いつかに英雄の隣にいた誰か 作:幽
投稿し忘れがあったので。
モードレッドの分になります。
「モードレッドがおかしいのだけど、何か知らないかい?」
それに、カルデアのキッチンにてせっせと働いていたセイアッドははてりと首を傾げた。そうして、その真ん丸とした満月のような目を目の前のジキルに向けた。
彼が体を動かすために、スカーフでまとめられた髪が微かに揺れる。それが、電灯の明かりに反射してまるで星屑を纏っているようだった。
時間は、丁度おやつを終えた後、午後。
キッチンを訪れるものたちも少なく、すでに夕飯の仕込みを終えた時間帯だ。
セイアッドは丁度カウンターで客の対応をしている時のことだ。
(・・・ええっと、モードレッドがお世話になっている、ジキル様、でしたよね。)
そう言って、小作りの顔立ちに不思議そうな表情を浮かべた。
カルデアに来て、あまり時間の経っていない彼はまだ関係を築いてはいない。
強いて言うならば、料理関係で即戦力を判断されたキッチンの番人たちとはレシピを教えてもらいあったりと楽しく過ごしているぐらいだろう。
「モードレッドですか?さあ、特別何かあったとは。」
「そうか。」
「あの子がどうかされましたか?」
「・・・・モードレッドがあの子。いや、何と言うか、少し気になることがあってね。」
「今日、起こした時も変わったことはありませんでしたし。」
「でも、モードレッドがシミュレーターを途中で辞めたんだよ?」
同意を求める様にジキルが言えば、セイアッドは不思議そうにまた首を傾げた。
「どこかおかしいでしょうか?」
「え、お、かしくないかな?」
「誰だって、何となく行動することはあると思いますよ。例えば、カレーが大好きな人でもたまーに、ラーメンが食べたくなることだってあるじゃないですか?」
「そ、うなのかな?」
ジキルははてりと首を傾げる。
「はい、きっとそうですよ。」
そう言ったセイアッドの目は、それを真実と確信していた。こういってはなんだが、年恰好に比べて純真な心根のセイアッドにそう言われると、そうなのかと納得してしまいそうになる。
ジキルも、確かに何かしらおかしなことがあれば、この自分以上に長い付き合いの、未だに信じられないことだが、彼が何かしら気づくだろう。
「・・・・そうなのかもしれないね。」
「そうですよ。さあ、せっかくカウンターまで来られたんですから、何かいかがですか?」
「じゃあ、コーヒーをくれないかな?」
「はい、分かりました。」
そう言って、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「・・・・・ううう。」
呻き声に似た声に、セイアッドは目を見開き、そっと隣りのモードレッドを伺った。
ちらりと、部屋の中にある時計を見ると、時間は未だに夜中だ。
(サーヴァントは、夢を見ない。)
そんなことを、とある夢魔から聞いたのはいつのことだろうか。
カルデアにはそこまでの部屋数があるわけではない。そのために、王など特例を除けば相部屋になっている。
古参のモードレッドとセイアッドはもちろん違う部屋ではある。が、セイアッドの宝具を使えば一時的に彼女の私室をカルデアに出現させることができる。
二人は、その部屋で時折共に眠った。
カルデアにおいて、彼らの関係性が変わったかと言えばそんなことはない。
彼らは、再びを望んだのであって変化を願ったわけではないのだ。ただ、昔のように「おかえり」と「ただいま」を望んでいたにすぎないのだ。
ただ、強いて言うならば、同じ寝床に入り、丸まって共に眠るようになった。
特別に、何かをするわけではない。ただ、同じベッドの中でまるで仔犬のように身を寄せ合って眠るのだ。
それは、なんだか、ひどく安心する。
朝、起きた瞬間に、モードレッドの髪がきらきらと光る瞬間を見るのがたまらなく好きだった。
その、白い瞼が開かれて、エメラルドが瞬くのを見るのが好きだった。
いつか、終わる夢だと知っているから。時折、無性に寂しくなる。終わる時を想って寂しくなる。
だから、少しの間だけ、抱き合って、身を寄せ合って眠るのだ。
唯一人、己が座で、その温もりをよすがに、またいつかを考えれば少しだけ切なさが軽くなる様な気がした。
昼間に、ジキルに言われて黙っていたがセイアッドもモードレッドの様子がおかしいことには何となしに気づいていた。
何故言わなかったと言えば簡単な話で、モードレッドがそのことについて口にしなかったからだ。
