メジロマックイーンだと思ってスカウトしたら、おばアサマの方でした。 作:風神・雷神
【場所・トレセン学園内 中庭】
選抜レースの後。アサマとトレーナーは、学園の喧騒を避けるようにして静かな中庭へと足を運んでいた。人気のない中庭の端、大きな木の木陰に設置された木製のベンチに腰掛け、二人はこれからの話を始める。
「それでは、あなた。伺いますけれど……一体どうして、私をすぐに担当することが出来なくなってしまいましたの?」
「……アサマ、その質問に答える前に、ちょっといいか?」
「? なんですの?」
アサマは何を指摘されるのか全く心当たりがないようで、綺麗な首を小さく傾げて不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「……昨日、家で徹底的に話し合ったよな? 少なくともこの現代のトレセン学園にいる間、俺たちの建前は【今年から働くただの新人トレーナーと、メジロ家とは全く関係のない普通の一般ウマ娘】で行くって」
「ええ、確かにそのように取り決めましたわ。それが何か?」
「……だよな。それと、ここでの俺たちの表向きの関係は、【ただの新人トレーナーと、そのトレーナーに偶然スカウトされたばかりのウマ娘】。お互いにまだ出会ったばかりの、ビジネスライクな関係のはずだよな? 二人で決めたの覚えてるか?」
「ええ、しっかりと覚えておりますわ。ですから、それがどうしたとおっしゃるのです?」
話の意図が全く掴めないアサマは、困惑したように俺の顔をじっと見つめてくる。
――それも、こちらの吐息がそのまま届きそうなほどに、尋常ではない至近距離で。
「……あのさ、近くないか? こう……距離が。お願いだから、もうちょっとだけ横に離れて座ってくれるか?」
気まずそうに、しかし切実に視線を逸らす俺の指摘を受けて、アサマは初めて、自分が今どういう状況にあるのかを自覚した。
木製のベンチの上。アサマは俺のすぐ隣に、衣服の生地が擦れ合うほど隙間なくぴったりと密着して座っていたのだ。肩も、腰も、体操服に包まれた柔らかい太ももすらも互いに完全に押し付け合っている状態で、おまけにアサマの自慢の長い尻尾に至っては、当然のような顔をして俺の膝の上にちょこんと乗せられている。
この状況は、アサマ自身がベンチに腰を下ろす際、無意識のうちに俺のすぐ隣へと吸い寄せられるようにしてすり寄り、作り出したものだった。
こんな風に座っている二人を他人が見れば、出会ったばかりのトレーナーと生徒などとは天地がひっくり返っても思わないだろう。ウマ娘側が、隣の男にどれほど深く心を許し、骨抜きにされているかが、一目で一目瞭然に分かってしまう。
アサマの脳裏に、周囲のウマ娘たちから向けられるであろう「まあ、あの二人……ッ!」という破廉恥を見るような目が容易に想像され、無意識とはいえ己がやらかした昭和仕込みのべったりな行動に、激しい羞恥心が襲いかかった。
「す、すみませんっ!!! 私ったら、いつものクセでつい……っ!」
アサマは弾かれたようにベンチの端まで飛び退いて座り直したが、時すでに遅し。彼女の美しい頬は、限界まで熟れたリンゴのように真っ赤に帯びていた。
「……まあ、1周目の世界ではずっと二人きりだったからな。クセになるのは分かるけど、次からは外では本当に注意してくれよ。……じゃあ、話が脱線したけど、本題に入っていいか?」
「え、ええ……っ! そうですわ、一体何があったのですか!? 早く教えてくださいまし!」
恥ずかしさを誤魔化すようにウマ耳を小刻みにパタパタさせながら促すアサマへ、俺は表情を引き締め、先ほど事務室で突きつけられた「絶望的な理由」を話し始めた。
まず、俺がアサマを今すぐ専属担当にできない最大の理由は、現代の学園の規約にある。
現在のトレセン学園において、実績が一切ない新人トレーナーは、学園上層部から「単独での指導許可」が下りるまでは、個人でウマ娘を専属担当することがシステム上、絶対にできないのだ。
