いつかに英雄の隣にいた誰か 作:幽
その日、藤丸立香は、新たなレイシフト先についてを考えていた。人気の少ない窓に面した廊下には誰もいない。
電力の節約のために、ぼんやりとした灯りだけが辺りを照らしていた。
彼は、丁度、窓の縁に座っていた。
今まで幾つも特異点を超えてきたとはいえ、それでも不安は尽きなかった。
(・・・・でも、きっと大丈夫だ。)
恐ろしいことも苦しいこともある。けれど、自分に味方してくれる存在が彼にはたくさんいた。
彼は決意を込めて立ち上がろうとした。その時、後ろの窓ががんがんと叩かれた気がした。
もちろん、外は吹雪だ。誰かがいる可能性はない。
(何か、ぶつかって・・・・)
立香はそう思って振り向くと、そこには大きなかぼちゃがあった。
「もおおおおおお!本当にどうしようかと思ってさ!だって周り吹雪じゃん?そりゃあカンテラの火やら貰った服のおかげで凍り付くことはないけど寒いし!エレシュキガル様はいないし!というか、ここどこなの!?」
ミーティング室の真ん中で喚くのは、少々時代錯誤な格好をした、背格好や声音から見て少年だった。
それを見ながら、藤丸立香は、未だにばくばくとなる胸を押さえた。
考えてみてほしい、いないと思っていたところに誰かがいて、おまけにそれが予想もつかないかぼちゃ頭だった時の気持ちを。
立香は、叫んだ。
久しぶり過ぎる動揺には十分すぎる光景だった。
(でも。)
立香はちらりと少年の方を見た。立香と同じほどの年頃の彼はまるで夢のように愛らしかった。淡い銀の髪に、澄んだザクロのような瞳はまさしく夢のように美しかった。
「・・・・それで、君は何者なんだい?」
それを見ていたロマニ・アーキマンが目の前のそれに問いかける。立香は仕方がないとはいえロマニの厳しい声に少しだけ落ち着かない気分になる。
「俺?俺はウィル。それより、ここはどこだ?なんていうか、だいぶ近代的な場所に転がり出ちゃったみたいだけど。」
そう言って、ウィルからすれば久方ぶりに時代を飛んでしまって困り果てていた。
(うーん、元の時代に帰るにはどうしたらいいのか。)
「・・・・ウィルって。もっと具体的な名前が知りたいんだよ。にしても、彼を招き入れてよかったのかい。ゲオルギウス、マルタ、ジャンヌ。」
「・・・ええ、大丈夫だと思うけれど。」
代表として答えたらしいマルタはじっと少年自体ではなく、その衣服や持ち物を凝視していた。
それにロマニはため息を吐きたくなる。
唐突にカルデアに現れた存在に、最初はどう処分するかと悩んだ。それでも、危険を承知で受け入れたのは、単に言えば最初に見つけた立香と、そうして何故か幾人かのサーヴァントから彼を擁護する声が上がったためだった。
この場には護衛としてアサシンやキャスタークラスのほかに少年について擁護した、マルタ、ゲオルギウス、ジャンヌがいた。彼らは何故か、自分たちでさえも説明が出来ないというのに少年をカルデアで保護することを望んだ。
ロマニは、少なくともジャンヌたちについては信頼が出来るサーヴァントだ。それならばと受け入れた少年は、何とも変わっていた。
時代錯誤な衣装ならまだしも、生きた人間が何故、この過酷な世界に現れたのか。
(・・・・何よりも、何だろうか。彼のことがやたらと気になるのは僕も同じなのだけれど。にしても、カボチャを被ったウィルなんて。いや、でも彼はあくまで人間。確かに神秘の気配はしても。不死の存在だなんて。)
ウィルと言う少年もそうなのだが、彼の持つ服装自体が非常に気になる。そうして、彼の腰に取り付けられた、精緻な細工が施されたカンテラの中で今もなお燃える炎から目が離せない。
「・・・おい。」
困り果てた顔をした少年に、部屋の隅にいたスカサハが近づいてくる。
「貴様、その炎、誰から貰った?」
「え?」
