとなく嬉しくなる。

 

「気にならなくする方法、ありますよ」

「え?」

 

 ……まあ、ちょっと私も掛かっていたのかもしれない。

 

 

 *****

 

 

 GⅢ・ダイヤモンドステークス、GⅡ・金鯱賞を共に一着で終え私はとうとう、『無冠の覇王』などと揶揄され始めていた。

 34戦26勝。GⅡ以下では未だ無敗。……自分で言うのもなんだが、もはや偉業を通り越して異常だろう。

 私について書かれた記事を読み終え、雑誌を置く。

 次に出走するのはGⅠ・大阪杯。

 トーセンジョーダン先輩、エイシンフラッシュ先輩、スカーレットさんとライバルが勢揃いだ。

 勝ちたい……が、分からない。

 何が起こるか分からないのがレースだ。

 現に、これだけ調子が良いはずの私が未だにGⅠでは勝てていないのだから。

 

 

 *****

 

 

『ダイワスカーレット! 春の中距離最強ウマ娘の称号を見事に獲得しましたァッ!』

 

 ハナ差2着。かつて無い程追いすがったが、届かなかった。

 ティアラ三冠バは伊達じゃない。同年代とは思えないスピードだった。

 いつも通りにウイニングライブを終え、控え室で休憩していた私の元に現れたのは、意外な顔だった。

 

「ねえ、ちょっといい?」

 

 ダイワスカーレット。本日のセンター。緋色の女王。

 仁王立ちで私を睨む様も、彼女がやると当然のように思える。

 

「……いいですが、私に何か?」

「何って……その、有馬記念の時のアレよ。もう大丈夫なの?」

 

 ……ああ、一応彼女なりに気にしてくれていたのか。

 

「見ての通りですが、何か問題でも?」

「だ、だってあの時のアンタ、普通じゃなかったから……」

「そうですね。確かに異常でした」

 

 エイシンフラッシュ先輩まで現れた。

 後ろにはトーセンジョーダン先輩と、ゴールドシップ先輩までいる。

 

「……何があったか、教えてくれてもいいんじゃないですか?」

「何もありませんよ。健康診断でも健康そのものと言われました」

 

 できる限りの笑顔を浮かべる。

 どれだけ言われても理解されるわけがない。

 私に、私に負けてきた子達の気持ちが分からないように。

 

「そういう話じゃない! ……あんな今にも死にそうな顔して何も無いわけが……!」

「私の戦績、ご存知ですか?」

「……35戦26勝、重賞勝利数19だな」

 

 ゴールドシップ先輩が答える。

 よく覚えていたな、とちょっと驚く。

 

「そうですね。そしてGⅠには未勝利です。分かりますか? 期待をかけるだけかけられて、勝ててないんですよ、私は」

「それは……そうかもしれないけど」

 

 スカーレットさんの前に立つ。

 身長差と私の顔付きもあってか、気圧されたかのように後ずさりされた。

 後ろ暗いモノが私の心に染み付くが、笑顔を維持する。

 

「それで、何です? 揃いも揃って私を囲んで。落ち込んでて可哀想だねって事ですか?」

「何言ってんだ、皆オマエを心配して……」

「心配して? 大丈夫かって? ……皆さんに何が分かるんですか?」

 

 握り込んだ手から異様な音が鳴った。

 

「皆さんは私から勝利を奪っておいて、よく言えましたね、そんな言葉」

 

 何か言いたげだったが、私から言う事は他にない。私の存在意義を揺るがしたのは、彼女達なのだから。

 

「……ふざけてるんですか?」

 

 ドアが開き、トレーナーが入ってきた。

 控え室に集まった皆を見て、何事かと思っただろう。

 私はいつも通りの笑顔でトレーナーを見る。

 

「悪いシガー、遅れ……何か、あったか?」

「いえ、皆さん私の事が心配で来てくれたそうです。話は済んだので行きましょうか」

「そんな雰囲気じゃなさ……お、おい、引っ張るなって!」

「では皆さん。お疲れ様でした」

 