そしてその許可(ライセンス)を貰うためには、最前線で現役で活躍しているベテラントレーナーの下に配属され、アシスタントとして一定以上の戦績を収め、その上司から『推薦状』を書いてもらい、さらに学園による厳正な最終審査を通過して、初めて一人前の専属トレーナーとして独立できる仕組みになっていた。
なぜ、そんな面倒な下積みシステムを導入しているのか。
それは、全国各地から指折りの実力と才能を兼ね備えた「国家の至宝」とも言えるウマ娘たちが集まるこの最高峰の学園において、半端な実力の新人に彼女たちの未来を委ねるわけにはいかないからだ。現場でしか学べない指導能力や、ウマ娘のメンタルケアを徹底的に叩き込むための、いわばトレーナー育成の合理的な風習だった。
だが、この過酷な下積み時代はトレーナー界でも最強の壁と言われており、過酷な激務や人間関係が原因で、ここに来た新人トレーナーの実に1割は、一人前になる前に学園を去ると言われている。
ウマ娘のトレーナーという職業は、それほどまでに甘くない世界なのだが――青島にとって、問題はそんな生易しいところにはなかった。
「その、アシスタント期間を経て審査をクリアして、一人で担当を持てるようになるまで……短くても3年、長ければ5年はかかるらしいんだ。……アサマ、俺の言いたいこと、分かるか?」
「つ、つまり……どう考えても、あの自称神が定めた『1年以内』という期限には、物理的に時間が全く足りない、と言いたいのですね……っ」
「……そうだ。その通りだ。このまま普通の手続きを踏んでたら、俺は担当を持つ前に、心停止で死ぬ」
俺からの冷酷な説明を聞いた後、アサマは目の前の絶望的な現状に、メジロの始祖としての痺れを切らし、突如として立ち上がった。
「……では、一体どうするのですか! これでは、始まる前から完全に詰んでいるではありませんか!? ……こうなれば、私、今すぐこの学園の理事長室へ直談判しに行ってまいりますわ! あまりメジロの権力を使うようなやり方は好みませんけれど、私の父はこの中央学園に多額の寄付をしておりますの! メジロの名を出せば、多少の特例など、力づくで認めさせてみせますわ!!」
憤然とベンチから立ち上がり、今にも校舎へ殴り込みに行こうとするアサマの細い手首を、俺は慌てて掴んで引き止めた。
「落ち着けってアサマ! ここでメジロの名を語っても、お前の親父さんの名前を出しても無駄だ! 60年前の寄付なんて現代のデータに残ってるか怪しいし、第一、そんな目立つ真似をして『メジロアサマ』の名前を出したら、一発で俺たちの正体がバレて、その瞬間に俺は死亡処置(ペナルティ)だぞ! 落ち着けよ!」
「離してくださいまし、あなた!! こうでもしなければ、他にあなたの命を救う方法がありませんわ!」
アサマは必死な形相で、俺の制止を振り切ろうと掴まれた手を外そうともがく。
「いや、まだ方法はある! 大丈夫だから、まずは俺の話を最後まで聞いてくれって!」
「!?……あなた。それは、本当なのですか!?」
「ああ。だから、一回落ち着いて座れ。本題は、ここからなんだから」
俺の強い言葉にアサマはようやく冷静さを取り戻し、小さく息を吐いてベンチに座り直した。俺は、道中で必死に組み立てた唯一の生存戦略を彼女へ説明する。
それは――。
「――サブトレーナー(助手)として、私をチームに引き込ませる、ですか!?」
「そうだ。っていうか、システムの網の目を潜り抜けるには、もうそれしか方法がないんだよなぁ」
新人が専属で担当(メイン)を持てないなら、すでに発言権のある強力なベテラントレーナーの『チーム』にアサマを所属させ、そこに俺が「サブトレーナー」として潜り込む。そうすれば、書類上はベテランの管理下だが、実質的には俺がアサマの指導を付きっきりで行うことができる。
「……確かに、ルールを逆手に取るならそれしかありませんわね。ですが、当てはあるのですか? 実績のないあなたをわざわざサブとして雇い、さらに私の育成を任せてくれるような都合の良い方が、この学園に……」
「まあ、こればっかりは片っ端から当たってみなきゃ分からんのよね。あと、その直接の上司になるメインのトレーナーの人間性も、慎重に見極めないと、アサマの走りが捻じ曲げられちまうからな」
