いつかに英雄の隣にいた誰か   作:幽 

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投稿してなかった、斎藤さんの話です。


我が誠の旗に悔いはなく
冬のような少女


 

私は三十ほどにも至らぬ内に死にました。

私の人生は、多くの罪を重ね、血を浴び、死人の上に築かれたものでございます。

わたくし、いえ、藤野伊織の人生とは、強さの証明のためにそれらを重ねたものでした。

ええ、ええ、ええ。

斬ることしかできぬ我が身ではございましたが、誇りがあるかと言われればわかりはしませんが。

それでもなお、不幸などとはけしてございませんでした。

幸福なままに生きた人生こそが、我が誇りでありました。

 

 

 

ふゆという少女にとって、己の兄とはまさしくこの世のすべてだった。

何の比喩でもない、なんの嘘もない。

京都にてすでに両親を亡くし、兄と二人っきりの家族であった少女にとって、それは真実に他ならなかった。

兄曰く、どこかの家に仕えていた立派な武士の家系であったらしいが貧乏暮らしの少女にとってはあまり気にはしなかった。

ふゆにとって重要なのは、洗濯のための明日の天気だとか、明日の献立であってあまり気にすることではなかったのだ。

けれど、兄は幼かった少女のためにいつか、もっと地位を上げることを望んでいた。

ふゆという少女は身内の欲目があったとしても、できた子だった。

真っ黒な烏の羽のような髪に、切れ長の黒い瞳。男とも女ともつかない中性的な容姿は、確かに人目を引く程度によいものだった。少々背が高いことはあっても温和な性格でくるくるとよく働く妹にはよい縁談を組んでやりたいという兄心もあった。

それは、野心というにはささやかなもので、望んでいたのは確かなことだった。

それは、もしかすればただの絵空事であっただろう。けれど、兄である青年には、それこそ剣の才があった。

道場においても一、二を争うほどの剣の才があったのだ。

 

 

「ふゆ。」

「はーい、兄様お帰り。」

 

その日、狭い家に兄が一人、男を連れてきた。

なんだかもさもさしたくすんだ色の、どこか暗いというわけではないが、明るいというわけでもない、そんな男だった。

 

「その人、誰、兄様?」

「ああ、彼は前に道場に入ってきた人だよ。名前は。」

「こんにちは、お嬢さん。俺の名前は、斎藤っていうんだ。よろしくな。」

 

にこりと笑ったその顔には、確かな愛嬌があった。それにふゆは、きっと怖い人ではないのだろうなとぼんやりと思った。

 

それから齋藤一という男はやたらと家にやってくるようになった。どちらかといえば物静かで寡黙な兄、伊織と軽薄な齋藤はなぜか馬が合った。

ふゆも交流を重ねる内に齋藤という男のことを、はじめ兄様と慕うようになった。

もとより、愛想がよく素直な性質の彼女が斎藤を信用するまでは早かった。何よりも、彼女が慕う兄が信頼を寄せているのだ。ならば、信頼を寄せるのは当然であった。

 

「ふゆちゃん、伊織のこと好きだねえ。」

「うん、当たり前です。」

 

兄が留守の折に家を訪ねてきた斎藤はなんとなくそういった。ふゆはそれに当たり前のように答えて、こてりと首をかしげた。

ちょうど、ふゆは庭で洗濯物を干しており、斎藤はそれを家の中から眺めていた。

 

「いやねえ。俺も兄貴と姉ちゃんいたけど、そこまで大好きだったかねえって。」

「おかしなこと言いますねえ。だって、兄様は、かっこよくて、頭がよくて、優しくて、そうして。」

誰よりも強いんだから!

 

弾んだ声でふゆはいう。事実、彼女の兄である伊織は斎藤と互角を張り合うほどに強い。それに斎藤は面白くなさそうに頬杖をつく。

 

「・・・それなら、俺だってけっこういい線いってるよ?」

「はい?はじめ兄様も強いですよ?」

 

きょとりと目を瞬かせてふゆはいった。斎藤はどこかまあねとぼやくように息を吐いた。

 

「でもさあ、ふゆちゃんも十二分に強いじゃん。驚いたよ、伊織も強かったけど、ふゆちゃんも女だてらにすごい強いんだもの。」

その言葉にふゆは苦笑交じりに首を振った。

「ふふふふふ、お世辞でも嬉しいなあ。」

「・・・・いやあ、本当なんだけどねえ。」

「まさか。だって、私だって簡単によけられたのに。そんなことないよ。」

 

にっこりと笑えば、斎藤はなんともいえない顔をした。ふゆはなぜそんな顔をするのかわからずに首をかしげた。

ふゆが剣術を従ったのは、ある意味必然であった。

兄がそれを好んでいたのだから、それをまねしたがるのは末っ子としてよくあることだろう。そのため、彼女も小さい頃から兄の通っていた道場に入り浸っていたこともある。

彼女は、その腕は確かなものではあった。けれど、今となってはふゆが剣を振るうことはなかった。女の身で剣術を続けることはなかなかに難しいこともある。

何よりも、だんだんと大人になるにつれて、兄の助けになれるように家のことを率先してやるようになったせいだ。

けれど、ふゆにとってはそれでよかった。確かに、剣術を極めることも、強くなることも楽しかった。たった一人、目の前の相手だけと斬り合う瞬間は嫌いではなかった。

けれど、それよりも彼女は兄のことが好きだった。兄のために何かをしたかった。

だからこそ、彼女にとってはそれで良かったのだ。

兄である伊織はふゆの選択を残念だといいながら、それでもいいかと納得していた。そうしてそれを聞いていた斎藤がそこまでの腕前を少し惜しくなってしまった。斎藤はなんともいえない顔でそれを眺めていた。

 

 

ふゆという少女は幸福であった。

確かに、裕福ではなかった、いつだって働き通しではあった。それでも、少女にとってはたった一人の兄とともに、そうしてもう一人の兄のように慕う青年との日々を愛していたのだ。

 

だからこそ、あの日、きっとすべてがことごとく変わったのだ。すべてが、本当に変わったのだ。

 

兄が死んだ、そんなことを聞いたのは、いつも通り青空の下で洗濯物を干しているときのことだった。

誰が知らせてくれたのだろうか。それさえも曖昧だ。ただ、覚えているのは一つだけ。

 

伊織が馬に蹴られた!

