いつかに英雄の隣にいた誰か   作:幽 

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アーラッシュの続きになります。
二万文字近くになって二つに分ければと後悔。




二人ぼっちの流れ星

その時、ワリヤは己の存在を知覚して、きょとりと周りを見回した。

彼女がいるのは、一面が砂に満ちた砂漠であった。彼女の故郷も、荒れた大地で少しだけ郷愁に似た懐かしさが胸に湧いた。

そこで、ようやく彼女は気づく。

己が一人であることに。

 

「・・・アーラシュ。」

 

それは、親を呼ぶ子どもの声に似ていた。

自分が何故、ここにいるかは分からない。ただ、迷子の子どものような顔をして、ワリヤは徐に歩き出した。

たった一つ分かるのは、ここに己のやることはないということだけ。ならば、何か、やることがある場所に行きたかった。

ワリヤは、道しるべを欲しがった。

道を指し示す星が、今の彼女には存在しなかった。

ふらふらと、彼女は道も無い砂漠を歩いた。

 

「・・・・あれ、は。」

 

サーヴァントである彼女には、砂漠の旅路はさほどの苦痛ではなかった。

そんな中、ワリヤは砂漠の向こうに荘厳な建物を見つけた。三角形のそれを見つけたワリヤは、無言で足に力を入れた。

その建物に特別な何かを感じることはなかった。けれど、長い砂漠の中で、その建物は唯一人の気配を感じることができる場所だった。

 

(・・・・誰かいるだろうか。)

 

もしも、誰か、人がいるのなら。

そこには、ワリヤの成すべきことがあるかもしれない。ワリヤは足に力を入れて、砂を蹴った。

 

 

 

「・・・・話、終わったのかい?」

 

ぼんやりとした、どこか寝ぼけた様な声が砂嵐の中に響く。その声に、その場にいた、藤丸立香たち、ルキウスと名乗るサーヴァント、そうしてニトクリスが視線を向ける。

そこには、細身の、おそらくサーヴァントであろう人物が立っていた。

肌にぴったりと合わさった黒いアンダーに、簡素な白い鎧を身に纏っていた。そうして、青いフードを被っており顔立ちまではわからない。

ただ、その声は男にしては高く、女にしては低い、中性的なものだった。

 

「女王、この人たちはピラミッドに運ぶので?」

「ワ、ワリヤ!」

 

一瞬、臨戦態勢になりかけた立香たちはニトクリスの反応に、少なくとも敵対しているのではないと察した。

そんな立香たちの様子など気にすることもなく、ニトクリスが叫ぶ。

 

「ワリヤ!あなたは何をしているのです!」

「命じられた通り、周囲の警戒をしておりましたが?」

「警戒していたというならば、何故、私が攫われたのですか!?」

「申し訳ありません、私の不手際です。」

 

簡素で素直な謝罪に毒気を抜かれたのか、ニトクリスは苦々しい顔をする。

 

「あやまって済む問題ではありませんよ!」

「それは、ごめんなさい?」

 

ニトクリスの怒りに対してワリヤはまるで何を叱られているのか理解できていない犬のような顔をする。そうして、深々と頭を下げた。

その態度に毒気を抜かれたのか、ニトクリスはぎりぎりとしながらふんと息を吐き、腕を組んだ。

 

「・・・・まあ、いいでしょう。確かにあなたの優れた目を以てしても山の翁たちを観測するのは難しいでしょうし。こうやって駆けつけてくれたわけですし。」

 

ニトクリスの態度が和らいだのを察したのか、ワリヤはほっとした様子で頭を上げる。

 

「ああ、女王が眠って寝言を言って、起きてそっちの人たちに何もかも責任押し付けてた時ぐらいにはもう着いてましたよ。」

「最初っからいたんじゃないですか!」

 

ニトクリスの絶叫が辺りに響き渡る。

 

「どういうことですか!それならば、どうして私を止めなかったんですか?」

「ですが、女王は彼らを敵として攻撃していましたし。違うことを指摘して、恥をさらさせるのは本意ではなかったですから。女王もファラオの威厳については言われていたでしょう?」

 

そこら辺を言われると辛いのか、ニトクリスはぎりぎりと歯を噛みしめる。彼女自身、自分のやらかした諸々について考えることがあるのか諦めた様にがくりと肩を落とした。

「・・・あなたは、そういう子でしたね。」

ワリヤはそれに、こてりと首を傾げていた。

 

 

 

立香たちは、ダ・ヴィンチの作りだしたバギーにて、それについてを気にしていた。

 

(・・・ねえ、マシュ、この人のことどう思う?)

(・・・どう、ですか。ワリヤ、という名前には覚えがあるのですか。)

 

黒髪の少年と、紫苑の髪の少女は顔を寄せ合ってこそこそと話をする。そんなことを気にした様も無く、ワリヤと呼ばれた弓兵はバギーの後方に器用に腰かけ、ぼんやりと宙を眺めていた。

ワリヤがマシュたちと行動を共にしているのは簡単な話で、オジマンディアスに押し付けられたのだ。

 

 

 

 

「ワリヤ、お前はこやつらについて行け。」

 

オジマンディアスは立香たちを追放することを決めると同時に、王座の隅でぼんやりと立ちすくんでいたワリヤにそう声を掛けた。

それに、彼女は短くああ、と頷いた。

 

 

ワリヤはニトクリスと合流したあとも戦うということはなかった。ニトクリスの安全を優先し、戦闘は立香たちに任せて傍観者に徹していた。

王座でも隅で立ち尽くし、戦闘に参加するということも無かった。会話に入って来ることも無いのだから、立香たちもそれのことを忘れそうになる。

 

「ファ、ファラオよ!その失態は、私の責任でも・・・」

「黙るがいい、ニトクリスよ。罰が為に余はこれを外に出すわけではない。」

 

オジマンディアスの言葉にニトクリスは黙る。そんな彼女の様子など気にした風も無く、話しかけられたワリヤは静かに言った。

 