頭の後ろで両手を組み、困ったように青空を見上げる俺に、アサマは少し心配そうな、しかし強い念を込めて尋ねてきた。
「……あの、一つだけ要望を。先ほど選抜レースの後、私に浅ましい強欲な手を伸ばしてきた、あの小太りの男性トレーナーだけは……出来れば候補から完全に外していただけると嬉しいのですけれど」
「分かってるって。あんな私利私欲の塊みたいなタイプは、最初から候補の1ミリにも入ってないから安心してくれ」
俺が笑ってそう告げると、ベンチから立ち上がり、大きく身体を伸ばした。
「まあ、そんな訳で、あとはその条件に合うトレーナーが俺をサブで雇ってくれるかどうかだな。こればっかりはそれこそ、神頼み(クソ神だけど)ってところだな」
「神頼み……ですか。理不尽ではありますが、それ以外に道がないのであれば、仕方がありませんわね」
アサマも続けて立ち上がろうとした瞬間、俺が目の前にすっと右手を差し出したことに気がついた。彼女はほんの一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに微笑むと、「ありがとうございます」と、その暖かく大きな手を取った。
「では、あなた。私は更衣室で着替えてまいりますわ。流石に、この未来の体操服のまま街を歩くわけにはいきませんもの」
そう言うと、アサマは自身の荷物を胸元に抱え、もじもじと足元を弄びながら、上目遣いで尋ねてきた。
「あの……その、着替え終わった後……もしよろしければ、また一緒に、お家に帰れたり……しますかしら?」
「いや、悪い。俺はこれから、サブで雇ってくれそうなトレーナーの資料を漁りに職員室へ戻らなきゃならないんだ。だから、先に戻っててくれ」
「そ、そうですわよね。まだ、大切なお仕事がありますものね……」
一緒に帰れないと分かった瞬間、アサマのウマ耳は目に見えてシュンと前に倒れ、ついさっきまで嬉しそうにパタパタと揺れていた尻尾は、完全に力なくダラリと垂れ下がってしまった。
あまりにも分かりやすく落ち込んでいる彼女の機嫌を直すため、俺は思いついて自販機の方を指差した。
「そうだ。ちょうどいいから、俺がそこの自販機で冷たい飲み物でも買ってきてやるよ。レースの後で喉が渇いてるだろ? 着替え終わったら、またここで待ち合わせな」
「――っ、あなた! はい! では、私、大急ぎで着替えてまいりますので、少しの間だけ、そこで待っていてくださいましね!」
アサマのウマ耳が再びピコピコと跳ねる。嬉しそうに背を向けて更衣室へと急ごうとする彼女の後ろ姿に、俺は慌てて声を張り上げた。
「ちょっと待った、アサマ!」
「なんですの?」
不思議そうに振り返る彼女に、俺は周囲を警戒しながら小声で告げる。
「少なくとも、この学園内では俺のことを『あなた』って呼ぶの、本当にやめてくれ。ちゃんと『青島』っていう偽名があるんだから、外ではそっちで呼んでくれよ。俺が決めたわけじゃないけど、そんな新婚みたいな呼び方、周囲の奴らに余計なスキャンダルを生むだけだからな」
俺の必死な忠告を聞いたアサマは、一瞬だけ呆気に取られた後、まるで悪戯を大成功させた子供のような、最高にチャーミングな笑みを浮かべて言い放った。
「――これは大変失礼いたしましたわ。私だけの、大切なお役目を持った、担当トレーナーの……青島さん♪」
アサマはクスクスと楽しげに笑うと、腕の中の荷物をさらに愛おしそうに強く抱きしめ、足早に更衣室のノブを引いて消えて行った。
その嵐のような去り際を見送りながら、俺は深いため息を吐き出す。
(アサマの奴……今、完全に俺のこと面白がってからかってただろ……)
だが、不思議と嫌な気持ちにはならず、むしろ俺の口元にも、自然と温かい笑みが浮かんでいた。
「さて、アサマが戻ってくる前に、さっさと自販機で飲み物を買っておくか」
俺は踵を返し、中庭の奥にある自動販売機へと向かった。
◇
【数分後・トレセン学園 自動販売機前】