少年は立ち上がりスカサハに詰め寄った。
「もしかして、この炎のこと知ってるの?」
「お前、それが何か知らずに持っているのか?」
「うん?使い方は知ってるけど。でも、何かって言われたら困るかな。俺も、貰っただけだし。確か、ゲヘナの炎だったけど。」
「「「ゲヘナの炎!?」」」
各方面から絶叫じみた声が上がる。立香は思わず体を揺らした。
「ほ、本物の!?」
「うん?分かんないけど。確か、ヨシュアって人から貰っただけだし。」
その言葉に、ひゅっと空回りするような音がする。そんな様子など気にも留めずに、ウィルは言葉を続ける。
「あと、誰だっけ。ペドロって人とか、後、ルシファーって人ともあったような。でも、そんなにこれって変わってるのか?」
ウィルはそう不思議そうに言うと、ぱかりとカンテラを開ける。その炎が空気に触れた瞬間、部屋の中にいたもの、果てはカルデア中の存在たちが異変を察知する。
聖杯には劣るが、圧倒的な純粋すぎるエネルギーを孕んだそれに、マルタたちの絶叫が響き渡った。
「・・・イシュタル。」
「うん?え、あんた、ウィルじゃない!?」
イシュタルの驚いた声に、ウィルは不機嫌そうに顔をしかめた。
ウィルがその旅に同行したのは、ある意味では無理やりであった。彼の事情が知れると、カルデアはそれはそれは沸き立った。
立香としてはあまりピンとこないが、彼の持つ炎と衣服はまさしく神の与えた奇跡に等しいそうだ。
マルタたちはウィルに詰め寄っていたし、スタッフたちは彼の持つ衣服をきれはしでもいいからと欲しがっていた。ウィルはそれらについて条件を出した。というのも、彼がやって来たらしい時代に帰る手助けをしてほしいというのだ。おまけに、それというのも丁度、特異点の出来ている時代だ。
ロマニは相当悩んだようだが、渋々ウィルがレイシフトに同行することを是としたわけだ。
ロマニとしては、その少年はあまりにも危険分子を孕み過ぎていた。何よりも、彼の身に着けた、それこそ聖遺物として厳重に保管されていてもおかしく無いような逸品を見て、賭けに出ることにしたのだ。
何よりも、神の子が、仮に彼を認めたというならば。
そのためにロマニは彼をレイシフトに同行させたのだ。
驚くべきことに彼は、生者であった。けれど、不可思議な事に幾人かのキャスターたちの言い分では彼は死んでもいるのだという。
数値的なものでは彼は確かに生者であるのだが。そこら辺はもう少し詳しい検査をしなければならないだろうが。それでも、彼について疑うと関係があるらしいマルタたちからの、果てはその信仰に生きるサーヴァントたちから不興を買う可能性も考えられるため、ウィルを送り出したのだ。
(・・・・ながい、巡礼の旅か。)
ロマニは、ウィルという存在が話した身の上話を思い出した。
(神の子なる彼の人が、終わりのない人生を終わらせるために、そうして、虚言を吐いた彼の罪を洗い流すために、送り出したというならば。)
その最期の地が、巡礼の終わりが、今であることに意味があるのではないかと、そんなことを考えたのだ。
レイシフトに来て、出会った少女にウィルは敵対心剥き出して睨み付ける。立香としては、レイシフトでまず初めに怪物に襲われている中、堂々とその女神に話しかける彼に慌てる。
「あんた、急に見なくなったと思ったら何でこんなとこに?」
「誰のせいだと思っている!?天翔けるものでありながら、領域を超えて地の果てにやってきた貴様のせいだろうが!」
「あー、あれねえ。確かに、あれからあんたのこと見なくなったけど。」
「く!元はと言えば!」
「ちょ、ちょっと、そんな場合じゃないからね!」
「そうねえ。あたしはともかく、後ろのひよっこたちは大丈夫な訳?」
「お前の助けを借りる気はない。」
(・・・・そう言えば、近くに来ても一向に襲ってこない?)