 

その言葉でふゆは、次に聞こえた言葉のままにかけだした。ふゆは、走った。それこそ、まるで獣のように。ただ、ただ、駆けた。もとより、体力はある方ではあったが彼女はまるで風のように道を駆けた。

そうして、運ばれたという医者の元で兄を見つけた。兄の死に顔が、やたらと穏やかであったことは覚えている。

子どもをかばって、腹を蹴られたのだという。医者曰く、運ばれてきたときにはすでに手遅れだったのだという。

それからのことを、ふゆは碌々覚えていない。ただ、兄を弔って、寺に頼んで。

そうして、残ったのは、小さな家と、先祖代々伝わっているという、長脇差しだけだった。

兄を墓に入れている間、誰かが自分を慰めてくれていた。そうだ、とっても、優しく自分に語りかけてくれた。

けれど、それさえもろくに、ぼんやりとおぼろげにどこかに消えてしまっている。

ただ、ただ、ふゆが覚えているのは、誰に言われようと手放さなかった兄の形見の冷たさだけだった。

 

ふゆの兄は、物静かな、冬のような人だった。新雪の積もった、誰もいない森の中のような人だった。自分よりもずっと、その名の似合う人だった。けれど、それでも、ふゆの前だけでは子どものように笑う人だった。

子どもの頃、こっそりと誰よりも強くなるのが夢だと、そんなことを語る人だった。ふゆは、それを素直に信じていた。きっと、きっと、兄ならばそんなことだって可能なのだと。

子どもをかばったのだという。それを、ふゆは素直に兄らしいと思った。

そんな人だったと、素直に納得した。

 

(・・・・みんな、忘れてしまうんだろうか。)

 

兄のこと、優しい兄のこと。きっと、誰よりも強くなるはずだった、兄のこと。

きっと、きっと、たくさんの人が兄のことを覚えていてくれるはずだった。

なのに、伊織という名前を、彼のことを知っているのは道場の人間と、自分ぐらいなものだろう。

嫌だと思った。それは、あんまりにもさみしくて、悲しいものではないのかと。

だから、だから。

ふゆは、咄嗟にその脇差しを握りしめた。

 

 

「どうしたの、ふゆちゃん!?」

 

驚いた顔をした斎藤を前に、ふゆは抱え込んだ刀をまた強く握りしめた。

その姿は、伊織の昔の着物や袴を着込んでいた。そうして、長い髪を一つでくくっている。その様は、どこか、伊織とよく似ているように見えた。

 

「ちがう、私は、伊織です。」

「何言って・・・・」

「ふゆが死んだ。そうして、伊織は生きる。お願いです、斉藤さん。私に、剣を教えてください。」

 

私が、伊織に、兄の人生を生きると決めたんです。

 

 

踏み込まれた足に、伊織は視線だけを動かした。手首の動き、木刀の向き、それに追撃がどこからくるか理解する。伊織はそのまま体をのけぞらせてよけた。

道場の中はしんと静まりかえっている。その場にいる人間の目は、たった二人の人間に釘付けになっていた。

一人は、淡い金の髪に薄い鈍色の目をした、色素の薄い人物に。それこそ、儚げな見目は美しい青年のようにも、勇ましい少女のようにも見える。けれど、その剣捌きと気迫によってもろく崩れ去る。まるで鬼神のような気迫と本気の殺意をそれはまとっていた。

そうして、その気迫と殺意を受け取るのは相手よりも少しだけ背の高い人物だった。長くまっ黒な髪を一つにまとめたそれは、黒い瞳で相手を見つめている。中性的な容姿の中にある明るい雰囲気がどこかちぐはぐな印象を受ける。

そんな二人は、まるで殺し合いのように身勝手に、楽しげに木刀を振るっていた。

ひゅんと、木刀が通り過ぎる音がする。けれど、伊織が刀を振るう暇はない。構える暇もなく、また追撃がやってくる。

それを刀でなんとか受け流した。

避ける、受け流す。攻と守がまるで剣舞でもしているようにぴたりと重なり合っている。

かん、かん、かんと木刀のぶつかり合う音が道場に響いた。

決着がつく暇はない。二人は、互いしかいないかのように木刀を振り回す。

 

「そこまで!!」

 

男のその声で二人は目を見開き、だんと後ろに飛んだ。

そうして、淡い金の髪の少女がへたり込む。

 

「また、ですか・・・・」

「決着つきませんねえ。」

 

黒い髪の彼女はぼやくようにいった。

 

 

「藤野さんとやると決着がつきませんね。」

「そうですねえ。」

 

金髪の少女、沖田総司。そうして、黒い髪の少女、藤野伊織は隣り合わせて詰め所の縁側にてぼやくように言い合っていた。

剣を是とする人斬りの集団に、少女がいることに関しては二人ともあまり気にしていなかった。互いに何かしらの理由があるだろうことは察していたし、それに踏み込むことではないのだろうと、なんとなしに思っていたこともある。

けれど、そんな互いに特殊な立場のせいか、なんだかんだで互いに馬が合ったのかよく話すようになっていた。

 

(・・・相性が悪いのか。いいのか。)

 

沖田はちらりと、隣に座る自分よりも少し年下の少女を見た。真っ黒な髪に、淡く微笑むそのたたずまいはいっては何だが女性に騒がれそうな顔立ちだった。

 

沖田が伊織に会ったのは、新選組というものができて少ししてからだった。

伊織は、近藤勇と近しい立場であった斎藤一の後ろにいたのを見たのは最初のことだった。

伊織は穏やかな性格であったが斎藤以外とあまり関わろうとしない人間だった。といっても、酒を飲むだとか女遊びをするだとか、博打が好きだとか、そういった問題を起こさないため放っておかれていた。

何よりも、伊織は強かった、というのもある。

 

(剣の腕はからっきしなんですけどねえ。)

 

