いつかに英雄の隣にいた誰か 作:幽
黒騎士の後悔、間違えたあの子の盲進
理由など無かった。
ただ、それの、無邪気な笑顔が忘れられなかっただけだった。
ナーダシュディ・フェレンツにとって己の人生とは、家のために消費され、消えるものでしかなかった。
別段、己の父母に言われたわけでは無い。ただ、周りが己にそう願っていることぐらは理解できた。
だから、フェレンツはそう振る舞った。
勉学に励み、騎士としても腕を磨いた。幸いなことにフェレンツは愚かでは無かったし、そうして、剣の才もあった。
皆は、生真面目に己の役割をこなそうとするフェレンツを褒め称えた。父母も、彼の頑張りを認めてくれた。
別段、何も嬉しくはなかったけれど。
フェレンツにとって、生きること自体に特別喜びのようなものはなかった。
美食をたしなめば旨いと感じたし、酒を飲めば気分が良くなる、眠ることは心地よかったし、美しい女を見れば感嘆した。
けれど、それは、彼の生を彩るほどの何かではなかったと言うだけだ。
全てが空虚だった。空虚ではあったけれど、死ぬ理由もないからと流されるように生きることにした。
幸いなことにフェレンツにこうあれと望まれることは多かったから、それを指針にして進めば良いのは楽だった。
金糸で紡がれたかのような金の髪、澄んだ若葉のような濃い緑の瞳。延々と紡がれた血によって成り立つ麗しい顔立ち。
その容姿で、にっこりと微笑み、堅実に生きていれば誰も文句は言わなかった。
家のために生きて死ぬ、それだけがフェレンツの人生だ。
生きていたいとも思わないけれど、死ぬ理由もないから日々を生きた。
フェレンツの人生とは、偏にそんなものだった。
「ごきげんよう、あなたが、私の、その、旦那様?」
そうだ、そうだったはずなのだ。
そうだったはずなのに。
「私、エリザベート・バートリーと申します。」
薔薇のように華やかな髪色、瑠璃色の瞳。どこか勝気な顔立ちであれど、人形のように整った顔。
それは、とても、美しい少女だった。
少女は、フェレンツにかむように微笑んだ。
その少女は、言ってしまえば、本当に取るに足らない子どもであったのだろう。
未だ、齢十三の、拙い少女。
花嫁として連れてこられるには、幼いとも言えたし、このぐらいは普通だとも言えたかも知れない。
所詮は、ただの政略結婚だ。身分は低くとも、血の近しかったエリザベートととは所詮、財産を守るために婚姻しただけの話だった。
未だ、十八という自分にはそこまでの発言権などないのだから結婚に口出し出来るわけも無かった。
「フェレンツ、あの・・・」
その言葉に、フェレンツはちらりと声のする方を見た。そこには、もじもじとした態度の少女がいた。
「あの、一緒にお茶でもしない?」
何故、それはそんなにも自分に懐くのか、フェレンツにも分からなかった。
ただの子どもだった。
当時、高等な貴族であるとしても、そこまで特別なところなどない子どもだった。
もちろん、当時の女としては考えられないほど高度な教育を受けており、当人も頭のよい子どもであったけど。
「いやあああああああああああああああ!!」
絶叫、それにふさわしいものだった。
目の前では、己の妻である少女がそれはそれはとんでもない勢いで癇癪を爆発させている。
理由は簡単で、フェレンツが彼女のお茶会を断ったせいだ。
ただの子どもだと、フェレンツは辺りのものを壊す勢いで暴れているエリザベートを眺める。
大事なものや手に持たれて危ないものはエリザベートの癇癪癖を知ってから手の届かないところにしまっている。
こういうときは癇癪が収るまで待てばいいのだ。暴れ回り、そうして、気が済めば疲れて動かなくなる。
幼い少女の体力なんてたかが知れているし、戦うための訓練を受けているフェレンツにはその程度を受け流すことは簡単だった。
