いつかに英雄の隣にいた誰か 作:幽
結構前に書いた、アグラヴェインのぶんです。
取り替えっこの献身
「セレーン様は居られますか。」
「へいへい、何の御用かな?」
男が足を踏み入れた小屋の中からは、つんと鼻に刺すような臭いが漂っていた。
男は、それに顔をしかめる。
「あー、すまんな。臭うか?まあ、赦せ。薬草を干してるからどうしようもないんだ。」
そう言って、部屋の中から顔を出したのは、その小屋の持ち主であった。
ひょろりと伸びた身長に薄い体。パサパサとした水気のない茶色の髪は肩辺りで整えられていた。
ゆるりと、笑みが染みついた顔は、特別美しいだとか整っているという印象は受けなかったが、親しみを感じる愛嬌のある顔立ちであった。けれど、その顔の左側は布でぐるぐる巻きにされていた。
その顔の布を除けば、全体を総じて受ける印象は、地味の一言に尽き、群衆の中に混じってしまえばすぐに分からなくなるだろう。
けれど、一つだけ、人目を引きつけて離さない部分があった
それは、その瞳だった。右だけ曝されたそれは、猫のようなアーモンド型であり、そしてまるで夜空をそのままはめ込んだかのような瞳だった。
群青の瞳に、まるで星が如く銀色が散っている。
その神秘的な瞳の美しさは、多くの人間をひきつけてやまない。それは、小屋にやって来た男も例に漏れなかった。
「それで、小生の小屋に来るとはどんな用かな?」
「は、はい。実は、鍛練をしていて、仲間が足をくじいてしまって。薬を貰えないかと。」
男の目の前にいる、セレーンという存在は腕のいい医師であり、薬師であった。
「おうおう、なるほどな。ちいとばかり待て。」
薬師はそう言って小屋の奥に引き込み、そうして次に小さな貝殻を持って来た。
「ほれ、塗り薬。これ塗って安静にしとけばよくなるさ。」
男は受け取ったそれを大事そうに持ち、礼をする。
「ありがとうございます!」
「いいさね。お前さんらを助けるのが、小生の役目だからな。」
セレーンはそう言って、男に手を振る。
男は小屋から立ち去った後に、後ろを振り返った閉じられた扉を意外そうに見つめる。
(・・・・意外だよなあ。あんないい人がアグラヴェイン卿の副官なんだもんなあ。)
薬師としての腕に優れ、それと同時に騎士として、城でも怪力として有名な人は、いつも気さくにのんびりしている。
円卓に座る存在でも、一番に忌避されている男を想像して、彼はぶるりと肩を竦めた。
簡素な鎧を纏ったそれは、城の廊下を進む。すれ違う城仕えの人間はセレーンとすれ違うたびににこやかに挨拶をする。
セレーンはそれににこりと微笑んで応える。顔を覆う布をおいても、浮かべる笑みは人好きのするものであった。
「セレーン様!」
そう言って声を掛けて来る存在もいる。セレーンは、それにどれにも丁寧に応え、対応する。長くなりそうな話題に関しては、腕に下げた籠と手に持ったお盆を見せる。それに、事情を察した相手は、頷いてセレーンに道を譲った。
時間は丁度昼時、食事を抜く己の上司へ配達に向かう途中であった。
「へーい、セレーン様特製ランチおまっちどう!」
弾んだ声と共に部屋に飛び込んだセレーンを待ち受けていたのは、重たい空気を背負った陰気臭さの漂う男が一人。
大きな執務机を前にせっせと雑務の処理に勤しんでいた。
セレーンはそれを気にした風も無く、執務机の上に無理やりにスペースを作り、お盆と籠を置いた。
「そら豆のスープと蒸し芋に猪のソテーでござい。」
「・・・・セレーン、私の状況が分からないのか?」
重々しい声は、大抵の人間が威圧されるものであったが、セレーンは気にした風も無く食事の用意を始めた。
