いつかに英雄の隣にいた誰か   作:幽 

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インドラ様の話です。お久しぶりです。


インドラの風
ささやかな風の幸福


 

間違って産まれてきてしまったらしい。

 

それが、その子どもにとって絶対的な事実だった。

 

 

「コーマァーユ!コーマァーユはいるか!」

 

その雷鳴のような声に、それは、反応した。

それは、なんというか、とても曖昧な姿をしていた。

年の頃は、未だ成長途中の少年のような、それとも華奢な女性のような見目をしていた。

背の低い女性のような、背の高い少年のような体躯に、華奢な骨格をしていた。

胸の細やかであれど、すらりと伸びた足や手にはまろやかさがある。

どちらとも言える体躯はしていたが、とても美しい顔をしていた。

 

腰まで伸びた青みがかった銀の髪は簡素な銀細工でまとめられ、まろい頬はそれこそ成長途中のアンバランスさを醸し出していた。

そうして、猫のような大きく、そうしてつり上がった緑の瞳は無機質さと、それと同時に甘えん坊のような柔らかさを感じさせた。

 

それはふよふよと、重さなどないように近づいてきたそれに、インドラはどかりと自分の居住区に当たるそこに置かれた椅子に座る。

 

「コーマァーユよ、どこに行っていたのだ?」

「申し訳ありません、所用をしておりました。」

「ふん、よい。酒を持て。」

「はい、賜りました。」

 

コーマァーユと呼ばれたそれは、己が仕える神であるインドラの気に入りの杯と、そうして酒を、宙から取りだした。

インドラはそれに当然のように己の膝を叩く。それにコーマァーユはインドラの膝に乗り、そうして、杯に酒を注ぐ。

酒を飲み干した、インドラは満足そうに息を吐いた。

 

「はあ、変わらずお前の用意する酒はよいな。」

「それはよいことです。」

 

インドラは上機嫌でコーマァーユの髪を上機嫌に梳る。コーマァーユの頭の上にはてなが浮ぶ。

 

「さて、今回も、俺の活躍をしかと聞き、そうして語るのだぞ?」

「はい、賜りました。」

「ああ、それでいい、コーマァーユ、お前は、インドリャーユ(インドラの風)、なのだから。」

「はい、わかっております。」

 

それに、上機嫌にインドラは微笑み、コーマァーユの唇に己のそれを重ねる。

コーマァーユは思う。

何もかも、間違ってないか、これ?と。

 

 

コーマァーユは、インドラの従者である。

彼の酒を注ぐものであり、インドラの言葉を伝え、それと同時にインドラに言葉を届けるものである。

そうして、何故か床を共にし、子どもまで作っている立場である。

コーマァーユはそれを受入れている。己の偉大なる神がそう願っているのだから。まあ、それについては拒否する理由もない。理由もないのだが、ずっと、コーマァーユは思っていた。

 

なんか、何もかもまちがっていないか、と。

 

 

 

コーマァーユは、何というか、間違えて産まれてきてしまった立場だった。

 

(・・・いいや、違うか。間違いというか、私は、産まれてきてさえ、いない?)

 

その子どもはもう幾星霜の中で繰り返した夢想を止めて意識を立ち返らせる。

 

その子どもは、本来ならば人間として産まれるはずだった。はず、という単語が着いていると言うことはそうでないということだ。

彼女、彼、性別さえも曖昧なせいでどちらも正解であるそれは、半端に産まれてきてしまった。

というのも、それはなんでも半分しか産まれてこれなかったそうだ。

半分、体が半分だとか、そういうものではなく、何か、半分しか産まれてこなかったそうだ。その辺りは産まれたばかりのそれには認識できることではないし、伝聞なため曖昧だ。

けれど、事実として、半分しか産まれてこなかった子どもを両親はひどく疎み、その様を哀れんだ他者の祈りが神に届き、それは救われた。

 

神は子どもを救ってくれた。救ってくれはしたが、半分だけ産まれてきた子どもの補強のために使った素材が悪かった。

風を使ったのだという。

そう、風だ。それも、吹いているかも曖昧な、そよ風をなんてものを使ってしまったせいで、子どもは誰にも気づかれない存在になってしまった。

 