伊織という存在は強かった。斎藤のお墨付きに納得できる程度の腕ではあった。

けれど、伊織はけして剣の才があったわけではない。伊織が秀でていたのは、守りに徹することだ。

沖田の剣筋を捉える目と、圧倒的な反射神経。けれど、結局の話はそれだけだ。

素早さの上で勝つことができれば、相手の刀を交わしきることができれば、受け流しによって隙ができれば、勝機はあるだろう。

けれど、例えば沖田の天才的なそれを受け流すことはできても、それを圧倒して攻撃を加えることのできない伊織は受け流すことしかできない。なによりも、沖田の剣筋を受け流し続けるなど、どれだけの集中力を削られるのか。沖田も攻撃を加えていくがすべて受け流され、交わされる。

そのため、沖田と伊織が戦うとどちらの体力か集中力が切れるまでという耐久戦になるのだ。

それ故に、伊織を不敗の剣などと呼ぶものもいた。勝てはしないが、負けもしないその戦い方故のものだった。

 

「私はこれから見回りなので、そろそろいきますね。」

「ああ、今日は斎藤さんとでしたっけ?」

「はい。沖田さん、今日は冷えるので気をつけてくださいね。」

 

にっこりと微笑んでその場を去って行く伊織の背中を見て、沖田はぼんやりと考える。

別段、深入りする気はあまりなかった。互いに互いでやっかいな事情は抱えているのだとは察している。

 

「・・・・でも、あの二人ってどういう関係なんですかね。」

 

なんとなく、特別なのだとはわかる。けれど、それは沖田にはわからない感情だった。

 

 

(・・・・沖田さん。今日は体調がよさそうだったなあ。)

 

せっかくだ、どこかで甘味でも土産に買って帰ろうか。

そんなことを考えていると、目を歩いていた男から声をかけられる。

 

「伊織、集中しなさい。」

「はい、申し訳ありません、はじめさん。」

 

目の前を歩く、背の高い、ふわふわとした髪の男性。伊織はそれを仰ぎ見た。自分よりも強い人を前に、伊織は口を開く。

一つ、聞きたいことがあった。それは、きっと、伊織がいつかに聞かなければいけないことだ。けれど、そんなことを聞く前に伊織は口を閉じ、周りに意識を向けた。

 

 

藤野伊織は、斎藤一という男に心から感謝している。

だって、彼は、歪な伊織の願いを、どこか苦悩混じりでも肯定してくれた。

 

斎藤は、始め、伊織の願いを否とした。そんなことを望んではいないだろうと。それでも、伊織はどうしてもひくことはできなかった。

すがりついた伊織に、斎藤は折れた、折れてくれた。その願いために一つだけ、条件を出してくれた。

もしも、もしも、伊織が一ヶ月後に斎藤にとって合格点を出せる程度に強くなることができれば。

剣士として身を立てる伝手を紹介してもかまわないと。

伊織は、それこそ、命をかけて己の腕を鍛えた。斎藤もまた、伊織を殺す勢いで鍛えた。そうして、彼女はなんとか新選組に入ることを斎藤に許可される程度に強くなれた。

元より、確かに他よりも良い目も、反応速度を持っていたということもある。

けれど、それだけで斎藤の望む程度の強さなど持てるはずもなかった。あがいた、あがいて、あがいて、伊織はなんとか形だけでも整えた。

それは、確かにつらくはあっても、それでも伊織は嬉しいとも思ったのだ。

戦いの中で、脈打つ感覚をつかんだその瞬間、兄を感じられた。

己の強さと、刹那の感覚の中に、一度だけ見た冷たくて、怖い、戦っていた時の兄を感じられる気がした。

兄は、自分よりもずっと強かった、才があった、覚悟があった。

人を斬ることでさえも、あまり恐怖はなかった。伊織は、人を切り続けた。

切り捨てた誰か、命の競り合いで勝ち取った命、それは確かに伊織が強者である証だった。

それでいい、勝ち続ければそれは伊織の強さの証だ。兄の強さの証明だ。

罪人でいい、咎ならば受けよう。だから、強かった兄のことを、誰かに覚えていてほしい。

おろかというならば、愚かで良かった。それでいい、それが正しい。

その少女は結局の話、何もかもを天秤にかけて、兄の命の証明を選んでしまった。それだけの話だ。

だからこそ、伊織は、斎藤一という男に、心の底から感謝をしていた。

 

「はじめさん、沖田君が試合をしたいといわれていましたよ。」

「・・・・また?」

 

見回りが何事もなくすんだ後、斎藤は詰め所の一室にて休んでいた。伊織はそんな斎藤に茶を出して、口を開く。

斎藤はなんともいえない顔でその茶をすすった。

 

「嫌だって言ってんのにねえ。」

「まあ、稽古は強い人としたいものでしょうから。はじめさんはこの頃、私の稽古もつけてくれませんし。」

 

それに対して斎藤は無言を貫いた。なんとなく、その沈黙には何かがある気がした。けれど、それが何かまで伊織には察することができなかった。

だからこそ、気を取り直して伊織は淡く微笑んで正座をしたまま淡く笑った。

 

「ところで、明日の話し合いのことですが。どこでやるか等はすでに局長や土方さんたちにも伝えてあります。あと、いわれていた調べ物に関しての資料もできています。そうそう、いわれていた袴も繕いが終わっていますので確認してください。」

「・・・・伊織、おまえ。」

 

雑用が終わったことに関して伊織が斎藤に報告をしていると、彼はぴくりと肩をふるわせて、振り向いた。その顔はどこか険しい。それに伊織は自分が何かをしてしまったかと顔を曇らせる。それに、斎藤は一瞬だけ口をつぐんで、そうして、穏やかに微笑んだ。

 

「・・・・ありがとさん。だが、おまえは確かに僕のところの隊員だけどね。繕い物とか、そういった個人的なことしなくてもいいんだよ?」

「私が好きでしていますが。」

「あのね、誰かがおまえのこと、僕の召使いなんてこといってるんだよ。嫌でしょ、そんなの。」

 

それに伊織は首をかしげる。なぜ、いやなんて思うのだろうか。

それは、伊織が斎藤の身の回りをよくよく整え、支えているということでないのか。

 