「・・・・ここには私の役目はございませんでしょうか?」

「・・・・いや、貴様にさせようと思えばすることはある。」

 

オジマンディアスはそう言った後、少しだけ苦みの走った表情をした。

 

「ここに招き、役目を与えたのは貴様が確かに勇者と言っていいほどの偉業をなしたからこそだ。人の身で、貴様のなしたことは確かに過ぎたことだ。ただ、貴様はあまりにも虚ろ過ぎる。」

 

その言葉にワリヤは目を伏せた。その言葉の意味を理解しているようだった。

「・・・・貴様はそれしかすることがなかったからこそそれをなしたにすぎん。貴様は勇者でありながら、傀儡である。だが、それを惜しいとも思う。」

ワリヤは、ぼんやりとした蜜色の目をオジマンディアスに向ける。彼は、その目を懐かしむように眺めた。

 

「余が貴様にここまでするのは、勇者と共に戦った者への慈悲ゆえだ。余に仕えたくば、勇者としての自負を持て。」

 

外に行けば、貴様が本当は何なのか少しは理解が出来るだろう。余に仕えたくば、それ相応の気概を手に入れよ。

ワリヤはそれに、そっと目を伏せた。そうして、深々と敬意を表す様に礼をした。

 

「ありがたく。慈悲深く、そうして気高き太陽の化身よ。」

 

 

 

 

そうやって立香たちに同行することになったそれは、彼らに話しかけることも無くぼんやりと後ろをついてくるだけだ。敵意がないことについては疑ってはいないのだが、いささか無口というか無関心が過ぎる。

まるで夜のような柔らかな容姿に湛えた穏やかな微笑みは、確かに清廉ではあった。編んで一つにまとめたそれを肩から前に流している。

とろりとした蜜色は、まるで満月の様に優し気だ。

けれど、その微笑みがひどく無機質で、投げやりのような感覚を覚える。

 

「・・・・ねえ、君は彼のアーラシュ・カマンガーの友であるワリヤなのかい?」

 

ダ・ヴィンチの言葉にワリヤの瞳に光が宿った。

 

「・・・・アーラシュを知っているので?」

「いや、ワリヤという名前の英霊にはそれぐらいしか覚えがないからね。」

「そうか、い。そうだね、私はワリヤ。アーラシュの近くにいたのは、私ぐらいだよ。」

 

薄くその顔に湛えているのは、穏やかな微笑みだ。けれど、どこか壁を感じる様な空虚さがあった。

ワリヤはそれだけ言うと、ぼんやりとした瞳をまた宙に向ける。

それに立香はひそひそと囁く。

 

(ワリヤって?)

(はい。ワリヤというのは西アジアに伝わるアーラシュ・カマンガーと言われる英雄の友として語り継がれている方です。)

 

マシュは短く、アーラシュ・カマンガーという人物が弓兵としてどれほどすごいのかを話した。

 

(・・・それは、すごい人なんだね。ワリヤさんも?)

(・・・ワリヤ、さんは。そうですね。アーラシュ・カマンガーと似た様な伝承がされているため、同一視をすることもあるのですが。彼はたった数百の兵と共に数倍の敵と対峙したそうです。もうすぐで全滅という時、彼は神に祈りを捧げ、己が身と引き換えに一射の矢を放ちます。その矢は多くの敵を屠り、敗走までさせますが彼の体はその代価としてバラバラになったと伝えられています。)

(自分の身を、犠牲に。)

 

立香はそれに思わず、後方のワリヤに視線を向けた。

ワリヤは相変わらず、バギーの後方に器用に腰かけ、ぼんやりと宙を眺めつづける。それに、立香はようやくオジマンディアスの言っていた理由を察した。

ワリヤはマシュの語った伝承を聞くうえでは、聖人の様にさえ感じるだろう。けれど、道中でのそれは何があってもぼんやりとしている。

人が危機に陥っている場面を見れば、一応は反応するものの立香たちが諫めればあっさりと弓を下げる。そこには、お世辞にも献身や善意という言葉は見当たらなかった。

ただ、ただ、彼女は立香の言う言葉に従うのだ。

その様は、確かに人形のようでもあった。

 

 

 

「ワリヤか?」

 

呪腕のハサンと戦っている中、頭上から若い男性の声が聞こえて来た。それに、その場にいた存在が全員目を向ける。

そこには、山の斜面に立つ一人の青年がいた、

黒い髪に黒い瞳。勇ましい雰囲気であり、緑色の鎧を纏っていた。その黒い瞳は、後方にて呪腕のハサンを殺さない程度に弓で狙っていたワリヤに向けられている。

ワリヤは一度たりとも目を逸らさなかった呪腕のハサンから視線を外した。そうして、彼女のぼんやりとした琥珀の目に光が宿る。

 

「・・・・・あーらしゅ?」

「ワリヤだな!?そこでまってろ!」

 

慌ただしく斜面を降りて来る青年にワリヤは弓矢を下ろし、惚けた様に立ちすくむ。走り寄って来た青年は、どこか悲しみと歓喜と、そうして安堵を乗せた顔で微笑んだ。

 

「そうか、お前も召喚されてたのか!」

 

そう言ったアーラシュに、ワリヤはよろよろと幼子の様に拙い歩みで近寄り、そうして感極まったように抱き付いた。

 

「あーらしゅだぁ!」

 

子どものように抱き付いたワリヤの頭を、アーラシュはまるで慈しむかのように撫でた。

 

 

 

「アーラシュ、次はどうされますか?」

 

立香は目の前の人に目を白黒させる。

 

「そうだな、盗賊の処理も終わったしなあ。」

「それならば、武器の備蓄の確認に行ってまいります。あと、ついでにざっとですが村の周辺の探索等も済ませてまいりますので。」

「ああ、たのむぜ。」

「はい。」

 