神の手が加わり、そうして、風なんて曖昧なものを混ぜられた子どもは大人になることも、子どもで居続けることも出来ない半端な年かさで成長を止め、そうして世界を漂い続けた。

微かな、吹いているかも分からない風に気づく人はおらず、さりとて神もそんな子どもを気にはしない。

悪いことではない。そのおかげで、子どもは、風の合間に出来る隙間にそれだけが触ることの出来る入れ物を与えられたのだ。

それのおかげで、子どもは将来、神が望むときに望むままに酒を差し出すことが出来たのだが。

いや、それだけでは堪えられない程度の、多くが降り積もっていた。

 

故に、それはずっと孤独であった。

一人であり、己を認識してくれる存在もいないのなら。

それはぼんやりと、自我さえも虚ろなまま世界を眺め続けていた。

そうやって、ふわふわと漂っていたある日、それは、輝かしいものを見つけた。

輝かしいもの、というものがそれに対して正解なのかは分からない。けれど、自分にとってなんだかとてもピカピカとしていて。

 

(めが、くらみそう・・・・)

 

それは人気の無い大地において、そろりそろりとその輝かしいものに近づいた。どうせ、そよ風である自分には気づくこともないし、気にされることもないだろうと。

それは、間近で見れば見るほど美しいものだった。

 

青い、閃光のような瞳がぴかぴかとしていて。

 

(きれいだな・・・・)

 

存在すれば、誰もが目を惹きつけられるような、そんな美しい存在。自分とは違う、誰の関心を惹きつけてやまない。

なんて、素敵なものだろうか。

何か、曖昧だった自我が、バチバチと覚醒する。その瞳から、どんどん色が広がっていく。

ぐらぐらと揺れる思考の中、それでももっとその瞳を見つめていたいと願ってしまう。

うっとりとそれは輝かしいものを見つめていた。その時だ。ぐるりと、その瞳が自分をとらえたのだ。

 

「・・・そこにいる、俺を見つめる無礼者よ、何のようだ?」

 

その時のことを、今でもそれは、よく覚えている。誰にも気づかれず、誰にも知られず、誰も見ることのなかった、そよ風の子ども。

それを捕らえた輝かしい英雄のことを、それはよく覚えている。

 

青い閃光が、己の事を、貫いて。

 

 

それは、とても偉大な神であるらしい。

風の子どもには見分けというものがついていなかったけれど。ただ、これだけ美しい瞳をしているのだからそうなのだろうと納得もあった。

それは胸がドキドキしていた。だって、自分を、こんなにも美しい存在が見つめて、認識して、言葉をかけてくれる。

それだけで、胸がドキドキ脈打つのだ。

 

「・・・・はあ、それはご無礼を。何せ、私のことを認識できる方は、今の今までおりませんでしたので。」

「・・・・ふん、それで俺のことを不躾に見てたわけか。」

 

それはとても不機嫌そうで、何か、嵐の前の曇り空のように淀んでいた。

コーマァーユは、その時、何と言えばいいのか分からずに、そうだと思いつく。

 

「あの、お詫び、というのはなんですが。お酒はいかがですか?」

「酒?」

「はい。」

 

コーマァーユが使える風の隙間には、幾つかものが入っている。

その中には、酒もあり、コーマァーユは問うた。神の好きな物、というのはわからないがコーマァーユの持つものの中で一番に価値があるものがそれだった。

 

「よこせ。」

 

言葉少ななそれに、酒の入った入れ物を差し出せば、神はぐびりとそれをそのまま煽った。ぐびぐびとまるで水のように飲み干すのに驚きながらコーマァーユはそれを茫然と見つめた。

 

「はっ!お前、なかなかいいもの持ってるな!」

「え、ええ。とっておきの、ものなので。」

 

少し気分がよくなったのか、笑みを浮かべた男にコーマァーユはこくりこくりと頷いて、よかったとほっと息を吐く。

どうやら機嫌はよくなったようだ。コーマァーユは目の前の神に頭を下げる。

 

「では、私はこれで・・・・」

 

不思議ではあったけれど、それはそこから去ろうと思った。何せ、そんな偉大な神の側に侍るには役不足で、それと同時に、その神の不快をこれ以上買うのが恐ろしかった。

 

本音を言うのならば、側にいたい。

もっと、話をしたい、側にいたい。あの、青い閃光をずっと見つめていたかった。

けれど、それ以上に、目の前の存在に何か、粗相をして嫌われてしまうことが恐ろしかった。

 

誰にも認識されることもなく、世界を漂う孤独の中、それでも自分を見つめる、己を貫く閃光を!