モードレッドは強い。どんなことにだって、まるで何事もないように背筋を伸ばして立ち上がるのだ。
ならば、そんな彼女が黙っていることならば自分の中でどうにかなることなのだろう。そうして、もしも、本当に駄目だとしたら彼女はきっと誰かを頼る。
誰にも頼れなかった昔だって、彼女はちゃんと自分に頼れていた。
セイアッドは、モードレッドがもう一人だけで立たなくていいことを知っている。彼女の側にいてくれた、たくさんの誰かのことを知っている。
それが、嬉しくてたまらなくなる。
だから、セイアッドは何も見ないし、何も聞かない。彼女がそれを望んでいないと知っているからだ。
だから、セイアッドは瞼を閉じて、そっと眠りの中に戻った。
己の騎士が、優しい夢を見ることを願って。
「さあ、モードレッド。起きてください。」
そう言って、セイアッドは眠っているモードレッドをゆすぶり起こした。吹雪のために太陽の存在を感じることは出来ずとも、文明の利器である時計というものはしっかりと今が何時であるかを示していた。
先に起きて素早く身支度を整えた彼は、特別な予定はないとはいえ習慣として彼女を起こす。
「・・・・ああ。」
寝起きが良いとは言えないモードレッドはまるで起きた直後の猫のように目をこすった。
セイアッドはそれに温かい蒸しタオルを差し出した。モードレッドは慣れた様子でそれで顔を拭いた。
服を気にしなくてもいいのはサーヴァントの良い所だとセイアッドは思っている。
ベッドに座った彼女の後ろに座り、絡まった髪をするすると梳いていく。そうして、慣れた手つきでそれを後ろでまとめた。
「はい、今日もとても素敵ですよ。」
「・・・・・毎朝律儀だなあ。」
「あらあら、騎士様は寝癖の付いた髪で人前に出るんですか?」
茶化す様にそう言えばさすがに罰が悪かったのか、モードレッドはぷいっと視線をずらした。
それにセイアッドはまるで少女のようにくすくすと笑う。
「さあ、そろそろ朝食に向かいましょう。明日は、私は朝のご飯の当番なので起こしてあげられませんからね。ちゃんと自分で・・・・」
そこでセイアッドは言葉を止めた。何故か、モードレッドは少しだけ沈んだような調子で床を眺めていた。
セイアッドはそれに薄く微笑み、出来るだけ穏やかな声音で問いかけた。
「ご飯を食べる気分じゃないですか?」
それにモードレッドは何も答えなかった。代わりに、己の隣りをとんとんと軽く叩いた。セイアッドはそれに、モードレッドが何を望んでいるのかを察して、そこにそっと座る。
すると、モードレッドは断りも無く、ぼすりとその膝に頭を乗せた。セイアッドの腹の方を向いているため、顔はよく分からない。
腹に感じる微かな息が温かった。
セイアッドはそれに何も言わずに、その頭を撫でた。まとめられた髪は、それでも柔らかく撫で心地がよかった。
「・・・・俺、そんなにおかしいか?」
「私に甘えてくるぐらいでしょうか。」
やんわりとそう返せば、モードレッドは微かに肩を震わせた。そうして、そうかと小さく呟いた。
「・・・・夢見が悪いんだ。自分の、醜い未練を見せつけられてるような、そんな、嫌な夢を見る。」
脈絡もなくそう呟いたモードレッドに、セイアッドは何も言わなかった。きっと、何か、話したいことを彼女なりに整理している最中なのだろう。
「なんどか、昔は見た夢だ。そん時は、叶え叶えってまるで涎を出すぐれえの夢だった。だが、今は忌々しくて仕方がねえ。振り切った、はずだった。だってえのに。」
今になって、その夢を見る。
沈んだ調子で、彼女はそう言った。
セイアッドはそれに、考える様に首を傾げて不思議そうに口を開いた。
「それって、駄目な事なんですか?」
セイアッドの言葉に、不機嫌そうな顔でモードレッドは頭をもたげた。
「・・・なさけねえ。」
それにセイアッドは苦笑する。
「未練のない人間などいないでしょう?」
「お前にも、未練があるのか。」
それを、モードレッドは正直な話をすればひどく意外な気分で聞いていた。
言っては何だが、モードレッドはセイアッドの世界の中心にいるという自負がある。それは彼の短い人生で、己だけがその世界に入り込めたためだ。
セイアッドは、自分と再会した。ならば、彼の未練とは、なんだろうか。
そんなモードレッドの思考など分からないセイアッドはぼんやりとその頭を撫でている。
「・・・・未練、というのは違いますけど。もしもを、考えることはよくあります。」
「もしも。」
もしも、確かにそれはなんとも甘美に聞こえる。