この明るく、そうして朗らかなサーヴァントはなんなのだろうか。

伏し目がちで影の落ちた顔には朗らかな笑みが浮かび、淀んでいた瞳は光を取り戻し、そうして滅多に開かれなかった口からは子どものように無邪気な声音がするすると飛び出してくる。

今も今までの無力さなど立ち消え、積極的に仕事をしている。

アーラシュはるんるんと走っていくワリヤを見送る。そうして、その姿が見えなくなると、彼は苦笑気味に立香たちに振り向いた。

 

「・・・すまんな。あいつが迷惑かけたみたいで。」

「え!いえ、迷惑というか。迷惑以前に毒でも薬でもなかったというか。」

「そうか、いや。なんつーか、あいつも悪い奴じゃねんだがな。」

「ああ、えっと悪い人でないのはわかります。ただ、何と言うか。会った時とはだいぶ様子が違って困惑してしまって。」

 

立香の困惑気味の言葉に、アーラシュはそうかと肩を竦めた。

 

「あいつはまあ、色々あって芯がないっつうかなあ。俺の事を手本にしてるとこがあるから、それ以外だと何やればいいのかわかんなくなるんだ。おそらくは俺と召喚されるはずだったんだろうが。はぐれちまったみたいだな。」

 

立香はそれにワリヤがオジマンディアスの元におり、訳があり行動を共にしていたことを話した。

 

「ファラオの兄さんとか・・・・」

「知ってるんですか?」

「まあ、生きた年代が同じだったんでな。でも、そうか。」

 

アーラシュは少しだけ目を伏せ、そうしてどこか悲しそうに微笑んだ。

 

「あいつは、何だってそんなにもなあ。」

「え?」

「ははははははははは!気にするな、ここら辺はあいつと俺の問題だからな。」

 

 

 

 

 

ワリヤはふわふわとした足取りで村の周辺を歩く。けれど、その視線は戦士として相応しいまでに鋭い。

 

(・・・・アーラシュ、アーラシュがいる!)

 

それは、どれほどまでに嬉しいことだろうか。暗闇の中を歩いていたその瞬間、唐突に道しるべに出会えたかのような安堵感だった。

 

(・・・ファラオには感謝しないと。)

 

彼が自分を追い出してくれたからこそ、アーラシュに出会えたのだ。

いや、元より寄る辺のない自分を引き取り、役目を与えてくれたことにも感謝しなくてはいけない。

 

(・・・・憐れみを私に持つ人には、久しぶりに会ったな。)

 

ワリヤは、そんなことをぼんやりと思い出す。

オジマンディアスは元よりアーラシュ同様にワリヤの存在を知っていた。彼は自分がそうであると知ると、嬉しそうなそぶりを見せたものの彼女がどんな存在かを知ると、ひどく残念そうな顔をした。

何故だ。そう問われた。

 

神秘の一端を持った、英雄たる彼の者の隣りに立つほどにまで技術を磨き上げながら。

人にはあまりにも過ぎた偉業をなしながら。

何故、そこまで欠けて生きたのか。何故、そこまで何も持たずに生きたのか。

 

痛ましいものを見るような目をしていた。

 

(・・・・そう、言われましても。)

 

何もワリヤに持たせてくれなかったのは世界だ。

遠い昔、世界はまだひどく狭くて。その世界ではあんまりにもワリヤは異端で。

何かを好きになるには理解が足りず、何かを憎むには好意が足りなさ過ぎた。

ワリヤがそこまでの技術を磨き上げられたのも、そんなふうに世界というものに置き捨てられたからこそだ。

何もないからこそ、何の願いも祈りも欲望もないからこそ。

 

人にさえなり切れない、半端な純粋すぎる生き物が生の全てをかけて磨き上げた技術は確かにアーラシュに手を伸ばせるほどのものだっただけだ。

ただ、それだけだ。

 

「あ、ワリヤさん!」

 

思考に沈んだ中、幼い声にワリヤは視線を向ける。そこには、数人の子どもたちがいた。

 

「やあ、みなさん。村の外れでどうされました?」

「ちょっとしたお使いです!」

「ワリヤの兄ちゃんは?」

「アーラシュのお兄さんと一緒じゃないって珍しいね。」

「私は村の周りの見回りですよ。あなたたちも盗賊なども出るので、歩くなら出来るだけ村の中心部を行きなさいね。」

 

ワリヤの言葉に、子どもたちは元気よく返事をしながら歩いて行く。その後姿を見て、ワリヤはそっと自分の下っ腹の部分を撫でた。

子どもは、別段好きでも嫌いでもない。

どんなにいい子であろうと、悪たれであろうとワリヤにとって等しくただの子どもだ。

庇護すべきものであるという価値観はあっても好感やら嫌悪感とは無縁である。結局のところ、どんな感情を抱けば分からないのだ。自分には縁のあるはずのないものであったから。

ただ、少しだけ、それを手にしていたかもしれないことを考えてしまう自分がいた。

 

(・・・・子ども。)

 

母として、弓を射らずに生きたかもしれない自分。母を悲しませなかった自分。

アーラシュと、関わらなかった自分。

何者かで、あれた自分。

ぼんやりと、そんなことを考えていると自分より少しだけ高い位置から声がした。

 

「どうした、こんなところで立ち止まって。」

その声に、ワリヤは無防備に振り返る。

「・・・・いえ、ただ。少し考え事、していました。」

「そうかい。」

 

アーラシュは、いつも通り明るく、朗らかに笑う。そうして、おもむろにアーラシュはワリヤの前を歩き出した。彼女はそれに当たり前のようについて行く。

 

「お前さん、ファラオの兄さんの所にいたのか?」

「はい、マスター様たちに聞かれたんですね。」

 