 何も言えなくなっている皆を横目に、力尽くでトレーナーを引っ張り控え室を出る。

 ……やってしまった。

 少し後悔はしているけれど、仕方ない。

 色々聞きたいだろうに、黙って私に引きずられてくれているトレーナーに、感謝した。

 

 

 *****

 

 

 あれからしばらく、気まずい状態が続いた。

 学園では皆に出会わないように動き、トレーナーとも最低限の会話。

 何か言いたげなトレーナーを無視し、用が済めば寮へと帰る。

 できる限りトレーニングと勉強の時間を詰め込み、部屋に戻れば死んだように眠る。

 次は天皇賞・春。

 ゴールドシップ先輩が出ると聞いて、少し憂鬱になった。

 

 

 *****

 

 

『スタミナ勝負になりました! ゴールドシップか! シガレットキスか!』

 

 ギリギリの勝負だった。

 中盤、先に出た私を追いかけるように出たゴールドシップ先輩。

 圧倒的なパワーで飛び出たゴールドシップ先輩に必死に追いすがり、殆ど横並びでゴールした。

 ……今回こそは。

 祈るような気持ちで掲示板を見るものの。

 

『……出ました! 一着ゴールドシップ! 流石は昨年のクラシック級最優秀ウマ娘!』

 

 表示されたのは私が2着になったという、残酷な結果だった。

 いつもの溜息と落胆の声。

 そして。

 

『────―!』

 

 歓声の中から、私を罵倒する声が聞こえた。

 

 

 *****

 

 

 ウイニングライブ後、私はすぐに、トレーナーを捕まえて帰宅することにした。

 帰り道、トレーナーの運転する車の後部座席で、トレーナーに見えないように涙を零した。

 私の何が悪いというのか。

 全力で走った。全力で挑んだ。今も足が震えそうな程だ。

 鞄からこっそりと香水を染み込ませたハンカチを出し、香りを吸い込む。

 気持ちを落ち着かせ、いつも通りに戻す。

 これはもう私のルーチンワークとなっていた。

 トレーナーさんの匂いが無いと落ち着かない。

 これはもう、依存、と言ってもいいのかもしれない。

 

「……トレーナーさん。私、GⅠ勝てるんでしょうか」

「……大丈夫だ。何とか……何とかしてみせるから」

 

 私がさも不安そうに言えば、トレーナーが虚勢を張る。

 漏れ聞こえた話では、トレーナーにも様々な話が来てしまっているようだ。

 曰く、『トレーナーの指導力不足』。

 私が全く勝てないのならともかく、GⅡ・GⅢは未だ無敗だ。

 私の精神面、ないしは大舞台に対応した走りの指導が出来ていない、ということらしい。

 成果が出ていないわけではないが、本来であればさらなる成果が出せるはずだ、と。

 場合によってはトレーナーの交代も視野に入れると聞いた。

 私としても今更トレーナーが交代されるなどという事態は耐え難い。

 そして、一番重大なのは私に関する話だ。

 

 ……私が精神的に病んでいるのではないか、と。

 

 恐らくは先輩方から報告があったのだろう。

 何度かあった会長からの呼び出しも素知らぬ顔で流した。

 健康診断に精神面の調査も入ったが、問題無く誤魔化す事もできた。

 会長にはかなり怪訝そうな顔をされていたので、一体後何度通じるのかは分からないが。

 

 

 *****

 

 

 その後、GⅢ・新潟大賞典、GⅡ・目黒記念、GⅢ・鳴尾記念を全て一着で終えた。

 その際何名かに睨まれ、恨み言を呟かれた。

 ……大半の重賞が私によって一着が取られている為、実績を積みたいウマ娘達にはかなり恨まれているようだ。

 陰口を叩かれた事もあるが、悔しければ勝つしか無い。……私のように。

 いくつか試してみた策も、新しいトレーニングも、GⅠでは通じなかった。

 サクラバクシンオー先輩に教えて貰ったフォームは私には合わず、速度の切り替えが効かない代物だった。

 どうすれば勝てるのか。

 その答えを見いだせないまま私達は結局、二度目の宝塚記念を迎えることになった。

 