「そうだとすれば、私は嬉しいです。」

はじめ兄様のお役に立てているのならば。

 

昔の呼び名で、そういって子どものように伊織は微笑んだ。それに、斎藤はどこかこらえるような顔をした。伊織はどうしたのかと斎藤を伺おうとするが、それよりも先に彼女の頭の上に手がぽんと置かれた。

それに伊織はゆるゆると目を細めて、その手に身を委ねる。

 

「おまえは、そう思うんだね。なら、まあ、好きにしなよ。いつも、ありがとね。」

 

斎藤のその言葉に、伊織は嬉しくて、嬉しくて、沸き立つように心が覆った。そのとき、彼がどんな顔をしているのか、よく見ていなかった。

 

 

己がどれほどまでに半端な存在であるのか、理解していた。芹沢鴨のように理想があったわけではない。沖田総司のように戦い続ける願いを持っていたわけではない。土方歳三のように信念があったわけでもない。近藤勲のように規律があったようわけではない。

ただ、ただ、伊織の事情と、新選組という立場が合致しただけだ。

新選組という居場所が好きではあったけれど、永遠なんて信じてはいなかった。自分が正しいことをしているとも思っていたわけではなかった。国のことを憂いていたわけでもない。

強くなりたいと思っても、全てを捧げるほどの願いであったかはわからない。

伊織は、所詮は兄の夢にすがらなければ生きていけなかった。兄の思い出と、つながっているのだという願望を持たなければ、生きてはいけなかった。

つながりが、兄はまだこの世界にいるのだと、その名を抱えていたからこそ、生きてこれた。きっと、生きることができたのだ。

 

(はじめ兄様は、どうしてここにいたのだろうか。)

 

新撰組は、彼にとってどんな場所だったのだろうか。

そんなことをよく考えていた。

恩義を返したかった。歪な自分の願いに寄り添ってくれた斎藤に恩を返したかった。

少なくとも、彼は伊織が生きていくための場所を用意してくれた。薄明かりのような中を迷う己の手を引いてくれた。

それは、確かに恩であるはずだ。

けれど、なぜだろうか。

斎藤に笑ってほしかった。昔のように、は難しくても穏やかに笑ってほしかった。

喜んでほしくて、人を斬った。

沖田のように、斎藤のように、人を斬った。

けれど、いつからだろうか。

斎藤は、笑ってくれなくなった。

褒めてくれた。頭を撫でてくれた。なのに、なのに、なのに。

斎藤は、どこか、悲しそうな顔で伊織を見つめている。

柔らかな日だまりのような、そんな笑みが全て、遠くて。人を斬って、人を斬って、人を斬って。

積み上げられた、己の功績に、彼はどこか悲しい顔をしていた。

どうしてだろうと思った。

沖田は、ほかの隊員たちならば、斎藤は確かに喜んでくれたのに、認めてくれたのに。

どうして、自分ではだめなのだろうか。自分の何がだめなのかわからない。

わからないから、もっと、頑張って人を斬った。新撰組のために戦い続けた。斬って、斬って、斬って。

そうして、きっと笑ってくれると、喜んでくれると思って、振り返るのだ。

けれど、いつだって、斎藤は、はじめ兄様はこらえるように笑っている。

何をこらえているのかわからない。ただ、何かをいいたそうな顔をしている。それでも、それが何かを問うことはできなかった。

伊織は、人を斬ることぐらいしか、できなかった。だから、いつか、戦い続ければ、斎藤が笑ってくれると信じたのだ。

 

そうして、伊織は、ふゆであった彼女は死んでしまった。

雪の降る、とある日に。あっさりと、死んでしまった。

 

 

それは、尊皇派たちの捕縛に向かったときのことだ。斎藤の三番隊が主な部隊であり、伊織もまた参加していた。相手が根城にしていた宿を襲撃したはいいものの、二階でしていた斬り合いに二人が窓から逃げ出したのだ。

それに、伊織は反応した。そうして、同じように二階から飛び降りた。

伊織はそのまま猫のように体をひねり、地面に降り立つ。そうして、遠くに逃げ出す相手を追いかけたのだ。

新雪を踏みしめて、駆けだした。雪が降り出した、どんよりとした曇り空の下のことだった。

追いかけた相手はどうやらそこまでの手練れではなかったらしくあっさりと追いついた。

伊織は相手の攻撃を受け流し、機会を待った。

 

(・・・・早くしないと。)

 

先ほどの乱戦で、大分集中力が切れかけている自負があった。けれど、二人の剣術はお世辞にも達者ではなかった。

普段の伊織ならば、すぐに終わらせる程度の存在だった。

二人が同時に剣を振るう。伊織はそれに反応できた。避けて、刀をはじいて。それで終わるはずだった。

けれど、それをする前に、伊織は彼らが戦っていた道の、建物の陰から子どもが飛び出してくるのが見えた。

 

(・・・斬られる。)

 

ちょうど、伊織の背後から勢いよく走る子どもは止まれないだろう。

 

(避ける?)

 

避ければ子どもは巻き添えを食らう。同時にやってくる刀を受け流すことはできない。

ぐるりと回った思考の中で、伊織にとって優先すべきことが決まる。

伊織は片方の刀を受け流しはじく。そうして、もう片方の斬撃を受けた。

それに、伊織は痛みの中でほっとした。

胴体は離れていない、足はちぎれていない、手をそろったまま。

 

(よかった、まだ、私は戦える。)

 

それだけに、心の底からほっとした。

 

 

(・・・・だめだ。これは、死ぬなあ。)

 

真っ白な、新雪が追っていた二人と、自分の流血で赤く染まっている。捕縛の叶わなかった二人は伊織の手によって事切れていた。

そうして、伊織は止血が間に合わないと自覚ができるほどの傷を負っていた。ぼんやりと切り捨てた彼らを眺めて、伊織は近くにあった建物に適当に背を預けた。

体がどんどん冷えていくような感覚がしたが、さほどつらいとは思わなかった。

その末路は自分にとってある意味では全うだ。

人を殺した。それに何かを思ったことはない。弱いから死んだ、殺し合いとはそういうことだ。

それでも、いつかは自分は誰かに殺されるのだろうとぼんやりと思っていた。

 