ワリヤはにこにこと笑いながら、砂漠の中での話を語る。オアシスの話、荒れ果てたこことは違うこと。

そこにいた、恐ろしく、美しく、誇り高きファラオの話。恩義のある人のこと。

どこか、臆病そうな、けれどファラオとおなじように誇り高き女王のことを。

ワリヤは、語る。

アーラシュはそれを、彼にしては珍しく柔らかな微笑みを持って聞いていた。

そうして、唐突にアーラシュは口を開く。

 

「なあ、ワリヤ。」

「はい、何でしょうか。」

 

ワリヤは穏やかに微笑んで、自分の友を見た。

 

 

 

「お前は、どうして戦士になったんだ?」

 

思いがけない質問に、ワリヤは固まった。思わず、ワリヤはわざわざアーラシュの顔を見た。彼は、静かな目でじっとワリヤを見ていた。

普段の太陽のような快活さは鳴りを潜め、夕焼けの様に静まり返った表情だった。ワリヤは、その意図を理解できなかったが答えない理由もないために口を開く。

 

「・・・戦士として生きられる素質がありました。母にも、そう生きる様にと言われたので。」

「お前には、救いたいものがあったか?」

「そ、それは・・・・」

 

口に出そうとした。彼にとって、いや、彼女にとっての世界はたった一人なのだから。

けれど、それはひどく傲慢な事であることはわかっていた。だからこそ、彼女は口を閉ざした。

 

「平和を、願っていました。」

 

その声は、彼女が思っていた以上に擦れていた。

アーラシュはそれに一度だけ瞬きをし、俯いた彼女を見つめた。

 

「・・・女であるお前が、弓矢を取ってまでもか?」

 

その言葉にワリヤは驚いたような顔をする。そうして、逃げ出す様に後ずさりをしようとした。けれど、アーラシュはその腕を取り、逃がさないというように握った。

 

「・・・・だ、だましたかったわけじゃあ。」

「怒っているわけでも、呆れているわけでも、憐れんでいるわけでもない。生きてたころには、すでに知っていた。」

 

ワリヤはその言葉に、その青い瞳が零れんばかりに見開き驚いたような顔をする。

その瞳に絶望がじわじわと侵食していくのをアーラシュは見つめた。

 

「ワリヤ、俺はお前が女である前に良き戦士であること知っている。だからこそ、俺は問いたい。お前は、誰のために戦っていた?そうして、今だからこそ問うぞ。」

 

お前は、誰のために戦うんだ?

 

問われたそれに、ワリヤは混乱しながら答える。

アーラシュに女であることを知られたことに対する動揺は、すでに収まっていた。彼がそんなことを気にしないことは理解できた。女であることを知って、アーラシュから遠ざけるものがいないことも分かっていた。

何よりも、彼女も、女でありながら、女として生きられなかったことをどう思えばいいのか分からなかっただけでアーラシュが気にしていないのならさほど重要に考えることも無い。

だからこそ、彼女はひどく凪いだ思考で言葉を続けた。

 

「王のために、アーラシュのために、私は唯、弓を、矢を。」

ただ、それだけです。

 

それだけが、何の基準も持てなかった彼女に取っての道しるべだった。

その言葉に、アーラシュはやっぱり微笑んだ。

その笑みは、悲しそうで、寂しそうで、そのくせどこか嬉しそうで。

アーラシュは掴んでいた手を離し、ワリヤに言った。

 

「ワリヤ、お前は当分、俺と行動を共にすることを禁止する。」

「どうしてですか!?」

 

ワリヤは、ほとほと、迷子の子どものような顔をした。どうしようもなくて、泣きわめく寸前の、子どものような顔だ。

だって、だって、ようやく会えたのに。また、彼のために戦えると思っていたのに。

だって、だって、彼がいなければ、自分は何者にだってなれないのに。

 

「俺は、お前に何も言わない。自分で、自分が何をすべきなのか考えてみろ。」

「分かりません、急にどうされたのですか?」

 

囁くような声は、震えていた。それに、アーラシュは首を振る。

 

「・・・・今度はな、ちゃんと自分で選べ。」

「分かりません、分からないんです。どうしてか、私には、分からなくて!」

 

幼子の切なる咆哮のようなそれに、アーラシュは無言で彼女を抱きしめた。

ごつごつとして、熱く、固い、ワリヤとは何もかも違う体だ。

アーラシュは、抱きしめた彼女の耳元で静かに囁く。

 

「・・・・・今度は、ちゃんと自分の人生を生きろ。」

お前の守りたいもの、お前の願い、お前の、愛しいもの。

 

アーラシュ・カマンガーは微笑む。

優しい、けれどどこか悲しそうな、顔で。彼は微笑む。

 

「ワリヤ、ワリヤ、今度はな、ちゃんと自分だけの生を歩むんだ。俺の為じゃなく、お前のための願いを見つけるんだ。」

 

戦うのか、戦わないのか、お前が決めるんだ。

何故、そんなことを言われるのか、ワリヤには分からなかった。

 

 

 

「ワリヤさん。」

「はい、何でしょうか。マスター様、マシュ様。」

 

ワリヤはぼんやりと、この地域では主食に当たる豆の処理を行っていた。地面に敷物のようなものを敷き、その上で作業をしていた。声のする方にワリヤが視線を向けると、そこには彼女がマスターと呼んでいる少年と紫苑の髪をした少女の姿があった。

 

「どうされましたか?」

「ああ、うん。いや、ちょっといいかな?」

「ああ、手作業をしながらで構わなければ。」

 

ワリヤはそういって、自分の隣りを示した。立香はそれにそっと座る。

 

「どうかされましたか?」

「・・・・ううん。ただ、ちょっと気になってね。」

 

立香はじっとワリヤの柔らかな顔立ちを見つめた。

ワリヤとアーラシュの様子がおかしいと感じ始めたのはすぐだった。

再会した当初、ワリヤはまるで親に再開した子のような、友と会いまみえた時のような、それこそ恋人と逢瀬をするが如く、朗らかで穏やかだった。

けれど、アーラシュは唐突にワリヤに無関心になった。無視をするわけではない。ただ、ひどく他人のような態度を取るようになった。

ワリヤが何かをしても、そうか、という一言で済ませ、会話もそそくさと終わらせてしまう。再会したときのことを思えば、それもおかしい話だ。

皆が皆、何かしらのことがあったのか勘繰るが別段喧嘩したというわけではない。空気が悪くなるわけでもない。

 

