メジロマックイーンだと思ってスカウトしたら、おばアサマの方でした。 作:風神・雷神
……俺のこと、失望したりしてないのか?」
「どうして失望するのですか? お話の意図が全く分かりませんが……」
「分からないって……。今の俺の、あんな情けない姿を見てただろう! それを見て、何も思わなかったのか?」
俺の問いかけに、アサマは小さく息をつき、俺の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「ああ、そのことですか。情けないと言うよりは……いつもは見られないあなたの一面が見られた、くらいにしか思っていませんわ。ですが……私から一つ、よろしいかしら。あなた」
アサマはそこで言葉を区切ると、深く、大きく息を吸い込み、一言一句を噛み締めるようにゆっくりと話し出した。
「私は、誇り高きメジロ家のウマ娘、メジロアサマです。そして、あなたは私のトレーナー。私たちは、一心同体です。損得や保身であなたを見捨てることなど、決して、万に一つもあり得ません。ですから……自分を捨てろだなんて、そのような寂しいことはもう二度と言わないでください。私も、全身全霊であなたを支えます。ですから――」
「どうか、私を信じてください! トレーナーさん!」
その真剣な眼差しから、彼女が本気で俺の力になりたいと思ってくれていることが、痛いほど伝わってきた。言い終えたアサマは、いつもの気高くも、どこか柔らかな優しい笑顔を俺に向けてくる。
「ですので、どうか涙を拭いてくださいまし。折角のいい男が台無しですわ」
そう言いながら、彼女は俺の頬に残る涙の跡を、そっと指先で優しく拭ってくれた。
そんな彼女の強さに触れて、俺は心から、このウマ娘の魂はなんて気高く、強いんだと圧倒されていた。
「……アサマは、強いな。俺とは大違いだ」
「いいえ。私は決して強くなどありませんわ。……あなたがいるから、強くいられるのです」
「……そうか」
「ええ。ですから、もし私が弱ってしまうようなことがありましたら、その時は助けてくださいね? 私の、担当トレーナーさん」
悪戯っぽく微笑みながらアサマは立ち上がり、床に座り込んでいた俺へ向けて、すっと手を差し伸べた。
「……分かった。その時は、任せてくれ」
彼女が差し伸べてくれたその細い手は、暗闇の底から俺を引き上げてくれた、紛れもない救いの手だった。
その手を取り、しっかりと握りしめて立ち上がると、アサマが今度は子供のように目をキラキラと輝かせながら話し出した。
「では、あなた! 折角ですし、この未来の町を見に回りましょう! 私、さっきから窓から見える景色が気になって仕方がありませんの。一緒に行きましょう!」
彼女が弾んだ声で指さす窓の向こうには、俺たちのいた時代には存在しなかった、高層ビル群が立ち並ぶ未来の景色が広がっていた。
「まあ、行くのはいいけど……その、まずはその格好をどうにかしないとな……」
俺の指摘に、アサマは不思議そうに自身の視線を下へと向ける。
そして――胸の辺りがパックリと大きく割れ、お腹の辺りまで丸見えになっていた浴衣の惨状に、今更になって気がついた。
「っ!!!???」
アサマは顔を一瞬で真っ赤に染め上げると、大慌てで浴衣の合わせを正し、どうしてすぐに言ってくれなかったのかと、涙目のジト目で猛烈に訴えかけてくる。
「……ッ、スケベですわよ、あなた……っ!!」
「いや、俺も今気づいたんだって! 許してくれ……!」
◇
あの後、支給されたらしい家の中を二人で見て回った。
家には一通り生活に必要な家具家電が完璧に揃えられていた。リビングにはふかふかのソファーと大型の液晶テレビ。キッチンには最新式のIHクッキングヒーターや、見たこともない大容量の冷蔵庫。
他にも色々な部屋があったが、中でも異彩を放っていたのが、女物の服が文字通り大量に用意されている衣装室だった。恐らく、アサマのためにあのクソ神が用意したのだろう。