(・・・・でも、死ぬなら、もっと強い人と戦って死にたかったなあ。)

それは未練だった。勝てるはずだった、負けるような相手ではなかった。

(沖田君ぐらい、強い人なら、満足できたかな。)

 

血が、流れて、赤があたりに広がった。自分の命がどんどんあたりに流れていくことをかすれていく視界の中で理解した。

 

(・・・悪くない人生だった。)

 

ひどく、あっさりと伊織は自分の死を受け入れた。

 

剣士として生きると決めた時、長く生きること自体思考の外に放り出していた自覚がある。

戦いの中に、強さを求めるということはそういうことだとわかる頭はあったのだ。

別に、それでよかった。

恋やら友やら夢も、願いもなかった。

結局の話、その少女は兄の残した残り香のような願いにすがることしかできなかったのだ。

だから、あっさりと、兄の面影にすがりついて死への近道を走ることを決めたのだ。

それでしか、生きることさえもできなかった。

だから、それでよかった。この結末こそが、自分にはきっと運命だった。

 

(・・・・悪くない人生だった。)

 

たどり着いた人斬りたちの箱庭は存外居心地が良かった。その場所は、きっと、剣に生きて剣に死んでいくような人ばかりで。

青空のような色の羽織を誇りにした。

余計なことを考えなくて良かった。ただ、刀を振るえば良かった。

伊織という名前を強者として響かせた。

 

(・・・はじめ、兄様。)

 

走馬灯が頭の中をぐるりと回った。そうして、最後に思い出したのは、名前を呼んだのは、大好きな、恩人のことだった。

 

大好きでした、感謝していました、笑ってほしかった、私はあなたの役に立てたでしょうか。私は、私は、あなたに恩を返すことができたでしょうか。

ぼんやりと、そんなことを思う。

思えば、自分にとって斎藤一という存在は兄を除けば、一等に近しい人であった。

いつのまにか、自分の生活の中にいて、いつの間にかそこにいた人。

そうして、自分を生かしてくれた人。

空っぽの心の中で、兄を亡くした人生の中で、斉藤一への感情はふゆであった彼女の体を生かした血潮に等しかった。

強くなりたいという願いは兄への縁でしかなくて、それを抜かせば彼女の人生は斎藤一への感謝によって回っていた。

兄を亡くしたあの日、どうしようもなくてすがりついた自分を、彼は受け止めてくれた。願いを聞き入れてくれた。それは、どれほどのことだっただろうか。

彼がいたから、生きてこれた。幸せを知って、心を殺さずに生きてこれた。

斎藤一によって、生かされた人生だった。

 

「・・・・しあ、わせな、じんせい、でした。」

 

ああ、本当に、本当に、心の底から思うのだ。幸せでありましたと。

げほりと、口からせり上がってくる血を吐き出した。

いつからか、斎藤のために生きていた。自分のなすことに、彼がどんな顔をするか気になった。いつの間にか、いつの間にか、彼が喜んでくれることがふゆの生きる理由に組み込まれていた。

なんとなく、なんとなくではあったけれど、斎藤が笑ってくれない理由には確かに自分が含まれていることぐらいわかっていた。

問えなかったのは、斎藤がそれを望んでいないことも察せられたからだ。

だから、どうすれば笑ってくれるかといつだって後ろを振り返っていた。

こらえるように笑っている斎藤のことを覚えている。

優しい人だ。真意が曖昧で、少しだけひねくれているところがあるけれど。それでも、心を傾けた存在を抱え続けてくれる優しい人なのだ。

その優しさに、散々甘えてしまった。散々、それにすがって生きてきた。

たとえ、自分が伊織として生きても捨て去ったふゆという名前を彼だけが覚えていてくれる。

伊織の生き方は兄のためにあった。それでも、確かに斉藤一のために伊織は生きたのだ。

 

(何が、だめだったのかな。)

 

どうすれば昔のように笑ってくれたのか、今だってわからないけれど。それでも、きっと、わかってくれると思うのだ。

藤野伊織は、藤野ふゆは、確かに幸福であったのだと。

(大好きでした。あなたは優しい人だった。笑っていてほしかった。あなたがいたから、あなたが手を引いてくれたから、生きてこれた。たとえ、人斬りでも、それでも、私は私なりに生きられた。)

自分の人生には満足している。自分の生き方に納得している。一人で生きていくはずだった。兄以外に、彼女には誰もいなかった。けれど、一人ではなかったのだ。大好きな人のそばに最後までいられた。褒めてもらえた、微笑んでもらえた。それは、きっと幸福な人生だった。

それでも、気になることはある。

自分は最後まで、大好きだった、散々迷惑をかけたあの人に何ができただろうか。それだけは、ぼんやりと考えて。

それでも、最後に伊織は、ふゆだった少女は淡く微笑んだ。

 

(こうふく、でした。ええ、ええ、はじめ、にいさま。だいすきでした、あり、が、とう、ご、ざい、ました。)

 

かすれていく視界の中、真っ白な雪と赤が見えた。青空をみたいと思って、それっきり彼女の意識は闇の中に消えた。

最後に、彼の笑顔をみたいと、思って。

 

(おれい、ちょくせつ、いえなかったなあ。)

 

 

 

その少女は、斎藤一の悔いであった。

最初に彼女に会ったのは、当時、まだ斎藤が青二才だった頃。故郷にて問題を起こし、京都の知人の家にかくまわれたときのことだ。

その道場で、斎藤は妙に穏やかで、そうして鬼のように強い男に出会った。

なんとなく、斎藤が男のことを気に入ったのは、他人に対して真摯であったからだろうか。

綺麗、などとはいわないが。それでも、清らな精神をまばゆく思ってしまったのだろうか。

誰よりも冴え渡る人斬りの技術と、それに相反するような穏やかで純な精神が物珍しかった。

そうして、斎藤は男の家で、ある少女と出会った。

最初は、ただ、物珍しかった。

末っ子であった斎藤からすればそこまで近しい年下、おまけに異性という存在があまりいなかったというのもある。何よりも、ふゆという少女は兄貴ぶるにはちょうどいい存在であったのもある。