もしも、もしも、ああなっていたらとモードレッドも考えないわけではない。
「誰にとて、心に遺していることはあります。どうしようもなくて、それでもと願うことは。ですが、それはけして悪いことではないのですよ。」
「どうしてだよ。」
「もしもを願うからこそ、より良い未来を望めるからです。」
例え、未来の無い私たちでも、少しだけ前に進めることができるかもしれません。
そう言って、青年は淡く笑った。
「・・・白状すると、少しだけ魔術を使って、そんな夢を見ていたりして。」
「は?そんなことしてたのか?」
モードレッドは思わず起き上がり、セイアッドと向かい合った。
「マーリン様からちょっと教えてもらいまして。」
「あいつには近づくなって言ってんだろう!話してると赤ん坊出来るぞ!」
「モードレッド、私が男の子だって忘れてませんか?」
呆れた様な声音に、それでもモードレッドは不機嫌さを隠しもせずにセイアッドを見た。どうしても、あの人でなしと自分の姫が関わっていることはお世辞にも嬉しくはない。
それを見ていたセイアッドは穏やかに微笑んだ。
「少しは、力が抜けましたか?」
「・・・・まあな。」
短くはいたそれに、セイアッドは頷いた。
「モードレッド。その未練は、晴れそうにありませんか?」
モードレッドはその言葉にゆっくりと顔を向けた。どこか、迷子のように揺れる瞳に、セイアッドのまるで母のような笑みが映っていた。
「その未練が、あなたにとってどんなものかは分かりません。でも、モードレッドはどうしたいですか?」
「俺、は。」
「その未練をどうしたいのか。あなたなら、きっと大丈夫ですよ。」
セイアッドは、そう言って、彼女の頭をそっと抱き込んだ。
あなたは、私の自慢の騎士様だから。
とんとんと、背を叩いた。
それに、柄にもなく、ああとモードレッドは少しだけ目を閉じた。
ジキルのことを、母の様だと言った少年少女の言葉の意味が少しだけ分かった気がした。
割り切ったと、もういいのだと、そう語りはしてもモードレッドはきっと、父への執着を忘れることは出来ない。
彼女は吠えた。あの丘で、父に殺されるその時まで、ただ吠えた。
ああ、どうだ。貴様の大事なものを滅ぼしてやった。この身を認めぬ憎き人、愛しい人よ!ああ、そうだ、憎めばいい!殺せばいい!
だから、どうか、俺を見て。
その声を、何時かの誰かは、まるで子どもの泣き叫ぶ声に似ていると言った。
忘れることなどできはしない。
憎まれていい、嫌われていい。だから、だから、あなたの特別になりたかった。
モードレッドは死人だ。世界に取りついた、語り継がれた物語の影だ。
死ぬその瞬間で止まってしまった彼女には、それを忘れることは叶わない。
それを、モードレッドは心の内で少しだけ苦笑した。
王になりたかった。
けれど、それは例えば、理想があるだとか、守りたいものがあるのだとか、そんなものではなく、ただ美しい星のような父に認められたかっただけだった。
そうして、己のたった一人。己の姫君、月のような人。彼との、約束を守りたかっただけだった。
今に思えば、彼女を王が認めなかったのも道理だ。
血縁で動く人でもなければ、路傍のものへの祈りを持たぬモードレッドに己の後を託すような人ではない。
それが、彼女には分からなかった。それを理解するには、あまりにも王は遠く、そうして彼女は幼過ぎた。
モードレッドは本音を言えば、人が嫌いだ。
例え、どれほどまにで彼女の王が人を、民を愛していようと、モードレッドはそれでも人の醜さを知っている。
賢しい獣を、ただ、人と呼んでいるに過ぎぬならば、彼らのために何を祈ればいいのか分からかった。
結局、人は彼女の王を裏切り、自分についた。それだけがすべてだ。
人は裏切り、憎み、誤解し、殺し合う。
王になりたい。
民のことなどどうでもいい。弱さゆえの愚かな者たちなんて、知りはしない。
ああ、でも、それでも。
あの、美しい人の背負ったものを、欠片でもいいから背負いたかった。
笑って、ほしかった。
結局のところ、モードレッドにとって王になるとは手段であって、それがなくなればさほどの興味もわかないものだった。
それは、昔の夢だった。自分が王になりたかった理由が分かれば、立ち消えてしまう夢だった。
けれど、あの子に、また会った。
自分の全てを肯定してくれた人、自分の願いを美しいものとしてくれた人。
美しいものを見せたかった人。
彼に会って、そうして、過ごすうちに耳元で問いかけが反芻した。
あなたは、どんな王になりたいですか?