立香がそう疑問に思っているとウィルは腰にあったカンテラを高く掲げた。
「・・・・・善きものにはその身を温め癒しを与え、悪しきものには沈黙を持って滅びと罰を与えよ。焔よ、あれ!」
その時、立香は、火の海がカンテラから流れ出すのを、見た。
地が抱く炎よ、悪しきものへの情けなる罰を!
炎が、炎が、辺りを燃やす。周囲にはびこる、獣たちを、怪物たちを、悉く焼き殺してゆく。立香はその炎にとっさに身を守るが、不思議と熱さは感じなかった。
「魔力の塊、でも、炎ではない?」
「そりゃあ、そうよ。それは、あくまで人のための炎だもの。」
「うえ!?」
炎の根源であるウィルから距離を取ったマシュと立香にイシュタルと呼ばれた少女が話しかける。
「私は腹が立つけど、元を正せば、あれは人が不浄を焼いた炎が元だから。病魔や敵を燃やし、そうして人にも熱を与える、人の使う炎の根源みたいなものなのよ。」
ま、他の神が元だから私は好きじゃないのよね。おまけに、地の底の炎だし。
そんなことをぼやくイシュタルにマシュは震える声で話かけた。
「あの、あなたは女神、イシュタルであっているのでしょか?」
イシュタルはそれにちらりとマシュを見た後に、気だるそうにため息を吐いた。
「答える義務はないわ。それに、私、もう行くわね。別にいる意味もないし。」
彼女はそう言い捨てて、たんと身軽に飛び上った。そうして、そのまま空を飛んでいく。その後姿を見て、ウィルがあああああああ!!と叫び声をあげているのが聞こえた。
「・・・・どういうことだ?」
ウィルは現在、一人で荒野に佇んでいた。
バビロニアに立香たちを送った後、ウィルはともかくと冥界へ降りようとした。立香たちの言う、人理についてはあまり理解が出来なかったが、それでも彼にとって優先すべきはエレシュキガルの元にはせ参じることだった。
バビロニアの門の前で、もうすでに自分の役目は終わったと、ともかくは別れを告げた。
どうなるかは分からないが、それを行わなければ人理が終わる。優しいエレシュキガルのことだ。きっと、立香たちへの応援を命じられるだろう。
何よりも、どうも人がどんどん死んでいることから見て冥界はてんやわんやのはずだ。すぐ様にそれの収集に入りたかったのだ。
が、何故か、ウィルは冥界に帰ることが出来なかった。
元より、ウィルは死んでいると同時に生きてもいる。そのため、行こうと思えばどうしようもできるが、何故かその時冥界はウィルを拒絶した。
(どうして?まさか、俺とエレシュキガル様との契約が切れて?)
彼女の下僕としての立場が消えたためにそうなったことも考えたが、繋がりは未だに健在であった。
(・・・エルキドゥさんだっておかしかった。何か、なにかがおかしい。)
「それで、のこのこやって来たのか。シュギンよ。」
「・・・・はい、ギルガメッシュ王ならば、何かを御知りではないかと。」
ウィルはそう言って、ギルガメッシュに深々と頭を下げた。
シュギンとは手足という意味で、エレシュキガルの下僕であるウィルにつけられたあだ名のようなものだ。
ウィル自体、元々ギルガメッシュとは交流を持っており、その縁で何とか彼の懐に潜りこめたわけだが。
エレシュキガルに忠実でありながら、根っこの部分が近代社会を出た、妙に自立的な性質のためかギルガメッシュにとっては興味の対象として扱われていた。
ギルガメッシュはふんと呆れたように息を吐いた。
「主人の元にさえ帰れぬ駄犬に協力する理由も無かろうが?」
「・・・・分かりました、お目汚し、申し訳ありません。」
ある意味で予想通りの返答にウィルはすごすごとその場から立ち去ろうとした。
元より、殺されも、追い返されもせずに平和にことが終わっただけ良しとしなくてはいけないだろうと。