籠から蒸し芋と柔らかくした猪のソテーを取り出す。ゴミの入らないようにしていた布を取り去れば、部屋の中には肉の焼けた匂いやスープの湯気が部屋に漂う。
セレーンは、それに男の手元を覗き込む。
「・・・・全部、緊急性のない案件ばかりでございますが?」
厭味ったらしく言い捨てて、セレーンは机の上に料理を広げた。
「だが・・・・」
アグラヴェインが不満そうな声を上げるが、セレーンはそれににっこりと笑って彼の口に蒸し芋を突っ込んだ。
口に突っ込まれたアグラヴェインはあまり動揺も見せずに、それを咀嚼した。
「そう言って飯抜いてふらふらになったことが何回あったんだ?ほれ、忙しくないうちに腹に詰め込んだらいい。」
淡々と言い捨てたセレーンに、アグラヴェインは少しだけ不服そうな顔をした後にもごもごと口を動かし始めた。
その様に安心したセレーンは、一度だけ頷いてアグラヴェインが完食するかを見守るために、頷いた。
そうして、アグラヴェインの副官として、己で処理できる仕事を探し始める。重く分厚い本も、その怪力でやすやすと片手で持ち上げてしまう。
「・・・・私の昼食よりも、世話をしているものたちのことはいいのか?」
「彼らには世話係を用意してるから大丈夫だ。夜になれば家に帰るのだから。」
せめてもの反撃にとアグラヴェインが口にすれば、セレーンはぴしゃりとそれに言い返す。
セレーンという存在は、世話好きな性格のためか孤児になったり、行き場を失った子どもの世話を買って出ていた。
簡単な孤児院のようなそれからは、彼女の弟子として薬師や医術などにたけた存在を出し、何かとキャメロットでも評判がいい。
そんなせいか、セレーンはキャメロットでも人格者として有名であった。けれど、そんな存在がアグラヴェインと親交があり、それに加えて副官として置かれていることに陰口を叩く者もいた。
アグラヴェインはそれに不満そうな顔はすれど、それ以上に言い返すことも無く黙々と食事を再開する。
これが、単なる部下だとかならばこの数倍の皮肉を返しているところであろうが。どうしても、アグラヴェインは目の前の存在に弱かった。
二人は、幼いころから、引きずりに引きずり、伸ばしに伸ばした縁があった。
アグラヴェインには、切り捨てられない程度に、長く、強く、繋がった縁であった。
そうでなければ、女であるセレーンを近しい場所に置くなど、人間嫌いの女嫌いのアグラヴェインには考えられないことであった。
アグラヴェインはじとりとした目で、自分の処理していた案件について処理し始めている存在へ向けた。
温かい食事も、気遣われることにも、彼はさほど馴染みはない。
きっと、きっと、アグラヴェインという男の在り方を、今までを思えば、彼はそれを無視せねばならないはずなのだ。
その縁さえも、彼ならば切り捨ててしまうはずのものなのだ。
なぜ、切り捨てられないのか。
吸い込まれるように、そんな思考に、いつも通り至る。
「・・・・なあ。」
ふける寸前に声が思考の中に入り込む。その方に目を向けると、不思議そうな顔をしたセレーンがいた。
「どうかしたか?そんなしかめっ面で。まずかったかね?」
「・・・・いや、何でもない。」
アグラヴェインはそう答えると無心で食事を完食していく。
考えたところで無駄な事はずっと昔から知っている。
ずっと、ずっと、そうだった。
ところで、セレーンという存在は、人間ではない。
正確に言うのなら、人間かどうか分からない、というのが正確な部分だろう。
セレーンは、妖精の取り換えっ子、であるらしい。
語尾にどうしてもらしいと付いてしまうのは、そこら辺の記憶がごっそりとセレーンから抜けてしまっているせいであった。
いや、抜けているというよりは、薄れてしまっているという方が正しいだろう。