アーラシュの元々の気質のおかげだろう。

ただ、残されたワリヤだけがどこか途方に暮れているような顔をする。

それからワリヤは戦うことを忌避するようになった。もちろん、頼めば戦闘に参加する。戦いに手を抜くことだってない。アーラシュと組めば、その息の合った戦い方に感嘆の声さえ漏れた。

けれど、戦いが終わればそれもまるで夢の様に消えてしまう。

立香たちはもちろん、ハサンたちもまた怪しんだ。けれど、アーラシュはその質問をするりとかわし、ワリヤもまた黙り込むだけだ。

別段、何かしらの問題があるわけではない。

アーラシュがワリヤに対して素っ気ないだけで邪険にしているわけではない。

ただ、気にならないわけではない。そのため、立香とマシュがそれについて聞き出すことにしたのだ。

二人の空気感は、致命的ではないが、のちに面倒を引き起こすという懸念があり、そうして純粋に心配であったということもある

 

「・・・・アーラシュの事ですか?」

「え、っと。」

 

予想に反して、ワリヤの口からは問題の核心がぼろりと漏れ出た。それに、立香たちは動揺をしてしまう。

けれど、ワリヤは気にした風も無く、ぼんやりとした口調で話し始める。

 

「あまり、気になさらず。」

「あの、不躾かもしれませんが何かあったんですか?いささか、急というか何があったのかと。」

 

目を伏せた彼女に、ワリヤは作業の手を止め、そうしてぼんやりとした視線を地面に向ける。

 

「・・・・・あなたたちには、私が何を大事にしているように見えますか?」

 

唐突なそれに立香たちは互いの顔を見合わせた。

その様子に、取り繕う名形でワリヤは言葉を発した。

 

「ああ、すいません。なんというか、どうしても知りたくて。」

「それは、アーラシュさんが?」

「・・・そうですね。そんなもので。でも、私には分からなくて。」

 

途方に暮れた様な顔に、マシュは口を開く。

 

「そうですね、ワリヤさんはアーラシュさんのことが大好きなように感じます。」

「・・・・好き?」

 

まるで始めて言われたかのような素直な驚きがそこにあった。手作業を止めて、ワリヤはじっと地面を眺めた。

そうして、ゆっくりとマシュの方を見た。

 

「好き、ああ。好き、ですか・・・」

「あの、どうかされましたか?」

 

困惑したような顔にマシュが不思議そうな顔をした。

「いえ、なんというか。私は、アーラシュのことが、そうですね。好き、ではあるんだと思います。」

曖昧さを漂わせたそれは、どこか心もとない。それにマシュと立香が不安そうな顔をする。それに、ワリヤは悩む様な顔をする。

 

「・・・・すいません、いえ、その。アーラシュのことを友人であるとは考えたことはありますが。好き、と考えたことはなかったもので。」

「え?」

「一度も?」

 

ワリヤはそれに目を伏せた。

 

「私にとって、アーラシュはこの世そのものだったのです。」

 

緩やかなそれは、まるで吐息の様に空気に溶けていく。

 

「私は、なんというか。世界から爪はじきにされていて。彼だけが道しるべの様に、燦然と輝いていて。美しい、彼に幸福になってほしかった。彼のことを、追いかけ続けました。彼さえ幸せならば、それだけで。」

好きや嫌いで測る様な存在ではなかったのです。

 

ワリヤは伏せていた視線を空に向けた。

 

「幸福であってほしかった、笑っていてほしかった、当たり前のように明日に進んでほしかった。それは、私は、彼を好きであるといえるのでしょうか?」

 

まるで、空が青い理由をとう幼子のような声だった。

 

(この人は・・・・)

 

さほど長い人生ではなかったのだろう、生きていたのも定かでないこの人は。

(誰かを好きであるということさえも分からないまま、英雄になったのか。)

 

それは、不幸であるのか、仕方がないで済まされることなのか。

分かりなんてしないけれど、たった一つだけ言えることがあった。

 

「はい。」

 

マシュの素直な肯定が聞こえた。

 

「ワリヤさんは、アーラシュさんのことが大好きだと思います。」

 

ワリヤはゆっくりと瞬きをした。幾度も、幾度も、ゆっくりと深く思考に沈んでいくかのように。

 

 

好き、好き、好き。

そうだ、たった一言で済ませるのならば。

きっと、その言葉で十分だ。

ワリヤは男が好きだった。その、善良で、優しくて、強くて、丈夫なだけのただの男が好きだった。

彼はワリヤの指針だった、生きるための縁だった、人であり続ける祈りだった。

それを、嫌いになるはずがない。好きだった。きっと、そうだった。

自分のために生きるとは何だろうか。

自分は、アーラシュのために生きるというあり方は、アーラシュの後を追い続けるだけではダメなのだろうか。

幸せになって欲しい。だから、自分は。

いや、自分は、ただ。それしかなかったが故に、そう生きただけなのだろうか?