 

 *****

 

 

『ゴールドシップ! 今年も快勝ゴールイン! 史上初の2年連続宝塚制覇だァーッ!』

 

 私は3バ身差で2着。……正直、勝てる気がしなかった。

 去年同様の先行策、去年以上のパワーとスピードに私達は皆、彼女の後を追うしか無かった。

 普段はふざけているようにしか見えない彼女だが、本気でレースを走った時は圧倒的だ。

 

「……はぁ。……遠い。本当に遠いなぁ……」

 

 ゴールドシップ先輩は一瞬チラリと私を見たが、そのまま向き直り観客席に手を振っている。

 観客の大歓声を受けている姿に何とも言えなくなる。

 私は耐えきれなくなる前に、控え室に戻った。

 ……あの香りを嗅ぎ、落ち着かせなければ。

 

 

 *****

 

 

 GⅢ・七夕賞、GⅢ・小倉記念、GⅡ・札幌記念、GⅢ・新潟記念、GⅡ・オールカマー、GⅡ・京都大賞典。

 重賞6連勝。これだけ見れば順調なのだけれど、私の気持ちは未だに晴れない。

 ここまで勝てて何故GⅠが勝てないのか。……などとよく言われているが、本当に強いのだ。

 私が成長している以上に強くなっている気がする。

 ……私だって弱くない自信はある。十分な成績を出しているし、後一歩まで迫れたレースもあった。

 それでも……勝てないのだ。

 

 

 *****

 

 

 ある日のトレーニング終了後のトレーナー室。

 いつものように、トレーナーに最低限の連絡をして出ようとした途端、腕を掴まれた。

 

「……トレーナー、さん?」

「シガー……ちょっと話、いいか?」

 

 いつになく真剣な表情。……何かあったのだろうか。

 何度か口を開きかけ、閉じるのを繰り返した後、絞り出すように言った。

 

「……俺達の契約だが、GⅠに勝てなければ今年一杯までだそうだ」

 

 肺から空気が絞り出るような感覚。

 ……まさかとは思っていたが、今年一杯とは。

 

「……なんで、ですか?」

「……お前だけに負担を掛け過ぎている、と」

「なんで! ……私に相談してくれなかったんですか!?」

 

 思わず、机を叩いてしまう。

 

「しようと思ったさ! 何度も、何度も! ……でも、お前はあの日からロクに話をしようとしねえし、そんな状態のお前にこんなこと言えるかよ……」

「……それで? 断ったんですか?」

「いや……俺はお前に勝たせてやれなかったから……」

「だから? だから私との契約を解除するって!? ……私がそれで納得すると思ったんですか!?」

 

 ……私は傲慢だ。そんなの今更分かりきっている。

 勝って当然だから、負ける事がこれ以上無く屈辱なのだ。

 それでも、心が捻じ曲がりそうな思いをして走ってきた。

 ……それを、勝てなかったからという理由で? 

 そんな自分勝手、私だけで十分だ。

 

「……来年からは俺の代わりの奴が来る。実績も俺よりある、良い奴だ」

「……他のトレーナーが私にこれだけ走らせてくれましたか!? 私のトレーニング量を管理してくれましたか!? 休日にわざわざ連れ出してくれましたか!? 私に声をかけてくれましたか!?」

 

 全部、全部トレーナーがいたからなのに。

 怒りのあまりトレーナーの胸元を掴み上げ、締め上げる。

 

「……私はトレーナーさんが私の専属じゃなかったら、ここまで走らなかったし、走れなかった。今、私の戦績だけを見て交代するなんて許さない……!」

「ぎ、が、……シ、ガー……!」

 

 ヒトは、ウマ娘には敵わない。

 力の差があまりにも大きいから。

 ましてや体格も然程変わらない私とトレーナーでは雲泥の差だ。

 

「私を捨てて一人で楽になんてさせないッ……!」

「や……め……」

 

 ヒトは、あまりにか弱い。

 ウマ娘が本気を出せばこういった事になってしまう。

 