それに比べて俺の分のクローゼットには、スーツがたったの1着。しかも、ここに来る前に仕事用で着ていたものと全く同じデザイン。さらにポケットには、前に使っていた財布が入っており、中身は高価な買い物を連発しない限りはしばらく困らない程度の日本円が入っていた。
(この、ウマ娘とトレーナーに対する格差は一体なんなんだ……)
だが、女物の衣類が所狭しと並ぶ衣装部屋に入った途端、アサマは少女のように目をキラキラと輝かせた。服や、鏡台に置かれた化粧品を品定めするように見つめると、『少しお時間をいただきますわ』と言い残し、バタンと室内に籠もってしまった。
それからしばらくして、部屋から出てきた彼女の姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。
旅館での浴衣姿とはガラリと変わり、黒色のラインがワンポイントで入った、グレーのカジュアルなワンピースに身を包んでいた。落ち着いた大人の印象を感じさせるファッションで、初めて着る未来の服のはずなのに、驚くほど完璧に着こなしている。
彼女曰く、昔着たことのあるお気に入りの私服にシルエットが似ていたから選んだらしい。
化粧や髪のセットはまだ控えめで、これから未来のトレンドを色々調べてから本格的に挑戦するとのことだった。変に街中で目立たれても困るので、こちらとしても非常にありがたい。
アサマはそわそわと、どこか落ち着かない様子で俺の前に近づいてくると、上目遣いに尋ねてきた。
「……何か、言うことはありませんの?」
「あ、ああ……。初めての服なのに、普通に私服っぽく着こなしてて、凄いな」
「……」
俺の率直すぎる感想が微妙だったのだろうか。アサマはほんの少しだけ不満そうに眉を寄せると、『あなたは、相変わらずそういう人でしたわね』と小さくため息をつき、くるりと背を向けて玄関へ向かって歩き出してしまった。
彼女なりに、まだ元気のない俺を元気づけようと着飾ってくれたのだと思う。
(……今の、もっと可愛いとか綺麗とか言えばよかったのか?)と正解の選択肢を必死に考えながら、俺は慌ててアサマの後を追った。
◇
同日。場所、某商店街。
「それにしても、本当に未来の世界なのですね。試しに町中を歩いてみましたが、見る物すべてが違って見えますわ」
「紙に書いてあった内容だと、あれから60年は経ってるからな。そりゃ街並みもコンクリートジャングルに変わるだろ」
俺たちが繰り出した現代の街は、近代化が凄まじいスピードで進んでおり、俺のいた昭和の時代とは完全に別世界だった。アサマは子供のようにキョロキョロと周囲を見回しながら歩く。
「!! あなた、見てください! あそこにあるのは……確か、テレビですわよね? 信じられないほど薄いですわ……。それに、色が、色がついています……!」
アサマは電気屋の店頭に展示されている最新の薄型4Kテレビを見つけると、ガラスに顔をくっつけんばかりの勢いで物珍しそうにまじまじと見つめている。
それを見て、俺はしみじみと思ってしまった。現代の利便性に慣れきっていた俺にとって、あの昭和の時代での生活は正直かなりキツかったのだ。
ネットなんてない。スマホなんて当然ない。当時の最先端といえば、いわゆる「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫。それすら自力では到底買えず、アサマにお願いして、メジロ家の伝手でどうにか安く仕入れてもらったのは、今となっては良い思い出である。
……まあ、当時の俺はほぼ学園のトレーナー室とメジロ家の資料室に籠もりきりで仕事漬けだったため、家電がなくても大して家に帰っていなかったのだが。
テレビに夢中になっているアサマを見て、俺は今後、この世界で生きていく上での超重要注意件を思い出した。
「なあ、アサマ。ちょっといいか」
「なんです? あなた」