 

それが嫌悪に染まるなんて考えたくない、忘れ去られてもいい、このまま、その自分を見つめる瞳を抱えて生きていたかった。

けれど、それに、偉大なる神は不快そうな顔をした。

 

「何言ってるんだ?」

「へ?」

「丁度、今、俺には従者もいない。そんな中、俺の元に現れたお前。」

「は、はあ?」

 

目を丸くしたコーマァーユにインドラはにやりと笑いかけた。

 

「これから、お前は俺の従者だ。わかったな?」

 

そんなものだ。

名も無く、果ては顔も無い、無益な己にその神がそんなことを言ってきたのは。出会ったばかり、互いの名前さえ知らない時のことだった。

 

 

コーマァーユは、何故か、その雷の神、英雄神、偉大なる神の道中に帯同することになった。理由はない、けれど、神に請われ、そうして自分を認識してくれるその美しい神に願われればそれを拒否する理由もない。

 

それからその風と人の混ぜ物は、コーマァーユ(ささやかな風)という名をインドラに賜った。

 

あの、青い閃光が、それだけが胸に、瞳に焼き付いてしまっていた。

コーマァーユはなんとかインドラに出来るだけのことをしようと決めた。

何せ、コーマァーユに出来ること何てふわふわと浮くことと、そうして荷物持ちになることぐらいだった。

それは、風によって形作られているせいで、顔さえも存在しない、ふわふわした何かでしかなかったのだ。

 

情けないかな、コーマァーユは、インドラの側にいることしか出来なかったのだ。何せ、それはただのそよ風でしかなく、ただ、ただ、そこにいることしかできなかった。

インドラの従者であり、酒を注ぐ者であり、荷物持ちであり、彼に風を届けるものであり。

そうして、インドラの物語を人々に囁く風。

ただ、それだけの存在だった。

 

だから、分からなかった。

何を、そんなに慈しむのかと。

 

「コーマァーユよ、どうだった?」

「ええ、今日も真に強く、偉大な行いでしたよ。」

「そうか、そうだろう。」

「ええ、さすがはインドラ様です。」

 

そう言って、コーマァーユはインドラに微笑みかける。それにインドラは上機嫌そうに頷いている。そうして、梳るように髪を撫でる。

コーマァーユは疑問である。

これは、自分の賜るべきものなのだろうか?

 

(気の多い方だからなあ。粉をかける、のはするけどそこまで長続きもしないし。妻、とかまでのつなぎなのかな?)

 

コーマァーユの全てはインドラに与えられたものだ。

それは、とてもふわふわしていて、それこそ性別も半端で、おまけに顔さえも風と混ざって曖昧だった。彼女の顔は、インドラが作ったものだ。

目には翡翠を当てはめ、銀糸で髪を作り、顔立ちも腕のよい職人にモデルを作らせ、コーマァーユの顔立ちは作られたのだ。

元々、風という不確かなものが素材だったおかげで、それは容易いことだった。

 

愛玩動物?役に立つ従者?酒の趣味がよい者?自分の物語を語る者として気に入っていた?

