階段をゆっくりと上り、屋上へと到着する。
そこに待ち受けていたのは三人の男たちだった。
「……来たようだな」
ドスの効いた龍園の声が響く。ニヤリと不敵に笑い、俺たちを順番に睨みつけていく。
その隣に立つのは、石崎とアルベルト。龍園の側近だ。
「龍園よ、お前はもう少し賢い奴だと思っていた……うわっ!」
俺が話し終わるのを待たず、アルベルトが飛び掛かってきた。
こちらと視線が合わない。つまり狙いは俺ではない……ならば!
「きゃあああっ!」
「あっぶねえな、この野郎!」
俺は横っ飛びで恵ちゃんの身体を抱きかかえ、押し倒す。
アルベルトの右ストレートが背中の上を空過した。なんとか回避できたらしい。
この奇襲には腹が立った。最初から話す気はねぇってか!
うつぶせに倒れた状態から体を横転させ、勢いのまま足を払う。
当然回避されてしまったものの、その行動により大きなスキが生まれた。これで十分だ。
絶好のチャンスを清隆が見逃すはずもなく、瞬時に現れアルベルトの鳩尾を蹴り飛ばす。
バゴンッ!と、凄まじい轟音が響き渡る。これは肋骨の一本ぐらいは折れたかもしれない。
「グ……グゥ………」
アルベルトは呻いた後、膝をついて崩れ落ちた。
……視線を移すと、すでに石崎は伸びていた。アルベルトのマークが俺たちの方へ向いている間に、秒でノックアウトしたようだ。さすが仕事が早い。
これで与えられた役割は果たせたと思う。俺に課せられたミッションは敵のマークを分散させる囮。石崎を潰すまでに必要な、たった数秒間の時間稼ぎであるからだ。
特にそういう指示を受けたわけではないが、清隆が俺に何を期待しているかぐらいのことは聞かずとも理解できる。だって親友だからな。
「恵ちゃん、大丈夫か?」
「うん、なんとか……守ってくれてありがとう」
清隆ほどの力があれば、三人の敵を殲滅すること自体は容易なことだろう。しかし、複数人による先制攻撃……恵ちゃんへ向けた攻撃と清隆自身への攻撃を同時に受けるのは、さすがに難しい。それでも彼なら不可能とは言い切れないものの、不確定要素が大きい。勝利をより確実にするために俺を呼んだというわけだ。
要するに、俺はアルベルトの初撃から恵ちゃんを守った時点で目標達成である。
「ククッ、すげえ。やっぱり全ての元凶はテメェだったか」
「何のことだ?」
一分足らずで二人の部下を潰された。
それでも龍園は余裕の態度を崩さないまま、清隆との距離を詰めていく。
冷たい風の吹く屋上で、彼らは向かい合う。
「おいおい、まだとぼけるつもりかよ。それにしても……暴力まで一級品とは御見逸れしたぜ」
龍園はパチパチと手を叩いた。その顔はどこか楽しそうでもある。
俺は恵ちゃんの手を取って立ち上がった後、距離を取って彼らの戦いを眺めることにした。
これは二人の男によるタイマンだ。水を差すような真似はよした方がいい。
一瞬の静寂。
「オラァッ!」
開戦は龍園の方からだった。
力のこもった右ストレートが清隆に迫る。
「……暴力はお前たちの専売特許じゃない」
小さく呟きながら、清隆はそれをいとも簡単に避ける。そして、そのまま膝蹴りを脇腹へお見舞いした。かなり重たい一撃だ。
「チッ……」
「お前は何がしたいんだ?」
清隆は表情を変えぬまま、倒れた龍園の前髪を掴んで無理矢理立ち上がらせた。
ここに来る前に格闘技の経験を聞かれたが、この戦いはそういう次元のものではないと思った。ルール無用の喧嘩。純粋な戦闘力よりも、修羅場をくぐった数が勝敗を左右する。
(こんなの、俺が参戦したところで何もできないな)
あまりにも乱暴な戦闘。介入することは考えられない。万一こちらにターゲットが向いた際にすぐ脱出できるよう、俺は恵ちゃんを屋上の出口付近に誘導した。
しばらく殴り合いが続く。
圧倒的に清隆が押していることは、誰の目にもわかる。しかし……思った以上に龍園も強い。
何度も何度も殴られ蹴られ、身体をボロボロにしている。だが奴は必ず立ち上がり、絶対に諦めない。その目はギラギラと輝き、今のところ闘志を失う様子は見られない。
そして、清隆の拳がついに空を切った。
初めて避けることに成功した龍園は、チャンスを逃すまいとその右腕を抱え込む。
剥き出しになっている手首にガブリと噛みついた。皮膚が破れ、血が滲み出る。
「……」
清隆は痛そうな素振りを見せないまま、噛みつかれた腕をそのまま振り回した。
手首の血管が破れて血が吹き出すが、全く気にしていないようだ。
「なんだとッ!?」
そんな予想外の動きを受けて、龍園の動きが一瞬だけ止まった。
清隆はその隙を咎めるかのように、噛みつかれていた方とは逆の手でアッパーを繰り出す。
強烈な一撃が顔面に炸裂。ゴキッと、骨の折れる嫌な音がした。
「があぁっ、……面白え、もっと遊んでくれよ!」
口の内部を切ったのか、龍園はペッと血を吐く。
その顔を無感情に見つめながら、清隆はさらに攻撃を畳み掛けていく。
……なんか、清隆らしくない。
ここまでの二人の戦いを見て、俺はそんな感想を持っていた。
自分へのダメージを厭わず、インファイトを繰り広げる。これは清隆の性格とは合致しない戦闘スタイルだ。どちらかというと、彼はヒットアンドアウェイのイメージがあるのだが……?