自販機にたどり着いた俺は、上着の内ポケットから支給された財布を取り出し、小銭を投入口へと滑らせた。さて、何を買おうかとボタンを眺めた瞬間、ある致命的なミスに気がつく。
(……あ、しまった。アサマに何が飲みたいか、具体的な好みの種類を聞くのをすっかり忘れてたな)
まあ、レースの直後であることを考慮すれば、無難にスポーツドリンク系かミネラルウォーターで間違いはないだろう。流石に昭和のウマ娘とはいえ、この炎天下の運動後に『缶おしるこ』を選ぶような暴挙には出ないはずだ。
どれにしようかと指を迷わせていた、その時だった。
背後の建物の陰から、コソコソとした、しかし妙に耳に障るヒソヒソ話が聞こえてきた。
「ゴ……ップさn……の人……」
「お!……kんじの……kん……」
「な…ダs……。h……nか?」
「せ……gた。ほんt……やr……dか……」
かなり声を潜めているのか、電波の悪いラジオのように内容までははっきりと聞き取れない。だが、この自販機に飲み物を買いに来た、お喋り好きな女子生徒たちだろうか。聞こえてきた足音は、確実に俺の背後へと近づいてきている。
あまり後ろの人間を待たせるのも悪いな、と俺は自分用の水と、アサマ用のスポーツドリンクのボタンを素早く押し、ガコンと落ちてきた2本のペットボトルを回収して、約束のベンチへ戻ろうと勢いよく振り返った。
「――っ!?」
その瞬間、俺の全身の細胞が恐怖で凍りついた。
後ろに並んでいた『それ』は、この世のあらゆる日常から著しく逸脱した、あまりにも異質で怪しすぎる存在だったのだ。
俺の後ろに等間隔で綺麗に並んでいた4人のウマ娘。彼女たちは全員、一目で上質なものと分かる黒い目出し帽(マスク)を頭からすっぽりと被り、その上からさらに漆黒のサングラスを装着するという、どう見ても現行犯の銀行強盗にしか見えない凶悪なスタイルで佇んでいた。
そして――俺は、このあまりにも不審者が極まっているウマ娘たちを、死ぬほどよく知っていた。
面識などあるはずがない。だが、この2周目の世界に来る前の前、俺がただの一般人として画面越しにゲームやアニメを楽しんでいたあの平和な世界で、彼女たちの活躍を何度も、何度も目撃していたからだ。
あの頃は、「実際に会えたら夢みたいだな」なんて呑気な妄想をしていたこともあった。
だが、今の俺の感想は真逆だ。今この瞬間、俺がこの学園で『最も関わりたくない、遭遇したら破滅するウマ娘リスト』の筆頭に、彼女たちは君臨していた。
いや、正確に言えば、彼女たちそのものではなく、その中心にいる「とある一人のウマ娘」にだけは、絶対に接触してはならなかったのだ。
アサマに対しても、初日に「学園でそいつを見かけたら、何が何でも全力で逃げろ」ときつく注意していた、まさにその張本人が、あろうことか注意した本人の目の前に現れたのだ。
しかし、意味が分からない。なぜ、中央のトップスターであるはずの彼女たちが、こんな不審者極まりない格好で、新人の俺の後ろに並んでいるんだ……!?
あまりの超展開に脳の処理が追いつかず、俺がその場でペットボトルを握りしめたまま完全に硬直していると――
その、俺が最も警戒している『リストの頂点』であり、この不審者集団のリーダー格であろう、目出し帽の隙間から美しい銀髪のロングヘアをなびかせたウマ娘が、骨張った指先でビシッと俺を指差しながら、背後の3人へ向けて冷酷な指令を下した。
「――スカーレット、ウオッカ、スペ! やっておしま〜い!!」
「「「はい! “ゴールドシップ”さん!!」」」
「お、おい!? いきなり何す――っ、ちょ、前が見えな……うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
次の瞬間、視界のすべてを、埃っぽい極厚の麻袋が容赦なく覆い尽くした。
背後からウマ娘特有のバカげた怪力で両腕をがっちりと拘束され、青島の視界は、なす術もなく完全なる真っ黒な絶望へと染まり果てるのであった――。
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