擦り切れたメモ。
ダンゴムシの死骸。
鳴らないオルゴール。
小さな頃の私は、それら全部がこの世界の真実を知る鍵だと信じて疑わなかった。
擦り切れたメモは誰かが残した秘密の暗号。
ダンゴムシの死骸はついさっきまで巨大化して正義のヒーローと戦っていた。
オルゴールが鳴らないのは中で演奏をしていた妖精が消えてしまったから。
信号機も独りでに色を変えると思っていたあの頃。
私は目についたもの、何でもバッグに入れた。
できるだけたくさん、入れた。
手掛かりは少しでも多い方がいいのだ。
妹とも、たくさん探索した。
日曜朝のヒーロー番組を一緒に見て、その後二人で家の庭を。
二つ下の妹が卒業すれば、四つ下の妹と。
四つ下の妹が卒業すれば、六つ下の妹と。
少女もいつかは
そうやってみんな、卒業していく。
そして私は今――。
今もあまり変わっていない。
「黄依、それは一体なに……?」
怪しむ顔を見せる紫王紫、通称ゆかりん。
放課後の空き教室で二人、その視線は私達の間にある机――の上にあるものに釘付けだった。
「これ? 黄依ちゃん特製ピラミッドセンサーだよ。モンスターが出てくるのいつも唐突でしょ? これで精度よくわかんないかなって!!」
割り箸と輪ゴムで作ったピラミッドの上に、ヤジロベエのように別の割り箸を乗っける。
これは私の
「……。地震の揺れくらいはわかるかもね」
「いやいや、でもですよ。敵が出現する直前って衝撃波が発生するじゃん? 予知波みたいなものがあれば反応するかもだし、何回も実験すればデータが……」
「意外と真面目に考えてるの止めなさい!!」
ゆかりんのツッコみが心地よく胸に響く。
最初のことを考えれば、こんなやり取りができるだけで嬉しくなってしまう。
今日は二人。
桃原さん、通称モモミーは日直の仕事だとかで遅くなるらしい。
私達三人は
親玉の名前は深淵なる闇。
魂を震わせ、心の太鼓を打ち鳴らしその存在へと立ち向かわなくてはいけないのだ。
――のだけど。
「ゆかりん、深淵なる闇って何か聞かされてる? 妖精さんから」
敵の実体がわからないというのは、イマイチ乗れない。
「私達が戦うべき敵……よね? 敵のボスというからには大きくて強いのじゃないかしら」
「……」
「な、なによ。その眼は……」
「ゆかりん、結構ざっくりしてるよね」
「ほっときなさい!!」
本日、二度目のツッコみが綺麗に胸に響く。
ダメだ、癖になってきている……。
「ああ……!! ゆかりんにはモモミーがいるもんね……!! 正義の魔法少女にドロドロ展開はよくない……」
「あ、あなたは何を言っているの!? 桃美ちゃんと私がなんて……桃美ちゃんは私のことなんて普通の人と思ってるわよ……」
「え???? でも昨日とかもドサクサに紛れて『一緒に住もう』ってモモミーが……」
「純真無垢な桃美ちゃんに限って他意があるわけないでしょう!! 桃美ちゃんをそんな目で見ないで!!」
「ええ……」
異論は正直あったが黙っておく。
この正義と道徳の名探偵、黄原黄依。
人の恋路に踏み込むのは
私達のスマホが同時に震える。
画面を見れば『本日しばらく敵襲ナシ』の一文が目に入った。
ゆかりんがため息を吐く。
「しばらくってどれくらいよ……全く」
「……。ねえ、ゆかりん。今日は自由行動にしない? 魔除けシール譲るからさ」
「自由って……? どうするつもりなの? 魔除けシールはいらない」
私の頭にはある
ただ、それに二人を付き合わせるのは悪い。
だから、
「モモミーには私から伝えておくよ!! じゃ!!」
「え、ちょっと……!! 自由って言われても何をすればいいか……!!」
戸惑う声を置き去りにして私は廊下へと飛び出す。
突き止めるは深淵なる闇の正体。
言い換えれば、
妖精さんに聞いたところで、はぐらかされるだけだろう。
いや――。
そもそも妖精さんは
謎を解く鍵はこの学校にある気がした。
根拠は、一応ある。
敵はこの一帯、特に学校周辺でしか現れていない。
敵が何かを狙っているか、あるいはこの場所自体が特別なのか。
探してみる価値はあると思った。
「まずはモモミーと話をしよっかな」
自由行動になったことを伝えないといけないし、個人的に話したいこともある。
私は別の教室へと歩を進めるのだった。
「あ、黄依ちゃん」
教室に入るやいなや、愛嬌のある笑顔がこちらに向く。
先ほどまでスマホを見ていたので、話は早そうだった。
「今日はモンスター、出ないってね。……しばらく」