けれど、予想に反してギルガメッシュは何を思ったのか、ウィルのことを呼び止めた。
「待つがいい、シュギン。」
「はい、何でしょうか?」
「これから行く場所はあるのか?」
「いえ、ただ、ともかく何故なのか調べても回ろうかと。」
「ならば、丁度いい。貴様に良い仕事を与えてやろう。」
「それで、俺たちと同行を。」
「ああ。エレシュキガル様を探すにはこれが丁度いいだろうと。」
ウィルはギルガメッシュの無くしたという予言の書かれた石板を探すためにクタへと向かっていた。
ウィルも正直言って、たくさんのことが様変わりした現状で行く当ても碌にない。ギルガメッシュも丁度ウィルのことを探しに行かせようと考えていたのだ。
元より、ウィルの炎はギルガメッシュにとって都合がいい。
元々、ウィルの使う炎は罪人を焼く地獄の炎だ。けれど、それに幾人かの聖人が苦難ある旅路を思って加護を与えた。
その道を間違えぬための導きを、寒さを遠ざける熱を、安寧をもたらす癒しを、悪しきものを遠ざける光を。それに加えてエレシュキガルの下僕となった彼の炎は死をもたらし、それと同時に死を遠ざける。
このバビロニアにとって、炎の持つ権能を余すことなく網羅しているのだ。
ウィルの持つ炎は魔獣たちへ傷を与え、その炎で焼けば病魔や毒を消すという、それこそとんでもない代物なのだ。
おかげで戦場の運行がだいぶ楽になったとギルガメッシュはほくほくしている。
「女神エレシュキガルさま、ですか。」
「ああ、イシュタルと相まって、相当に、何と言うか偏屈な女神と名高い。」
「・・・・夢魔もどき、我が主を侮蔑するというならば、それ相応の報いを受けてもらうが?」
「あはははは、いやあ、軽い冗談だろう?」
「貴様とて、己が王について侮辱されれば怒りとて湧こうよ。」
「・・・・それはすまないね。」
「ふん。」
ウィルは苛立ったようにマーリンから顔を背けた。マシュと立香はそれにそっとエレシュキガルの話題に対して気を付けることを誓った。
「ウィルって、なんか時々言葉遣いがものすごく固くなることがあるね?」
「え?ああ、そりゃあね。俺、こう見えても、多分誰よりも実質的に生きた時間は長いから。それに、やっぱりエレシュキガル様の下僕として、こう、威厳って必要だし。まあ、年の功みたいなもんだよ。」
立香の問いかけにウィルは苦笑交じりにそう言った。
「ウィルさんは、エレシュキガル様?のことを慕ってるんですね。」
「当たり前だ。あの方ほど、お優しい女神はいない。」
弾む様な言葉に立香は目を細めた。
二人は丁度、石板を探すため都市の中を歩いていた。ウィルが立香の側についているのは、彼の炎が魔獣避けとして効力を発揮するためだ。そうして、立香が彼の目的である女神に出会えずにしょぼくれていたため、心配してのことだった。
「どこにもいけず、何にも至れず、目的も、理由も、願いも無く、彷徨うだけの俺に居場所をくれた。」
大好きな方だ。
それに、立香は淡く微笑んだ。
その時だ、立香の足元が一気に崩れ去った。二人は驚きで思わず固まった。
「わあああああああ!?」
崩れ去った暗闇の底に、立香は吸い込まれていく。そうして、立香の足もとにいたフォウも巻き込まれて下に落ちていく。
「これは、まさか、冥界へ!?」
今まで何故か気配さえも感じきれなかった冥界にウィルは目を輝かせた。そうして、ウィルは立香のことなど頭から放り出し、そうして叫んだ。
「エレシュキガル様!」
ようやく会えると、彼は浮き立つ心のままに下に飛んだ。
「立香!」
ウィルが飛び降りた先、そこは彼にとって馴染んだ、冷たい砂の大地だ。目当ての立香の前には覚えのない老人が立っていた。
