メジロマックイーンだと思ってスカウトしたら、おばアサマの方でした。 作:風神・雷神
私のトレーナーは、とても明るい人。
私が、まだあの人と契約したばかりで素直になれずにいた頃、キツイことを言ってしまっても嫌な顔をせず、いつも献身的にサポートしてくれていました。
私がレースを1着でゴールすると、まるで自分がレースで勝ったように喜んでくれました。
私よりも喜んでいる姿を見て、それが面白くて不思議とこちらまで、笑ってしまいました。
いつからか、私が勝ちたいから勝つ、家の栄光のためではなく、彼が笑って喜んでくれる姿が見たくて、私は走るようになっていました。
いつしかそんな日々に私は、心から満足だと感じていました。
ただ、一つだけ不安な点がありました。
それは彼は怒ったり、悲しんで涙を流したりなど、人としての弱さを、表立って出している所を、私は見たことがなかったのです。
ですが、レースで勝って彼が笑って出迎えてくれますと、いつもそんな不安はどこか消えてしまうのでした。
いつも頼りにしていたトレーナーの急な変わり具合に、アサマは困惑していた。
いつも明るく笑顔が絶えないとは違うが、トレーナーは人並みには笑っている人であった。
なので、いつも近くで見ていたアサマにとって今のトレーナーの姿は、しゃがみ込み、体全体を震わせ、その姿はとても弱弱しく映り、今回の選択を間違えてしまえば、トレーナーの心の大切な何かが壊れてしまうをのではないかと、アサマには思うほど見えてしまう。
アサマは、今自分に何が出来るか必死に考えていた。
テストでいい点が取れなかったり、レースの結果が散々で落ち込んでいる学友を励ますようにとはいかず、いい考えが思いつかないで焦ってしまう。
言葉で励ます、今の置かれている現状に同情する。
など、上っ面のそんなものでは、トレーナーには届かず意味がないだろう。
アサマが考えている間も、時間は止まってはくれず刻一刻と過ぎていく。
あまり時間を掛けてはトレーナーの精神が持たないことは承知の上だが、どうしてもいい方法を思いつけずにいた。
(……どうしましょう。どうしましょう。……あの人の一番近くにいた私は、何もできないまま見ている事しか出来ないですか。)
何かいい方法はないかと必死に考えるが分からず、両目を瞑るのにも力が入ってしまう。
(何でもいいんです!何か……何かいい方法は……!!)
トレーナーの手を握る自分の手を見たアサマは、雷に打たれたような感覚と一緒に、元気づける方法を考えつく。
アサマには確証はなかったが、これでダメなら本当にお終いだと思いながら行動に移った。
もう、限界だった。
やっと、この呪いから解放されるんだと思っていた矢先に、こんなことになってしまった。
浮かれていた自分自身に腹が立つ。
だが、浮かれてしまうほど精神的に限界だったのかもしれない。
失敗すると自分が、死んでしまうかもしれない恐怖と戦う日々に。
もう2週目をやる元気なんて残っちゃいない。
自分を支えていた何かが、始まりの合図の胸の苦しみと一緒に崩れ落ちてしまった。
このまま、死んでしまった方が、どれだけ楽か。
もう、いっそのことここで終わらせれば……。
「……あなた。顔を上げて下さい。」
全て投げ出してしまおうと考えていると、頭の上から声が聞こえた。
声の主は、アサマだった。
……そういえば、俺はアサマの前で泣いていたのか。
顔を上げろと言われても、今の自分が情けなくて顔を上げられない。
担当していたウマ娘の前で、大の大人が体中を震わせて泣いている。
こんな無様を晒したら、普通なら見捨てられてもおかしくない。
彼女だって、突然こんなことに巻き込まれ、混乱して自分の事で精一杯なはずだ。
なのに、アサマは俺に気を使って声をかけてくれている。
そう考えると、自分自身が惨めに思えた。
もしかすると、アサマは俺に失望したのではないかと考え始めてしまった。
アサマは、なんて俺に言うのだろうか。
『情けない人』と言われて呆れられるか、それとも今の俺のみっともない姿に腹を立てて怒るのだろうか。
……もうどうだっていい。
だから、もうすべてアサマに任せてしまおうと思った。
「……失望したよな。俺の事は、もう構わなくていい。……お前は失敗しても、死なずに期限が来れば元の世界へ戻れるはずだからな。だったら、このミッションに付き合う意味もないんだから。だから、俺の事は捨てて構わない。それに、たかがウマ娘とトレーナーの関係なんだから、手伝うメリットなんてない。あと、安心しろ。直ぐにお前の前から消えるからな。あと……。」
惨めさを紛らわす為なのか、思ってもいないことが言葉として、口から出てしまった。
「……顔を上げなさい。」
怒っているのか上から聞こえた声は、さっきよりも一段声のトーンが下がって聞こえてきた。
これは、少なからず不満や苛立ちを抱えている時に良く起こる。
一体何に対して怒っているのか分からないまま、俺は言われた通りに顔をゆっくりと上げた。
旅館から貸し出された浴衣を着ていたアサマが目に入る。
腰回りに巻かれた細い帯が緩み切って、生地が薄いせいもあり、胸元がらへその辺りまで浴衣を着崩し、白い肌が露わになっていた。
彼女は、そんな事を全く気にする素振りを見せず、ゆっくりと俺へ腕を伸ばし、頭の後ろに回された手が当たると、ギュッと抱き寄せられた。
予想していなかった行動のため、頭がフリーズしかけている所に耳元で声が聞こえてきた。
「……よく、一人でがんばりましたわね。トレーナーさん。」
罵声でもなく、失望して別れの言葉を突き付けられると思いきや、そんなこと考える必要なんて無かったような、優しさに溢れた言葉を聞いて、押さえていた感情が涙と共にあふれ出しそうになるのを必死に我慢する。
「な、なにしてるんだ。……やめてくれ。一体なんだって……。」
後ろに回された手は、俺の頭を優しく撫でる。
まるで、母親が泣いている子供にするような、慈愛で満ち溢れていた行動だった。
「誰にも、相談せずにここまで来るのは、さぞ辛かったでしょう。でも、もういいんです。もう一人で悩まなくても。」
……言葉を聞いて必死に我慢する。
続けてアサマが一呼吸おいて続ける。
「そんな苦しい状況に置かれていたにも関わらず、今まで支えて頂いてありがとうございます。」
……必死に我慢する。
次もアサマが一呼吸おいて続けた。
「私が知る限り、ほぼ休みなく私の為に働きに来てくれましたね。とっても、えらいですわ。」
話を聞くと、そう言えば前では殆ど休んだりしなかった、なんて思い出してしまう。
……我慢する。
またアサマは話続ける。
「私、あなたの弱音を今回初めて聞きました。状況が特殊なのは分かります。表に出さないこともとても立派だと思いますわ。しかし、ため込んだままにするのは、心にも体にも良くありません。ですから、今後は気軽に私に相談して下さいませ。約束ですよ。」
……。
失敗した我が子を、優しく諭すような雰囲気に当てられ、俺は我慢できなくなり、心の底から言葉で言い表せない何かがこみ上げてきた。
でも、あえて言うなら、今まで散々押し込んできた感情が、アサマの優しく温かな言葉に耐えられず溢れ出て、それは前が見えなくなるほどのものだった。
見てくれた兄貴、姉貴、お嬢様方感謝します。