普通であるのなら、妖精の取り換えっ子というのは取り換えられてすぐに親が取り戻すのだが。セレーンの親も、そして取り換えた親もたまたまなのかは分からないが、そう言ったことに頓着しない性格であった。
そのため、セレーンは、十を超えても取り換えられたままであった。
不幸であったという記憶はない。妖精なのか、それとも人であったのか、薄れた記憶のために分からないが、確かにセレーンを育てた存在は、愛してくれていたのだと思う。
そうして、ぼんやりと日常であったらしい記憶以外にセレーンにあるのは、たった一つだけだった。
どうも、人として生きていたらしい取り換えっ子を、妖精として育てられた取り換えっ子が訪ねたらしい。
互いに異分子であった彼らはすぐに打ち解けた。それもまた、楽しい日々であった、のだと思う。
けれど、ある時悲劇が起こった。
妖精と戯れていた取り換えっ子は糾弾を受け、そうして、二人とも死んでしまったらしい。
人間に殺された彼らは、どちらかはわからないが、片方に命を託したらしい。
それは、人として生まれはすれど人外として生きた取り換えっ子か、人として育ちながら人外でしかなかった取り換えっ子であったか。
それは分からない。
その片割れは、どうにかして相手の命を繋いだのだ。
そうであるがゆえに、セレーンは生き残ってしまった。
村の人間たちは、よほどセレーンたちが恐ろしかったのだろう。遺体は焼かれたらしく、セレーンの体には夥しいほどの火傷のあとが散らばっている。
セレーンは、気づけば森を彷徨っていた。
ボロボロの、衣服とも呼べない布きれを纏っていた。不思議と何かを食べた記憶はないけれど、死ぬことも無かった。
風のような、木の葉がすれる様な声を聞いた。人ではない声の様だった。
セレーンが思っていたのは、どうして、ということだった。
どうして、己は生きているのだろうか、片割れは死に、人に蹂躙され、こんな容姿になってまで。
こんな、こんな、怪物のような力を手に入れて。
セレーンは、人を殺してしまったことがあった。その、瞳と共に手に入れてしまったらしい怪力によって。
その右目にはめ込まれた夜空の瞳は、生き残った代価であった。
人々は、ボロボロの姿に、何よりもその異質な瞳を忌避した。
人々に恐れられ、拒絶され、罵倒され。
死んでしまいたかったのだと思う。理由もない放浪は、ひたすらに孤独で、寂しく、空しかった。誰でもいいから、誰でもよかったから、終わらせてほしかった。
そう思って、それでも、己で死ぬのは怖かった。
いつか、いつか、自分を受け入れてくれる誰かが、現れるのだと、夢を見ずにはいられなかった。
そうして、そうして、セレーンは、とある少年に会ったのだ。
灰色にも似た薄い青の瞳に、真っ黒な髪の少年は、垢と血と土に汚れたセレーンを見下げていた。放浪に疲れ切り、森に倒れ込んだそれは、何も考えずに少年に手を伸ばした。
手を、取って。
それだけが願いであった。
孤独の縁に、寂しさの果てに、空しさの淀みで、ただ、それだけを願った。
もしも、もしも、この願いが叶うのなら、叶うのなら、それだけでよかった。ただ、ただ、それだけで。
期待なんてしていなかったのだ。
少年は、上等な衣服を着ており、下手をすればどこかの貴族であったのかもしれない。
けれど、そんなことは関係なかった。
もしかしたら、殺してくれるかもしれないという希望もあった。
終わらせてはくれないかという、希望があった。
けれど、けれど、縋りついた、微かに伸ばされた手に、白い手が伸ばされた。
がさがさとした、固まった泥のこびり付いた手に、温かく柔らかい何かが掴んだ。
ああ、ああ、ああ、ああ!!
セレーンの瞳が大きく見開かれた。
どうして!?どうして、どうして!!