気安く、素直で、兄に似て穏やかな性質の少女は好き勝手にかわいがる分にはちょうどよかった。

真っ黒な髪は柔らかで、黒い瞳は子犬のように純粋だった。

何よりも、剣の才能があるというところも気に入った。それでも、少女は家事などをすることが好きなようだった。

青空の下で洗濯物を干しているのをよく見ていたけれど。その光景がよく似合う少女だった。

それでも、心のどこかで、自分とはきっと無関係に生きていくのだろうと思った。

滅多にないほど、普通の少女だった。

兄が好きで、料理が好きで、家の中がぴかぴかであることに誇りを持っていて。

 

(綺麗な子だなあ。)

 

それは何の皮肉でもない、斎藤の素直な賞賛だった。

日々の家事で荒れてはいたけれど、柔らな頬だとか、斎藤のことを信じ切った無邪気な目だとか、まるで踏み荒らされる前の新雪のようで。

箱の中に閉じ込めてしまえば、変わらないままなのだろうか。愚かなことを考えたときもあった。

けれど、そのくせだ。

たった一度だけ見た、刀を持った彼女の姿がやけに鮮やかに目に焼き付いていた。

雪のように冷たく、刃物のように鋭い、獣のように奔放に戦うその姿が目に焼き付いて、あんまりにも鮮やかで。

その少女は、まるで終わりかけた冬のような人だった。

暖かくて、穏やかで、けれどその身に宿った本能のような戦いへの冷徹さを、斎藤は手に取るように理解した。

その才を惜しいと思って。けれど、当人が望むならばそれでいいのだとも納得していた。

はじめ兄様。

その、軽やかな声が曇ることがないのならば、悪いことではないとも思っていた。

そうして、斎藤が江戸の試衛館とのつながりを持つようになると、ふゆと会うことはあまりなくなった。近藤勲との繋がりは伊織も入っており、将来的には彼もまた話に乗ることになっていた。

あの子にいい縁談を組んでやりたいんだ。あの子には、幸せになってほしいんだ。

そんなことを伊織が言うたびに、妹のこと好きだねえと斎藤はからかっていた。

 

(ああ、そうか。あの子は、嫁に行くのか。)

 

誰かは知らないけれど、きっと嫁に行く彼女は綺麗なのだろう。自分には遠い話だと、斎藤はそんなことを考えた。

 

 

そうして、伊織は死んだ。

幼子をかばって暴れ馬に巻き込まれて、腹を蹴られて死んだのだという。

それも、斎藤は、あまりにもらしいとも思ってしまった。あんまりにも、その死に方はらしいじゃないか。

納得してしまった。あの男が、あの男として死ぬとすればあんまりにも納得のできる死に方じゃないか。

それでもあっさりと斎藤はそれを受け入れてしまった。

心の奥底でほっとした。

優しい男が、優しいままに死んでしまったことに、心のどこかでほっとした。

そうして、男の弔いも済み、また江戸に戻るかという時だ。

ふゆが、駆け込んできた。

兄の衣装を着込んだ、その優しげな顔立ちの少女はそれこそ、暗がりの中で兄と見紛うほどによく似ていた。

似すぎていた。

そうして、彼の手によくなじんでいた刀を握って、彼女は泣いた。

涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、まるで迷子のように斎藤一にすがった。

剣を教えてください。

その言葉の真意はわからなかった。それでも、斎藤はそれにうなずいてしまった。

 

 

「はじめ兄様。」

 

幼く、ほかの皆は普通だという声に斎藤は目を覚ました。目の前には自分を見下ろす、柔らかな印象の誰かがいた。

 

「・・・・伊織か。」

「はい、仮眠の時間を超えたので起こしに来たのですが。」

「あーそっか。ありがとね。」

「いえ。これぐらいつでもいってください。私は用があるので、失礼させていただきますね」

 

にっこりと笑った伊織に斎藤は視線を向けた。

 

「・・・・伊織、おまえさあ。」

「はい?」

 

立ち上がりかけた伊織は、不思議そうに斎藤を見た。それに彼は少しだけ黙った後に、なんでもないと首を振った。伊織は不思議そうな顔をした後に、納得したのかそのまま詰め所の部屋を出て行く。

それを見送った後、斎藤はぼんやりとその後を見つめた。

 

「おまえ、伊織には似てねえぞ。」

 

ぼそりと、つぶやくようにそういった。

 

 

少女は斎藤の条件を受け入れ、そうして新選組に入った。幸いなことにふゆは、伊織は群を抜いて強かったこともある。そのまま彼女は斎藤の部下として日々を過ごしていた。

別段、表立った問題はない。

新撰組が発足する以前から、兄の代りとして近藤たちには目を通させていた。

互いに特殊な立場である沖田とは仲良くやっていたし良くも悪くも従順な伊織は土方とも問題なくやっていた。

元より、強さの証明を望む彼女にとって、他のことはさほどの興味はなく衝突する理由もなかった。

伊織は、いつも笑っていた。ふゆであった時と同じように、朗らかに、青空の下で洗濯物を干していたときのように笑っていた。

変わることなく、笑っていた。

 

目の前に血だまりが広がっている。

まるで、ちょっとした雨が降った後のようだ。それでも、つんと鼻をつく粘り気のある鉄くさい匂いにそれあただの色水ではないことを理解している。

時刻はちょうど、朝日の飛び出す早朝だ。お世辞にも、爽やかな気分にはなれない。道には、その赤い液体がしみこんでいる。あたりには、数人の浪士が事切れて倒れている。

そうして、そうして、数人の部下たちの中で、周りからの視線を向けられている、それ。

 

「はじめさん。」

 

刀から血を滴らせて、それは振り返った。

まるで、幼子のように無垢で、仏のように清らかで、そうして、昔と同じ、ふゆそのままのような笑みでそれは笑っていた。

 

「はじめさん。」

 

褒めてというように、それは飛び散った返り血を拭いもせずに斎藤に微笑んだ。

それに、斎藤はああ、とせり上がってくる感情を飲み込んで笑った。

綺麗だと、場違いのように思っていた。

 

 