 

ぐるぐると回るそれに、コーマァーユは、己の子どもに聞いたことがある。

何故、あの方は私を側に置くのだろうと。それに、子どもは、少しだけ楽しそうに笑い、聞き返す。

 

「そういう母君はどうなので?」

「私?私は・・・・」

 

(・・・・・あの、青い、閃光に、目が眩んだから。)

 

今際の際に思い出すのは、そんなことだった。

 

 

コーマァーユはいつも通り、インドラの帰りを待っていた。そんなとき、突然、それの体がばらばらと崩れ落ち始めた。それに、コーマァーユは何か、本能のように察した。自分という存在を紡ぎ、くっつけた神が自分のことを解いているのだと。

それが、何故かは分からない。分からないけれど、コーマァーユはそのことを驚くほどあっさりと受入れていた。

それは、拒絶しても無意味であるというのはもちろんだ。けれど、とても冷静に考えている。

 

(・・・・風の合間にあるものは、息子でも取り出し出来るし。インドラ様の好みもちゃんと叩き込んでるし。)

 

そうだ、コーマァーユは、満足していたのだ。

多くを語らなくてもいい。コーマァーユは、インドラに会えたのだから、彼の物語に寄り添えたのだから。

それ以上の幸福なんてあるのだろうか?

 

(うん、いいや、なんとも満ち足りた生だった。)

 

笑う、笑う、笑う。

ばらばらと、体が崩れて、解けて、自分が死んでいくのが分かる。なのに、コーマァーユの心は満ち足りている。

 

コーマァーユに物語はない。それでもいい、インドラの物語こそが己の物語だった。

 

目がチカチカとする、ああ、最後に思い出すのは、あの孤独の中で、己を貫いたあの閃光!

 

(ああ、そうだ、でも、一つだけ。)

 

コーマァーユは、ふうと、息を吐いた。誰かの耳元に声を届けるその風で、最期の最後に己の主に言葉を残す。

 

コーマァーユに物語はない。コーマァーユに英雄譚はない。それでもよかった。あの日、あの時、誰にも認識されない生の中で、あの青い閃光がコーマァーユの全てを変えたというのなら。

それだけで、幸せだった。それだけで、よかった。

ささやかな風に、過ぎた人生だったのだ。

 

 

 

「私はすでに、過ぎたものを受け取っておりますので。」

 

そう言った、己の風のことをインドラはずっと覚えている。

 

 

インドラは、母に捨てられ、そうして、父に疎まれた神だった。

インドラはそれに納得していた。自分のような偉大なる神にはそれだけ警戒されてしまうのも仕方が無いことだ。そう、仕方が無い、ことなのだ。

 

父と決別したときでさえ、仕方が無いと思った。そうだ、何せ、インドラは強く、そうして偉大なる神ならば。

困難など多くある。父の元から離れ、一人旅に出たときでさえも、なんとかなると考えていた。

事実、インドラというものは強く、賢く、美しいものだったので。そうだ、何の心配も無いのだ。

そう、考えていた時だ。

ふわふわと、何か、いいようのない生き物が目に入った。

まるで霞がかったかのようにぼやけた顔に、体もまた同じようにぼやけていた。なんとか、簡素な服を纏った人型であることだけがわかった。

それは、嬉しそうにふわふわとインドラの周りを漂っていた。不敬だとも感じたが、気まぐれに声をかけた。

それが、彼がささやかな風と、コーマァーユと名付けたものとの出会いだった。

 

 

それは、本当に、ただの気まぐれだった。

神として、従者の一人もいないのはあまりにも格好が付かないではないか。

役に立つかは分からないが、自分を偉大なる神だと称えるそれのことは気に入った。

 

だが、思った以上にそれはインドラには役に立った。

風の隙間に物を保管できる、風の倉と呼んでいたそれは荷物持ちとしてちょうどよかったし、インドラが望んだときにすぐに酒を出せるのも気に入った。

 

それは、ささやかな風、そのものだった。

例えば、人々が動く度に微かにおこるものであり、声を運ぶものであり、吹けども認識も難しいもの、そうして、人々の耳にそっとインドラの物語を届けるものだった。

それは、いつしか、インドリャーユ(インドラの風)と呼ばれた。

 

最初はその程度だった。

困難な道でも、文句の一つも言わずにそれはインドラを素直に称え、崇拝し、そうして側にあった。

インドラが苛立ちに歯がみしようと、荒くれようと、それはあまり畏れも、恐れも、怖れもせずに、ただ淡く微笑み側にあった。

インドラは不思議だった。

インドラの怒りに、少なくとも、人の範疇に入るものは、遠巻きに見る。けれど、それはインドラに対して恐怖の感情を浮かべたことはなかった。

だから、それも気まぐれだった。

 