 

幾度も、幾度も、反芻して。そうして、ワリヤは、アーラッシュが死ぬ、その時に出くわしてようやく、答えを得たのだ。

 

 

 

その女に、安らぎを得るようになったのはいつのころからだろうか。

いや、それが女と知る前から、きっと、ずっとそうだった。

男は、人が好きだった。

優しくて、残酷で、純粋で、愚かしく、明るくて、暗くて、怠惰で、真摯で。

弱くて、強い、日々を生きる民のことが好きだった。

例え、どれほど自分がそこから爪はじきにされようと。せめて、狭い世界だけでも、小さくて、残酷な世界の中で懸命に生きる誰かのことを、救いたかったのだと思う。

 

彼は、英雄であった。英雄として、生まれ落ちた。

強靭な体、極まった戦いの腕、そうして、当たり前のように善をなせる在り方。

彼は、確かに英雄としての素質を持って生まれ落ちた。

けれど、彼はどこまでも人でしかなかった。

人が死ぬことを悲しいと思った、敵とはいえ幼い誰かを哀れに思った、遊びふける子どもを愛らしいと思った、産声に泣きたくなった、人を殺し続けることを虚しくなった。

人から逸脱してしまったことを、寂しく思った。

 

何故だろうか。

アーラシュは、優しかった。誰かのことを思っていた。

けれど、彼のなすことはどうしようもなく人からはかけ離れていた。

人は、無辜の民は彼を太陽と仰ぎ、人ではない英雄と言って遠ざけた。

それを、悲しく思った、寂しく思った。

けれど、仕方ない。

孤独であると、そう決めてしまったのは自分だから。

けれど、たった一人だけ、彼女だけは違った。

 

「アーラシュ。」

 

穏やかで、そのくせ、どこか無機質な声が自分の名を呼ぶ。

誰もが、アーラシュに夢を見る。誰もが、アーラシュを違うものとする。

けれど、何故だろうか。

ワリヤだけは、アーラシュのことを心の底から人であるのだと信じていた。

 

「アーラシュ。」

 

幼いころから、その声だけは何か、違って聞こえた。

どうして、そんな風に思うのか分からなくても。けれど、違って聞こえることだけは理解できた。

心を覗けるほどまでに鋭い目を使おうとは思わなかった。それは、あんまりにも不誠実であると思ったから。

ある時、アーラシュを恐れた者がいた。孤立した村を助けるために、敵を殺しつくし、血に濡れた彼を、恐ろしいと泣いた幼子がいた、震える体を丸めた女がいた、恐怖を混じらせた瞳を向ける男がいた。

それを、知らないわけではなかった。

そんな、弱者の拒絶を知らないわけではなかった。頷くことしか出来なかった。

きっと、それはよくあることだったから。

 

「我らにとって、あなたの様に人を逸脱した存在は、頼もしくもあり、恐ろしくも思うのです。我らからすれば、異端でしかなく。」

 

それは確かな拒絶で、アーラシュから目を逸らすものだった。

けれど、そんな中に、ひどく無邪気な印象を受ける声音が響く。

 

「どこがですか、こんな普通の人が怖いなんて。」

 

その声の主は、彼に同行していたワリヤであった。彼女は、アーラシュ同様に返り血に塗れた姿で、死と暴力の匂いを纏って、ひどく不思議そうな表情と穏やかな声をしていた。

その姿に人は、ワリヤにも恐怖の混じる目を向ける。

けれど、その言葉に本格的にワリヤに訳の分からないものへの、アーラシュがよく向けられる目をされていた。

 

誰もが驚く、だってアーラシュ・カマンガーは英雄だ。普通などという言葉とは、あまりにも遠すぎた。

けれど、ワリヤは心底不思議そうな顔をする。彼に言葉をかけた存在を見つめる。

その眼には、怒りだとか、恐怖だとか、そんなものは欠片だってない。

そこにあるのは、純粋なまでの疑問。どうしてそんなことを言われるのか、分からないという眼。

 

「アーラシュが異端なんてあるわけないじゃないですか。こんなにも人らしい人なんて他にいませんよ。誰かのことが大好きで、大事なものを守りたいと思って、理不尽に怒って、悲しいことに泣く人です。」

私たちと同じじゃないですか?

 

それは、誰にも、理解されることのない言葉だった。

その瞬間、ワリヤは確かにアーラシュと同じであった。誰にも理解されず、誰にも恐れられ、どこにも交われない異端であった。

何よりも、その瞳を心地いいと思った。

 

その眼は、いつだって凪いでいた。アーラシュのなすことに、恐れを抱くことも無ければ、驚きも無い。

彼のなすことを褒め、気遣う。

その瞳は、どこまでも人間であった。英雄へ向ける敬愛も、恐れも、かといって慕わしさも無い。

そこにあったのは、友愛だ。そこにあったのは、親しみだ。

そうして、そうありたいと思う無邪気な尊敬。

遠いものを見るわけでもない、近しくて、当たり前を見る眼。

何の意図もない。誰もが持つ眼。自分には決して、向けられなかった眼。

彼女だけがアーラシュのことを人として扱った。

自分と同じ場所にいる、無邪気に目標として扱う、アーラシュの友人。アーラシュと同じ、人の輪に入れなかった、異端。

 

笑ってしまうことにだ。

彼女だけが、アーラシュと同じだった。アーラシュを人として扱うがゆえに、人の輪から弾かれた異端者。アーラシュだけの、同胞。

手放しがたかった。安寧を抱えた。その瞳に映るその瞬間だけ、アーラシュ・カマンガーは、ただ、強くて、頑丈で、優しいだけの男だった。

ワリヤだけが、アーラシュにとって守るべき民でなく、共に誰かを守る者だった。

穏やかで、けれどそのくせ人から逸脱していようと気にもしない。彼女の中心は、いつだって人の様にしか生きられないアーラシュだった。

 

だから、だろうか。

欲が出てしまった。

彼女がアーラシュのことだけをずっと思っていたのは、ワリヤの母にそう言われたがためだ。

母がそう言わなければ、彼女は唯の人として、幼いころに知っているだけの、その程度の存在で。

自分が、英雄でさえなければ。ワリヤの母の目に留まらなければ。

選んでほしかった。

母の言葉の為でなく、世界への奉仕ではなく。アーラシュの善性を指標とするのではなく。

自分を、アーラシュ・カマンガーというだけの、ただ優しくて、強くて、そうして頑丈なだけの人間を選んでほしかった。

 