君は私の手を取ってくれたんだ?だって、こんな汚れて、こんな醜くて、こんなものに、君は手を指し延ばしてくれたんだろうか。
それは、ただの気まぐれでも、何の意味も無くても、例え自分を利用しようとするが故の行動でも、セレーンはどうだってよかった。
伸ばした手を、取ってくれた。
それだけだった。けれど、それだけで、彼女は確かにその瞬間救われたのだ。
セレーンは、目を見開いて、必死に少年の顔を焼き付けた。
ただ、覚えておこうと思った。自分に、自分に、それをしてくれた、君の事を、
ただ覚えておきたかった。
その日、確かに彼女は運命に出会ったのだ。
その後、気絶してしまったセレーンが目を覚ますと、何故かベッドの上に横たわっていた。怪我の手当ても、汚れもすっかり拭き取られ、久方ぶりにまともな姿になっていた。
状況が分からないセレーンに、世話係としてついていたらしい存在が教えられた。
何でも、セレーンを助けた少年というのが、オークニーのロット王の息子であったらしく、今はその庇護下にあるらしかった。
そこで、セレーンははてりと首を傾げた。
なぜ、自分はそんな存在の庇護下に入ることになったのだろうか。己のような取り換えっ子に価値などなるのだろうか。
そんな不思議さも、王妃であるというモルガンという女性に会ったことで疑問は解けた。
モルガンという女は、美しかった。黄金の髪はそれこそ王冠の様で、王妃というよりは女王という単語がよく似合っていた。
女は、セレーンの顔、というよりはその右目を嬉々として見ていた。
私の弟子に相応しい。
モルガンの言葉に、セレーンは自分がどうして庇護下に置かれたかを理解した。
モルガンがセレーンに彼女と同じ古き存在を感じ取ったかのように。セレーンもまた、モルガンに己が主としての何かを感じ取った。
女王と、感じたそれは正しかった。
モルガンは女王であった。それが、何を統べる為の称号であるかセレーンには理解できなくとも。それでも、セレーンにとって、モルガンは女王だった。
モルガンは、セレーンに己の庇護下に置き、弟子として自分を手伝うように言った。それに、セレーンはさほどの興味を示さなかった。
もちろん、自分を必要としてくれていることは嬉しかった。それよりも、自分に手を伸ばしてきた黒髪の少年の事を知りたかった。
モルガンにそれを問うと、彼女はそれは息子であることを教えてくれた。
その言葉に食いつき、キラキラと目を輝かせながら、モルガンに彼の詳細について聞いた。それに、モルガンは、緩やかに微笑んだ。それは、少女のように優しくあどけなくはあったが、セレーンにとってそんなことはどうでもよかった。
ただ、息子という少年に会いたかった。
少年は、アグラヴェインという名前であることを聞いて、セレーンは微笑んだ。アグラヴェインがいるという部屋まで、幾度もその名を呟いた。
そうして、アグラヴェインがいるという部屋に入ると、中にいた少年は読んでいた本を中断し、セレーンとモルガン、そうして御付の人間に目を向けた。
彼は、少しだけ顔をしかめたが、それよりも前にセレーンが彼に話しかけた。
「ねえ。」
アグラヴェインという少年は、己に話しかけてきた少女に目を向けた。
「ありがとう。」
「え?」
「助けてくれて、本当に、ありがとう。」
少女は、そう言って少年に笑いかけた。
きらきらと、きらきらと、夜空の瞳が輝いて。冬の空に似た瞳が交わった。
それに、セレーンは、まるで天使のように微笑んだ。
泣きそうな、ぼろぼろの姿で、彼女は微笑んだ。
アグラヴェインだけは、まるで気持ち悪いものを見るかのようにセレーンを睨んだ。
セレーンは、そんなことをなど気にしない。
ただ、もう一度だけ、もう一度だけ、会えたことが嬉しかった。