「コーマァーユ。」

「はい、なんでしょうか?インドラ様?」

 

にこにことそれは上機嫌そうに酒を持ってインドラに侍る。それにインドラは気だるそうに、けれど、内心では落ち着かない心情でそれを見た。

 

「お前は俺によく仕えている。」

「はい、それは、お褒めいただき光栄です。」

 

それはやはり、上機嫌そうな声で言った。当時、まだ顔のなかったそれの機嫌はなんとなく感じられたが、一番ハッキリとしているのは声であった。

 

「褒美はいるか?」

 

何の気無しの言葉だった。

ただ、それはとても自分によくよく仕えてくれているし、インドラの旅にずっと付き合い続けたそれに何か、疑問が浮んだのだ。

何故、それは、自分の側で、神でもないというのに、怖れもなにも持つことなく過ごしているのだろうか?

理由、理由、理由。

気まぐれと言えば気まぐれだったのだろう。ただ、何故だろうと思った。

 

インドラがそれに何かを与えたことはない。インドラが特別それに優しく接したことはない。

どこに行くかも分からない旅の中、それに怒りをぶつけたことはある。けれど、それはずっと、インドラの側にあった。

だから、問うて見たのだ。

お前はどんな、何を、神に望んでいるのだろうか?

 

それにコーマァーユはとても、困り切った声を出した。

 

「褒美、ですか?はあ?ええ、その。」

「さっさと言え!」

「・・・いえ、インドラ様。特別に、望むものはありません。」

「嘘をつけ!!」

 

苛立ちに塗れたインドラはそれをねめつけた。それに空気が震えた。それが珍しく恐怖していると察して、インドラの中で何かがぐるぐると蜷局を巻く気がした。

苛立ちに吐き捨てるように言った。

 

「俺がてめえの望む物一つ用意できないとでも思ったのか!?いってみろ!俺が・・・・」

「インドラ様。」

 

本当に珍しく、己の声を遮ったそれにインドラは口をつぐむ。それはふわふわと、いつものように浮び、そうしてインドラの顔をのぞき込んだ。

そうして、とても、静かな、けれどまるで赤ん坊をあやすときのような、そんな優しい声で語りかけてきた。

 

「私はすでに、過ぎたものを受け取っておりますので。」

 

その言葉の意味が分からなかった。だって、インドラはそれに何か、特別な物を与えたことはなかったのだ。なかったから、何を言っているのだろうと思った。反論をしようとする前に、それは静かに言った。

 

「あなたの側で、あなたに仕えられる。あなたは、私に、あなたを慕うことを赦してくださいました。」

それが、褒美と言えずして、なんといえましょうか。

 

それに、インドラは、なんと答えればいいのか分からなかった。

人が神にそういうのは当然だろうか?

いいや、それは、人なのだろうか?

人として産まれおちれども、人として生きられず、神の力で形を紡いだ半端者。されど、インドラの力の発露に怯えれども、本当の意味で、インドラを疎うこともなく、怖れもしなかった。

 

それは、いつも笑う。

インドラは優しい神だと。

母に捨てられ、父に疎まれ、荒くれる神の己が?

けれど、それが、とても、嬉しそうに自分を、優しいと、嘘ではないと分かる声で言うものだから。

インドラは、それを止めることはなかった。

 

黙り込んだインドラに、コーマァーユは、納得できなかったと悩んだのか言葉を続けた。

 

「私の父と母は、半端に産まれた私を疎ましいと捨てました。私を哀れんだ人たちは、私が消えてもすぐに忘れてしまいました。生かしてくださった神は、私をそのまま忘れました。それを、寂しいと、思ったことはないのです。それが、私には当たり前で。」

全てに無視され、漂うことだけが、私の生でした。

 

淡々と、それは語る。

産みの親に捨てられ、生きることを望んだ人々に忘れられ、生かした神はそれのことを放り投げた。

生かされただけの命、意味の無い時間。

それに、インドラは、腹の中でのたうち回る何かが決壊しそうになった。

 

「恨みは、しないのか?」

 

絞り出すように、そんなことを問うた。

何故、そんなことを問うのだろう?