私の心に火を付けたのは貴方の癖に(・・・・・・・・・・・・・・・・・)ッ……!」

 

 私が手を離すと、トレーナーが椅子に落下した。

 何度か咳き込んで、よろよろと起き上がる。

 

「げほっ……ご、めん、シガー……」

「……今更、何を謝るっていうんですか?」

 

 トレーナーはふらつく足で立ち上がり、私を抱きしめた。

 

「────―泣かせる、ような、真似、して、ごめん」

 

 その後は……まあ、よくあるお約束だった、とだけ言っておく。

 でなければ、私はレースに出るどころではなくなっていただろうから。

 

 

 *****

 

 

『秋の天皇賞芝2000m、URAレコード記録で勝ったのはトーセンジョーダン!』

『ダイワスカーレットエリザベス女王杯二連覇ァッ! 緋色の女王がターフに降り立ったァッ!』

 

 ……だからといって、勝てるようになるわけではない。

 和解し、乗り越え、努力し、勝つ。そんな展開は物語の中だけで、現実はそう優しくはしてくれない。

 私とトレーナーとの契約解除の噂は何処からか広がったらしく、今では私が登録の解除をするとまで捻じ曲がっている。

 ただ、このままトレーナーとの契約が解除されたら……私は多分、走るのを辞めるだろう。

 

 

 *****

 

 

 レースを終え学園に戻ってくると、何やらざわついた集団がいた。

 

「ウララちゃんGⅠ一着おめでとー!」

 

 身体から血の気が引くような感覚。

 よく見れば『ハルウララJBCスプリント勝利おめでとう!』という横断幕が貼られている。

 ……万年負けウマ娘だった、"あの"ハルウララが? 

 私の適性とは全く逆、短距離ダートの世界ではあるが、GⅠはGⅠだ。

 練習すら気が散ってままならなかった彼女が、よくもまあ勝てたものだ。

 トレーナーの腕、相性というものもあるのだろうが、十分偉業だろう。

 

「GⅠ、ねえ」

「あ……あ……シ、シガレットキスさん……」

「ひっ」

 

 私の声を聞いて怯えたような声を出して逃げた子が何人かいた。

 見覚えがある。GⅡで何度も戦った相手だ。

 そこまで威圧した覚えはないだけに、少し悲しい。

 周りの様子がおかしい事に気がついたのか、渦中のハルウララがこちらを見つけて近寄ってくる。

 

「あっ、シガレットさんだ! あのねあのね! わたし勝ったんだよ! GⅠで!」

 

 私がGⅠ未勝利で悔しい思いをしていることを知っている何名か顔色を変えていた。

 私は笑顔を保てているだろうか。

 

「そう。……ダートとはいえ、良かったじゃない」

「それでね! これで有馬記念でシガレットさん達とも走れそうだねって!」

 

 ……は? 今、なんて? 有馬記念に? 彼女が? 

 

「……へえ、有馬記念に」

「去年、皆が走ってるのを見てわたしも走りたい! って思ったの! それでね! トレーナーさんが有馬記念に出たいならGⅠで勝たないといけない、って!」

 

 ……それで勝てたのだから彼女のトレーナーはかなりの手腕なのだろう。

 JBCスプリント。どこに出しても恥ずかしくない成果だ。

 そして、出る事が出来たということはそこまで成果を出していたということ。

 GⅠは何も無しに出ることはできない。ファン登録者数や勝利数、様々な条件が付く。

 有馬記念に出られる、そう言ったということは私の知らないところで相応の成果を上げていたのだろう。

 ただ……適性の全く違う有馬記念でマトモに走る事が出来るかは別だ。

 ダート短距離と芝長距離。全く違う環境でマトモに走る事は普通、できない。

 

「そう。……そうなのね」

「シガレットさんも出るんだよね? 一緒に頑張ろーね!」

 

 一緒に頑張る? 何を言っているのだろう。どうあがいても敗者が出るのがレースだ。

 一緒に出来る事なんて、争う事くらいだ。

 駄目だ。……笑顔、笑顔だ。

 

「ええ。記念出走の貴女に、負けるつもりはありませんが」

 

 ……笑顔。私は……出来ているか? 