怪我をされても面倒なため、侍女たちも部屋の外に出している。
「・・・・落ち着いたか?」
「・・・・・どうして?」
体力が尽きたのか、その場にへたり込んだエリザベートに内心ではため息を吐きつつ、目線を合わせるように屈み込んだ。
「ラテン語の宿題が終わっていないからだよ。それが終わったらお茶に付き合うから。」
「本当!?」
「ああ。」
別段、ここで嘘をつく理由もないだろうに、子どもは嬉しそうにそう言った。また机に戻ったフェレンツの側により、そうして、こちらを伺うような仕草をする。
それに、フェレンツは少しだけ考えて、軽く頷いた。
「・・・・一緒にする?」
「! うん!!」
子どもは大きく頷き、自分よりも大分大きなフェレンツの膝の上に乗った。ひどく図々しい仕草であったが、癇癪を起されるよりもましだとそのままにした。
子どもを受入れたのは、偏にそれがフェレンツに望まれる役割だったからだ。
元より、楽しいことも悲しいということも強く感じない彼は、同時に子どもへの苛立ちも特段存在しなかった。
構って欲しいとやるべき事を邪魔されても受け流し方を考えればよく、癇癪もただ治まるのを待てばよかった。
淡々と、淡々と、昔からそうあるように望まれることをこなすだけのフェレンツの人生に子守という役割が加わったに過ぎない。
何よりも、その子どもといるのは楽だった。
父を早くに亡くした彼に、母は完璧な息子であることを望んだ。
勉学に励み、武勇に優れ、そうして人に愛される少年。
作り笑いをすること自体は辛くは無かった。ただ意味も無く、楽しいと思うこともありはしないのに笑い続けるのはそれ相応に苦痛だった。
あるときのことだ。疲労感でエリザベートに構っている最中、笑わないときがあった。
子どもは、それに怯えるような顔をする。
「あの、怒ってるの?」
その時、笑みを浮かべればよかったのだろう。けれど、これからある程度時間を共にすることを考えるとずっと浮かべたくもない笑みをさせられるのもごめんだった。
だから、簡潔に答えた。
「いいや、ただ。私は、笑みを作るのが得意ではないんだよ。」
「怒っているわけではないの?」
怒る?この人生で、怒るなんて感情を持ったことさえもない。喜びも、悲しみも、表に出すほど強く感じたことなどなかった。
「ああ、ただ、ひどく楽しいことでないと笑みを浮かべることができないだけだよ。怒っているわけでも、今が嫌なわけでもないよ。」
淡々と、いつも貴公子然とした仕草ではない、どこか冷たい声音で言った。彼が放つ、素の声音で。
その言葉にエリザベートははしたなく立ち上がり、叫んだ。
「あのね!それなら!私があなたのこと、笑わせてあげるわ!」
「・・・・私を?」
「うん!」
嬉しそうにそう言ったその少女。それは、とても、不思議な生き物だった。
今まで、己の望むままにフェレンツが動くことを喜ぶ周りとは違う。
フェレンツという個を見て、フェレンツを変えるのでは無く自分で行動を起す、子ども。
それはなんだか、とても幼い仕草で、無邪気に笑うものだから。
「・・・・それは、とても楽しみにしているよ。」
ささやかな声でそう言ったフェレンツに、エリザベートは恐る恐るで問うてきた。
「それでね、あのね、あなたことフランツって呼んでいい?」
(ああ、愛称か。まあ、夫婦であるなら妥当か。)
エリザベートの方が上位であるのは事実ならば、彼女と仲良くするのは無駄なことではないだろう。
「・・・なら、私も、君のことをリズと呼ぼうか。」
自然に浮んだ笑みに少しだけ驚いたことをフェレンツは覚えている。
それから、フェレンツが喜びや悲しみを覚えるなんてことは特別無かった。
子どもは、なんとかフェレンツに喜んで貰おうと色々と手を尽くしてくれた。