疑問があふれども、それでも、インドラは問うた。それに、その、インドラの風は心の底から嬉しそうに笑い声を立てた。

 

「ええ、だって、インドラ様が、私を見つけてくださったではないですか。」

 

見えることはない、けれど、インドラはわかったのだ。

ああ、きっと、その生き物は、今、この世でもっとも幸福そうな顔で、笑っているのだと。それだけは、理解できたものだから。

言葉が、出てこなかった。

 

「私は、愛されたことはございません。ですが、インドラ様と共にいると、インドラ様に、多くのことをしたくなります。笑って欲しいと思います、おいしいお酒を飲んで欲しいと思います、勝利して欲しいと思います。あなたに、幸福であって欲しいと、そう、願うのです。」

 

これが、幸福でないというのなら、いったい何が褒美でしょうか?

 

そよそよと、ささやかな風がインドラの髪を梳るように撫でていく。それは、今、踊っているのだ。嬉しくて、楽しくて、幸せで、それは、インドラを愛しているのだと幸福そうに、きっと。

 

「私は、愛されませんでした。でも、愛することは出来ました。あなたを、あなたを愛しているから、この世がとても、綺麗で。ああ、空が、青いとわかって。」

 

何を言えばいいのだろうか。今、己の中で、がたがたと震える何かはなんだろうか?

わからない、わからない、けれど、インドラはそれに、囁いた。

 

「幸福か?」

「はい?」

「愛されずとも、愛することだけ、だとしても。それは、幸福か?」

 

掠れた声で、そう言った。それに、インドリャーユはやはり、楽しそうに、声を発した。

 

「ええ、インドラ様を愛せて、私はとても幸福です。」

 

そんなことを言った、神でもない、人としてすら産まれて来れなかったものを、インドラはずっと覚えている。

 

 

 

「親父殿、酒はいかがですか」

 

そんなことを、己の息子、コーマァーユの子が言ってきたのは、風が消えて少し経った時のことだった。

 

ヴリトラを殺された嫌がらせか、自分が生かせども、そのまま放っておいた人もどきの存在を知ったトヴァシュトリはコーマァーユにかけていた加護を解いたのだ。

 

そうして、それに、一つの風は潰えてしまった。

 

ふざけるな。

 

ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな、ふざけるな!!

 

あれが何をしたというのだ?

ただ、産まれてきただけだ。真っ当に産まれることはなけれども、ただ、微かな縁によって生き延びれども、誰からも認識されない孤独な生き物。

あれが、ただの、弱い、人にすらなれない生き物が何をした?

 

死んだ、組み込まれた風は絶え、生きるほどの生命のない肉塊は転がり、インドラの与えた宝石の瞳と、髪として編んだ銀糸だけが残った。

 

あれが何をした?

愛されることは無けれども、他者を愛せることが幸福だと、インドラを愛したそれに何の罪があったのか?

 

笑える話だ。あれは、最期の最後に、インドラに声を届けたのだ。

助けを呼ぶ声でもなく、恨み言でもなく、その風が残したのは、一つだけ。

 

愛しておりました、感謝申し上げます。

 

ただ、それだけ。

ああ、お前は、そうやって。

助けてと、そんなことも言いもせず、殺されることを受入れて。未練も見せずに死んでいくのか。

自分がどんな顔をしているのか知りもせずに、ただ、運命を受入れるのか?