 最後に心の底から笑えたのは……いつだろうか。

 

 

 *****

 

 

『ウオッカ! シガレットキス! ウオッカ! シガレットキス! 並んでゴールイン!』

 

 迎えたジャパンカップ。

 ほぼ同着となり、判定を待つ。掲示板、一着表示されたのは────―ウオッカさんの番号。

 ……歓声が上がる。

 これでウオッカさんは2年連続一着。並み居る強敵を抑えての二連覇は、見事だ。

 

「……後は、有馬記念のみ、か」

 

 契約解除の撤回を行うには、私がGⅠに勝利するしかない。

 とはいえもう今年のGⅠは有馬記念しか残されていない。

 私の最後のチャンス。……私は、走れるのだろうか? 

 私の中の何かが、様子を伺うように身じろぎした気がした。

 

 

 *****

 

 

 クリスマス。

 私とトレーナーはトレーナー室でささやかにクリスマスのお祝いをしていた。

 はしゃぐ声が聞こえる中、私達の表情は実に陰鬱なものだった。

 それもそうだろう。私とトレーナーとの最後の一時になるのかもしれないのだから。

 ステイヤーズステークスの二連覇も、私との契約解除撤回には寄与してくれなかった。

 なまじGⅠ以外では無敗なのが響いたらしく、上層部はGⅠで勝てない理由をトレーナーに求めたのだろう。

 

「次で、最後か」

「最後だなんて、言わないでください」

「……ごめん」

 

 用意したご馳走も、味が分からない。

 粘土を食べ、泥水を飲んでいるような感覚。

 

「有馬記念、頑張りますから」

「ああ」

「勝って、また一緒に走りましょう」

「……ああ」

 

 

 *****

 

 

『年末の中山で争われる夢のグランプリ、有馬記念! あなたの夢、私の夢は叶うのか!』

 

 シガレットキスというウマ娘の走りを最初に見た時、俺は寒気を感じた。

 シガレットキス────―シガーは気付いていなかったが、一緒に走っていたウマ娘達の顔色は悪くなっていた。

 最後方から追い上げる足音。パワーだけではない、独特の踏み込み方から出る音。

 見ている俺ですら寒気を感じる音だったのだから、耳の良いウマ娘達には恐怖だろう。

 それが今、完成されつつある。『悪夢の足音』と呼ばれた音。

 

『50戦36勝、この3年を走り抜けてきた鋼鉄のウマ娘、シガレットキス! 本日は3番人気です』

『GⅠでは未だ勝ちきれていない彼女の、GⅠ初勝利に期待がかかります』

 

 50戦36勝。3年目のウマ娘としては異常な記録。

 無尽蔵の体力はトレーニングを限界まで増やしても尚疲労を見せなかった。

 この3年でスピードも、パワーも付いた。

 それでもGⅠに勝てないのが呪いのように思えた。

 明らかに精細を欠いた走り。力無い足音。

 彼女の中の何かが邪魔をしているようだった。

 俺には……彼女の呪縛を解く事ができず、こうして最後のレースを迎えている。

 

『2番人気を紹介しましょう! ここまでGⅠ6勝、文句無しの世代最強ウマ娘、ゴールドシップ!』

『やる気十分なのがここからでも見て取れますね。期待できます』

 

 散々辛酸を嘗める事になった。悔しい思いもした。

 彼女の足音がトラウマになり、学園を去ったウマ娘達からのいわれのない中傷も。

 そんなウマ娘達を担当していた同僚からの苦情も。

 

『さあ、今日の主役はこのウマ娘を置いて他にいない! デビューからここまで無敗(・・・・・・・・・・・・)、ダートの女王、地方の星! ハルウララ! 1番人気です!』

『普段は砂の上で走る彼女が、慣れない芝、長距離の環境で何処まで走ることができるのか、気になりますね』

 