「あはは、そうそう。それでね今日は作戦会議は止めて自由行動にしようかって」
「へええ。じゃあ今日は紫ちゃんのために3Dモデルのお勉強しよっかな~。今から勉強すれば高校卒業くらいには良い感じになってるよね!!」
「ハイスペックモモミー。いや、モモミー器用だし行けると思う。ゆかりんにも伝えたら? とっても喜ぶと思うけど」
これが個人的に話したかったこと。
踏み込まない程度の、探り。
「ええ……? でも、その……私が好きでやるだけだし……。紫ちゃん、クールで優しいから、私にも普通に優しいだけなんだろうなって……」
「……」
「……黄依ちゃん? どしたの?」
「コンプラ違反です!!!!」
踏み込むのは、ここまで。
二人の幸せを祈るしかない。
ゆかりんがモモミーに好意を持ってるということはフォローを入れて、私は本題へと入った。
「というわけで、この名探偵黄依ちゃんは世界の謎を解き明かすべく、調査をしているわけです。モモミー、何か変わったこととかある?」
うーん、と目の前の少女は考え込んでしまった。
「モンスターが出てくるの自体、変わっているからなあ~」
「それはそう!! じゃあ学校の噂とかそっち系で!!」
「噂……何かあったかな……あ!! 光らない鏡!!!!」
気づいたようにモモミーが声を上げる。
私はメモ帳を取り出すと、滑らかな動きで書き記した。
「光らない鏡……? 光らないけど鏡、そこが不思議ってわけだ!!」
「うん!! 誰から聞いたのか覚えてないけど……確かそんなのがあった気がする!!」
情報源はモモミー、と。
これはもう少し詳しく聞く必要がありそうだ。
「場所とか、逸話とか。あったりする?」
「え~っと、そういうのはわからないんだけど……とにかく、大きいの」
私は情報提供者の
とにかく、大きい。
「なるほど。人より大きい縦鏡をイメージすればいいかな?」
「うん!! たぶんそんな感じ!!」
「何に使われるかは? わかる?」
「うーん、わかんないかも……」
「光らないなら自分を映すためじゃないよね? きっと」
「確かに……!! そうだった、かも……!!」
私は丁寧にペンを走らせる。
「ご、ごめんね……!! 何か曖昧なことばっかりで……!!」
「いいよ~。これくらいフワフワしていた方が調査しがいがあるし」
普通に考えれば古くなって表面が錆びたり汚れてしまった鏡、だろうか。
覗き見防止フィルターよろしく、見る角度によって反射率が異なる仕掛けがあるのかもしれない。
「そう言えば黄依ちゃんって妹がいるんだよね? その手の話、聞いたりとかは?」
「え? うーん?」
そうだ。
私の妹は二つ下と四つ下と六つ下。
上の二人は同じ小学校に通っているはずだった。
「下に行くほど私に懐いているんだけどねえ……。歳が近いとほら、いろいろ難しくて……」
「あ、そうなんだ……」
「お姉ちゃんはつらいよ……」
「じゃあ休日は? 一緒に過ごしたりした?」
「……? だいたいは一緒に遊んでるけどね。うち、親が家にいないこと多いし」
「ねえ、黄依ちゃん。……もし黄依ちゃんがよければ家に遊びに行ってもいい?」
「うん、いいけど……。何だろう、いい、けど……」
私は教室を見渡した。
この時間ならまだパラパラと人は残っている。
無論、さっさと帰らないといけないのだが。
モモミーとの会話を書きとってメモ帳をぱたんと閉じた。
私は教室のドアへと足を向ける。
「ごめん!! 私そろそろ行くね!! ゆかりんは空き教室にいたから!! よろしく!!」
「あ、うん!! 黄依ちゃん、気を付けて帰ってね!! じゃ!!」
勢いよく私は飛び出す。
前側のドアには魔除けのシールを張っておいた。
走りながら私は妹たちとの探索を思い出していた。
小さい頃の世界というのはもっと、今よりももっと、新鮮な輝きに満ちていた。
それこそ同じ物を見続けてもずっと飽きないくらいに。
廊下は走ってはいけない。
だからここは廊下ではなかったのだろう。
右へ、左へ、また右へ。
いつまで経っても、卒業できなかった少女。
いつしか
私は直進した。
風景のことは、考えなかった。
必要なのは、私が前に進んでいるという事実だけだ。
それ以外は雑音として除去すべきだ。
道標はメモ帳だけだ。
先ほどの少女の会話だけだ。
私はメモ帳に文字を書き込んで丸をした。
『今日は何曜日?』
スマートホンは見ない。
正解は、見ない。
疑問という光を灯して、暗闇を進む。
やがて私の視覚は、新たな風景を映した。
廊下のような場所だったが、今までいたどの場所にも繋がっていないように思えた。