セレーンは、城では評判の良い存在であった。
元々が愛想のよい性格に加えて、彼女はモルガンのお墨付きをもらっていたということもあった。そして、モルガンの教えを見る見るうちに吸収していった。
モルガンは、少なくとも他から見ればセレーンに対して慈悲深く接していた。
その合間に、例えば薬の調合について、魔法について教える時。
彼女はセレーンに囁くのだ。
私はいつか王になる。そのために、お前は協力するのだと。
それは、知識があるものからすれば暗示であると分かるものであった。けれど、セレーンはそれにはかからなかった。
理由としては簡単で、セレーンの瞳が特殊なものであったこと、そして何より、彼女にとってアグラヴェインのほうが一等に大事であったせいだった。
セレーンは、アグラヴェインを見つけるたびに顔を輝かせて話しかける。
それは、まるで飼い主に懐く犬のように。それは、友人にはしゃぐ少年のように。それは、いっそ、初恋に心躍らせる少女のように。
セレーンは、アグラヴェインに話しかけた。元より、モルガンの授業で一緒になることもあるため、セレーンの日常はアグラヴェインと共にあった。
セレーンは、それを気にしていなかった。
嫌われても良かった、好かれなくてもよかった。
ただ、セレーンはアグラヴェインに何かをしてやりたかったのだ。
あの時、己の手を取ってくれた。あの、あの、寂しくて、孤独でたまらなかった、あの瞬間、手を取ってくれた彼に。
何かを返したかった。
傍から見れば、セレーンの行動は仲をよくするために逆効果でしかないのだが。けれど、セレーンにとってはアグラヴェインの側に居続けるということが重要であったのだ。
アグラヴェインは。己が母であるモルガンを嫌っていた。
その正確な理由は、セレーンには分からない。
男に媚を売るためか、それとも遠くにいるという彼女のきょうだいに嫉妬する醜さか、それともブリテンを統べるという野望のためか。
セレーンは表立って、アグラヴェインの前に立ち、モルガンに話しかけた。モルガンはそれを、己への媚と勘違いし、セレーンの忠誠を確信した。
セレーンは出来るだけ、アグラヴェインがモルガンのそう言った面を見ぬように、手を引き、目隠しをした。
アグラヴェインが彼女の言葉を聞かぬように、彼の前に立った。アグラヴェインがモルガンの女としての部分を見ぬように彼をその場から連れ出した。
それだけしか出来なくとも、それが出来るだけで嬉しかった。
アグラヴェインは相も変わらずセレーンを嫌うように視線を逸らしていた。
「・・・お前は何がしたいんだ?」
「何がだい?」
のんびりと、その日はそれぞれ出された宿題に勤しんでいた。勝手にアグラヴェインの近くで宿題に勤しんでいたセレーンはその言葉に首を傾げた。
じっとセレーンの顔を見るアグラヴェインは、厳しい顔をさらに顰めていた。
「・・・・お前は。」
セレーンはアグラヴェインに顔を向けた。どんな言葉でもよかった。彼から貰えるなら、それでよかった。
「・・・・望みはなんだ?」
掠れた声に、セレーンは、またはてりと首を傾げた。
特に、セレーンに望みはなかった。いや、あるにはあったと口を開く。
「君と一緒に居られれば、それでいいかな。」
のんびりとして、素朴な願いを彼女は口にする。
彼は、それに目を丸くした。何を言っているか分からないというように首を振り、そうして、恐る恐るに口を開いた。
「・・・・・あの人の、元にいった人間は、目が恐ろしくなる。だというのに、お前は、変わらない。」
「恐ろしくなる?」
どういう意味か分からなかった。
「・・・・・侍女も、兵士も、皆、目が淀んでいく。だから、お前があの人の元にいった時、駄目だと思った。だというのに、お前の目は、目は、夜空のままだ。」
お前はなんだ?