愚かというなら、愚かと言え。それでも、そんな欲が出てしまった。

自分を人として見る目、気づかう目、自分と同じものを見る目。

心地よくて、安らいで、そうして欲しかった。欲しくて、欲しくて、たまらなかった。

だからこそ、ああ、嬉しいと思ってしまった。

村が円卓の騎士に襲われ、残っていたのはアーラシュとワリヤだけ。

ワリヤには村人の護衛を任せ、アーラシュ自身は追撃のために出たのだ。

その先は、情けない話で、ランスロットに斬りつけられた。

その時だ、ランスロットの関節を狙ったらしい弓矢が飛んでくる。が、その弓矢はランスロットに叩き下ろされ、そうしてそれを狙ったらしいトリスタンの弓矢に射られてしまう。

遠くて、短い悲鳴が聞こえた。

 

「ワリヤ!」

 

叫んだ瞬間、アーラシュは崖の下に落ちていく。遠のいて行く空にアーラシュは足掻こうとする。その時、上から誰かの驚いたような声がした。そうして、誰かが降って来る。

 

「アーラシュ!」

 

自分に手を伸ばすワリヤの姿に彼は同じように手を伸ばした。

 

 

 

「お前もだ。」

 

ランスロットとトリスタンに襲われたアーラシュは、それを背負って谷底から這い上がってきたワリヤに向けてそう言った。

アーラシュは、いつ消えてもおかしくないほどに霊基はぼろぼろだ。

それに比べてワリヤは軽傷で済んでいる。ベディヴェールへの忠告を済ませ、洞窟の中の人々を立香たちに任せる旨を伝えた彼はそのままワリヤにそう言った。

 

「・・・・今度は、言うことを聞いてくれ。すまんな、選べと言った口でこんなことを言って。」

「・・・・嫌です。とっておきを、宝具を放つ気でしょう?なら、私も宝具を解放します。」

「お前、何を言ってるのか分かってるのか?」

 

怒気を込めた声に、立香たちは思わず肩を震わせた。あまりにもらしくない声音に、目を白黒させる。

 

「・・・わかって。」

「分かってるはずはないだろう!?お前の宝具は俺と同じようなものだ。たった一度きりのとっておき。使いどころを間違うな!俺は元よりもう長くは持たん。」

「だから、あなたが犠牲になっていいんですか?」

言い返すような声音に、アーラシュが不機嫌そうに吐き捨てる。

「俺はそういう存在だ。放たれた矢がかえってこない様にな。」

「それでも、私は君にこれ以上犠牲になってほしくない。」

「ワリヤ、俺は英雄だ。」

「違う、君は人間だ!」

 

叩きつけるような、初めて聞くような咆哮にアーラシュは驚いた顔をする。ワリヤは、ただ、ただ、アーラシュだけを見つめる。ワリヤは、アーラシュに掴みかかる様にその腕を掴んだ。

 

「君が好きだ、アーラシュ!」

 

突然放たれた、愛の言葉に皆が固まる。空には裁きとも言える光に満ち、炎が辺りを満たし、地面には遺骸が転がる。

それなのに、その言葉は春風の様に辺りに広がった。

アーラシュさえも、茫然とその言葉を聞いていた。

 

「お前・・・・」

 

アーラシュの声さえも遮って、ワリヤは叫んだ。

そうだ、彼女はようやく理解したのだ。

どうして、自分が、彼と共にあったのか。そうだ、ああ、死ぬのだ。この夢が終るのだ、ワリヤの世界が終るのだ。

己の生で経験しなかったその事実に、胸の中で何かがかちりとはまり込んだ。

 

「ずっと、ずっと、そうだった。君のことが好きだった。君が、君だけが、私にとってたった一人の人だった。君は優しかった、誰よりも民を想い、傷ついて。けれど、無辜成る人々は君を拒絶した、違うものだとつまはじきにして。それが、ずっと赦せなかった。」

 

ぼたぼたとワリヤの目から、溢れる様に涙がこぼれる。

 

「どうしてだ。君は、良き人で、当たり前のように誰かを愛せる人で、いつだって誰も傷つかない様にって祈る人だった。君は、人だった。なのに、人は君を拒絶した。なら、彼らの方が人でなしじゃないか!君は、誰よりも、人だったのに。」

今度こそ、君の側にいる。君を、一人にしたくない。

 

そうだ、これこそが答えだった。それこそが、ワリヤというそれの全てだった。

彼女の、生涯を、命と、人生を、価値も、全て捧げても構わない恋だった。

まるで駄々をこねる様に、そう言った。それに、アーラシュは、全てを理解する。

アーラシュは、死ぬ前にしてはあんまりにも穏やかな微笑みを浮かべて、ワリヤの頭を胸に抱き寄せた。

 

 

結局のところ、ワリヤとは人でなしであったのだ。

彼の価値観とは、アーラシュを基準に組み立てられた。

ワリヤは確かに人として生まれた。

けれど、彼女は世界に馴染むことなく、アーラシュという枠組みの外にいる存在を核とした。

英雄として生きるものを普通であるとした彼女は、凡人であったのだろうか?

いや、アーラシュという善性を当たり前とし、彼の強さを目指すべきものとした彼女は結局のところ人でなしでしかなかったのだ。

ワリヤにとって、アーラシュこそが人であった。彼女に取っても、アーラシュだけが同胞であったのだ。

 

「・・・そうか。」

そうかあ。

 

掠れた様な声音であった。けれど、どうしてか、彼は微笑んでいた。

ああ、だって、とっくに自分は選ばれていたのだ。とっくに、彼女は自分の人生を生きていたのだ。

アーラッシュは納得した。

そうか、それならば、それでいい。

 

「話はここまでだな。すまん、長いことを付きあわせて。後は頼んだ。」

「で、でも。」

「任されよ、さらば、さらば!この地で出会った、我が最大の盟友よ!叶うならば、後悔は無きように!」

 