 ……眩しい。笑顔で、楽しそうに走る彼女(ハルウララ)が。

 いつからかシガーはレース中、恨みや辛さをぶつけるような表情をするようになった。

 元々表情の乏しいウマ娘ではあったから、昔は楽しく走っていたのかは分からないが。

 ただ、シガーがレース前にハルウララに向かって言ったらしい言葉を思い出す。

 

『記念出走の貴女に、負けるつもりはありません』

 

 いつもの貼り付けたような薄っぺらい笑顔の裏に、隠しきれない怨嗟。

 負けても笑顔で走り続けたハルウララ。

 負けて、屈辱と憎悪の中走っていたシガレットキス。

 シガーには言っていないが、このレースがどうであれ俺はもうトレーナーを辞める。

 ああなるまでシガーの心の内を分かっていなかった俺はやはり、トレーナー失格だからだ。

 

『各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました』

 

 俺にとって最後の戦いが、今始まった。

 いつも通りシガーが最後方。やや前方にゴールドシップ。

 ハルウララは……ぶっちぎりで先頭だった。

 ハルウララについては俺も良く知っている。デビュー前は負け続き、最後方が定位置だったはずだ。

 一体何があればあのウマ娘がここまで走るようになるのか。

 いや、何をすればああまで走りを変えられるのか。

 1000mタイムは……51秒。……レコードなんてものじゃない。異常だ。

 観客席からもざわめきが聞こえる。下手をすれば全員潰れかねないレースだ。

 

『早い早いぞハルウララ! この速度で最後まで持つのか!?』

 

 それでも尚安定した速度を出すハルウララを見て、シガーは既に速度を上げ始めていた。

 体格の問題か、速度が上がるまでに時間がかかるのがシガーの弱点だ。

 

『最後方からシガレットキスとゴールドシップが上がってきた!』

 

 シガーとゴールドシップが同じようにストライド走法で追い上げる。

 シガーの方からテンポ良く、足音が響く。異常に低い体勢から壁でも登るように大地を走る。

 芝を深々と抉るパワーから出るその足音がいやに響く。そして段々とその音の間隔が縮まる。

『悪夢の足音』、などと最初に言い出したのは誰か分からないが、よく言ったものだ。

 背後からハッキリ聞こえる足音がその間隔を縮めながら迫ってくる。恐怖でしかない。

 

『シガレットキス、凄い勢いで上がってきたぞ!』

『この距離でこの速度を維持できるのは彼女くらいでしょう』

 

 ……モニター越しにシガーの顔を見る。鬼気迫る表情。

 俺の胸ぐらを掴んだ時のような、悲痛で、怒りに満ちた表情。

 見ていられず、俺は祈るように目を瞑ってシガーの勝利を祈った。

 

 記録は2分21秒3。史上最短の有馬記念が、終わりを迎えた。

 

 

 *****

 

 

 私の名はシガレットキス。

 今、このトゥインクルシリーズで、約3年間の長くて短い戦いを終えた、しがないウマ娘だ。

 

『夢のグランプリを制したのはハルウララ! 年末最後の大一番を制し、栄光のセンターの座を手に入れたぁっ!』

 

 有馬記念。結果は2着。

 3着に大差を、そして2着の私にも大差をつけての1着(・・・・・・・・・・・・・・・)だった。

 ……圧倒的だった。この世の理不尽そのものが形になったのかとすら思えた。

 負け続けだった彼女────―ハルウララと私、何が違ったというのか。

 努力? 才能? ……トレーナー? 