斎藤一は、確かにその少女を大事に思っていたのだ。それ相応に、情を持ち、親しかった友人の忘れ形見に柔らかな感情を持たなかったのかと問われれば否だった。

自分を慕う彼女とともに過ごす日々を、楽しいと、好ましいと確かに思っていた。

 

その少女は、確かに強かった。沖田に勝てはせずとも、負けることもない彼女の剣はまるで子どものような剣術であった。

刀を捉える目と、それに反応する体。それは、剣術といってもいいかわからない、乱雑な、それでもなお獣のようにしなやかな戦い方だった。

強いものは好きだ。強いことはいいことだ。強ければ勝ち続けられる。

己が彼女をそれほどまでに強くしたことを誇りに思った。

けれど、けれど、斎藤一は、これでよかったのかとずっと思っていた。

藤野伊織は、ふゆは、兄が死にさえしなければ刀を持つことなどなかっただろう。彼女にどれほど戦う才能があろうと彼女にとって優先すべきことがあった。

きっと、あのままであればそのまま、当たり前のように生きて、誰かに嫁いで、子をなして死んでいくはずだった。

血にまみれた彼女は、当たり前のように斎藤に笑う。昔と同じ、曇ることなんてない子どものような笑み。

 

(・・・汚れないでくれなんて、笑える話だ。)

 

少女であった彼女はすっかり大人になってしまった。

背も伸びて、髪も伸びた。顔立ちも大人びたものになった。けれど、彼女はどんどん兄とはかけ離れていった。

兄よりも、ずっと愛らしくて美しくなった彼女に、斎藤は心のどこかで、思っていた。

自分は、ひどく、残酷なことをしたのではないかと。

その少女を、どうしたって拒絶しきれなかったのはなぜだ?

戦うための才を惜しいと思ったか?共に戦うはずだった彼への未練か?ちょうどいい駒でも手に入った気分であったのか?

その少女を、手放せなかっただけの話か?

それは、全てであるようで、そうでなかったようにも思う。

何もかもがぐちゃぐちゃになって、混ざって、全てが真実のように思えた。

あいつはどんな顔をするだろうか。自分が、彼女を戦場に招き入れたことを、なんと思っているだろうか。

斎藤は、その寄せ集めの狼の群れを愛していたのだと思う。この場所こそが、己の終の棲家で、墓場であるのだと思っていた。

不幸ではなかった。

けれど、けれど、それでも、血に濡れた彼女を見て、ただ、思う。

ふゆ、ふゆ、終わりかけた冬のような、暖かでそれでもなお寒々しい瞳を持つ少女。

 

(なあ、おまえさん、ふゆ。)

 

おまえは、本当に幸せであるのかと。

それは、ふゆにしかわからないだろう。彼女だけが、それを決められる。

けれど、わかるのだ。

きっと、彼女が花嫁衣装を着ることは二度ないのだと。

 

 

その日は、いつも通りだった。

いつも通り、捕縛の任務を受けてとある家に押し入った。突入まではうまくいったものの、部屋の狭さと人数の多さで乱戦状態になった。

そうして、二人ほど窓から逃げ出したものがいた。それを追ったのは伊織だった。

斎藤はそれに対して何も思わなかった。伊織が追えば大丈夫だろうとさえ思っていた。

だからこそ、血だまりに沈んだそれを見つけたとき、何もかもが間違いであったことを悟ったのだ。

 

はあと、吐き出した息は白く、雪が降る中はまるで全てが白にあるようだった。雪が音を消し去って、やけに静まりかえっていた。

そうだ、そのとき、斎藤の中では音というものがことごとく消え去った。

 

真っ白な、雪の中で、その部分だけが真っ赤に染まっていた。

鉄くさい、生臭い臭いが鼻をついた。

嘘だと思った。だって、それがそこら辺にいるような存在に負けることなどあり得ないのだから。

 

「ふゆ。」

 

久方ぶりに呼んだ名前に答えるものはいなかった。

斎藤は誰かが自分に声をかけているのを聞いた。けれど、そんなことなど気にも止めずに、斎藤はそのまま血だまりに座り込む彼女のそばに寄った。

離脱した彼女の後を追い、そうして、見つけたのはその惨状であった。何かしらのやり合いの後であることはすぐに理解した。

あり得ないと思った。そんなこと、赦していいわけがないと。

けれど、触った彼女の頬はまるで雪のように、冬のように冷たかった。それに理解した、わかってしまった、ああ、そうだ。

己の少女は、死んでしまったのだと。

そのときだ、そのとき、斎藤は馬鹿みたいに思ったのだ。

赤なんてに似合わなかった。白が似合った、彼女。花嫁衣装がきっと似合った彼女。

きっと、自分はその姿をずっと見たかったのだと。

 

 

なぜ、笑っていたのかと、ずっと考える。

死に際の彼女の顔は、これ以上ないほどに穏やかで、静かだった。

何をそこまで幸福に笑っていたのか。

斎藤は、冬の寒さも、雪の白さも、広がった血の赤さも、しんと静まりかえった沈黙も、全て覚えている。

彼女の、安らかで幸福そうな笑みも、全て、覚えている。

それから、斎藤は別段、普通に生活を送った。隊員が死ぬなんてよくある話だ。

 

彼は新選組で一等に長く生きた。

その間に、死んだのは彼女だけではない。

近藤勲も、沖田総司も、土方歳三でさえも、ことごとく死んでいった。

人は死ぬ。当たり前だ。死ねば終わりだからこそ、人は勝者であることを望み、生きあがくのだ。

その選択を後悔してはいない。芹沢を殺したこと、新選組を抜けたこと、土方と離れたこと。

 

それは全て、己の選択だ。どうして、後悔などできるだろうか。

 

決めたのは自分だ。選んだのは自分だ。

だんだらの羽織を脱いだことだってそうだろう。

婚姻をし、子をなし、警官になり、学校に勤め、そうして死んだ。

妻を思っていたし、子どもたちを育て上げた。その人生にどうしてやり直しを望むだろうか。

それでも、斎藤一の心には、いつだって終わりかけた冬のような少女の姿があった。

 