が、それがフェレンツの心を強く動かすと言うことは無い。それでも、そうやって子どもが花が咲いたやらとっておきの菓子があると自分に駆け寄る様は嫌いでは無かった。
無表情に、特別感情を浮かべることのない、醒めた青年にそれでもエリザベートはずっと無邪気に微笑んでくれた。
それが、不思議で、そうして楽だったものだから。
だから、フェレンツはその子どものことを受入れた。
エリザベート、愛らしく、賢しい、己の妻。
それを、フェレンツは心の底から愛していたとは思わない。
ただ、血染めの、残虐であると称えられる己を怖れも、嫌悪もせず、幼い少女のまま慕う女が幸せであれと願う程度には降り積もる日々の中で思えるようになった。
フェレンツは、正直、エリザベートのなすことに興味はあまりなかった。彼女がそれで楽しいだとか、喜んでいるのなら、何をしようとも好きにさせた。
鈍く、ぼやけて、流されるままのフェレンツという男にとって、エリザベートとはそんなものだった。
だから、本音を言うのなら、フェレンツはエリザベートが美しいことにだって正直興味は無かったのだ。
彼は、例え、エリザベートが老いて、醜くなっても気にはしなかっただろう。彼にとって重要なのは、彼女の血統であった。そんな彼女と間にすでに子は出来たのなら、彼女の女の部分には興味は無かった。
彼女がどんな風に過ごしているのか興味は無かったけれど。それでも、幸せであれよとずっと願っていた。それだけは真実だった。
自分に笑って欲しいと、打算だとか、欲だとか、そんなものはなく、嫁いできたばかりの少女が、得体の知れない自分に笑って欲しいと願ってくれたあの日から。
家のことしか気にかけていた自分に、初めて産まれた私心であった。
だから、どうでもよかった。
彼女に多くの愛人がいたことも知っていたけれど、フェレンツはそれを無視していた。
元より、城を開ける己が悪いのだし、彼女がそれで楽しいのなら別段興味は無かった。
子どもたちが自分の子であるかどうかも、あまり興味は無かった。
大事なのは自分と彼女の子どもであるという前提で、実際に誰と誰の子どもであるかなんて重要では無かった。強いて言うのなら、自分の家を継ぐ子どもが自分の血を引いていればそれで十分だった。
「リズは、綺麗だね。」
そんなことを、いつだって囁いたけれど、本音を言うのならエリザベートが喜ぶからそうしているだけで、興味は無かったのだ。
家をもり立てることがフェレンツの人生の目的だった。けれど、あの日、流されるままに生きていたフランツには確かに私心があった。
あの日、自分に笑って欲しいと願った少女が安寧のままに生きてさえいれば。それだけでフランツの人生には十分だった。
それだけで、それだけで、彼はよかったのだ。
フェレンツが大人になり、そうして戦場に立つようになって黒騎士というあだ名が付いていた。
それは、彼が苛烈な程までに敵に拷問を繰り返したことが原因だった。
何故か?
何故、それほどまでのことをするのか?
そんなことを問われたこともある。
それにフェレンツは簡潔に答えられた。
それが合理的であるからだ、と。
戦意を削ぐには狂気を見せることが一番だ。
捕まればどんな目に遭うか、逆らえばどうなるか。
人と信頼関係を築くのは難しい。けれど、人を恐怖でがんじがらめにするのはひどく容易い。
戦場では時間をかけていられないのなら、速やかに行わなくてはいけない。
だから、フェレンツは徹底的に人をなぶり殺した。
そこには喜びはない。けれど、嫌悪も存在しない。
淡々と、淡々と、ただ、己のすべきことを行った。ただ、それだけの話なのだ。
そうだ、彼はそうあることが合理的で効率的であるからしたまでのことだ。
それは、エリザベートに人の痛めつけ方を教えたことも含まれるのか?