 もう、分からない。今までに出した事の無いスピードを、今までに無い程出し続けた。

 並のウマ娘よりも強いはずの私の心臓も、激しく脈動している。

 私の視線の先では、一着を取ったハルウララと彼女のトレーナーが、共に勝利を祝っていた。

 その光景に更に激しく心臓が脈打つ。

 

「……なんで、貴女だけが」

 

 ……あの子がいなければ私が勝っていた。私の勝利を、あの子が奪った。

 私はトレーナーを奪われるのに、彼女はのうのうと自らのトレーナーとの絆を見せつけてくる。

 何故私だけが、こんな目に遭わなければいけないのだろうか。

 相変わらずGⅠでの一着を逃した私に、罵声が浴びせられる。

 最高の走りをした。限界を超えて走った。それでも、負けた。

 勝てなかったライバル達を大差で追い抜いて尚、負けた。

 ただ楽しいから走っていただけの、彼女に。

 

「なんで……私が……負けなきゃいけな」

 

 何かに側頭部を思い切り殴りつけられる。

 私が立っていたはずの地面が大きく歪み、波打つ。

 地面がいつの間にか目の前に来ている。

 

 ……私が倒れたのだと、気を失う直前に気付いた。

 

 

 *****

 

 

 朧げに浮かぶ意識の中、トレーナーと誰かの声が聞こえる。

 

「先生、アイツは大丈夫なんですか?」

「……検査した限り、脳や身体には異常はありません。ですがまだ、意識は……」

「……分かりました」

 

 ……身体が動かない。目を開ける事もできない。

 金縛りのように、呼吸すら私の意にはなってくれない。

 

「すまん、シガー。……俺が、ちゃんとしていれば」

 

 そんな事はない、とも言えない。口が全く動かない。

 私の身体に一体何が起こったというのだろうか。

 

「……お前に缶をぶつけた奴は逮捕されたよ。応援していたウマ娘がお前のせいで引退したとか……ふざけた真似しやがって、お前の何が悪いってんだ」

 

 私の側頭部を殴りつけたのは缶だったらしい。衝撃からして中身入りだろう。

 ……私は相当嫌われていたようだ。

 

「シガー、起きてくれよ……後一ヶ月でトゥインクルスタークライマックスも始まるんだぞ?」

 

 トゥインクルスタークライマックス。最強を決める、特別なレース。

 私は『芝・長距離』で登録してあったはずだ。

 ……とはいえ、こんな状態では登録も抹消されているだろう。

 起き上がれたとしても、復帰には時間もかかる。

 

「起きてくれ……また、お前の走るところが見たいんだ……」

 

 腕に涙の落ちる感触。……泣いてくれているのだろうか。私なんかの為に。

 必死に動こうと努力するが、私の身体は全く反応しない。

 試行錯誤していると、足音とドアの開く音がした。誰かが来たようだ。

 

「あー……トレーナーさん。シガレットはどうだって?」

「ゴールドシップか。……シガーは無事だ。意識はまだ戻ってないが……」

 

 ゴールドシップ先輩だった。わざわざ見舞いに来てくれたのか。

 

「……ひっでえ話だよなぁ。シガレットの奴が何かしたってワケじゃねーのに」

「そう言って貰えると、助かる」

「ああコレ、大変だろうと思ってゴルシちゃんが差し入れ持ってきてやったぞ」

「わざわざ悪……おい待てなんだこれ」

「たこわさ」

 

 ……まあ、相変わらずだった。

 

 

 *****

 

 

 その後も、身体だけが動かない私の元へ何人もの見舞い客が来ていた。

 話を聞く限り、私はもう既に5日間も気を失っているらしい。……相当当たり所が悪かったようだ。

 

「シガー……俺が悪かったから……起きてくれよ……」

 

 トレーナーの何が悪いというのだろうか。

 私が目覚めないのは、誰のせいでもない。ただ、運が悪かっただけだ。

 そう伝えたいのに身体はビクともしない。叫びたいくらいの気持ちも、伝わりはしない。

 

 ……三女神様。一度も貴女がたに祈った事もない不信心な私だけれど、どうか、今回だけは。

 

 

 *****

 

 

 その日、夢を見た。小さい頃の夢。

 

『誰がアレの面倒を見るんだ? ウマ娘っつったって、走って勝てなきゃあカネにならねえだろうが』

『ツラはいいんだ。最悪、いくらでも働かせる先くらいあんだろ』

 

 私を置いて蒸発した両親。下衆な話をする親戚。

 私は不要な子供だった。無愛想で、可愛げがないと言われた。

 