彼女と共に過ごした日々を愛していた。

そうだ、斎藤は、確かにその日々を愛していた。彼女は、斎藤にとって、同僚というには近しく、昔なじみというには時間が足りず、妹というには遠くて、他人というには情を傾けすぎていた。

その少女は、どこにもいかずに、そこにいてくれることを嬉しいだなんて思っていた自分もいたのを知っている。

 

遠い昔、戯れのように振るった戦い方と、小春日和のような微笑みと、冬のように冷たい瞳。

惜しかった、それが徒人のように終わるのを、惜しいと思っていた。

けれど、それはあくまで斎藤の思いだった。

戦場で生きることを望んだのは本人だった。

けれど、斎藤はあのとき、本当にそれでいいのかと問わなくてはいけなかったのではないかと、ずっと後悔をしていた。

 

ふゆが少女であったことは大きな問題ではない。それでも、彼女は沖田とはあまりにも違う。それだけを望んでいたわけではない。もっと、違う生き方も選択肢の中にあったはずだ。

幸福であったのだろうか。

戦場で、彼女は笑う。斎藤に笑いかける。けれど、ずっと、斎藤はそれにいえなかった。

おまえさんは、本当に幸福かい、なんて。

それは、ただ、ほかに幸福を知らないからではないのかと。ずっと、思っていた。

 

(それでも、僕は結局の話、嬉しいとも思ってるんだよ。)

 

その少女のことを、伊織として生きたふゆという少女のことを、自分だけが抱えているのだと。

人斬りとしてではなく、ただ、兄のことが大好きだった、自分のことを慕ってくれた一人の少女のことを自分だけが覚えている。ふゆの人生が兄の墓標ならば、彼女の墓標は自分の記憶だ。

 

(笑える話だ、滑稽じゃないか。)

 

その少女は、斎藤一の破れかぶれの初恋だった、心につけられた傷だった。

 

どれだけ人を殺そうと、どれだけ血に濡れても、変わることなく少女のように笑う彼女のことが好きだった。それは人としてあんまりにも歪であっても、変わらないままに死んだ少女はあんまりにも綺麗であったのだ。ありすぎた。

雪のように、冬のように、冷たくなった体を覚えている。彼女を生かした、赤い血は全て流れ落ちて、肌さえも名のままに白かった。

涙さえも出てこない。泣いていいかさえもわからなかった。

せめてと、兄と同じ場所に彼女を弔った。

幸福であったかなんて問いかけは斎藤の中でそのままに腐りきってしまった。幸福であったほしかった。そのまま、何も知らずに生きてほしかった。

けれど、剣の道を駆け抜けた彼女のことだって斎藤は心底美しいとだって思っていた。

どちらも斎藤にとって本音であった。

幸せであってくれればいいという祈りも、少女の無邪気さによってことごとく砕かれる。

 

ああ、本当は。本当ならば、花嫁衣装を着て、優しい誰かの元に嫁いだのだろうか。それさえも、妬ましい思いがあったのだから笑えない。妬ましいと思うくせに、自分で着せてやろうと思っていなかったのだから、心の底から滑稽な話だった。

曖昧な自分、純粋な誰かの陰であることを望み続けた自分。けれど、その小春日日和のような彼女は変わることなく自分を信じていた。

彼女の兄を思い出す。善良な、そんな男を覚えている。焼け付くような光ではなく、かすかで暖かな小春日和のような兄妹に安らぎを覚えている。

斎藤は、そのままに生き残り、誰かと夫婦になり、子をなして、それ相応に時代を生きた。

狼として生きたことを、仲間の死を見送ったこと、新撰組から抜けたこと。

良くも悪くも、不器用な人間が多かったのだ。生き方を変えられるならば、とっくに変えていただろう。

斎藤も、良くも悪くも変わった。共に死ぬなんて笑える話だ。死ねば終わりだ。

生きているものに、なにもしてやれない。それは、死者とて同じだろう。

ああ、だから、だから、斎藤は斎藤なりに自分の人生を納得のままに生きたのだ。

けれど、その心にはずっと、終わりかけた冬のような少女がいた。

 

 

 

わたくしは、齢七十までに生きました。

長く、長く、生きたのでございます。その人生をいったいどう悔いればよいのでしょう。

出会いを得て、別れを知り、いくども手を振って、だんだらの羽織をぬぎさって、その先で己なりの人生を生きたのです。

ええ、ええ、何を後悔などと、己でも思うのでございます。

けれど、わたくしは死ぬ最後、そこまでも、終わりかけた冬のような少女は幸福であったのかついぞ、わからないまま。

それこそが、我が人生の傷なのでございます。

花嫁衣装のような新雪がどうしようもなく、まぶしかった。

 




藤野伊織
ふゆであった少女。戦う才はあったが、剣術の才はあまりなかった。結局、兄のように弱い誰かをかばって死んだ。
好き勝手に生きた、大好きな誰かのそばに最後までいられた。自分の選択に悔いはない。ただ。大好きだった人を結局笑わせてあげられなかったことを残念に思っている。
人斬りになれる程度にネジは外れているが、兄の教育によってよい子である。
幸福なまま死んだ、生ききって死んだ、それをちゃんと周りはわかってくれていると信じている。
たぶん、斎藤から離れていたら、そのままろくな死に方はしなかった。
歴史の上では新撰組で強い人間として名前が挙がるが、活動時期が数年のため創作ではないかという話もある。ただ、生き残った斎藤が晩年少しだけ語った話から存在が確かとされている。沖田と同様に美少年であったという話。姉がいたという伝承があるが真偽は不明。


斎藤一
最初にあった、春のような、冬のような少女に魅入られていた自覚がないままに生きて、結局それを失った。少女のことだけを考えて生きていくほど純粋でもなければ、ロマンチストでもなかった。
家族を愛していたし、自分の人生にも納得している。
それでもなお、傷のように心に抱えた少女のことを、ずっと忘れられなかった。
幸せであるかなんて、聞けるはずないでしょうに。
冬が苦手になった。花嫁衣装のような新雪がどうしようもなく、まぶしかった。


妹よりも剣術の才はあったが、無関係なところで、無意味に死んだ。不幸ではなかった。
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