そう言えば、と。ふと、思い出す。
そんなことを問いかけたものがいた。
王?
人の王なんてまっぴらだ。あんな、醜いものの幸福などのために。
そう思って、でも、ふと頭に浮かんだのだ。
生きたいからと、世界を救うなんて旅に巻き込まれた凡人の姿を。
己と同じ作られただけの、短い少女の生を。
絶望の中で、それでも生きて行こうとする星見台の人々のことを。
最後まで美しい人だった、月のような彼を。
そうして、そうだ。
何時かのどこかで会った、茶色の髪に、サングラスをした、とあるマスターのことを。
もしも、もしもの話だ。
彼らが住まう国の王になったのなら。彼らのような、誰かの生きる国の王になるのだとしたら。
自分はどんな王になりたいだろうか。
そんなことを、ふと思った。そうして、時々考えるようになった。
そんなある日、夢を見た。
もういいのだと割り切ったはずの、父のようにと願った、選定の剣を引き抜く夢を。
忌々しい、忌々しい。
違う、自分はそれを振り切ったのだ。間違った願いを抱いていたのだと分かったのだ。
だから、また、己の本当の願いを考えていたのだ。
自分の、醜い執着を見せられているようだった。
自分は、王になりたいのだろうか?
王になって、何をなしたいというのだろうか。
認められたかった。焦がれ続けた父に。星に、手を伸ばしたかった。
あの子との約束を、守りたかった。
ああ、でも、もしも。
もしもの話。
あのまま、王になっていたのなら。あのまま、あの子を国に呼べていたのなら。
自分は、どんな王になっていたのだろうか。
(・・・・叶うなら。)
凡人のマスターが讃える様な、あの作られた少女が生きていられるような、あの面白い男が悪くないと笑う様な。
あの子が、笑っていられるような、国であってほしい。
そんな国の王でありたい。
選定の剣を前にして、少しだけ揺らがなかったわけではない。
その瞬間、もしも、剣を引き抜けばそれだけでモードレッドの未練は終わる。
王として認められ、そうして、彼との約束だって果たすことができる。
抜ける自信があった。
その程度には、彼女は優秀で、賢しく、強かった。自分には勝利の女神がついている。女ではないけれど。
けれど、その気持ちを彼女はそっと蓋をした。
(・・・・俺はまだ、どんな祈りを抱くか、分かってねえ。)
モードレッドはようやく、種を己の中に見出したのだ。
誰のための、どんなふうで、そうしてどこに行きつくのか。
彼女は、ようやく、自分だけの夢を手に入れたばかりだ。きっと、自分の夢を始めるのはもう少しだけ先のことだ。
まだ、その夢は、形だって出来ていない未熟なものだ。それでも、いつかにたどり着くと信じられた。夢に、願いに走り抜けようとした誰かを知っている。
己だけの祈りを抱くその時に。
だから、モードレッドはその剣を否とした。
きっと、それでよかった。抜かなくてよかった。夢の終わりを見るのはあまりにも早すぎるから。
眠気に身を委ねるその瞬間、彼のことを考えた。
あなたはどうしたい?