『わざわざアンタみたいな子を置いてやるんだ、余計な真似するんじゃないよ』

 

 誰も必要としない。与えられるのは罵倒と残飯と暴力。

 

『一着、シガレットキス!』

 

 私が唯一救われた場所。レースで勝った時だけ、私は存在を認められた。

 比較的マトモな食事を出され、冬場は毛布だって与えられた。

 勝てなければ、またあの待遇に戻る事になる。

 勝てなければ。

 私は勝てなければ存在できない。

 そう、思っていた。

 

『あー、なんていうかな、走りがさ、綺麗だなって思ったんだよ。別段走るわけじゃない俺がどうこう言えた事じゃないのは分かってるんだけどさ』

 

 ……トレーナーさんの声。いつだったか、一緒に出かけた時の言葉。

 

『地面を滑るように走ってる姿が、凄い格好良いっていうか』

 

 いつも恥ずかしい事を言う人だった。

 

『それにさ、頑張ってるウマ娘を勝たせてやりたいって思うのはトレーナーとして当然だろ?』

 

 私は……。

 

『負けたからって、お前の価値が無くなるわけじゃない』

 

 そう。……私はトレーナーのおかげで、やっと認められる場所を得られたのだ。

 

 

 *****

 

 

 目が覚めた。私の腕に縋り付くトレーナーの姿があった。

 

「……契約解除も取り消して貰った。……だからまた、レースに出まくって記録を更新して……たまの休みにはパーッと何処かに出かけて……だから……」

「ほんと……で……すか?」

 

 声が、出た。

 

「また、いっしょに、はしれ……ますか?」

「……シガー!? ま、待ってろ、今人呼ぶからな!」

 

 すぐに医者が来て、何やら検査をしていく。

 いくつも質問をされ、私は必死でそれに答えた。しばらくするうちに声を出すコツが分かってきた。

 まだ意識と身体のズレがあるが、問題無いだろう。

 

「……トレー、ナー、さん。しんぱい、かけて、ごめん、なさい」

「良かった……本当に良かった……」

 

 トレーナーが私の手を握り込んで、泣き出してしまった。

 

「……トレーナーさん。トゥインクルスター、クライマックス……出られます、よね」

「あ、ああ! なんとかしてみせる! お前は……アレだ、とりあえずゆっくり休んでろ! 待ってろよ!」

 

 大慌てで病室を出るトレーナーを見送る。きっと、今から様々な手続きがあるのだろう。

 ……私も頑張らなくては。

 

 

 *****

 

 

「ほ、本当に大丈夫なのか? 無理してないよな?」

「心配し過ぎです。お医者様からもお墨付きを貰ったじゃないですか」

 

 ……結局、私の保護者は来なかった。

 連絡を受けても『そっちの責任なんだからそっちで面倒を見ろ』と言ったそうだ。

 会長とも相談して、卒業後は縁を絶てるようにして貰っている。

『世話になるアテがあるなら問題ないな』なんて、訳知り顔で言われたが。

 

「そうだけどな……」

「今頃そんな事を気にしている場合ですか? もうすぐ出走じゃないですか」

 

 幸いにして、眠っていた期間が短かった事もあってか、トゥインクルスタークライマックスへの私の出走は認められた。

 退院祝いも無駄に盛大に行われたのは、まあ、意外だったが。

 

「そう、だな。……頑張れ」

「ええ、頑張りますよ。私達の契約、今度はそう簡単に解除させませんからね」

「悪かったって……大丈夫、ずっと支えるよ。……俺が、お前の居場所になるから」

 

 ……私達のこの先は、まだ分からない。

 トゥインクルスタークライマックスも強敵揃いのレースだ。

 それでも、私は前よりも気分が良い。

 ここが私の居場所だと、そう確認出来たから。

 

「さあ、行きましょう。皆さんに私達の力を、見せつけてあげないといけませんからね」

 

 

 ────―私の名前はシガレットキス。戦績は52戦37勝(・・・・・・)

 

 私の短くて長い3年間は終わり、また長い戦いが始まった。




ピクシブにも投稿してます。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17726242

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