「いや、その……街中とか、他人の前で俺のことを『あなた』って呼ぶの、もうやめないか? 色々と、教育上というか、外聞的にまずいと思うんだよ。だからさ――っ!?」
突如、背筋に強烈な悪寒が走り、俺は言葉を詰まらせた。
隣を見ると、アサマはニコニコと可憐に微笑んでいる……ように見えるのだが、その双眸の奥は完全に据わっており、気のせいか彼女の背後からドス黒いオーラのような精神圧が立ち上って見える。
「……何か、問題でもありまして?」
「いや、だって……アレじゃん。周りの人に、俺たちの関係を妙に勘違いされるかもしれないしさ……」
「……そのような関係に見えて、何か不都合でも?」
「ほ、ほら! 最初に学園でスカウトした時、アサマ自身も言ってたろ!?『トレーナーと担当ウマ娘がそんな爛れた関係に見えたらよろしくない』って! それに、名門メジロ家のご令嬢と、ただの新人トレーナーの俺じゃ、そもそも釣り合いが……」
「何か。問題が、ありまして?」
「……何でもありません。むしろ……大変光栄です、はい」
「そうですか。分かればよろしいのです。では、ちょうどいい時間になりましたし、あのお店でお茶にでもいたしましょう」
にこりと満足そうに微笑むと、アサマは歩みを止め、すぐ側にある一軒のカフェを指差した。
「……ウっス」
正直、このモードに入ったアサマには天地がひっくり返っても逆らえない。
まあ、ちょうどいい機会だし、落ち着いた場所でこれからの「ミッション」についての状況整理をするのも悪くない。俺はアサマの提案に賛成し、そのお洒落な店の扉をくぐった。
店内は、白やピンクを基調とした非常に可愛らしい内装で、机や椅子、細かな小物に至るまでメルヘンチックな世界観で統一されていた。当然、客層は若い女性や女子生徒が圧倒的多数を占めている。
「いらっしゃいませ! 2名様でよろしいでしょうか?」
白とピンクの、これまた個性的な制服に身を包んだ店員さんが笑顔で迎えてくれた。
「はい。二人でお願いします」
「かしこまりました。……あ、あの、大変不躾な質問で恐縮なのですが、お席の仕様の関係上、お客様お二人の『ご関係』をお伺いしてもよろしいでしょうか……?」
「え? あ、はい。自分たちは、その――」
「恋人ですわ」
「はい?」
俺が言い淀んだ瞬間、アサマが俺の腕に自身の腕をぐっと絡めながら、店員との会話に満面の笑み(圧付き)で食い気味に割り込んだ。
「えっ!? あ、あ、失礼いたしました! 大変お似合いのカップルですね! では、特等席へご案内させていただきます……!」
「ええ、よろしく頼みますわ。……さあ、行きましょう? あなた」
「いや、ちが、アサマ、おま……っ」
弁解を試みる俺の言葉など完全に無視し、アサマは嬉しそうに俺の腕を引いて店員の後に続く。
案内された席につくと、テーブルの上に置かれたメニュー表には、表紙一面にデカデカと『期間限定・カップル限定特大スイーツ』の文字と写真が載っていた。
対面に座るアサマが、ふいっと視線を逸らしながら、その表紙をトントンと指先で叩く。
「……どうしても、外で見かけたのぼり旗に載っていた『これ』が気になってしまいまして。だから、あんな風に言ってしまいましたの。他意はありませんわ」
「お前な……。そういう目的があるなら、入る前に前もって言ってくれよ。店員さんの目、明らかに俺を犯罪者を見るような目で怪しんでただろ」
この近くには中央トレセン学園があるらしく、街中にも学生ウマ娘の姿が多く見られる。そんな場所で、大人の男が若いウマ娘を連れて「恋人です」などと言えば、一発で不審者案件だ。
「あら、そうですかしら? でしたら、あの店員さんには、私達はどのように見えたのかしらね。……微笑ましい普通のカップル? それとも、トレーナーと担当ウマ娘の『一線を越えてしまった関係』……と思われているかもしれませんわね?」