誰かにそう問われたときだけ、彼は、少しだけ目をそらしただろうが。
当時、エリザベートと、フェレンツの母親の関係は完全に壊れきっていた。
フェレンツの母にとって、エリザベートは家の中での権力を奪う敵対勢力であり、姓を変えることも無く嫁いできた齢十三の少女は気にくわない存在だった。
フェレンツには、当時、完全に母親を圧倒するほどの力は無かった。
だからこそ、母親では無く、母親の手足を潰すことを選んだ。
「いいかい、リズ。」
「はい?」
目の前には、母親側であり、エリザベートをないがしろにしてきた侍女が一人。
「この世には、察しの良いものと、悪いものがいる。それを分からせるときは、どうすればいいかわかるかい?」
「どうするんですか?」
瑠璃の瞳が自分を見返す。それに、フェレンツは静かに微笑んだ。
「そういうものは言っても分からないからね。体で、分からせるしか無いんだよ。」
そう言ってフェレンツはエリザベートの手に鞭を握らせた。
侍女への折檻について、フェレンツは特別感慨を持たなかった。
それは、偏に、フェレンツの家の中という極小の政治戦争で下手を売った愚か者がいたという話でしか無かった。
元々、母に仕えていたものたちの気持ちも分からなくないが、年老いた母の時代は終わり、次に来るのはフェレンツの妻であるエリザベートの時代だ。
時機というものを見定められるのならば、母の後ろ盾はあれど、大きく振る舞いすぎればそうなるとしか言いようが無い。
負ければ死ぬ。
それは、男だろうが女だろうが、貴族だろうが平民だろうが変わらないだろう。
母を押さえつけることはできないが、その手足である侍女たちのことはフェレンツの権限で押さえつけることはできた。
リズ、いいかい、傲慢に尊大に振る舞いなさい。誰も、君に逆らえないとよくよく知らしめ、分からせなさい。
大丈夫、君は、バートリー家の娘、私、フェレンツの妻。
誰も、君を傷つけられないと、理解させるんだよ。
そう言って、少女に囁いて、フェレンツは人を効率的に傷つける方法をエリザベートに教え込んだ。
それは、フェレンツにとって、幼くして嫁いできた少女に武器と、家の中での権威付けをするために行った。
忘れるな、これにあるはただの少女ではない。これなるは、誰も傷つけることの叶わない、尊きものであるのだと。お前達に、傷つけることなど赦されていないのだと。
それが、全て間違いだったと、フェレンツは生涯知る事なんてなかった。
それでも、全ての事実を知ったとき。
フェレンツは、あんなにも自分を慕う女のことを欠片とて理解していなかったのだと己にあきれ果てた。
人を痛めつけること、人を殺すこと、フェレンツはそれに嫌悪だとか、忌避だとかを持っていなかった。それは、人の営みの中で、ある程度付属される負の面だ。
だから、彼はわかっていなかった。それを、心底楽しいと思う人間がいることを。エリザベートがそんな人間であるのだとフェレンツは知らなかったのだ。
戦争、戦争ばかりで、家の中に無頓着でありすぎた。
あの子は、独りで死んだのだ。
あの子は、暗闇の中で、たった一人で、死んだのだ。
寂しがりの、誰かに見て欲しいと願う、甘ったれのあの子が。
そうやって死んだのだ。
それを間違いだったとは思わない。どんなことがあっても、なしたことの責は取らなくてはいけない。
フェレンツにとって、世界とは、全ての人間が産まれた折りに背負わされた義務のために生きていた。
貴族は家を守るため、平民は身分が低いからこそ人生を好きにされ、全ての人間はある意味で平等に他者によって動かされていた。
だから、フェレンツにとって、どんな生まれでも結局は不自由に、誰かのせいで死んでいく。
どんな豪奢な服を着て、どんなに美しい顔をしていても、それを剥ぎ取られればただの肉の塊だ。
どうしようもなく、貴族も、平民も、それだけの生き物だった。
だから、フェレンツは分かっていた。国のために人を殺したナーダシュディ・フェレンツが裁かれることはなくとも。効率的で、合理的であるために人を殺すと決めたフランツは、裁かれる日が来るのだと。
己が血によって尊ばれても、フランツが尊ばれていないことを彼はずっと知っていた。
だから、フェレンツは分かっていた。
エリザベートは、人を殺したのだ。
後悔はしていなかったのだ。
フェレンツは、彼女に人を傷つけることを教えた。それが、あの日、あの子を守るために何よりも必要だったから。
けれど、そうであるとして。
フェレンツは、あの子を戒めなくてはいけなかったのだ。
フェレンツが、エリザベートを叱らなくてはいけなかったのだ。
「・・・・願い?」