「ウィル、来てくれたのか?」
「一応、お前のお守りを任されたんだ。それに、俺の目的は冥界だしな。」
彼はそう言った後、目の前に立つ老人を見た。
「ここは死者の国、終わったものたちの揺り籠。貴様は、死してはいるがこの領域に属するものではないな?何者だ?我が主人に断ってのことか?」
ウィルはぐるぐると苛立ちのままに言葉を重ねた。それに、老人は欠片の動揺も無く、淡々と言い放つ。
「それはそなたとて同じはずだ。生に留まることも無く、死に至ることも無き、流浪なるものよ。」
ウィルの、赤い瞳がぎらりと光った。ウィルの持つカンテラから、彼の感情の通りに、炎がぶわりと纏うようにあふれ出す。
「この身は、冥界が女主人、エレシュキガル様のもの。」
冥界が番人、我が名はウィル。
老人は少しの間沈黙をする。
「否、そなたは冥界のものにあらず。」
そなたは、未だに死んでおらぬ。
老人はそう言い切った。そうして、ウィルの隣りにいた立香に目を向けた。
「・・・そろそろ、そなたもあるべきところに返さねばならんな。」
「えっ」
その瞬間、老人はいつの間にか立香の後ろに回り込んでいた。
「りつっ!」
老人がぶんと、手を振りかぶる。その瞬間、立香の姿は消えていた。ウィルは急いで老人から距離を取る。そのまま立香を探して視線を辺りに向けた。
(大丈夫だ、落ち着け!立香に守りとして渡しておいた、炎の繋がりは途切れていない。なら、無事だ。)
「安心しなさい。あの少年はただ、地上に戻しただけのこと。」
「生者は冥界にいてはならないからか?」
ウィルはそう言った後、立香のことを気にする必要も無いことを覚り、次に頭の中はエレシュキガルのことでいっぱいになった。
(そうだ、立香が無事なら、それよりも!)
「ならん、そなたが冥界の主人に会うことは赦せん。」
唐突に思考の中に割り込むように老人はそう言った。それにウィルはぶわりと憎しみのような怒りを老人に向ける。
「貴様、これ以上俺の邪魔をするならばただではすまさんぞ!」
「・・・そこまでの忠義、いや、それは依存ともいえるのかもしれんが。持つこと自体を否定しようとは思わん。ただ、お主は神に言い渡された巡礼の旅の意味を分かるまでは彼の女神に会ってはならん」
「どういう意味だ?」
「・・・・お主はよくよく、死の神のものになることの意味を、そうして、生者が死ぬということの恐怖を。そうして、遠い何時か、己が為だけに悪魔を欺き、信仰に殉じたものたちを騙した罪への贖いを考えることだ。」
何故、自分がここにいるか。それを理解することだ、遥か永い巡礼を旅する者よ。
その言葉と同時に、ウィルの意識はふっと遠のいて行った。
心が虚ろのままだった。ただ、ここが自分のいるべき場所でないと知りながら、それでも帰るべき場所に帰ることも出来ずにウィルはそのまま立香たちの側にいることとなった。
ニップル市に向かう途中も、ギルガメッシュに言われるままにやるべきことだけはこなしても、頭の中でジウスドゥラの言葉がちらついていた。
(永い旅の意味?分かるわけないだろ?だって、そうだ、あの人は唯、俺を受け入れてくれる場所を見付けろって、それだけしか言わなかった。)
死の神のもの?
分かっている。自分は、エレシュキガルのものになる。あの、砂だけで冷たくとも柔らかなあの人の元で眠るのだ。
死への恐怖?
そんなもの何にもなれず、孤独の縁に佇み続けるうちに途絶えてしまった。
ウィルの犯した罪?
(そんな物知らない!)
それは確かにウィルと言う男のものだろう。けれど、それは、ウィルと名乗った少年のものではない。
償い方?
罪を知らない自分に何を償えと言うのだろうか?
(どうして、俺は、エレシュキガル様の元に帰れない?)