「ただでさえ目立つ行動は控えなきゃ死ぬ(物理)ってルールなのに……勘弁してくれよ……」
俺が本気で頭を抱えると、アサマは『フフッ、冗談ですわ』と楽しそうに笑い、メニューを見て頼むものが決まると、スマートに店員を呼んで注文を済ませた。
◇
注文した品が届くまで、静かにコーヒーを飲んで待っていると、さっきとは違う店員さんが、ひどく申し訳なさそうな顔で俺たちのテーブルへと近づいてきた。
「お客様、大変申し訳ございません。ただいま店内が大変混み合っておりまして……もしよろしければ、こちらのお席、おウマ娘様1名との『相席』をお願いすることは可能でしょうか……?」
それを聞いた俺は、すかさずアサマの方へと視線を送る。アサマは少しだけ困惑の表情を浮かべたが、すぐに名門としての寛大さを見せるように微笑んだ。
「私は、構いませんわよ」
「こっちも大丈夫です」
「ありがとうございます! すぐに連れてまいりますね!」
店員さんはホッとしたように頭を下げ、席を離れていった。
それにしても、俺たちより相手側のウマ娘の方が大丈夫なのだろうか、と少し心配になる。俺たちは今、建前上「バカップル風」としてこの席に座っているのだ。そんな空気の席に相席させられるなんて、気まずいなんてレベルではないだろう。
そんなことをぼんやりと考えていると、店員が一人の客を連れて、席へと戻ってきた。
だが。
店員の後ろから歩いてくる、そのウマ娘の姿が視界に入った瞬間――俺の心臓は、恐怖と衝撃で文字通り跳ね上がった。
(……嘘、だろ……!? どうして、よりによって、今、ここで『彼女』なんだ……っ!!!)
艶やかで気品ある長い栗毛の髪、片耳に揺れるリボン。優雅でありながらも、決して奢ることのない名門の誇りを宿した双眸。
かつて俺がいた世界で「史上最強のステイヤー」と呼び声高かった競走馬の魂を受け継ぎ、そして、今の俺にとっての『最推しウマ娘』である、あの少女。
「突然の相席、失礼いたしますわ。私、メジロマックイーンと申します」
淑やかな、非の打ち所がない完璧なお辞儀をして微笑んだのは――本物の、現代のメジロマックイーンだった。
まずい。最悪だ。
神のルール『メジロアサマ以外の第三者に、正体や身に起こったことがバレたら即死亡』というペナルティが脳裏をよぎる。いくら俺の最推しとはいえ、今メジロ家の根幹であるマックイーンに接触するのは、あまりにもリスクが高すぎる。
(アサマ、ここは一旦、注文をキャンセルしてでも撤退しよう……!)
そう伝えるために、俺はすがるような思いでアサマの方を見た。
しかし。
「メジロ……マック……」
アサマは「マックイーン」というその名を聞いた瞬間、ほんのわずかに思考する素振りを見せた。そして、口元に運んでいた紅茶のカップを、静かに、カチャリと受け皿の上へと置いた。
その視線が、ゆっくりとマックイーンへと移る。
「メジロマック――そうですか。あなたが……」
アサマがそう呟いた瞬間。
……ドサリ、と、俺たちのテーブルの周りの空気が、一瞬にして極低温まで凍りついたような凄まじい錯覚に襲われた。メジロ家初代の、本物の『怪物』としての覇気が、アサマの身体から無意識に漏れ出している。
マックイーンもまた、初対面のウマ娘であるアサマから放たれた、信じられないほど重厚で気高い「メジロの気配」を本能的に察知したのだろう。その美しい顔をわずかに強張らせ、ごくりと息を呑んでアサマを見つめ返した。
血の繋がった、しかし決して交わるはずのなかった祖母と孫の、60年の時を超えた視線の交錯。
張り詰めた沈黙の中、アサマの唇が、ゆっくりと弧を描いた。
「ええ。私も、あなたとは一度、じっくりとお話ししてみたいと思っておりましたの。……どうぞよろしくお願いしますわね、メジロマックイーンさん?」
そう言って微笑むアサマの顔は、完璧に美しくにこやかだったが。
その双眸の奥だけは――これっぽっちも、笑っていなかった。
豆知識
アサマは怒るとコワい。