幼さゆえの、互いの曖昧な間隔を的確な言葉に変換出来ずに、困ったように首を傾げる。
「まあ、人では、ないらしいけど。」
そう言ったとに、セレーンは少し考える様な仕草をして立ち上がった。
「アギーは王妃様が嫌いかい?」
アグラヴェインは、それに無言であったが、こくりと頷いた。それに、セレーンは頷いた。そうして、アグラヴェインに手を指し延ばした。
「なら、出ていくか?」
「は?」
「王妃様が嫌いなら、ここから逃げ出すかい?魔術だって使えるし。なんとか生きていくぐらいは出来ると思うけど。」
あっさりとそんなことを言うセレーンに、アグラヴェインは目を丸くする。
そうして、まるで気が抜けたように微笑んだ。
「・・・・・簡単に言ってくれるな。」
苦笑交じりではあったが、そこには拙い呆れと嬉しさが残されていた。
セレーンは、アグラヴェインの願いを叶えることが出来なかったかと沈んだ顔をする。
「でも、城の中では絶対あうし。なら、物理的に距離を取るのが一番だと思うけど。アギーがそう望むなら、私はどこにだって行くよ。」
「・・・・あの人は追ってくるだろう。私は、あの人の道具なのだから。」
「ああ、ブリテン島を治めるための?」
「ふん、どうせ、この国は亡ぶのだ。なら、誰が治めようと変わらないだろうが。」
あの人が治める国なぞ、ぞっとせん。
不安気に遠くを見るアグラヴェインに、セレーンは不思議そうな顔をした後に、手をぽんと打った。
「なら、治めるに相応しい人でも探すか?」
あっけんからんとしたその声に、アグラヴェインの意識は惹かれる。隣を見れば、セレーンがその瞳をキラキラとさせながら、頷いた。
「うん、それがいいな。島中探せば、一人ぐらいはいるだろうさ。」
断言するような言い方に、アグラヴェインはふんと鼻で笑った。
「そんな存在が見つかると本当に思っているのか?」
「思ってるよ?」
セレーンは、笑う。当たり前を語る様に、確固たる確信を持って言葉を放つ。
少なくとも、セレーンは出会えたのだから。
アグラヴェインは鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をした。
]
「いつか会えると私は思うよ。」
セレーンは笑う。幼子のように、されども、生き疲れた老人のように静かに微笑んだ。
アグラヴェインは、それに、やはり困惑したような顔をした。
セレーンは、それにケラケラ笑う。
気にすることなんてないんだ。見返りを願いたいわけではない。
ただ、あの時、セレーンが得たものを一欠けらでもいいから返すことが叶うならよかった。
セレーンは、アグラヴェインに微笑んだ。
「君は君の好きにすればいい。私も私の好きにしているにすぎないのだから。私も又、自分の願いを叶えるためにやっていることばかりだから。」
アグラヴェインは、それに、困惑したような顔をやはりした。
「お前の願いとは何だ?」
それに、セレーンは少しだけ考える様な顔をして、アグラヴェインの肩を乱雑に叩いた。
「気にしなくていい。ひどく、他愛も無いものだから。」
だから、いいんだよ。
言う必要などないと思った。何一つ、背負う必要などないのだ。
きっと、この気真面目な少年は、下手をすればそんなことを背負ってしまうだろうから。
だから、セレーンは笑って誤魔化すだけだった。
その後、二人はキャメロットへと赴き、アーサー王に仕えることとなった。そこで、アグラヴェインは、運命に出会えたのだろうとセレーンは思っている。
彼らは上手く城に溶け込むことが出来た。
アグラヴェインは文官として、それを補うためにセレーンは薬師として、そしてその怪力によって騎士としての頭角を現した。
セレーンはそこで、女として性別を封じ、男として振る舞った。
騎士として男でいなくてはいけず、そして、アグラヴェインが彼女の性を何も言いはしなかったがそれでも忌避していたのは理解できた。
セレーンはどうでもよかったのだ。性別も、何もかも、アグラヴェインさえいれば、彼女はどうでもよかったのだ。