そうだ、彼女に、自分を、異端でありどこにも至れなかった自分を、彼の女神だけが受け入れてくれた。
ならば、彼女に出会うことこそが、ウィルの旅の終わりのはずだ。
辿り着くこそが、巡礼の旅の終わりであったはずだ。
ウィルは、出来るだけかき集めた魔力を燃やして、魔獣を燃やし、傷を癒し、病魔を払い、言葉を叫ぶ。
ウィルは、早くエレシュキガルの元に、己があるべき場所に帰りたいだけなのだ。けれど、何故か自分はここで、魔獣を殺し続けている。
己が主が望むべき死から人々を遠ざけて、生きる為に自分は足掻いている。
こんなことをしている場合ではないのだと、そう思っても何もできず立ち止まることが何よりも恐ろしい。
だからこそ、ニップル市にてキングゥと名乗った彼に聞かされた兵士のことさえもどこかぼんやりと聞いていた。
そうして、目の前にティアマトを名乗る蛇が出てきたときでさえ、あまり動揺はなかった。
睨まれた瞬間、ウィルはゆっくりと腰に下げていたカンテラを手に持ち、ティアマトと名乗ったそれを向けた。
「古きものよ、聖なる炎を前に失せるがいい!」
言葉が紡がれたそれと同時に、凍り付くように体が動かなかったというのに自分の周りと夕焼けのような色の炎がふわりと覆った。
縛り付ける様な恐怖がまるで溶けていくように消えた。それに、立香は己を奮い立たせるように叫ぶ。そうして、それを聞いていたロマニは叱咤する様に言葉を続けた。
その場にいた者が走り去る中、それをティアマトを名乗る蛇は追う。そうして、戦闘が始まった。
ウィルはギルガメッシュに言われたままに、機械的に立香を守らんがために炎を操る。聖杯による魔力のため、ティアマトの傷は見る見る治っていく。が、それでもウィルの使う炎からの傷だけは嫌に治りが遅かった。
「なるほど、我が子たちを燃やし尽くした炎は貴様のものか!」
「炎よ、光よ、あれ!」
「忌々しい!その炎から嫌な臭いがするな!古きを否定し、身勝手な理によって魔と罵る傲慢な臭いが!」
絶叫のうちに、ウィルは炎で壁を作り、必死に立香たちを逃がした。
そうして、牛若丸が後を託し、そうして、レオ二ダス王が目の前で石に成り果てる。
ゴルゴーンと呼ばれた女神が己の勝利を自覚して、喝采を口にした。
死にゆく誰か、ひき肉になる誰か、血の水溜りの中に沈む誰か。
それを見ても、ウィルはまるで夢を見る様にそれを眺めていた。
「・・・・別に、あの女神は傲慢だけど、人を憎んだり嫌ってるかって言われれば違うでしょう。ですが、本当によかったのですか。彼らをいかせて。」
「ほう、珍しいな、シュギンよ。お前がイシュタルを褒めるなど。」
「別に、褒めてはいません。ただ、彼のものは彼のもので、神であるのだと思っているだけです。」
「ふん、あれとて幾つもの特異点を彷徨って来たのであろう。ならば、貴様が心配する必要も意味も無い。それとも、あやつらについて行きたかったか?」
ウィルはそれに首を振った。彼はイシュタルを懐柔するためにエビフ山に向かった立香たちとは別行動となった。
ウルクにおいての守りが薄くなったために、魔獣への耐性があるウィルは重宝されることとなった。元より、エレシュキガルの従者をしていたため、ある程度のことは任せても大丈夫であったためだ。
「俺とイシュタルとは相性は悪いですし。それにこちらは忙しくて余計なことを考えずとも済みますので。」
淡々とそう言い切ったウィルにギルガメッシュはゆるりと笑った。
「何か、聞きたいことがあるというならば聞いてやるぞ?」
「・・・俺は。」
「大方、未だに己が主に会えない事を思い悩んでいるのだろう。まあ、俺からすればお前がいなくなるのは避けたいことだが。」
それにウィルは少しだけ苦いものを潜ませて、口を開いた。
「ギルガメッシュ王、死ぬというのは、恐ろしいものでしょうか?」