「ぐぅっ!……」
清隆の右ストレート。龍園はそれをすんでのところで躱し、腹に向かって蹴りを放つ。
「……」
清隆は回避せず、しかし受けると同時に左フックを龍園の頭部に直撃させた。
お互いがバランスを崩し、地面に倒れる。
「……オレは、一体………?」
即座に立ち上がった清隆は、自分の両手を見つめている。
……やはり、通常の状態じゃない。どうしてしまったというのか。
「お前、どこでそんな力を身につけたんだ。普通じゃないな、綾小路」
龍園は薄ら笑いを浮かべつつも、やや余裕が無くなってきた様子だ。
とにかく、今日の清隆はおかしい。こんなハイリスクな戦い方、いつもの彼なら絶対にしない。本来はもっと無機質で冷たく、作業のように相手を潰していくスタイルであったはずだ。
「……」
俺が考えている間にも、清隆はただ殴り続ける。龍園の反撃を受けながらも、攻撃の手を緩めない。それはまるで、怒りに我を忘れているかのような……
あっ。
まさか、そういうことなのか?
違和感の正体が見えていく。
「綾小路、テメェも『恐怖』ってものを知らねえのか!?」
違うぞ龍園。
……いや、違うわけではない。だが本質はそこじゃない。
「……」
心の底から楽しそうな龍園と、どこか
ああ、綾小路清隆よ。お前は……
お前は、恵ちゃんが攻撃されたことに怒っているんだな。
「恵ちゃん。きっと、この戦いの勝者はお前だよ」
「はぁ? 意味わかんない……そんなことより、清隆は大丈夫なの?」
「あいつなら大丈夫だ。おい、清隆!」
俺は声を張り上げて、清隆を呼ぶ。
親友として、伝えなければならないことがあるからだ。
「お前の心に芽生えたその気持ちは、間違いなくお前のモノだ」
「……」
「誰かに与えられたものではない、お前だけの感情。今の『怒り』を覚えておいた方がいい」
俺の言葉は、俺の存在は彼の心を動かせるのだろうか。
清隆は俺の方を向いて、次の言葉を待っている。
「なあ清隆。お前は今、ムカついてるんだろ? これまでずっと大事にしてきた宝物にキズを入れられそうになって、キレてるんだろ? ……それでいい」
興味深そうに頷いている。
俺は今、彼に必要なモノを与えられているだろうか。
「それは……お前が人間である証だ。そう、お前も俺と同じ人間なんだよ」
ホワイトルームだとか、そんなことはどうでもいい。
どれほどの天才だとしても、彼が人間であることに変わりはないのだ。
清隆は一瞬目を見開いた後……かすかに笑みを浮かべた。
「ああ、そうか。オレは今……怒っているんだな」
その直後、清隆が飛んだ。目視するのが難しいほどの速さで、龍園と距離を詰める。
既に深いダメージを負っている龍園は、その一撃を避けることができない。
ドロップキック。あまりの威力に、龍園の身体は反対側の柵の方まで吹っ飛んでいった。
「ガハッ……グゥ………」
龍園は名残惜しそうな顔をした後、失神した。
男二人の決闘は、こうして決着がついたのだった。
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校舎から出て、俺たちは帰路につく。
龍園たちも屋上を出るころには意識を取り戻しており、そこは一安心であった。
しかし、怪我の程度は酷いもの。おそらくどこかの骨も折れてしまっているだろうし、当分このようなことを起こすのは難しいだろう。まずは病院に行ってくれと伝えたいところだ。
静まり返った校庭。星空の下、一度立ち止まった。
「……今日は本当に助かった。礼を言う」
「ほぼ清隆の独壇場だったけどな。まぁ、助けになったなら良かったよ。身体は大丈夫か?」
「ああ。痛みはあるが、骨折までは至っていない」
「そうか」
いつもの無表情で頷く清隆。なんだか安心した。
先ほどの戦い、録音はしてあると言っていた。単純に考えれば龍園たちが重い処分を受けることになるだろうが、疑問点はいくらでもある。
なぜこのタイミングで攻撃を仕掛けてきたのか。そして、龍園は結局何がしたかったのか。
こんなわざわざ自分から退学しにいくような真似を……おいおい、そういうことか?
そういえば、龍園と恵ちゃんは……
その時、身体の力がふっと抜けた。
「大丈夫か?」
「ああ、悪いな」
清隆に身体を支えられて、俺は再び歩き始める。
どうやら疲れているらしい。今日、これ以上考えを巡らせるのは難しそうだ。
それにしても、清隆は強かった。
やはり彼こそが最強の主人公、物語のヒーローなのだと再確認できた。
この男と比べたら、俺なんかそこら辺の雑魚にすぎない。
「ぐすっ……よかったあ」
そしてその「ヒロイン」は、きっと…… いまだに泣いている女の子なのだろう。
あふれる涙を清隆が手で拭い、二人は抱きしめ合う。恋人らしい雰囲気だ。
……脇役の出番はここまでのようだ。今、俺は彼らの空間にいるべきではないと悟った。静かに手を挙げてから、早足でその場を後にする。人間関係において空気を読むのは大切なことだ。
「あー、良いもの見せてもらったなあ」
軽い足取りで寮への道を歩く。
本当に素晴らしい、良い夜であった。