奥にはとっても、大きいものがあった。
メモを忠実に取って正解だった。
あれは鏡だ。
光らない鏡だった。
そうとしか言いようがなかった。
だって鏡の中は真っ暗だったから。
私は、魅入られたようにそれに近付いていた。
感じ取るべきだ。
これは一体、なんだ。
私は覗き込んだ。
これは――。
宇宙だ。
荒地に少女がいた。
少女は黄色の光を放ち武器を構えていた。
黒い獣が少女を取り囲んでいた。
少女の武器が金色に輝く。
それは槌のようだった。
少女が槌を振り回す。
迫っていた獣が、削れ、吹き飛んでいく。
獣たちが集合していく。
巨大な狼と化したそれに対して、少女の体は爪先ほどしかない。
獣の体の一部が少女に激突すれば、どうなるか想像するのは容易だった。
だが、敵わないとは思わなかった。
少女が飛び上がる。
黒狼を遥か下に見下ろすくらいに。
ただの少女がそんなことをできるのか、と疑念を持つ。
だから、ただの少女でないというのが当然の帰結だった。
魔法少女。
そうなのだと直感した。
黄の少女が何かを叫ぶ。
手にした黄の槌が、どこまでも天へと伸びていく。
巨大な槌が狼へと振り下ろされた。
大きな敵を、更に大きな攻撃で押し潰す。
黄の爆発が巻き起こる。
爆発が終わった後、荒地には少女以外何も残らなかった。
周囲にあったものを破壊するだけの存在。
孤高で、孤独。
佇む少女を形容するなら、そうだと思った。
鏡に映っているものは何だ。
光らない鏡なら映っているのは自分以外の何かだ。
自分以外の何か。
自分以外の何か。
自分以外の何か。
「本当に、どこにでもいるわねあなたは……」
はっと意識が
振り返れば緑色に発光する
「妖精さん? これは? いったい何? ここはどこ? 私は――」
「それはまあ、私の世界とここを繋ぐものよ。あなた達に弄られたくなかったから、ちょっと離れたここに置いていたというだけ」
「モモミーが知ってた。それってつまり、最初からあったんじゃないの? これは」
「……。まあいいじゃない。元々あったものを参考に私が新しいものを作っただけよ」
頭が痛い。
血流が多分、脳を圧迫している。
「元々あった? じゃあ私達もどこかから来たってこと?」
「ああ、もう……。言葉の綾だから。細かいことは私に任せて頂戴。……少なくとも私はあなたの味方よ」
「深淵なる闇とかいうのは? 本当にいるの?」
「……いるわよ。あなたが一番よくわかっているでしょう。私も、勝利したものだと思っていた……だからこそみんな、見誤っていたのよ」
「妖精さんの世界は? 本当にあるの?」
「あるわよ、失礼ね。最初から言ってる通り。私の世界も襲撃されて、かろうじて倒した。だからこの世界に危機を伝えに来た」
「……妖精さんにはこの世界を守る理由、あるの?」
「あるわよ。ここを守らなかったら、この時空を通り道に私達の時空にモンスターが流れ込む。ここで防衛できればウィンウィンじゃないの」
「この世界がある理由って……いや――」
少女はいつか、
「私は何なの?」
「……あなたは黄原黄依さんよ。正義感が強くて、妹想いで、ちょっと独り善がりの、普通の女の子よ」
妖精がくるりと翻る。
次の瞬間には私は見慣れた廊下の上に立っていた。
妖精さんの声が聞こえる。
「あれは過去の記憶よ……。私の世界を認識したことで、あなたの記憶が可視化された。繰り返すけど、私はあなたの味方よ。最後にまた厄介なことをお願いするかもしれないけど……」
声は私の
「そうそう、最後に……言い忘れていたわ」
今までに聞いたこともないくらい、無機質で、淡白で、明瞭にそれは告げられた。
「紫王紫がいたら取り押さえておいて」
辺りを見渡す。
妖精さんの姿はない。
私の周囲には、私以外、何もなかった。
私の足が廊下を蹴る。
多人数で学業を行うその部屋の入り口に目を向ける。
私は入り口のドアに張ったシールを確認した。
シールはドアと壁の境界を繋ぐように張った。
誰かがそこから出れば、シールは破れるか、落ちるかしているはずだった。
残っていた何人かの生徒のうち、前側のドアから出る者も当然、いる。
私は職員室――あるはずのその場所へと向かった。
ドアを勢いよく開ける。
私が、一番手前の机に飛び乗る。
振り払って、ついでに机を蹴り飛ばした。
椅子も、棚も、全部蹴り飛ばした。
私はもう一度部屋を、
そこには誰もいなかった。
「やっぱり……」
静寂の中で私の声が宣言する。
「誰もいないよね、これ」