その言葉にギルガメッシュは少しだけ目を細めた。そうして、呆れたようにため息を吐いた。
「何やら悩んでいるかと思えば、貴様、そんなことを考えていたのか?」
「悩み、と言うわけではないのですが。ただ。」
死とは、何だろうかと考えたのだ。
ウィルはずっと、ジウスドゥラの言葉が引っかかっていた。
巡礼の意味は分からない、罪の濯ぎ方だって分からない。それでも、ぼんやりと、死への恐怖についてを考えていた。
「俺は、生きてはいません。それ故に子をなすことも年を取ることもありません。死んでもいません。だからこそ、俺の体は血を流し、物を食べます。そうして、生きてもおらず、死んでもいないがために、一つの場所に留まることも出来ずそのままに、世界を、時代をあまねく彷徨いました。そうして、その中でようやく、エレシュキガル様に会えたのです。」
分からないのです。何故、俺が未だに冥界から拒絶されるのか。
「あの、ジウスドゥラの言葉の意味も分からず。」
沈んだ風に顔を下に向けるウィルにギルガメッシュは呆れたようにため息を吐いた。
「・・・・死とは終わりだ。」
しずかな声にウィルはギルガメッシュの顔を見た。
「死んだその瞬間、二度目も、来世など存在せん、命とは尽きた時点でしまいだ。貴様は何故、死ぬことを望んだ?流浪の身を嘆いて断絶を望むというのは傲慢な事だな。ただ、そうだな。」
ギルガメッシュは愉快そうに笑った。心の底から、楽しそうに笑った。
「遠い昔、死ぬことを恐れて罪を犯したというならば、その贖い方と言うのも見えて来るだろうさ。」
意味が分からなかった。ギルガメッシュの言葉は、ウィルの己が主へ未だに会えない事への答えではなかった。
「貴様は死者ではない。それならば、彼の女神への忠誠として、生きることを放棄すべきと言うことだ。」
ヒントはここまでだな。なに、貴様のおかげで色々と魔獣への対策が進んでいる。その褒美と思えばいい。
ギルガメッシュがそう言う中、ウィルにはやはり分からなくて視線を下げた。
「俺が初めての友達?」
「ええ、そうだけど。どうしてそんなことを聞くの?」
「いや、ただ、光栄だなって思って。」
立香はそう言って、まるで夢のように美しい金髪の少女を見つめた、
立香は未だに、その少女が何であるのかは分からない。ただ、イシュタルを通じて自分と会話する彼女が悪いものであるとは思わなかった。
そのために、毎夜そんな風に交流を続けていたのだ。
「・・・でも、そうね。確かに、私とこんなふうに会話をしてくれたのは、あなたが初めてじゃなかったわ。」
「そうなんですか?」
「ええ、友達ではなかったの。ただ、一番初めに、あの子だけが、私を恐れるわけでも、疎うわけでもなく、求めて慕ってくれたわ。」
彼女はそう言って柔らかに目を細めた。
「とっても可愛いのよ。まるで、仔犬みたいで。私のことだけを、慕ってくれた。」
なのに。
その言葉と同時に、彼女の赤い瞳がぎらぎらと輝き始めた。
「なのに、あの子は私の元にいない!あの子は私のものなの!誰もかれもがあの子を捨てた。あの子を追い出した、居場所など、与えなかったのに!私だけが、あの子を受け入れたのに!なのに、今更、私からあの子を奪うなんて許せない!」
探しに行かないと、そうよ、何としても、どんなことしたって。必ず。
重たく、まるで刃か何かのように肌を刺すような、そうして冷気のような何かが肌を撫ぜる。
立香は思わず、少しだけ体をのけぞらせた。
「あ、ごめんなさいね?その、少しだけ迷子になったちゃった子のことを思い出して。」
「あ、えっと、まだ、見つかってないの?」
「ええ、本当に、どこにいるのかしら。」
ずっと、ずっと、探してるのに。私のあの子、私だけの、あの子。
掠れた声だった、寂しくて、切なくなるような、そんな声で隣に座る少女は呟いた。