フェレンツはそんな言葉を口にして、冷たく、感情を感じさせない彼らしい表情で願うように言った。
「あの子の罪は、あの子のものだ。それを変えることはできない、私に責任の一端があるとして、全てを肩代わりしてやることは出来ない。ならば。」
せめてと、男は願うだろう。
せめて、その、暗闇の中に入ることがあっても、同じ地獄に自分は墜ちてやるべきだったのだ。
あの日、彼女を叱り、戒められなかった自分は。
あの子が墜ちる暗闇に、共に墜ちてやらなくてはいけなかった。
それだけ。
もしも、ナーダシュディ・フェレンツという男が、一人の女の人生を知ることがあったのなら。
彼は、そんなことを願ったのだろう。
恋なんてしていなかった。
ただ、あの日、あの時、フランツという男をはっきりと見つめて、笑ってと願った少女が特別不自由なく、平々凡々に飢えだとか、貧しさだとか、侮辱だとか、悲しみだとか、そんなことを知らずに生きていてくれと。
家のために生きて死ぬはずだった男がたった一つだけ抱えた私心がそれだった。
おとぎ話の中から、王子様がやってきた。
それが、少女が最初に抱いた感想だった。
金糸で紡がれたかのような髪、エメラルドのようなきらきらとした翠の瞳。そうして、誰もが見惚れるような端正な顔立ち。
それは、まるで絵画の中の住民のような、そんな完璧な笑みをエリザベートに向けた。
それだけだった。
最初に、ただ、それだけのことをされただけで、齢十三の少女は五歳も年上の少年に恋をしたのだ。
けれど、その程度の少女が恋をするのには、それだけで十分な理由だったのだ。
「フランツ!」
そうやって、幼さに甘えて、彼の名前を呼べば彼は人から見ればとても醒めたような無表情で自分のことを見返した。
「なんだい、リズ。」
その声は、端からすればとても冷たく聞こえたけれど、エリザベートはそんなことは思わなかった。
それが彼のいつもの話で、そうして、フェレンツがずっとエリザベートの味方であることを
彼女は知っていた。
初めて会った青年は、とびっきりに美しく、そうして優しかった。
未だ、女性としての魅力に欠けたエリザベートを妻として尊重してくれた。
もう、それだけで、エリザベートの恋というのは膨らんでいった。
夢を見る少女として、真っ当な考えだった。
それは、普段彼が浮かべる笑みが仮面でしか無かったとしても変わることは無かった。
彼が自然に浮かべる表情は能面のようでも、エリザベートは特別彼を怖れることは無かった。
だって、そうだろう。
リズと、そう自分の名前を呼ぶとき、彼はいつだって本当にささやかだけれど淡く、口元に笑みを浮かべていたから。
だから、エリザベートは、その王子様が自分を愛していると信じて疑っていなかった。
あの日、あの時、赤く染まった目の前で転がる肉塊を前に、よくできましたと微笑んでくれる彼にエリザベートは更に愛を深くした。
だって、ああ!
とても楽しい!とても清々しい!
あんなにも自分を見下してきた人間が、自分の前で散々に壊れていくのを見たのも、悲鳴と、血が散乱したその場で興奮にあえぐ自分にフェレンツは幼い子どもにするように自分を褒めてくれたのだ。
ほら、王子様が笑っている。
ほら、私の旦那様が褒めてくれる。
だから、自分は正しくて、自分はそれが赦されるのだと。
エリザベートはずっと、信じていたのだ。
フェレンツが城になかなか帰って来れず、女主人として生活している間は、何かとても空虚だった。
けれど、召使いで遊ぶと、その空虚さが治まってくれた。
ああ、やっぱり彼は自分のことを理解してくれている!
自分のことを継母から庇ってくれた彼。自分の空虚さを収めてくれるから。自分の楽しさを教えてくれた彼。
やっぱり、彼は自分の運命の王子様なのだ!
夢見る女は恋に酔う、愛を盲進する、現実を見誤る。
彼女の本質を理解し、彼女を叱ってくれる人は誰もいない。
そうして、フェレンツが帰ってくる間は、そんな風に召使いで遊ぶよりも彼といる方が楽しかった。
けれど、いつからだろうか、エリザベートの中で焦りが生まれた。
フェレンツはとても美しい男だった。
金の髪に、翠の瞳。まるで絵画の中の住民のような端整な顔立ち。
フェレンツの空虚な笑みを向けられるだけで誰もが彼を好きになる。
黒騎士という名前を付けられてなお、その容姿に惹きつけられる人間は多かった。
彼に見とれるような女は、目玉をくりぬいてしまいたかった。
けれど、それが出来るのも限界がある。
戦場にいる彼の周りには女の影はない。けれど、いつか、いつか、全てが終わって彼が平穏に暮らせるようになった時。
彼の周りに群がる豚共はどれだけ増えることだろう。
その時、彼は、私だけを選びつづけてくれるのか?