それにモードレッドは笑ってしまう。
夢の終わりは、夢の始まりなんて。
なんておかしな話だろうと。
さあ、自分の話を彼にしよう。
あの、窓辺のお茶会で、自分の未練の話をしよう。みっともなくて、恥ずかしい、それでも彼には知っていてほしいと願う。
それは、モードレッドの誓いの話だ。遠い、いつかに、願う先にたどり着くための願いの話だ。
そうして、夢の終わりを語ったら。
新しい、夢の話をしよう。
そうだ、いつだってモードレッドの冒険譚は、彼とのお茶会から始まるのだから。
ふと、何故か、モードレッドは草原に立っていた。
確かに己は夢の終わりに、眠気に身を委ねたというのに。
そこは、突き抜ける様な青空と、そうして青々とした草原が一心に広がっていた。
そうして、風に乗って花びらが舞っていた。
それに、モードレッドが声を上げようとした瞬間、辺りがぼやけ、そうしてモードレッドの意識が一瞬だけ途切れた。
警戒に、体を固めたモードレッドが目を開けば、そこには何故かキャメロットの城下町の光景が広がっていた。事態に混乱したモードレッドが辺りを見回せば、どうも王の凱旋なのか、民が大通りに押しかけていた。歓声に、思わずその方向を向いた。
そこには、信じられないような光景が広がっていた。
「お、れ?」
そこには、モードレッドがいた。ちょうど、王があるべき場所、先陣を切って己は城下町を進んでいた。
それに、モードレッドは察したのだ。これは、自分が王になった夢であると。
驚きで固まった彼女の視界がぐるりと回る。
それと同時に、今度は自分がキャメロットの城の中にいることに気づいた。そうして、視線を回せば、その廊下を自分が歩いていることに気づいた。円卓の騎士に混じって、何かしらを喋っている自分が見えた。
それは、まさしく、自分の日常であったものだった。
そこで、またぐるりと視界が回る。
視界が回るたびに、モードレッドは何故か己の姿を見た。
もしも、反逆を起こさなければ、モルガンの元に留まっていれば、王に殺されなければ、王を殺さなければ。
それは、モードレッドが考えつかないような、もしもに溢れた映像だった。
その中には、モードレッドが女として生きている光景もあった。
モードレッドは、それに怒らなかった。
それは、単純な話、その夢を見ているのが誰であるかを察したためであった。
「セイアッド。」
己が、ただの村娘として生きて居られればという、いつかを見た後モードレッドは彼女が発するにはあまりにも優しい声音で囁いた。
それに、周りの景色が全て揺らぎ、まるではじけるように広がった。
そうすると、モードレッドはとある草原に立っていた。
そこには、ぽつりと、一人の青年が何故か蹲っている。
突き抜ける様な青空と、そうして風の吹き抜ける草原の中に、そんな存在があるのはなんだかひどく場違いのように思えた。
モードレッドはゆっくりと、そのドレスを纏った青年に近づいた。
「セイアッド。」
青年は、それでもうずくまったまま微動だにしなかった。
「・・・・どうした、気分でも悪いのか?」
モードレッドは今までのことを問うのではなく、そう言って彼の背を軽く叩いた。
「・・・・すいません。」
掠れた声が、彼からした。
「何故か、あなたの夢と、私の夢が混ざってしまったみたいで。不快なものを、見せてしまってすいません。」
震えるような声は、動揺のほかに、もっと別の感情が混じっている気がした。
「すいません。すいません、今は。」
掠れた声で、そういう彼をモードレッドという少女はそうかといってさっさと立ち去るだろう。
何よりも、自分が見させられたあの夢は、本心を言えば不快だった。
モードレッドは騎士として生きたのだ。
例え、想像と言えど、そう言ったもしもと言える何かを他人に考えられるのはなかなかに不快だ。
騎士として生きた。反逆者として死んだ。
もしもは、確かにあったかもしれない。それでも、そう生きたのならば、最善ではなくとも、最良であったのだと信じている。
それでいいと、思っている。
けれど、モードレッドの胸には、不思議と怒りは湧き上がっては来なかった。
それは、きっと、彼であったせいだろう。
彼だけは、彼は、己を侮辱などせぬだろうと、憐れみなどはせぬだろうと、そんな確かな信頼があった。
無視しても、よかった。
話したくないのだろうと割り切って、捨て置いたってよかった。
けれど、モードレッドにはそれが出来なかった。
何となしに、察せられたのだ。
きっと、彼は、前の己と同じように変な袋小路に立っているのだと。