二人の在り方は変わらない。アグラヴェインはセレーンの行為を許容し、セレーンはアグラヴェインにとってもっともよい結果に繋がることを旨とした。
二人の間には何もなく、ただの年月だけが降り積もっていたにすぎなかった。
セレーンは、裏でモルガンに指示を受けていたが、悉くそれを拒絶した。怒ったモルガンは、彼女の人ではない力を少しずつ呪いとして奪っていた。
セレーンはそれを、アグラヴェインに悟らせぬように振る舞った。
彼の幸福を、けして邪魔せぬように。
セレーンは騎士として生活が安定してすぐに、子どもを数人引き取った。
セレーンは、家族というものに憧れがあった。遠い昔に失って久しいそれは、強烈な郷愁を感じさせた。
けれど、婚姻を交わすことなど出来ぬ立場のために、彼女は子どもだけでもと養い子を迎え入れた。
彼女は幸福であった。
求めたものを、歪であれど手に入れることが出来たのだから。
アグラヴェインの側で彼のために行動できていたこと、歪でも子というものを持てたこと。
それでよかった、それだけでよかった。
ざくりと、首から体に至った袈裟切に、赤い飛沫が舞い上がった。
目の前には、紫苑の髪をした男が目を丸くしながら剣を握っていた。力なく地面に転がった目で、後ろに精一杯向けた。
アグラヴェインは無事であった。
ああ、よかったと安堵すると同時に、アグラヴェインの絶叫がその場にこだまする。
流れゆく血で、すでにその言葉が何なのか正確に聞き取ることが出来ない。
けれど、セレーンは、さほどランスロットを怒ってはいなかった。
(・・・・アギー。お前さんも悪いよ、自分の好きな人そこまで罵られたら、誰だって怒る。)
久しく呼んでいなかった愛称に、彼女は笑いたくなる。
なんてこと、誰の事も好きでなかったアグラヴェインには分からぬことかもしれないが。
薄れていく意識の中で、床にたたきつけられた衝撃の中で、ただ、思うのはやはりアグラヴェインのことで。
私は、私は、君に何かできただろうか。
私と同じだけの、あの時と同じ感覚を君に、少しでも返せただろうか。
アグラヴェイン、アグラヴェイン、アグラヴェイン。
人が君を何と言おうと、どうだってよかった。セレーンにとって、彼がどんなことをなそうと、どんな存在で在ろうとも、彼は変わることなくあの日、たった一人だけ自分を救ってくれた人だった。
全てを持って、君に、何かを返すことが出来ただろうか。
女は、満足していた。
女として生きられず、己を隠し口調も変え、本心を隠しきったとしても、それでもなお、セレーンは幸福であった。何もかもが、どうだってよかった。
自分のことだって、どうだってよかった。あの日、自分は死んでしまうはずで、それをアグラヴェインがすくい上げた。
だから、正しく、セレーンの命はアグラヴェインのものだったのだ。
だから、いい。アグラヴェインの代わりに死ぬというなら、それは正しい自分の終わりだ。
ただ、不満があるとすれば一つだけ。
(・・・・・最後に、せめて、君の顔が見たかった。)
倒れ伏したセレーンの掠れた視界には、ランスロットに憎しみを籠った目で見つめるアグラヴェインがいた。
叶うなら、叶うなら、自分の充実しきった人生で、最後の我儘が叶うなら、アグラヴェインの顔を、その瞳を記憶に刻んでいたかった。
あの、硬質でそれでもなお、生真面目な、鋼にも似た、冬の空に似た、あの瞳をもう一度だけ、見たかった。
セレーンを見てくれた。認識してくれた。世界に拾い上げてくれた、あの瞳を、もう一度だけ、見たかった。
目の前で血飛沫を上げて倒れ伏した細身のそれに、アグラヴェインは絶叫を上げた
それが、憎しみの言葉だったのか、嘆きの言葉だったのか、いっそ、ただ、その名を叫んだのか。
ランスロットに斬りかかられるその瞬間、放り投げられた彼の視界の中には、まるで人形のように倒れ込むそれが目に入った。
「あああああああああああああ!!」
その血の量で、一瞬で手遅れであると察せられた。
「貴様ああああああああああああああ!!」
夜空が消えた。
アグラヴェインにとって、彼女を拾ったのは本当に偶然であった。本来ならば、彼女を拾うなどということは絶対になかったろう。