 

怒りだ、腹の中で暴れ回るそれのまま、インドラは暴れた。

ふざけるなと、ただ、インドラは怒り狂い、周囲を巻き込んだ争いが起こりかけた。

が、そこで仲裁が行われた。

 

コーマァーユというそれは経緯があまりにも特異すぎるため、生き返らせるなど元より出来ない。

だからこそ、コーマァーユの息子に、その体の一部が埋め込まれた。

 

「まあ、母君そのものではないですが、混ざってはいますね。あと、おまけにトヴァシュトリ神の指をいただけたので、工巧神としての権能が使えて便利ですよ。」

 

母親である存在と混ざることになんの感慨もないのか、あっさりと受入れたそれは飄々と笑っている。インドラは、トヴァシュトリ神の指なんて欲しくもなかったが、己の息子を守る一手として受入れた。

それは、変わること無く笑っている。

飄々としたそれは、母親に似た、青みがった銀の髪と、宝石のような緑の瞳をしていた。

 

「・・・・お前は、なんともおもわないのか?」

 

それが、何の意味であるのか、すぐに理解した息子はインドラの前にことりと酒を置いた。

 

「・・・・何故ですか?あの人は、自分の愛した神からの寵愛を受け、子を産み、最期まであなたに仕えて死んだのです。好きに生きたというのなら。それを哀れむのはお門違いでしょう。」

「どこがだ!?」

 

だんと、インドラの目の前に置かれた机が、ばちばちと、怒りによって漏れ出た雷で燃えていく。それを、息子は平気そうな顔で見つめて苦笑した。

 

「母君が言っていましたよ。自分は親に愛されなかった。だが、その息子である私は、母に愛され、そうして父であるあなたに愛された。」

だから、それだけで、満足なのだと。

 

それにインドラは、はっと息を吐いた。

だって、あまりにらしいじゃないか。

あの、風が、嬉しそうにそう言っているのが見えた気がして。だから、それだけで、インドラはじっと宙を見た。

 

「新しい、酒を持ってこい。」

それに息子は、母の名前を継いだインドリャーユはうなずき、そのまま下がる。

 

そうか、とただ、思う。

未だにくすぶる思いがある。喪失感とむなしさ、悲しみ、その多くがくすぶっている。けれど、それでも、インドラは泣き笑いのように息を吐いた。

 

「・・・・俺は、そうだ、これからも愛そう。」

 

望まれなかった。けれど、道を歩き、困難な道はインドラを強くしたけれど、己の子や、己を慕う者たちはそんな思い、本来はない方がずっといいのだ。

だから、せめて、愛そう。

自分の内に引き入れたものは、あれが、それに救われたように。

 

「・・・・そうだろう、コーマァーユ?」

 

それに、それに、柔らかな風が、インドラの頬を撫でた気がした。

 




コーマァーユ
インドラや、その回りの神への伝達係として知られる。なので、お祈りの時にその名前を呼ぶと声を神に届けてくれると言われている。
不完全なまま産まれて、神の気まぐれでなんとか生き延びたが、そのまま放置されて生き延びた。
インドラの、あの、青い閃光を見た、貫かれて。
それだけでよかった、それだけで、その神を慕い、奉仕する理由になった。
インドラが何故、自分を気に入っていたのかよくわからなかった。亡くなった後、残ったものは息子に移植というか、混ぜられたので、うっすらとした意識のままインドラの側にある。

インドラ
ある意味、この世で与えられる庇護を与えられなかった神。
愛されなかったけれど、だからこそ、何かを愛せることが幸せだという存在が奇異で、珍しくて、そうして、その心に救われた。
コーマァーユのことは、妻とか、佳い女ではなく、自分の風と認識してる。そういったものとは別枠。
自分の風を奪われて怒り狂っていたが、後々はなんとか落ち着き、割り切っているように見えて割り切れていない。コーマァーユとの間に出来た息子を常にそばに置いていた。

インドリャーユ
コーマァーユとインドラの息子。母親と同一視される複雑な立場。
インドラが後に作った弟たちのことを可愛がっており、インドラと共に息子関係でよく誤ったり、トラブルを回避するために奔走するエピソードがある。
また、空耳はインドリャーユのお告げ、などと呼ばれることもあり、神の言葉を人々に伝えるものとして逸話がある。ただ、父親と違って人に困難を授ける時がある。
いや、私、母君の名前を受け継いだものだから、表記がごっちゃで母君の話が私の話として伝わってて。なんか、親父殿といちゃついてるみたいな話があるんだよねえ。え?実際の所どうなの?
そういうのは曖昧な方楽しいでしょ?だから教えなーい。
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