未練に似たものがあるのだと、彼は確かにそう言った。ならば、それは何だろうか。この夢に、彼は何を見出したのだろうか。
それを、問いたくなった。無粋だというならば、それでいい。けれど、ずかずかと悩んだ己に踏み込んできたのはきっと彼だって同じだ。
御相子なのだろ。
「なあ、あれが、俺のもしもがお前の未練か?」
幼子をあやすような、声音に、セイアッドの肩が揺れた。そうして、彼はゆっくりと顔を上げた。
涙でぐちゃぐちゃな顔は、まるで幼子のように愛らしかった。
「・・・・怒りませんか?」
思わず、自分の口から飛び出したそれにセイアッドは恥じ入るように視線を下に向けた。
けれど、そう問いかけずにはいられなかった。彼にも、自分が彼女に取って不愉快なことをしているという自負はあった。
それでも、一人遊びを止めることが出来なかった。
それは、彼の矛盾を慰める唯一の方法であったからだ。
「・・・怒るか。別に怒りゃしねえよ。ただ、どうしてか、理由は知りてえ。」
それに、セイアッドはつばを飲み込んだ。夢の中だというのに、その感覚はやけに生々しい。
セイアッドはゆっくりと立ち上がった。そうすれば、少しだけ背の高い彼が彼女を見下ろすことになる。
「・・・・理由。」
オウム返しのように、そう言った。
話したくはなかった。それは、言ってしまえばセイアッドにとって恥としてとらえられていることだった。
恥ずかしい、恥ずかしくてたまらない。どうして、そんなことを考えてしまったんだろうか。
馬鹿らしいと、人は言うかもしれない。けれど、セイアッドにとっては一度考えてしまえば、止まらなくなってしまうことだった。
「セイアッド。」
己の名を呼ぶ声がした。それに、彼はゆっくりと己の騎士を見上げた。彼女は、やっぱり穏やかに微笑んでセイアッドを見ていた。
分かっているのだ。きっと、モードレッドはセイアッドの弱さを赦してくれる。けれど、それでもその弱さはセイアッドの恥だった。
「言いたくないか?」
「・・・・あんまりにも、情けなくて言えません。」
そう言えば、モードレッドは少しの間考え込む様な仕草をした後に、唐突に口を開いた。
「なあ。セイアッド。じゃあ、俺の話を少しだけ聞いてくれるか?」
「え?」
「茶会の席じゃねえけど。いいさ。お前と俺がいる。だから、話すには相応しいだろうよ。」
向かい合った二人の間を、花びらを纏った風は吹き抜けた。
彼女は、彼に語った。己の夢、過去の話、未来に持ったもの。
それをセイアッドはずっと聞いた。まるでそれが世界の全てであるように。
語り終えたモードレッドはふうとため息を吐く、彼女は言った。
「・・・・少しだけ、お前に話すか迷ってたんだ。」
「どうしてですか?」
「お前に、あんだけ王になるって言ってたがな。裏を返しゃあ、俺の夢には祈りがなかった。夢への祈りが。輝きにだけ目を奪われて、目的じゃなくて手段に成り下がった。俺の夢は、王になるんじゃなくて、父上に認められることだった。あの夢も、はっきり言えばあの女から刷り込まれたもんだったのかもしれねえ。」
「それは。」
「それでも、俺はお前のおかげで、王になるという夢を抱くことが出来たんだ。」
何故なりたいのか、どんな王になりたいのか。
それを、モードレッドは問われ、そうして答えを問うた。
モードレッドだけの、どこかに行きたいという、行きつきたいという祈りなのだ。
どうして、アーサー王に認められたかったのか。あの人に、見てほしいという渇望はきっと収まらない。それは、寂しい寂しい、子どもの声だ。
けれど、モードレッドは寂しいだけの子どもではない。モードレッドには、自分だけのお姫様がいる。
寂しき人よ、気高き人よ、孤高なる人よ。
あなたは、救われたのですね。
カルデアに来て、彼の王と関わるうちに、モードレッドは少しだけ気づいたことがあった。彼女は、彼女なりに、何か、輝かしい答えを得たのだろうと。
モードレッドの時間は止まってしまった。彼女は死人だ。
大人になることは出来ない。
それでも、前に進む時はいつかやって来るのだ。
未来がどんなものか知っていても、何かを得ることがきっと出来るだろう。
「俺は、前に進むから。立ち止まってばっかじゃいられねえだろう?だってよ、俺は王になるんだからな。」
それは、今更過ぎる宣言で。初々しすぎるそれは羞恥を刺激された。それでも、モードレッドはセイアッドに言葉を紡いだ。
「・・・・なあ、セイアッド。だから、誓いを一つ、くれないか?」
「誓い?」
それに、モードレッドはゆっくりと跪いた。