それでも、アグラヴェインはその手をとってしまったのは、その瞳があまりにも美しかったのだ。
夜の、空をそのままはめ込んでしまったような、深く考えずに、美しいと感嘆できる、そんな美をその瞳に彼は見出してしまった。
アグラヴェインは、世界が嫌いであった。
己を産んだ女を嫌悪し、そんな女を慕う周りを嫌い、人形のようにままならない己が人生にあきれ果て。
それでも、その美しい瞳には、何も考えなくてよかった。
その裏にあるものを、己に何をさせようとしているのか、そんな下種な感繰りなどとは無縁に、その瞳は美しかった、それに宿る粗暴とも言える純粋さは、美しかった。
何よりも、それは自分に似ていた。
どうしようもなく、無力で、己が力では立ち上がれぬその様が哀れで。
だから、きっと、その手を取ってしまった。その、縋りつくような、手を取ってしまった。
その少女が、あの人の元に行った時、考えたのは残念だということだけだった。
きっと、きっと、あの夜空の瞳も、同じように淀んだ瞳で己に人形のように笑うのだろうと。
けれど、彼女が変わることなく、澄んだままにその夜空の瞳を、アグラヴェインに向けて来た。
それに、それに、アグラヴェインは安堵した。その、安堵が何からやって来たか分からずとも、彼は安堵していた。
ただ、変わることなく、己を利用としない何かの存在に、ただ、安堵していた。
セレーンは、変わることなく、アグラヴェインの隣りで、彼女は立っていた。
アグラヴェインに協力した。
彼女の願いが分からずとも、その目的を知らずとも、アグラヴェインがセレーンを側に置き続けたのは、何故だったろうか。ただ、セレーンを見ていると安堵できた。
その、美しい瞳を見ていると、安堵できた。
この世に、美しいものが在るのだと、醜くあさましいものばかりではないのだと、何かを信じられる気がした。
その果てに、彼は確かに嫌われたくないと、そう思える存在に出会えたのだ。
アグラヴェインにとって、セレーンは、女として見る必要も無く、男として軽蔑することも無く、人として嫌う必要も無く、切り捨てる必要も無く、信じたい何かを思い出させてくれる。
セレーンは、アグラヴェインにとって、始まりだった。
彼が始まりに至るためのきっかけだった。
何かに悩むおり、それを見て、始まりを思い出すための、懐古と郷愁の象徴。
セレーンから噴き出る血飛沫を見た時、漠然と奪われたことを理解した。
アグラヴェインにとって、神様でも、愛でも、嫌われたくないわけでもない、ただ、当たり前が奪われたことを理解した。
ランスロット、それが、それが何をしたというのだ。
それは、お前やあの女のことまで気遣っていたのだというのに。
哀れむばかりでなく、弱き者の幸福を願い、一人で生きていけるようにと慈しみ、欲に溺れることなく、誰をも嫌悪することも、嫉妬することもなく、ただ、己が以外を思い続けた、人にも人以外にもなれぬと笑うそれを、殺す権利がお前にあったのか。
王のように純粋ではなくとも、王のように大義を抱くわけでも、王のように潔癖でなくとも、只人のように、他を思うそれを、誰が殺していいというのか。
あっていいはずない。いや、誰が、この温和で、優しいだけの、それを殺す権利があったのか。
少なくとも、お前であるはずがない。お前であっていいはずがない。
怒りに震えた、アグラヴェインは、彼は、その時だけは己が為に怒っていた。己が、執着が為に、怒っていた。
ランスロットに殺されるその瞬間、思ったのは、国と王と、ランスロットへの憎しみと、そうして、遠い昔から抱いていた疑問。
セレーン。お前の願いは、叶ったろうか。
叶っていればいい。
自分は、それを叶えてやれたろうか。
アグラヴェインは、セレーンよりも、国と王の命を優先する。そのためならば、セレーンを切り捨てるだろう。
それでも、叶っていればいいと、昔なじみを思う程度の心はあった。
その願いぐらい、聞いておけばよかったかもしれない。
最後に、叶うなら、あの夜空の瞳を見たかった。