立香は呪腕のハサンに抱えられるような形でその場を去っていく。

彼は、思わずその場に残ったアーラシュとワリヤに手を伸ばす。

けれど、どうしてだろうか。

彼らは笑っていた。本当に、幸福そうに。

笑っていたものだから。

それがひどく寂しくて、苦しくなったのはなぜだろうか。

 

 

 

 

 

「「・・・・陽のいと聖なる主よ。あらゆる叡智、尊厳、力を与えたもう輝きの主よ。」」

 

隣りだった二人は、同じように矢をつがえ、そうして同時に詠唱を口にする。

 

「「我が心、我が考えを、我がなしうることをご照覧あれ。」」

 

「さあ、月と星を創りしものよ。我が行い、我が最後、我がなしうる聖なる献身を見よ。」

「ああ、月と星を作りしものよ。我が行い、我が最期、このただ一人だけに捧げし献身を見よ。」

「この渾身の一射を放ちし後に、我が強靭の五体、即座に砕け散るであろう」

「この渾身の一射を放ちし後に、我が脆弱なる体は砕け散る。それこそが、矮小なる代価にすぎず。赦されたことに喜びを。」

 

―流星一条―

―偽りたる流星―

 

同時に放たれた矢は、まるで言葉通りの流星が如く、空を駆けていく。まるで、光の獣が連れそうにように空を駆けていく様だった。

ぴしりと、どこかで音がする。弓を持った手に亀裂が入る。

それに、ワリヤは終わるのだと思った。

前と同じだ、痛くない、苦しくない。霊基の砕け散る様は、前よりもずっと綺麗だ。

 

良かったと思う。

ワリヤは、結局のところ人でなしなのだ。

召喚されてからも、彼女は何もかもがどうでもよかった。

もちろん、悲しいだとか、そう言った感情がないわけではなかったけれど、それでも、彼女が英雄として誰かを助けようとするのは所詮は、アーラシュの為だったから。

彼がそうするから、そうしていた。それだけの話だった。

それでもいいと思った。

アーラシュに悲しんでほしくないから、彼に笑って欲しいから、彼のことが好きだから。

だから、人を助ける。それでいい。少なくとも、自分はそう思った。

彼のことが好きだったから、好きというものを知れた。彼を拒絶するものが嫌いだったから、嫌いを知れた。彼の苦しむ様が苦しかったから、苦しみを知った。彼が悲しそうだったから、悲しいを知った。

彼がいたからワリヤは、世界に触れられた。

たった一人のために、そう願ってもいいはずだ。そうだ、救うことに理由なんて、そんなものだ。

 

オジマンディアスは、ワリヤを空虚と言った。それはそうだ、だって、ワリヤはアーラシュがいなければ世界に触れることは叶わないのだから。触れられぬ世界に、何を思えばいいのだろうか。だから、じぶんはそれでいい。アーラシュのための英雄がワリヤであったからだ。

ワリヤは、もう、砕け散っていくもう体とは言い切れないそれでアーラシュを見る。

すると、彼もまたワリヤを見ていた。

 

(・・・ああ、そうか。これで、最後なんだ。)

 

ワリヤは、もう、崩れ始め、腕とは言えない腕を伸ばす。アーラシュもまた、腕とは言えない、崩れ始めたそれを伸ばす。

彼らは、互いに抱き合った。崩れていく体のせいで、互いの境界さえ混じり始める。

 

(・・・ああ。)

 

何かを言いたい、何か、彼に言ってやりたい。

また、世界はその人を犠牲にする。誰かのために、そうやって、たった一人を犠牲にして。

アーラシュがそう決めたのだから、それでいい。それが彼の矜持であり、覚悟であるから。

けれど、ワリヤはそれをずっと寂しいことだと思っていた。世界のために終わる人が、たった一人で終わることを、そう思っていた。

だから、今度こそ、置いて行くのではなく、一緒に死にたかった。

アーラシュは英雄だから、人なのに、英雄だから。

だから、いつか無辜なる誰かのために死んでしまうから。せめて、最期は一人でないように。

 

なあ、アーラシュ、嫌じゃなかったかな、私が一緒で怒っているから、ごめんな、上手く出来なくて、もっと、やることがあったかもしれない、残っていた方がよかったのかもしれない、苦しくないから、前の時はどうだったんだい?

くるり、くるりと、言いたいことが浮かんでは消えていく。

ああ、時間がないんだ。

 

そう思って、もう、口とは言えない口で必死に言葉を紡いだ。

 

「いたくない?」

 

ようやく口に出来たのは、それだけだった。けれど、どうしてだろうか。アーラシュは、もう亀裂が入り、砕ける寸前の顔で本当に幸福そうに微笑んだ。

 

「ああ。」

 

独りじゃないからな。

それに、ワリヤは同じように微笑んだ。

ああ、よかった。間違ってなかった。そうか、痛くないのか、よかった。

君は、独りでないなら、寂しくないなら、それだけで。

その微笑みに、アーラシュもまた微笑んだ。

ずっと、独りだと思っていた。仲間なんて、いなかったと、そう思っていた。

ああ、けれど、自分は愚かなことに、たった一人を忘れていた。

いたじゃないか、ずっと、ずっと、共にあってくれた人。友であった人。アーラシュを人とした、人でなし。

英雄として産まれながら、アーラシュは人としてしか生きられなかった。けれど、それに沿うように人として産まれながら人でなしの様にしか生きられなかった彼女。

ああ、そうだ、寂しくない、独りじゃない、それはきっと、幸福な事だ、寂しくないことだ。

 

「おれも、おまえがすきだよ。」

 

砕け散っていく中、最後に遺した言葉と、流れ落ちた涙だけが形を成していた。

二人は、幸福そうに微笑みながら、砕け散って、消えていく。

きらきらと、きらきらと、砕け散った体が、光になって消えていく。

きらきらとしたそれは、まるで二つであったことなどないように、一つになって消えていった。

それは、本当に、泣きたくなるほど美しいものだった。

 


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