「我、反逆の騎士なり。父を、友を、全てを裏切りの果てに崩壊させしものなり。それでも、なお。我はここに、一つの誓いを立てる。我が、唯一よ。我が、月の姫、セイアッドよ。汝に、我は誓う。俺は、王になる。俺にとって、美しいと思えた、誰かが笑っていられるような王になる。」
遠い何時かの果てに、王になり、その隣に汝が在ることを、願う。
それは、きっと祈りの言葉だ。
いつか、あなたと共に夢に行きつくという祈りであり、誓いだ。
死で別たれた互いが、いつか、死の先で共にあるという祈りだ。
それに、セイアッドは狂おしいほどの何かを湛えて、微笑んだ。
「・・・・ええ。モードレッド。あなたが望むなら、いつだっておそばにいますよ。」
そこだけが、私の居場所だったから。
跪いたモードレッドが、立ち上がった。それに、セイアッドはどこか苦笑交じりに囁いた。
「・・・・モードレッド。私は、カルデアに来てからものすごく、傲慢なことを考えるようになってしまったんです。」
「お前が?」
「何ですか、私だって色んなことを考えてるんですよ?」
そう言って怒るような仕草をしても、すぐに沈んだように顔を傾けた。
「私はね、モードレッド。あんな結末になるって知ってても、あなたと会うことを願い続けます。ええ、だって、あなたは私の運命だったから。女の子で、私のところまで来られる人なんて、あなたぐらいだった。確かに、あなたは私の運命でした。でも、カルデアで、物語の枠の外で、出会った人たちが仲良くしているのを見て、思ったんです。」
私にとってあなたは運命でも、あなたにとって私は運命だったんだろうか。
セイアッドはぼんやりと、そう囁いた。
だって、そうだろう。
セイアッドはある意味、モードレッドに会うことしかできなった。でも、モードレッドは何か、何かが違えば、もっと違う誰かに出会えていたのかもしれない。
セイアッドは、それに、ようやく自分がひどく傲慢なことを考えていたと気づいたのだ。
自分と同じように、モードレッドだって自分がいればいいなんて。
モードレッドは、彼女なりに聖杯戦争にだって出て、そうして彼女なりにカルデアで出会いを繰り返している。
それは、嬉しいことだ。けれど、寂しくもあった。
彼女と、自分の知らない誰かを話している時に、気づいてしまったのだ。
自分よりも、彼女には良き運命があったのではないかと。
それをぐるぐると考えて、そうしてたまらなく恥ずかしくなった。
セイアッドに何が出来た?
彼女の手助けを確かにした。でも、そんなことはきっと他の誰かが出来たことだ。自分じゃなくたってよかったはずだ。
あの時、モードレッドが自分を拒絶したとき、確かに彼女は自分の運命だった。それは、本心だった。
けれど、彼女に取って自分は運命だっただろうか。
大好きだ、大事で、愛おしくて、笑ってほしくて、夢をかなえてほしくて、彼女の見た美しいものを共有したくて。
ああ、でも。自分は、彼女に何がしてやれただろうか。そんなことばかりを考えて。恥ずかしくなってしまったのだ。己の傲慢さに、心から嫌になって。
そこで、セイアッドは気づいたのだ。
モードレッドは輝かしい夢がある。けれど、自分は?自分の夢とは何だろうか。
セイアッドの夢は、モードレッドとずっと一緒にいることだ。もう、離れることのないように、彼女の幸福を見守っていることだ。
けれど、その夢はかなっている。ある意味では。
自分は、モードレッドに何もかもを、背負わせ過ぎなのではないだろうか。
幸福も、悲しみも、彼女へ抱くのはあんまりにも弱すぎるのではないだろうか。
そんなことを、考えてしまった。
「あなたの、幸福を考えて。色んな、あなたを考えて、どうすれば、もっとより良い未来があったのかって考えて。私は、あなたのことが大好きで。でも、私は、あなたの最善じゃなかったと思ったら。あなたの、もしもを考えてたんです。」
もしも、もしも、こんな願いを抱かなくてよければ。そんなことを考えて。
自分には、価値があっただろうか。
モードレッドから誓いを差し出されるほどの、何かを自分はなしただろうか。
夢とは、終着点だ。
自分の終着点を、他人にゆだねている自分とは何なのだろうか。
セイアッドは、言葉の後に、黙りこんだ。
呆れられると思った。
だって、自分は情けなくて、弱くて、下らないことを考えて。
きっと、彼女に呆れられてしまう。
そんな彼女に苦笑がかけられた。
「馬鹿だなあ。」
その声が、あんまりにも穏やかだったものだから、セイアッドはゆっくりと彼女を仰ぎ見た。
そこには、きっと、セイアッドしか知らない、優しい微笑みを浮かべた騎士がいた。
「お前だから、俺は俺だけの何かを持てたんだ。」