年を取ってなお、男ぶりの上がる彼と、老いて、肌はくすみ、皺が増える自分。
美しく、あらなくては。
王子様に見捨てられないように。
元々、己の美貌を誇っていた。だって、彼がことあるごとに可愛らしいと、美しいと褒めてくれていたから。
けれど、成長ではなく、老いるという言葉に変わってから。
エリザベートの中に、醜くなることの恐怖が生まれた。
フェレンツはいつだって、帰ってくれば、エリザベートを美しいとあの完璧な笑みではない、ささやかなそれを浮かべてくれる。
それを見れば、信じられた。
自分はまだ美しくて、彼に愛されている。
彼は、自分を女として求めてくれる。
子を産んでなお、彼は自分を美しいと称えてくれた。
けれど、心のどこかで不安になる。だから、多くの愛人を侍らせた。自分を美しいと称える威勢の存在を求めた。
そうして、彼が自分に嫉妬してくれやしないかと、そんな下心があった。
けれど、フェレンツは、多く侍らせた愛人達に何も言わない。
それは、戦争の忙しさで気づいていないだけ?実は内心では嫉妬している?
それとも、エリザベートに、興味が無い?
心の中で、ぐらりと男を信じる心と、疑いの心が拮抗する。
けれど、それでも、そんなことを心の内に飲み込んで、エリザベートはずっと信じていたのだ。
男が戦場で死ぬまでは。
死んだ、死んだ、死んだ。
エリザベートの恋しい男、美しい王子様、完璧な人。
あの人が、死んでしまった。
もう、あの人が自分に、淡いあるかどうかも分からないそよ風のような笑みを浮かべることはない。
茫然と、全てを義務的に終わらせた後、残された肖像画の中。
あの、完璧な仮面の笑みを浮かべる王子様の姿に、エリザベートの中で激情が爆発した。
ああ!ああ!!ああああああああああああああ!!!???
「ずるいわ!!」
あなただけが、完璧な、美しいそのままで逝ってしまうなんて!
これから、エリザベートが彼を思い出すたびに、この肖像画を見る誰かが現れる度に、男は完璧なそのままで微笑み続けるだろう。
これから、老いて、醜くなる自分とは違って。
全てが完璧なまま、夢のような王子様として、彼は生き続けるのだ。
それが、どうしても、赦せなかった。
いつかに、審判の日、自分は醜く老いさらばえた己を晒すのだ。完璧なまま、時間を止めた彼とは違い。
それだけは、赦せなかった。
それだけは、なんとか阻止しなくてはいけなかった。
美しいまま、生きて死ぬことだけが、エリザベートの生きる縁だったのだ。
だから、彼女に罰が下されたとき。
どうしてと、エリザベートは嘆いた。
だって、あの人はそれが正しいと言ってくれた。そうあれと、エリザベートに彼は言った。
だからそうあったのに。
誰も、自分が間違っていたと言ってくれなかったのに。
ならば、フェレンツは、自分をどう思っていたのだろうか?
もしかすれば、ずっと、フェレンツは、間違っていた自分を蔑んでいたのかも知れない。
暗闇の中で考える。
ずっと、ずっと、狂いながら考える。
それと同時に、恋に夢見る女は、最後の理性の中で信じていた。
それでも、彼は、自分を愛してくれていた、と。
ナーダシュディ・フェレンツ
家のために生きて死ぬことだけを考えていた、私心のない男、合理的で効率的であった男。人でなしの気があったし、他に興味が無かった。けれど、自分に笑ってと願う少女の存在に少しだけ変わることが出来たし、無機質な人生に素敵な蛇足が加えられた。
己の妻が幸福なら、彼女の不貞だとかも全てどうでも良かった。
が、自分が妻のことをまったく理解していなかった。だから、死んだその先があるのなら、自分のせいで、完璧で安寧に満ちていた女の人生に影が墜ちたことをずっと後悔しつづける。
彼女の罪を全て背負うこともできないのなら、叶うなら、同じ地獄に墜ちたかった。
エリちゃんシリーズに関しては、リズが楽しそうで全て流せる剛の男。ただ、メカエリちゃんシリーズに関してはどう判断すべきか悩んでいる。
エリザベート・バートリー
王子様に恋した夢見る少女のなれの果て。
王子様が自分を理解していなかったことを最後まで理解していなかったし、どうして叱ってくれなかったのか思い悩み続けた。
美しい女であり続けて自分の王子様を独占し続けたかった。が、王子様が死んで、彼だけが完璧なままでありつづけることに全部爆発した。
最後まで、彼が自分を愛していたと信じていた。信じずにはいられなかった。