モードレッドはそう言って、その頭をそっと撫でた。
「私だから?」
「当たり前だろ。だって、お前は、俺を俺としてそのままそっくりと受け入れてくれた。」
きっと、彼は理解していないだろう。あの時代に、あの場所で、女のまま騎士になり、堂々と王になると宣言した自分を、彼は一度だって否定しなかった。
それは、ある種、常識を知らなかったということもある。
けれど、それでも、あの時、彼は歪な己を受け入れた。
「それはな。俺にとって、特別だったんだ。お前は分かってないんだよ。俺にとってだって、お前は確かに運命だったんだ。」
それは、あまりにも、あまりにも、優しいだけの声音だった。
それに、セイアッドの目からぼたぼたと、涙がこぼれた。透明な、滴が、零れていく。
モードレッドは、それにセイアッドを抱きしめた。
「お前は強いぞ。なんたって、あの女を前に死んでも啖呵を切ったんだぞ。お前は、俺の誇りを守るために、あの時、負けようと勝てない癖に戦ったんだぞ。お前は、強いよ。」
鎧は、痛くて、固いのに。どうしてだろうか、温かった。
セイアッドの目から、暖かなそれが零れては、鎧を滑り落ちていく。
「お前は、強いよ。強くて、自慢で、綺麗で、飯が旨くて、俺だけの、俺の運命だ。なあ、誰かをずっと思い続けるのは難しいんだ。俺は、裏切りを知っている。父上の味方だった奴らの薄情さを見ろよ。人はな、変わる。でも、お前は、ずっと俺の事を考えてくれてたんだ。俺だけの、お姫様でいてくれたんだ。お前の夢は、優しいよ。誰かのことを想い続ける、強くて、優しい願いだよ。」
それに、セイアッドはたまらなくなって、ぐずりと哭いた。
「・・・・・なあ、セイアッド。待っててくれるよな。俺の、夢がいきつくところに、共に、来てくれるか?」
「・・・・・はい。ずっと。ずっと、待ってます。もしも、待ちきれなくなったら。」
また、会いに行きますね。
それに、モードレッドはああ、ありがとうと頷いた。
ああ、それでよかったのかとセイアッドは安堵した。
大好きな人を待ち続け、そうして何時かを望むこと。それだって、十分に、夢であってよかったのだ。
「・・・・・やっぱり、マーリンが黒幕だったの?」
「まさか。確かに、彼には夢を見るための魔術を伝授したけどね。この結果になるのは私だって考えていなかったよ。」
そのマスターである子どもと、そうして夢魔の魔法使いはとある草原に立っていた。
突き抜ける様な青空と、青々とした絨毯のような草原と、そうして色とりどりの花びらが風に舞う。
その中で、二人の少年少女が踊っている。
それは、でたらめなステップで、作法なんて知るものか、などと聞こえてきそうな踊り方だ。
けれど、満面の笑みで笑う彼らはそれを心の底から楽しんでいると分かるから。それでいいと納得してしまう。
不思議なことに、彼の服装は、踊るたびに変化した。
青年のドレスが、タキシードに変わることも、古めかしい軍服のようなそれになることも、そうして平民のような古ぼけたものにだってあった。
そうして、それは少女だって同じだ。鎧が、タキシードになることも、もっとラフなショートパンツにジャケットになることも、美しい真っ赤なドレスになることだってあった。
けれど、二人はそんなこと気にしない。だって、そこにいるのはお互いだけで。互いに、服装なんて気にしないのだ。
だって、どんな格好でも、彼にとって彼女は彼女で、彼女にとって彼は彼だ。
黄金と白銀が、ターンのたびに、きらきらと光って、まるで光が踊っている様で。
翻る、白いマントに、真っ赤なスカートがまるで血潮の様で。
そこには、美しい、幸福そうな、少年と少女がいた。
それは、まるで夢のように美しい光景だった。
「・・・・・じゃあ、なんでこんなの見せるわけ?」
マスターは、きっと忘れられない光景をじっと見つめた。それに、夢魔は肩を竦めた。
「・・・・例え夢であったとしても、綺麗なものは共有したくなるものだろう。それに、何故だろうね。君には、覚えてほしかったんだ。」
そう言ったマーリンの横顔は、能面のように無表情だった。けれど、藤丸立香はそれが、マーリンの素の顔であると察した。そうして、彼はまるで独り言のように囁いた。
「・・・・確かに、彼らは大人にはなれなかった。そうして、彼らは彼らの持った物語を背負い続けるだろう。けれど。心は成長する。」
大人になれなくても、恋を知ることも、愛を得ることも彼らは確かにできたんだね。
どんなに生きたって、それを得ることのできなかったものもいるのに。
そう言ったマーリンが、何故か寂しそうに立香には見えた。